今年1年を振り返る

勝手に今年1年を振り返ると、はっきり言って自分自身は何も進歩していないと思う。
斬新だとか、チャレンジングだと第三者的に評する人もいるけれど、自分の認識としては特に全く新しいことをやり始めたというわけではないし、これまでと本当に同じように淡々とやれることをやっているだけの1年でした。嬉しい・面白いこともあったし、悪いこともそれ以上に数多くあった。
状況の変化はあくまで表層的な事であり、それに一喜一憂しても無駄かもしれません。
目にするニュースのうち8割方は、見方もあるにせよそういう表層的なことに過ぎない気がするけれど、常に「そんな程度のことで、一体何が面白いのかなぁ」だとか、「だから、何?」という冷静な視点がずっとある。もちろん、他人に対しての基準は、自分に対しての基準設定とは大きく違うから、これはあくまで自分に対しての基準である。
あくまで、そういった基準を持つことは自由であり、結果論的ではあるが、それがあることで他人に迷惑がかからない・プラスになるのであれば、それでよいのではなかろうか。
来年は、今年に準備したことが少し形になる、相変わらずチャレンジングな年になる可能性が高いのですが、あくまで原則はこれまで通りに淡々と過ごしてゆきたいと思っています。

地獄のお話

さて、お盆に甥っ子のお世話をする機会があったので、お化けの話と地獄の話をしてみることにした。
お化けについては、微妙に岡山弁の入った「妖怪ウオッチ」あたりから話を導入してゆき、読み聞かせている絵本の「三枚のお札」から始めてみた。すると、小泉八雲の「怪談」の文庫版の表紙の幽霊の絵を見て持ってきたので、簡単に端折りながら「むじな」「耳なし芳一」まで、お話をしてみた。
3歳児には難しいかと思ったのだけれど、お化け、幽霊のお話しは、思ったよりも集中して聞くので面白い。
お盆ということもあり、いろいろお話のやり取りをしていると、「地獄ってなあに?」と聞かれた。
「一応、一般教養的には、三途の川を渡って、霊鷲山のくだりはまあ割愛して、閻魔様が裁判をしていて…」
となるのだが、なかなか地獄の描写のイメージを教えにくいことに気付いた。
「針山地獄というのがあって、針の山に登らされるんだぞ。」と言って、生け花の剣山を持ってきて触らせて、「ほら、チクチクして痛いでしょう。これに登らなきゃいけない。」と教えるのとか。うむ、何とか針山地獄については理解したらしい。
ただ、「石川五右衛門のように釜茹でにされる」「赤く溶けた銅を飲まされる」「なますのように切り刻まれる」と言っても、なかなか想像しにくいみたい。*1
仕方がないので、翌日図書館に行って、「地獄」の絵本を借りてきた。

絵本 地獄――千葉県安房郡三芳村延命寺所蔵

絵本 地獄――千葉県安房郡三芳村延命寺所蔵

霊鷲山のくだりは、山を旅するようになっているが、基本的な地獄の世界がきちんと押さえられており、良書。
閻魔大王の裁判のくだりで、浄玻璃の鏡まできちんと出てきて、菩薩の立ち位置やそれぞれの地獄の絵図まで、物語の設定の配慮が行き届いていて良かった。釜茹で、銅、なますのくだりも説明するには十分な、お寺の地獄絵巻からの抜粋。
いろいろな地獄へ落ちる因果関係が書かれているので、「野菜を好き嫌いしていると・・・」とか、適宜入れ込んでみると面白い。
読み終わってからの会話が、なかなか本質をついて面白かったので記録しておく。
「ねえねえ。」
「なあに?○○」
「地獄ってどこにあるの?」(※心の声『やばい、鋭い質問来た〜。』)
「そうだね。それは人の心のなかにあるものだよ。羨ましく思ったりしたときとか、腹がたったりするとき、幼稚園であったりするかもしれないね。そのときに意地の悪いことを考えたり、してしまったりするときも、あるでしょう。」
「うん。」
「そのときは、まだよくても、あとで思い返してみたら、なんだか心が苦しくなったりするときもあるでしょう。そんなときに、自分の地獄は現れるの。」
「そうかぁ。」
「昔の人が見た地獄が、今見た絵本にいろいろ描いてあったんだよ。」
「うん…。それで、地獄ってひとりでいくところなの?みんなで行くところなの?」(※心の声『おっと、いい質問だが、心配しているな。しかしどう答えたものか…。』)
「ひとりだけで行くかもわかんないし、みんなで行けるかもしれないな。」(※心の声:『困った…。考えろ。えーい思い切って…』)
「うん。」
「おじさんが考えるに、みんなで行ったら面白いのは天国よりも地獄かもしれないな。」
「なんで?」
「だって、天国の様子はお花が咲いていたり穏やかなことばかりで、ずっと長い間いるのなら退屈してしまいそうだもん。○○が地獄へ行くなら、痛いかもしれないけど、体を動かしながら一緒にいろいろな地獄を巡っていた方が、退屈しないで済みそうじゃない。」
そうすると、ニコッと笑って、そこらを飛び跳ねはじめましたとさ。
こちらがとても勉強になりましたorz。

