ログインするときのパスワードが簡単すぎてびっくりした。数字も記号もなくただの小文字の単語の羅列で。以下例によってただの独り言の愚痴です。
新学期が始まって、教授会がオンラインから対面に戻った。3年ぶりとか4年ぶりとか?コロナで数少ない良くなった出来事だったのに。そのついでに同じ日にいつもやっていた教室会議も対面になり、これで月に1日は、会議に出るだけで終わってしまう日が生じることになった。オンラインなら自宅や出先で出られた会議が、片道1時間強かけて通勤もするので、その日はもう何もできない。なんとなく周囲の人の意見を伺うに、対面至上主義や対面重視の人が多いけれども、私はだんぜんオンライン派、対面のメリットはそりゃあるけれど、それにかかるコストを考えたらオンラインに勝るものはない。対面の方が良いシチュエーションも確かにあるが、そんなものは本当に稀にしかない。大体のことはオンラインでなんとかなる。パフォーマンスは2割〜3割減になるだろうけど、いや本当に、その損失を埋め合わせるの、対面を実現するためのコストをかけるに値するか???と思う。
教授会も集まって何かの議題や報告の後に質問や意見のある人は挙手して発言するけれども、そんなのは2−3人で後はただ黙って聞いているだけ。集まってライブで聞く意味どこにあるのかさっぱりわからない。しっかり聞かせたいという運営側の自己満足でしかない。こういう愚策に付き合わされるたび、自分の意思が反映されない組織に属することの不毛さを感じるけれども、それなりのお給金をいただいている限りは、自分の時間を捧げなければならないのだよね。
その後の学科会議は人数が少ないので、会って話す価値はあると思うけれども、私が不真面目すぎるのか他の人が真面目すぎるのか、私は組織のことが本当にどうでも良くて色々な運営のことにてんで関心がない一方、みんな所属する組織に対する帰属意識や愛着がすごくあるんだな、と思ってそこにびっくりする。熱心に教室の運営について語り合い議論し合う同僚たちを横目に、私はこの組織に対して、たまたま放り込まれたビジホの部屋みたいな感覚しかなく、このビジホの部屋を快適にしよう、さらによくしよう、もっとこのホテルの客の入りをよくしよう、みたいなことはまったく思えず、ただ労力を最小限にやり過ごそうとしか思えない。だけどそんなふうに考えていそうなのは私しかいなさそうなので、いったいこの人たちと私とは何が違うのだろうと考え込んでしまう。私にとって大学教員という仕事は稼ぎの上では本業だけれども、やりたい仕事という意味では副業的な認識だからかもしれない。
もう一つ組織の中で人と協働するということについて、こんなのは会社勤めの人なら当たり前のあるあるかもしれないけど、私の仕事は、書き仕事にしろ教育やら研究やらにしろ基本は1人でやるものなので、たまに大学の教室運営などで人と一緒に事務仕事などすると、タイプが違う人との協働にメンタルがとてもつかれてしまう。うちの組織を見るに、
A)自分に甘く、他人に甘い
B)自分に厳しく、他人にも厳しい
という人のどちらかしかいない。もちろん私は絶賛Aタイプで、自分ができない人間と認識しているから、他の人の事務仕事が遅れても、内心わかる〜と共感する気持ちになるし、困ったらお互い様だよね、と思っている。原稿の仕事の方で、遅れまくっても嫌味ひとつ言わずに許してくれる編集者や担当の人たちのありがたさが身に沁みているので、私は怒れる立場にそもそもないし、他人の遅れやダメさに寛容だ。
でもBタイプの人はダメな人に対して当たりが強すぎる。最近ヤフコメとかみていても、真っ当で当たり前の正しさや、ダメさや甘さに対する断罪ばかりで不寛容の嵐なのに似ている。別に、事務が指定する期限に書類の提出が少しぐらい遅れたってなんの問題もないし(そりゃ催促したり待ったりのコストはあるだろうけど、致命的なダメージはないですよ)、課内の誰か1人のせいで事務への書類提出が遅くなったって、別に主任が怒られとけばいいじゃん、と思う。例えば入試当日の進行に関わるとか、行事の開始時刻が大幅に遅れるとか、そういう致命的なミスはダメだけど、そんな許されない厳密なシチュエーションなんか滅多にないよ。