37.2℃の微熱

読書と映画の備忘録

+『ザ・ウォーク』を見ました


 少し前に『ザ・ウォーク』を見た。ツインタワーにワイヤーを張り、その上を歩いた伝説の綱渡り芸人フィリップ・プティを描いた映画。プティはフランス人なのだけれど、アメリカでゼメキスがつくったことや、ラストシーンの映像で「ツインタワーの神格化」という意図を少なからず感じて、うーんと思ってしまう。でも、そうでもしなければ、これはただのキチガイ映画になってしまうのではと指摘されて、納得したりもする。でも、それでよかったのだ。ツインタワーに張ったワイヤー上を恍惚として歩むフィリップは間違いなく情熱的なキチガイなのだから。
 この映画より、ドキュメンタリーの『マン・オン・ワイヤー』のほうに感動するのは、その情熱と狂気がよりきっちり描かれていたからだ。この映画を見たかったのも、ドキュメンタリーを見ていたからだった。
ツインタワーに張ったワイヤーをするする歩き、人々から感嘆をもって見上げられているフィリップは、水上を歩くイエスのようにも見える。ワイヤーの上に横たわったフィリップのもとに降りてくる鳥は、祝福を与えに来た聖霊なのか。それとも鳥が魂を持ち運びすると考えれば、何かの不吉さの象徴なのだろうか。  
 フィリップの行為は、誰にとっても特に意味のない、利のない行為なのに、あの高さを歩いているフィリップには不思議な崇高さがあり、多くの人の心を掴んでしまうのが面白い。
 

+ヴァレンタイン前後

+可能性


可能性。ソフトクリーム食べたいわって、行きずりのだれかにねだること。(穂村弘『手紙魔まみ、夏のお引っ越し』)


行きずりの人にねだったわけではないけれど、冷たく甘い可能性は濃厚なチョコレートとピスタチオの味だった。



+DEMEL



バレンタインデーにDEMELのマンデルショコラーデを頂きました。キャラメリゼしたアーモンドに、シナモン入りのホワイトチョコレートコーティング。今年2016年のバレンタイン限定のお品だそうです。パッケージも美しくて、嬉しいな。可愛い、綺麗、美味しいと、パーフェクトにそろってしまうDEMEL。しばらく飾っておこう。

+オールタイムベストの本


 一生のうちにオールタイムベスト本30冊を選ぶというのをやっていて、ひさしぶりに更新。アラン・ムーア(原作)・エディ・キャンベル(作画)『フロム・ヘル』をいれる。読んでからしばらくたっているし、『ウォッチメン』とどちらにしようか、自分の中でながらく迷っていたのだけれど。ふと、人間が想像力をもってして歴史に、そして人間の心の闇にあらがった、ひとつの到達点としてこの作品があるのではないかと思い、いてもたってもいられなくなって追加した。
 つまり、ムーア先生のあの物語が事実でないことは誰にも証明できない。完璧。そして、物語を読む前から、献辞であんなに心をつかまれたこともなかったし、すべてを物語っているような気さえした。なにより、あの献辞はすごく優しかったから。
 いま、思えば、ヴォネガットは『スローターハウス5』でもいいし(いまだに迷う。けれど、そのうち決まるだろう)、筒井康隆『驚愕の曠野』は、『モナドの領域』を読んだら差し替わるかもしれない。アニー・ディラードはリストをつくった当時も迷ったけれど『アメリカン・チャイルドフッド』ではなく、やっぱり『本を書く』なのではないかと思う。    
 しかし、本一冊単位でなくていいなら、ディラードは『石に話すことを教える』にはいっている「プロビデンチャの鹿」になるだろう。ディラードに出会ったのは日本語ではなく英語からで、母語以外の言語で感動すること、できることを初めて知った。英語で感動した自分にびっくりして、最初自分の中で何がおきているのかわからなかったくらいの体験でもあった。これが大学にはいったころのお話。
 村上春樹「かえるくん、東京を救う」『神の子はみな踊る』(タイトルは、素敵)は、わたしにとってもう必要のない物語になってしまったので、とってしまった。


 そのうち、映画も30本選びたいな。本と漫画はわけて、あらたに漫画を選んでもいいかもしれない。でも、ムーア先生は漫画というか本のほうにいれたくなってしまうのだった。アメコミはグラフィック・ノベルともいうから、いいのかな。

フロム・ヘル 上

フロム・ヘル 上

石に話すことを教える

石に話すことを教える

+お知らせふたつ


おひさしぶりです。まずはお知らせです。



森開社「L'ÉVOCATION」の後続同人誌「Anthologica vol2 マルセル・シュオッブ特輯」に寄稿しています。国書刊行会のシュオッブ全集とあわせて是非お読みいただければ嬉しい内容です。フランスのマルセル・シュオッブ協会の方々からも寄稿いただいています。わたしは「シュオッブ二題」というタイトルで、『モネルの書』とシュオッブの小説がもとになった映画について書いています。どうぞよろしくお願いします。かのボルヘス翁によれば、「この世界のいたるところにシュオッブの信奉者たちがいて、彼らは小さな秘密結社を組織している」のだとか。全集が刊行され、雑誌で特集が組まれなどしている昨今、秘密結社の存在もあながち虚構ではないのかもしれません。シュオッブは、こんなふうに秘めやかに読まれて続けている作家なのです。


目次はこちらから。
http://blogs.yahoo.co.jp/ono2893/35006830.html

ご注文は下記で受け付けています。
http://blogs.yahoo.co.jp/ono2893/35058566.html



また、昨年の刊行になりますが北端あおいで名前が出ているものに、アラン・ムーア大先生作・柳下毅一郎さん訳の魔術的大傑作『プロメテア』(ShoPro Books)があります。主に黒魔術とかエソテリック方面で、ささやかなお手伝いをさせていただきました。この作品、海外では魔術入門的な位置づけにもある作品らしく、この作品を読んで魔術の世界に参入する人も多いのだそう(もちろんそれだけの作品ではありません)。ということで、なんと奥附の協力者欄にお名前をいれて戴いています。すなおに素晴らしいと心から思える作品に、ほんの少しのマニアックな知識が幾ばくかでもお役に立てたのなら大変光栄です。とても楽しいお手伝いでした。全3巻だそうです。2巻、早く読みたいですね!


