アポ必要?電話とメールの究極の使い分け方まとめ!

こんにちはこんにちは!!
すっかり涼しくなりましたね…!んー、快適!
こんなに涼しいのに、何か熱い議論が盛り上がってるみたいですね…!

電話をかける側は「突然相手の時間を奪っている」ということをそろそろ自覚すべき。突然訪問してるのと何ら変わりないよ。連絡手段が電話しかなかった時代の古い慣習をそろそろ改めて、電話する際には事前にメールでアポを取っておくのが常識の世の中になればいいのにな

http://togetter.com/li/52775

id:Memeo コミュニケーション, Togetter 技術職の人ってこんなコミュニケーション観でも仕事できるんだ、という事に驚いた。コミュニケーションの優先度が低い職なんてのが有るもんなんだっていう。 2010/09/23
id:niuniuniu コミュ力が足りないって言ってる人がいるけど、電話は相手がどんな状況かを考えずに一方的に割り込む手段だから、って話であって。相手に合わせるつもりがないのは電話好き側も同じで、それコミュ取れてなくない? 2010/09/23
id:NAT 仕事, コミュニケーション これは相手の仕事によるかな。技術系の設計が仕事の場合、一定時間集中しないと仕事が出来ないので、メール。営業系の交渉が仕事の場合、複数の相手との会話を短時間に回数こなさないと仕事が出来ないので、電話。 2010/09/23
id:orbiter 仕事, コミュニケーション 電話するのはそのほうが早いから。メールだって相手の時間と集中を奪うのは同じ。逆にメールで電話するアポ取るのは二重に相手の時間を奪うことになるんじゃ? 2010/09/23
id:kanose メール 時と場合によるよなー。電話すれば3分で決まることがメールだと2,3日かかる経験があまりにもあるので、メールに頼るのよくないと思ってる
id:inumash twitter ワークスタイルは個人や職場によって様々なのに、それを「●●すべき」とか一般論化しちゃうのって、「twitterで@飛ばすときは最初に挨拶を」とか「twitterでは相互フォローが当たり前」とか言ってるのと同じじゃねーの?
id:ymScott 仕事, コメントした 使い分けすべきツールの話を十把一絡げで「こう使うべき」という話に、何も考えず同意してしまう人って、仕事できなさそうだなぁと思う。
id:Akaza 状況を限定していない時点でこの論争に結論はないわ。人それぞれが従事している環境によって違うもの。/シングルタスク的な仕事と、マルチタスク的な仕事の違い。
id:gakusi *仕事, *社会 はまちちゃんの方が共感できる。電話出なきゃ良いとかいう方もいるけど、出ないと誰から来たか分かんないし、なんで内容の優先度判断コストを受け側が「即時」で負わなきゃいけないのか
id:tamu2822 twitter, 仕事 フツー用件と目的によって使い分けるだろ (´・ω・`)
id:sorex44 連絡先として相手に開示してんならどっちも受けるべき。電話嫌いならそう言えばいい、理由はそれで十分。不利有利並べ始めたらきりがない。まぁこういう話の中に新サービスの種あったりするんだけど。
id:nancy メールがいいか電話がいいかは相手によるよね…そういう話じゃないのかなー。

はてなブックマーク - Togetter - 「電話するならまず先にメールでアポを取るべき」(抜粋)

メール派電話派入り乱れて楽しそう…!


ケースバイケースって意見も多いけど、
いろんな場合があるから、
じゃあ結局どうすればいいの><;ってなっちゃうよね…!


と言う事で、ボクが秘密の学校で教えてもらった、
とっておきの電話とメールの使い分け方をご紹介しちゃいます><!!




まず、メールと電話の違いがわかんなきゃね…!

電話のいい所

  • いますぐ応答がもらえる…!
  • 発信するのが楽ちん…!!
  • 相手も応答を返すのが楽ちん…!!
  • お互いに質問・応答をあっという間に何回も繰り返せる…!!!
  • 生声が聞けて、生声を伝えられて、リアル…!!!!

メールのいい所

  • 受けた人が都合のいいときに処理できる…!
  • 落ち着いて内容を確認や整理してから連絡できる…!!
  • 相手も落ち着いて内容を確認や整理してから返信しやすい…!!
  • 後で内容を確認しやすい…!!!
  • リアルな声の応酬に晒されたり流されたりしなくて済む…!!!!


あと大事なのは、もちろん連絡の内容と、それから、連絡相手だよね。

連絡の内容もいろいろあるよね

  • 急ぎ度
    • 連絡が今すぐ済まないと意味がない話
    • 連絡が今すぐ済んだ方が自分がうれしい話
    • 連絡が今すぐ済んだ方が相手がうれしい話
    • 連絡が今すぐ済まなくても誰も困らない話
  • 分からない度
    • いろいろ質問しあったり議論しないと分からない話
    • 自分がいろいろ調べれば分かる話
    • 相手がいろいろ調べないと分からない話
    • 簡単な事実の通知や質問の話
  • 重要度
    • 連絡ができないと大問題な話
    • 連絡ができないと自分が困る話
    • 連絡ができないと相手が困る話
    • 連絡ができなくてもなんとかなる話


連絡相手にもいろいろあるよね

  • 職種
    • たくさんの電話をしたり受けたりするのが仕事の人
    • 考え込むよりたくさんの事をするのが仕事の人
    • 考え込んだり集中する事が多い仕事の人
    • 考え込んだり集中しないと仕事にならない仕事の人
  • 仕事の様子・好み
    • メールが苦手な人、読み飛ばす人
    • 考え込んだり集中する仕事をしている時期/時間の人
    • 口頭の会話を好む人

もちろんこれはMECEじゃないし、ほかにもいろいろあると思うよ!


