第三の出発は珈琲問題から

ペンギン堂の飯島です。意見は私個人のものです。

彼岸すぎだというのに寒さ厳しい日が続いています。それでも今日は幾分か寒さが和らいでいるようですが。

今月の二日で行政委員の任期が終わり、日程表に書き込む事柄は全くの自己権限になりました。これはこれで自由かと思いきや、かえって不自由な気がします。

日常を少し変えてみて、これからの人生、新たな出発をする事が必要だと思います。

そこでまず手始めに、萩焼で珈琲を飲むことに。なんで珈琲かは後で。飲みながら関心をそそる問題についてゆっくり考えることから始めていこうかと思います。

うちには萩焼の湯呑みが二個あります。今から半世紀近く前に、司馬遼太郎の小説を読んでいた影響もあり、夫婦二人で萩へ旅した事がありました。

その際に坂高麗佐衛門の窯元の作品を扱っている店に立ち寄り買ったものです。

およそ半世紀壊れず使う事ができています。最近妻はニトリのガラスの紅茶茶碗で緑茶も飲んでいて、使われない器は輝きがなくなるものですから、それならという事で、私が両方使うことにしました。一つは煎茶に、もう一つは2階で珈琲を飲むのに使うことにしたのです。

萩焼で珈琲を

これが正解でした。陶器の妙味か不思議に角の取れた味わいになりました。今飲んでいる豆は、パナマとインドモンスーンです。学生時代から好きだったモカはちょっとお休みです。

前にも言ったかもしれませんが、21世紀は、食糧危機と戦争と感染症の時代ではないかと感じています。

実は珈琲についてを話題にしたのもそのことと無縁ではありません。

コーヒー豆の2050年問題

コーヒー豆には2050年問題というのがあると言われています。

2050年までに現在のコーヒー生産の土地が半減するだろうと言われています。アラビカ種は病害虫に弱い性質を持っていて、これまでも何度か病気で生産量が減少して価格の高騰がもたらされた事がありましたし、この生産地が40%ほど減少すると言われています。病気に強いとされるロブスター種では60%もの生産地が減少するだろうというのです。

原因は気候温暖化とコーヒー農家の貧困による離農と言われています。

一方で珈琲を飲む人は所得の上昇で増えているのです。特にグローバルサウスという国々で。

かつてベトナムではコーヒー豆はフランスなどに輸出され、現地ではインスタントコーヒーをもっぱら飲んんでいたものが、珈琲を飲むようになって、輸出する豆が減ったなどという事がまことしやかに言われていました。もちろん、エビデンスを確認しての話ではありませんが。

食糧危機はコーヒー豆にも及んでいる問題だという認識を持つ必要があるようです。

SDGsと平和への取り組みは益々大事になっています。

春は近いのですが

ペンギン堂の飯島です。意見は私個人のものです。
今日は朝は雨ですが、昼過ぎからは晴れる予報です。この冬は暖冬と言われている様ですが、寒さの厳しい日もありますが確かに暖冬だと思われます。

母校の小学校の西側にある彼岸桜だと思うのですが、すでに蕾は大きく膨らみ、まさに咲かんとしています。
季節は春へと向っていますが、世界は依然として戦争の厳しい局面が続いています。ウクライナ戦争は終わりが見えず、このままでは3年目を迎えそうです。さらに戦火は拡大してパレスチナそして、中東へと拡大の状況です。
平和への転轍機をどう切り替えていくのか、人類の叡智が問われるときに、日本の国内では、能登地震の災害状況が深刻な中、政治と金の問題に絡め取られた政治状況が繰り返されました。
しかし諦めることなく日々なすべきことをなし前に進むだけです。

にゅう麺が気になる

最近読んでいる本が、『70歳からの軽やかな暮らし』(石黒智子著 PHP研究所)ですが、読んでいるうちに、というかそのちょっと前から昼に何を食べるかが課題になっていたのですが、この本を読んでから、「にゅう麺」が気になりました。冬場はそうめんよりはやっぱりにゅう麺でしょう。ただし、具をどうするか、手っ取り早く後片付けが簡単なものを考えているのと、冬場にそうめんの買い置きがないことなど、インスタントに手を出したりしていますが、そんなことを言えるのも、恵まれているからと反省しつつ、さて、どう具体的に何をするか、真剣に考えます。

能登地震被災お見舞い申し上げます

ペンギン堂の飯島です。意見は私個人のものです。

あけましておめでとう、と書かれた年賀状やメールを読み返信作業も一段落した午後四時過ぎおめでとうという気分はまるでなくなる事態が能登半島を中心とした日本海側等で発生しました。

