ビートルズの時代 その2

前回の続き。

エドサリヴァン・ショー」

 一九六三年の大半、ビートルズは(略)アメリカでは無名だった。ブライアン・エプスタインもビートルズ自身も全米デビューのタイミングを誤らないように用心した。クリフ・リチャードに起きたことを目の当たりにして、同じ轍を踏むまいと心に決めた。「大勢の英国人アーティストが大西洋を越えて、泣かず飛ばずに終わった」

(略)

 十月三十一日(略)エドサリヴァンが、人材を発掘するためヨーロッパ大陸を巡ったあと、ヒースロー空港に降り立った。(略)悲鳴をあげる数千の若い娘たちがまず目に入り、何事かと思う。(略)返ってきた答えは「ビートルズですよ」。

 サリヴァンは飲み込みが早い。自分の番組に出演させるつもりで、ブライアン・エプスタインに連絡をとった。クリフの幻影が記憶に新しいエプスタインは、アメリカ遠征は絶対に失敗しないようすでに計画を立てていた。(略)

エドサリヴァン・ショー」のプロデューサーで司会者の義理の息子ボブ・プレクト(略)はぜひビートルズには出演してもらいたいが、目新しいもの、イギリス出身の珍品としてしか見ていない。他方、エプスタインはビートルズをなんとしてもその日のメインゲスト、スターとして登場させたかった。エプスタインが最終的にまとめ上げた契約は見事な妥協の産物だった――ビートルズは二週続けてメインゲストとして出演するが、ギャラは雀の涙の七千ドル。(略)およそ五万ドルの営業損失をこうむる

(略)

[のちのCCR]トムとジョンのフォガティ兄弟(略)「おい、ぼくらにもできるよ。このイギリスの連中にロックンロールがやれるなら、ぼくらにだってやれるさ」

(略)

 十三歳のトム・ペティ(略)「これならいける。(略)友だちを集めれば、それでちゃんと成り立つんだ。あとは音楽をやればいい」。数週間のうちに、近所のいたるところのガレージでいくつものグループが演奏を始める。

 クリッシー・ハインドは十二歳(略)「まるでセックスみたいだった、セックス抜きのセックス。自分がどこに座っていたか、はっきり覚えている。すごかった。地軸がずれたみたい(略)小さな処女で大人になりたくなくて(略)そういうわたしに一種の性感が拓かれた。より観念的な途だった。(略)」。

[翌日学校に行くと]男子生徒全員が額に前髪を下ろしていたので、クリッシーも同じことをする。「それから二度とカーラーを巻かなかった。櫛でまっすぐ梳かして、おかっぱにした」。

(略)

 十四歳のビリー・ジョエル(略)「四人はそこらにいる労働者階級の家の子供たちみたいに見えた(略)ジョン・レノンは『エドサリヴァン・ショー』でもこんな顔つきをしてたよ。『お前らみんないけすかないな。こんなのおれには何の関係もない』って」。ビリーはそのときそこで自分の運命を知った。「あの瞬間自分に言った、『こいつらを知ってる。こいつらのことは自分のことのように感じる。おれもこいつらと一緒だ。これがおれのやりたいこと。おれはこれがやりたい。あいつらのようになりたい。(略)ロックバンドで演奏する』」。

階級社会

アメリカ初のコンサート[後](略)イギリス大使館に迎えられ、そこで別の形のヒステリーが起きる。

(略)

夜会服に身を包んだ紳士淑女で溢れ(略)興奮と好奇心、軽蔑の入り交じる奇妙な目つきでじろじろ四人を見つめた。

 「上流階級の馬鹿息子を絵に描いたようなのが大勢いてね、ぼくらがそれまで会ったこともない人種だった」とポールは回想する。

(略)

[四人がサインをしていると]ジョンを見つめながら、ひとりが聞こえよがしに言った。「ごらん、字が書けるじゃないか!」(略)他の三人は凍りつき、ブライアン・エプスタインも同様。みなジョンがお返しに拳固をお見舞いしても少しもおかしくないと思った。そうはせず、ジョンはサインを拒み、大使館員が(略)「サインくらいしたっていいだろ!」と怒鳴っても知らんぷり。

 それほど我の強くないリンゴは片っ端からサインしていく。(略)謎の襲撃者が鋏を取り出し、リンゴの髪を切り取りはじめた。

 新たに語られるたび、事件は次第に寓話の様相を帯びる。

 リンゴは、犯人は男性と信じて疑わない。(略)咎められ、男は「おや、なんでもない……くだらん、くだらん」と答えた。それに対してピーター・ブラウンは、「夜会服姿の女性がパーティーバッグから爪切り鋏を取り出し、リンゴに制止する間もあたえず、娘へのお土産に髪を切り取った」のは間違いないと言う。

(略)

 ジョンは「ろくでもない人でなしがリンゴの髪を切った。おれはその場にいた全員に悪態をついて、そのさなかに立ち去った」と思う。しかしポールによると犯人はたしかに複数いて、ビートルズの四人全員が標的にされたのは間違いない。「女の子たちがぼくらの髪を切り取りたがっていたのを覚えている。そんなことをされてはたまらないから盛大に肘鉄を食らわした」。

(略)

[シンシア・レノンは]最初の自伝『ツイスト・オブ・レノン』で(略)この挿話を階級間の戦争として描く。「正真正銘の英国在留社交界は、最悪の英国上流階級にしかできないようなやり方で、ビートルズを奇形のようにあつかった。鋏はパーティーの主催者が用意していた。『まあ、あなたはどのビートルなのかしら?髪を少し切らせてもらって、寄宿学校にいる娘に送っても、ねえ、あなた構わないわよね?』

(略)

 ホテルに戻る車のなかで、エプスタインは四人に、二度と公式行事に無理やり連れ出したりしないと約束した。

髪型考

髪型自体の起源はどこにあったのだろうか?(略)[スチュの恋人]アストリット・キルヒャーは、それは自分のしたことだと言うこともあれば、それを否定することもある。「(略)馬鹿げてる!ドイツにはあの髪型の男の子が大勢いた」。

 アストリットが半年前に(略)スチュの髪をおかっぱにしたのは間違いない。ピート・ベストは、ジョンとポールがふたりしてそれをからかったことを覚えている。

(略)

[ニール・アスピノールがドイツ帰りの]「ジョンを迎えに行くと、前髪を下ろしていた。でもこれは何かあるなと思ったのは、ポールを迎えに行ったときだ。ポールも前髪を下ろしていただけではなくて、なんと家からスキップしながら(略)出てきて、髪を指さしている(略)それで我々も気がついた」。ポールはみなに「お前の髪、変になったな」と言われたのを覚えていて、それにポールとジョンは「いや、これが新しい流行さ」と答えた。

 そして、そうなった。一九五〇年代、英国の若者たちはヘアクリームをべったり塗った髪をオールバックにして、それを憂鬱な都会風と思った。(略)

二年もしないうちに、ビートルズの髪型は自由と若さの新時代のシンボルとなり、その結果、いくつかの学校や機関、国家では規則や法律によって禁じられた。

(略)

 数か月のうちにその熱狂はアメリカに広まった。(略)

ジョージ・マーティンはいい大人がビートルズのかつらを被って五番街を歩く姿を目撃したのを覚えている。(略)ニューヨークだけで一台二ドル九十八セントのビートルズのかつらが一日に二万台売れた。

 その頃、十四歳のブルース・スプリングスティーンは(略)レコード売り場に入り、『ミート・ザ・ビートルズ』を見つけた。それは(略)「史上最高のアルバムジャケット(略)まさにおれのしたいことだった。(略)

あの髪型……あの髪型ときたら。(略)衝撃を受けた。ラジオでは四人の姿が見えない。あの影響をいま説明するのは不可能に近い……あの髪型の影響は」。

 ブルースはすぐさま自分の髪型をビートルズみたいにした。そんなことをすればどうなるかはわかっていた。(略)「寄ってたかって貶され、侮辱され、危ない目に遭い、爪弾きにされ、よそ者扱いされるのを受け入れなければならない」。父親は息子のしたことを見て、「最初は笑った。(略)そして怒った。最後に厳しい質問をぶつけてきた。『ブルース、お前、おかまか?』」

 同じ年頃の仲間の大半も、容赦ないことにかけては父親と少しも違わない。それでもひとりかふたり、ブルースと同じように、ビートルズのためなら世間の嘲りなど撥ねのけようと覚悟を固めた者もいた。

(略)

 この頃になると、ビートルズの専属美容師レスリーカヴェンディッシュ自身が有名人になっていた。(略)自伝『カッティング・エッジ』まで著し

(略)

意外にも、最もとっつきにくかったのはリンゴ(略)

ポールはいつでも大らかで、感謝の気持ちを忘れない。ジョージは誰より髪が多く、「少なくともポールの倍はあった」けれども、髪を切ってもらう最中はほとんど口を利かず、終わってから「ありがとうと行儀よく」言う以外には何も言わない。ジョンは扱いづらい「これまで手がけたなかで、たぶん最悪の客」――というのも、少しもじっとしていないから。

(略)

 後年、ジョンは散髪にオノ・ヨーコを立ち会わせるようになった。

 

 正直言って、わたしはヨーコのとりとめのないおしゃべりの半分も理解できなかったが(略)[ジョンも同様で](略)次第にヨーコに苛立ちを募らせる。

「何が言いたいのかわからないよ!」(略)

「聞いていないからわからないのよ」とヨーコがジョンを高慢ちきな坊や(略)扱いして、からかうように答える。驚いたことに、それでもジョンは怒るどころか、ますますヨーコが恋しくなるらしい。だいたい誰と話していても、会話の主導権を握るのはジョンだった。ところがここで初めて、わたしはこの気の強い小柄な女性がジョンとの会話を完全に支配するのを見た。

リンゴのドラム

 リンゴにかかるとなぜかうまいことに不運が強みに変わる。(略)

[祖母に左利きを矯正され]右利き用のドラムセットにねじ曲げられた左利きの本能で取り組んだのが独特のドラミングを生み、そのせいで無数のトリビュートバンドが真似しようとしていまだにうまくいかずに困っている。

 リンゴのドラムは決して派手ではない。誰にも気づいてもらえなくても、曲を引き立てられればリンゴは満足する。(略)

[ジェフ・エメリック談]

「正直に言って、リンゴとは一度も記憶に残るような会話をした覚えがない」――けれども、リンゴのドラムがグループの創造性に刺激をあたえるのを耳にしてしばしば驚いた。「ビートルズが九時間も十時間もぶっ続けに同じ曲を演奏するのを聞かされるのはひどく退屈で、気が滅入る。とくにドラッグが効いてくると脱線して演奏は拙くなるいっぽうだ。興味深いことに、そういう長ったらしいジャムセッションでは、演奏を新しい方向に引っぱっていくのはたいがいリンゴだった――同じビートをいつまでも続けるのに飽きて、リンゴが叩き方を変えると、ときどき誰かがそれにつられて演奏の仕方を変える」。

(略)

グレアム・ナッシュもリンゴのドラムは過小評価されていると感じる。「リンゴが奏でるのは心臓の鼓動だ、その音がわたしは好きだ。優れたドラミングの秘密のひとつはそこにある、なぜなら(略)ひとは懐胎されると、まず母親の心音を聞き、それがその後の人生のリズムを定める。(略)人と人として繋がりたいと思ったら、音楽のなかで最も重要なのは心音だ。しかもそれはじつに微妙なもので(略)ビートルズはリンゴを得て、じつに幸運だった」。

ジュリアを殺した男がファンレターを配達

 エリック・クラーグは郵便配達員だった。一九六四年は毎日一袋分のファンレターをリヴァプールの[ポールの家がある]フォースリン・ロード二〇番地に届けた。(略)

ビートルズが人気絶頂の頃は、何百通もの葉書や手紙をお宅に配達したものです」(略)

 六年前、クラーグはリヴァプール警察の新人巡査だった。

[非番の日、仮免で女性をはねてしまう。制限速度で走行していたとクラーグは主張]

目撃者の証言はこれと異なるが、陪審はクラーグを信じることにした。(略)偶発事故の評決が下され、エリック・クラーグは放免された。

 ミミはクラーグに向かって杖を振り回した。「本当に怒り狂っていた……あの卑劣漢め……もし手が届いたなら、殺していたものを」。

(略)

 クラーグは停職処分となり、その後まもなく警察を退職した。それから郵便配達員となり、市内のアラートン地区で日々の配達業務に携わることになった。

 クラーグの素性は誰も知らなかったけれども、「サンデー・ミラー」紙の記者が一九九八年二月に探り当てた。そのときまでクラーグは、ジュリア・レノンの死に関与したことを誰にも話していない。

 「これまでずっとその記憶につきまとわれてきました(略)そのことを考えずに一週間が過ぎることはめったにありません。ビートルズが有名になってからというもの、いつかこのことが知られる時が来ると覚悟していました。正直言って、ずっと怖かった。(略)レノン夫人はわたしの車の前にまっすぐ走り出てきたのです。どうにも避けようがなかった。スピードも出していなかった、本当です。(略)あとになって、母親の死がジョン・レノンにどれほどひどい打撃を与えたか書かれたものを読みました。そのことについては、心から申し訳なく思います。しかし、先ほどお話ししたとおり、あれはどうしようもない事故だったのです」。

ローリング・ストーンズ

[『ハード・デイズ・ナイト』のプレミア上映レセプション]

ブライアン・ジョーンズキース・リチャーズは、招待されてもいないのに挑発するつもりかタートルネックの軽装で会場に潜り込んだ。「史上最大の押しかけじゃないか?」とブライアン・ジョーンズはにやにや笑った。

(略)

[近くのクラブにくりこみ、午前4時過、最後に残ったのは二人とジョン]

ジョンが長居するつもりなのは明らかで、スコッチ・アンド・コークのグラスを次から次に空にする。(略)「グラスを、まるで押しつぶそうとするかのようにぎゅっと握っていた。目つきは険しく、鋭く、少しも笑っていない。(略)」。

 夜が更けるにつれ、ジョンは目の前にいるローリング・ストーンズの二人が好きになる。「お前らが好きだ、初めて聴いたときから好きだった(略)だけど、お前らどこかおかしくないか?グループのなかにひとり、他の連中ほど上手くないのがいる。誰なのか見つけて、追い出せよ」

 話題は音楽に移る。ストーンズが本物のリズム・アンド・ブルースをやっているのに、ビートルズは売り物のポップ音楽をやっているだけだとジョーンズとリチャーズが主張する。これはジョンの泣き所だった。ジョンはいきなり話題を変える。

 まずジョーンズを見る。「お前の髪はまともだ」と言った。それからリチャーズを見る。「お前の髪はまともだ」と言った。それから不在の友人たちのほうを見る。「だがな、ミック・ジャガーはだめだ。お前らもわかってるな、奴の髪はまともじゃない」

(略)

ジョンが言う。「もう一年すれば、金が溜まって、こんなのおれはもうやめる」

「もう一年すれば」とブライアンが言う。「おれたちだってそこまでいってるさ」

ジョンが難しい顔をして、煙草を一服した。「そうか」と言う。「だがな、そこってどこだ?」

(略)

両者が初めて会ったのは一年余り前のこと(略)まだパブで演奏していたストーンズに対し、全国ツアーのトリを務めるビートルズがはるか先を行っていた。

 一九六三年五月の第一週、ジョージ・ハリソンは(略)タレント発掘コンテストの審査員に招かれ、もうその頃には「ビートルズを蹴った男」として広く知られたディック・ロウと同席した。ロウはジョージに、失敗を悔やんで今も自分を責めていると言った。ジョージは鷹揚に、なにしろオーディションでの自分たちの演奏はひどかったから、ロウの判断はおそらく正しかったのだろうと答えた。(略)

コンテストに出たタレントにロウが失望していると気づき、ジョージは毎週日曜にリッチモンドでライブをしている素晴らしい新人グループのことをこっそり教えた。数日のうちに、ロウはかれらと契約を結ぶ。(略)ビートルズは、ストーンズがデッカと結んだ契約のほうが、自分たちとEMIのものより条件がよいと知って悔しがる。ビートルズはまもなく負け犬が勝ち犬になりはしないか、気を揉み始める。それからというもの、両者の友情にはつねに刺々しさがつきまとう。

(略)

 ジョンは比べられると次第に苛立ちを募らせる。「マージー・ビート」誌の編集長ビル・ハリーは、「ストーンズが粗削りと盛んに持ち上げられるのを見て、ジョンは頭に来た」と回想する。「ジョンはストーンズの連中がロンドン郊外に住む中産階級の出で、革ジャンを着た不良少年なんかではないことを知っていた。ビートルズハンブルクで悪態をついたり娼婦とじゃれたりしてた頃、ストーンズの連中は洒落た学校に通っていた。ジョンはそれが嫌だった。嫌でたまらなかった」。

(略)

ジョンは、ローリング・ストーンズビートルズのアイデアを盗むのが気に入らず、憤懣やる方ない。(略)

仕事をしたグリン・ジョンズから、ビートルズの新曲のタイトルのひとつは「レット・イット・ビー」と聞かされて、ストーンズは新しいアルバムを『レット・イット・ブリード』と名づけた、等々。(略)

「おれたちがやったあれこれ全部ひっくるめて、リストにして見せてやりたいよ。ミックはまるで同じことをする。おれたちを真似るんだ。『サタニック・マジェスティーズ』は『ペパーズ』じゃないか!『この世界に愛を』だって、ふざけるな!あれは『愛こそはすべて』だろ」。

(略)

ジャガーの住まいは(略)セント・ジョンズ・ウッドのポールの家まで歩いていける。ふたりはときどき顔を合わせたけれども、それはいつでもジャガーがマッカートニーの家を訪れるのであって、その逆ではない。

[マリアンヌ・フェイスフル談]「(略)いつもミックがかれの家に行く、だって相手はポール・マッカートニーだから、こっちから向こうに行く。ポールがわたしたちのところに来たことは一度もない。ミックがポールをどう見ているのか、ポールのことをどう思っているのか、わたしはずっと興味津々だった。ライバル意識はつねにあった。ポールのほうからはない、ちっとも。ポールは少しも気にしていないのに、ミックのほうはそうはいかない。面白かった。テレビでゲームを見ているみたいだった」。

(略)

キース・リチャーズはよくジョンをけしかけた。(略)

「頼むから、ギターを顎から少しは下げてみろよ。ヴァイオリンじゃねえんだから」。「もっと長いストラップにしてみろよ、ジョン。ストラップが長けりゃ長いほど、うまく弾けるぜ」。「お前がスウィングしねえわけだよ、わかるか?ロックするだけで、ちっともロールしねえわけだ」。時が経つにつれて、ジョンのストラップがこっそり、だがじわじわと下がっていくのを見て、キースはほくそ笑んだ。

ディランとマリファナ

[ディランが]ジョイントを巻き始めたが、意外にもぶきっちょだった。(略)

火を点けて、ジョンに回すと、そう思われたい姿よりつねに用心深いジョンは、自分では喫わずに――「お前やれよ!」――リンゴに差し出す。これを見て、アロノウィッツは「ビートルズのグループ内の力関係」を瞬時に見抜いた。「明らかに、リンゴがトーテムポールの一番下にいる」。

 「リンゴはおれの忠実な毒味役なんだ」

(略)

 ポールはひどくがっかりした。「五分ばかり『なんにも起こらないな』とか言って、どんどん吸い続けた」。いきなりリンゴがくすくす笑いを始めた。それが周りに伝染する。「リンゴの笑い方があんまりおかしいので、他のみなもヒステリックに笑うリンゴがおかしいと言ってヒステリックに笑い始めた。そのうちにリンゴがブライアン・エプスタインを指さし、ヒステリックに笑っているのがおかしいと言うので、ぼくらもみなブライアンの笑い方がおかしいと言ってヒステリックに笑い出した」。

 アロノウィッツはエプスタインが、「ハイになりすぎて天井に届いた」と何度もくりかえしたのを覚えている。それからエプスタインは鏡に映る自分の姿を見つめ始め、「ユダヤ人、ユダヤ人……」と言い出した。

(略)

「一列に並べた五脚の椅子にファブ・フォーとマネージャーのブライアン・エプスタインが、すっかりマリファナが効いた状態で座っている。ときどき、列の端に立つ男が一番近くにいるビートルを押して椅子から落とすと、ドミノのように次の者が椅子から転げ落ち、最後にブライアンが床に崩れ落ちてこらえきれずに笑うと、それを見て全員が笑い出す。とても現実とは思えない光景だが、最初に押すのがボブ・ディランとなると、ますます奇妙に思えた」。

 そのうちにポールが人生の意味を見いだしたと思い込み(略)マル・エヴァンズに(略)自分の口から出る金言を書き留めるよう指示した。電話が鳴るたびボブ・ディランが受話器を取り、「こちらビートルマニア」と答える。

(略)

 ディランの訪問がビートルズにおよぼした影響は深く、また長く尾を引いた。二か月後、ビートルズは「シーズ・ア・ウーマン」をレコーディングした。この曲にはジョンの書いた「ぼくが寂しくなったら気分を晴らしてくれる(turn me on)」という歌詞が含まれる。『ヘルプ!』の撮影に入る一九六五年二月頃には、ジョンによると四人は「朝食にマリファナを喫い(略)目は潤み、のべつまくなしにくすくす笑う」状態だった。六月にレコーディングした「イッツ・オンリー・ラヴ」の歌詞には、ディランが聞き違えた言葉Ⅰget high がそのまま使われた。

