採用側として大学に行くことになりました。

就職して一年が経ちますが、ついに先輩社員として学生の前で話すことになりました。


とは言え、いったい何を喋れば学生の期待に応えられるものか。
「こんな話をしてください」という指示も、「いついつに訪問してください」という指示すらもない。


さて。どうしたものか。
しばらく様子見です。

「やりたい仕事」に欠ける3つの視点。

「入社して取り組みたい仕事は何ですか?」
「入社して実現してみたい夢は何ですか?」

エントリーシートには「やりたい仕事」と呼ばれる設問がよくある。


でも、「やりたいこと」「やりたいこと」って考えているといつの間にか、ひとりよがりのやりたい仕事になっていたりします。


そこで、「読み手と共有できる やりたい仕事を いかにして考えるか?」について考えてみる。


やりたい仕事を読み手と共有するためには、次の3つの視点からやりたい仕事を考えたらいいと思う。

  1. 個人としての視点:やりたい仕事は、どうして自分にとってうれしいのか?
  2. 社員としての視点:やりたい仕事は、どのように企業へ利益をもたらすのか?
  3. 市民としての視点:やりたい仕事は、どのように社会へ貢献できるのか?


まず、やりたい仕事は何よりも自分にとってうれしいはず。だからそれを説明する。*1
さらに、「やりたい仕事は、どのように相手の企業へ利益をもたらすのか?」を説明することができれば、やりたい仕事のメリットを社員として面接官と共有できる。
しかも、「やりたい仕事は、どのように社会へ貢献できるのか?」を説明することができれば、やりたい仕事の意義を社会の一員として面接官と共有できる。


だから、やりたい仕事をさまざまな立場で共有するために、やりたい仕事を個人・社員・市民の3つの視点から考えたら きっといいんじゃないか。


ただし、やりたい仕事が“企画”として優れているから採用されるわけではない。
言い換えれば、「企画はすばらしいけど、あなたは全くつまらない」じゃ採用されない、ということ。


エントリーシート・面接は、“企画”を売り込むためのものでない。
あなたという“パーソナリティ”を売り込むためのものだ。


やりたい仕事は、あくまで商品の一部であって 全てでないのだ!
……と一年前の自分に言ってやりたい。

*1:個人としてのやりたい仕事は志望動機に由来すると思う。志望動機が抽象的な“ビジョン”だとしたら、やりたい仕事は具体的な“方法論”だろう。たぶん。

「本当にそう思っているの?」と疑われない志望動機を書くには?(後編)

前回、志望動機において「本当にそう思っているの?」と疑われないために「こういう体験をしたから こう思う」を書くべきだ、と述べた。
つまり、志望動機には次の2つのポイントがある、ということ。

  1. 自分の体験との接点を記述する
  2. 思い入れを自分なりに言語化する


今回は、前回の続きとして「2.思い入れを自分なりに言語化する」について考えてみます。


思い入れを自分なりに言語化するべきだと言うのは、そうしなければ志望動機がありふれてしまうと思うから。
仕事/職種/企業への思い入れは、そのままでは陳腐な言葉に置き換えられてしまっているだろう。
そして、思い入れを陳腐に表現した志望動機では受験生 数百人オーダでありふれてしまう。埋もれてしまう。
だから、仕事/職種/企業への思い入れを「自分が思うように」言語化することに努めるべきだ。
「グローバルな人材になりたい」や「大学時代の専門性を活かしたい」などは、もっと自分が思うように言語化できると思う。


では、どのようにして言語化するのか?


それについて一概に答えることは難しい。
でも、参考になるだろうナイスなテキストを『おとなの小論文教室。Lesson261 好きを掘りさげる力――伝わると伝わらないの境界(4)』に発見したので引用しよう。
長いけど、とにかく一読してほしい。

Iさんの「好き」は、小学校6年のときに訪れた。


小学校6年のとき、
お父さんが持ち帰る週刊誌を、
かくれ読み、こんな面白い世界があったのか!
と思ったそうだ。


Iさんは、このとき感じた「好き」に最後まで忠実に、
就職戦線を勝ち抜き、みごと夢をかなえた。


Iさんの志望理由を単純化するとこうなる。


「小6のとき
 父親の週刊誌を読んで面白いと思った。(事実)
 ↓
 だから私は週刊誌の編集者になりたい。(意見)」


このままでは、他人からも、自分からも
つっこみ可能な、まだまだ弱い志望理由である。


実際、女性のヌードから、スキャンダルまでを含む
男性週刊誌を下世話だと一蹴する人もいるし、
Iさん自身、新聞記者の方がいいんじゃないかと
ゆれた時期もあったそうだ。