そんでもって、
「連絡が今すぐ済まないと意味がない話」で、かつ「連絡ができないと大問題な話」
の場合は、これはもう電話するしかないよね。


それから、
「いろいろ質問しあったり議論しないと分からない話」で、かつ、「連絡ができないと大問題な話」
は、メールだと何回もやりとりが発生して、
自分も相手も大変だから電話で話した方がいいよね。


でも、
「考え込んだり集中しないと仕事にならない仕事の人」や「考え込んだり集中する仕事をしている時期/時間の人」
に対して、今すぐ電話する必要はないよね…!


こういうのメールでアポ取るのもいいし、あと、ボクがよくやるのは、
「○○な話を伺いたいので、都合がよい時間にお電話頂けませんか!?><;」
ってメールしちゃう方法。
一発で相手が都合のいい時間に、効率的にやりとりできるよね!


ただ「相手に電話掛けさせるのは失礼」って風潮があるのが困るよね。
でも、相手に無駄に何通もメール書かせる方が迷惑だと思うので、
相手がそういうのにこだわらない人だったら、
そんな有害な空気はムシムシ!!


じゃあ、それ以外はどうすればいいんだろ?
結局、お互いに相手への思いやりを持つ事何じゃないかな?
だから、上に書いた項目は、
困ったり嬉しかったりする人は誰かをわざを分けてあるよ。


もちろん、ほかの人のお世話にならないで仕事はできないよね。
だから、ほかの人の都合を汲んでサポートするのを拒絶しちゃうのはどうだろう…?
ぎゃくに、他の人に迷惑掛けるのを当たり前と思って気にしないのもどうだろう…?


よく電話してウザがられてる(かもしれない)人は、
数学テスト中に電話が来た人の気持ちを想像したらいいんじゃないかな…!
もしそれが仕事だったら、電話されたらどんな気持ちになるんだろ!?


よく電話が来てウザいと思ってる人は、
クイズ番組で電話使用権を得た人の気持ちをを想像したらいいんじゃないかな…!
もしそれが仕事だったら、電話を禁止されたらどんな気持ちになるんだろ!?



みんなお互いのことを思いやれる優しい世界になれるといいね!!
ボクは最近優しさをひとつ失ったけど!!!!


そんじゃーね。

著作権をむやみに伸ばすべきというのが、発想の根本からおかしい理由

現役官僚のはずのid:bewaadが、どうにもそれらしくないトンデモな意見を書いて注目を集めている。

たとえばAさんが会社を興して子孫に株式を遺したとします。その子孫の株式が、死後一定期間経過後に‐それが50年後であれ70年後であれ‐勝手に消滅してしまう、なんてことはあり得ません。ところが、Bさんが著作物を創作して子孫に著作権を遺したのであればどうでしょう? そのあり得ないことが起きてしまうのです。

http://d.hatena.ne.jp/bewaad/20091125/p1

単純に他の財産権と比べて、著作権だけ権利が消滅するのはおかしいという理屈。さすがにネタだと思いたい。何がネタかと言えば、発想の根本がおかしいからだ。


なぜ、他の財産権が消滅しないのか。それは、そう言うルールが社会に最も利益をもたらすからというだけの話。ただし、付帯条件としてみんながそれなりに納得の上で。


株券が一定期間経過後に自動的に消滅しないのは、そんな事があったら会社を興そうという人も居なくなって社会の活性は落ちるし、株式市場もおかしな事になって経済も大変になる一方、消滅させることでそれらを上回る社会的利益が存在しないから。それがメリットを最大化するから、消滅しないルールにしているに過ぎない。


それぞれの権利をどの程度に設定するのか、と言う問題は、それぞれの権利に関連する社会影響と関連する様々なパラメタによって決まるもの。それぞれ個別の権利について個別のバランスが存在する。それらの前提条件を無視して単純比較するのは、「競馬の掛け金は数分で何倍にもなるのに、普通預金は1年預けても1%も増えないのはおかしい!」と嘆くようなものだ。


実際、著作権法はその第一条で、その目的を以下のように定義している。

第一条  この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。

「文化の発展」が目的であって、著作権者の保護はその手段に過ぎない。つまり、国家の文化の発展というグランドデザインがまずあって、著作権の有効期間はその実現のための手段として議論されるべき事項。


知的財産は、生まれる事ではなく使われる事で社会に利益をもたらす。ニュートンほどの知的成果を上げた人物ですら、巨人の肩に乗ったにすぎないと言った。仮にユークリッドの数学が知財の壁に阻まれて、ニュートンに届かなかったとしたら。そのような制度設計をする者を「権利の公平さを守った賢人」と褒める者は居ないだろう。

居酒屋:真の敵は よしもとばなな ではなく、村上春樹の言う「壁」である件

しがない雇われ店長に規格外のサービスを求め、応じない彼を裕福な人脈を笠にして責めるよしもと。

もしも店長がもうちょっと頭がよかったら、私たちのちょっと異様な年齢層やルックスや話し方を見てすぐに、みながそれぞれの仕事のうえでかなりの人脈を持っているということがわかるはずだ。それが成功する人のつかみというもので、本屋さんに行けばそういう本が山ほど出ているし、きっと経営者とか店長とか名のつく人はみんなそういう本の一冊くらいは持っているのだろうが、結局は本ではだめで、その人自身の目がそれを見ることができるかどうかにすべてはかかっている。うまくいく店は、必ずそういうことがわかる人がやっているものだ。
 そしてその瞬間に、彼はまた持ち込みが起こるすべてのリスクとひきかえに、その人たちがそれぞれに連れてくるかもしれなかった大勢のお客さんを全部失ったわけだ。

http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20090808

よしもとの醜悪さと勘違いには目に余るものがある。ここで我々は、哀れな店長に同情し、よしもとに反感を覚える。多くのブコメがよしもとに反発している。

しかも、よしもとの言うことには突っ込みどころが多すぎる。わざわざエントリを挙げて突っ込む人続出。、

ほか多数の突っ込み。

イタいおばさんの勘違いが隠す、この事件の本当の問題

我々が感じる反感・反発は、まとめてしまえば「このおばさんイタいね」の一言に尽きてしまう。「このおばさんイタいね」は何も産まない。せいぜいよしもとが改心する程度だ。そんなおばさん一人の事などどうでもいい。そんな事より、そこに目を奪われていては、この事件に隠れている本当の問題を見落としてしまう。
本当の問題は、反感や反発感情にまかせるのではなく、何がこの問題の原因なのか、を冷静に考える事で見えてくる。いやそれ以前に、そもそもこの件での問題とは何か、その問題で生まれている不幸は何なのか、からして落ち着いてよく見極める事が始まりだ。


