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 8時ごろ起床。なぜか強制的に朝ご飯を食べさせられる。まあよし。
 その後またお風呂に入りながら読書。ジェイムズ・エルロイの短編集『ハリウッド・ノクターン』を読了。そのあと、最近話題の沼田まほかるユリゴコロ』に突入。お昼になったけど、特に何も無かったので近くのデニーズに移動。『ユリゴコロ』を読み終わったあとは、皆川博子の新刊『開かせていただき光栄です』へ。

 そんな感じで集中的に読書した結果3冊読むことができた。ここ最近ずっと体調がよくなかったんだけど、なんとか運動したり色々気をつかった結果ここまでの体力と集中力が戻ってきたので、とても嬉しい。
 さすがに疲れたので感想などはまた明日。

あたりめ

 昨日の日記を書いたあと、友人から「いま家の近くのファミレスまで来たんだけど」という電話があったので、急遽外出。割と久々に会う友人だったので、何ごとかと思ったら片方の友人は21歳の誕生日を迎えるのだそう。あと15分で誕生日になる、という緊迫した(?)状況のなか、誕生日を迎えるにふさわしい場所を探してドライブするも、ぐだぐだに。結局コンビ二の横に路駐した車のなかで21歳をむかえるのであった。おめでとう(笑)。
 その後ファミレスで歓談。TOEICに対する苦悶というのは大学三年生に共通している様子。みんな留学とかなんとか、色々悩みは尽きないようだ。しかし、タフだ。僕が日頃つるんでいる愛すべき友人たちは、もちろん僕も含め、やはりヘタれだと思わざるをえなかった(笑)。27時頃帰宅。

 きっかり7時間睡眠をとってみたものの、前夜の食事+深夜のファミレス(僕だけ飲んだ)でのアルコールが抜けておらず、少し運動して、1時間ほどお風呂に入って読書。前夜も友人と話したのだけれど、段々とアルコールを処理する能力が落ちているな、というのを感じる。というか、疲れをとり、体調を整えるということに以前より意識を割かないと──という現実感はなかなか重い。
 お風呂の中で、再読していたジェイムズ・エルロイL.A.コンフィデンシャル』/(文春文庫)を読了。
 一度触れてしまうと、認識や感覚が変わらざるをえなくなってしまう作品や批評っていうものが誰しもぽつぽつあると思うんだけれど、僕のなかでエルロイという作家はまさにそれだった。アメリカ文学の潮流のなかで、確実に彼の作品から溢れ出している異常なまでの狂気。その存在は、文学だけでなくミステリやエンターテイメントという杓子定規であえて捉えたとしても異質であることは言うまでもない。
 そのわりに、批評的には扱いきれてないというのが現状のようなきがするエルロイに対しては、いつか僕がなにか書いてみたいな、と思いつつ、アルコールも抜ける。
 
 午後は家族で部屋の片付けに費やされてる。なぜかというと、9月の半ばに新しい子犬がやってくることになったからだ。もうこれが本当にとっても楽しみでしょうがない(笑)。去年犬が死んでしまってから、本当に寂しかった。いったいどんな犬に成長するんだろう、っていうのがすごい楽しみなんだよね。前もそうだった。きっと良い子でしょう(笑)。

 夜は祖父と祖母と家族で食事。これがもう非常に疲れてしまって、帰宅後はぐったり。

 久々に日記っぽくはなったかな。

コンフィデンシャルとは

 また期間が空いてしまったけど、気にせず再び始ることにします。
だいぶ生活の方は落ち着いた。ここ数ヶ月は時間のとられる作業──(僕のもともとの知識量の不足に起因する時間の浪費が目立った、と言うほうが正しいのだけれど)そういったものがあるていど落ち着いたので、精神的にはだいぶ楽になった。でも、「やらなくてはいけないこと=僕がやらないと誰かに迷惑がかかること」というのが生活の中に組み込まれると、ある程度生活というのは締まるな、というのがここ数ヶ月の感想。自由ってほんとに扱いにくい概念だ。

 最近は昔よりもう少しお金にこだわって生活することにしている。お金にこだわるっていうのは、お金にうるさくなる、ということとはちょっと違う。
ある一定の業界の中で動くお金の量っていうのは、ほぼ程度は決まっている。もうちょっと具体的に説明すると、例えば僕がある原稿を書かなかったとする。しかし、その雑誌、あるいは本というのは僕が書かなくても出版されることはほぼ決まっているわけだから、僕が書かなくてもその原稿は誰か別の人が書くことになる=その分の原稿料は誰かに支払われる──というわけだ。つまり、お金を指標にすることで、自分がどの程度その市場に対してコミットできるか、その実力があるか、ということが如実に表れてくるということになるのだ。とくにサブカルチャーという曖昧だけど身近なものを主体としている業界であればあるほど。