*1:これらの地獄の記述の出典は元々は司馬遷の「史記」から来ているのだけれど、なかなかゼロからイメージを持たせるのは難しい。

断ること

一見いい話を断る、ということは多い。
「損して得取れ」的な話は現実的に多いと思うけれど、結局「いいですよ」だけの話は世の中に存在しないと思ってもいい。
結局は、プラス面マイナス面を見たうえでの"妥協の産物"であり、それ以上でもそれ以下でもないでしょう。(※その判断には偏りがあるでしょうし、判断がいいか悪いかを議論しているわけではないです。)
自分自身がもしかしたら天邪鬼なのかもしれないし、それで損をしている部分も数多いのかもしれないと思うのだけれど、それでも一向に構わないと思っている。
周囲の人が心配して「こうした方がいいよ。」、「その話には乗った方がいい。」とアドバイスをいただくこともあり、参考にするときもあるのだけれど、そのときにはその人がどの点まで見てアドバイスをしているのかを必ず訊くようにしている。そうすれば、点としての意見ではなく、ベクトルとしての意図がわかるので、自分の見地を固める意味ではとてもありがたい。
ただし、全体の判断基準はしっかり持っておかないと、自分は良くても周囲が無用に混乱してしまう場合が多いので、気を付けないといけない。その点のバランス感覚が難しいな、と思った。

驟雨

湿度も消し飛ぶじりじりとした青空が続くと、天が俄かにかき曇り、驟雨となる。
その様子をベランダに置いた椅子から、日陰越しにぼんやりと見ていると、なぜか妙に静かな気持ちになる。
ざっと雨粒が音を立てて、湿度の高い風があたる中なのに。
つまらない我執などは消し飛んでいて、混沌とした街の景色の中に、青い水平線がつーっと広がっている。

ブログ10周年

気がついたら10年経ってしまった。
当時は、ブログをしている人もまだ少なかったけれど、情報発信をするということはその10倍はインプットをしているのが当然のことだという持論があるので、自分の勉強も兼ねて行っている。複数の目的がある中で、

  1. 古典を高校から大学においてはかなり読んでいたので、固い印象の言葉を払拭したいという思い
  2. 情報発信をする上での勉強の動機づけ
  3. インターネットが情報のプラットフォームになり得るか探りたいという思い
  4. 公共の場での発信の仕方とプライベートでの発信の仕方の境界を探るため

いろいろと書いている内容は面白く、それが自分自身への刺激となった人は多かったけれど、10年継続してブログを書き続けた人は、気が付いてみればあまり多くはない。
初期のブログを読み返してみると、当時は備忘録としてのニュアンスが強くて、決して読者を意識してはいない書き方で読みにくかったり、論理の省略が多かったりして恥ずかしいものである。ただし、その時々に心が動いて物事を切り取ったり、拾い出したりする感覚は、今も昔もあまり変わっていないのではないかと思う。
ブログを通じて話が盛り上がったり、いろいろな人に出会えたことが、結果的に10年間を通じて得た大きなものだったと思われる。