しかし、Iさんが、
本来感じた「好き」をあけわたさなかったのは、
自分の感じた「好きを掘り下げる力」=「考える力」
があったからだ。


Iさんの文章には、
「事実」から「意見」までの間に、
幾重にも、粘り強い「考察」が挟まれている。
それが「説得力」になっている。


「小6のとき
 父親の週刊誌を読んで面白いと思った。(事実)」
 ↓
 だから私は週刊誌の編集者になりたい。(意見)」


と、いっそくとびではなくて、
まず、「なぜ、週刊誌か?」を掘り下げる。


新聞でなく、書籍でなく、スポーツ紙でなく、
小6のとき、自分が感じた週刊誌の面白さは
何だったのか?
それをIさんは、こう言葉にしている。


「人間の上半身の部分を生真面目に追うことよりも、
 ホンネの部分を好奇の一心で謎解く週刊誌。
 社会・政治・文化・風俗を
 事実の<ウラ>から分析していく仕事が
 あるのだと感激した。」(考察1)


さらに、「それは自分のどういう性質から来るか?」
Iさんは、こう掘り下げる。


「私は、人と話すのが好きだ。
 特に、表では権威ある人が、
 ふと人間らしい表情を見せる瞬間がなんとも好きだ。
 私は、社会の様々な側面に上半身から下半身まで
 興味を持つ性分である。」(考察2)


Iさんは、学生時代、
毎晩のように酒場に足をはこび、
異世代の友人が60人以上できたという。
酒場で出会い、
自分のアパートで朝まで語り合った相手が
自分の学部の教授だったことに
あとで気づいて、
びっくりしたこともあったそうだ。


そうした自分の行動、体験から、
自分の好きなことをよく分析している。


そこでIさんは、
「週刊誌の編集者になって何をやりたいのか?」
と考える。


「社会・政治・文化・風俗を全方位から追求して
 レポートしていきたい。
 人の上半身と下半身、
 昼の顔と夜の顔、タテマエとホンネ
 割り切れない二つの蝶番を地道に追い求め、
 一般的に、権威、事実とされていることを疑い、
 人間や組織の虚実を明らかにしていきたい。
 自分のスタンスで本質を追い、
 現実を自由に動き回りたい」(考察3)


このようにして掘り下げられ、
言葉にされてみると、
Iさんが、週刊誌編集を選んだことが
とても納得できる。
だけでなく、それは、読む人に
週刊誌の価値まで再発見させる力があった。


ここで言いたいのは、「その仕事に携わることが自分にとって どのような意味を持つか?」を自問自答することで、好きを掘り下げる すなわち思い入れを言語化できるのではないか、ということ。
「その企業で働くことが自分にとって どのような意味を持つか?」を自問自答することで、思い入れを言語化できるのではないか、ということ。
「Ⅰさんの志望理由」でも、「なぜ、週刊誌か?」をはじめとする一連の問いが週刊誌編集という仕事のⅠさんにとっての意味をよく言語化している。


志望動機のゴールは、もっともな内容をロジカルに記述することじゃない。
あなたが志望するように、読み手に感じてもらうことだ。
そのために、「こういう体験をしたから こう思う」を言語化するべきだと思う。

「本当にそう思っているの?」と疑われない志望動機を書くには?(前編)

志望動機としてはもっともな内容なんだけど、どこか腑に落ちないことがある。

たとえば「メガコンピティション時代をサバイブできるグローバルな人材になりたい」とか「大学時代の専門性を活かしたい」とか、それだけが書いてある志望動機。
志望動機の内容はまったく正しい。論理にも破綻がない。


でも、読み手として僕はどこかが腑に落ちない。
それは、「本当にそう思っているの?」という疑問に由来するんじゃないかと思う。
つまり、志望動機と題された文章に実感がこもっていないために、あなたが思っているように読み手に感じてもらうことができないということ。


そこで、「どのようにして志望動機に実感をこめるか?」について考えてみます。


実感をこめるには「こういう体験をしたから こう思う」を志望動機に入れるべきだと思う。
言い換えれば、志望動機が次の2つのポイントをふまえているか、ということ。

  1. 自分の体験との接点が盛り込まれているか?*1
  2. 思い入れを自分なりに言語化できているか?*2


前者「1. 自分の体験との接点を盛り込む」だと なぜ実感がこもるのか?
それは、自分の体験との接点を盛り込むことで 読み手に志望の背景を“追体験”させることができるからだと思う。
そもそも、仕事/職種/企業を志望しているのはそれを志望するに足る体験があるからだろう。
だから、志望動機において自分の体験との接点を述べることで、志望するに至った経緯を読み手に追体験させ 自分が思うように感じてもらうことができると思う。


