百八記blog

はてなダイアリー「百八記」から引っ越しました。相変わらずの、がさつずぼらぐーたら。

引っ越し

2017年8月末に、住まいを引っ越しました。

前の住まいも悪くないところでしたが、住み始めの当初からモノがあふれ、もう何年も前から引っ越しを検討していたのだけど、その間にも仕事や生活の鬱屈、感情の起伏がいかんともしがたくなりプチうつに。なんとか動きやすくなる方法を模索して、転職するか、引っ越すか、いやどっちにしても持ってるモノは減らすのだけど、少々減らしたところで効果は薄く、もはや整理すらままならない。他の決断も視野に入れるか。思い悩む日々。

そうこうするうち今の職場に勤めて10年になり、結婚15年がせまり、子供はどうやら今後もできない。住宅ローン金利は史上最低額を更新し続け、住宅ローン減税の制度は延長され、一方で消費税はいつ引き上げられてもおかしくない状況に。転職するにしてもその前にローンを組むのか、賃貸を続けるのか。続けるなら同じマンションの他の部屋が価格を下げ続ける中で、うちだけが以前と同じ額を払い続けるのか、交渉するのか、他の物件に移るか。なんていう複合問題も出てきた。決断するにあたっても、何を楽にして、何を頑張るのか、何を新しくして何を変えないのか。取捨選択しなくてはならない。

前の住まいから自転車で10分、徒歩30分弱の現在の住まいが見つかった。部屋が広くなり駅に近くなった代わりにお金を使い静寂が遠くなった。モノは少し整理できた。

1年半弱住んでみて、正解かどうかはいまだに不明。たぶん死ぬまでわかんないだろうな。もっとも既に築20年の古マンション、死ぬまで住むわけでもないだろう。まあだいたいのことにおいて、何もかも満足なんてことは、なかなか無い。

転職はまだしていないけど、体調を崩したのを機に社内で移動を願い出て、新しい部署で役に立ってるんだか立ってないんだか、よくわからないままとりあえず働き続けている。どんな仕事をするにしたって、ゼロスタートは困難だ。以前からやってきていることをちまちまと積み上げて、それが時に使えたり使えなかったりするのを見極めながら、更に積み上げるしかない。

2019年1月の本日、はてなダイアリーからはてなブログへ駆け込み移行しました。こちらの引っ越しはお金もかからず、そもそも前のところに居続けるという選択は存在しなかったわけだけど、辛うじて積み上げたものは積み上げたものとして、残せて幸い。

またどうぞよろしくお願いします。

 

新しい年に

kirinsha2016-01-02

新年明けました。
めでたさも中ぐらいなりおらが春
といった心境で、新年のお祝詞は失礼いたします。
気付けば課題てんこ盛りの2016年初頭です。忙しいのはどなたもお互いさまで、私の場合は大局観のなさや要領の悪さが輪をかけており、本年はどうにか余裕をもって諸事対応できるよう、工夫を続けたいところ。
日々のことはツイッタで折々呟いていますが、大局観ちゅうのは思ったことすぐ140字で出力しちゃうようなアレではナンですな、涵養されないもんですな。
この年末年始で本当に余裕があると言えるのは今日1日限りですので、しっかりリフレッシュして明日からの1年に臨みます。
写真は元日のベランダから見た日の出…直後(寝坊)。

好きなところは些細なところ(かも)