2008年の輪島地震の時は、お世話になった穴水の知り合いのお宅を訪ね、そのあまりの被害状況に唖然としたものでしたが、今回は連絡もとりようがなくただ心配し、無事を祈るのみです。

今日、ようやく前の地震どころではない大変な被害状況の一端とその後の苦難の避難生活の状況を伺うことができました。

なんとか復旧復興へ、お体に気をつけて乗り越えていかれることを祈るばかりです。

依然として震度5等の地震の発生が続いています。

犠牲となられた方々のご冥福をお祈りいたします。

改めて被害を受けた皆様に心よりお見舞い申し上げますとともに、お気をつけてお過ごし下さい。

今年を考え、来年を見据えて

ペンギン堂の飯島です。意見は私個人のものです。

戦争のニュースに明け暮れた一年が終わろうとしています。

テレビのニュースを見て果たして戦争の何かがわかったような錯覚に囚われていたように思います。

今、戦争の数字ということについて考えています。死者の数字や発射されたミサイルの数がテレビ画面に流れますが、それらだけではない何か違うものがあるのではないのか、わからないのですが、とにかく一つの切り口を見出したいと思っています。

とにかく一刻も早い戦闘停止が実現することを祈るばかりです。

今年一年ありがとうございました。

食糧危機、戦争、感染症 その2

ペンギン堂の飯島です。意見は私個人のものです。

寒い日が続きます。その一方で、少し気温が上がってきたりと定まらない天候の日々が続いています。体調管理が厳しいのと、来年の気象状況はどうなのか気になるところです。

小津映画に感じる戦争

今週は小津安二郎の映画を観る毎日です。今年の12月12日は、小津安二郎の生誕120年、没後60年にあたり、様々なイベントが企画され、小津監督の映画も上映、衛星放送での放映などが続いています。

一度録画しておいた『東京物語』を消してしまっていたので、この機会に早速録画しています。

小津監督は律儀にも60歳の誕生日にこの世を去っていますが、それで、10年単位でメモリアルイベントが企画されるようです。この写真も、ちょうど10年前に、東京国立近代美術館フィルムセンターによる『小津安二郎図像学』という展覧会で撮影したものです。

秋刀魚の味』のラストシーン近く、娘の結婚式の帰りに笠智衆一人バーに入るところの飲み屋街の、小津自身がデザインした看板のセットでした。

私自身は、2014年の1月に京橋の展覧会会場に行っていますが、小津映画ということでは、尾道で、ヴィムベンダースが瀬戸内の写真を撮った、『東京物語』で、葬儀の朝、笠智衆が「今日も暑うなるぞ」とつぶやいた場所に場所に立ってみたりとか、いろいろあるのですが、それは機会を見て、ひとつだけ、ここで語っておきたいことは、今度小津の映画を観て感じることは、いづれも、何らかのかたちで戦争の影を感じるということです。

食料安全保障は大丈夫か?

70年代以降、世界的な食料危機、食料価格の高騰は4回あったとされています。

1回目は73年から74年にかけて、同時にオイルショックがあったので、トイレットペーパーパニックの、そっちの方の記憶が強いですが、アメリカの旱魃で食料価格の暴騰が引き起こされています。食料問題研究会の設置はそのことを受けてだったのだと思います。

2回目は2008年、3回目が2011年、そして4回目が、2022年、世界の穀倉地帯であるウクライナでロシヤとウクライナの戦争が始まったことによります。

1960年に30億人だった世界の人口は2021年には76億人となり、およそ2、6倍になりました。当然食料の必要量も増加することになるのですが、人口増加を上回る収穫量が得られたわけではないでしょう。

ここ20年間の小麦とトウモロコシの消費量の増加は、それぞれ1、4倍、1、9倍でしたが、生産量は、1、3倍と2、1倍と需給はほぼ均衡していますが、それも危ういバランスと言えそうです。耕作面積はこの間ほとんど増えていません。穀物の増産は単位面積あたりの収穫量を増やすという技術進歩や化学肥料の使用などによって実現されたもので、一旦このバランスが崩れるような事態、異常気象や戦争などの勃発で、食糧危機が起きてしまうのです。雨が降るべき時に降らない旱魃や降っては困る時に大雨が降り洪水が発生するなど、まさに七難の事象そのものが、食糧危機を引き起こしてきたのです。

1996年世界食糧サミットが行われてその中で食料安全保障という用語が使われるようになったのですが、今回のロシヤ・ウクライナ戦争でヨーロッパの穀倉地帯が戦火に見舞われているだけでなく、イスラエルハマスの戦争では、海上輸送の安全が脅かされるというサプライチェーンの問題が再び浮上してきています。

食糧安全保障について掘り下げていく必要があるという時期なのに、日本の政治は機能するのでしょうか?