年間第28主日(マルコ10:17-30)

「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」(10・17)イエスに走り寄ってきた人の問いは、誰にとっても答えを知りたい問いかけでしょう。ただ、よく考えると、答えを知っているかもしれません。ひょっとしたら答えを避けているかもしれません。

長崎市伊王島の馬込教会時代、5年間賄いをしてくれた人を久しぶりに見舞いました。黒崎教会から山奥に入った介護老人保健施設に入所していました。あれから9年経って、ずいぶん弱ってきているということで見舞いに行ったのでした。

この賄いさんは私と5年間、漫才の相方のようなやりとりを司祭館でしていました。食事の時テレビで「住宅に落雷被害」というニュースが流れると、「雷に当たると痛いんだよ。ビリビリッと来てね。」「え?当たったことがあるんですか?」「ないね〜」

またある時は「お、深堀さんがテレビに映ってる。元気だったんだ〜」「え?その深堀さんは知り合いですか?」「知らんね〜」そのうちに私が何か言うと警戒するようになるので、一ヶ月は黙っているのですが、もうそろそろ大丈夫と思うとまたからかうのです。

ある時ネット通販で荷物が届きました。箱を開けずにいると中身が気になるのか、「箱を開けなくて大丈夫ですか?」と聞いてきます。私は手かざしをして、「私は神様の次に能力を与えられているから、手をかざすと中身がすぐに分かる」「本当ですか?」「あー、これは『キリスト教神学事典』だ。」

箱を開けると当然注文したものが入っています。それをこの賄いさんは手品を見たような顔をして驚くわけです。それに類することを5年間さんざんしました。そんな日々を過ごしたので、いよいよ弱ってきたと子供夫婦から連絡を受け、これは見舞いに行かねばと思ったのです。

見舞いに行った時間は、たまたま、ホールに集められてそれぞれが活動をする時間でした。車椅子に乗っていました。わたしが目にとまり、よほど嬉しかったのかこう切り出しました。「あ〜中田神父様。本当に中田神父様ですよね。夢のようです。これでもう死んでもかまいません。」

それに対し、例えるなら漫才の相方に話すように、私は返しました。「じゃあ財産を遺贈する旨の遺言をちゃんと残してね。なくなったあとミサをするから。」周囲にいた人はギョッとしたことでしょう。けれども、「死んでもいい」というのが本心なら、「遺言を書いて旅立ってね」と言われても驚かないはずです。人は核心を突くような言葉を言われたときに、自分の心構えを問われるのです。

さて福音朗読ですが、イエスから「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」(10・19)と言われた人は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」(10・20)と言ってのけました。イエスはまだ彼の心構えを試す核心に触れていませんでした。

いよいよイエスは、彼の核心に触れる言葉を放ちます。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」(10・21)彼が手放したくないものを手放さなければ、永遠の命を受け継ぐことはできないのです。

朗読箇所に出てきた人は「たくさんの財産を持っていた」人で、その財産を手放すことができませんでした。私たちが学びを得るためには、自分にとっての「手放すことができないもの」「手放したくなくて、目を背けているもの」が何なのかを見極め、向き合う必要があります。

では自分にとって「手放すことができないもの」「手放したくなくて、目を背けているもの」は何でしょうか。見つける方法を私は知っています。それを失うくらいなら、他のどんな苦労を背負ってもかまわないと感じるもの。それが「手放すことができないもの」です。

ある時私は、「そこまでして目を背けるか?」と驚いたことがあります。いちばん簡単な方法を提示したのに、それを避けて、地球を一周して別の方法を選ぶような人を見たのです。きっとその人にも、手放せないものがあるのでしょう。手放すくらいなら、地球を一周回ってでも別の方法を選ぶと態度で表明したわけです。

なぜ、人に手放せないものがあるのでしょうか。その人が手放せないと思っているものを手放さないと、イエスの声に聞き従うことは叶わない。それなのに、手放すくらいなら世界一周してでも別の方法を探ろうとするのです。その努力たるや、ある意味尊敬に値します。