 それ以来、ドラッグに触れる歌詞が、riding so high (大喜びしている/麻薬が効いている)(「涙の乗車券」)、find me in my field of grass (草原/マリファナ畑でぼくを見つけて)(「マザー・ネイチャーズ・サン」)、because the wind is high,it blow my mind (風が強いからぼくの心を吹き飛ばす/麻薬が効く)(「ビコーズ」)など、次々に転がり出る。歌詞が書かれた当時、その多くは誰にも気づかれずにすんだ。明るく陽気な「ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ」の優しく、愛情のこもった歌詞「君がいなけりゃ一日もやっていけない」と「君と一緒のときはあそこにいたい」はじつはマリファナ賛歌とポールが告白したのは、何年も経ってからのことである。『サージェント・ペパーズ』のレコーディングに取りかかる頃には、ドラッグに一言も触れない曲を探すほうが難しくなった。

(略)

[ジョンはディランに憧れ]声はますます擦れ、態度は皮肉っぽくなり、歌詞は意味がわかりにくくなった。(略)

ある曲のレコーディング中、ジョージ・マーティンがジョンに、もう少しボブ・ディラン風に聞こえないようにやれないかと頼む羽目になった。「ジョンはわざとそうしているわけではなかった。まったく無意識にそうしていた」。

墜落寸前

 一九六五年八月二十一日土曜日の午後十時、二度目の全米ツアーの第一週、ビートルズは(略)ポートランドに向かった。(略)

ツアーを取材中のラリー・ケイン(略)「翼の発する明るい光のようなものに反応して瞼がぱっと開いた。(略)焰が、翼の右エンジンから噴き出していた」。

(略)操縦室のドアを激しく叩くが応答なし。飛行機は自動操縦で飛んでいて、操縦士と副操縦士は客室の最後尾でポール、ジョンと歓談中。ケインはそちらに向かって急ぎながら、大声で「右のエンジンが燃えているぞ!」と怒鳴る。たちまち乗客全員がパニックを起こした。

(略)

[ジョンは]「畜生、畜生、畜生」と言うや後部の非常ドアに駆け寄り、ハンドルを力任せに引っぱり始めた。ケインはジョンに組みつき、「気でも狂ったのか?そんなことをしたら、みんな死ぬぞ」と(略)押し退けようとする。そのとき飛行機は高度六千七百メートルを飛行中だった。

 ところがジョンは理屈を前に怯むような男ではない。もう一度非常ドアめがけて突進するが、今度は屈強なマル・エヴァンズが立ちはだかって事なきを得た。

 その頃には操縦士がコックピットに戻っていた。飛行機は(略)残りのエンジンだけで目的地に支障なく着陸できると機内放送が流れた。「くだらねぇ!」目をぎゅっと閉じてジョンが叫ぶ。

 三十分後、飛行機はポートランドに着陸し、待ち構えていた消防士たちが機体を泡の海ですっぽりくるむ。飛行機の乗客全員が(略)「もう二度と飛行機には乗らない」と誓ったのをケインは覚えている。ところが二日後、全員がふたたびロサンゼルスに向かう飛行機に乗らなければならない。訪問先ではエルヴィス・プレスリーに会うことになっていた。飛行機に乗り込もうとして、リンゴが楽しそうに「六五年も生きていようぜ」と言った。

 八か月後、同じチャーター会社の運行するエレクトラ機がオクラホマ州アードモアで墜落し、訓練を終えて帰郷する兵士七十八名、乗務員五名が死亡する。そのうち三名――操縦士とエンジニア二名――は、危うく難を逃れたポートランド行きの便にビートルズと乗り合わせた人々だった。

エルヴィス

 いよいよその日が来ると、両陣営とも神経を尖らせる。(略)

バーロウはビートルズの四人の緊張が次第に高まるのに気づく。

(略)

[ついに対面]

数秒の間(略)沈黙に包まれる。プリシラは四人が緊張していると感じる。「(略)四人がとても恥ずかしそうにしているのに驚いた。(略)アイドルに初めて会う子供たちのようだった。とくにジョン――エルヴィスを見て、恥ずかしそうにおどおどしていた。(略)」。(略)

エルヴィスが、「おい君たち、いつまでもそこに突っ立っておれをじっと見てるのなら、こっちは好きなことをさせてもらうよ」と言ったのを彼女は覚えている。

(略)

ふたりのマネージャーは部屋の隅で密談に忙しい。ブライアンはエルヴィスの英国ツアーをぜひとも企画したいが、大佐には仕事と遊びを混同しない信念がある。

(略)

エルヴィスはベースを取り上げ、ジュークボックスから流れる曲に合わせて弾き始める。テレビは点いているが、音量は絞ってある。ときおりエルヴィスがリモコンを取り上げ、チャンネルを切り替える。そのときポールは生まれて初めてリモコンというものを見た。「エルヴィスがチャンネルを切り替えると、ぼくらは『ひゃあ!いったいどうやったんですか?』という具合だった」。

 エルヴィスがビートルズのためにもギターを持ってこさせ、四人も演奏に加わる。ポールはエルヴィスとベースの奏法について語り合う。いささか散漫な会話が、ジョンの一言で色めき立つ。「昔みたいにロック調の曲をやらなくなったのはなぜ?」(略)最近のはあまり好きではないと言い添える。エルヴィスが近々またロックのレコードを作ると言う。「ああ、それはいいや」とジョンが言う。「それが出たら買うよ」。エルヴィスは当惑気味。(略)

のちにジョンは「LJBを全面支持」というスローガンが目に留まったと語る。ジョンはリンドン・ジョンソン主戦論者と見なす。エルヴィスに意地悪なことを言ってやろうという気になったのは、そのせいだろうか。

(略)

 ジョンはクルーゾー警部の滑稽な物真似を始めて、「こうでなぎゃいがん……どもだちずごじとちょっどばがじのおんがぐのあるざざやがなづどいだよ」とやる。エルヴィスは面食らった様子。しばらくすると、演奏する曲もなくなり、エルヴィスとビートルズの四人も先に遊戯室に行った仲間に加わる。(略)

ジョンはカーニバルの芸人をしていた若い頃の大佐の切った張ったのエピソードを楽しむ。ライオンと組み打つやり方、踊るニワトリが踊るのはホットプレートの上に置かれたときだけ、等々。「大佐には驚いたよ、いかさま博打もお手の物の本物の芸人さ(略)それにしてもエルヴィスときたら――まったく拍子抜けもいいところさ。ひどくぼんやりして、何かの錠剤かマリファナをやってたんだろう。(略)とにかく、まったく何にも興味を示さないし、話も通じなかった」。

(略)

 正面玄関から外に出ようとする四人に、エルヴィスが「テネシーに来ることがあったら、メンフィスでまた会おう」と声をかける。

 まだ滑稽な声音のまま、ジョンが大声で言い返す。「おんがぐをありがど、エルヴィス!ゼ・キング、万歳!」そしてエルヴィスに、翌日の晩ベネディクト・キャニオンの自分たちの宿泊先に来てほしいと言う。

 「さて、どうかな。行けるかどうか」とエルヴィスが返事をする。

 帰り道、ジョンはパーティーをまったくの期待外れと形容する。「くだらないのはどっちだ、おれか、それともエルヴィス・プレスリーか」。

(略)

[脚注]五年後の一九七〇年十二月三十日、ホワイト・ハウスを非公式に訪れたエルヴィスはニクソン大統領に、「ビートルズ反米感情を煽る重大な勢力です。(略)ビートルズはこの国にやってきて、金儲けをしてイギリスに帰り、そこで反米意識を広めている」と語る。(略)

プレスリーは、ビートルズは薄汚れ、乱れた身なりと思わせぶりな音楽で、若者たちの抱える問題の多くを起こす下地をこしらえたと考えると述べた」と公式メモにある。

LSD体験

 ジョージの歯はとくに治療を必要とした。キャヴァーン時代の写真を見ると、ひどい乱杭歯なことがわかる。(略)

[ジョン・ライリーの歯科医院に通ううちに友人になる]

[パティ談]

「どんな治療をするにもジアゼパムを静脈注射した。ビートルズの四人全員あのひとに診てもらって、それが普通のやり方なのだと思っていた(略)。わたしたちはぐっすり眠り、目を覚ましたときには何をされたか、ちっともわからない。あのひとがジョージの目を覚まさせようとして顔を平手で叩くのを一度見たことがある。不気味だった――わたしたちが気を失っている間に、あのひとは何だってできた」。

(略)

[夕食に招かれたジョン&ジョージ夫妻。クラウス・フォアマンの新しいバンドを見に行くという四人に強引に食後のコーヒーを勧めると]

「君たちは帰れない」とジョン・ライリーが言った。

「なんだって?」

「君たちは今LSDを嚥んだ」

(略)

パティによると、ジョンは「かんかんになって怒った(略)貴様、なんでおれたちにそんなことするんだ?」

 大波のようにLSDが効き始めた。シンディは時が止まったと思い、おまけに全員が溺れると思った。「ビスマルク号が沈没する!ビスマルク号が沈没する!」とシンディは何度も叫ぶ。(略)

[ジョージ談]「奴はあれを媚薬と思ったにちがいない。(略)盛大な輪姦にでもなれば、奴はみんなをやるつもりでいたんだろう。動機はきっとそれだ」。

(略)

[自分が送るというライリーの申し出を]四人は断り、パティのミニにぎゅう詰めになって乗り込み、出発した。パティは車が縮んでいるにちがいないと感じた。「走っている間ずっと車がどんどん小さくなって、向こうに着いたときにはわたしたちはすっかり車の外にはみ出していた」。

 四人はピクウィック・クラブのエレベーターによろけながら乗り込み、今度は小さな赤いライトを燃え盛る焔と思い込んだ。ドアが開くと、四人は悲鳴をあげながらクラブに転がり込む。ジョン・ライリーは車で四人のあとをつけてきた。ライリーは四人と一緒にテーブルを囲み、ブタになった。

 パティは訳がわからなくなった。「人々がジョージに気づいて、近づいてくる。焦点が合ったりぼやけたり、それから動物みたいに見えた」。(略)

[別のクラブに行くと]

ミック・ジャガーとマリアンヌ・フェイスフル、そしてリンゴに出くわした。「ジョンがみなに麻薬を盛られたと話した。薬がどんどん効いてきて、わたしたちは全員ヒステリーを起こして、気が変になった。席につくと、テーブルが細長くなった」。

(略)

四人は家路に着き(略)冗談が次から次にジョンの口をついて出る。LSDは(略)駄洒落中毒には理想的なドラッグだ。

 LSDの効果が消えるのに八時間かかった。(略)

パティとシンシアが何もかも非常に恐ろしい体験と思ったのに、ジョージはそれで目を開かれたと感じた。「それまで一度もちゃんと味わったこともなければ、話したことも、見たことも、考えたことも、聞いたこともないみたいだった。生まれて初めて、無我の境地にいた」。そしてジョンは(略)最初のトリップから数週間のうちに、毎日LSDを口に放り込むようになる。

ミミ伯母さん

[ジョンの異父妹ジュリア・ベアード]は一九五六年、五十歳のとりすましたご立派な女は二十六歳年下の下宿人と肉体関係を持ったと主張し、ミミ伯母の「このうえない偽善」を告発する。

(略)

シンシア・レノンも容赦しない。「ミミ伯母は(略)ジョンの自尊心を叩きのめし、甥の心に怒りと傷を残した」。(略)知り合ってすぐに、わたしにはミミが俗物らしいとはっきりわかった。上流階級になりたがる中流階級、好んで使う言葉のひとつが『庶民』だった。(略)」。(略)

他のメンバーの家族はハンブルク行きを応援したのに、ミミは「ありとあらゆる手段に訴えて、ジョンが行くのを阻もうとした」。(略)

ドイツから戻ると、ジョンはシンシアにC&Aブランドのチョコレート色の革のコートをプレゼントした。「コートを着るととても贅沢な気分になって、早く誰かに見せたくてたまらなくなった」。ふたりは昼食にチキンを持参し、連れ立ってミミ伯母さんの家に立ち寄るが、伯母さんは嬉しそうな素振りも見せない。「ミミはコートを見て、ジョンがわたしに買ってくれたと聞くと、急に怒り出した。ジョンに向かって『ギャングの情婦』にお金を使ったわねと叫ぶと、まずわたしの手からもぎ取ったチキンをわたしに、それから手鏡をジョンに投げつけた。『これに全財産をはたいておいて、チキンでわたしのご機嫌をとれるとでも思うのかい?』とミミは怒鳴った。(略)[裏口から外に出ると]『ミミは金と猫のことしか頭にないのさ』とジョンは言った」。

(略)

ジム・マッカートニーは[キャヴァーンに]よく演奏を聴きに立ち寄ったし、ジョージの母親ルイーズも(略)息子たちを応援した。(略)

ミミはたった一度だけドアを開けてなかを覗き込み、ジョンが時間を無駄に費やしてきたのはどんな場所か確かめた。ルイーズ・ハリソンが離れたところから声をかけた。「あの子たち、すごくいいでしょう?」

「そう思ってくれるひとがいて、ありがたいわね」とミミは怒鳴り返した。「あんたたちがけしかけなければ、わたしたちは穏やかで素敵な暮らしができたのに!」

(略)

[演奏後、楽屋に行き]「とってもよかったわ、ジョン」と皮肉たっぷりに言うと、そのまま立ち去った。「ミミがそそくさと姿を消したので、ジョンは傷ついた」とシンシアは回想する。「ジョンはミミに自分を誇りに思ってほしかったのに」。

(略)

[ジョンが]初めてのシングル「ラヴ・ミー・ドゥ」を(略)[聞かせると]「もしこれでひと儲けできると思うのなら、それは大間違いね」。(略)

[シンシアとの結婚を告げると]「ミミは悲鳴をあげ、怒り狂い、本当にそんなことをするなら、もう二度と口を利かないと脅した」。

 ミミ伯母さんが俗物ということに関しては、誰もが同意する。ロイヤル・ウースター製のディナーセット、革装版のサー・ウィンストン・チャーチル選集、そして雇い入れた庭師にみなが注目した。ミミはジョージのきついリヴァプール訛りが気に入らないだけでなく、ポールのことも快く思わず、ロックンロールのみっともない世界にジョンを誘い込んだと咎めた。

(略)

[成功後]他のメンバーの家族が息子たちの名声をいつまでも畏れ、憚っても、ミミ伯母さんだけはいつもモンティ・パイソンの映画『ライフ・オブ・ブライアン』に出てくる母親(略)と同じようにジョンを扱った。「あの子は救世主なんかではありません。とんでもない悪童ですよ!」

(略)

[ジョンがヨーコを紹介すると]

「端から見た目が気に入らなかった。長い黒髪が見境いなく広がって、それに小柄で――わたしには小人みたいに見えました。(略)

『ジョン、あのいやったらしい小人は誰なの?』(略)するとジョンが『ヨーコさ』と言いました。(略)『どうやって暮らしているの?』あの女は『わたしアーティストなんです』と言うの。わたしは言ってやりました。『それはずいぶんおかしな話ね、あなたのこと、わたしは一度も聞いたことがありませんけど』」

(略)

 ジョンは終生、ミミ伯母さんとの連絡を絶やさなかった。(略)

ハンター・デイヴィスは(略)「ビートルズになっても子供との関係があまり変わらなかったのは、おそらくミミだけ」と気づいた。(略)

ジョンが太ったと思えばそう言い、無駄遣いするなと注意する。

(略)

子供の頃のジョンはミミに叱られても、たまに褒められても平気な顔をしていたが、無視されるのは嫌でたまらなかった。「無視はしないでよ、ミミ」とジョンはよく言ったものである。

(略)

死ぬまでジョンは週に一度、ミミに長文の手紙を書き、「かれ自身(Himself)」と署名して送った。月に一度、電話で話すときには、わざときついリヴァプール訛りを使ってミミをからかい、かんかんに怒らせるのが好きだった。ニューヨークに暮らすようになってからは、ミミと過ごした子供時代を思い出させてくれる品々を欲しがるようになった。ミミ伯母さんは律儀に、ロイヤル・ウースター製ティーセットやクオリー・バンク校の制服のブレザーと縞模様のネクタイを郵送した。

(略)

[ジョンはダコタ・ハウスに引っ越してこないかとしきりに促したが]

「わたしがそんなところに行くわけないでしょう。アメリカ人はとにかくいけすかない。お前だって、そんなところにいると、ろくなことになりませんよ」。

 「ジョンは暇さえあればわたしに会いに来ます」とミミは一九六八年にハンター・デイヴィスに語った。「夏には四日間も屋根の上に座っていたことがありました。わたしはジョンのために昇り降りして飲み物を運びました。感情をあまり表に出さない子なんですね。ごめんと言うのが苦手なの。でもある晩、こう言ってくれました。たとえ毎日、いや毎月会いに来なくても、毎日どこにいても、伯母さんのことはきっと考えているって。わたしには、それがとても大きな意味のあることでした」。

 一九七九年、ジョンは従姉のレイラに宛てて昔を懐かしむ長文の手紙を書き送った――「今年のクリスマスは君のことをいろいろ考えた――夜、車が通り過ぎると天井に映る影――色紙の鎖を飾りつけて(略)イギリスに行くのが怖いくらいだ、だってそれがミミに会う最後の機会になるとわかっているから――さよならを言う段になると、臆病になってね」。ヨーコも、ダコタ・ハウスでティーカップを手に椅子に座り、猫を撫でているとき、「ジョンはいつもミミそっくりに見えた」と思った。

 ジョンの幼い頃、ミミは毎年クリスマスになるとリヴァプール・エンパイア劇場で上演される『長靴を履いた猫』を観に連れていった。ある年、雪が降り、ジョンは長靴を履いて出かけた。猫が舞台に登場すると、ジョンは立ち上がり、いきなり甲高い「ミミ、猫が長靴を履いてるよ!ぼくと一緒だね!」

(略)

[63年末ビートルズ]はリヴァプール・エンパイア劇場でクリスマスショーを催した。ミミ伯母さんはジョンの用意した最前列の席を断り、観客席の後ろに立っていた。

「(略)演奏するジョンを見て(略)初めて、ビートルズにどれほどの影響力があるか気づいたんです。群衆を押しとどめようと、騎馬警官まで出動していて(略)でも、ついこう思ってしまう。『いいえ、あの子は本当はビートルなんかではありません。以前わたしと一緒に二階席に座っていて、「ミミ、猫が長靴を履いてるよ!」と叫んだ、あの小さな男の子なのよ』ってね」。

ぼくらにとってジョンは上流階級の人間だった

十代のジョージとポールの目にジョンの家は上流階級のように映った。ふたりとは違い、ジョンは家族の持ち家の半戸建住宅に住み、その家には番号ではなく〈メンディップス〉という名前がついていた。それだけではまだ上流らしさが足りないと言わんばかりに、家からゴルフコースを見晴らせた。(略)シャム猫を飼い、しかも親戚にエディンバラの歯医者とBBCの職員がいた。それにジョンには、リヴァプール・インスティテュートでポールに書字と英語を教えた叔父もいた。

 ポールはそれに感じ入った。「ジョンにはハリエット叔母さんがいて、ハリエットなんて名前はぼくらには縁遠いし、とくにハリーと呼ぶなんてね!ミミなんて女の人も知らなかった。とても上品で、とても二〇年代、三〇年代風、ジャズ・エイジ風だよ。(略)長いシガレットホルダーを手にする姿が目に浮かぶ。(略)

ジョンが中流階級そのものなのを、誰もわかっていない。とても瀟酒な地区なんだよ。(略)実際、ジョンから一族がウールトンの村全部を所有していたことがあると聞いたことがある」。『ザ・ビートルズ・アンソロジー』ではポールはさらに数歩踏み込み、「ぼくらにとってジョンは上流階級の人間だった。(略)ジョンがすぐに『こん畜生!』と言って、『ワーキング・クラス・ヒーロー』って曲を書いたのは皮肉だよね――実際、労働者階級ではなかったんだから」。

 死の直前に受けたインタビューのなかで、ジョンは自分が実際に労働者階級の英雄だったことはないと認めた。

「ぼくは行儀も身だしなみもよい、郊外に暮らす子供だった。階級社会のなかでは、公営住宅に住むポール、ジョージ、リンゴより半階級くらい上にいたことになる。ぼくの家族には持ち家があり、庭もあったが、三人にはそんなものはなかった。だからぼくは三人と比べると、ある意味ちょっとした変わり種だった。リンゴただひとりが、本当の街っ子だ。リンゴが一番悲惨な地区の出だったと思うよ。(略)ぼくはいつも身なりもよく、栄養もたっぷり摂って、よい学校に行き、中流の下の階級の善良なイギリスの少年になるように育てられた」。中年になってジョンは(略)中流階級の出だったことが、ビートルズを他のグループと異なる存在にしたと考えるようになった。なんだかんだ言って、ジョージ、ポール、ジョンは揃ってグラマースクールを卒業している。「それまでロックンローラーはみんな(略)黒人で貧しかった。南部の田舎か、都会のスラムの出だよ。それから白人は、エルヴィスみたいなトラックの運転手だ。でもビートルズについて言えば、ぼくらはみんなかなりいい教育を受けていて、トラックを運転して暮らしを立てたことはない。ポールは大学にだって行けたろう。いつも優等生だった。試験にも合格した。博士号だって、ひょっとすると取れたかもしれない。ぼくだって、勉強していればできたはずだ。しなかったけど」。