マルセル・シュオッブ全集

マルセル・シュオッブ全集

プロメテア 1 (ShoPro Books)

プロメテア 1 (ShoPro Books)

+夜の終わりに


眠れないまま夜明け。この時期はいつもこんなふうだから、動けるくらいの元気があるのなら忙しくしている方がいい。余計なことなど考えられないくらいに、本を読んで映画を見て音楽を聴きお話をする、お茶を愉しみお酒を呑んでこうして文字を綴ることをやめないこと(そう、そんな約束をした)。生きている限り読みたいものや見たいもの触れたいもの、行きたい場所は尽きることがないのだから。

+悪夢の後


大事なひとたちがしんでしまう夢を見る。なにもできなかった、なすすべもなくみていることしか。自分が殺される夢のほうがはるかによかった。夢なのに もう目が覚めているのに。夢の中の体験でできた、心の穴があまりにも大きく広がってしまって、自分が穴になってしまったようで、何も感じなくなる。わからなくなる。かなしいとかさびしいとか、つらいとか。


世界は無数の光りと闇のグラデーションでできていて。ひとも世界も刻々とうつりかわっていくし、うつろっていく。だから、そのかわっていくなかでもしもかわらないものがあれば、それをとても大事にしたい。

+『ジュリアとバズーカ』

「これは彼女の注射器だ。わたしのバズーカ、彼女はいつもこう呼んでいたよ」(中略)


 彼女は笑っている。危険にさらされたとき、ジュリアはいつでも笑うのだ。注射器がある限り、何も怖くはない。怖いと思ったときのことはほとんど忘れてしまった。ときたま、縮れ毛の若者のことを思い出し、今どうしているのだろうと考える。それから笑う。花を持って来てくれて、楽しい気分にさせてくれる人はたくさんいる。注射器がなかった頃はいつもどれほどさびしく孤独な気持だったか、もうほとんど覚えていない。ジュリアは医師に会ったとたんに彼が好きになる。彼は、彼女は実際には知らないけれど想像していた父親のように思いやりがあり、優しい。彼は注射器を取り上げようとはしない。
 「もう何年もそれを使っているのに、君は少しも悪い状態になっていない。いや、むしろ、それがなかったらはるかにひどいことになっていただろうね」(中略)


 彼はジュリアに同情している。彼女の性格が傷ついたのは、子供の頃に愛情を与えられなかったからであり、そのために他人と触れ合うことができないし、他人の中で享楽的な気分でいられないのだ。彼の意見では、彼女が注射器を使うのはまったく当然のことであって、糖尿病患者にインシュリンが不可欠であるのと同じように、注射器は彼女に不可欠なものなのだ。注射器がなかったら、彼女は正常な生活を送ることができないだろうし、彼女の人生は悲惨の極みとなっていただろう。しかし、注射器のおかげで、彼女は誠実で、精力的で、聡明で、友好的だ。彼女は一般の人々が抱いている麻薬中毒者の概念とは似ても似つかない。だれも彼女のことを不品行だとは言えないだろう。


アンナ・カヴァン、千葉薫訳『ジュリアとバズーカ』(サンリオSF文庫、1981)


24時間、怖さにふるえているわけではないから、わたしもわたしのバズーカをきっと持っているはずだ。わたしのバズーカは注射器のかたちはしていなくて、もしかしたら鞭なのかもしれない、あるいは苦痛や、自傷するためのナイフ、映画や音楽や物語なのかもしれない、またあるときはいろとりどりのカプセルや錠剤、だれかがなげかけてくる視線や言葉、不可視の恩寵なのかもしれない。 


でも、それがどんなかたちでもどんなものであってもいいから、「最低限」「必要」なときにひとのかたちや精神状態を一時的にでも保ってくれるものであればいいと思う。他者にとり繕えるほどには。もしかしたら、わたしは今でもまだときどき見えない魔法、わたしのバズーカに守ってもらえているのだろうか。眠りの訪れない長い長い夜、まだひとのかたちでいられることがそのあかしだと思って、朝を待っている。


アンナ・カヴァンは、『氷』という静かで絶望的な物語を胸に秘めながら、バズーカとともに生き延びた。夭折と言われる年齢をとっくに過ぎてからもなお長い長い時を。だから、苦痛で凍りつきそうになっているすべての少女たちにこの物語、『ジュリアとバズーカ』を。氷から逃れようと走り続けている貴女、ここを読んでくれているはずの貴女、貴女が自分のバズーカをふたたび見いだすことができますように。


ジュリアとバズーカ

ジュリアとバズーカ

氷

※絶版だった作品が手に取れるのは嬉しい。それにしてもサンリオSF文庫版『ジュリアとバズーカ』の装画の素晴らしさ。ポスターが欲しいなぁとずっと思っています。いうまでもなく、サンリオSF文庫のカバーイラストは素敵なものだらけなのだけれど。