たくさんの財産を手放せないという人がいます。イエスは別のところでこう言います。「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか」(ルカ12・20)財産以上に手放してはいけないものを見落としてはいないでしょうか。

二重の生活をしている人がいます。表向きの生活と、裏の顔がある人です。なぜ、一方を手放せないのでしょうか。イエスの照らし、導きによって与えられた生活に背を向けて、地球一周をして二重の生活を諦めない方を選ぶのでしょうか。なんと回りくどい人生でしょうか。

時に、まるでイエスが派遣してくださったかのように、手放せずにいる姿をズバリ言い当てる人と巡り会うことがあります。先週金曜日のことです。その日は初金曜日と葬式とが重なってしまいました。説教でもそのことに触れました。

その日の夕食、家族が用意した食事の席に呼ばれたのですが、一人の人が隣に座り、こう話しかけてきました。「神父さん。葬式の説教では『初金の病人周りを朝早くからこなしつつ、葬儀のミサと説教、大変やった〜』みたいなアピールをすごく強調しましたね。あの掴みの部分は、必要ですか?必要ないでしょ?」

テーブルを囲んでいた人たちが凍りついたのを感じました。私に気を遣ってのことでしょう。ただ私は、「この人は非常に面白い!」と思ったのです。誰もそんな直球で私の説教の組み立てに意見する人はいませんから、「あんなこと言って」と肝を潰す思いだったのでしょう。

「神父さんが言いたかった本当のことは何ですか?」私も言いたかったことはこうだと手短に言いましたが、「伝わらなかったですね。最初のアピールが引っかかって。」ますます面白いと思い、名前を控えました。「どんだけ俺に食いついてるんですか?」と言われましたが、「おまえが面白いからだよ」そう言っているうちに食事は散会となりました。

「無礼者!」と切り捨てていたら、この人を記憶することはなかったでしょう。けれども私は自分の持っているものを捨てて、この人を手に入れたいと思ったのです。その場で説教して、押さえつけることもできたでしょう。けれども私は、私を捨ててその人を得たことを今も喜んでいます。

皆さんはどうでしょうか?永遠の命を得ることに比べたら、捨てられないものなんて何もありません。永遠の命、すなわちイエス・キリストを得るために、今日もミサにあずかりましょう。悲しみながら去って行くのではなく、昨日までの自分に死んででも、イエス・キリストを選び取ることにしましょう。

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ちょっとひとやすみ
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▼忙しくなると仕事が片付かない理由をあれこれ考えてしまう。「手が四本あったらなぁ」とか「24時間秘書がいたらなぁ」とか。イエス様だって二本の手で働いたし、秘書も持たずに働いた。しかも電気のない時代にだ。贅沢言わない。言い訳しない。
▼葉書を2通出そうとしている。一人は田平教会出身で今年叙階50周年の神父様。「いよいよ近づきました、心よりお待ち申し上げております」という案内だ。もう一人はミサをお願いしてきた人だが、通常の「ごミサ預かりました。○○日におささげいたします」ではなく、もう少し何か書いてから出そうと思っている。
▼出会う人は歳を重ねるうちに手が回らないほど増えていくのに、一人ひとりへの気配りは行き届かない。クローンがいればどんなに人生楽しいだろうか。クローンもクローンが欲しくなるだろうか。
▼体の変化や、会話の変化、この人が人生のどのあたりにいるのだろうかと考えることがある。私の父が晩年たどった様子を思い出すことがある。こうなってああなって・・・私に思い当たることがある。できれば父の年齢までは健康でいたいが。

† 神に感謝 †

年間第27主日(マルコ10:2-16)

今週の福音は、2006年の説教を参考にしてまとめました。いろいろ重なって全くのゼロから練り上げるのは困難と考えたからです。取り上げたいのは後半部分、人々がイエスに触れていただくために子供たちを連れてきた場面についてです。

今日から明日にかけて、小学生2人を長崎のカトリック神学院に体験入学に送ることとなりました。よく私は「神学院に行ったら未使用の下駄箱を見つけて、自分の名札を入れてきなさい」と声をかけて送り出します。