 また、その動くお金の総量っていうのは、川に流れる水の量と同じように、何かが起れば増えるし、減りもする。ちょっと常識では考えられないような増水の仕方をすれば、川幅が変わらない限り、元に戻ったあとでどこかにしわ寄せが来ることになる。このあたりの読み具合も中々面白い。

 そして、お金にこだわるということに一番の意味というのは、同人ではないということに尽きる。そこにお金=ギャランティが発生するということは、そこに自分以外の多くの人の生活であったり(たとえば出版社の人とか)、別の存在が関わっているということをひしひしと感じさせる。冒頭で書いた、「自分がここでやらないと誰かに迷惑がかかる」というところの、迷惑がかかる、という部分の責任の大きさと割合が、金銭契約が発生することで非常に大きくなるということでもある。
 いままでは、自分個人の能力に固執していれば、しなければ、という意識が非常に強く働いていたんだけどそれだけでやっていけるものでも無いんだな、ということをとても強く感じる今日このごろ。
 もちろん、そういった部分には「市場にのせるわけだから」という、パフォーマティブな態度が求められる場合もあるし、でも、それだけでは駄目なんだよといった現実と理想、成果と教訓といった二律背反な意味合いも含まれている。

 で、ここで出てくるのが今まで割と自分が足を置いていたインディーズ業界でうたわれる、"DIYの精神"って、どういうことなんだろう?という再考だったりする。リスクと価値を曖昧に保留したままお互いに干渉する、ということでは無いはずなのだ。それは分かっているけど......という部分。これも語りえないものであり、"シェア"という概念に接続できる話だなと大雑把に思ったりする。

 とかなんとか、まあ思ってるわけだけど、これは職業として生き残るための術に近いものがあって、個としての本質からは若干急所が外れているな、とも思ったりするが、非常に勉強にはなる。さあどうする大学二年生。
 というか、価値について考えることが多くなったなというほうが話題の本質としては近いのかもしれない。最近いろいろ思うことがあったので、それはまた明日。

とりあえずこの日記でチャンドラーの文体は獲得できないということが分かった。

White Jazz......

なぜか今日は

 もう四ヶ月も日記を書いていないことに気がついてしまった。ちょっと別の場所で文章を書くようになったら、全然自由に文章が書けなくなってしまってずっと悩んでいたのだった。物理的な問題ではなくて、精神的に。紆余曲折を経て、ちょっと自由な感覚が戻ってきたのでせっかくだしまた書きましょうか。
 身の回りの友人たちがTumblrを始めているのを見て、気軽そうでいいなと思うけど始めようとは思えない。メモのような感覚で色んな物を貼付けられるという自由度の高さとあのデザインは良いなと思うんだけど、やっぱり画像とか抽象的なもので意識みたいなものを反映して人に提示するみたいなものが自分に向いてないな、といつも感じるのでした。
 
 振り返ってみるとここ数ヶ月で色々なことがあった。大きかったできごとが二つあって、一つは良いことだけど書きたくないから秘密にしておく。もうひとつはやっぱり友人が死んでしまったことだ。まだ16歳だったころの僕に、語りえないなにかを表現するということの意味とその深遠さを見せてくれたのは彼が最初だったし、当時、身の回りにはそんな人なんていなかった。今僕がこんな風になれた(なってしまった)のも、彼を通して、そこである意味での通過儀礼みたいなものを受けたからだろうなと思う。きっと彼に会ってなかったら、もっとみんなのことが嫌いだっただろう。
 
 いつも誰かが死んでしまったときに思うことがあって、結局、最後は自分一人で乗り越えるしかないんだなということ。誰かが死んでしまうと、みんな悲しむし、同情もしてくれる。それでいくらか心は落ち着くんだけど、結局、その相手と自分との間にあったものは相手が死んでしまった今、自分一人だけしか見ることができない。そこだけは他人の想像すら及ばない領域だと思う。それ故に一番つらい部分であり一番大切である部分だからこそ、ちゃんと向き合っておかなきゃなと思う。一人で乗り越えるしかない、というか自分一人だけの中にのこる不可侵の領域だからこそ、自分一人の力で向き合ってその意味を感じとらなきゃいけない、といったほうが近いかな。絶対に忘れたくないことを忘れないようにするには、ということだ。

 ああ、全然うまく書けない。ここが書けないともうこの先やって行けない気がしてくる。でもこういう風に小さなことで自分を追いつめて、走ってる振りをするのはやめにしようと思った四月、毎日懐疑的だった五月、感情の反射が綺麗だからこそ転びそうになる六月、少し先が見えてきた七月。