(略)

ビートルズが初めてテレビ出演を果たしたあと帰宅したポールに、弟のマイケルはこう訊ねた。「どうしてあんなしゃべり方をしたの?まるで調子の狂ったジョージみたいだったよ」。(略)ポールは小学校の卒業試験でよい点をとり、リヴァプール・インスティテュートに進学し、一段上の社会階層に上ったことをからかわれた。「ぼくらの住んでる辺りからいい学校に通う子はあまりいなかった。ぼくは『カレッジとんま』と呼ばれていた。『ろくでなしのカレッジとんま』だとさ」。

フレッド登場

ある日のこと、ひとりケンウッドにいたシンシアが玄関のドアを開けると、見知らぬ男が立っていた。「小柄で柔らかそうな白髪頭のてっぺんが薄くなっている」。男はジョンの長く行方知れずの父親フレッドと名乗ったが、真偽は一目見て明らか。「髪は乱れ、浮浪者のように靴の踵は擦り減っていた――でも驚いたことに、顔はジョンと瓜二つだった」。(略)

なかに入って待つように勧め、孫のジュリアンを紹介し、お茶とチーズトーストでもてなした。(略)

 理由は不明だが、ほんの数週間前に父親と十七年ぶりに再会したことをジョンはシンシアに言いそびれた。ジョンが六歳のとき、フレッドは親権を巡りジュリアと激しく争った。それまでフレッドは船の客室係として働き、四年間航海に出ていた。帰国早々、商店のウィンドーを叩き割り(略)マネキンを抱いてワルツを踊っているところを逮捕され、刑務所で半年を過ごした。

 フレッドは刑務所から(略)ミミに手紙を送り、ジョンの人生に役立つ何がしかの役割を取り戻す手助けをしてほしいと頼んだ。ミミの返事は手厳しい。「あんたは自分の人生をめちゃくちゃにして、家族に恥辱と醜聞をもたらした。良識のかけらでも残っているなら、ひとりでニュージーランドに行って、過去のことはいっさい忘れなさい。まさか息子に自分が刑務所にいたと知られたくはないでしょう?」

(略)

[皿洗いをしていた]ホテルの同僚がビートルズのリーダーはレノンという名で、フレッドと瓜二つと教えてくれた。

 フレッドは何度かジョンに手紙を送るが、返事は来ない。そうこうするうち「デイリー・スケッチ」紙の記者に問い合わせたところ、特ダネの気配を嗅ぎつけた記者が長らく行方不明の父親と有名人になった息子を対面させようともくろみ、ブライアン・エプスタインと交渉に入る。そして一九六四年四月一日、ついに父子は(略)NEMSの事務所で対面した。

 開口一番ジョンがフレッドに放った言葉は、控えめに言って辛辣だった。「それで、望みは何だ?」

 フレッドは何も望みはないと答える。「倅に、お前の才能は父親譲りと言ってやった(略)自慢するつもりはないが、おれだって二十五年前には今あいつがしていることをやってたのさ――もっと上手くな!」船乗りだった頃、フレッドはミュージカルの名曲を歌って船員仲間を楽しませた。十八番ともなれば、顔を黒く塗って涙にむせびながらアル・ジョルソンの「リトル・パル」を歌ったものだ。

 十五分ほどしたところで、エプスタインがBBCとの約束を口実にフレッドとジョンの話を遮った。(略)

そのときから父子の関係は長い音信不通の時期にたびたび中断されながら、愛と憎しみの間を揺れ動く。(略)

「今では、以前のように親父を憎んでいるわけではない(略)両親が別れたのは(略)ジュリアのせいでもあったんだろう。ビートルズがなかったら、ぼくも親父のようになっていたかもしれない」。

(略)

ジョンは自惚れて騒がしく、反抗的な父親が気に入り、寛大な気分のときには、フレッド――自身が孤児院育ち――も境遇の犠牲者と認めた。「親父は警戒しなくても大丈夫さ。ちょっとイカレてるけど――おれもそうだしな」とジョンはシンシアに言った。そしてピート・ショットンにもだいたい同じようなことを言っている。「いい奴だよ。ひどく愉快でね――おれと同じ変人さ」。

 その後のふたりの関係は(略)仲直りのはずが仲違いし、あらためて仲直りが必要になることもしばしばだった。順調なときにかぎって、フレッドはへまをして立場を悪くする癖がある。ある日のこと(略)ジョンは自分の書いた曲のなかでどれが好きかとフレッドに訊ねた。「お前の曲はどれもすごくいいよ(略)でもとくに気に入っているのは『ペニー・レイン』だな」。

(略)

「さあ、何か仕事を見つけないとな。ジョンはうなるほど金を持っているのに、こっちは四シリングぽっきりだ」とフレッドは父子の最初の対面のあとで記者にこう言った。(略)とはいえ、息子との関係を足掛かりに一山当てようという誘惑には抗えない。まず、フレッドは自分の半生記を「ティット・ビッツ」誌に二百ポンドで売り、その後一九六五年には歌半分、台詞半分のひどいシングル「ザッツ・マイ・ライフ」をレコーディングした。そして「生まれてこのかた、おれはずっと芸人だった」と報道陣に語った。

(略)

[ジョンから生活費やアパートをあてがわれ]

[35歳年下の婚約者]ポーリーンを連れてケンウッドを訪ね、許嫁に働き口と住むところを世話してくれないかとジョンとシンシアに頼んだ。(略)「ポーリーンは数か月わたしたちと同居したけれど、まるで悪夢だった」とシンシアは回想する。

(略)

ピート・ショットンの記憶によると、「フレディが義理の娘を誘惑しようとしたので、ジョンの堪忍袋の緒が切れた。シンがひどく取り乱すのでジョンは父親を家から追い出し、その後二度と会おうとしなかった」。

(略)

[脚注]ジョンと父親との関係は一九七〇年末、フレッドが息子に自伝を書く計画を伝えたときについに決裂する。(略)[ジョン30歳の誕生日に]「もうあんたに金はやらない、ここから出ていってくれ。(略)おれの人生に首を突っ込むなもうたくさんだ!」と言い放った。(略)

プライマル・スクリーム」療法は、父親に対する激しい感情を誘引したことが明らかになった。「あんたのおかげでおれがどんなひどい目に遭ったかわかるか?来る日も来る日もセラピーで、親父を思って泣き叫び、家に帰ってきてくれって泣いて頼んだんだ!」ポーリーンによると、ジョンは母親を何度も「売女」と呼んだ。父親の襟首を掴んで、ジョンは言った。「あんたの半生記だがな、おれの許しを得ずに何も書くなよ。それから今日ここで起きたことを誰かに話したら(略)死んでもらう」。

「イエロー・サブマリン」

もともと大勢で一緒に歌う曲なので、その宵、パーティー好きの少数の友人に加わってもらおうと第二スタジオに招待する。パティ・ボイド、ミック・ジャガーブライアン・ジョーンズ、マリアンヌ・フェイスフル、そしてビートルズの忠実な運転手アルフ・ビックネルといった面々である。

(略)

ジェフ・エメリックは誰もが(略)[マリファナで]「見るからにパーティー気分」なのに気づく。

(略)

 ジョンが水中で歌っているような響きにしたいと言い出す。うがいをしながら歌おうとしたが、しまいにむせた。すると今度は方針を変更し、水槽をスタジオに運び込ませ、頭をそこに突っ込むと言い出す。(略)

[ジョージ・マーティンが]諦めさせようと試みる。ところがジョンは粘る。エメリックが妥協案をもちかける。ジョンのマイクを水中に沈めればよいではないか。ジョージ・マーティンはマイクが壊れはしないかと懸念し、損害は弁償してもらうとエメリックに警告する。(略)

マル・エヴァンズが鞄に入れてあったコンドームを見つける。エメリックがコンドームでマイクを包み、それを水の入った牛乳瓶に浸す。レコーディングを始めようとした矢先、親分風を吹かせたがるスタジオの管理責任者ファウラー氏が万事順調か確かめようとドアの向こうから顔を出す。

 エメリックには、もしファウラー氏が牛乳瓶のなかのマイクを見つければ、自分は即刻馘とわかっている。しかしジョンは頭の回転が速い。ファウラー氏の姿を見たとたん、装置を掴んで背後に隠す。

「諸君、万事順調かね?」とファウラー氏が問いかける。

「はい、スタジオ管理部長殿、このうえなく完璧であります」とジョンが言い、ジョージ・マーティンを含む全員がくすくす笑いをこらえる。

 レコーディングが始まるが、水中音がうまく録れず、そのうち取りやめになる。さあ、パーティーを楽しもう!

 ビートルズはスタジオの「道具部屋」の名で知られる巨大な戸棚、がらくたの宝庫を漁る。雷雨の効果音を出す道具、古いホース、サッカーの応援に使うガラガラ、戦場で使われたハンドベル、鎖、ゴング、送風器、ホイッスル、警笛。ポップ界の貴族たちは手当たり次第に摑むと、陽気なざわめきとグラスを合わせる音の響くなか、みなが声を揃えて歌い出す。(略)二番に入って最もよく聞こえるのは、それまでは囁くような話し方だったパティ・ボイドの声。

(略)

パーティーの客がガチャガチャ、くすくす、ガラガラ、ぶうぶうやる間に、ジョンがグーン風の声音で、「全速前進、甲板長!全速前進!」と言う。その宵は、マル・エヴァンズが胸につけた大きなバスドラムを叩きながらスタジオ内を歩き回り、全員がその後ろに続いて、ホーとかワーとか言いながらコンガを踊って幕となる。

「オラ・ナ・タンジー

ある静かな日曜日(略)[ドノヴァンのアパートにポールがやってきた](略)

 ふたりはマリファナを一、二本燻らせた。ポールは目下取り組んでいる二曲をドノヴァンに弾いて聞かせた。ひとつは黄色い潜水艦の歌で、もうひとつはこんな具合。

 

オラ・ナ・タンジー

パイプに泥をつめ、闇のなかで恍惚としている

誰も……とは言えない

(略)

 そのうちに「オラ・ナ・タンジー」は「エリナー・リグビー」に変化し、泥をつめたパイプを持って闇のなかで恍惚としていたものが、結婚式の執り行なわれた教会の米(rice in the church where the wedding had been)に変身を果たす。

(略)

 ポールは「オラ・ナ・タンジー」を「デイジー・ホーキンズ」に変えてみたけれども韻律に合わず、さらに変更し、今度は「エリナー・リグビー」にした。

ナンセンスな駄洒落

 ジョンのナンセンス好みは、読み書きを習った頃にまで遡る。ミミ伯母さんは幼い頃からジョンの綴り方が目立って突飛だったことを覚えている。「『水疱瘡(chicken pox)』はいつも『鶏鍋(chicken pots)』でした。エディンバラに住んでいた妹のところに遊びに行ったときには、葉書に『懐が寂しくなっている(Funds are getting low)』と書くつもりが『楽しみは低くなっている(Funs are getting low)』と書いて寄越したんですよ」。子供の頃はエドワード・リアとルイス・キャロルの作品に夢中になり、友だちに「ジャバウォックの詩」を何度もくりかえし朗読して聞かせた。「ときしもぶりにく、しねばいトーヴが、くるくるじゃいれば、もながをきりれば……」。ジョンは生涯、駄洒落や言葉遊びに大喜びし、たった一文字替えるだけで意味がたちまち無意味に転じるさまを見て悦に入った。

(略)

 ポールは、「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」と「アイ・アム・ザ・ウォルラス」はどちらもジョンの「ジャバウォックの詩」に対する偏愛から生まれたと考える。「『ぼくはかれで君もかれ……』。ジョンがそんな歌詞を書けたのは『ジャバウォックの詩』のおかげだよ」。幼なじみのピート・ショットンは「ごく早い時期から、ジョンの最大の望みは、いつの日か自分で『アリス』を書くことだった」と記憶している。

 十二歳のジョンは毎晩キャロルとリアの模倣に熱中し、まずそれを練習帳に書きつけてから、「日々の遠吠え(Daily Howl)」と題する手書きの新聞に書き写すのだった。

(略)

 ジョンはラジオでグーンズの容赦なくとめどない駄洒落を聴くのが大好きで、翌日には教室でそれを真似してみせた。十六歳の誕生日祝いにもらったお金で、七十八回転のレコードを二枚買った。一枚はエルヴィス・プレスリーの「ハウンド・ドッグ」。もう一枚はグーンズの「イン・トン・ソング」(略)

 グーンズの台本はすべて、鬱病を患い、駄洒落に翻弄されて生きるスパイク・ミリガンがすさまじい勢いで書いたもので(略)成功が絶頂をきわめた頃、グーンズの第三シリーズを執筆中にミリガンは完全な神経衰弱に陥る。(略)

まもなくグーンズの共演者ピーター・セラーズを殺さないと頭が元に戻らないと思い込む。その結果ミリガンはセラーズの家に行き、ガラス戸を通り抜けようとして全身傷だらけになり、拘束衣を着せられ精神病院の隔離病棟に収容される羽目になった。(略)

世界の狂い方が足りないと気づくたび、ミリガンの頭脳は世界をもっと狂わせる術を見いだした。(略)ミリガンは世界に(略)自分のジョークの前に頭を垂れさせたいと願った。さもなければ相手をひどい目に遭わせる。一九五四年、グーンズの面々とコヴェントリーで舞台に立ったときは、観客の反応の鈍さに苛立ちを募らせた。とうとう堪忍袋の緒が切れて、「お前ら全員、もう一度空襲されるがいい!」と怒鳴って舞台を降り、楽屋に鍵をかけて閉じこもった。グーンズの共演者がようやくドアをこじ開けたとき、ミリガンは椅子の上に立って首に輪縄をかけ、縄の反対の端を頭上のパイプに引っ掛けようとしていた。

 駄洒落は言葉の統合失調症で、そこでは一つの言葉が同時に二つの方向を指し、同時に二つのまったく異なる事柄を意味する。シェイクスピアの登場人物は狂気に呑まれ始めると、駄洒落の世界に転げ落ちる。「ニューヨーク・タイムズ」紙に寄せた書評のなかで、ジョンは「グーン・ショー」の台本を「現実に対する陰謀。知性のクーデター」と評した。

(略)

 ポールと友だちになったばかりの頃、ジョンはよく前の晩にタイプ打ちした駄洒落に基づく冗談を読ませ、その多くがのちにタイトル自体が駄洒落の『絵本ジョン・レノンセンス』に収録された。「ぼくらは座ってくすくす笑いながら駄洒落を言っていただけ、だいたいそんなところだね。モーカムの早いふくろうたち (In the early owls of the Morecombe / In the early hours of the morning) とか。タイプライターに挟んだ紙に『コップ一杯の歯 (a cup-o-teeth / a cup of tea) 』と打ってあるのを見た覚えがある」。

 ビートルズ (The Beatles) の名を聞いても、今では誰もおかしいと思わない。(略)

ジョンとスチュアート・サトクリフは(略)[テディ・ベアーズや]クリケッツのような動物の名前を考え出そうとしていた。ふたりは「ライオンズ」や「タイガーズ」を経て、「ビートルズ」を思いつく。いかにもひねくれ者らしく、ジョンは(略)そこに「ビート(beat)」を取り込み駄洒落にした。

 ビートルズ初期の頃からジョンがファンに送った長文の手紙は言葉遊びが散りばめられ、多くは解しようがない。一九六一年か六二年にノルウェーの少女リンディ・ネスに宛てた手紙は「ぼくは指一本でこのレタス(lettuce)[手紙]を君のためにタイプしている」と始まり、続けて「額の国のユングの少女 (a jung girl in forrid country) [異国の少女 (a young girl in foreign country)] の前に立ちはだかる邪悪な誘惑」に気をつけるよう警告する。

(略)

ヴィクター・スピネッティはジョンとともに『絵本ジョン・レノンセンス』を舞台用に脚色した。スピネッティはジョンがやすやすと言葉遊びを思いつくのに目を瞠る。(略)

わたしは肩越しに、「ジョン、ここに女王の挨拶が欲しいんだけどね」と言った。ジョンは躊躇なくシンシアが買ったばかりのシャツに入っていたボール紙を掴んだ。

 

 我が在宅と目玉にとって青のコーナー、体重二ストーン三オンスの忠義な船を糾弾するのは大いなるプレッシャーであり、かれはそのとき憚に座っておりました。

 My housebound and eyeball take great pressure in denouncing this loyal ship in the blue corner, two stone three ounches, and he was sitting on the lav at the time.

 

 「『これでどう?』とボール紙をわたしに押しつけてジョンは言った。一度も手を休めなかった。一か所も訂正していない」。

次回に続く。

ワン、ツー、スリー、フォー ビートルズの時代

ジョンは火、ポールは水

[『ヘルプ!』で共演したヴィクター・スピネッティがロケ中風邪で寝込んでいると]

真っ先にやって来たのはジョージ(略)『枕をふくらましに来たよ。病気で寝込んだら、枕をふくらましてもらわないといけない』と言った。(略)次にやってきたジョンは(略)ナチを真似て『勝利万歳、こん畜生!お医者様のおでましだ。医者どもがやってきて、あんたを実験台にするぜ。勝利万歳、ヒトラー万歳!』とドイツ語で怒鳴り、部屋から出ていった。するとリンゴがやってきて、ベッドの脇に腰掛けると、ルームサービスのメニューを手にとり、まるで子供にでも読み聞かせるように大声で、『昔々、三匹の熊がおりました。かあさん熊、とうさん熊、赤ちゃん熊です』と読み上げて、引き上げた。ポールがドアを三センチほど開けて、『うつるのかい?』と訊く。『ああ』と答えるとドアが閉まり、それっきりポールの姿は見かけなかった

(略)

エプスタインの片腕としてつねに行動をともにしたアリステア・テイラーは、ビートルズの面々が稼いだ金をどう扱うかをつぶさに観察した。「毎月ブライアンは四人にひとりずつ、項目ごとにきちんと正確に計算した収支報告書を白い封筒に入れて手渡すことにしていた。(略)ジョンはすぐさまくしゃくしゃに丸めてポケットに押し込んだ。ジョージはなかを覗くことがある。リンゴはどう見ても書いてあることを理解できなかったし、理解しようとして時間を無駄にすることもない。ポールは丁寧に封を開け、事務所の隅に腰を落ち着けて、何時間もかけて入念に目を通した」。

(略)

エンジニアとして立ち会ったジェフ・エメリックはふたりの仕事ぶりを観察した。「(略)ポールは緻密で頭のなかの整理が行き届いている。どこに行くにもノートを携えて、歌詞やコード進行を丁寧な字で書き留める。かたやジョンときたらカオスのなかに生きているようだった。しょっちゅうどこかに紙切れはないかと探し回り、思いつきを慌てて走り書きする。ポールは生まれつき説明するのがうまい。ジョンは自分の考えをうまく言葉にするのが苦手だ。ポールは駆け引き上手。ジョンは煽動ならお手の物。ポールは言葉遣いも穏やかで、ほぼつねに礼儀正しい。ジョンはかなりおしゃべりにもなり、相当ずけずけものを言う。ポールは細かいところまで納得がいくように、長い時間をかけて話し合おうとした。ジョンはせっかちで、すぐに次のことに取りかかりたがる。ポールはたいがい自分のしたいことがはっきりわかっていて、批判されるとしばしば腹を立てた。ジョンははるかに図太く、他人の言葉にも耳を傾けようとした」。

(略)

ポールは人当たりがよく、如才なく、愛想もいい。ところがポールのこうした魅力の陰に、何かしら頑なな、おそらく利己的とも呼べそうなものが潜んでいることに気づいた人々もいる。

ビートルズの広報担当を務めたトニー・バーロウは「不満を盛んに口にするのはジョンだった、とくにブライアン・エプスタインに対しては。ただブライアンとの口論となると、ポールがジョンに言いにくいことを言わせておく感じがした。そして説得にかかり、話をまとめる。ジョンはときにブライアンに悲鳴をあげさせることもあったが、世知に長けたポールは穏やかに相手を言いくるめて、自分の言い分を通してしまう。ジョンはわめくわりに、噛まれても痛くない。自己評価の低さを隠そうとしてわめくんだ。(略)ポールは誰かれとなくチケットでもプレゼントでも何でもあげようと約束しておいて、あとはわたしのような人間にやらせる。ポールはひとによく思われたがった。いくらでも約束するが、実行が伴わない。じつに魅力的で、世間の受けは申し分なく、イメージ作りの腕は名人級だ。骨の髄から爪先まで、生粋の芸人だったし今もそうだ。観客に受けるのがなにより嬉しい」。

(略)