事件の当事者

  • 友人との大切なイベントにケチを付けられたよしもと達
  • ルールに従って友人との大切なイベントにケチを付けた雇われ店長

そもそもこの問題での不幸は何なのか。

よしもと自身にとっては、そのイタさを横に置けば、友人との大切なイベントに水を差されイベントを中止させられた事が不幸だろう。よしもと以外の何も発言していない参加者にとっても同じだ。

では、雇われ店長の不幸は何だろうか。よしもとに非難された事だろうか。雇われ店長はルールに従っただけであり、勘違いおばさんの愚痴などノイズに過ぎない。そんな事ではない。彼自身おそらくまったく気がついていない不幸を、彼は被っている。

それは、彼は雇われ店長であるまえに、一人の人間であるという事だ。店長という立場は、仕事上とらされているに過ぎない。店長と客という立場も同様だ。これらの立場と無関係に、ひとりの人として「友人とお別れの大切な会」を開いてる人達に関わったとしたらどうだろう。

雇われ店長が彼自身で気付いていない不幸

彼が人非人でもなければ、互いの別れを惜しんでいる友人達の気持ちを、わざわざぶち壊すような事をなぜ好きこのんでするだろうか。彼という人間に人非人の行為を行わせているのは、仕事上とらされている店長という立場だ。友人と大切なイベントを過ごしている人に対して、わざわざそのイベントにケチを付けて水を差さなければならない事こそが、よほど非人間的で人間として本来の不幸な事ではないか。

不幸の原因:社会に張り巡らされた空気、あるいは「壁」

これらの不幸の原因は、よしもとの醜悪な勘違いでも、よしもとが我々が持たない裕福な人脈を持っていることでもない。雇われ店長が彼自身無自覚に、当たり前のように強制を受けている物。人間を立場に押し込め、その役割を演じる事を我々に強制するもの。自分が考えるに、それは村上春樹の言う「壁」だ。

私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。

http://www.47news.jp/47topics/e/93925.php

客の気分を害してでもイベントにケチを付けてやめさせる事は、居酒屋チェーンにとって合理的だ。特別な人脈を持った客などまさに例外であり、ターゲット外であり、それによるあるかないか分からない損失よりも野放図な持込みに繋がるリスクを抑えることの方が利益に結びつく可能性が高い。

合理的なルールに従い、それによって我々に安価に酒とつまみと場所を提供する合理的なチェーン店舗システム。我々に益するはずの合理的なシステム。合理的であるがゆえ、その論理は正当性を持ち、強固であり、我々はともすると無条件にその論理を我々自身に強制し、また他者にも強制しようとする。

哀れな雇われ店長人非人の行いを強要しているのは、このシステムに他ならない。

「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。

http://www.47news.jp/47topics/e/93925.php

「殺す」という表現は、今回の事例に関して言うには、いかにも大袈裟過ぎる。しかし、事の大小の違いがあるだけで、話自体はそのまま当てはまる。殺すという事に比べれば不幸の大きさが小さいというだけだ。そして小さいからこそ、目立たないまま我々を容易に取り囲む。


小さいから目立たない。われわれはこの事に自覚的である必要がある。村上が、単に「壁が殺す」事だけでなく、壁が我々に「殺させる」という事を挙げている事に注意し、その意味を考えてほしい。

私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。

http://www.47news.jp/47topics/e/93925.php

it begins to kill us and cause us to kill others--coldly, efficiently, systematically.

http://www.47news.jp/47topics/e/93880.php

システムは合理的で正当性を持つ。それゆえに、自分自身が「殺させられ」ている事の自覚を覆い隠し、罪悪感もないまま、静かにほかの卵を押しつぶしている。

このことを考えてみてください。私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。「システム」はそういったものではありません。「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。「システム」に自己増殖を許してはなりません。「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「システム」をつくったのです。
 これが、私がお話ししたいすべてです。

http://www.47news.jp/47topics/e/93925.php

酒井法子「容疑者」の写真が有害な訳&毎日新聞社への凸

ui_nyan 逮捕状前 http://bit.ly/10VSxY 逮捕状後 http://bit.ly/zf7Ct link

http://twitter.g.hatena.ne.jp/maname/20090807/1249639356

これは勉強になります。
やっぱプロは違うわ。

白い酒井法子さん

黒い酒井法子さん

http://birthofblues.livedoor.biz/archives/50884771.html

絵に描いたような印象操作報道。

ブクマでは何が問題?とか言ってる者が少なくないようで驚く。

害その1: 「普通の推測」は、だいたい当たるからこそ危険

まず先に教科書的な事を一応言っておく。


たしかに、今流れている情報から常識で考えれば彼女は「クロ」と考えるのが「普通の推測」である。自分の「普通の推測」も「彼女はクロ」だ。そして「普通の推測」は、それなりの情報が流れていれば通常は当たっている場合が多い。だが、だからこそ、予断を持つ事が危険な訳で。推測する側にとっては取るに足らない極少数の例外は、当事者にとっては人生を破壊される出来事である。