毒舌はかわいらしいもの

毒舌で、いつも損をしている。
テレビメディアの中で言う毒舌は、なんだかんだと多方面に配慮して、チップでかするくらいで済ましているのでいいのである。
明確な毒舌は、人を選ぶ。核心をつくほどに、それが心に泡立つ。
仕事などでダメ出しが必要な時があり、
「ダメ出しを本気でやって、本当にいいんですか?」と何度も確認したうえで対案を出しながら行うのだけれど、何だかんだと言って最終的に相手に逃げ道を1本用意しておかねばならないのが大変である。というのも、本気で理路整然とダメ出しをすると、相手としては相当怖い印象であるらしく、話が詰んでしまって、全体としてプラスにならないからだ。
内容上について実務的な観点から手加減するというのも、それはそれで相手に対して不誠実な気がするし、正直迷う。
ただし、「何かダメ」という根拠が不明瞭な(無責任な)指摘よりは*1、具体的に「ここがこういう印象を与えるからダメだと思うから、自分ならこう直す案がある。」と指摘するのは、議論・指摘をする前提となる姿勢として、そして更なる議論を生む姿勢としては、いいのではないかと思うのだが。
もっとも、指摘の内容が的確なのか否かは、また別の問題だとは思うのだが、そちらも核心を突きすぎると偏狭な人にはダメな場合もあり、配慮がいろいろと必要になる。
本当に、きちんと受け入れられる毒舌を言うのは難しい。
少しばかり話は変わるが、最近思うのは、毒舌はまだまだかわいらしいものだということだ。
交渉事では、相手がこちらにわざと負荷をかけてくる場合が往々にしてある。さらにはタチの悪い、洗脳的な手法や心理的な誘導まで用いてくる場合がある。そういう相手の場合、状況に応じて対応する。逃げるが勝ちという場合もあるし、余裕がある場合では3度までは牽制を入れながら笑って受け流す。
けれども、さすがに明らかに何度もそれを繰り返される場合、こちらとしてもある段階を境にして実力行使に出る。あんまり本当はフェアではないから、ここまでのことははしたくないのだけれど。
相手の手法・思考パターンに応じて、細かなフェイクをかけてこちらを誤認識させるか、逆に巧妙に相手の情報・感情処理の認識をオーバーフローさせて混乱させるようにするかのどちらかである。
これを利用しながら、表面上は相手に勝ったと思わせておいて、実は後で得を取るように、事実の布石を打っておくのが非常に大切なことなのである。

*1:「何かダメ」と感覚的にいう人で、すごく的確にものごとを見抜けている人もいるのだが、それは、感覚的に相当に鋭敏な場合がほとんどで、本人の思考プロセス上、他人には説明ができない方法を用いている場合がほとんどである。

誕生日を迎えて

毎年、誕生日を迎える度に、その時に思っていることを忘れないように書くようにしている。
昨年書いた内容としては、せっかちさのバランスをとるために「のんびりできることをやる」と書いた。
平穏な1年なんてないというのだけれど、昨年から今年にかけて、悪いときには「本当にこれでもか」というほど、3重4重に、複合的に困難が重なった時期があった。

アポロ13号―奇跡の生還

アポロ13号―奇跡の生還

小学5年の時に読んだ、「アポロ13号奇跡の生還」の中では、13号の事故が起こった際に、飛行主任のジーン・クランツが"Let's every body keep cool.Let's try to solve problem."と言う。
一番の理想は、その言葉のように、タイムロスをできるだけ防ぐために冷静なモードにすぐに頭を切り替える事なのだけれど、自分の経験上では無意識下でその切り替えには時間がかかっているのが普通なのではないかと思う。
また、自分はその状況を把握していたとしても、状況として切り替えが不可能な場合や、周囲の認識に温度差がある場合がある。その場合は、一旦そこでは何を言われようが覚悟を決めて、本質的に重要な部分での一貫性を保つテクニックが必要になる。
このいい訓練になったと言えば聞こえはいいのだが、4重に複合的に悪い想定に事が重なったときには限界に達してしまって、自分の判断にブレが生じてしまった。
そういう意味では代償も大きかったけれど、こんな事態はめったにないと思うのでいい勉強になりましたね。
「のんびりできることをする」という気の持ちようや、何気ないところで声をかけてくれる友人がこんなにありがたいと思ったことはなかったし、複数の事をやっていて正直本当に助かったと思った。
さて、今年はどうしたいかを考えたときに、目標がないときの姿勢をどう保つかが課題かなと思う。結局は、モデルケースがなかったり、目標となる人が存在しなかったりする場合に、自分自身はどうするのか、どういう姿勢であるのかということだ。
結構、昔から自分自身の感覚的に正しい、オリジナルな考えを根底に持ちながら仮説を立てて行動し、周囲の反応を見て試行錯誤をしながらやってきた傾向にあるのだけれど、何とかその方法をブラッシュアップしたいというところだ。
間違いなくセンスの影響も大きいと思うし、一見すると全く関係のない、第三者には無駄に見えることをやらねばならないことも多いと思う。
まあ、大きく構えてやるしかないかな。