地デジに思う

日本でも数少ない地デジ未対応の岡山県も、いよいよ来月1日より、岡山市玉野市倉敷市など県南平野部を中心に、地デジ放送が正式に始まります。それを受けて、テレビを付けると地元テレビ局がデジタルデジタルと騒いでいます。野暮用があって電器店に行ってみると、やれ薄型だプラズマだハイビジョンだと。
しかし、それにしても地デジ関連商品は高いですね(;´Д`)。あと、個人的にはプラズマとか液晶の画像が綺麗だと思えない&地デジのメリットが思い当たらないので2011年ギリギリまでブラウン管で地上波アナログ映像を見続けるつもりです。理屈から言えば、ブラウン管テレビ+チューナー内蔵のDVDレコーダーでも地デジ放送を見ることが出来るはずなのに、薄型プラズマ(液晶)ハイビジョンのバカ高いテレビじゃないと2011年以降はテレビが見られなくなると煽るのはどうかと。
さらに言えば、B-CASとかいう訳の分からないカードがないとテレビが見られない上に、そのカードを使うととある会社に個人情報が登録され、登録された個人情報は漏れなく色んな会社に提供されるというのもどうかと。
このままだと、2011年のアナログ終了と同時にテレビを捨てることになりそうだ(´・ω・`) ラジオ聴ける環境でも整えよう・・・。

ボンジョレヌーヴォー

ボンジョレヌーヴォーが先週の木曜日に解禁になりました。
ボジョレー」地方で作られた、「ヌーヴォー」な、つまり、「新しい」ワイン。だからボジョレーヌーヴォーというわけです。新しいが故に、普通のワインとは違う製法で作っていたりもします。
秋以外の季節でも「ボジョレー」ワインは手に入る。しかし、11月の第3木曜日に解禁されるボンジョレーヌーヴォーを飲む行為それ自体が、ワイン好きな方には意味を持つようです。

ところで、「ボジョレ」を敢えて「ボンジョレ」と書いているのは訳があります。勤務先のある方が、入出庫検品の際に何度も何度も「ボンジョレヌーヴォー」と言うんです。おかげで、うちの会社はみんなして「ボンジョレヌーヴォー」と言うようになりました。他にもこの方、伝票に「ふえるわかめ」という商品が書いてあったのを「ふるえるわかめ」と、平然と読んだことがあります。笑いの神が降臨しているようです( ´ー`)

Roda

Coco d’Or2

Coco d’Or2

このCDに収録されている曲に「Roda」という曲がある。
ポルトガル語なので、「ローダ」ではなく、「ホーダ」と読むらしい。

サンバというのか、ボサノバと言っていいのか分からないですが、ポルトガル語島袋寛子が上手く歌い上げており、非常に聴き心地の良い曲です。かなりお勧めですのでよろしければぜひ( ´∀`)

ところでこのCDは全曲外国語なので、対訳がCDに着いてきました。改めて読んでみると、この「Roda」、もの凄く深いことを言ってますね。ちょっと印象に残ったので和訳の一部を載せておきます。

ここに居るみんな、よく聞いてくれ
人々が輪になり集まる、俺が君のために設けたこの場で
集まったやつらには聴かせたい
民衆がなんて言っているかを
(中略)
金持ちも、貧しい者も、死ぬ
金持ちも、俺も、埋葬してくれ
俺は見てみたいよ
塵となった金持ちと俺を誰が見分けるのか


地面の下に平等が存在するのならば
この地面の上にだっていつか平等が存在するに違いない
背伸びをしたいやつは
いつか苦しむに違いない


さて、楽しもう
さて、続けよう
誰がここにとどまるのか
誰が抜け出すのか、見てみたいのさ
無理強いはしないさ
聞きたくないやつには

最上稲荷に行ってきた

岡山市北部にある、最上稲荷に行ってきた

駐車場が無料かと思ったら、駐車料金300円(;´Д`)
デジカメで写真を撮りまくってupしようかと思ったら、一枚とって電池切れ ・゚・(つД`)・゚・携帯でしか写真が撮れず。。。

土産物屋や飲食店の間の狭い道を歩いていくと、本殿に到着。
途中、「今年はでっかく初詣」とか、「節分豆まき式であなたも豆をまきませんか?」というポスターや立て看板に多数遭遇。

随分と気の早い&儲けることに執念を燃やすんだなと。


本殿で賽銭を払ってお参り。どうも57年生まれの僕は厄年らしい。確かに、事故も起こしたし、今年はついてなかった。もう少し早くここへ着ていたら運勢変わってたかな。こう言うのを「予言の自己成就」とか「認知的不協和」とかいうのかな( ´∀`)

と、本殿横の土産物屋で「OH!守り」を発見。
OHKのイメージキャラクター、OH!くんとタイアップして作られたお守り。1つ900円。
やはり、ここは儲けることに執念を

