こうしてブログにむかっているということは、自分の中に消化しきれない何かを文章を書くことによって発散しようとしているということ。順風満帆だったら、私はインターネットに文字なんかきっと残さない。

もうすぐ家を出る。仕事が変わる。私の大好きな夏に、私の生活は一変する。まだどこに住むかも決まってないし、今後どういう風に自分の生活が新しくはじまっていくのかはわからないけれど楽しみでもあるし、憂鬱でもある。決まったルーティーンが壊れるのはとてもストレスだなぁ。

友人が恋人のことで悩んでいる話を大きなハンバーガーに食らいつきながら聞く。一通りきいたあと隣で聞いていたもう1人の友人が「これが22とか25だったら、やめなよ。次次っていうんだけど…」と言葉を濁らせた。私たち30代は、もうあとがないと実感する。もちろん別れて、新しい恋をすればいいと思う。年齢に関係なく。でも親のこと、出産のこと、適齢期とか、もう1度好きな人に出会って恋をして自分のことは云々ってそういうたくさんのしがらみにチクチクとされるのが「30代」なのだと改めて思う。私は仕事も恋愛もこれから作り上げていく生活もしがらみなんか関係なく進んでいきたいと思う。精神年齢が若いからだろうか、アホだからだろうか。年齢のせいで何かを諦めるのは何か違う気がする。でも世の中には確実に年齢のせいで諦めなきゃいけないことは存在する。

上手にいきれるバランス感覚を、私はいつ頃から失ってしまったんだろう。

記録/ アッシュとの。

先日、 飼っていた犬が息を引き取った。彼女はもう目を覚ますことがない長い長い夢の中だ。一家族の、一ペットが死んだ話。動物を飼っていたらいつかは直面しなくてはならない、よくある話。でも私にとってアッシュは言葉のない静かで、それでいて強い結びつきを感じる事ができたはじめての動物だった。

犬を飼う事での責任感なんて芽生えなかった。去年ですら彼女が皮膚病で病院に行かなくちゃいけない状況で自分の予定を優先させたぐらいだ。そのあと母にこっぴどく怒られたけど。

小学生ではじめて家にきた犬、名前は私たち家族の頭文字Hをフランス語読みしたものと、毛が灰色だったことからアッシュと付けられた。記憶が確かなら母親がつけた、なかなかのセンスだ。端正な顔立ちの、頭がいい、誰にすりよることもしないクールな番犬。その数年後、呼べばすぐにくる愛くるしいトッティが家族に加わる。ロールカーテンにおしっこをしたり、ゴミ箱をひっくりかえしたり、噛まれたりするたびに怒ったけど彼女たちがいたことで私たち家族がどんなに穏やかな気持ちになれたことか。

りんごが好物で、匂いや音がすると急に背筋がのびたり、散歩中に他の犬を見つけると自分より大きな犬にも吠えてかかった。中学生の頃、好きな人と夜遅くに外で話せたのも彼女と一緒だったからだ。寒い中、アッシュを抱きながら好きな人と話していた時を思い出す。そんな秘密の共有だってした。
私が小学生から30歳になる間に彼女はゆっくりと赤ちゃんからおばあちゃんになっていった。私だけが若いままで、彼女は1年に4歳年を重ねて着実に老いていった。

もう走り回ることもせず、1日の大半を眠りに費やしていた。もちろん病気がちだったし、手術も入院もした。死にそうだったこともある。それでも生きながらえて、強い子です、と医者から言われれば今年もきちんと季節を超えていくのだろう、ずっとそこにいるのだろうと思っていた。

母からアッシュが死んだとメールをもらったとき。不思議とお疲れ様でした、と思った。
全うした、19年間という短く、長すぎる人生を。

いまはいないことをあまり実感できず、それでももう暖かいあの灰色の毛並みや端正な顔や細い足に触れることができないのは、とてもつらい。日々の忙しさにひっぱられて、いつしかいないことが当たり前になるからその前にたくさん泣いて、記録しておく。

トッティとアッシュがいなくなって、家のなかが静かになると思いきや、姉に子供が生まれたから変わらずに騒がしく、幸せに満ち満ちしている。

全うされた命と、新しい命、それから自分の。

2016年になりました。この1月で30になります。やばいな、30歳って、めちゃ大人じゃん。焦る。贅肉の具合とかだけがおばさんで、心だけが子供。一番危ないやつ。私は相変わらず遊んでばかりで、食べてばかりで、夢をみてばかりです。
でも絵もちゃんと描いています。→local beach girls club