今朝ほどついったに細切れで上げてしまったのでまとめておきます。

昨日の歌舞伎座夜の部「伽羅先代萩」通し、冒頭の花水橋で、なんてことない、ほんの数十秒の場面なんだけど、紋付着てるから侍で、梅玉扮するお殿さまを襲う名もない暴漢のひとりが、襲いかかって梅玉の下駄に気付き、その匂いを嗅いで、そっと持って逃げようとしたところを梅玉の威光に打たれて畏まって下駄を戻し、また暴漢に戻る一連の流れがあって、それを観ていてしみじみと、ああ私が歌舞伎を好きなのは、こんなところを生身の人間がやってみせてくれるからでもあり、それはとても大きな要素だなあと、今更ながら感じ入ったのでした。
ほとんどが他の芝居でも使う型で、この芝居独特なのは下駄の匂い嗅いで持って行こうとするところだけど、それも伽羅を印象付ける型で。1人の脇役が、暴漢から匂いを嗅ぐ滑稽な男、欲に駆られて下駄を失敬してしまう盗人、威光に打たれて震え上がる小人、下駄を履かせる臣下、また暴漢という目まぐるしい役の性格の変化を型の中でするすると演じてくれて、中央にお殿さまが悠然とあることを少しも妨げず、際立たせ、まことに哀れで可笑しい。そしてそれら全て、生身の人が演じ生身のこちらが見ることで、毎回新しい。ということが、しみじみと嬉しいと思ったのでした。

歌舞伎ってどこが面白いの?誰が好きなの?と訊かれることがたまにあって、誰がには役者全員だし特に好きな役者もいるから答えられるんだけど、どこがってのは今書いたようなところだったりするので、答えづらい。もちろん他にも好きな要素はたくさんあるんだけど。
歌舞伎に連れて行ってもらうようになって面白いとはっきり認識したのも、梅玉が舞台の中央にいる時だったなあ。「江島生島」で梅玉の生島、うわあっこんな男(色男で金も力もなくて、おっとりと狂ってて、気の毒でかわいい)現実に居たら大嫌いなのに、なんでこんな素敵かなあ!って。
梅玉のことは、そりゃ役者の中ではどちらかというと好きな方だしクレバーでおかしみがあると思ってるけど、きゃー梅玉さまが出るならアタシ何が何でも観なくちゃ!ってほど好きなわけじゃない。でもなにかをしょっちゅう私に自覚させるんだなあ。

忠見のうた

昨日ツイッタに少し忠見のこと書いたので、転記および追記しておきます。

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壬生忠見について、私は憧れをもっていて、イメージとしては美味しいものが好きで朗らかなおっさんです。貴族としては見下されがちだけど、あんまり気にしてないというか、むしろその身分の低さも良い方に捉えてのびのびと仕事して遊んで暮らしてる。そんな印象。
なので、天徳の歌合で負けて悶死したというのは、全くその経歴や歌から受ける印象と真逆なので、まあ話を面白くするためのガセでしょうと思っているのですが、それはそれとしてあの歌は、はっきりいって私はダントツに勝利と思っているので、あれで負けたら憤死してもいい。
みたいなことを卒論に書いたんだけど、いま考えてもこれ卒論にするべき内容じゃないよなあ…学問じゃないわ…。しかしどうにか私は私の好きな忠見をいつかは、まざまざとありありと、眼前にあるようにえがきたい。
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私が歌合で恋すてふを勝利と思う理由。
こひすてふわかなはまたきたちにけりひとしれすこそおもひそめしか
しのふれといろにてにけりわかこひはものやおもふとひとのとふまて
並べると、同じ「忍恋」というお題でもいろんな意味で全く異なる歌なので、この歌合は面白かったろうとは思うけど、「こひすてふ」は下の七七で、うろたえ震える心を瑞々しく描いており、恋心を隠す人の胸を打つ。「しのふれと」も人に問われてはっとするところはいいのだけど、「こひすてふ」に比べると、その心の震えからはいささか遠い。それが技巧であり上品な歌に見せている部分でもあるので、そういう歌が好きな人にはいいのだろうけど、卒論を書いていた頃に恋をしていた当時の私にも、そして恋からも文学からも遠ざかり忍ぶのは仕事の悪態という現在の私にとっても、「ひとしれすこそおもひそめしか」という内心のつぶやきの鮮やかさ切実さは、ほかの表現では替えがたい魅力。
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ここから追記。
私が忠見に対して持つ印象は主に各歌集から来るものなんだけど、父の忠岑のうたと忠見のうたは混在していて切り分けにくいため、いくぶんか忠岑その他のイメージも取り込んでしまっていると思う。
忠見集はそれが顕著で、おそらく家伝書として編まれたものと思われ、家の者が詠んだうたをいくつかここにまとめておくから我が子らはこれを読んで勉強しなさいね。とでも言いたげな家長としての忠見をそこに私は感じる。
この、家の仕事の一環として歌やってます感は、忠見を考えるときどうしても外せない。現在では任官状況が全く分からなくなっている忠岑の代に対し、その子忠見はふたつみっつは任官状況がわかっている。たぶん、父親よりも出世したのだ。おそらくは歌の力も使って。
それでも身分でいうと正六位がわかっている最高位だから、上記「しのふれと」の平兼盛の毛並の良さと比べると、猟官運動とか苦労して少しでも出世したんだろうなーという気もしないでもない。
わかっていることが少ない分、そんなふうに今はもう知る術もないいろいろなことを、断片を手掛かりに好き勝手に空想する余地があって楽しいけど、生没年だけでももう少しはっきりすると空想の手掛かりになるのになあと、そこは残念。
まあ卒論から20年近く経って、その時点から知識としては一歩も進んでいないので、どこかで知識を仕入れ直して、空想を新たにしたいものです。

