本:秦の始皇帝 伝説と史実のはざま/鶴間和幸/吉川弘文館

史記に書いてあることと、出土史料などを比較して、史実を求めて書いている。出土史料からは秦律が出ていて、秦の民衆が首を取ると一爵貰えるという法律によって、昇爵を目指したことが描かれている。始皇帝と言えば、諸制度の統一を行なったとなっているが、文字の統一はそれほど求められてなく、文書の書式の統一が行われていたらしい。貨幣の統一では、黄金、布帛は統一されたらしいが、銭は地方で作られたりしていて、大きさもバラバラだったらしい。秦と言えば法律が全てのように思われるが、占いも盛んに行われていて、何か大事なことは占いで行動を決めていたらしい。秦の統一後、始皇帝が死ぬまでは、前半と後半に分けられ、前半は平和、後半は北方の匈奴との戦いと南方の百越との戦いが行われていたらしい。

本:多元的中華世界の形成 東アジアの「古代末期」/佐川英治:編/臨川書店

難しくてよくわからなかった。「漢」が400年という長い期間、統治が続いたため、国家の規範となり、皇帝と言えば劉氏、国号と言えば漢という考えが、広く共有されていて、魏晋南北朝期には、劉氏を名乗り、漢を号する国家が多かったらしい。

映画:あまろっく

江口のりこ中条あやみのW主演。笑福亭鶴瓶が父親役、中条あやみ鶴瓶の20歳の再婚相手、江口のりこ鶴瓶の娘役。他には、父親の若い時役で松尾諭江口のりこの友人役で鶴瓶の息子の駿河太郎が出ている。浜村淳も出ていたらしいが、気が付かなかった。監督は、中村和宏。「あまろっく」とは「尼ロック」のことで、尼崎市が海抜0メートル地帯のため、海水が流れ込むのを防ぐために作られた、尼崎閘門のこと。エリート会社員だった江口のりこが、リストラされて実家に帰ると、父親が若い娘と再婚し、三人の同居が始まる。そして、という話。江口のりこの縁談相手役の中林大樹さんという役者さんは知らなかったが、なかなか良い役だった。面白かった。やっぱり、江口のりこは良い。

本:平成13年度企画展 戦国の争乱と関宿 関宿城主梁田氏の栄枯盛衰/千葉県立関宿城博物館

梁田氏は、鎌倉府が成立し、鎌倉公方足利基氏が就く時に、梁田満助が基氏に属したために台頭の機会を得た。その後、古河公方になった成氏が持助を関宿城に配したことから、梁田氏の関宿支配が始まる。梁田氏は関宿の持つ水運の力と、古河公方家へ女を出すことにより、筆頭家臣となる。しかし、後北条氏が関東に進出するに至り、古河公方家が後北条家の支配下に入り、梁田氏は関宿城から排除される。その後、小田原征伐時に、浅野長吉と親交を深め、豊臣秀吉の配下になったらしい。家康の関東移封後は、家康に仕える。大坂夏の陣で、直系は討死したが、女系により再興し、幕府下で続いて行く。

本:令和5年度 夏季企画展 NST開局55周年 上杉景勝没後400年 上杉景勝 その生涯展/新潟県立歴史博物館

御館の乱から米沢移封までが、書かれている。 面白いと思ったのは、天正14年(1588年)の堀秀政の書状で、「景勝は重口(無口の意味か)なので軽々と(明るくの意味か)対応すべき」と書いてあったこと。

本:畠山入庵義春/志村平治/総合出版 歴研

能登畠山氏の出身で、上杉謙信の養子となり上条正繁を名乗り、徳川の時代に畠山氏に戻った、義春の話。義春は11歳で謙信の養子となり、16歳で小田原攻めに従軍する。その後、謙信に従い、関東、信濃越中と転戦する。33歳の時に謙信が没し、御館の乱では景勝に属し、勝利に貢献し、発言力を得る。39歳の時に海津城代を命じられたが、一年後謀反を疑われ、越後へ召還され、座敷牢へ幽閉される。翌年、義春は秀吉に景勝との仲を取り持ってもらうために、破牢し上方へ出奔する。それを知った景勝は激怒し、残された妻子は座敷牢へ入れられる。秀吉の家臣となり10年後、秀吉が景勝へ意見し、残された妻子は座敷牢から出される。関ヶ原の合戦後、家康に仕え、家康は景勝に妻子を義春に返還するように命じ、この時に畠山姓に復帰を命じられる。義春は家康の御伽衆になり、謙信の戦いを語ったという。その後、義春の子供三人は、景広は米沢畠山氏となり、長員は旗本上杉氏となり、義真は旗本高家畠山氏となる。