熊本にマンガのミュージアム?



マンガミュージアム展開催中の熊本近代文学館にて
記念シンポジウムがあります。

日時:平成24年8月26日(日)
午前10時〜正午
会場:熊本県立図書館3階大研修室
定員100名

パネリスト
 表智之北九州市漫画ミュージアム
 芳崎せいむ
 (漫画家「金魚屋古書店」「鞄図書館」)
 橋本博、鈴木寛
 (熊本マンガミュージアムプロジェクト)
コーディネーター
 吉村和真京都国際マンガミュージアム




申込み方法は
電話・メール・ファックスで受け付けています。

①氏名 
②連絡先(電話番号等)

を明記のうえ、件名に「マンガシンポジウム申込」
を入れてお申し込みください。

なお、ファックス・メールにつきまして、
こちらから、受付確認の連絡をしますので、
必ずご確認ください。
メール:kinbun@library.pref.kumamoto.jp
ファックス:096-385-4214
電話:096-384-5000

この夏の思い出

しばらく書き込みしていなかったので、夏の間の記録をまとめておこう。
クママン関係については別のブログに書いておいたので、それ以外の事項を記しておく。8月18,19日は恒例の天草湯島行き。母方の実家のある湯島に通いだして十年になる。最初は奥さんと、それからは1人で、最近は友人といっている。ここで思いっきり潮風を吸い込んで、シュノーケリングして、泳いで、海の幸を腹いっぱい食べて、マンガを読んで、後はボーっとしておく。この無為な時間のおかけでが身心共にリフレッシュできた。
9月7日は誕生日だった。昭和23年9月7日が私の誕生日。それから元号が一回りして平成23年9月7日になった。明治から大正、あるいは大正から昭和というように元号が代わると、時代も全く変わってくる。昭和23年、戦争の傷跡がまだ消えない時に生まれて63年、もう随分生きてきたような気がする。そんなことを考えた印象深い誕生日だった。
 9月11日は福岡で小田和正コンサートへ。6月の熊本公演を聴いて眠っていた小田さんへの思いに火がついた。小田さんも現在63歳。同世代の多くが引退しているのに、彼はまだバリバリの現役。ヤフードームをところ狭しと走り回り、歌い続け手いるのに一向に息が切れない。そしてあの澄んだ声。ホントに頭が下がります。今回は同世代の男性の姿が目に付いたが、彼らも小田さんに元気を分けてもらっていたようで、帰りのバスの中ではみな元気そうだった。
もしかしたらこれが最後のコンサートになるかもしれないと思いつつ、それでもやはりずっと続けてほしくて心からのエールを送った。頑張れ!コンサート最年長記録更新を続ける小田和正
 

夏休みマンガ企画目白押し

さてこのブログもちょっと間が空いてしまった。この間色んなことが一気に進んだので、これまでに進行している計画をお知らせしよう。

①湯前マンガ美術館 運営会議参加 8月上旬
10月開催予定のマンガ展、11月のマンガフェスタの企画つくり。現在マンガ展の企画が難航している。
熊本日日新聞 新聞博物館くまTOMO展 8月28日(日) 午後3時〜4時
熊本ゆかりのマンガ家講演会 ワンピース、ケロロ軍曹夏目友人帳を核として
グランド12のチカラを借りて子どもたちに受ける企画を検討中
松本零士氏との対談  8月27日 近代文学館午後1時から 
松本氏の雑誌、単行本を提供したお返しに対談実現 何を聞いたらいいのかを立案中 
④中国からの引き上げ〜少年達の記憶展 9月6日〜11日 崇城大学ギャラリー
展示企画のお手伝いと関連本の提供、メディアへの推薦文
プレイベントとしてマンガ評論家石子順氏の講演会、懇親会に参加予定
宇城市三角港町おこし会議参加 8月6日 三角西港
マンガによる町おこし企画のプランを説明
合志市のカントリーパークに食農漫画館プレオープン 8月14日
夏祭りの一環として「青空マンガ図書館」開催 それに向けて本の供出

プロジェクトに仕事が少しずつフィ得てきた

地元の新聞社とのタイアップで夏休みに熊本日日新聞社の新聞博物館で「熊日記事に登場した熊本出身の漫画家たち」という
企画が進行中。土曜日の熊日に案内記事が掲載される。この企画に向けて熊本出身のマンガ家の描いたマンの単行本を探すのを手伝っている。8月28日は新聞社で私の講演会も予定されている。

合志市で開かれる夏祭りにマンガを虚言うしゅつすることに、現在整理中のマンガをここで読んでもらおう。さらに合志市では何でも鑑定団に登場する予定なので、それに向けてのお宝を探しておく必要がある。

宇城市の町づくり戦略会議で「コンテンツ産業と町おこし」というテーマが話し合われている、8月の第二週に地元の人たちとの交流会に出席に出席することになった。ここも随分と忙しいそうなプロジェクトになりつつある。

