SOS

ふせんの走り書きがふとしたはずみで物議を醸すこともある。みんな僕のデスクの前で考え込んでいたらしい。心の問題なんて他人事。とはいえ「SOS」は穏やかじゃない。AM半休がいつか永遠の休暇につながる、そんな連想が浮かんできたりこなかったり。
SOSは、50万。遠目に見れば、薄目に見れば、赤と青のセロハンを透かして見れば。ごめんごめん。でも、これってそもそも何の見積りだっけ。

北極

あまりの暑さに気持ちも痛んでしまうから、すこし涼しい話をしよう。僕が仕事をやめて北極で暮らしていた頃のことだ。


静かな毎日だった。持ってきた二冊の本のうち、一冊はすぐに読み終えてしまい、もう一冊は表紙をめくる前に凍ってしまった。僕は本を棚に戻して、温暖化が進むのを待つことにした。ティーバッグをカップに落とす。ツバルが沈む光景を思う。世田谷区の海抜は何メートルだろう。あのスターバックスは海の底でも静かに営業を続けている。窓の向こうを観測船が通り過ぎていく。流氷がぶつかりあって悲しい声で鳴いていた。


静けさにこらえきれなくなって、アザラシを襲ったこともある。僕はおかしな叫び声をあげながら、群れのなかに飛び込んだ。オウオウと鳴きながら、アザラシが方々に散っていく。声は響かない。皆その場で空気に張りついたまま、凍死してしまうからだ。僕は死んだ言葉をかきわけながら歩いた。誰もいない氷原で、クレバスに落ちないように気をつかいながら。


鉈を振り上げ、ありったけの声を振り絞る。吸い込んだ冷気で肺の奥底から凍りついていくような痛みが走った。

想像の犬

想像の犬を飼う。名前はトレイシー。ディック・トレイシートレイシー・チャップマン、トレイシー・メソッドのどれかに由来する。少し歌っているから当ててごらん。Tracy, when I'm with you... 
犬種はその時の気分次第。貴族めいたグレイハウンドも、こましゃくれたプードルも、ありとあらゆる犬がトレイシー。生まれたばかりの子犬であり、瀕死の老犬。オスであり、メスでもある。想像の犬はイデアに近い。
賢く、愉快な、僕の犬。トレイシーはどこにもいたことがないから、どんな記憶にも潜り込むことができる。おぼろげな想い出の中に、スピルバーグの特殊効果より自然に溶け込んで、あたらしい物語を捏造する。食卓の陰でをちびちびとドッグフードの皿をなめるトレイシー。ベッドの上で枕がわりになるトレイシー。人見知りで、珍しく我が家にお客があると、こっそり奥の部屋に隠れていた。秋の銀杏並木で、黄金色の雨を見上げたのを覚えている? そんなこと、一度もなかったけどね!
でも、僕の興味は次第に薄れていくから、じきに君の姿も見えなくなる。君に飽きてしまう。すまないトレイシー。人なんて皆、勝手な生きものなんだよ。僕も例外じゃない。君のことが好きだけれど、脳の細胞は1年ほどで入れ替わってしまうらしいんだ。それが言い訳になるかどうかはわからないけれど。
想像力があれば、人は誰でも犬を飼うことができる。さよならトレイシー。楽しかったよ。いつか、また君のことを思い出せるといいな。

一昨日は夏だった

あまりの暑さに、やる気なんてとっくの昔に失せている。会社も仕事もとけてなくなってしまえばいいのに。息詰まるオフィス、メガネの上司、果てしなく延びる入稿日。すべてがとけて、東京は巨大な湖になる。家に帰るのもひと苦労。僕は上手く泳げないから、きっと溺れてしまうだろう。そういえば、この夏はあまりプールに行けなかったな。そんなことを考えながら電車を降りる。

駅の改札を抜け、夜道を歩く。人気のない公園で、猫たちがだらしなく身を投げ出している。この暑さならグルグル走りまわらなくてもバターになれるだろう。そういえば猫って泳げるんだっけ?

HOW TO PICK UP A FLY with chopsticks

厳密に言うならば、僕らに現在は見えない。水晶体にそそがれた世界が網膜を抜け、ひと筋のパルスとなって脳の中枢に流れこむそのときまで、僕らは盲いているのだ。自分が見ているのは過去であること。それをしっかりと心に戒めよう。まずは、宙に刻まれた過去の軌道をなぞる。そのまま、静かに箸をとり、来るべき必然の一点をひとつまみ。ほら、これで一匹。決して、現在をつかまえようなどと思ってはいけないよ。

後片づけ

ひまつぶしにテレビをつけると、バラエティ番組で補聴器の工場を訪ねていた。べつに興味をひかれたわけではなかったけれど、日曜の昼下がりにこれといって見たい番組があるわけでもなく、軽めのノリに流されるまま、ただなんとなく成り行きを眺めていた。


できあがった補聴器をテストするために、試験室に音声が流れる。年配の、少したよりなさそうな女性の声が、耳元でささやく。


「あなた、フォークは左の抽斗にしまって。そっちじゃないわ」


と、突然笑いがまきおこり(たぶん芸人が愉快なことを言ったのだ)、かぼそい声の先端はかきけされてしまう。僕の耳の奥には、年老いた女の言葉が小さなあざのように残った。年老いた夫を諭す、ため息のような感情の切れ端。苦笑する夫。妻は黙りこくり、食器を片付ける音とラジオの声だけが響いている。午後のキッチンに射しこむ、冷ややかな光。薄緑色の三角コーナーに捨てられる冷めきったパスタの味を、僕は想った。

キャベツだよ。こういうふうに育つんだ。

最近新調したナイキのジャージは、ブラジル国旗を思わせる鮮やかな彩りで、それに四年もののパトリックのスニーカーとパラスパレスの若草色のベルトを合わせると、僕は世にも珍奇な緑黄色人種になってしまいます。いくらめくっても中身の出てこない自分の正体がキャベツだと言うことはわかっていたのですが、キャベツなりにもまだ何か書けるような気がして帰ってきました。また少しつきあってもらえるとうれしいです。


最近はこっちにもいます