ポールは自分を愛すべき人間と考えた。ジョンは自分を愛しようのない人間と思い込んだ。ポールはあるとき、ふたりがどうしてそんなに違った人間になったか説明しようとしたことがある。「ジョンはね、育ちとそれから家庭が不安定だったせいで、とっつきにくくもなれば、機知に富んでもいなければならなかったし、すぐに誤魔化したり言い返したり、打てば響くという感じのちょっとした受け答えをいつも用意しとかなければならなかった。それに比べてぼくはのんびり育って(略)北部っぽく『お茶はどう、坊や』なんて言われてきたから、表向きは気楽な感じに育った。人当たりもいい。(略)

ところがジョンときたら、親父さんが家にいなかったから、『お前の親父はどこに行ったんだ、ろくでなし』とやられる。それにお母さんは別の男と住んでいて、当時そういうのは『罪深い暮らし』とされていたから、それもまた下卑た悪口の種になる。ジョンはいろいろなことから身を守らないといけなくて、それでああいう性格になった。ジョンはちょっとやそっとでは心を開かなかった。(略)」。

(略)

 十代の頃からふたりは目的意識をもって曲作りに取り組んだ。ポールは授業をさぼり、ジョンがフォースリン・ロードのマッカートニー家にやってくる。ポールが白い紙に青い線の入った学校のノートを開き、新しいページに「レノン=マッカートニーの新しいオリジナル曲」と記すと、さっそくふたりは次の曲作りに取りかかる。(略)ポールは一曲もできなかった午後はなかったと言う。(略)

ポールが「ぼくらはうまくやれるさ」を思いつくと、ジョンがすかさず「命短し」と切り返す。ポールが「だんだんよくなる」と歌えば、ジョンが「これより悪くなりようがない」と割り込む。

(略)

解散して十四年後、ポールは(略)こう語った。「いまひとつなのはわかってる。(略)外からの注入というか刺激みたいなものが必要なんだけど、それがなくなってしまった。(略)リンゴかジョージがどこか気に入らなければ、それはやらない。ぼくの曲はそういう外からの刺激がないと、ポップになりすぎてしまう。それでもぼくはいつもラヴソングやおめでたい歌が書きやすい」。

ポールの両親のなれそめ

 メアリー・モーヒンは三十歳(略)病院で働く看護師だ。

 ジム・マッカートニーは三十八歳(略)

 片方の耳が聞こえないため、兵役を免除されたジムはファザカーリー消防団に所属(略)

 メアリーはジムの妹ジンと同じ下宿で暮らしている。メアリーとジムはもう何年ものあいだ懇意の仲だが、どちらも相手を恋愛対象と見なしたことはない。

(略)

[ナチの爆撃機が飛来]ジムとメアリーは座って何時間もおしゃべりする。警報が解除される頃には、ふたりは互いに結ばれる運命にあると感じる。

ジョンとポールのなれそめ

 一九五七年七月六日(略)ポールとアイヴァンは教会を出発するカーニバルの行列を見物した。(略)最後尾では(略)スキッフルグループ、クオリーメンがトラックの荷台に乗り、演奏していた。(略)

墓地のすぐ先の野原で演奏の準備を始める。アイヴァンとポールは入場料の三ペンスを払って見に行った。ふたりが最初に聴いたのはジョンが歌うデル・ヴァイキングズの「カム・ゴー・ウィズ・ミー」。ポールは演奏に惹きつけられたが、それはジョンの弾くコード進行が面白いからだけでなく、ジョンが演奏しながら適当に歌詞をつけるのがうまいのに感心したせいだった。当時でさえ、ジョンは歌詞を覚えるような面倒はまっぴら。この即興の流儀でジョンは「マギー・メイ」、「プッティング・オン・ザ・スタイル」、そして「ビー・バップ・ア・ルーラ」を次々に歌った。

(略)

「殴られそうで怖いから、あまりじろじろ眺めたりしなかった」。ポールは恥ずかしそうに辺りをうろつくばかり。(略)しばらくして、ポールは思い切ってジョンに話しかけ、ギターに触ってもいいかと訊いてみた。ギターを手にすると、もっと大胆になった。まずチューニングし直していいかと訊き、そして何曲か弾き始めた。「トウェンティ・フライト・ロック」、「ビー・バップ・ア・ルーラ」も歌った。(略)

ますます大胆になって、ポールはピアノに近づき、リトル・リチャードの曲をメドレーで弾いた。(略)自分のアイドルそっくりにシャウトできる少年が目の前にいる。

「ウーーーーー!」

「『こいつ、おれと同じくらいできる』かもしれない(略)グループに入れたらどうなる?(略)ちゃんと言うことを聞かせなくては(略)それにしてもこいつはうまい(略)見た目もエルヴィスに似ている」。

 グループのもうひとりのメンバーは、ふたりが「猫のように」互いを値踏みし合う姿を覚えている。

ジュリア

 ある日の昼下がり、ジョンは思い切って母親の寝室に入ってみた。ジュリアはダークグリーンと黄色の斑のタイトなブラウスの上に黒いアンゴラのセーター姿でうつらうつらしていた。ジョンはその光景を鮮明に記憶する。ジョンは母親の隣に身を横たえ、思いがけず、片方の乳房に触れた。この一瞬をジョンは終生、何度もくりかえし思い浮かべる。「何かもっとしてもいいのかなと思ったよ。奇妙な瞬間だった、というのもその頃ぼくは通りを挟んで向かいに住んでいた下層階級の女と、よく言うだろう、よろしくやっていたからね。今はやっておけばよかったと思ってる。たぶん、やらせてくれたんじゃないかな」。

 ジョンの友人たちの目に、ジュリアは生き生きとした蓮っ葉な女と映った。ピート・ショットンが初めてジュリアに会ったとき、「着古したウールのニッカーズを頭に巻いたほっそりした魅力的な女性が、少女のように甲高い笑い声をあげ、踊りながら玄関の外に出て、迎えてくれた(略)まあ、この子がピートね。ジョンからあなたの話はたっぷり伺ってるの」。ピートは握手しようと手を差し出すが、ジュリアはそんな礼儀などお構いなし。「ジュリアはわたしのお尻を撫で始めた。『まあ、なんて可愛いスリムなお尻なの』と言ってくすくす笑った」。

(略)

 ジュリアの四十一歳の胡散臭い愛人ボビー・ダイキンズ――「神経質そうに咳き込み、禿げかかった髪をマーガリンで撫でつけたちびのウェイター」とはジョンの言葉(略)

[飲酒運転&逃亡で一晩勾留]一年間の免許停止処分と罰金二十五ポンド(略)ダイキンズは家計を切り詰めるのが適切と判断し、十七歳のジョンを標的にする。自分たちにはもはやジョンの飽くなき食欲を満たす余力はないとダイキンズは伝えた。君はジュリアの姉ミミと暮らさなくてはならない。七月十五日、ジュリアはメンローヴ・アヴェニューに立ち寄り、ミミにこの新しい展開を伝えた。

 ミミと話をつけたジュリアは、午後九時四十五分に帰路につく。(略)家を出ようとしたところにジョンの友人ナイジェル・ウォリーが立ち寄ったが、ミミからジョンは留守と告げられる。「まあ、ナイジェル、ちょうどいいわ、バス停まで連れてってくださいな」とジュリアが言った。ナイジェルはヴェイル・ロードまでジュリアに付き添い、そこで別れの挨拶を交わし、脇道に入った。ジュリアがメンローヴ・アヴェニューを渡ったとき、ナイジェルは「車がスリップしてドスンと何かにぶつかる」音を聞き、「振り向くとジュリアの身体が宙を舞っていた」。ナイジェルは駆け寄った。「見るも無惨というほどではないにせよ、内臓がひどく傷ついていたにちがいない。即死だったと思う。ジュリアの顔にかかる赤毛がそよ風に揺れていたのが今でも目に浮かぶ」。(略)

何か月もの間、ジョンはナイジェルとは口を利こうとしなかった。「心のなかで、死んだのはぼくのせいと思っていたんだろう

「ミッシェル」

[1960年]

ポールは、黒のタートルネックを好んで身に着け、ミステリアスに振る舞うようになる。手本はジャック・ブレル。(略)

ギターを携えてパーティーに顔を出し、フランス語の歌を爪弾く。歌詞はきまって「リュバーブ、リュバーブ」。(略)フランス語の単語はひとつしか知らず、それも人名の「ミッシェル」。韻を踏む単語はひとつも思いつかない。

(略)

[五年後]ジョンはふとポールがパーティーでよくフランス語の歌をうたっていたことを思い出した。ポールはまたしても「ミッシェル」と韻を踏む単語がなかなか見つからず悪戦苦闘していた。フランス語の訪問教師ジャン・ヴォーン(ポールのかつての級友アイヴァンの妻)が「マ・ベル(ぼくの美しいひと)」はどうかともちかける。ポールはそこで「とても並びのいい言葉だね」をフランス語に訳してほしいと頼み、のちにこの協力に感謝して小切手を送り届けた。発売されてまもないニーナ・シモンの「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー」を聴いたあと、ジョンが合いの手に「アイ・ラヴ・ユー、アイ・ラヴ・ユー、アイ・ラヴ・ユー」を入れた。

ハンブルク

 一九六〇年八月十六日

 ウェールズ人マネージャー、樽腹のアラン・ウィリアムズが所有するクリーム色と緑のツートンカラーのオーステインのバンに乗り込むジョージはまだ十七歳。

(略)

ジム・マッカートニーは内心不安でならないが、ポールの邪魔立てはしたくない。(略)週給は二百十ドイツマルク、これは十七ポンド十シリングに相当する。英国の平均週給は十四ポンド。「息子はわたしが週に稼ぐのと同じ額を提示されている。行くなとは言えないだろう?」

(略)

アムステルダムで一息入れ、その間ジョンは万引きに精を出し、アクセサリー二点、ギターの弦数本、ハンカチ数枚、それからハーモニカをせしめる。マネージャーの役割を果たそうとウィリアムズはジョンに店に返しに行くよう命じるが、ジョンは言うことを聞かない。

(略)

レーパーバーンに着くと一行は一瞬、言葉を失う。夥しいネオンの輝きに目が眩み、開け放ったいくつものドアの向こうを覗けば女たちが服を脱いでいる。それでもまもなく持ち前の遡る情熱を取り戻し、「リヴァプールっ子のおでましだ!」と声を限りに叫ぶ。

(略)

 ビートルズはたびたび面白半分に同じ曲を十分も二十分も演奏し続ける。ある晩、賭けをして一曲――レイ・チャールズの「ホワッド・アイ・セイ」――を一時間以上演奏し続ける。

(略)

[ピート以外の]四人は安いドラッグ――パープル・ハーツやブラック・ボマーズ、プレルディン(略)――をごちゃ混ぜにして嚥み、どんちゃん騒ぎに明け暮れる。

(略)

 当然ながら、錠剤を誰より多く口に放り込むのはジョン・レノン(略)卑猥な言葉を叫び、ステージの上で寝そべって転げ回り、メンバーに食べ物を投げつけ、せむしの真似をし、ポールの背中に飛び乗り、観客のなかに飛び込み、「くそったれのドイツ野郎」、「ナチ」、「ドイツのかたわ」などと呼んでは大喜びする。

(略)

首に便座をかけ、箒を手に「勝利万歳!勝利万歳!」と呼ばわり練り歩く。

(略)

 様子を見にハンブルクを訪れたシンシアは、薬とアルコールですっかり前後不覚のジョンがステージの上で「ヒステリーを起こしたように痙攣しながら笑い転げるのを見る。ステージを降りても獣じみた振る舞いは変わらない。道行く尼僧たちにバルコニーから小便をひっかける。バンドの他のメンバーも素面とはほど遠い。曲と曲の合間にポールがスチュの美人の恋人アストリット(誰もが彼女に惚れた)に下品なことを言うと、スチュはしかるべくパンチをお見舞いする。ポールもやり返し、たちまちふたりはステージ上で取っ組み合いを始め、ポールの記憶によると「喉輪攻めみたいなもの」までくりだす。ところがこの見せ物――「しっかりやれ[マック・シャウ]!ショーを見せろ[マック・シャウ]!」が大いに人気を博す。かれらはこの界隈で「気狂いビートルズ」の名で知られるようになる。

(略)

ウェイター(略)は思い切り蹴飛ばすのに向いたごついブーツを履き、バネで留めた警棒をズボンの腰に挿し、上着の下にこっそり隠している。カウンターの陰には催涙ガスが用意してあり、小競り合いが暴動になりかねないと見ればすぐに手に取れる。やがてビートルズは、毎晩十時、未成年の客にドイツ語で帰宅時間を告げる役を割り振られる。「ただいま二十二時。これからパスポート検査を行なう。十八歳以下の若者は全員、クラブを出るように」。

 

 ブルーノ・コシュミダーは陽気で愉快なもてなし上手とは裏腹の男だ。(略)性質は粗暴。節くれだった堅木作りのドイツ製の椅子の脚を振り回しながら、自分の経営するクラブをパトロールする。客が手に負えなくなったり、不平を訴える声が耳障りになったりすると、その客は二つ折りにされてコシュミダーの事務室に連行され、床に磔にされ、例の椅子の脚で青痣だらけになるまで殴られる。

 

 明け方近く、コシュミダーのクラブ経営者仲間が寝酒をやりに立ち寄る。(略)連中はビートルズをピーデルズ(Piedels)と発音する。ドイツ語の俗語で「おちんちん」を意味する。

(略)

[ピート・ベスト回想]

「映画館の便所と隣り合わせの、どぶのように暗く湿って、どぶのように魅力的なおれたちの汚いねぐらに、間違ってもご婦人を招くなんて思いもよらないだろう?(略)ところが、それができたんだ、しかも女の子たちは誰ひとり、いやとは言わなかった」。

(略)

ポールによると、ジョンがある晩、「びっくりするほどエキゾチックな女」とうまくいきそうになったけれども、「よくよく見たら彼女は彼だった」という。

(略)

女の子たちの多くはヘルベルト通りの娼婦で、イギリスからやってきた陽気な若者たちの相手ならと、通常の料金を喜んで放棄してくれる。

(略)

 「指をぱちんと鳴らせば、女の子たちが服を脱いで、さあいらっしゃいとなったらどんなにいいだろうと夢見たものだった」とジョンはアリステア・テイラーに語る。「十代のほとんどは、女をそんなふうにできる力があったらいいなと空想して過ごしたようなものだ。おかしなことに、空想が現実になると、それがたいして楽しくもない。(略)

ものにした女の数が増えれば増えるほど、そうした違和感が反発と嫌悪感の入り混じるひどく不快な気持ちに変わった」。

ポールの選択

[ライバル店に引き抜かれたことで]ギャングまがいのコシュミュダーは復讐をもくろみ、ジョージが未成年であることを警察に通報し、ジョージはしかるべく送還される。(略)続いてポールとピートが宿舎に放火したと警察に偽りの通報し、両名も同じく送還される。(略)ふたりは無一文でリヴァプールに帰り着いた。十日後、ジョン・レノンもふたりに続く。(略)

 楽器や機材のほとんどはハンブルクに置いたままだった。

(略)

 三か月留守にした間に、流行も進んだ。いまや誰もがシャドウズを真似て細身のスーツを身に着け、楽器を演奏しながら、息の合ったお決まりのダンスをしてみせる。初めのうち、ビートルズの誰もがひどく気落ちするあまり、互いに連絡を取り合おうともしなかった。ジョージはポールとジョンも帰国したとは知らなかった。ジョンは落胆してメンディップスの寝室に引きこもり、誰とも会おうとしない。ミミ伯母さんは我が身の不運を嘆くジョンを渋々ながら甘やかしてくれたけれども、ジム・マッカートニーは家のなかをうつむいてうろうろする息子を許してはおかない。(略)

ポールは短期間、運送会社の手伝いをしたあと、コイルを製作するマッシー&コギンズ社で単調な骨折り仕事に勤しむ。ポールがミュージシャンと知った同僚たちはさっそく「マントヴァーニ」と綽名をつけた。利発で人柄もよいポールはたちまち、将来主任も望める器として目をつけられる。(略)二、三週間後、ジョンとジョージがポールをマッシー&コギンズ社に訪ねてきた。キャヴァーン・クラブのランチタイム・ライヴに出演することになったので、ポールにも加わってほしいと言う。ポールはふたりに、自分は定職に就いて週給七ポンド十シリングもらっている、「ここでいろいろ教えてもらってるんだ。とても恵まれてる。これ以上は望めないよ」と言った。しかしふたりはしぶとく粘り、ポールも折れ、一九六一年二月九日に仕事をさぼり、キャヴァーンのランチタイム・ライヴで演奏した。(略)

[雇用主から警告されたのか翌週の出演を渋るポール]

「今日来るか、それとももうバンドのメンバーじゃなくなるか、どっちかにしろ」とジョンは鋭く言い放つ。(略)

「おれはいつも言ってやった、『親父に立ち向かえ、余計なお世話と言ってやれよ。息子を殴ったりできないさ、もう老いぼれじゃないか』。(略)なのに、ポールはいつでも父親の言うことを聞いた。(略)グループを捨て、「定職に就かないとね」と言って運送会社の仕事を始めた。信じられないよ。(略)」。

(略)

[結局]ポールは会社をさぼってふたたびビートルズの一員となった。一週間後、ポールは郵送されてきた給与袋を受け取る。なかには国民保険証と解雇通知が同封されていた。

ピート・ベスト解雇の黒幕

[エプスタインとの話し合いは二時間続いた]

 ニール・アスピノールが階下で待っている。(略)

「おれは追い出された!」とピートが言う。ニールはピートの母親と付き合っている手前、それなら自分も辞めると言う。(略)

「馬鹿な真似はよせ――ビートルズはきっと成功するよ」

(略)

[その晩の]ライヴには行かない。「おれは裏切られた、裏切った三人と一緒にステージに立つのは、おそろしく深い傷に塩を擦り込まれるようなものだったろう」。

 ビートルズが二週間前にパーロフォンから契約の申し出を受けたとピートが知るのは、あとになってからのこと。(略)

 ピートの直情径行型の母親モナは、ブライアンが登場するまでグループの世話に手を貸し、かれらをずっと「ピートのグループ」と呼んでいることもあり、ロンドンのジョージ・マーティンにすぐさま電話をかける。人当たりのいいレコードプロデューサーは母親に(略)ピートをメンバーに残すかどうかを決めるのは自分ではありませんと請け合う。

 腹を立てたモナはブライアン・エプスタインを咎める。「それは嫉妬よ、ブライアン、ファンが断然多いのはピートだから嫉妬してるのよ――リヴァプールビートルズのファンを増やしたのはピートなのよ!」

(略)

 誰が企てたのか?(略)『ザ・ビートルズ・アンソロジー』(略)でポールはこう回想する。(略)オーディションを受けたあと、ジョージ・マーティンがほかの三人を脇に連れていき、「ドラマーがどうもよくない。代えることを考えてみてくれないか」と言った。「ぼくらは『いや!そんなことはできない!』と言った。(略)ピートを裏切れるか?いや。でもぼくらの将来がかかっている。契約を取り消されるかもしれない」。

 ところがジョージ・マーティンは一貫して、ピートが解雇されたのに面食らったと主張した。ピートのドラムには感心しなかったし、揃ってふざけ合うのが好きな他の三人についていけないのにもたしかに気づいた。「だからといってブライアン・エプスタインがピートを外すとは思わなかった。容姿にかぎって言えば、ピートが一番売り物になりそうだったしね。(略)わたしにとってドラムは重要だったが、それ以外ではさして重要ではない。ファンはドラムの良し悪しなんて、たいして気にしない」。

 いっぽうピート・ベストは、ビートルズのドラマーとして過ごした二年間に、ドラムの上手下手について誰からも文句を言われたことはないと主張した。

(略)

 時が経つにつれ、ジョンは(略)次第に言いたいことを言うようになった。

 「ぼくらはピート・ベストには辟易していた」。一九六七年にジョンはこう言った。「ひどいドラマーだった。全然上達しない。ピートについては、奴はすごくて、しかも美男だからポールが嫉妬したとか何とかいう馬鹿げた神話が前からあった。(略)そもそもピートが加入した唯一の理由は、ハンブルクに行くにはそれしか方法がなかったからだ、ドラマーが必要だったんだ。(略)まともなドラマーさえ見つかれば、ぼくらはいつでもピートをお払い箱にするつもりだった」。

(略)

ピートはしょっちゅう具合が悪くて休むと電話してきたとジョージは言う。それでリンゴによく代役を頼んだら、「リンゴがドラムの前に座るたびに、『これだ』という感じがした。そのうちにぼくらは、『リンゴにフルタイムでバンドに入ってもらうべき』と気づいた。そういうふうに持っていったのは、まあぼくだと言っていい。リンゴにずっといてもらえるようにもっていった。みんながその気になるまで、ジョンに働きかけたんだ。

ジョンの結婚

 一九六二年七月、シンシアは妊娠に気づく。ジョンはいい顔をしないだろうと思い、数日間打ち明けるのを先延ばしにする。(略)「報せを聞いて実感が湧くと、血の気が失せて、恐怖の色が目に浮かぶのがわかった。『そうなれば、することはひとつしかないな、シン』とジョンは言った。『結婚しなきゃ』」。

