告知

本人がすっかりここのスペースのことを忘れているので、他人様ならなおさら憶えておらなんだでしょうが、以後下のとこでやってくので、こっちは放ったらかしというのか塩漬けというのか、なんだな、そういうことで。

「底パイルロケットのバラック的なナニでアレ」
http://blog.livedoor.jp/sokopilerocket/

久し振りというにはあまりに久し振り過ぎ

に、日記を書いてみる。
最終更新が一昨年の11月なんだから、これじゃ年記だな。
どうして今また書いてみようかと思ったのかと言えば、いろいろあるような気もするけど、面倒臭いのでそのあたりは放っておく。放っておくものの、一番の動機は、身近な人々からのネットを通しての接触がこのところ多いので、思い立ったというところだろうか。用向きがなにもないことをいいことに昼間から三合ほど呑んで、気まぐれを起こしているだけかもしれないがね。

さりとて、書こうとしたもののこれといって何もしていない。朝起きて、コーヒーを沸かし一服した後書き物をし、昼飯代わりに一杯やりながら先日録画した鬼平スペシャルを見る。それだけ。
本当になんだこの冴えない一日は。

崇拝する池波正太郎先生は三年日記にその日に食べたものを書きとどめていたと聞く。
では、その顰みにならってみようかしらん、と以下。

・コーヒー
・チョコレート

・酒三合
・ツバスの刺身
・大蒜醤油漬

なんだこりゃ。
夜は何を食べようか。土鍋でご飯を炊き、ツバスの刺身で食べて尾張名古屋は城でもつ雰囲気。

いろいろある

そりゃまあある。いろいろ。
こう面倒くさがって書かないと、日記を書こうにも何を書こうかと少しく悩んでしまわないでもない。
で、いろいろあるんだけど、金曜日に大変なことがあって、と勿体を付けても仕様がないので書いてしまえば、従姉の連れ合いに不幸があった。四十五になったところだろうか、あまりに早すぎる最後。
従姉と共に丸で兄弟のように付き合ってきた人であったために、またその娘らも丸で姪同然に接してきたために、突然の出来事を気持ちの上でなんと片付けたものか戸惑っている。
仕事の都合で明日の葬儀に参加できないのが申し訳ない思いもあるが、後に残された妻に娘になんと言葉を掛けていいものか見つからず、その見つからぬ言葉を前に彼女らの居たたまれぬ姿を目にせずに済むことに、卑怯な安堵を覚えずにおれない。
長く患っていた病気のこと、仕事のことで悩んでいたという故人の胸の内を推し量ることは本人ならぬ身にはとうてい出来ないが、例えば現実とは何か隔絶したところにある死ということそのものに対する気持ちのようなものは、欠片ほどであるかもしれないが共有できる気がしないでもない。しないでもないが、だがしかし、夫に父に死なれた家族という現実を前にしたときのその気持ちというものは、やはり生ける身としては、そこで生きることを選んでしまうだろう身としては、もやもやと胸の中で形を成すことはない。殊にまだ幼い娘らはその気持ちと現実の間にあるもやもやをどう受け止めてゆくのだろうかと、それを思うと胸が痛む。

九月の祖母の通夜の葬儀場に泊まり込む俺に付き添ってくれ共に杯を傾けたことが思い出される。アルコールに押されたせいかとても希望的とはいえない家族感や人生観を吐露した俺に対し、養ってゆかねばならない家族に対する愛情、覚悟や希望というもの訥々と語ってくれた。その時の、栃木北部特有の訛りで話す穏やかな表情が、去来して止まない。

秋の終わり

夜も更けてひょっとすると手足の先がかじかむくらいの気候に、やっと、なってきた。
いい。本当にいい。冬が好きだ。
凛と冷えて乾いた空気にコートの襟を撫でられ首を竦めながら見上げる、うっすらと曇った空の美しさは他に喩えようもない。
早くきりきり寒くなってくれ。