これらは、ホンの氷山の一角に過ぎない。日本では、起訴さえされてしまえば、事実上必ず有罪になる。「普通の推測」でクロと思われて起訴できるような事例は、実際の事実に関係なく、警察は自由に事件を作り上げる事が出来る。「普通の推測」は危険なのだ。


このように、事件に関連して「解っている事実」を伝えるだけでも危険な「普通の推測」を招くにも関わらず、事実ですらない印象操作を行って被疑者にレッテルを貼り付ける事が、なにゆえ正しいだろうか。

害その2: 印象は、それ自体が既に有害な単純ステレオタイプに嵌められている

そしてそれ以上に問題なのは、「容疑者・犯人」に対する単純なステレオタイプを刷り込む事だ。単純なステレオタイプは、「容疑者・犯人」に対する切断操作を無意識に行わせ、認識を単純化させる。逮捕状が出る前と後で、酒井法子が別の人格に変わった訳ではない。今回の2枚の掲載写真の違いは、マスコミがいつも通りに

  • 「容疑者・犯人」=「悪い奴」

という単純なステレオタイプに、事を押し込めた結果だ。今回はこのように際立った対比が生まれたが、通常の事例では容疑者になる前の「白い」写真は報道されない。このようなステレオタイプが生むのは、上記のような冤罪の危険だけではない。

「黒い」写真に象徴される、切断操作と思考停止
  • 『「容疑者・犯人」=「悪い奴」』 → 『「容疑者・犯人」は、善良な俺たち/私たちと別世界の「モノ」』

容疑者逮捕時のニュースにありがちな、近所の人の「そんな人には見えなかったのに」とのコメントも、まさにこのステレオタイプによる思考停止に他ならない。「そんな人」ってどんな人だ? 近所の人が見ていた「その人」は、「その人でなかった」のか?そんな事はない。「その人であって、かつ、法に外れた行為もした」という事に過ぎない。「別世界の「モノ」」ではなく、まさに「その人」が「法に外れた行為もした」事に問題の核心があるはずだ。「別世界」ではなく「我々」の延長だからこそ、真剣に考えるべきであるはずだ。にも関わらず、そのような切断操作は問題の理解を遠ざけてしまう。

「黒い」写真が隠蔽してしまう、本当の「悪」と改善への道

そしてさらに、法は完全ではありえない。完全であれば立法府たる国会は不要である。完全ではないどころか不備だらけである。ほんの10年ほど前まで、国家が差別を強制する複数の法律が有効だったし、そこまで行かなくても、多くの法律にはさまざまな議論がある。

「容疑者・犯人」すなわち「違法行為者」である事が、悪いかどうか、は、議論があり得ると言う事だ。

DEATH NOTEの小畑健も、キャンプ用十徳を所持していた事が銃刀法違反にあたり逮捕されている。確かに十徳に銃刀法の規定に該当する刃物もついていたらしいので、小畑健は「容疑者・犯人=違法行為者」ではある。では、キャンプ用品を持っている者は「悪い奴」なのか?

『「容疑者・犯人」=「悪い奴」』というステレオタイプを外して素直に考えれば、本来望ましい取り締まり対象は銃や刃物で他者に危害を加える事である。通常の生活で道具として所持される物を一律に違法にする事(軽犯罪法と併せると、普通のハサミやカッターやちょっとでも刃がある道具も持ち歩くと原則違法行為になる)にそもそも問題がある。もちろん線引きの方法は難しいが、少なくとも警察の恣意に任せて危険と関係ないキャンプ用品の車載で逮捕する事は、社会に利益とはならない。

にも関わらず、このときもマスコミは事を『「容疑者・犯人」=「悪い奴」』のステレオタイプへ押し込み、キャンプ用十徳を「ナイフ」「アーミーナイフ」と表現し、車内に仕舞ってあったのを「隠し持っていた」などと言って、「容疑者」の反省を誇らしく報じている。本来、法の不備を議論する絶好の機会であったはずだが、ステレオタイプと思考停止がその機会を潰し、またひとり不当に「悪い奴」が作り上げられた。


そして今回についても、議論の余地はありえる。もちろん、覚醒剤使用を肯定する人は少ないだろうが、ではなぜ悪いかを覚醒剤取締法を抜きに考えると、単に政府や警察のキャンペーンや教育によって悪い物だ思わされているだけと言う事はないだろうか。

例えば「成人が自分の判断で自分に使ってアホになるのはそいつの勝手ではないか」という考え方もありえる。「覚醒剤取締法が存在しなければ、酒井法子は容疑事実によって誰かに迷惑を掛けたのか?」と。
それに対しては、「お前はアヘン戦争をしらんのか、社会に蔓延したらどうなるんだ」と言う者があろうし、そうすれば、「では悪いのは各個人の使用ではなくて社会に蔓延する事であって、酒井法子は悪いというより蔓延防止措置による哀れな被害者ではないか」と言う者も出るかも知れない。


その議論がどうなるかは解らないが、少なくとも『「容疑者・犯人」=「悪い奴」』の単純なステレオタイプよりは、問題を深く捉える事に繋がるだろう。


マスコミに見解を聞いてみる

と言うわけで、毎日新聞社に対して、これに関してその見解を質すメールを送る事にする*1。回答が来たら、本ブログで紹介する。

行方不明の酒井法子さんに覚醒剤使用容疑で逮捕状が出て、御社でも報道をされていますが、容疑者になる前と後で明らかに意図的に異なる写真を掲載しています。


「酒井法子さん」 http://mainichi.jp/photo/news/20090805k0000e040058000c.html

「酒井法子容疑者」 http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090807k0000e040045000c.html