 
 

予告されたある男の引っ越しについて

 今日は朝から友人の引っ越しを手伝った。朝8時に大井町駅に集合し、レンタカーを借りて日吉へ。借りた車がHONDAのハイエースという車種で、バンドワゴンに使うような非常に大きい車で最初は運転もどきどき。
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 マンションの4階に住む友人の荷物を1階までおろし、車に積み込む。荷物おろすのが一番大変だったね....。そして友人Kの匠な空間設計によりハイエースに無事全ての荷物が搭載されたのであった。そのまま大井町へ出発。大井町までは難なく到着するも、友人の新居は入り組んだ細道が続く住宅街の中にあり、ハイエースの操縦者は圧倒的な苦戦と空間把握能力が要求されることとなった。なんとか事故なく切り抜け、無事荷物も新居へと運び込まれ引っ越し終了!その後新居でピザをとってみんなでコーラを飲む(僕がやってみたかっただけだが)。

 ここで終わらない引っ越し企画。その後IKEA港北まで再びハイエースで移動。IKEAでお買い物をした後、みんなでホットドックを食べて友人を家まで送り届ける。。なんか最近IKEAに行き過ぎな気もするが...。無事全予定を消化し、レンタカーを返そうと思うも店舗の営業時間を見誤ったことにより車が返せないという事態に。しょうがないのでそのまま同方面の友人とひたすらドライブ。Big Boyというステーキ&ハンバーグ屋さんに行った。ここですさまじい衝撃を受けた。なんとサラダバーがあるのだ!!しかもとてもちゃんとした!これほど興奮した日はいつ以来だろうというくらい感動した。お肉も美味しかった。毎日行きたい。

 深夜1時に帰宅するも、明日も6時起きだ....(車返却のため)。でもすごい楽しい一日だった。また引っ越し手伝いたいな。引っ越す方はご一報を(笑)。

Saul

 またもやあまり眠れず朝を迎える日曜日....。どうも脳が回転しっぱなしという感じで、体は疲れているのに眠れない。朝からお風呂で2時間ほど本を読むと、すこし仮眠できて一安心。
 読んでいる本はイルサ・シグルザルドッティル 『魔女遊戯』/(集英社文庫)。死刑囚に引き続き、北欧ミステリということで買ってみた。邦訳初登場の女性作家で、スウェーデンでは大人気作家であり、世界中で翻訳されはじめてるとのこと。設定は現代だけど、魔女狩り宗教改革といった北欧の持つ歴史がストーリーに絡んでくるいわゆる歴史物系かな。物語のなかに見立てや手がかりとして歴史を絡ませたりするものって、苦手な人もいるんじゃないかなと思う。大抵分厚いことが多いし、歴史という大きなメタファーをちらつかせておいて、最後は全く関係ないロジックだったりするものもあるし....。僕は好きだけど、歴史物。いま半分くらいまできました。

 夜のバイトはとてもきつかったがなんとかなった。家に帰ると、先日送った原稿が返ってきていたのですこし手直し。プロの編集者に文章を見て頂けるのは嬉しいことだ。

ようするにみんなLではじまる連中

 あまり眠れず、明け方まで読書。朝御飯だけ軽く取って、少し仮眠。お昼過ぎに渋谷の旅行代理店へ行き、追いコンの手配を済ませる。これでこっちのほうはどうにかなりそうだ...。バイトまで読書。アンデシュ・ルースルンド『死刑囚』/(ランダムハウス文庫)をなんとかギリギリ読了。

死刑囚 (RHブックス・プラス)

死刑囚 (RHブックス・プラス)

 スウェーデンで一人のアメリカ人らしき男が暴行容疑で逮捕される。男の所持品からは偽造されたパスポートが発見され、スウェーデン警察はアメリカ本土に身元の照会をする。しかしなんと、目の前にいる男は6年前にオハイオ州で死刑になっているはずの男だった──。物語全体を見ると重い。その重さとは死刑囚=凶悪犯!みたいに連想される重さとはちょっと違い、ここでの重さとは『時間』。つまり、死刑囚が死を待つまでの時間、その重苦しさと悲壮感を持った雰囲気の重さ。そこに「どうやって死刑から逃れたのか?」というシンプルなミステリとしての謎が物語の軸として加わる事で、読み手を引き込み、待っている結末は確実に胸を打つ。素晴らしかったです。是非オススメ!最近当たりが多いな〜。(僕にオススメしてくれる方々の選書眼が素晴らしすぎるからだけどね!)

 夜はバイト。なんなくこなして、また新刊を買い込んだ。満足の一日でした。