 その必要はないとシンシアはジョンに言う。ジョンはそうしたいと言い張る。翌日、ジョンの話を聞いて、ブライアン・エプスタインは何もそこまでしなくてもいいだろうと言う。(略)ブライアンは(略)ファンの熱が冷めるのを恐れる。ジョンがミミ伯母さんに話すと、甥を罠にはめようとしたとシンシアを責め、結婚式にはいっさい関わらないと言い放つ。

 ジョンが真剣と悟って、ブライアンは手続きの代行を引き受け(略)式は二週間後と決まる。

 八月二十三日(略)シンシアはフリルのついた襟の高い白いブラウスの上に紫と黒のチェックのツーピース、黒い靴を履き、黒のハンドバッグを手にしている。ブライアンは運転手付きの車にシンシアを乗せ、マウント・プレザント登記所まで付き添う。ブライアンは道すがら、君は素敵だよと声をかけ、シンシアの昂る神経を鎮めようとできるだけのことをする。

 ふたりが到着すると、待合室にはすでにこざっぱりした黒のスーツ姿のジョン、ポール、ジョージが揃い、うろうろ歩き回っている。

(略)

[登記簿に署名後]角を曲がった先の〈リースズ・カフェ〉に行ってランチ

(略)

花嫁花婿と五人の招待客は列に並んでスープ、チキンとデザートのトライフルをよそう。(略)ジョンは誇らしげな様子。シンシアは嬉しくて天にも昇りそうな気分。「教会で一番贅沢な式を挙げても、あれ以上幸せにはなれなかったと思う」。

 ブライアンはふたりに「ジョンとシンシアの幸運を祈る。ブライアン、ポール、ジョージ、六二年八月二十三日」と彫り込んだ銀メッキの灰皿と、JWLのイニシャルをエンボス加工した革のポーチ入り髭剃りセットをプレゼントする。ジョンはそれ以降、どこに行くにもこのポーチを持っていく。ブライアンは(略)フォークナー・ストリートにジョンとシンシアが静かに暮らせる部屋があるから、好きなだけそこに住んでいいと言う。シンシアは興奮のあまり、ブライアンに抱きつく。ブライアンはきまり悪そうな様子。

(略)

[その晩のライヴ]ジョンは不機嫌そうで、前座を見て癇癪を起こし、「お前ら、おれたちの曲をみんなやる気か!」と怒鳴る。ジョンは誰にも新婚ほやほやとは教えない。ビートルズの新しいドラマー、リンゴ・スターですら蚊帳の外。

エプスタインの交渉術

 一九六二年十一月(略)二十二歳の[興行主]ピーター・ストリングフェロー(略)[NME誌のビートルズの広告を見て電話]

エプスタイン氏が応対し、ビートルズの出演料は五十ポンドと言った。

 「五十ポンドですって!(略)失礼ですが、ぼくはスクリーミング・ロード・サッチに五十ポンド払ってますけど、ビートルズなんて名前は誰も聞いたことがありませんよ!」

 エプスタインは、サッチとは違ってビートルズはレコードがチャート入りしていると応じた。ストリングフェローは「ラヴ・ミー・ドゥ」がチャートを下降中なのを知っていた。ちょっと考えてみますと言って、受話器を置いた。

 翌日(略)また電話して、五十ポンド払いますと言った。エプスタインは、出演料は六十五ポンドに値上がりしたと言う。ストリングフェローは、エプスタインも自分と同じくらい緊張していると感じた。(略)ちょっと考えてみますと言って、受話器を置いた。

 約束どおり、ストリングフェローは二日後にまたエプスタインに電話し、いいでしょう、なんとか六十五ポンド都合をつけますと言った。エプスタイン氏は、出演料が上がって今は百ポンドになったと応じた。「ビートルズは新しいシングルがまもなく発売される予定で、この曲はチャートの一位に上りつめるでしょう」と自信ありげに言う。ストリングフェローは盛んに値切ろうとしたが、エプスタインは九十ポンド以下にはならないと言う。最終的にふたりは八十五ポンドで合意する。ストリングフェローは動揺した。「公衆電話から出てきたときは汗だくだった。そんな金額、それまでどんなバンドにも払ったことがなかったからだ」。

 「ラヴ・ミー・ドゥ」がチャートから消えて「プリーズ・プリーズ・ミー」が発売されるまでの間、奇妙な空白があった。ビートルズは鳴りを潜めたように見えた。ストリングフェローはパニックに陥る。大枚をどぶに捨ててしまったのだろうか?

(略)

[NME誌に]告知を出し、印刷所に入場料四シリングのチケットを発注した。申し込みが殺到し、スコットランドからも予約が入ったので、印刷所に行き、料金を五シリングに値上げした。一月までに一千五百枚を超えるチケットが売れてしまい、この数字はブラックキャットの定員を大幅にオーバーする。もっと広い会場を探し(略)会場変更の告知を載せた。四月二日までにチケットの売り上げは二千枚を超す。当日の晩には、万が一入り込めはしないかと一縷の望みにすがり、さらに千人がやってきた。

「シーズ・リーヴィング・ホーム」

[「レディ・ステディ・ゴー!」で]ヘレン・シャピロが歌の一番、二番、三番をビートルズのメンバーひとりひとりに向かって順番に歌うことになる(略)[クジで外れとなった]ポールは隣のスタジオを見物に出かけ、ブレンダー・リーの歌う「レッツ・ジャンプ・ザ・ブルームスティック」に合わせた身振りを競う四人の娘のなかから勝者を選ぶように頼まれる。

 ポールが選んだのは(略)十四歳のメラニー・コーだった。

(略)

持ち前の奔放さを気に入ったプロデューサー陣から一年間バックダンサーをしてみないかと誘われ(略)メラニースティーヴィー・ワンダーダスティ・スプリングフィールド、シラ・ブラック、フレディ&ザ・ドリーマーズといったスターたちと間近に接することができた。

(略)

両親の願いに反して、ロンドンの繁華街に出入りするように(略)

ハンブルクからやってきた友だち(略)は以前からビートルズと親しいと自慢していた(略)[一緒にクラブに行くと、ジョンが入ってきて友達に気付く]

『君か!こっちへおいで、一緒にやろう!』(略)

 若い娘が最初はポール、二度目はジョンとこのように出会い、心を奪われると、大人の世界の誘惑に抗うのは難しい。不運なことに、メラニーが妊娠するのにたいして時間はかからなかった。ある日の午後(略)短いメモを台所のテーブルの上に残し、家を出て、ベイズウォーターでカジノのディーラーと暮らし始めた。

 家を出て一週間(略)メラニーは「デイリー・メール」紙に自分の写真が載っているに気づく。(略)「成績優秀な少女 車を捨て、姿を消す」とあった。

 同じ日、ポール・マッカートニーもたまたま「デイリー・メール」紙を読んでいて、同じ見出しに目を留めた。

 (略)

「娘が出ていった理由は想像がつかない」と父親は記者たちに語った。「ここにはすべてが揃っていた。服が大好きなのに、全部置いていった、毛皮のコートさえ」。

 メラニーが三年前に自分がコンテストの勝者に選んだのと同じ娘とは気づかずに、ポールはその記事に触発されて「シーズ・リーヴィング・ホーム」を書いた。

(略)

「(略)ジョンがギリシア古典劇のようなコーラスをつけた、音を長く伸ばしてね、それでこの曲の構造のよさのひとつは、そのコードがいつまでも鳴り続けるところにある」。(略)

[コーラスを書くのはジョンには]たやすかった。それこそミミ伯母さんの口から耳にたこができるほど聞かされたのとまさに同じ不平だった。

(略)

 ビートルズは一九六七年三月十七日の夕方に「シーズ・リーヴィング・ホーム」をレコーディングした。その頃にはメラニー・コーは両親に居場所を突き止められ、家に戻っていた。五月末に『サージェント・ペパーズ』のアルバムが発売されてまもなく、メラニーは初めてその曲を聴く。「わたしのことを歌った曲とは気づかなかったけれど、わたしのことを歌っているのかもしれないと思ったのを覚えている。なんて悲しい歌なのかしらと思った。誰が聴いてもどこか心に触れるところがあった。あとで、二十代になってから、母に『あの曲、あなたのことを歌ったのよ』と言われた」。母親がポールのインタビューをテレビで観ていると、ポールはあの曲はこの新聞記事を元にして書いたと言った。母親はすべてを理解した。

(略)

 まったくの偶然から、マッカートニーはもうひとつ図星を突いていた。カジノのディーラーになる前、メラニーの年上の恋人は自動車のディーラーをしていた。

「スペインの一夜」は藪の中

三月には二枚目のシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」が英国のチャートでなかなか一位になれずにいた(略)クリフ・リチャードの「サマー・ホリデイ」が人気を保っていたせいである。しかし五月には「フロム・ミー・トゥ・ユー」がシングルとして初の一位を獲得し、デビューアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』も一位になり、その後三十週にわたりその座を守った。

 その月末、ビートルズはテレビの全国放送に二度目の出演を果たし、子供向けの番組「ポップス&レニー」で有名なライオンのパペット人形レニーと一緒に「フロム・ミー・トゥ・ユー」を歌った。

(略)

[ポール21歳の誕生日]

ポールはシャドウズが玄関から入ってきたのがとくに嬉しかった。「信じられない」とブライアン・エプスタインの片腕トニー・ブラムウェルに言った。(略)「でも、ぼくらも今ではかれらの仲間みたいなものかな?」「そうだよ、しかもこっちのほうが上さ」と答えたブラムウェルは、ポールから「からかうのはよしてくれと言わんばかり」の疑り深い目つきで見られたのを覚えている。

(略)

[ピート・ショットンがトイレから戻ると]お祝いからお通夜みたいになっていた。(略)

 キャヴァーン・クラブの司会者ボブ・ウーラーが床に伸びていて、そこらじゅう血だらけだった。どうやら、ジョンがプライアン・エプスタインとふたりでつい最近スペインに休暇に出かけたのをからかい、ジョンに仕返しされたらしい。「すっかり酒に酔ったジョンがウーラーにからかわれて拳固をお見舞いした」とトニー・バーロウは自伝に記す。エプスタインのもうひとりの助手ピーター・ブラウンの話はもう少し詳しく、「怒り狂い、見るからに泥酔状態」のジョンが氏名不詳の客を「拳骨でボコボコにし」始め、ようやく「三人がかりでジョンを引き離したけれども、その前にジョンは男の肋骨を三本折っていた」。

 トニー・ブラムウェルの記憶では「ジョンはかっとなった。ボブに襲いかかり、肋骨を三本折り、しまいには自分の鼻も血だらけになった」。ショットンはもう一歩踏み込む。「ジョンは仕返しにボブを殴り倒し、くりかえし顔に、あれはシャベルだったと思うが、容赦なく叩きつけた。ボブは顔に大怪我を負ったため、救急車を呼んで急ぎ病院に担ぎ込まなければならなかった」。

(略)

事件から四十二年後に書いた二冊目の自伝(一冊目ではこの件に触れていない)にシンシア・レノンはこう記す。「ジョンはもうすっかり聞こし召して、怒りを爆発させた。ボブに飛びかかり、引き離されたときにはボブの目の周りに痣ができて、脇腹にもひどい怪我を負っていた。わたしは大急ぎでジョンを家に連れて帰り、ブライアンがボブを車に乗せて病院に運んだ」。シンシアは、ジョンから「あいつはおれをホモと呼んだ」と聞かされたのを覚えていると主張する。他の人々は(略)[ウーラーが]「おい、ジョン。ブライアンとスペインで何をしたのか教えてくれよ。みんな知ってるんだぜ」というようなことを口にしたと語っている。

 三十六年後、エプスタイン家の事務弁護士レックス・メイキン[の説明](略)

ウーラーがジョンを口説こうとしたという。「(略)ジョン・レノンはウーラーが自分に秋波を送ったと考えたか感じたかして、拳固で殴り、鼻の骨を折り、目の周りに痣をつけた」。

(略)

一九六八年に公認の伝記を発表したハンター・デイヴィスは、「ジョンは地元のディスクジョッキーに喧嘩を売った」と記し、「奴の肋骨を折ってやった。だいたいあのときはむしゃくしゃしてたんだ。奴はおれをホモと言いやがった」というジョンの言葉を引用する。

 その他の伝記作家はもう少し大袈裟になる傾向がある。(略)

 二〇〇五年に出版されたビートルズの伝記のなかでボブ・スピッツは、ジョンにウーラーを「固く握りしめた拳で容赦なく」殴らせた。「それでも大した怪我を負わせていないと見てとると、裏庭に転がっていた園芸用シャベルを摑み、柄でボブを一度か二度、ガツンと叩いた。ある目撃者によると、『ボブは顔を両手で覆い、ジョンは指の皮が全部剥けるまでその手を蹴りつけた』」。スピッツによると、ウーラーは「鼻の骨を折り、鎖骨にひびが入り、肋骨三本が折れる」もっとひどい怪我を負って救急車で運ばれた。

(略)

[暴行程度には諸説あるが]ウーラーに二百ポンドを支払い、謝罪することで話がついたことは誰も疑わないようだ。

(略)

『ウーラーの奴(略)おれをいけすかないホモと呼ぶもんだから、ぶちのめしてやったのさ。(略)そんなに酔っちゃいなかった。当然の報いさ。(略)誰が謝ったりするもんか』(略)この発言をトニー・バーロウが律儀に[修正した記事が翌日掲載された](略)

「いったいなぜ親友を殴ったりするだろう?(略)ぼくはひどく酔っていて、自分が何をしているかわからなかった。そのことをかれにわかってもらえると嬉しい」

(略)

療養中、ウーラーはジョンから和解を求める電報を受け取った。「まったく申し訳ない、ボブ。ひどいことをして悪かった。他に何と言えばいい?」じつは一言一句、ブライアン・エプスタインが書き取らせたものだった。

 

 スペインでは実際に何が起きたのだろう?ジュリアンが生後三週間の頃(略)最初の自伝(一九七八年)でシンシアは、ジョンから構わないかと訊かれて、「傷ついたし羨ましかったけれど、それは隠して、行ってらっしゃいと快く送り出した」と言う。(略)

容赦ないアルバート・ゴールドマンはというと、ジョンは息子が生まれてから一週間も経ってようやく面会に行き、その折、「シンシアのほうを向いて、ブライアン・エプスタインと短い休暇に出かけるとぶっきらぼうに告げ(略)シンシアは(略)憤慨した」。(略)ジョンはシンシアの気持ちなどお構いなしにこう言ったと付け加える。「またいつものわがままを言うんだな」。

(略)

シンシアが言うには、スペインから戻ってからというもの、「隠れ同性愛者との狡いあてこすり、目配せ、仄めかしをジョンは我慢しなければならなかった。ジョンはそれに憤慨していた。ただ友だちと休暇を楽しみたかっただけなのに、何かそれをはるかに超えるものになってしまった」。(略)

アリステア・テイラーとトニー・バーロウは性的なことは何もなかったというシンシアの考えに同意する。テイラーは「(略)ジョンはその話を否定した(略)ブライアンがそんなふうにおれを求めたことは一度もない」とテイラーに言い、さらに「どんなに気が変になったとしても、男をやるなんてことはおれにはできない。自分がそこらに寝て男にやらせるなんてこともむろんありえない。たとえ相手がブライアンみたいにいい奴でもな。正直言って、考えただけでへどが出る」付け加えた。

(略)

バーロウはこう言う。「(略)わたしはジョンの言い分、つまりブライアンをぎりぎりまでからかったけれども、ふたりは瀬戸際で思いとどまったという話を信じる」。

 それとは反対に、トニー・ブラムウェルはジョンから、最後にはただ「その問題を片付けようとして」ブライアンに性行為をさせたと聞いたと主張する。ブラムウェルはただし、ジョンは嘘をついていたかもしれないと言い添える。「ジョンをよく知る(略)ひとなら、そんな話、端から信じない」。ところがピーター・ブラウンとなると、失礼ながらわたしの考えは違うと前置きして、とてもありそうもない生々しい情景を空港で売られている小説から抜き書きでもしたかのように描写する。「スペインの甘いワインに酔い、眠気に襲われながらブライアンとジョンは服を脱いだ。『いいよ、エピー』とジョンが言い、ベッドに身を横たえる。ブライアンはジョンを抱きしめたかったけれども、怖かった。その代わり、ジョンが目の前に横たわり、ためらうふうにじっと動かないのを見て、必ずや満足をもたらすと信じて疑わない夢想を実現してはみたものの、翌朝目覚めると以前と変わらず心は虚ろなままだった」。

 [親友の]ピート・ショットンは(略)ジョンとブライアンが旅立つやいなや「町じゅう噂でもちきりになった」と書いている。戻ってきたジョンを「ブライアンとよろしくやってきたんだな、な、そうだろ?」とショットンがからかったところ、意外にもジョンは静かに「いやじつは、ピート、ブライアンとの間にある晩、何かあったことはあったんだ。(略)エピーがとにかくしつこく言い寄ってきてね。それである晩とうとうズボンを下ろして、言ってやった。『ええい、面倒だな、ブライアン、それならおれのケツの穴にそいつを突っ込んだらいいじゃないか』。するとブライアンがこう言った。『じつは、ジョン、わたしはそういうことはしないんだ。やりたいとも思わない』。(略)『それじゃ、どうしたいんだ?』するとブライアンが言うには、『ジョン、ただ君に触りたいだけなんだよ』。それでブライアンに手淫させてやった。(略)それのどこが悪いっていうんだ、ピート?何も悪かないだろう。かわいそうに、ブライアンは他にどうしようもないんだよ」。

(略)

レイ・コールマンは性的なことは何も起きなかったと断言する。(略)

エプスタインが「個人にせよグループにせよ、ビートルズとの関係を大きく変えるような危険を冒すはずはない」と言う。さらに「エプスタインは強引に言い寄るような人間ではなかった」と付け加えるが、じつはそういう人間だったという証拠は山ほどある。

(略)

[レイ・コナリーはピート・ショットンの主張を信じつつも]

「しかしジョンは真実を話したのだろうか?(略)ジョンは人を驚かせるのも大好きだった。面白がって同性愛の経験をでっちあげたのか(略)ブライアンから言い寄られたあとで起きたことを単に誇張したのか?どちらもないとはいえない。だが同様に、終生新しいことを試したくて仕方のなかったジョンのことだから、同性愛に好奇心を抱いたこともあるだろう。ブライアンが言い寄ってきたとき、ただ男に触られるのがどういうものか知りたいと思っただけかもしれない」。

(略)

 無慈悲なゴールドマンは例によって(略)

「(略)ふたりはブライアンの死まで性交渉を続け、その関係は一方が他方を支配するものだった。ジョンが残酷な主人役を、ブライアンは従順な奴隷役を演じた」と主張する。

 フィリップ・ノーマンはゴールドマンの本を「悪意に満ちた」「事実無根の噴飯もの」と呼ぶが(略)自分の書いたポールの伝記のなかで(略)こう付け加える。「後年、ジョンは親しい友人に、ブライアンと何かしら性的な関係をもったと話した。「一度はどんなものか知りたくて、二度目は好きではないと確かめたくて』」。ところがジョンの伝記のなかでは、オノ・ヨーコから聞いた話をもとに、ノーマンはこれとは異なる説明を示す。(略)

「旅行中のある夜、ブライアンは羞恥心と罪の意識を捨ててとうとうジョンを口説いたけれども、ジョンはそれに対して『そんなことがしたいなら、どこかよそに行って男娼を見つけてこいよ』と言った(略)ジョンはあとから、わざとピート・ショットンに自分は束の間身を委ねたという作り話をして聞かせ、自分がブライアンに対して絶対的な力を持っているとみなに信じさせようとした」。

(略)

ヨーコはまたフィリップ・ノーマンに、ジョンの「ふとした発言」から、ジョンはポールとセックスしてみようと思ったけれども、ポールがしたがらなかったと思うと語った。「オノ・ヨーコの耳にしたところでは、ポールはアップルの周辺でときにジョンの『お姫様』」と呼ばれていた」とノーマンは記す。ヨーコはまたノーマンに、あるときリハーサルのテープを聴いていると、ジョンの声が「ポール……ポール……」と妙にへつらうような、せがむような調子で呼びかけるのを耳にしたとも語っている。「何かあったのは間違いないと思う」とヨーコは当時を回想する。「ジョンのほうからよ、ポールではなくて。それにジョンはポールにあんなに腹を立てたでしょう、本当は何があったのか、考えずにはいられなかった」。

ジョンとクリフ・リチャード

 一九六三年初頭のビートルズは声がかかればどこへでも出かけていき、日当のギャラをもらうポップグループのひとつにすぎなかった。シングル第一弾「ラヴ・ミー・ドゥ」は最高位十七位止まり。一九六三年最初のコンサートは(略)エルギン・フォーク・ミュージック・クラブが主催したもので、集まった聴衆は二百人。

(略)