また一月以上放ったらかしにしてしまい

そして、どうして不意に書こうと思ったかと云へば、夜更けた天王寺駅程近くの横断歩道を信号待ちしていたところ、路傍に座り込み屁みたいなライト煙草を吹かしている十代と思しき女子二人の片方、これがやおら「フェラチオしすぎてやぁ、喉めっさ痛いねやんかぁ」と往来も憚らず喚き、二人でケラケラと笑い出す姿に度肝を抜かれたから。お前らみたいなヤプーは銜えて銜えて銜え死んでしまえと思ったから。
僕は不幸にも夜回り先生ではないので「いいんだよ」とは言えませんでした。
領海侵犯した潜水艦に爆雷ひとつ落とせない国に生まれ死ぬまで住むつもりでいるのだから、これくらいのことは許容しなければノイローゼで死んでしまうような気もしないでもないんだけどね。

そして上方には竹輪麩がないのが泣きどころ

関東煮

昨日、おでんを鍋に溢れかえらんばかりに作ってしまった。昨日今日と食べ続けているが全然減らない。鍋の中はまだまだ良い具合の充実感に漲っている。
カレー、シチュー、バラやモツの煮込みなど、鍋で作るものはつい作りすぎてしまう。少量だと上手いこと仕上がってくれない、というのもあるけれどそれにしても作りすぎだ。
誰かを呼べばいいのかもしれないが何となく気後れをしてしまう。飽きた頃合いになっても減らない鍋を見つめて溜息をつく。こういう時ほど一人暮らしを侘びしく思うことはない。
誰かおでん、食べたい人いたら家まで来てくださいよ。ほんとに。

負け

午後になってむくむく起きだし、コーヒーを淹れようと湯を沸かすも、ヤカンがピーピー鳴る頃合いに豆が切れていることを思い出す。僅かな望みを託して、いつも買い置きを保存している冷凍庫を探ってみるも、ラップに包まれた随分昔に貰った鯖の糠漬けの凍るに委せる姿を発見したのみで徒労に終わる。世の中そんなに巧くできているものではない。
我が家には生憎お使いに行ってくれる女中も小僧もいないので、面倒臭いが目覚めきっていない体でコーヒー豆を買いに出かける。自転車を漕いでいるうちに豆買って家に帰ってお湯沸かして、という手続きが面倒になり天王寺HOOPにスターバックスが入ってるな、そこへ行こう、と、行ってみたのだけど、なんだもう人いっぱいで並んでるじゃないか。そりゃ土曜日の昼下がりだ、混むだろうて、だがしかし、天王寺ってアポロで映画見るか居酒屋で飲むかリッチドール以外に休日に人がわざわざ群がるような何か楽しいものってあったか? あるんだろうな、なにか。
床に転がってた"HAWAII"なんてでっかく書いてある土産物のTシャツを適当に来てビーサン突っかけて無精ヒゲ生やらかしたままノコノコ穴蔵から出てきた俺にはどうせ分かるまいて、と意味もなく卑屈になり、負け犬臭を出しながらスターバックスを避け近鉄地下のコーヒーショップへ。

コーヒー飲んで煙草をブカブカ吹かし鬼平を読んでしばしちんたら過ごしてからCD屋に。ポスターを見て「ん?美勇士?」と思うも美勇伝だった。石川梨華の新ユニットなのね。
それから本屋へ。スウィングガールズ絵コンテ集を見つけて読み耽ってしまう。我に返ったころには二時間近く経っていた。なんだか堪らなくなってスウィングガールズのノベライズを買ってしまう。相当スウィングガールズにやられているな。
映画にやられること自体は別に珍しいことではないが、ノベライズに手を出すのは初めてだ。喩えそれが監督自身の手になるものだとしても、ノベライズを買ってしまうのはなんだか負けた気がする。
原作小説を当たったりDVDやビデオを買うのはありなのだ。でもノベライズはどうもダメなような気がするのだ。マグカップとかスポーツタオルなんかの中途半端なオリジナルグッズも明らかにダメで負けの側だな。パンフはありだけど、公式ハンドブックはあっち側に片足突っ込んでる。Tシャツはデザイン次第で転ぶギリギリのライン。どういう線引きなのか自分でもよく分からないけれど、そんな気がする。
その後、成城石井でコーヒー豆を買って帰宅。
早速読んでみるに、ノベライズ、「台本を詳細に書いてみました」といった感じ。小説としては大して面白くはないのだが、まあそこはやられておかしくなっているので設定資料として楽しく読んでしまう。ああ、いいなあ気持ちいいなあ、こういうの。やっぱり俺、体質はヲタクだ。