質問1
これらの写真は明らかに同一のイベントで連続的に撮影されたものであり、選択の意図なくこのように掲載されるはずがありえないものです。どのような意図でこれらの写真を選択されたのか教えて頂けますでしょうか。

質問2
一般に「容疑者」について、報道において、読者に犯人であるとの予断を抱かせうる事やそれに繋がる悪印象を持たせうる事について、望ましい事か、すべきでない事か、どうでもよい事か、御社のお考えをお聞かせ頂けますでしょうか。

質問3
紙面やWebなどへの「容疑者」の写真の掲載について、サイコロを振って選ぶなど作為の入らない方法で選択しているか、そうでないか、どちらであるか教えて頂けますでしょうか。後者である場合、実際に選択者たちはどのような基準で選択をしているか教えて頂けますでしょうか。

質問4
紙面やWebなどへの「容疑者」の写真の掲載について、その選択基準について、指針やガイドラインの様なものがありましたら教えていただけますでしょうか。

質問5
紙面やWebなどへの「容疑者」の写真の掲載について、今後その選択に影響しうる、御社におけるアクションは実行または予定されていますでしょうか。差し支えなければ、可能な範囲で教えていただけますでしょうか。


なお、ご回答については、ブログなどで公表させていただく場合がありますので、ご了承ください。


なお断っておくが、このエントリで非難していることは、決して毎日に限った傾向ではないと認識している。ただ、たまたま今回、毎日があまりにも露骨にわかりやすい形で事例を作ってくれたので、代表例としているに過ぎない。

(追記2)まとめ

記事の表現力不足を感じたため、恥ずかしながら、自ら記事のまとめを。

  • 事例:酒井法子の記事に添えられた写真が、行方不明記事では好印象の笑顔の写真だったが、「容疑者」になったら悪印象の仏頂面の写真が使用された。
  • 主張:「容疑者」に対して無思考に悪印象を付与する事は有害である。
    • 問題1:「容疑者=違法行為者」とは限らない。冤罪の危険。推測する側には稀な例外であっても、当事者には甚大な被害
    • 問題2:事件に対する単純な決めつけによる、問題理解の阻害・当該者への不当評価
      • 「違法行為者=彼岸の存在」としてはならない。切断操作と思考停止を招き、現実の事件・容疑者に関する理解が阻まれ、我々の世界の事として向き合う事を阻害する。
      • 「違法行為者=悪い奴」とは限らない。法律側の不備不当などの可能性の検証が阻害される。法律側の不備不当などの場合、「容疑者」は「悪い奴」ではなく不備不当などによる「被害者」でありえるにも関わらず、その名誉回復の機会が絶たれる。
  • アクション:この明確な事例を機に、その行為と背景に関する見解を質す

(追記)ブクマに反応

意図して印象操作をしたんじゃなく、無意識に選んだ結果では?
印象操作が自覚的に行われるとは限りません。このようなステレオタイプへの押し込みを「無意識に」行われているとすれば、それこそが、問題がより根深く蔓延してしまっているということだと思います。
毎日/マスコミを叩きたいだけだろう
まず、毎日のはあくまで分り易い事例に過ぎず、問題は決して毎日限定のものではありません。また、受け手の自覚は、まさにこの記事の意図するところです。本記事の内容が不当なクレームと考えるのであれば、それを具体的にご指摘願います。
「容疑者」の写真は当然内容に合わせて選んで悪そうなのになるだろう
その発想こそが決定的に問題だと指摘している記事です。文筆力不足なのはすみませんが、記事の中盤あたりから再度お読みいただけると幸いです。
爽やかな容疑者写真だと不謹慎とクレームする者があるだろう
なるほど。これはまさに『「容疑者・犯人」=「悪い奴」』というステレオタイプが深層まで染み込んでいるという問題だと思います。ステレオタイプをまき散らした上に、事なかれ主義でそのような不当なクレームに応じるマスコミも、ステレオタイプを強要する受け手も、等しく問題を自覚して改めるべきと思います。
酒井法子「容疑者」の写真が有吉な訳
その発想はありませんでした。

*1:既に本人が出頭済だが、メールを送ったのはそれより前

「楽天 vs GIGAZINE」の敗者は「はてなー」


今回の騒動は、全然違う所で示唆的だった。まず、関連記事をまとめると、


GIGAZINE記事

楽天擁護GIGAZINE叩き記事

楽天の声明


で、火が付いたのは、この記事。
楽天、利用者のメールアドレスを含む個人情報を「1件10円」でダウンロード販売していることが判明 - GIGAZINE

これに対して、「楽天擁護GIGAZINE叩き記事」が上がってくる。そして、楽天も声明。

□ 2009年05月28日

【お知らせ】一部ブログによる掲載情報の事実誤認について
日頃より、楽天市場をご利用いただき誠にありがとうございます。

昨日5月27日、一部のブログが「楽天、利用者のメールアドレスを含む個人情報を1件10円でダウンロード販売」との情報を掲載しましたが、 全くの事実誤認でありますので、お知らせいたします。

当社は個人情報の取扱いに関して万全の管理体制を敷いておりますので、お客様におかれましては、今後とも安心してお買い物をお楽しみ下さい。

http://www.rakuten.co.jp/help/whatsnew/

これって、何がどう誤認なのか、何がどう万全なのか、具体的な事がなーーーんにも書いてないんだけど、、「楽天擁護GIGAZINE叩き」系はなぜか「ほれ、見ろ!」的反応。


で、いま、GIGAZINE叩きが盛り上がってるところ。



でも、、「楽天擁護GIGAZINE叩き記事」を読んでもそれらに書いてある事実・情報は、「楽天、利用者のメールアドレスを含む個人情報を「1件10円」でダウンロード販売していることが判明 - GIGAZINE」自体に書いてある事と全然変わらないんだよね。最初からGIGAZINEに書いてある事と同じ事を書き直して、「GIGAZINEひでー」って言ってる。