明日は湯前町で町づくり検討会議に出席。プロジェクトにとって初の公的仕事の依頼なので慎重に対処していきたい。

これからのクママンの構想と妄想

熊本マンガミュージアムプロジェクトが活動を始めた。公式ブログは別に立ち上げたが、パソコンの不具合で更新できず、八代のMさんにお願いすることに。このブログでは私の個人的な思いを書いておくことにする。今日で予備校のレギュラー授業も終了。夏期講習までしばらく間があるのでこれからのクママンの構想と妄想をメモしておこう。
合志市「食農漫画館」の企画書作成 クママンとしてはこの事業が成功するかどうかが鍵!NPOが認証されたらすぐにスタートできるように準備を進めておかなくては。
NPO申請手続き 役員交代などで日程がずれ込んでいるので早くしないと補助金申請など後々困ることになる。それにしても時間かかるねぇ。
③金魚屋原稿 今回のお題は「吉野朔美」ブーケコミックを読み直しておかなくっちゃ。単行本12巻発売中。
松本零士対談準備 8月27日に松本氏が講演で来熊。一旦は流した企画だったが新聞社、文学館の協力により企画が復活。質問項目を固めておくこと。
湯前町まんが美術館リスタート計画発動。第一回目の会議が湯前で7月17日に。それまでに空きのマンガ展とマンガフェスタの企画書を作らなくっちゃ。
ちばてつやトークショーが8月14日に湯前で開催。それに向けて熊本での出張展示会の企画したり人集めの構想を練ったりしておかなくては・・
⑦9月から尚絅大学で始まるマンガ講義の準備。シラバスはつくってるのでそれに沿ってレジュメを作っておく必要がある。当初とは講義の内容も変わってきた
宇城市の施設に「海のマンガ」図書館構想あり。場所の法的問題が解決したら近く関係者と協議。海は天草、山は阿蘇、川は五木、歴史ロマンは火山と遺跡。
⑨韓国、中国でマンガ産業を進めようとしている企業と対談。今のところ海外戦略まで考えていないが、熊本と世界を結びつけるには重要なことかも。
⑩夏休み恒例の湯島での骨休み。今回は町の人たちや郷土史家も交えて町おこしの話も進めてみよう。元はここにに図書館を作る予定だった。そういえば西原村も最初の予定地の一つだったなぁ。
⑪10月に早川倉庫で「ニンジャマンガ」展。これまで集めてきたコレクションを一箇所に集約するいいチャンスになるはず。でも誰が見に来るんだろう・・
⑫球磨地方の酒屋さんの倉庫を利用して「お酒マンガコーナー」開設の話がある。それまで少しずつお酒まんがを集めておくことにしよう。日本酒マンガは結構あるが、焼酎マンガってあったっけ?
⑬下通りのクママンのアジトを「迷宮マンガ倉庫 ダンジョン」として生まれ変わらせる。金魚屋に出てきたマンガを取り揃えておくことが基本。グッズも。
⑭高森町と梶原一騎熊本市の岡田珈琲とバロンの柔侠伝、ケロロ軍曹熊本電鉄またはくまがわ鉄道、三角線とワンピース列車などの構想を練る。
⑭肉体作業で急務なのは店の周りと倉庫の本ノ函入れ替えと搬出。16,17日の一斉作業の前に下準備が必要。

風呂屋での事件

機能は久々に時間が取れたので孫を連れて近くの銭湯に行く。お風呂が大好きなこの子のはしゃぎようったらなかった。しかしそこでとんでもない事件が・・

2歳半の孫がトイレから私が出てくるのを待っていたときに指がドアの隙間に挟まってしまいどうしても抜けなくなってしまったのだ。その場に居合わせた人たちが必死で助けようとするがどうしようももなく、激痛に耐えかねた孫の声が風呂屋全体に響き渡る。こんな狭い隙間に指が入ってしまうとは誰も想定していなかったのか、風呂屋のスタッフ達もただうろたえるばかりで何もできないまま時間が過ぎていく。ちいさい子どもが痛みに耐えかねて泣いているいる姿はとても正視に耐えられるものではない。しかもその子が自分の孫というのだから胸が張り裂けそうな思いでただ見守るしかなかった。
そのうち誰かが鉄製の金具をどこかから調達してきてドアの隙間にねじ込み、みんなで力を合わせて隙間を拡げてくれた。びくともしなかったドアがギギギと不気味な音を上げてきしむ。間一髪のタイミングでようやく指が外れた時にはその場で歓声があがった。みんないざとなったらこんなにも必死になって助けてくれるなんて・・思わず涙が出そうになったがぐっとこらえてみんなにお礼を言うのが精一杯だった。
 ようやく外れた指だったが見る見るうちに腫れてきた。泣きつづける子どもの声を聞きつけて若い男性がさっと子どもの手を握る。「誰か割り箸とガムテープ、それに氷を急いで持ってきてください。私は医者です。すぐに手当てをしないとこの子の手は動かなくなるかもしれません。すぐに救急車を手配してください」という的確な指示が飛ぶ。
この時ほど医者という存在がありがたいと思った時はなかった。駆けつけた救、急車に飛び乗り大急ぎで国立病院へ。この間ずーっと泣きつづける子どもを前に、何もしてあげられない自分の無力さを痛感するばかりだった。

幸い骨に異常はなく、後遺症も残らないとのことでホッとしたが、子どもにとっても私にとっても忘れがたい一日になった。現場で力を貸してくれた皆さん、応急手当をしてくれたドクターにこの場を借りてお礼を申し上げたい。
「本当にありがとうございました。人の心の温かさが本当に身にしみました」