と、日曜日ということもあって思いのほか人が多かった。やはり、宗教施設としてというか観光地として魅力ある場所なんだろうな。

傘がない

都会では 自殺する若者が増えている
今朝来た新聞の片隅に書いていた
だけども問題は今日の雨 傘がない・・・・


これは、井上陽水が1972年に発表したアルバムに収録されている「傘がない」という曲の歌い出しです。以前にも、この歌を話題にしたことがありますが、今日はもう少ししっかりと話題にしてみましょう。

確かに、「自殺する若者が増え」ることは、その国や社会全体にとって「問題」であるように思われますが、市井の人々にとってもっと身につまされる、切実な問題は、今、目の前に降っている雨に対して傘がないこと。大多数の人が共感できるかもしれませんし、僕が仮に、目の前の雨に対して傘がなかったら困ります。せっかくオシャレしても濡れますしね。ただ、それを「自殺する若者の増加」という「社会問題」と比較して堂々と述べるあたり、この歌には衝撃を受けました。

前にも書きましたが、僕の仕事上のお客さんで陽水好きの46才の人とこの歌の話をしたことがあります。その時に言われていたのは「この歌が日本の個人主義の走りだ」と。先述の通り、この歌は1972年が初出です。陽水の前後、終戦直後の歌謡曲ドリフターズ等々、あるいはグループサウンド、さらには吉田拓郎南こうせつなどからこのような社会観を見出すことができるか・・・。あるいは、「傘がない」以後はどうか・・・・。詳しく調べてみると興味深いかもしれませんね。

ルースベネディクトがかつて「菊と刀」で「恥の文化」と日本文化を評したことがあります。今の日本が、「恥の文化」で形容できないのは、少し前の日記でかくこさんが指摘したように「他の国の表面的な考えやアイデアを日常的に無作為に取り入れ過ぎている」、「当たり前パワーが弱まっている」ことにその一つの原因があるかのように思われますが、その芽生え、こうした社会とは切り離された新しい何かが日本に誕生するきっかけが「傘がない」に見られるような気がいたします。

どうしてこんなことを書いたのかというと、前の日記のかくこさんへのリプライと、某soheidonさんとのチャットの中でこの話題が出たので書いてみました。長々とおつき合いいただいた皆様、ありがとうございました。

歯がゆい話&冠婚葬祭

私の2年後、つまり今年の春に入社した人が今、同じアパートに住んでいます。
その彼の駐車スペースに、見たこともないホンダの白のセダンが勝手に駐車を(;´Д`)

アパートの敷地内、つまり私有地なので警察はこの事案に介入することは出来ません。「民事不介入」というやつです。先輩で本職の警察官がいるので電話で相談&近くの警察署へ電話で問い合わせましたが、私有地なのでどうしようもないという話でした。このヤドカリ駐車。腹が立つ話ですね(# ゚Д゚) ムッカー

ところで、先週(10月末の週末)、クラブの1つ上の先輩が結婚されるというのでその2次会へ行ってきました。結婚式2次会参加は今年で3度目(クラブ関係では今年2回目)です。年末に、あともう一件クラブ関係、しかも同学年の子の結婚式2次会参加があります。同じ時を共に過ごした、歳の近しい人たちがこうも結婚していくのを見ると、時の流れはつくづく早いなと感じます。
併せて、クラブ関係の同回生・先輩は自分も含めて9割ぐらいが関西以外の地域に住んでいるので、こんな冠婚葬祭でも無いと会えないというのも、会ったときに、以前と比べてそれぞれがそれぞれの環境で活躍していることを確認するとまた、時が確実に流れているのを感じますね。大学関係の知り合いは、初めて会ったのがもう六年も前。。。十年一昔、という言葉がありますが、三年一昔、何かそんな気がします。

やはり滞った更新

やはり更新が滞りました ・゚・(つД`)・゚・
またしても1ヶ月ぶりです。
「関西一週間」に対抗して、「い草の町1ヶ月」とか出したら大ヒット雑誌になるんじゃないか。そんなことをふと考える今日この頃。特集は、秋のい草祭と町民運動会。表紙を飾るのは、町に一軒しかない某スーパーの店員さんと。そんなもの誰も買いませんな。

前回更新の日記に、かくこさんがしてくれたコメントに対するリプライもせねばなりませんが、またそれはおいおい。

ところで、とうとう新車を購入しました。
買ったのはこちら←音が出るので注意してください
全部で250万ほど。頭金を払ったのでもうスッカラカンです。
誰かこの私に財政融資してください。どこかへ出かけるのに足が必要なら、馳せ参じますので。しかし、新車の匂い、走りは実に素晴らしいですね( ´ー`)意味もなく出かけたくなりますね。来週神戸へ車で帰りますが、楽しみで楽しみでたまりません。