それなのに、ブコメを見ると、そんな「楽天擁護GIGAZINE叩き記事」に溜飲を下げて、「GIGAZINEひでー」って言ってる。


なんなんだろなー、と思ったけど、「GIGAZINEひでー」って言ってるはてなーの多くは、「楽天、利用者のメールアドレスを含む個人情報を「1件10円」でダウンロード販売していることが判明 - GIGAZINE」のタイトルしか読んでない、少なくとも記事の中身はろくに読んでないという事なのかと理解した。そうでもなければ、同じ事を書いてる記事の片方を叩いて、片方に溜飲を下げるなんて、説明が付かない。


それであらためて思ったのは、
楽天、利用者のメールアドレスを含む個人情報を「1件10円」でダウンロード販売していることが判明 - GIGAZINE」は、はてブを1000以上も集めてる訳だけど、ホッテントリなんて、実際にはタイトル位しか読まれてないんだなってこと。


つまり、はてブってのは、ド素人のようにタイトルに釣られて中身もろくに読まない連中が、タイトルに釣られて中身もろくに読まないままブクマしてカウントを伸ばしていく、ひでー集合愚システム的側面がやっぱりでかくなってるなーと、思いを新たにした。このままでいいんだろうか。このまま闇雲にユーザを増やして行ったら、しまいには釣り耐性のない2ch*1の出来損ないになっちゃうんじゃない?とか思った。

*1:のVIPやN+などの大規模板

大学進学率を下げろなんてとんでもない…………………………………………………か?

1700億円など、教育効果があれば税収増でおつりが来る

教育投資は国の礎への投資である。

現在の私立大学への国からの助成金は、約3500億円程度のようだ。
(略)
これを半分にすれば、約1700億円の税金の節約になる。

http://d.hatena.ne.jp/kentultra1/20090504/1241467076

そんな額は、GDPを0.5%押し上げる効果が発揮されれば、税収増で吹き飛んで帳消しになるどころかおつりが来る。問題は、その投資が額に見合う効果を上げていない事だ。投資が効果にあわない→投資中止、という安直な発想は事業の重要性を無視した怠慢としか言えない。

投資効果を考えるに当たって、現在の日本では社会に対して大学が果たしているのは学歴認定機能のみという事実を踏まえる必要がある。それは、

学校は人的資本を形成するのか? (2)賃金格差の実証分析

によって検証された現実だ。この検証は、昭和以降の日本において「大卒・高卒の生産性格差は、もともと生産性が高い者が大学進学をしている事によって生まれているに過ぎず、大学教育は生産性向上に寄与していない」という事を明らかにしている。


本来人的資本向上を目的とする教育機関であるはずの大学がその効果ゼロで、単なる学力認定機関に成り下がっているのだから、そんなところにそのまま教育目的の投資をしても意味がないのは当たり前だ。この実態を所与・不動としている事が、安直な投資抑制論すなわち進学率を下げろと言う暴論に繋がる。


解決すべき問題は、はした金を惜しむ事ではなく、その投資の効果を上げる事、つまり日本の大学教育を生産性向上につなげる事である。

日本の大学教育が生産性向上に繋がらない理由

大きくふたつに分けられる。

  • 社会の側の問題
  • 大学の教育内容の問題


まず、社会の側が大学教育の成果を活用していない事だ。就職においても大抵の募集要項は「全学部・全学科」であり、学部学科など考慮されずに各業務に割り振られ、業務遂行にあたって大学で学んだ事を期待される事も使う事もない。これでは生産性向上に繋がらないのは当たり前だ。どうしてこうなるかと言えば、

  • 大学教育内容が業務に与える効用がないと考えられている
  • 業務関連知識のみが業務遂行に用いられ、学問的考察を行う習慣がない

等が挙げられる。


これらの問題に対しては、まず

  • 大学教育内容が業務に与える効用は、本当にあるのか
  • 業務遂行において大卒労働者が学問的考察を行う事が、生産性を上げるのか

が明らかにならねばならない。ただ、残念ながら私はその肯定的実証を持ち合わせない。


次に、大学の教育内容自体に問題はないか。社会にその成果が期待すら持たれない内容であれば、その教育に対して社会から投資を受ける事は不当であろう。研究機能は一部の大学に任せるとして、ボリュームゾーンの大学ではその教育内容が社会においての生産性向上を果たさなければならない。なぜこうなるのか。

  • 学を修めるという建前に沿ったカリキュラムで、様々な実地で活かす方法を教育していない
  • カリキュラムを組んでも、それを習得させるために卒業を厳しくすれば人気が落ちる

などが考えられる。


これらの問題に対しては、まず、

  • 学問を様々な実地で活かす教育というのは可能かつ効果があるのか
  • 学ぶ気がない学生を大学に入学させる意味があるのか

が明らかにならねばならない。ただ、残念ながら私はその肯定的実証を持ち合わせない。

おわり

教育政策は、国家百年の計である。一文惜しみの百失いになってはならない。そのためには、まずその一文が一文以上の成果を上げうるのかどうか、ボリュームゾーンの大学教育の意味と効果を真剣に考えなくてはならない。GDPを0.5%あげるというのは、容易な事ではない。

「下流大学」を切って進学率20%にしたらどうなるか

はてブでは理解を示す人もいる一方、反発する人も多いようだ。では、三浦展氏の言うように助成金を切って「下流大学」を淘汰させて進学率を20%に落したらどうなるだろうか。

明らかに多すぎます。勉強しなくても大学に入れる状況なので、学力のない学生を量産しています。親の学費負担などで社会の活力を奪っている面もあります。一定の学力のある学生だけ入学させるようにして、それで大学が半分つぶれてもいいと私は思います。そうでないと、大学行政は、不要な高速道路を大量に造って国民の借金を増やしてきた、あの悪名高い道路行政と同じではないでしょうか。