大学でなにする

ツイッタでうっかり反応して書いてたんだけど、ちょっとツイート向きのことじゃなかったので、削除してこちらに転記します。

大学入学まで、私は、自分が勉強が下手ではあるにしても、好きじゃない、どちらかというと嫌いだってことに気付かなかった。入学後に気付いて、教師になろうとしてたのでこれじゃなれないとわかり、パニックになった。でも大学生活は私に何らかの身にはなったと思う。
なんで大学に行ったかというと、ほかに出来ることが無かったからだ。それは私の視野が狭くて選択肢が無かったということでもある。得意と言えることが国語しかなく、その道で食うには大学進学しか手がないと説明し、親も納得した。まあ大学留年卒業後、一度も国語で食えてないんですけどね。
卒業後運良く入社できた会社は採用条件が大卒以上だったので、そこはラッキーだった。ともかくこうして15年間食って行くための基礎教育をしてくれたので、その点でも私の大卒には意味があった。そんなわけで、私は、勉強嫌いが大学進学することについては、そういうこともあるとしか言えない。
勉強嫌いでもほかにより良い選択肢が無いならそりゃ大学行くだろうと、今でも思う。ただし、私の研究にはオリジナリティが無く、そもそも研究とも言えない代物だった。この人が好きです、程度の。ゼミの発表も苦役だった。でも主席のAさんはレベルが違った。彼女の発表はいつも新鮮だった。
周囲には本物の凄い人たちがいた。あの人たちを見られてよかった。あのみじめで無駄な数年間がなければ、私は阿呆のままだったろう。社会人としてそういう時間を過ごすことは、ほんとに難しい。高校までにそういう経験ができる人は一握り。特に田舎では。私は…大学が門戸を広げることを批判できない。

大学入学する時、やりたいと思っていたこと。1.教職の免許取得。2.源氏物語の全文を写本で読めるようになっていること。3.漢詩を作れるようになっていること。3番目だけは漢詩作法の授業があったのでその一端には触れられた。あとはちょっとかじって全滅した。国語で食うとか無茶な夢だったな。
でも1番以外は、大学の方が効率はいいけど、大学行かなくてもまあ取り組むことはできる課題だ。卒論についても書き直したいと思いながら卒業して15年。
いろいろを老後に先送りしている日々だ。それも悪くないんだけど、先送りしてきたことを忘れていたり、他にも人生で先送りにした課題が片付けられてなくてだんだん詰んできたりしてるので、たまたまTLに出てきた大学教育についてのいくつかの話をきっかけに、ちょっと思い出してみた次第。
だんだん増殖する宿題のある人生であるよ。