今年1年も大事な人が健康で、楽しいことがたくさんで、悲しいことは少なくて、穏やかな1年でありますように。あと貯金。何かが起きて悟りが急に開いて物欲がなくなりますように(そしたらお金貯まりまくるよね)(そんなことは絶対にないけど)


10年前父がベルギーで個展をやることが決まり、その時にお世話になった家族の奥さんが日本にやって来た。

新横浜から出てきた彼女から懐かしい香りがして、五感の鋭さに自分のことなのに関心してしまった。真横で見て聞いていても口では決して真似のできない早口のフランス語を聞きながら日本であるのにもかかわらず、ここでもまた取り残されたように感じてしまう。言語というものが持つパワーに私はいつもいつも負けてきたように思う。

前の恋人は半分日本語、半分英語を話す人で彼は私に英語の楽しさを教えてくれた。それからずっと今日まで勉強してきた。でもまぁ日本でちょろちょろっと半年やったような英語が、伝わるはずもなかったし(相手のイマジネーションがあってこその会話だった)褒められたものでもない発音や、語彙の少なさに私はまた自信をなくすのだった。けどそれは逆にここで終わらないことも意味するんだけど。

今日、彼女と一緒に鎌倉に行った。大仏をみて、長谷から由比ヶ浜へ。母と彼女と姉と姪と来る海は、いつもサーフィンするアクティブな場所じゃないみたいだった。なんか、なんだろう、一緒にいる人が違うだけで景色はこんなに変わるのかって。こんなにも暖かくて、守りたくなるものに。

夜に恋人から電話があり「長谷にとってもいい物件があった。海の目の前なの」と伝えるとそれって最高じゃん、と賛同してくれた。嬉しかった。来年の8月に空きがでるといいなって、そう思う。そこで彼と暮らしたらどんなに素敵かってそんなことばかり考えている。

いつか私がまた彼女に会った時、いまよりももっと深い言葉と言葉のつながりで分かり合えたらいい。「今日がいい日だった」ってそれだけでも、もっとたくさんの言葉で彼女に伝えられたいい。明日は早起きしてお見送りをする。いつか彼女も日本の海の香りを思い出して、今日の日に想いを馳せてくれるのだろうか。

腰まであった長い髪の毛を切った。傷んだ部分をばっさりと、約30センチ。もう頭をふっても私の背中で髪の毛を感じることはできない。たまに風がふいて二の腕を触る髪の毛の感触が大好きだった。さようなら、私の傷みすぎた髪の毛。案外馴染みすぎていて、ほとんどの人が気づかなかった。これからもっと短くなっていく予感しかしない。姉も友人も恋人も「似合うね」と褒めてくれた。もうあんなにこだわってのばしていた長い髪の毛に未練などない。

先週千葉にサーフキャンプをしにいった。茅ヶ崎のお兄さんたちが誘ってくれて一緒に、一泊二日。初めて入る千葉のポイントは近くで見ると波が高くて私は何度もめげそうになった。サーフィンをやってメンタルを鍛えている。下手すぎて、やめたくなるけど、波に押される感覚を覚えてしまったらもっと上手くなったらどれだけ気持ちいのだろうかと興奮してしまって「うまくなりたい」でしかない。絵と一緒だ。うまくなりたい。自分の納得するまでやりきりたい。きっと生活の一部になってくれるはずだ。母とも、恋人とも、友人とも、サーフィンとも、絵とも「うまくやっていきたい」
実にシンプルだな、と思う。

昔の恋人からもらった3つの指輪を外して生活するようになった。誰も気づかない、私の大きな決断。


恋人から送られてきた。久々に胸がきゅっとなったよって。
なんだか、せつないメロディーに 苦しい歌詞で、わたしは駅についてから家までの自転車をこぐ足に力がはいりっぱなしだった。

ずっと隣にいるよって言った幸せそうに眠る君と
俺はそういうのすごく嫌いなんだって言ったイライラした君と
飲むと楽しそうにいろんな話をする君が
わたしの前にいて 三ヶ月たって まだどんな風に距離感を掴んでいいのかわからないけれど。

29歳のわたしは、19歳の時と変わらずこんなふうに日記をかいていて
いつまでたっても結婚も妊娠も出産もないまま恋人があれから4人変わった。
10回の夏を経験して、10歳歳を重ねて、何かを成し遂げることもしないまま。
ああこれじゃダメだ、と思いながら10回目の秋と冬を迎えようとしている。
順調に肌は衰えて、午前2時には眠くなって、10年前より涙もろくなって、10年前より無駄なこだわりだけが増えている。10年間変わらず「幸せになれますように」って願いながら。