子供たちがどのように受け止めるかはわかりませんが、子供たちにとって、「もう一度戻りたい場所」になればこれ以上のことはないと思っていまして、体験入学でそれぞれが呼びかけを感じ、自分の場所を見つけて帰ってきてくれればと思っています。

神学院体験入学は明らかに子供たちを変える体験です。去年体験入学に行った一人は、それまでは頭を壁にピッタリつけて、「寝てませんよ」アピールをしつつ、ぐっすり眠っていたのが、いっさい寝なくなったのです。この日は本当に寝てないのか、気になってミサに集中できませんでした。

子供たちは体験入学を経てなぜ立派に育ったのでしょうか。私の理解ですが、それは、神学院が十分練り上げたプログラムでもてなしたからではなく、イエスが、ふだんの生活、ふだんの家庭環境では得られない導きをしてくださったからではないでしょうか。

もちろん神学院側は、あれやこれやの綿密な準備を重ねて、体験入学に来た子供たちを魅了しようとするでしょう。しかし突き詰めるとそれは、「人間が準備できる最高のものということ」です。しかしイエスは、神学院の神父様や神学生を通して、それ以上の導きと、直接届く教えを施してくれていると思うのです。

朗読箇所後半部分の中で、イエスは次のようにはっきり仰いました。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」(10・14)。子供たちが激しく、大胆にイエス・キリストに触れる環境が神学院にはある。私はそう思うのです。

「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない」。この言葉は意味深いと思います。子供たちがご自分のそば近くに来ることをイエスが強く望んでおられるのです。子供たちはイエスに近づくことで、イエスから直接教え導かれる機会を得るのです。

私たち大人は、さまざまな思惑で子供たちが作られていくと考えがちです。もし人間の思惑よりもイエスの導きがすぐれていると思うなら、イエスに触れることができる環境を作ってあげてほしい。私たちはそのことだけに心を配れば、あとはイエスがすべてを計らってくれるのではないでしょうか。

神学院体験入学は、子供たちをイエスに触れさせるまたとない機会と思っています。体験入学で見たことが、今後どのように花咲くのかは予想できません。子供たちを教え導いた、イエスが体験した子供たちの中で花を咲かせてくれるでしょう。「子供たちをわたしのところに来させなさい」という言葉は、イエスからの「わたしが責任を持って子供たちを教え導きます」という強い決意の表れだと私は考えました。

見落とせない点があります。イエスは、「子供たちをわたしのところに来させなさい」の後に「妨げてはならない」と言っておられます。私たち大人は、いろんな障害物をそのまま放置して、知らずに子供たちがイエスのところに来るための環境を悪くしてしまっていることがあるのではないでしょうか。

たとえば、朝のミサに子供たちが参加するためには、当然家庭で朝のミサに間に合う時間に起きなければなりません。子供たちは疲れて眠たいから、朝のミサには起こさないでそのまま寝かせてあげよう。それが親の配慮だと思っているとしたら、私たち大人はイエスに叱られるのではないでしょうか。

むしろ、子供たちがイエスに近づくのに障害となるものを取り除いてあげることが、私たちにできるお世話なのではないでしょうか。日曜日の朝に眠くてミサに来ることができないとすれば、それはおそらく寝る時間が遅いからです。土曜日にもっと早く子供たちを休ませるようにすれば、朝のミサは決して早い時間ではないはずです。

部活や習い事など、どうしても外せないことで子供たちがイエスに触れる機会が遠ざけられているとしたら、それを仕方がないであきらめるのではなく、ほんの少しでもいいから、子供たちがイエスに触れるチャンスを確保してあげるように大人たちが努力して欲しいと思います。

また、「妨げてはいけない」と言ったのは、単に眼の前の子供たちのことだけ考えなくてもよいと思います。「洗礼を受けた神の子供」を、イエスに近づけるようにして欲しいのです。配偶者や、自分の手を離れてしまった子供たちであっても、「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない」という言葉は生きているのです。