[成功]は地滑りのようにやってきて、前に行く者たちをぺしゃんこにした。ほんの二、三か月前までしぶしぶビートルズを前座に雇ってやってもいいくらいの気持ちでいたバンドや歌手が、いまやビートルズの前座を務める屈辱的な立場に立たされる。

(略)

ピーター・ジェイ&ザ・ジェイウォーカーズ(略)

一年前、ビートルズはかれらに憧れていた。ホールの裏手で、ジョージはジェイウォーカーズがきらきら輝く色とりどりの照明を設置し、ぴかぴかのドラムセットと派手に鳴るシンバルを据えるのをじっと見つめ、このバンドは「真の大物」だと思った。ところが、いまやそうした日々は過去のもの。

(略)

[ジョンの五日後に生まれたクリフ・リチャード]

 一九五八年の冬にはクリフはすでに大スターとなり、「ムーヴ・イット」がチャートの二位に入った。いっぽう、ジョンはクオリーメンを率いてリヴァプールを駆け回っても、辺鄙な村の公会堂や個人宅の催しで演奏させてもらうのがせいぜい

(略)

[NME誌は]「荒々しく腰を揺するかれの動きは不愉快千万、親が子供に見せたいと思う演目とはほど遠い」。一九六三年以前はジョンではなくクリフが反逆児、煽動者、文明の脅威だった。クリフとシャドウズが全国放送のテレビでセンセーションを巻き起こしたその宵、クオリーメンは(略)ジョージ・ハリソンの兄ハリーの結婚式の披露宴でスキッフルのスタンダードナンバーを演奏していた。一九五八年から六二年にかけて、クリフはチャートのトップ20以内に二十曲を送り込み、そのうち六曲はナンバーワンに輝いた。(略)他人を羨ましがるのは珍しくないジョンが、当時クリフに複雑な気持ちを抱いたのも不思議ではない。(略)[「ラヴ・ミー・ドゥ」が]最高位十七位までたどり着いたとき、クリフは「バチェラー・ボーイ」を二位に送り込み、ビートルズを高みから見下ろしていた。

(略)

三か月後の一九六三年三月、ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」がチャートの二位に昇りつめたが、そのときすでに一位の座にあったクリフ・リチャードの「サマー・ホリデイ」に阻まれ、一位にはなれなかった。

 ところが一九六三年が進むにつれ、形勢は逆転する。(略)

ビートルズが未来なら、クリフ・リチャードは過去になった。

(略)

 それからのち、ジョンは名声と成功の頂点を独り占めする勢いで、わざわざクリフ・リチャードを見下す気にもめったにならない。他方、クリフはほんの少しでもビートルズに触れようものならたちまち取り乱した。六〇年代中頃以降、クリフ・リチャードは「なんでもござれの家庭向けエンターテイナー」となり(略)

ビートルズが成功し、ストーンズが成功して、ぼくとシャドウズはお蔵入りになった。ぼくらは老いぼれになったのさ」。(略)

[ジョンがインドで]『ホワイト・アルバム』の曲を書いていた頃、クリフは明るい水色のダブルのスーツを着て、襟元と袖口から安っぱい白のフリルを覗かせてユーロヴィジョン・ソング・コンテストに出場し、「コングラチュレーションズ」を元気よく歌っていた。

ジェーン・アッシャー

 リハーサルの合間に、ビートルズは楽屋でジェーン・アッシャーに紹介される。十六歳の若さながら、すでに芸能界ではちょっとしたベテランだ。

(略)

ビートルズはジェーンに気圧される(略)とくにポールは。「(略)みんなジェーンが好きになった。白黒テレビの『ジュークボックス・ジュリー』でしか見たことがなかったから、みんなジェーンは金髪だと思っていたら、本当は赤毛だった。(略)」(略)

[アンフェタミン]が効いて、ジョンはジェーンに盛んに言い寄る。

(略)

ジョン そうさ、おれはひねくれてるよ。おれたちはロックンロールを新しい名前で演奏してる。ロック音楽は戦争、敵意、征服だ。おれたちは愛について歌うが、それはセックスのことで、ファンにはそれがわかってる。(略)

ローリング・ストーンズを見てみろ。ひどく荒っぽいだろう。あれはおれたちが先にやったのを、今じゃ奴らが失敬してるのさ。

(略)

そうかい、酒はもうないのか。それじゃ、セックスの話をしよう。ジェーン、女の子はどうやって自分を慰めるんだい?

ジェーン (ショックを受けるが冷静に)そんな話、わたしはしません!

ジョン ここに女の子は君しかいないし、おれは知りたいんだ。どうやっていく( jerk off )んだい?

(略)

ジェーン (ジョージに慰められ、泣きながら) ねえジョン、あなたってときどきとても残酷になれるのね。

ジョン (玄関口に立ったまま) そういうところがおれにはあるんだよ。

 

 このあたりでポールがジェーンを部屋から連れ出し(略)ふたりはベッドに並んで腰掛け、食べ物や本の話をする。チョーサーの『カンタベリー物語』が話題に上る。(略)ポールはその場で「尼寺の長の話」から引用する。(略)

名門校クイーンズ・カレッジを卒業したジェーンには、ポップ音楽界のアイドルというポールの表向きの顔よりこちらのほうがずっと好ましく思え、ポールもジェーンの物の見方、考え方を同じく好ましく思う。(略)さよならを言う前に、ポールはこの子こそ自分にふさわしいと心に決める。(略)アッシャー家の玄関で、ポールはジェーンに電話番号を教えてほしいと頼み、ジェーンも喜んで求めに応じる。

(略)

 ふたりは恋仲となり、ジェーンの両親は(略)邸宅の最上階に小さいながら専用の寝室を用意した。隣はジェーンの兄ピーターの部屋である。ポールはそれから三年間、アッシャー家の一員としてここで暮らし、その寝室は目覚ましいキャリアの成果で溢れることになった。

(略)

母親のマーガレットはギルドホール音楽演劇学校の教授。(略)一九四八年には、ジョージ・マーティンオーボエの奏法を教えたこともある。

(略)

外見こそ上流階級の出のように見えるものの(略)マーティンの育ったドレイトン・パークの三部屋のアパートには台所も風呂もなく、トイレは他の三家族と共同だった。(略)[それゆえ]アッシャー家で垣間見た安楽な暮らしに憧れ、惹かれた。そして今度はポールが(略)惹かれる番だった。何もかも文化の香りがした。

(略)

 もし、いつでも好きな時代を選んでビートルズの誰かになれるとしたら、ウィンポール・ストリート時代のポールになってジェーンと暮らし、アッシャー家の人々によくしてもらい、幸運に恵まれ、人生を満喫し、文化に触れ、世界中から愛されたいと思う。素晴らしい曲が魔法のようにわたしの頭から流れ出て、ピアノを通って生まれる。

(略)

 五十年以上経った今も、ふたりは婚約解消については口をつぐんだまま

(略)

アリステア・テイラーによると、ジェーンがポールと別れたのであって、その逆ではなく、ジェーンは復縁を拒んだ。

(略)

ジェーンのように「素晴らしい女性は他にいない」と思っていたテイラーは、ポールが「完全に途方に暮れ(略)ひどく取り乱し、『すべて手にしていたのに、取り逃がしてしまった』と言った」のを覚えている。

「シー・ラヴズ・ユー」

[ステージに上がる前の]待ち時間に曲を書くことに(略)

「あれはポールのアイデアだった(略)『アイ・ラヴ・ユー』と歌う代わりに、第三者を入れてみようというんだ」。(略)そしてジョンはより自伝的な内容を歌う。

(略)

 若者が別の若者に、かれをふったかも、ふっていないかもしれない女の子の話をしている。(略)曲を書いているふたり――楽観的で自信家で、しきりに助言したがるポールと、自己の罪悪感から逃れようとしながら、ひとを傷つけてしまう――「あの子はひどく傷ついたと言ってたよ」――ジョン――の分身なのである。

(略)

[翌日はオフだったので]ふたりは、ポールの父親ジムが煙草をふかしながらテレビを観ているフォースリン・ロードの家の部屋の隣で、新曲を仕上げることができた。

 この頃のジョンとポールはともにカササギのように、他のひとが書いた曲で気に入ったところがあれば何でも拾い集めていた。「ウーウー」はアイズリー・ブラザーズの「ツイスト・アンド・シャウト」からもらった。とくにジョンは、こういう唸ったりわめいたり、言葉になる手前か、言葉を超えた意味のない音を好んだ。エルヴィス・プレスリーの「恋にしびれて」を聴いてジョンが最初に考えたのは、「アーハー」と「オーヤー」と「ヤー・ヤー」の全部を同じひとつの歌のなかで聴いたことはそれまでにない、ということだった。

(略)

 四日後、ビートルズはアビー・ロードのEMIスタジオに行き、新曲をレコーディングした。(略)

少女たちの集団がどうやってか正面玄関からなかに入り、自分たちのアイドルを探して建物のいたるところを駆けずり回った。(略)

 その間、歌詞を書いた紙を譜面台に置きながら、EMIの録音エンジニアを務めるノーマン・スミスはちらりと歌詞に目をやった。「(略)『シー・ラヴズ・ユー、ヤー・ヤー・ヤー。シー・ラヴズ・ユー、ヤー・ヤー・ヤー。シー・ラヴズ・ユー、ヤー・ヤー・ヤー』ときた、『なんだって、これでも歌詞か?この曲ばかりは好きになれそうもない』と思った」。

(略)

ジェフ・エメリックは、侵入したファンの巻き起こした興奮がバンドの演奏に乗り移り、とりわけリンゴとジョージから、それまでにないエネルギーと創意が閃いたように思った。演奏を聴いて、それまで半信半疑だったノーマン・スミスは、勘所をすぐさま摑んだ。「ビートルズが歌い始めたとたん――ガーン、わあ、これはすごい。わたしはミキサールームで跳ね回った」。

 エメリックも心を奪われた。「あそこまで強烈な演奏はそれまで聴いたことがなかったし、その後もほとんど覚えがない。今もあのシングルは、ビートルズの全キャリアのなかで最もひとを興奮させる演奏のひとつだと思う」。

ロネッツ

 一九六四年一月、ロネッツは初の英国ツアーを控え、ロンドンに到着した。ツアーの前座は(略)ローリング・ストーンズ(略)

ロネッツビートルズの名声については知っていた(略)曲はまだ聴いたことがない。ビートルズの三人はというと、ロネッツの色っぽく艶かしい声と引き締まった身体の線にすっかり夢中だ。

(略)

 ロネッツのレコード(略)に合わせてみな踊り始めた。(略)三人はビートルズアメリカで流行中の最新のダンスの振付――ポニー、ジャーク、ニッティ・グリッティー――を教えて楽しんだ。いつもならダンスには尻込みしがちなジョンが、ロニーには熱心に教えを乞うた。「(略)すぐにわたしが好きなんだとわかった」。

(略)

 夜が更けるにつれて、ジョージと[ロニーの姉]エステルはみなが踊っている部屋から姿を消し、ロニーも家のなかを案内しようというジョンの誘いに乗ることにした。

(略)

ふたりはようやく誰もいない部屋を見つけた。一緒に腰掛け窓に座り、「灯りと塔がどこまでも続くように見えるおとぎの国」の景色を眺めるうち、雰囲気はさらに親密さを増す。

「あなたはどんな気持ち?」とロニーが訊ねた。

「うん、隙間風が入ってくる、それにこの腰掛け窓のせいで尻が痺れてきた」

「そういうことを訊いてるんじゃないの。有名になって、どんな気持ちかってこと」

(略)

「じつは何も変わらなかった?」

「いいや。おれたちの思ったとおりだった――何もかも変わった。運転手付きのリムジンは手に入ったし、もうジャムサンドなんか食ってない。考えただけで戻したくなる」

(略)

「ジョンがもたれかかってキスし始めたとき、数秒の間フィルを忘れたことは白状しなくてはならない(略)それまでわたしはフィルも含めて男の人の唇にキスするくらいしかしたことがなくて、恋がすべてで、セックスはまだ謎だった。(略)」。キスをしながら、ジョンが「両手を動かし」始めて、「わたしの身体にそんなところがあるなんて思いもよらない場所」に触った。(略)[ベッドに]進もうとしたが、その瞬間にフィルのことがロニーの頭をよぎり、いきなり足を絨毯に食い込ませて踏ん張ったので、ジョンは勢い余って床の上にひっくり返った。「パーティーに戻りましょうか?」とロニーは訊いた。

 エステルとロニーはジョージとジョンと何度かダブルデートをくりかえした。(略)ふたりはアメリカの歌手やミュージシャンについてもっと話を聞かせてほしいといつもせがむ。「テンプテーションズのことを教えてくれよ!(略)ベン・E・キングって、本当はどんな感じなの?」

(略)

 [月末近く、やってきた]フィル・スペクターは、「男たちがこぞってロニーに色目を使うので、ひどくピリピリしていた。(略)その場にいる男は全員ロニーをじっと見つめている。なんといってもエキゾチックだろう。それにアメリカ人だからね!」

(略)

ジョンがロネッツアメリカに向かう飛行機にビートルズと一緒に乗るように誘ったと聞かされて、フィルの嫉妬心はいっそう激しく燃え上がる。(略)

ロニーは(略)母親にその話を切り出すように頼んだのだった。

 「わかるでしょう、フィル、娘たちがビートルズと同じジェット機で帰国したらいい宣伝になるわよ」

「いや、チケットはもう手配してあります」

 ロネッツは翌日、ビートルズとは別の飛行機でニューヨークに戻っていった。

(略)

[脚注]

結婚してまもない一九六八年、フィルはロニーの二十五歳の誕生日に車をプレゼントするが、自分が一緒のときしか運転はするなと言い張った――あるいは(略)自分にそっくりの(略)プラスチック製の人形を乗せろと言う。「それなら(略)君にちょっかいを出す奴はいないだろう」(略)年を経るごとにフィルの嫉妬は増していく。ロニーを家に閉じ込め、鉄条網を巡らせ、番犬を飼い、逃げ出さないように靴を取り上げた。しかも、万が一逃げようとしたら殺すと脅した。(略)「棺桶も買った。純金だよ。蓋はガラス張りにしてあるから、あいつが死んでからも見張っていられる」。

(略)

自宅に戻り、ビートルズJFK国際空港到着を報じるテレビ番組を観ていたロニー(略)「(略)ビートルズに続いてフィル・スペクターが飛行機から降りてくるのが映って、わたしは気を失いそうだった。フィルを絞め殺してやりたかった!」

 言葉巧みにビートルズの乗る飛行機に搭乗したスペクター(略)「イカレ帽子屋に負けないくらいイカレてるよ」とリンゴは語る。「……なにしろ『アメリカまで歩いていく』んだから(略)飛ぶのが怖くて怖くて、じっと座っていられない。(略)奴が飛行機の通路を端から端まで行ったり来たりするのをずっと目で追った」。

(略)

 ジョンとジョージはわざわざロネッツの名をホテルの警備員に伝えておいた。(略)ロニーが遊びに出かけている間、フィルはスタジオで忙殺されていた。

(略)

 エステルとロニーはジョージとジョンと一緒に床に座り、レコードを聴き、おしゃべりをした。外が暗くなってくると、初めからそこにいた客の多くは帰り始め、大勢の新しい客が入ってくるのにロニーは気づいた。ほとんどはとても短いスカートを穿いた若い女性である。「天才じゃなくても、それから何が起ころうとしているのか、察しはついた」。

(略)

 残っていた客が群れをなして寝室のひとつに向かう。ジョンがロニーの手をつかんで言った。「おいでよ、すごく面白いものを見たくないかい?」

(略)

全員が円になって集い、男がひとり椅子の上に立って(略)中心で起きているものを撮影している。(略)

「あんなにすごいものを見たのは生まれて初めてだった。女の子がベッドに横になって、ビートルズの取り巻きのひとりがその子とセックスしていた(略)見世物にされても気にしない様子。(略)あらゆる体位でセックスする」のにカメラマンがシャッターを切り続ける。ロニーにとって、それは教育だった。まだ処女だったし、それに用心のためにベッドでは必ず下着をつけるようにしていた。基本的なやり方は知っていたけれど、「シックスティナインとか、他の変わったやり方はひとつも知らなかった。これは一九六四年の話で(略)生身の女の子が裸で、ありとあらゆる体位でセックスしている!あの光景はどうしても忘れられない」。

(略)

 フロアショーが続く間に、ジョンは(略)自分の膝の上に座るように促した。ジョンが興奮していることは手にとるようにわかった。「あの頃のわたしはうすのろだったかもしれないけれど、男の膝から立ち上がるべき時はわかっていた」。ロニーは部屋から出ていった。

 ジョンはロニーを追いかけ、ふたりはジョンの寝室に入った。ジョンは摩天楼の並ぶマンハッタンの空を指さし、ロンドンで一緒に窓の外を眺めたことを覚えているかと訊ね(略)うなじを両手で撫でた。

(略)

フィルとのことは全部知っているとジョンが言った――「君とおれの間にも何かあってもいいかなと思っただけさ」。ロニーが立ち上がる。あなたと音楽の話をするのは好きよ、とロニーは言った。「でも男の人が恋人というより兄弟みたいに思えるときがある。(略)ジョン、あなたが大好きよ。でも、あなたが望んでいるような意味ではないの」

 ロニーが部屋を出ていくと、ジョンはロニーの背後で乱暴にドアを閉めた。ところが翌日電話をかけてきたとき、ジョンはまるで何もなかったかのような口ぶりだった。今夜、暇かい?

次回に続く。

インドとビートルズ その3

前回の続き。

ビートルズ到着

 ビートルズが遂に到着すると、アシュラムは大きな興奮に包まれる。

(略)

ジョンとジョージがマハリシと共に入場(略)マハリシは(略)2人を歓迎してから、何も特別なことが起こらなかったかのように、いつもの講義を始めた。ナンシーはまっすぐ前を見て、ジョージの艶やかで清潔な、美しくカットされた肩まで届く長い髪を観察した。隣に座る優美な女性はパティ(略)その隣はパティにそっくりな妹のジェニー。3人目の女性は、ジョンの妻シンシアだ。眼鏡をかけてはいたが、3人のなかで一番美しいのはシンシアだった。その隣はジョンで、ナンシーによれば、おばあさん眼鏡をかけた厳しい学校の先生のように見えた。ジョンの白い肌は、不健康な灰色を帯びていた。

(略)

西海岸からやって来た社交界の淑女は、世界一有名なロックスターとその配偶者の世話をできるかと思うと有頂天になった。妻たちは衣服を仕立ててほしいと言い、みんなでリシケシュに買い物に行く計画を立てた。(略)

彼らはナンシーの着ているパンジャビを気に入り、自分たちも購入したいと言う。ナンシーはビートルズに褒められて大喜びする。

(略)

色とりどりの布、サリー、袖無しの長いベスト、刺繍が施された薄いクルタ、大量の安手のベルベット、カシミアのショール。明らかに商人たちは、永遠に売れないと思っていた品々を大量に売りさばいたようだ。ジョンとジョージは買う物を決めるのが早かった。2人共自分の好みを分かっており、言い値で買った。妻たちは助言もしたが、購入を決めるのはボーイズだった。値切るのが決まりだとラグベンドラが言っても、2人は決して値段交渉をしなかった。(略)いつもはシニカルなジョンでさえも、大量のエキゾチックな布地を前にして興奮を抑えきれなかった。(略)赤い斑点で覆われた金色のフラシ天の布地を指しながらジョンは「これで自分にコートを作るんだ」と宣言。

(略)

 ジョージとジョンは女性のサリーをシャツ用に買い、ジョンは赤とオレンジの長いベルベットをロング・コート用に購入。妻たちは男性のドゥティをおしゃれパジャマに、サリーを長いひらひらのドレスに仕立てさせた。

[この買い物により]ビートルズがアシュラムに到着したことが地元のファンにばれてしまう。(略)

鮮やかなズボンを履いた女の子たちが、両親を伴いアシュラム周辺を徘徊したが、何も無いまま失望して帰っていった。

(略)

マスコミは、国際的な大ニュースを報道するためにリシケシュに駆けつける。

(略)

 アシュラムで何をやっているのか、ビートルズに直接取材できないマスコミは(略)様々な憶測記事を書き始める。

(略)

[ドノヴァンを迎えにデリーに向かった]ナンシーとアヴィの目が釘付けになった2枚のポスターには、「アシュラムでの乱交パーティ」「アシュラムでレイプされるビートルズの奥方たち」と、日刊紙の見出しが踊っていた。

(略)

ナンシーが、マスコミが広めているアシュラムでの行状の噂をビートルズと妻たちに伝えると、みんな一斉に大笑いした。(略)ドノヴァンが「誰がやられたのか教えてよ」と言うと、ビートルズの妻であるパティとシンシアが、まだそのような光栄に預かっていないと答えた。

(略)

思いのままにできる自由時間が醸し出す心地よいムードのなか、聖者の谷での毎日はゆっくり過ぎていった。

(略)

 アシュラムでの食事が口に合わなかったリンゴでさえも、バケーション気分を味わっていた。

(略)