基本的な学力すらない、そして向上心や学ぶ意欲そのものが低い学生を生み出している大学行政、教育行政全体をそう呼んでいます。

http://www.j-cast.com/2009/05/04040502.html

国の税金が1700億円浮く

現在の私立大学への国からの助成金は、約3500億円程度のようだ。少し前の資料だが、

平成19年度 私学助成関係予算額(単位:億円)

私立大学等経常費補助 3,312.5 3,280.5 私立大学等の教育研究条件の維持向上及び修学上の経済的負担の軽減に資するため、教育又は研究に係る経常的経費について補助。
私立大学・大学院等教育研究装置施設整備費補助 114.3 106.3 学術研究の振興、高等教育の高度化を推進するため、私立大学等の研究施設、大型の教育研究装置の整備費について補助。
私立大学等研究設備整備費等補助 77.8 73.3 私立大学の研究設備、私立大学等の情報処理関係設備、私立高等学校等のIT設備の整備費について補助。
http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shinkou/07021403/002.htm

とある。これを半分にすれば、約1700億円の税金の節約になる。


1700億円と言われてもピンと来ないので、平成21年度予算政府案から適当に額が近い用途を持ってきた*1

  • 警察庁:2600億円
  • 裁判所:3200億円
  • 消防庁:130億円
  • 情報通信関係整備:1500億円
  • 保健衛生対策:4300億円
  • 公共交通:1100億円
  • 集中豪雨緊急浸水対策:2900億円
  • 護衛艦2隻取得:1500億円
  • 在日米軍駐留経費負担:1900億円

これを見るとたしかになかなかの規模の節約と言えそうだ。ちなみに、介護保険は2兆円、医療費は約8兆円だった。

最大で、160万人年の労働力アップ・1.6兆円の消費拡大

昨年度の短大を含めた大学進学率は50%強、同進学者は60万人弱(学校基本調査による)。


という事は、これを20%に減らすと約40万人が大学に行かなくなる訳だ。現在の社会状況ではその多数が専門学校に行く事になるだろうが、相当数が社会に出て働き出すとすると、彼らが4年間大学に行く場合にくらべて

 40万人×4年=160万人年

これだけの労働力が、社会にプラスされる。学生でいるより収入は増えるので支出も増えるはずだ。学生でいるより平均で年100万ほど多く支出すると、

 160万人年×100万円/人年=16000万万円=1.6兆円

1.6兆円の消費拡大になる。日本の個人消費が300兆円弱なので0.5%押し上げ。GDPが約500兆円なので約0.3%のGDP拡大という事になる。数パーセントの変化で大騒ぎしているのだから、無視できる値とは言えない。


なお、あくまでこれは全員が労働に付いた場合の話であって、実際はこの数分の一になるだろう。

大学に求められている物は?

ここまでで、メリットを見てみた。では失われる物は何だろうか。大学に対して求められている機能が何なのかを挙げてみよう。それが失われるならデメリットとして勘案しなくてはならない。

学力レベルのランク付けで学生の知力を推断

社会(企業や官庁)が大学に求めている圧倒的な要請がこれであるのが現実だ。名の知れぬいわゆるFラン大学の3年生には情報誌の他は葉書が何枚かしか来ない一方、東大の3年生には工夫と贅を凝らした非定形郵便の案内が山ほど届き、情報誌もそもそも種類が違う。無名大学の学生がセミナーの申し込みを満員で断られても、有名大学の学生には席がちゃんと残っている。しかし、それらの求人の要項では対象は「全学部全学科」。試験内容も、大学教育での習得内容を問う物はほとんど無い。つまり、期待されているのは教育内容ではない。入学時の試験難易度で学力を見て大まかに知力レベルを推し量り、足切りなどの採用活動の効率化を行っているに過ぎない。


進学率が下がっても大学のこの機能が失われる事はない。ボリュームゾーンだった中位以下から大卒限定で採用していた企業には、その限定条件を緩める必要は生じる。

高度な専門知識を持つ人材の供給

端的に言えば、医者や弁護士などだ。人数の割合は少ないが、確実に社会に必要な人材が供給されなければならない強い要請と言える。


この要請に足しては、もともとこれらの人材は上位に入っておりほとんど影響はないだろう。そもそも三浦氏は

成績がいいか悪いかではなく、基本的な学力すらない、そして向上心や学ぶ意欲そのものが低い学生

http://www.j-cast.com/2009/05/04040502.html

を問題視しており、こんな学生に医者や弁護士になられては困る。

将来のイノベーションに繋がる先端研究

前項と微妙に被るが、これも重要な大学の役割だ。しかし、これも前項と同様にほとんど影響はないだろう。

学を通じた国民の視野拡大・基礎教養/知的態度の涵養

大衆の教育高度化、平たく言えばDQNから遠い存在の社会人を量産する事だ。これは質もさることながら量にも重要な意味がある。民主主義国家においては、国民がどれだけ正しい判断が出来るかは死活問題であるし、あらゆる現場で多少なりとも判断が正しい事は生産性を向上する。僅かに得た多少の基礎知識であっても数が多ければ役に立つ場面も多くなる。先進国での中位以下の大学教育は、このように国民の底上げをする機関としての役割を果たす


…はずだ、という信念が社会にはある。本当であれば、進学率の低下はクリティカルなダメージとなる。では、本当だろうか。


なんとなくそうだろうという気もするが、計測や実証が困難な内容だ。しかし少なくとも、計測可能な労働生産性の指標「賃金」については、大卒・高卒感の際について

高等教育が生産性(賃金)に与える効果は、職場訓練との差し引きでマイナスかゼロです。
学歴間賃金格差の変化のほとんどは、分布区分の見せかけによるものです。

http://keijisaito.info/econ/jp/gjk/j2_wage_data.htm

と結論づけられている。


つまり、少なくとも生産力の増強にはならない。「視野拡大・基礎教養/知的態度」は仕事にすら力を発揮しないとすれば、それ以外の場では力を発揮すると無邪気に信じる訳にはいかないだろう。