今回体験入学に参加した子供たちがイエスに固く結ばれる機会を得て帰ってきてくれたらと願っています。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」(10・14)イエスの招きは今も私たちに迫っているのだということを肝に銘じて、すべての子供たちがイエスに親しく触れることができるように、これからも努力を続けていくことにしましょう。

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ちょっとひとやすみ
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▼過ぎた週は葬儀が2回入った。ふだんの一週間と比べると、2倍、いや3倍は長かった一週間のように感じた。木曜日の葬儀で、最後に家族との食事会に招かれ、そこで強烈な個性の青年に出会った。この人は最初少し離れたテーブルの席に座っていたのだが、自ら、私の隣りに座ってきた。
▼「今日の葬儀ミサの説教、『俺は今日忙しい合間をぬって葬儀をしてるよ』みたいな猛アピールしてましたよね」最初の挨拶でこんな切り出しをする人はいないわけで、私は気分を害するどころか「非常に面白い!」と思ったのである。
▼確かに、その日は忙しかった。初金曜日で病人訪問をしつつ、11時の葬儀ミサの務めを果たしたからだ。7時半から始まる家庭の病人訪問を10時の訪問者まで回り、10時20分、40分、11時の人たちにはお断りを入れて葬儀に入った。葬儀ミサ直前の病人訪問で感じたことを葬儀の中で関連付けて話したのだが、「結構忙しくしているでしょ」みたいな話し方をしていたと思う。
▼本人が隠しながら織り交ぜた「アピール」を、その人は私に突きつけたわけだ。「何を!」と思う司祭もいるかも知れない。だが私は「この人は実に面白い」と直感したのである。私がいくら「君はそう感じたかもしれないが、ご年配の人は『そんなに忙しかったのですか。ご苦労様でした』と思っているんだよ」と抵抗してみたが、「私は騙されません。あれはアピールです」と切り捨てられた。
▼あまりに興味深い人物だったので、スマートフォンで名前をメモを取ったら「そんなに私に興味ありますか?どうしてそこまで食いつくのですか?」と突っ込まれた。「理由は一つ。君が面白いからだよ。」久しぶりに、私を言い込める人と出会った。

† 神に感謝 †

年間第26主日(マルコ9:38-43,45,47-48)

「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」弟子のヨハネの言葉で思い出したことがあるので、今週はこの部分を取り上げてみたいと思います。

夏休みにミサとラジオ体操に来た子供たち、賞品をあげると言っていたのはもう忘れていると思います。司祭団のソフトボール大会に五島の福江に行って、そこでホームランを含む5打数4安打の活躍をして、それから実家の鯛ノ浦に行くために上五島に移動し、そこで、上五島にしか売っていない、お目当ての賞品を買おうと思っていたのです。

ところがソフトボールに行く前日、広島カープの優勝間違いなしと思って野球観戦に行ったマツダスタジアムからの帰りにお葬式が入って、実家で一泊したあと賞品を買う予定だったのがすぐに帰らなければならなくなって、まだ買い物できていないのです。これから、実家にいる家族と連絡を取りながら必ず賞品を準備するので、もう少し待ってください。

さて私が取り上げた箇所についてですが、かつてフィリピンであずかったミサと、韓国明洞教会であずかったミサ、どちらとも同じ光景を目にしました。それは、聖体拝領のときのことです。私たちが見る聖体拝領の光景は、司祭が聖体を授けている姿、まあせいぜい大司教様と司祭たちが聖体を授ける姿を想像すると思います。ところがフィリピンと明洞大聖堂で見た光景は違っていたのです。

フィリピンで参加したミサは、今から20年も前のことですが、屋根だけ取り付けられた聖堂で、野外ミサのような場所でした。2000人はいたかもしれません。そこで聖体拝領が始まる時に、何人かの信徒がうやうやしく祭壇に近づいてきて、聖体の入ったチボリウムという容器を受け取り、所定の場所に移動していきました。「聖体奉仕者」という任務を受けた人が、聖体を授けるお手伝いをしていたわけです。