 アシュラムを最も高く評価したのはエヴァンスだった。がっしりとした体格のビートルズボディガード兼ローディである彼は、普段の過密スケジュールとは大きく異なる、平和で静かなアシュラムを明らかに楽しんでいた。「もう一週間経ったなんて信じられない。心の平安と、瞑想によって得られる落ち着きによって、時間が飛び去るのかもしれない」と、エヴァンスは日記に記している。

(略)

 グルはヘリコプターがアシュラムに来て、自分と有名人ゲストを遊覧飛行に連れて行く計画に有頂天になる。

(略)

[ポールの回想]

 

(略)ヘリコプターが降り立ち「誰かマハリシの前に軽く飛んでみたい人いますか?」と聞かれた。ジョンが飛び跳ねながら「はい、はい、はーい!」と叫んだから、彼が一番になり、残るはもう1席になった。

 後でジョンに「何であんなに行きたがったの?(略)」と聞いたら、「そう。彼に答えを教えてもらえると思ったのさ!」と彼は言った。

(略)

 「すごくジョンらしい。(略)聖杯を見つけられると思ったんじゃないかな。うぶだよね、すごく。純粋だ。感動的なくらい」

(略)

 超越瞑想にあまり興味のなかったポールでさえも、自分の思考に及ぼす影響に驚く。(略)

 「気持ちの良い午後、バンガローの平たい屋根の上に茂る南国の木の木陰にいた時のことだ。自分が蒸気の出る熱いパイプ、温かいパイプの上に漂う羽根のように感じた。湯気だけで空に浮かんでいるようだった。(略)赤ちゃんが、安心感に包まれているような、そんな心地いい優しい気持ちを思いだした。あの時が一番気分が良く、今までで一番リラックスできた。数分の間、すごく軽く、浮かんでいるような、完成されたような感じを受けた」

(略)

 マハリシマントラを唱え続けて抑えられた感情やトラウマが解放されることは、必ずしもいい結果をもたらさなかった。時には恐れや不安が暴力的に爆発することもあった。ナンシーは若いドイツ人が恐怖の叫び声を上げて、夜間みんなを起こしてしまった時のことを記憶している。(略)ドイツ人の若者は「前世で近所の人々に殺された時の体験が戻って来たのです。恐ろしかった」と説明した。

 精神的に不安定な状態でアシュラムに来たプルーデンスは、癒されようと必死に瞑想を続け、様態が良くなるどころか悪化したため、マハリシは大きなジレンマに襲われる。「長い沈黙の後で発作のように叫び声や金切り声を上げるので、アシュラムにいるほとんどの人が、プルーデンスは気が触れていると思っていました。専門の医者による治療が必要なのは明らかでしたが、マハリシが彼女を放したがりませんでした」(略)

プルーデンスがアメリカで精神病院に入ってショック療法を受けていた事実をマハリシが知っていたことを、ナンシーも暴露している。

(略)

2ヶ月過ぎると意識が朦朧とするようになり、自分で食べることもできなくなる。この頃には「私を助けてマハリシ!みんなあっち行って!助けて!助けて!」と昼夜叫び声を上げるようになる。

(略)

 ジョージの友人で映画『ワンダーウォール』の監督ジョー・マソットも(略)プルーデンスの症状を目撃している。「(略)小柄なインド人2人に支えられながら、文字通り壁をよじ登っていた。自殺する恐れがあるため、2人は見守っているようだった。彼女は完全にいかれていた」。

(略)

ジョージとジョンはヴィーナにすっかり魅了され、シンのリサイタルを褒めちぎった。またアシュラムに来て自分たちだけのために演奏してくれとビートルズは言い、シンの店に行って楽器を見てみたいとも言う。(略)

数日してビートルズ一団全員が、マイク・ラヴとドノヴァンを連れてプラタープ・ミュージック・ハウスに降り立ち、町が騒然となる。(略)

シンはまた、ビートルズに会いにアシュラムを数度訪れている。「ジョンが調子の悪いギターを見てくれと私に言ってきました。店に持って行かなければならないと伝えましたが、彼はすっかり信用してくれ、全く問題ないと言いました。とても高価なギターで、当時の価格でも軽く一〇万ドルはしましたが、渡してくれました。修理をして返すことができ、彼はとても満足していました」。

 ギターの修理に気を良くしたジョンは、シンにペダルで操作する特別なハーモニウムを制作し、サイケデリックな花のペイントを施すよう依頼。「それでハーモニウムを作らせ、姪の画家に鮮やかなサイケデリック・フラワーの絵をジョンの指示通りに描かせました。彼はとてもハーモニウムを気に入ってくれました。ジョンの未亡人ヨーコ・オノが、まだアメリカで所有しているはずです。(略)」と、八〇代のシンは言う。彼はその後ドノヴァンにも、鶏の形をした特注のギターネックの制作を依頼された。

(略)

 リンゴが去ってしばらく後、イタリアのテレビ番組のクルーがアシュラムの生活を撮影した貴重な映像では、ミアが目立つように映されている。(略)

冒頭(略)ギターを持ったジョンとポール、ジョージ、パティ、ジェーン、シンシア、ラヴ、ドノヴァン、ミアが一緒に歩く姿が登場。アメリカ人女優は、歌い、写真を撮り、川で顔を洗う姿が全編を通してフィーチャーされている。短いハイキングの後で、川縁にたどり着いた一行は、ミアのカメラに向かってポーズを取る。それからジョン、ポール、ジョージとドノヴァンがギターを回し弾きし、みんなで合唱している

(略)

 皆とても上機嫌だ。(略)ばか笑いをするジョンにつられてシンシアも笑うシーンがあるが、まるで夫婦間の問題が全て解決したかのように見える。(略)

最も楽しんでいるように見えるのはポールだ。カメラは最初にギターを持ってふざける彼の姿を捉えた後、川岸の泥に足を入れ、つま先を覗かせて茶目っ気たっぷりに足の指を動かし、歌を楽しんでいるように見える猿に向かって変な顔をする様子を映す。両脇を側近に守られたマハリシは、川風に髭と髪を揺らしながら、慈悲深く微笑み、ガンガでしゃがみ、聖なる水を浴びるように皆に勧める。ほとんどの人がマハリシの言葉に従っている。

(略)

インド最大の聖なる川に集まったスターたちの気持ちが1つになっているのは明らかで(略)

ドノヴァン

既に知り合いだった両者は、アシュラムで固い友情で結ばれるようになる。

(略)

「ジョンはよく絵を描き、2人で瞑想し、プレスもメディアも不在、ツアーもやらず、プレッシャーもなく、名声とも無縁だった。僕は新しいスタイルを身につけ、彼らも同様だった。ビートルズのソングライティングのスタイルは変わり、僕のも変わった。延々と何時間も演奏し、その成果の多くが『ホワイト・アルバム』の一部になった。どんな風にしろ『ホワイト・アルバム』に影響を与えたことを誇りに思っている」

(略)

ドノヴァンはジョンにアコースティックギターの「フィンガー・スタイル」を教えた。

 「二日間にわたって、秘技をジョンに授けた。それから最初に彼が書いた曲は、母親のジュリアに捧げる感動的なバラードだ。『母と一緒に体験できなかった子供時代についての曲を書きたい』と彼は言った。何か使えるイメージはないかと聞かれたから……『曲を思い浮かべる時、自分はどこにいると思う?』と言うとジョンは『海岸にいて、自分のお母さんと手を繋ぎながら歩いている』と答える。それで数行手伝った――『貝殻のような瞳 海風のような笑み』。ジョンがとても愛していたルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』のような雰囲気にして。曲は……素晴らしい "Julia"

になった(略)

 ジョージが(略)インドのベース楽器タンプーラをくれた。彼は僕の曲 "The Hurdy Gurdy Man" のヴァースの1つを書いてくれて、僕はタンプーラをその曲で弾いている。お互い学び合っていたんだ。(略)」

 ドノヴァンによればポールは、卓越した音楽的な耳を持っており、特別なギター奏法をドノヴァンから教わる必要はなかった。ジョンがドノヴァンから教わるのを聞くだけで、数日のうちに奏法を会得してしまった。

 ポールはマイルズに、長いことメロディはあったが歌詞は無かった "I Will" を完成させるのを、ドノヴァンがリシケシュで手伝ってくれたと語っている。

 「(略)ある晩、一日瞑想をした後でみんなで座りながら、僕がその曲を弾いたら彼が気に入り、一緒に歌詞を書こうとした。もっといい言葉はないかと探し続け、とてもシンプルな言葉、まっすぐなラブソング用の言葉ばかりの歌詞を自分なりに仕上げた。とても印象的な歌詞だと思う。メロディの方も、未だに自分の曲で一番好きだ」

 興味深いことに、ドノヴァンの記憶はポールと食い違っている。「歌詞は手伝わなかったと思う。コードの形を手伝ったかもしれないし、その時期インドで書いた僕の曲から、イメージのヒントを与えたかもしれない」。

(略)

ある朝、ラヴが朝食を食べていた時、ポールがアコースティックギターを手にバンガローから出てきた。彼はマイアミ・ビーチから「U.S.S.R.(ソ連)に戻る」飛行機の旅で始まる歌を歌っていた。ラヴはビーチ・ボーイズが "California Girls" で歌ったように、モスクワのいかしたお姉ちゃんや、ウクライナの女の子たちが出てくる歌詞にしたらと提案した。

曲を書きまくるジョンとポール

 マイルズによれば、アシュラム滞在中はビートルズ全員の生産性が甚だしく高まり、合わせて40曲以上書かれたという。彼はまた、過去数年で初めてジョンの頭がドラッグから自由になり、音楽が流れ出るようになったと言っている。ジョンの書いた曲は―― "Julia"、"Dear Prudence"、"The Continuing Story of Bungalow Bill"、"Mean Mr.Mustard"、"Cry Baby Cry"、"Polythene Pam"、"Yer Blues" と、時差ぼけで眠れなかった最初の数日間に書かれた "I'm So Tired" だ。

 後にジョンは少し愉快そうに、こう振り返る「マハリシのキャンプで面白かったのは、美しい景色のなかで八時間瞑想していたにも関わらず、僕は "I'm So Tired" や "Yer Blues" のような地球上で最も惨めな曲を書いていたことだ」。

 ジョンの書いた曲は、当時彼の頭が混乱していたことを反映している。ビートルのままでいる熱意を失ったこと、脱退したら何をしていいか分からなくなるのではないかという恐れ、この2つの間の葛藤がよく曲に表れている。その上、故郷に置いてきた女性への報われない情熱も当然のことながらあった。

 後にジョンは次のように回想している。

 

「当時すごく『何になるというんだ?曲作りなんて無駄だ!無意味なことをやっているし、才能も無いし、自分はクソだし、ビートルでいる以外に何も出来ないし、どうしたらいいんだ?……僕のエゴは巨大で、三年か四年エゴを壊そうとし続けたら、何も手元に無くなってしまった。インドに行ってマハリシに会ったら、彼は『自分で面倒をみられるのなら、エゴはいいものです』と言っていた。でも僕はもうエゴを破壊し尽くしてしまっていて、パラノイアに陥っていて、弱っていた。もう手の施しようがなかった」

 

 例えばジョンの曲 "I'm So Tired" には、アシュラム到着から三週間、内なる悪魔が自身を苦しめる間、眠れないままベッドで寝返りを打ち続け、煙突のようにタバコを吸い続けた嘆きが歌われている。メンタルの疲労感が表れたこの曲を、後にジョンはリシケシュで書かれた曲の中でも上出来のものだと評価している。「一番好きな曲の1つだ。サウンドがとにかくいいし、よく歌えている」。

 ポールもこの曲がお気に入りで、ジョンらしいと言う。

 「 (略)スペシャルな言葉『サー・ウォルター・ローリーを呪ってやる 間抜けなくそったれだから』が出てきて最高だし、これ以上ないくらいジョンで、彼が書いたのは間違いない。100パーセント、ジョンだ。(略)」

 パティの一〇代の妹ジェニーは、ジョンと――彼は不眠、彼女は扁桃炎で――お互い慰めあったことを次のように回想する。

「(略)眠れないので、『ホワイト・アルバム』に収められることになる曲を書いていました。私が一番辛かった時、魔法のランプから出てきた、ターバンを巻いたシーク教徒が大蛇を持つ絵を描き、『内なるパワーと外なるパワーにより、そなたの扁桃腺の灯台の灯りよ、消えろ!』と厳かに唱えてくれました。ああいった晩にジョンが書いた "I'm So Tired" のような、悲しい歌を彼が歌うのが、今でも時々夜中に聞こえるのです」

(略)

"Yer Blues" での彼は紛れもない自殺願望を抱いており(略)ディランの有名曲 "Ballad of a Thin Man" の中で嘲られ怒られるミスター・ジョーンズに自分をなぞらえている。「インドで自殺したい思いに駆られながら、ブルースの曲を書こうとしていた」と、後にジョンは不気味なことを言っている。

 不眠と絶望が、彼の皮肉をより辛辣にさせる。(略)リシケシュでジョンの書いたもっと覚えやすい曲の1つ "The Continuing Story of Bungalow Bill" は、ナンシーとその息子リックの絡むアシュラムで実際に起こった事件に基づいている。好き嫌いのはっきりしていたジョンは、ナンシーをそれほど好まず、ややお節介ではないかと感じていた。(略)彼女はビートルズの住まいをリフォームし、買い出しに連れて行きと、彼らの無事を見守り世話をしていたにも関わらず、だ。クルーカットをして短パンとブーツを履くリックが到着してからというものの、ナンシーに対する反発は強まる。(略)

リックは虎を撃ちたかった訳ではなく、森の密生した下草からその野獣が襲いかかろうとしたので仕方なく撃ち殺したと、後にナンシーは釈明している。だが、殺された虎の横で誇らしげにポーズをとる、母子の写真が残されている。後ろめたさを感じたリックは(略)ビートルズもいる前で「何か悪いカルマ」になるようなことをしてしまったかとマハリシに聞く。ヨーギーは寛大にもこの若いアメリカ人に、何であれ自分の欲に落とし前を付けたことはいいことだと言って、リックを安心させる。ビートルズのメンバーやその妻、および恋人は黙っていたが、ジョンだけがあざけるように「でも、それって生命の破壊に近いことしたんじゃないの?」と言い、銃殺は自己防衛のためだったとするナンシーの弁明を一笑に付した。

(略)

「弾丸頭をした純正アメリカ人で アングロサクソンを母に持つ息子」――クルーカットをしたマザコンのリックをからかう言葉だ――による虎狩りの物語で、ジョンはヴァースに皮肉をたっぷりと散りばめている。

(略)

 ジョンと同じくらい制作意欲に恵まれたポールは、マイルズによれば、アシュラムで15曲も書いた。題材は幅広く、時に同じテーマに面白い変化を付けて歌詞が書かれた。例えば、 "Mother Nature's Son" は、人間と自然の関係についてのマハリシの講義に基づいている。 "Why Don't We Do it in the Road?" は、アシュラムの屋外で気軽に交尾する猿のカップルを、茶目っ気たっぷりに、刺激的に書いた曲で、人間も生物の本能に忠実になり、猿からロマンスを学んだ方がいいのかと質問を投げかけている。「屋上で瞑想していたら、猿の群れが見えた。雄がひょいっと雌の背中に飛び乗り、お国言葉で言えば、一発かました。二、三秒してからまたひょいっと飛び降り、『やったの僕じゃないよ』とでも言いたげに周りを見渡し、彼女の方も、『何か起こったの?』とでも言いたげに周りを見渡した……それで思った……生殖とは、これほどシンプルな行いなんだと」と、ポールは後に語る。

(略)

「ある晩、村で映画が上映されるので、みんなで出かけて行った。(略)インドのとても気持ちのいい夜だったから、マハリシが来て、みんな来て、行列を作って歩いて行った。とっても、とっても気持ちが良かった。ジャングルの小道を瞑想キャンプから、土埃のなかをやや下り気味に降りていって、行列の横で僕はギターを弾きながら、当時書きかけだった "Ob-La-Di,Ob-La-Da" を歌った」

(略)

 ジョージの方が瞑想キャンプを真面目に捉えていたというシンの見解を証明するのは、ポールがマイルズに語った、ジョージが他のメンバーを怒りに満ちて非難した一件だ。数週間アシュラムで過ごした後、ポールとジョンは当地で創作した曲の数とクオリティに大満足する。あまりに好調だったため、2人はバンドの将来の大きな計画を立て始める。

 「ジョンが壮大なテレビのシナリオを思いついたんだ!すごいテレビ番組。僕は次のアルバムのタイトル『アンブレラ』を思いついた。全てを覆う傘ね。確かこの時点で、ジョージが僕に腹を立てたんじゃなかったかな。(略)

『次のアルバムのためにここにいるんじゃないんだぞ、くそ!瞑想しに来たんだ!』。『あら、息をしてごめんなさいね!』って感じだったよ。ジョージはそこらへん厳しくて。

(略)

 リシケシュで生み出された曲のクオリティと幅は(略)彼らのキャリアのなかで頂点であると考える人もいる。1週間ちょっとしか滞在しなかったリンゴでさえも、初めて曲を作ることができたのだ。これらの曲の最大の特徴は、それぞれ独立しており、アルバムという枠を想定して書かれていない点だ。

(略)

恋する若者ドノヴァンが(略)パティの可愛らしい金髪の妹のために書いた "Jennifer Juniper" の歌詞とメロディは、超越瞑想時代の究極の愛の賛歌であり続ける。

マジック・アレックス

 マジック・アレックスがなぜマハリシのアシュラムに現れたのか――それはビートルズが到着して六週間経った頃だ

(略)

理由が何であれ、彼はビートルズのリシケシュ滞在にドラマチックな結末をもたらす上で、欠かせない役割を果たすことになる。

(略)

 全くの部外者だったヤンニ・アレックス・マルダスが、ビートルズの人生に登場し、あっという間に彼らに近づき、親しくなり、信頼を得たこと

(略)

 アレックスのジョンへの売り込みが成功した一因に、ジョンがテクノロジーに圧倒的な興味を持っているにも関わらず、全ての科学的な事に対し底抜けに無知であったことがある。程度の差はあれ、ジョンの一面は一九六〇年代イギリス特有のものだ。

(略)

[ポール回想]

「(略)アレックスはジョンのグルだったけど、僕らみんな彼のしゃべりに魅せられた。SFっぽいアイディアではあったけど、今すぐ実現可能だと言われればね。六○年代にはモダンでなければいけない雰囲気があって、それがあまりに強かったから、今これから六〇年代が始まるのではないかと錯覚に襲われるくらいだ。未来の時代だったみたいだ。過去の時代じゃなくて」。

(略)

 ギリシャ人の軍人(略)の息子で、ガリガリに痩せた、薄茶色の髪をした二一歳のこの男は(略)訛りの強い英語で、音節ごとに舌がもつれながらも、ものすごい速さでしゃべった

(略)

 制限付きの学生ビザでイギリスに入国したアレックスは、パスポートが荷物から抜き取られて以来、その期限が切れてしまったと主張していた。ギリシャ大使館にこの問題を報告に行くと、大使館員は彼がパスポートを売ったと非難する。(略)

テレビの修理店の地下で、修理工として違法に働く。同じ頃、ジョン・ダンバー(略)が、アレックスと知り合い、彼の電気と電子に対する知識を活用できるのではないかと思い始める。

(略)

[ブライアン・ジョーンズのお気に入りとなり、ブライアンがジョンとジョージに紹介]

光で色づけた空気、夜空にかけるレーザーでできた人工の太陽、ファンを寄せ付けないようにする力場、紙のように薄いステレオ・スピーカーでできた壁紙――といったアイディアに溢れ、既に制作方法も思いついていると言う

(略)

[ポール回想]

 「(略)[セッション前]僕の家に集まっていたところに、ジョンがアレックスと一緒に現れた。(略)

ジョンが僕の前で床に座りながら『俺の新しいグル、マジック・アレックスだ』と言ったのを覚えている。(略)

面白いアイディアを持つただの男に見えた」

(略)

[ベル研究所で既にプロトタイプが作られていたものもあれば]ただの想像の産物もあった――壁が透けて見え、ベッドやシャワーを浴びる人々を覗くことができるレントゲンカメラ、色の付いた空気で囲み建物を見えなくしたり、車の後部を追突から守る一種の圧縮空気。さらに、見えないビームで支えられた、空に浮かぶ家

(略)

ジョージは自伝で次のように指摘する。(略)最新の発明に気づくと僕らに紹介し、僕らは彼が発明したものと思い込んだ。僕らは全くもってうぶだった。

(略)

 マイルズによれば、ビートルズの友人でアレックスに感心する者は誰もいなかった。アレックスは科学やエレクトロニクスについて少しでも知っている人――例えばジョージ・マーティンなぞには、決して自分のアイディアを話そうとしなかった。ジョンになぜ発明が実現不可能か説明してしまう可能性があるからだ。マイルズは自著に、アレックスは『ポピュラー・サイエンス』[通俗科学雑誌]を定期購読していた可能性が高いが、ビートルズは購読していなかったようだと、かなりの皮肉を込めて記している。

(略)

技術的未来だけが、アレックスがビートルズに取り入ることができた理由ではなかった。彼には他にも使い道があった。ジョンが強く夢想していたものの1つに(略)みんなで孤島のセキュリティの高い複合型居住施設に外界から邪魔されず住む計画があった。