最後に「1. 自分の体験との接点を盛り込む」の具体例を示そう。「2. 思い入れを自分なりに言語化する」についてはまた次回。


<就職課の学生アドバイザーへの志望動機:友人のエントリーシートをいくつか添削していると、“第一志望”に対して切実な思い入れがあるにもかかわらずその思い入れがわかりよく言葉になっていないと感じることがあります。エントリーシートの内容についてあれこれ尋ねていって、やっと「なるほど。第一志望なんだなあ」と納得。その人なりの思い入れをわかりよく言葉にすることでもっと多くの人たちが選考を次に進めていけるのではないか。だから僕は、学生アドバイザーとしてエントリーシートをわかりよく表現するサポートをしたいと思います。*3

(この例において 志望動機と自分の体験の接点に相当するのは「エントリーシートの添削」であり、自分なりの思い入れに相当するのは「その人なりの思い入れをわかりよく言葉にすることでもっと多くの人たちが選考を次に進めていけるのではないか」である。)


後編につづきます。

*1:「こういう体験をしたから」の部分に対応。

*2:「こう思う」の部分に対応。

*3:60点。

自己PRは“すごさコンテスト”なのか?

「学生時代に最も力を入れて取り組んだことは何ですか?」
「あなたのセールスポイントは何ですか?」
“自己PR”と呼ばれる設問がエントリーシートには必ずある。


でもエントリーシートを添削していると、「自己PRって そもそも何を書くんですか?」と聞かれたりします。
たしかに「どんなエピソードを引いて、どこをPRするか?」が悩みどころ。


そこで、自己PRにおける“エピソード”と“セールスポイント”の考えかたを示してみようと思う。


ズバリ言うわよ!
自己PRには、「同じシチュエーションにあった誰かにはできなかっただろう/やろうと思わなかっただろうことで、あなたができた/やろうと思ったわけ」を書くんだと考えています。


というのも以前述べたように、新卒採用における選ばれる/選ばれないはパーソナリティをわかりよく伝えられる/伝えられないで決まると思うから。
そして、パーソナリティは他者との違い、それも行動の違いによく表れると思うから。


だから僕は、自己PRに「同じシチュエーションにあった誰かにはやろうと思わなかっただろうことで、自分がやろうと思ったわけ」を書くように心がけてきました。


たとえば、編入したことを自己PRに書いた。
編入すると、単位取得の遅れから4年で卒業できない可能性があった。
にもかかわらず「やろう」と思ったのは、「やりたいことをやれば、全力で努力できる」と確信していたから。
そして、「」の“考え”が自分のパーソナリティなんじゃないかと思った。
だから「リスクを恐れず挑戦したぞ。すごいだろ」という自己PRから、「やりたいと言い出したことは全力でやりとげます」という自己PRに変えた。


つまり、自己PRを次のようなステップで考えていた。

  1. ほかの誰かがやろうと思わない体験を“パーソナリティを示すエピソード”に選ぶ。*1
  2. やろうと思ったわけを“きわめて具体的な考え“になるまで言語化する。
  3. 「パーソナリティがやりたい仕事にどう活かせるか?」を考える。


自己PRは“すごさコンテスト”じゃない。
パーソナリティをわかりよく伝えるためのものだ。
だから、「同じシチュエーションにあった誰かにはできなかっただろう/やろうと思わなかっただろうことで、あなたができた/やろうと思ったわけ」を書くべきだと思う。

*1:ただし すごさを競うのでないように、奇をてらうのでもないということに注意。

なぜ、それでも就職しようと思ったのか?(後編)

就職活動の末、「やりたいことなんてないかもしれない」と僕は思った。


なぜなら、「経験したことでなければやりたいと確信できない」と悟ったから。
つまり、「やりたいことはもうすでにやってしまっている」ということだ。


経験したことでなければやりたいと確信できない。
だとしたら自分は、仕事選びに足るほどやりたいことをやってきたのだろうか?
「やりたい!」と確信できるほどやってきたのだろうか?


何もやってこなかったんじゃないかと思った。
エントリーシートに書くような「やってみたい」はあってもそのまま。
“今やらない理由”を考えてきて先送り。
「やらない」「やらない」を繰り返して、とうとう一番やりたいことが分からなくなったのだ。


だから、「やりたいことなんてない」と思った。


それでも、なぜ就職しようと思ったのか?
それは、「何かをやること」こそが今求められていると思ったからだ。


今までの23年、「何がやりたいんだろう?」を考え続けて何もやってこなかったんだろう。
だとしたら、今まさに求められていることは「どれをやろうか?」をこのまま考え続けることじゃない。
「どれでもいいからやってみること」こそが就職活動の結論として求められている思った。


やってみることの中から「やりたい!」が見えてくるとも思った。
やってみた結果それがやりたいことでなくても、やりたいことの選択肢が絞られていくことで前に進めるとも思った。


だから、僕はそれでも就職しようと思った。


そして今、仕事に限らず やりたいと思ったことはやってみようと思う。
「なぜやってこなかったのか?」と「なぜやらないのか?」を考え、やっていこうと思っている。