明洞では、平日の朝ミサに参加しました。そこで目にしたのはもう一歩踏み込んだ光景でした。その日ミサをささげていた司祭の隣で、シスターが、聖体を授けていたのです。教会法典によると、聖体奉仕者と、修道院の院長シスターは、聖体を授けることができるとされています。ただ私の理解では、修道院の院長が授けるのは修道院内のシスターに授ける権限があると思っていました。ですから平日のミサで、一般信徒にシスターが聖体を授けている姿は、私にとってはちょっとした驚きでした。

男性の信徒で、必要な教育を受け、聖体奉仕者に任命された人が聖体を授けるのは、私の頭の中で受け入れることができましたが、正直、シスターが平日のミサで聖体拝領の手伝いをしているのはすんなり受け入れることができませんでした。弟子のヨハネのように「やめさせようとしました」そこまでは思いませんでしたが、これってオッケーなのかなぁというのは正直思ったのでした。

エスが弟子のヨハネに示した答えは、今日私にも示されていると思います。「やめさせてはならない。」(9・39)「わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。」(9・40)

残念ながら、私たち人間の心はイエスの広い心からすればあまりに狭すぎます。初めて見る光景を、自分たちが見たことのある光景から外れているというだけで「これはいけないことだ」と思ってしまいます。神の栄光のために使えるものは惜しみなく使うべきなのに、私たちの頑なな心が邪魔をするのです。道具にしても、人にしても、神の栄光のために使えるものに制限をかけるよりは、上手に活用すべきなのだと、今回あらためて思いました。

さて田平教会では、10月の典礼に、奉仕者がサンダルを履いて典礼奉仕してもらいたいと思っています。目的は、12月2日の平戸ザビエル祭で、私たちが典礼奉仕に用いたサンダルを奉納するためです。フランシスコ・ザビエルは質素な生活をしながら宣教活動に邁進しました。サンダルを履きつぶすほど歩いて宣教しました。私たちも、ザビエルのようにサンダルを履いて、履きつぶすまではいきませんが、宣教と奉仕活動に使われたサンダルを神様にささげたいと思っています。

ひょっとしたら、私たちの行動を違う教会から来た人は奇異に思うかもしれません。聖堂内でサンダル履きとは何事かと思うかもしれない。ですが私たちは信念を持って取り組みます。この世のものを、神への奉仕のために用い、おささげするのだと。10月の聖母行列、ミサの先唱、聖書朗読、献金集め、奉納など、できるだけたくさんの人が典礼委員会で用意したサンダルを履いてミサに参加してください。

「やめさせようとしました。」「やめさせてはならない。」本当は神の栄光のために使えるものでも、私たちの凝り固まった考えでは「とんでもない」と思えるかもしれません。一歩でも二歩でもイエスの思いに近づくために、私たちが自分にかけている制約を取り払いましょう。もっとたくさんの人や物に、神の栄光のためになる場を与えてあげましょう。そうすることで私たちは、イエスの良い弟子であり続けることができます。