(略)

美しい個別の家を全員に建て、金で買える限り最高のスタジオを建設する。学校もあり、ジュリアンが1部屋だけの校舎で学び、ディランの子供たちも招かれて一緒に学ぶことができる。

 アレックスがこの機を逃すなとばかり話に飛びつき、ギリシャ沖にちょうどいい場所があり、ビートルズが「タダ同然」で買える島が何千とあると言う。

(略)

二日後アレックスが、神がビートルズのためだけに作ったような場所を見つけたと電話をよこす。(略)100エーカーの土地には1エーカーの豊潤なオリーブ畑があり、アレックスの主張では、七年もすれば、オリーブの収穫で6島の購入代金が戻ってくるとのことだった。アレックスは全てを格安価格の九万ポンドで購入できるよう手配していた。

 もちろんアレックスは、当時ギリシャが世界で最も圧政的な軍事政権の1つに抑圧されていたことを、ビートルズにあえて伝えるようなことはしなかった。この軍事政権支配下では、長髪とロック・ミュージックは禁じられており

(略)

アテネ出身のアレックスは、ギリシャの島の一件で、自分にネットワーク作りと取引の才能があり、バンドに役立つ男であるところを証明してみせた。ジョンはますます彼を好きになり、信頼を寄せるようになる。

(略)

 ブラウンによれば、シンシアはマジック・アレックスを見た瞬間から、ぞっとする思いをしたそうだ。アレックスはトラブルを起こす予感で満ちあふれていた。(略)ジョンの歓心を買う獰猛な競争相手として認識するのに、シンシアほどの適任はいなかった。

 会ってすぐにアレックスを嫌いになったシンシアであったが、制御不能なくらいにドラッグを摂取し続けるジョンにストップをかける点では、アレックスに味方になってもらえることを知る。(略)アレックスにとって、サンルームの棚に置かれた(ジョンが日々ドラッグの混合物を作っていた)すり鉢とすりこぎは、ジョンを不幸にする最大の要因であり、ジョンをコントロールできなくなる原因でもあった。ドラッグの影響下にあるジョンは、アレックスの影響下にあるジョンではなかった。

 アレックスはジョージにもつきまとったが、ジョンほどの成果は得られなかった。(略)

 興味深いことに、マハリシと会うことをビートルズが初めてアレックスに伝えた時には、彼は大喜びして、間髪入れず、超越瞑想のことを何でも知っていて、数年前にアテネ大学で行われたマハリシの講義に参加したことがあると主張した。

(略)

ジョージと異なり、ジョンとポールは2人共、無礼に近いほどの親しみでマハリシに接した。(略)

次第に会話が途絶え、気まずい沈黙が流れる。(略)ジョンが突然立ち上がり、足を組んで座っていたマハリシのところに行き、頭をぽんぽんと叩いてから「グルのいい子ちゃん!」と叫んだ。マハリシも含めて全員が、思わず爆笑した。

(略)

[ポール回想]

「どんな車を使ったらいいかマハリシが聞くから、『メルセデスは実用的でいい車です。派手過ぎず、でもちゃんと派手で、故障はあまりせず、目的地にたどり着けます』と言うと、『必要なのはこの車だ!』となる。(略)」

(略)

 映画『ワンダーウォール』の監督マソット[が到着した時には、リンゴとポールは既に帰国しており](略)

部屋に案内しながらジョンは、彼がフィリップスのポータブル・カセット・デッキを持っているのを見て、どんな音楽を持ってきたのか尋ねる。

 

 オーティス・レディング最後の録音で、リリースされたばかりの "(Sittin' on) the Dock of the Bay" と、ハッシシを少しと答えた。ジョンが声を低くして、リシケシュにはマリファナが無いこと、誰にもこのことを言わないこと、特にジョージには、と言った。(略)夕食の後で、みんなでマリファナを全部吸い、"Dock of the Bay" を最低20回は聴いた。

(略)

 ポールとジェーンのアシュラム滞在で犠牲となったのは、2人の関係だ。両者共、大体において心地よい、リラックスした休暇を過ごすことはできたが、一緒に時を過ごしたことにより、数ヶ月前にロンドンで、もうすぐ結婚すると発表したのは時期尚早だったと気づく。2人共感情を表に出さないことに長けていたため、誰も彼らの数年に及ぶロマンスが終わろうとしていることに気づかなかった。1つヒントとなったのは、日帰りでもいいから[人気のデート・スポット]タージ・マハルに行きたいというジェーンのリクエストを、ポールが頑なに拒んだことだ。(略)帰国してから1ヶ月も経たないうちに、ポールとジェーンが別れたことは、驚くに値しない。

 ビートルズの伝記作家フィリップ・ノーマンは(略)自著に、ポールとジェーンが去った後から、ジョンが落ち着きを失い始めたと記す。(略)

[アスピノール談]「ジョンはマハリシに授けてもらわなくちゃいけない何か秘密があり、それをもらえたら家に帰れると思っていた。彼はマハリシが自分に出し渋っているのではないかと思い始めた。『彼と一緒にヘリコプターに乗れば、自分だけに答えを教えてくれるかもしれない』とジョンは言った」。しかし、答えをもらうことがなかったジョンは、次第に落ち着きを失っていった。

 ヒンドゥーの信仰と文化に熱心に取り組んでいたジョージさえも、アシュラムのなかで軽い閉所恐怖症に襲われ始め、本物のインドを見せないように、マハリシビートルズの周りを壁で囲んでいることに違和感を覚え始める。

(略)

ジョンが落ち着きを失っていった原因は全て、内なる葛藤から来ていた。この頃までにジョンは、ヨーコに首っ丈になっていた。ヨーコから何千マイルも離れ、数ヶ月も会えない状態は(略)彼女を恋い慕う気持ちを強めさせたのであった。

 ジョンとヨーコは、奇妙な形で長距離恋愛を進めていた。ヨーコはジョンに、華やかな手書きの文字でたった1行「空を見上げて雲が見えたら私を思い出して」と書かれたようなハガキ何枚も送っていた。ジョンはヨーコから、暗号のようなハガキがアシュラムの敷地内の郵便受けに届くのを今か今かと待ち受けた。返答として熱情を明らかにした、長ったらしいジョンの手紙が、ヨーコのロンドンのフラットに積み上がっていった。(略)

後にジョンは語っている。「(略)インド滞在から、彼女のことをただの知的な女性ではなく、女として見るようになった」。

(略)

[ジョンはコテージのなかの別室で]瞑想するふりをしながら(略)ヨーコに手紙を書いていた。それでもシンシアは、夫婦関係がアシュラムで魔法のように元に戻るのではないかと、淡い期待を抱いていた。(略)

ジュリアンの五歳の誕生日(略)マハリシが(略)可愛いベルベットのスーツをくれた時などは(略)

「ああ、シン。ジュリアンとまた会える時は、どんなに素晴らしいだろうね!全てがまたファンタスティックになるよね。そうだろ?待ちきれないよ。シン、君は?」。(略)[だが]ジョンは翌日、鍵のかかるコテージの自室に戻って行った。ジョンの親としての思いやりと家族への献身は、突然現れた時と同じくらい、あっという間に消えてしまったのだ。

 サルツマンはジョンと交わした会話で、彼が含みのある発言をしたのを覚えている。(略)[サルツマンの失恋話に]ジョンは、「そうだ。愛は時々とても辛いものになるよな?(略)それでもいいのは、いつかは別のチャンスがやって来るってことだよな!」と言った。

(略)

 ブラウンの説明によれば、アレックスは最初からマハリシと喧嘩するつもりだったようだ。

(略)

[ビートルズの年間収入10~25%を求めたと聞き]金目当てで近づいているのではないかとマハリシに詰め寄ると、ヨーギーはアレックスを買収しようとした。

(略)

 パティの妹ジェニーは(略)「彼が来たのは、ビートルズが瞑想するのを好まず、ジョンを取り返したかったから」と言っている。

(略)

[マハリシの影響力を削ごうとアレックスは敷地内に地元の酒をこっそり持ち込み、マハリシが鶏肉を食べたと噂を流す。]

[『グル・デヴ』とタイトルがつけられた映画、マハリシは、アップル・コア以外とも同時交渉]

マハリシの側近は、グルが二重に取引をしていて、双方との交渉がかち合うことは不可避であることを知っており、その行方を心配していた。

(略)

リューツが、署名済みの映画の契約書を持ち、準備万端のフォー・スター・プロダクションの弁護士を伴い到着する。

(略)

身だしなみの整ったアメリカ人ビジネスマン風情を己のイデオロギー上の敵とみなしていたジョンは、とりわけ嫌悪を露わにした。ビートルズと彼らのスピリチュアル・グルの間で計画を進めている映画を乗っ取ろうと脅すなど、彼にとっては個人的な侮辱以外の何ものでもなかった。(略)

 その間にもマジック・アレックスは、マハリシ反対キャンペーンを強化していた。マハリシにチキンを食べさせられたことを告白した看護師を使い、彼はさらにショッキングな告白をさせる。今度は、個別相談でマハリシに性的に誘惑されたと主張し出したのだ。(略)

マハリシは手始めに、2人の間にスピリチュアルな力が流れるよう、手を繋ごうと誘ってきた。マハリシが流れを通す方法には、もっと手の込んだ、古くからあるやり方もあることが、すぐに判明。それぞれ別の日に5回、ことは行われた。偉大なる師を喜ばせたい一心で、女性は仰向けになって目を閉じ、グルが彼女の肉体に奉仕する間、カリフォルニアに思いを馳せた(略)

しかしビートルズの妻は誰もこの話を信じなかったようだ。例えばシンシアは(略)ジョンに対するマハリシの支配力を払拭できるのなら、アレックスは嘘をつくのもいとわないと確信していた。(略)その若い女性がある晩、アレックスの部屋で彼と一緒にいるところを見た覚えがあるからだ。(略)

パティもまた、ギリシャ人を信用していなかった。「すごく邪悪な人!嘘つきイタチ!」と彼女は五〇年経ってから言い、「必要の無い、不幸な騒動」を残念がる。

 マハリシが性的に不品行であるとの噂がアシュラムで広まったのは、初めてではなかった。(略)ビートルズや他の人にミアが伝えた可能性は高い。(略)

少なくとも他に2人の瞑想に来た女性(略)に言い寄った噂を耳にしたそうだ。だが以前は、ゴシップの域を出ず、証拠が無ければ信じられない話ばかりだった。

(略)

ブラウンによれば、ジョージは何一つ信じず、アレックスに激怒していたそうだ。だがジョンの方は、マハリシが結局、皆と同じように世俗的で金銭に卑しい人間であることが分かったと言い、マハリシに強い疑いを向けるようになった。

脱出、ぶちまけるジョン

[脱出を決めたビートルズマハリシが行く手を阻むのではと被害妄想に陥るアレックス]

タクシー2台を買収するのに失敗し、最終的にはボロボロの個人所有の車を運転手付きでなんとか見つけることができた。

 ジョンはマハリシに対する発作的な怒りを静められないまま(略)グルに対するひどく不快で悪意のある歌を作り始める。「マハリシ、このまんこ野郎!/何様のつもりだ?てめえ/何様のつもりだ?てめえ/おまんこ野郎!」――当初ヴァースには、これらの言葉が並んでいた。この曲は、ジョージの助言により下品さを無くし、大幅に書き換えられ、曲名を "Sexy Sadie" と名付けられた。(略)

 少し前までは有意義に思えた冒険物語の、誠に悲しい結末であった。渋々姉と義兄と一緒に出て行こうとしていたジェニーは(略)しょんぼりしたマハリシが、なすすべも無く立ち尽くす姿を覚えている。「待って。話し合いましょう」とマハリシが懇願するのをジェニーは聞いている。

(略)

 数キロ毎に車が故障し、遂にジョンとシンシアの車がパンクし、しばらく立ち往生する。皆、マハリシが何らかの呪いをかけたのだろうと思った。(略)

パティとジョージが助けを求めに行き、ジョンとシンシアと運転手は、うだるような夏の暑さのなか、人気の無い道で待った。マハリンが黒魔術を使って追いかけて来ると、何度も何度もわめくアレックスにより、事態は一層辛いものになった。

(略)

やっとデリーに着いた頃には、疲労と怒りで一杯だった一行は(略)あっという間に身元がばれてしまった。すぐにあらゆる通信社の海外特派員とレポーターが(略)ホテルのロビーをうろつき始めた。

(略)

ジョンは、オベロイに着いた途端、一番好きな酒、スコッチ・コークを飲み始める。シンシアと飛行機に乗るまで飲み続けた彼は、機上ではさらに杯を重ね(略)結婚後の不貞を酔った勢いで妻にぶちまける決心をした。

(略)

 「そんなこと聞きたくない」と言いながら、シンシアは悲しい目で飛行機の窓から遠くを見た。「知るより知らない方がましだ」と彼女は言った。(略)ジョンが突然告白の必要性に駆られたのは、もっと悪いことが起こる前兆ではないかと心配した。「それでもちゃんと聞くんだ、シン」とジョンは言いながら、彼女の腕に手を置いた。

 「ずっと何年もツアー中に何をやっていたと思ってるんだ?くそ。女の子たちがわんさかいた。ハンブルグでは…」。「そう、知ってた」とシンシアはジョンの言葉を遮った。「リヴァプールだってそう何十人も、何十人も。一緒に付き合っていた間ずっと」。シンシアの目が涙で一杯になり、頬を伝って流れ落ちた。(略)

「世界中のホテルの部屋でだ!分かったか!でも、君に知られるのが怖かった。誰も歌詞を理解できなかった "Norwegian Wood" は、全部それだ。君に知られないよう、不倫のことをちんぷんかんぷんな言葉で書いた。(略)」。

 「もう聞きたくない」――シンシアは懇願し続けた。それでもジョンは、残忍なほどに正直であろうとした。他にも有名なイギリス人ジャーナリストや(略)ジョーン・バエズと浮気したことを告白し続けた。さらに、イギリス人女優とも断続的な関係を持った事実だけでなく、一夜限りの相手もリストアップし、その中には、ロンドンの友人宅に出張手配されたプレイボーイ・バニーも含まれた。

(略)

シンシアとの間にあった残り少ない感情を壊し、磁石のように彼をロンドンに引き戻したヨーコのために道を空ける、計算が働いたのかもしれない。

(略)

次第にジョージはパティから離れ始め、最後に夫と心を通わすことが出来たのは、もの悲しくも美しいジョージの写真をマドラスで撮った時――裸でベッドに横たわる彼の顔には、窓からの日差しが当たっていた(略)「その後彼は着実に自分の殻に閉じこもるようになり、最後には彼を見失ってしまうのです」とパティは五〇年後に回想する。

 その間ポールは、バンドが元に戻るのをロンドンで待っていた。ビートルズとそのビジネス王国(アップル)が、自分の指揮の下で花開くと彼は信じていたのだ。

ヨーコ登場、バンド崩壊

ビートルズがスタジオに集まったのは、ニューアルバム(略)に取り組むためで、新曲の数々――その多くは戻って来たばかりのインド旅行で書かれた――をレコーディングすることになっていた。その時だ――世界でこれ以上当たり前のことはないという顔をして、ジョンがヨーコを腕にスタジオに入って来た。ジョンと並び決然とスタジオの床に座ったヨーコを、バンド仲間の3人はあぜんとしながら黙って見守った。

 それまでビートルズは、神聖な場であるスタジオにゲストが入るのを許可することはほとんど無く、妻やガールフレンドでさえも例外ではなかった。彼らがもっと耐えられなかったのは、レコーディング中に邪魔をされ、アドバイスをされることだった。(略)

ヨーコが初めて口を開いてジョンに意見を言った時には、スタジオにいる全員が仰天したが、ポールは怒りに燃えた。「くそったれ!誰かしゃべったか?どこのどいつだ?ジョージ、何か言ったか?ああ、お前の唇は動いてなかったな!」。

(略)

他のメンバーに毛嫌いされていることが分かると、ヨーコはジョンの近くにうずくまり、ひっきりなしに彼の耳元でささやいた

(略)

バンドのメンバーはヨーコに対する不快感と怒りで一杯になり、彼女が自分たちのリーダーに魔術をかけたのではないかとさえ思うようになった。ボーイズと(略)[スタッフは]ドラッグの混合物が引き起こすジョンの悪い部分を、些細なものとして何年にもわたり容認してきた。例えばジョンは、リシケシュから帰国後のある日、「(略)親友を何人かアップル・レコードに集め、啓示を受けたと宣言。自分が地球に戻って来たイエス・キリストであり、その事実をプレスリリースすることを要求した」。(略)しかし、断固としてファブ・フォーをファブ・ファイブ、またはファブ・フォー半にしようとするジョンの要求は承認できるようなものではなく、彼の奇行が限度を超えてしまったと、周りの全員が感じていた。

 それでもショットンの言うように、ビートルズ解散の原因がヨーコであるとするのは間違いだ。ポールと他の3人のボーイズの間の、醜い実権争いにより引き起こされたバンド内の根本的な緊張状態に、彼女が火をくべる結果になってしまったに過ぎないのだから。

(略)

[インド行きの失敗により]次なる一歩では自分にもっと頼ってほしいとポールは考えていた。性的不品行の疑いのあるマハリシに過剰反応したジョンとジョージを叱りつつも(略)2人の仲間がスピリチュアルな探求に流されているとした自分の指摘が正しかったことに、ポールは密かにほくそ笑んでいた。

 事態の収拾と次に進む助けをする自分に、他の人が感謝すべきとポールが感じる一方で、バンド仲間は(略)あれこれ指図しようとするポールを、偉そうで無神経だと思っていた。

(略)

"Across the Universe" を何テイクも録音する最中にポールに怒られたことで、ドラマーは出て行く。(略)今回は、ドラムの腕が問題になり、リンゴの存在自体が矮小化されたのだ。

(略)

[リンゴ回想]

 僕は言った「バンドを脱退する。上手い演奏ができないし、愛されていると思えず、君ら3人がとても仲良くて、部外者のように感じているから」。するとジョンは「君ら3人こそ仲いいと思ってたよ!」と言う。

 それでポールの所に行き(略)同じことを言った「バンドを脱退する。君ら3人がとても仲良くて、中には入れないように思えるから」。するとポールは「君ら3人こそ仲いいと思ってたよ!」と言った。

 それでもうジョージの所に行っても無駄だと思った。僕は言った「バケーションに行くぞ」。子供を連れてサルデーニャに行った。

(略)

 ビートルズは、「世界最高のドラマー」と讃える電報を送って(略)リンゴが折れてスタジオに戻って来ると、ドラムは花で飾られていた。だが(略)翌年の一月に今度はジョージが出て行く。彼はポールとジョンの両方ともめており、前者の高圧的な態度に息の詰まる思いをし、ヨーコの登場で自分のバンド内の存在がより小さくなるように感じていた。(略)

ジョンとジョージ(略)は怒りの拳を振りながら、醜い呪いの叫びを浴びせ合った。

(略)

ファブ・フォーの私生活は、仕事上のキャリアと同様に崩壊する。リシケシュから帰国後数週間も経たないうちに、ジョンはヨーコと寝て、情け容赦なく人生からシンシアを消し去った。ポールとジェーンの場合は、ポールが他の女性とベッドにいるところをジェーンが見つけてしまう。(略)ジョンとポールがそれぞれのパートナーと手を取り合いながら、リシケシュの川沿いを歩いてからちょうど一年の一九六九年三月には、2人は他の女性と婚姻関係を結ぶ。なんとそれぞれの結婚式の日は、一週間も離れていない。

(略)

 皮肉なことに、ビートルズが仕事上でも私生活の上でも、リシケシュを去ってから間もなくバラバラになったのに反し、マハリシの方はそれから何年も、何十年も、驚くほど好調だった。(略)マハリシは活動の場のほとんどを海外に移し、故郷を振り返ることは二度となかった。翌年、創造的知性の科学(SCI)のコースを開始。当時アメリカの25校の大学で、このコースは履修可能だった。マハリシはまた、超越瞑想のコースを軍人に学ばせるようアメリカ陸軍を説得する。一九七一年までに彼は、世界ツアーを13回行い、50カ国を訪問した。

 一九七五年一〇月にマハリシは、『タイム』誌の表紙を飾る。同年、彼が「悟りの時代の夜明け」と名付けた5大陸を訪れる旅に出発。マハリシはこのツアーでオタワを訪れ、カナダ首相のピエール・トルドーと個人的に会っている。

(略)

改宗者が増えると共に、金がどんどん入ってきて、マハリシは間髪入れずに土地を購入した。

(略)

本部をスイスに置き、一時は月に六百万ポンド(一千二百万米ドル)の収入があり、世界中に200万人の信奉者がいたと報告されている。

 一九九二年にマハリシは国際的な政治政党を設立(略)議員に立候補するよう、既に解散していたビートルズのメンバーに呼びかけた。その頃までにはジョージ、ポールとリンゴはグルと良い関係にあり、唯一警戒気味だったジョンは亡くなってから大分経っていた。(略)立候補する者はいなかったが(略)選挙キャンペーンには、皆協力した。無論、全ての候補者が供託金を没収された。