学を通じた国民の豊かさの向上

微妙に前項に被るが、こちらは個人ベースの「豊かさ」の話だ。視野が広がり知識が増えれば国民の各個人自身の人生が豊かになるだろうという話だ。大学で○○を学びたい、という積極的な希望もあれば、講義の中から面白そうなのをとって見聞を広めるというのもあるだろう。ますます計測困難な話になる。


これにも進学率の低下は重大な問題になるように、みえる。しかし、何によって豊かさを感じるかは個人の自由のはずだ。エロゲ−をやって心を豊かにしるのだって、ツイッター廃人になってネト充を愉むのだって、国民としてはすべて平等のはずだ。特定の物だけに1000億円以上も国家が支援するのは、嗜好による国民差別といえる。そしてなにより、学びはいつどこでだって自由に行って良いのであって、それらを高校の後の大学通学で得なくてはならない理由はない。

Jobsは高卒

ここまで書いてきて思い出すのは、JobsのConnecting the dotsの話だ。もちろん彼は、希有な存在ではある。しかし学生としてではなく自分の興味で学びを行い、大学を卒業することなくそれを活かし、世界に大きな影響を与えた。大学にあやふやな実体のない期待を抱いて膨大な国費を投入し続ける事が妥当かどうか、考える意味はあるだろう。

追記

ブクマなどで頂いてる指摘について見解を。

労働力余ってるのに増やしてどうする

確かに今の不況下では失業率を上げる副作用は避けられない。しかし長期的な視野に立っても、「労働力は少ない方が良い」と言えるか?ならば、なぜこの国は少子化をこれだけヤバイと騒いでいるのか。労働力(とそれに伴う消費力)は、国の経済力の重要な要因のひとつだからではないか。エントリには、GDP押し上げも書いてあるので併せて見て頂きたい。

治安が悪化する

「放出したら犯罪率も上がる」「夜のコンビニとかにたむろってる奴らが激増する」などのブコメ。「下流大学」学生も酷い言われようだ。「下流大学」学生はそんなに酷い連中なのだろうか。ただ、社会が彼らを適切に受け入れる必要はあるだろう。もともとは現在の大卒と同程度の学力があり、大学にいっても生産性は向上しなかったのだから、現在の大卒と同様に受け入れるのが妥当だ。

大卒の生涯賃金と高卒の生涯賃金の差により消費は減るはず

エントリ中で引用した、学校は人的資本を形成するのか? (2)賃金格差の実証分析 によれば、同じ人間が高卒で社会に出ても大学に通ってから社会に出ても、統計的に賃金・生産性への影響はでていない。つまり同検証を言い換えると、大卒・高卒の賃金格差は、もともと生産性が高い者が大学進学をしている事によって差が生まれているに過ぎない。であれば、中位の生産性の者が大学に行かずに高卒として社会に出れば、彼らの賃金は今の高卒より賃金は上がるのが労働市場的に妥当。

教育は福祉

ならば1700億円での現在の私大助成継続が、福祉として効率の良い使い道かどうかが問題。基礎教育については読み書き算盤が出来なくては生産性が落ちるが、大学教育は生産性に影響しないというのは既に書いた通りであり、本人の生産性を上げないものに金を突っ込むのが効率の良い福祉とは言い難い。学ぶ愉しみを味あわせてあげる、という意味ならそれはエントリに書いた通り、嗜好による差別。

教育費約3500億円って安いなあ

教育費ではない。3500億円は「私立大学への助成金」であって、教育全体については、他の予算も当然あるし、国家予算より地方自治体からの予算が圧倒している。

教育コストの負担が社会などに回ってくるだけ

「社会に出せば金もかからず人材が育つように見えるのは錯覚。企業が長期雇用の中でコストかけて育成してきた」「企業が代わりに教育コストを負担するようになるだけ」などのブコメ。このエントリの対象は小中高ではなく、大学での教育。大学教育と社会で実務に就くための教育はまったく内容が異なる。大学教育は会社の教育・研修の代わりになっていない。つまり、もともと求められていない教育を無くすだけなので、どこにもそのコストが転嫁される事はない。

研究職の職場が減る

あまりに筋が悪いので無視していたが、☆が付いてるので。社会が求めていれば大学以外に職場が生まれるし、需要に直結せずそれでも国に必要であればその場を税で作っても良い。必要なら研究にだけ投資すればよいのであって、無用の教育設備・組織・業務を併置して丸ごとに金を突っ込むのは無駄そのもの。そんな理由で、研究の固有受益者でない学生を搾取するのも論外。

進学率を下げるな

「先進国では進学率が上がる」「日本は大学進学率高くない」「先進国で高等教育否定してどうすんの?」などのブコメ。(余談だが、}˜^¤‘åŠwiŠw—¦‚̍‘Û”äŠrによれば、韓国よりは低いが現在は先進国中で日本の進学率が低いと言う事はなく、図録▽大学退学率の国際比較と併せれば、現在は大卒の割合は日本はトップクラスと思われる)
下げたらどうなるかというエントリなのに、なんの根拠もなくただ「下げるな」と言われても困る。宗教でもあるまいし、根拠こそが重要であり、それを指摘されたい。

そしてお願い

このようなエントリを書く者を酷い奴と思う読者は、まず自分が酷く不当な学歴差別に陥っていないか、今一度落ち着いて考え直されたい。


*1:消防庁は近くないけど、参考に