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ちょっとひとやすみ
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▼説教では書かなかったが、道具の違いに違和感を持った経験をここで紹介したい。かつてカリスと言えば金属製が定番だった。それは「ぶどう酒が染み込む素材は厳禁」だったからだ。だからある後輩が陶器のカリスを準備して叙階式に臨んだときは正直ショックを覚えた。
▼ほかにも、漆塗りの漆器のカリスやチボリウムを自慢気に用いている後輩を見て、「どうかしてる」と心の中で思ったのだった。だがこうしたことも、道具が神の栄光のためにどんどん用いられていく過程で、見直されてよいのかもしれない。今はそう思う。
▼もちろん、教会が求める道具の条件はクリアしなければならない。今でも「ぶどう酒が染み込む素材」はカリスには使用できない。だがそれを十分に満たしていれば、日本の文化の中で育ったものを用いてミサをささげることはむしろすばらしいわけだ。
▼実は明洞大聖堂でのミサでもう一つ違う道具を見たが、その道具にショックを覚えたのはそれより1年前、しかもカトリック神学院の東京キャンパスでだった。その道具とは「鈴」(典礼用語「カンパヌラ」)である。
▼以前、カトリック神学院東京キャンパスの院長に招かれて学生に講話をしたことがあった。その際、学生たちとミサをささげたのだが、そこで用いられていた「鈴」の代わりの道具が、お寺にある火鉢のような鐘(名前を知らない)だったのだ。
▼「カーン」長く響く鐘の音。確かに静けさを保つには違いないが、初めて見た私には「鈴」以外のものが聖変化の場面に用いられるのは違和感しかなかった。そしてそれが採用されているのがどこかの一つの小教区なのではなく、「典礼を学び、その典礼をそれぞれの場所に運んでいく」言わば苗床である神学院だったのだから、不安にさえ思った。
▼しかし同じ道具をソウル大司教区の言わば典礼のお手本を示す明洞大聖堂で使用している場面に出くわすと、「やめさせようとしました」と「やめさせてはならない」の両方の気持ちが同時に湧いてきた。もちろんこの場合、私の見てきたことや経験が狭いに過ぎない。

† 神に感謝 †

年間第25主日(マルコ9:30-37)

9月の第4日曜日は、「世界難民移住移動者の日」と定められています。教皇様は年に6回ある特別献金を伴う日に向けてそれぞれメッセージを出されるのですが、今年の世界難民移住移動者の日に向けて発表されたメッセージを、今週は少し取り上げたいと思います。

与えられた福音朗読でイエスは最後にこう言われます。「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」(9・37)イエスが手を取って抱き上げ、弟子たちに示された「子供」は、「世界難民移住移動者の日」に当てはめて考えれば、「難民」「移住移動者」と見ることができます。

「子供」は誰か頼る者がなければ生きていけない存在です。保護者がいなければ、仮に保護者がいなくても手を差し伸べてくれる人がいなければ、その日を生きることさえ難しいか弱い存在です。「難民」「移住移動者」もまた同じです。この人たちに目を注ぐ教皇フランシスコは、「受け入れる、守る、促進する、共生する」この4つに目を向け、具体的な行動を取るように求めておられます。

ところで私たちは5月に田平教会献堂百周年を迎えましたが、それより32年前、この地に出津と黒島から、小さな家族が移住してきたことを忘れてはなりません。私はその最初の移住者たちをどのように思い起こせばよいのか考えて、田平小教区は世界難民移住移動者の日に、江里山に移住してきたとされる方々を思い起こし、ミサの中で祈っていくことにしました。来年からはできれば、江里山の記念碑の前でミサを行い、先祖のことを思い起こしたいと思っています。

エスが抱き上げてくださった「子供」、全世界の教会が今週目を向けている「世界難民移住移動者」そして田平小教区の礎となって移住してきた出津と黒島からの移住者、どれも「受け入れる、守る、促進する、共生する」この4つが必要な人たちだと思います。

エスの時代に、子供たちはイエスが呼び寄せ、抱き上げてくださらないと、同じことを十分に施してくれる人はいなかったのでしょう。勇気ある決断でこの地に移住してきた私たちの先祖の家族も、「受け入れる、守る、促進する、共生する」この4つを十分に受けられなかったかもしれません。世界中に散らばっている現代の難民移住移動者も、先の4つのお世話を十分に受けていないことでしょう。

では、「受け入れる、守る、促進する、共生する」この4つは単なる理想なのでしょうか。私は、イエスだけがこの4つのお世話を十分に果たすことができるのだと思います。すでに時間が過ぎ去っていたり、目の前に難民問題を目にしないために、私たちは十分に果たせないけれども、イエスは過去においでも現代でも、4つのお世話を十分に果たすことができるお方です。

そこで世界中からこの日に特別献金を募って、私たちのお捧げを、イエスがより良い形で活用してくださるように願っています。イエスの手足となって働く人々が、「受け入れる、守る、促進する、共生する」4つのお世話を理想に終わらせないよう、私たちも協力することにしましょう。

