宮原永海ちゃんと再会。

2月というのに今年はじめて会う人ばかりで、meerのスタジオではあけおめ挨拶が駆けめぐる。

写真はmeerの中澤くんが撮ったものです。








中澤くんが写真にかまけている間(ひどい)、せっせと準備をするわたくし。





僕の思っていることをきちんとくみ取って歌ってくれます。





そして想像を超える曲にしてくれます。彼女の歌は本当にすばらしい!





時間が迫ってきているときの写真?

あと10分しかないのにコーラスを考えて歌ってもらいました。

こっちもドキドキでした。





お疲れ様でしたの2ショット。

本当に、本当にありがとう宮原永海ちゃん!

いい曲ができたよ!!

その瞬間新潟では地震が起きていたとはいえ

この間いつも一緒に曲を作ったりライブをしているAUNが、デラルス主催のチャリティーライブに出るので遊びにいってきました。ステージがはじまる直前まで「ねえ、今から出れないの!?」と冗談(といつつも半ば本気)で詰めよりましたが、ステージがはじまってライトがつくと、ああ呼ばれないわけだと悟りました。もうこれ以上スペースありません!っていうくらい楽器だらけでした。出演者がたくさんいると、大変なことになるんですね。指をくわえて舞台袖から観賞したのだけども、これがまた面白い!

通常のライブだと、袖で待機しているミュージシャンのまわりには、いろんな質こそあれ、大抵ぴりっとした緊張感が漂っています。それがいい意味に作用すると、ステージでのパフォーマンスも最高になるのです。でも今回はそれだけじゃない。待っている間からみんなとっても楽しそう。パフォーマンス中もとっても楽しそう。とってもピースフル。笑顔が絶えません。見ているこっちまで楽しくって、体が勝手に動いちゃう。うまく言えないけれども、音楽の持っている力、共有する喜びであったり癒しであったり、さまざまな要素の何かがいつもより純化された状態を体験できる、それがチャリティーライブの醍醐味なのかもしれないなと、音楽を楽しみながらぼんやりと考えました。そのような場所でAUNと一緒に作った音楽を聞いてもらえるなんて、とても嬉しく、そして得がたい経験でした。来年はぜひ一緒に舞台に出たいものです、本当に。

ちなみに舞台袖で出番を待っているガチャピンとムックを見て、現実とはいったい何なのかと軽いめまいを覚えました。

セントラルパーク南西角の新名所

タイム・ワーナービルに演奏会場のほかに作られたレコーディングスタジオってのがオタク魂をくすぐられます。どこかで写真みれないかな。講義用の教室もあるようだけれども、誰が講義するのか興味津々。ちなみに館長のウィントン・マルサリスは、音楽性も超絶技巧もすばらしいんだけれども、ぼく、どうも完璧すぎて隙のないものってグッと来ないんですよね。TOTOも一時期まではグッときませんでした。どちらかというと、あきらかに何かが欠落しているがために生まれたものに、愛おしいさを感じてしまいます。まあその究極はアウトサイダー・アートなんでしょうけれども。

音楽話でひっぱりますと、大好きなピアニストにDon Grolnickという人がいました。ぼくにとって作曲と演奏の神的存在でした。彼が8年前に亡くなった時に、泣きながら手持ちのCDを全部聞いてから、現実を受け入れられなくてCDを封印してきました。今考えるとちょっと大げさ(笑)今日は突然どうしようもなく聞きたくなって、CDラックから取り出しました。今聴きながらこの文章を書いているのだけれども、彼の生み出すものにはなぜか日本人の情緒と共通するもの、ありていに言えばワビサビのようなものを感じずにはいられない。小編成でスローな曲ほどたまんない。語彙が少なくてうまく伝えられないのが悔しいなあ。なんてマジ話をたまにはとりとめもなく書いてみたりする。Don Grolnick、ほんとあんた最高だったよ。そんで本当にホモだったの?orz

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