おとな

えー、お久しぶりです。
二度目の成人式も済ませて、年齢的にはすっかり大人ですが、いまだにウロウロしています。
いま通勤カバンに入っていますのは、「ジブリの教科書5 魔女の宅急便」(スタジオジブリ)と「邪悪なものの鎮めかた」(内田樹)、どちらも文庫が出てすぐ買って、並行で読んでます。読むの遅くなったなー、これはド近眼のまま老眼に突入しつつあるかなあ。

で、魔女宅のほうは買ってからわかったのですが、ナビゲーターが内田樹でした。
このひとは大人ということについて一家言あるので、魔女宅は成長物語の側面が濃いためにそういった文脈からかとおもったのですが、そこはサラッと流して才能について多めに書いてありました。
しかしやはりだいじな大人ポイントも書いてあって、いはく、
「才能が枯渇したときに、そこから抜け出して、もう一度才能を起動させるためには人間は成長しなくてはならない」です。
魔女宅について他の人が語る言葉の端々に、類似の内容がみられます。
ちょっとここ、丁寧に読んでいこうと思います。

役者の人品骨柄について

Twitterで、故中村勘三郎丈について「愛される人品骨柄」と書かれているのを偶然読んで違和感を。
人品骨柄、て、ふだんの生活で使わないですね。読み方は知っている。意味もなんとなくわかっている。ということは、どこかでルビでもふられた書き物で目撃したのか、芝居の台詞にもあったなあ。
通常は「人品骨柄卑しからず」という言い回しで使われる印象ですが、これを用いる場合、まず人物評ではあるものの、その人物に高い敬意をもって、敬して遠ざけるではないけれど、やや距離をおく印象がある。少なくとも、あまり面と向かって言うような言葉ではない。人がらも外見も、いやなところ、卑しいところがなく、尊敬に値する、一目おかせていただこう。というようなニュアンス。
こうした使われ方をする「人品骨柄」に対し「愛される」という、ええと、助動詞になるのかなちょっと迷っちゃったよ、は、適切ではないのでは?と感じたのが、上記の違和感につながった模様です。
人品骨柄でぐぐったらお懐かしや石川忠久先生の解説が引用されていたりして、まあ漢語ではあり、愛されるというふんわりやわらかな言葉ではミスマッチなんでしょうな。
人品骨柄卑しからず、かつまた愛される役者であった。こういう書き方ならば違和感が無いのですけど。さておき。
私にとっての勘三郎丈ですが、15、6年ほど前までは、愛嬌があり楽しい役者だと思ってはいたものの、人品骨柄を云々する感じではなかった。踊りはうまいし声は明るいし、すばらしい役者なのだから、そんなに観客に媚びなくてもいいのに。と、やや残念になりながら見ていることが多かった気がします。もうちょっとゆったり大きく芝居してくれれば、もっと好きになれるのに、って。
勘三郎襲名の少し前あたりから、こちらも芝居を見慣れてきたせいもあってか、どんどん好きな役者になっていきました。
高坏などのスピード感溢れる踊りの妙義、鰯売の愛嬌いっぱいで誰もが好きになってしまう猿源氏、梅暦の気持ちのいい深川芸者、そして圧倒的な連獅子、忠臣蔵俊寛などなど。必ず引き合いに出されるコクーンの夏祭は実際に見に行っていないので、ただまあ凄かったのだろうなとは思うのだけど、コクーンでは佐倉義民伝を観て、度肝を抜かれました。
なんといっても中村座。一昨年11月のお祭は桜席で斜め後ろから、待ってましたを一身にうける肩を観て、ああ江戸に勘三郎が帰ってきた。有難い。と涙ぐんだことでした。
こちらにその素養が欠けているので人品骨柄は云々できませんが、愛していた愛されていた。これからどんどんスケールの大きな役者になっていき、歌舞伎をリードして行くのだろう。そう思っていました。
勘三郎ひとりのことではなく、他界されたどの役者も一代でぜんぶ持って行ってしまう、代わりはないわけですから、年とともにいっそうしみじみと、いまいる役者を愛おしく尊く観るのです。