一つだけ、私たち田平小教区の先祖を思い出すために、参考になればと思って付け加えたいと思います。私たちは生活の中で、「受け入れる、守る、促進する、共生する」この4つを実践する場がどこかにないか、よく考える必要があります。

新しく家族に加わる人がいるかも知れません。新しい集合住宅ができて、地域に新しい人が入ってくるかもしれません。その人たちも言わば「移住者・移動者」です。移住者・移動者に、私たちはどのような接し方をしてきたでしょうか。ここから、田平に移住してきた先祖をどのように思い起こしたらよいか、世界難民移住移動者の日にどのように関わることができるか、何かの気付きがあるのではないでしょうか。

来年は、できれば江里山で、同じ頃にミサをささげて、移住した先祖を偲び、想いを寄せたいと思います。4つのお世話の最後は「共生する」ということでした。移住者である先祖に思いを向けることで、田平教会家族がより良い共生の道を切り開いていくことができるよう、恵みを願いましょう。

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ちょっとひとやすみ
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▼2週間前に、この状況を想像できただろうか。広島カープのマジックがどんどん減り、あわや最短優勝が9月あたまなのでは?という勢いだった。ところが連敗が始まり、更に雨天中止なども重なり、9月22日時点でマジック3である。
▼ちょうど、いい。振替休日の24日に優勝となれば、言うことない。23日でも構わんよ(笑)1泊2日夏休みの残りを、カープ優勝ディナーといこうではないか。現実は居酒屋で見知らぬ人とハイタッチかもしれないが。
▼去年のことを思い出す。甲子園球場の観戦チケットを初めて入手し、身の程知らずにも伊丹空港からカープの出で立ちで球場行きのバスに乗った。物々しい雰囲気かと思いきや、大勢のカープファンに勇気づけられ、試合後にバンザイと、見知らぬ人たちとハイタッチをしたのだった。
▼今年はどこで、どのように祝うのか。のこり3つのマジックの減り具合によるが、思いを強く持てば、叶うのだなと実感した。今年こそは日本一。相手はどこか知らないが、足元すくわれて日本シリーズを逃さないように、応援を続けたい。
▼そう言いながらDAZNRadikoも今月分で解約し、また我慢ができなくなる5月頃から契約を再開しようと思っている。契約と言えば、日本語変換ソフトも契約を考えている。日本語変換ソフトで有名なATOKが、久しぶりに会社のHPを見てみると月毎に使用料を払い続けて利用するスタイルに変わっていた。今日は22日。契約は10月からか。

† 神に感謝 †

年間第24主日(マルコ8:27-35)

「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(8・34)イエスがご自分に従おうとする者に最初に求める姿勢です。ひとまずイエスに従いながら、最終的にこうなれと仰っているのではなく、まず「自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と求めるのです。

なかなか厳しい求めですが、この求めに自分を合わせて再出発してみようと思う人に、わたしは「クルシリオへの参加」をお勧めします。10月5日(金)の晩から、土日と8日(月)体育の日の午後まで、3泊4日の練成会です。場所は田平教会と信徒会館です。最終的に自分を捨て、自分の十字架を背負ってイエスに従おうという人ではなく、まず自分を捨て、自分の十字架を背負って、再出発してみたい人にお勧めします。

再出発を促したい人の例をいくつか挙げます。責任者に選ばれた人。教会の役から一旦離れ、教会との距離感が微妙になっている人。毎日の務めに振り回されて、これまで一度も再出発の機会がなかった人。こういう人たちにクルシリオを通して再出発をしてほしいと願っています。

「興味はあるけど、どんな内容なのかなぁ」と思っている人もいるでしょう。クルシリオにすでに参加された方が何を体験したかの教科書です。結婚する人が、結婚生活の内容をすべて知ってから結婚を決めるわけではありません。何も知らずに結婚生活に飛び込む人すらいます。それは私が言う必要もないことでしょう。ですから内容を細かに知るよりも、「あなたが再出発を一度してみたいと思うなら、クルシリオをお勧めするよ」と言う主任司祭が信用できるなら、申し込んでほしいなぁと思います。

