19歳と24歳の時は、いろいろな事があって、よくもわるくも「生きている」という気が強くする時期だった。今年は、20年ぶりにそのような年だった気する。結果として、20年の静けさを感じる。


〇4月
倒れた。2か月かかって完治して、前より丈夫になった。働き方について考える契機となった。


〇6月
「自分の青春はさっきあの時、終わっていた」と気付く出来事があった。村上 春樹の短編にそんなのなかったっけ?そういう感情は、どうやら本当にあるらしい。


〇9月
引越しをした。三年で三度目。マツコに会うことはもうない。


〇11月
お笑いと、公園と、星野 源をこよなく愛するおもしろいいきものになつかれたので、一緒に生きていくことを始めた。


⇒20代のころに定めた行動指針を改定した(第3条追加)

「本を読むこと」
「体術を修めること」
「妻と話し合うこと」

長い目で見たら人生には流れがあって、自分としては珍しいことだけど今はやるべきことが多すぎて頭がぐるぐるしている局面のよう。だからウェブログ(懐かしい言い方だな)は意識の彼方に退いているけれど、なんとなく、忘れないために。

 

他人の自尊心を奪う言動はとても大きな罪だと思う。一度きりの行為でも、その後の長い時間にわたって誰かの人生を縮小させ続ける。ずっとだよ。

 

「相手の心に灯をともすように語りかけなさい」

 

むかしこの言葉を聞いて、そんな考え方があるんだ、と衝撃をうけたことがある。今でも無論できない。

「~しておきます」
「~しておきますね」

 

この違い、言葉の最後、たったひとつの”ね”を言えるようになるまでに、三年近くもかかってしまった。図らずも口にしたその言葉で、自分がすでに回復している事に気が付いた。もう大丈夫。おれは克服したし、どってことない。また、おれ、って言っちゃった。

 

なんだか長い間、妙な病が世界を覆っていたようだけど、その間ずっと、ひたすら体を鍛え、呼吸を練り、それまで興味がなかった現実世界の勉強を続けていた。引っ越しを二回し、ラジオを聴き続け、変な猫と友達になった(態度もガタイもでかいから、マツコと呼んでいる)。

 

体はとても丈夫になった。中心にあるのは呼吸法だろう。結果も求めず、理由も分からず、何ゆえかばかみたいに続けていたら、いつの間にか元気になってた。武道や伝統芸能なんかで

 

「立ち方三年」
「握り方三年」

 

みたいに言ったりするけれど、三年、というのは、体の中で何かより深い変化が生じるには、少なくともそれぐらいの時間は必要だよという、最小の単位なのかもしれないね。それでは、また、三年後。

昨年は、ありがたいことも、つらいこともあり、どちらの出来事も、まだきちんと受け止めきれていない。今年は何も起こらなくてよいので、先のふたつの出来事に向き合う作業を、静かに続けていきたい。難しいな。

このブログはずいぶん昔に「おれ」として何か書くために始めたもので、その一人称は青年の客気を代弁するにふさわしいものではあったけれど、昨年、四十を迎えた身の上(マジかよ)としては、準公的な場で「おれおれ」言うのは柔道着着て出勤するようなマッチョな違和感がある。
特段、ウェブログに書き付けたいことなどもうないけれど、もしまたそういう要求が芽生えたら、今度は「わたし」としてどこかのサービスを使ってみようかな。

「おれ」にせよ「わたし」にせよ漢字を忌避し平仮名を好むあたり、なにか深層心理学的な理由もありそうだけれど、自己の心理等に対する興味はもはやほぼ無い。
自身の内部に気持ちを向け続ける事の品の悪さ、みたいなものは昨年痛感するところがあり、今はなんとなく、答えはそこには無い気がしている。あけましておめでとうございます。

こんにちは

昨年から定時で仕事が終わることが多くなってしまい(残業好き)、なんとなく家帰って自炊する習慣がついた。

料理のことを知らないので人に教えてもらうのだが、気のせいか、そういう質問をするといつもより女性がやさしく応じてくれるように思う(「炒めものに豆腐ぶち込んだらべちゃべちゃになりました」「あなた水切りしてないの」)(「ピーマン切ったら種が入っててびびりましたが奇形ですか」「もう一度生まれ直してがんばってね」)。

一年ほど男メシ作り続けてみて最近気が付いたのだけれど、食べてもらう相手に多少なりとも愛着を感じていなければまともな料理は成立しないとするならば、外食できる時にわざわざ家帰って自炊するという行為には、どこかセラピーとしての一面があると思う。

田舎に帰っていた。友人と公園で会う約束をして、行ってみると、ベンチでのんびり趣味の楽器を弾いているそいつの隣に、小さな女の子が座って耳を澄ませている。おれが友人と挨拶してるうちにその子はとことこどこかに行ってしまって、親戚の子?と訊いてみると「知らん子」と。両者まことに無造作でいい。東京とはずいぶん違うと思ったけれど、それだけおれも外の人になってしまったのだろうか。