具体的なことは言いませんが、「クルシリオの期間中はきつかった」と言う人がいます。私は大神学院で助祭に叙階された最終学年で参加しましたが、少しもきつくありませんでした。大神学院に8年暮らしている人には、きつくも何ともなかったのです。

そこからすると、クルシリオの4日間とは、「大神学院の4日間」と言っても良いかもしれません。男性女性問わず、大神学院に4日間体験入学する。そう例えても良いかもしれません。なかなか体験できないことですので、どうぞ検討してみてください。

ところで大神学院の生徒たちは、どれくらいの経費がかかっているかご存知でしょうか。長崎大司教区は、昨年度日本カトリック神学院におよそ3千万円の支出をしました。次年度からは九州管区とそれ以外で独自の体制になります。形は従来の福岡の大神学院に戻ります。経費は膨らんで、4千5百万円になりそうです。

仮に3千万円として、長崎教区の大神学生が10人いるとすると、年間1人3百万円になります。参考までにクルシリオの参加費が3万円と記載されていますから、数字的にも大神学院での3泊4日の経費と変わらないことになります。

主任司祭が参加費のことを話したのには訳があります。大神学院と似たような4日間を過ごして、再出発を図りたい人がおられるなら、私は喜んで参加費を受け持ちましょう。クルシリオが田平で開かれると言うのに、田平教会の参加者がいないというのは私も顔向けできません。ですから費用が心配な方は、私が費用を負担しますので、大神学院のような4日間を過ごして、再出発してみてください。

クルシリオに適している人をあえて言うなら、ペトロのような人が適しています。イエスが弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」(8・27)と尋ね、弟子たちは口々に「洗礼者ヨハネだ」「エリヤだ」「預言者の一人だ」と言います。その中でペトロは「あなたは、メシアです」(8・29)と、人と違った答えをするのです。

ちょっと人と違っている。自分をそう思うなら、クルシリオに向いている人かもしれません。言った言葉の重さを後で気づいたり、引き受けた務めの重さを後でひしひしと感じる。最初はあれこれ考えずに入れる人、主任司祭が勧めていることなら参加してみようと考える人は、きっと向いていると思います。

エスはペトロの信仰告白を聞いて、「御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒め」(8・30)ました。大神学院の4日間に似ている生活をした人も同じです。体験した人にしか分からないこと、体験した人たちでしか分かち合えないことが、そこにはあるわけです。

ペトロはじめ使徒たちは、「あなたは、メシアです」と信仰を告白してからが再出発でした。イエスの受難と復活を受け入れなければなりません。自分を捨て、自分の十字架を背負わなければなりません。それは決して楽なものではなく、例えるならペトロが信仰告白をしてからの生活が、「クルシリオ」の4日間の体験と言えると思います。

クルシリオを経験した人はこう言うでしょう。「こんなきつい体験を乗り越えられたのだから、きっと人生をやり遂げられる。」大神学院を過ごした人も同じ思いです。私たちはみなさんが4日で終わったことを8年間積み重ねて今に至っています。

ぜひ10月5日(金)の夜から体育の日の午後まで日程を工面して、大神学院の4日間体験入学のような「クルシリオ」を受けてみてください。きっとあなたのこれからの信仰生活の再出発を図る素晴らしい体験ができると思います。繰り返しますが、参加費用は誰かが私を止めない限り、私が引き受けます。

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ちょっとひとやすみ
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▼あれだけ大きく出たから、参加費1人3万円の工面をしなければなるまい。果たして何人申し込むかだが、5人申し込んだら15万円かぁ。無駄遣いを控えて、と思ったが説教を書いている途中でレンタルDVDを申し込んだので1150円使ってしまった。塵も積もれば山となる。1150円は早まったか。
▼クルシリオに参加した人をいろいろ知っている。クルシリオで最も辛い記憶は、熱意をかき立てられて帰ったが、心を病んでしまった人のことだ。どのように選ばれて参加したのか分からないが、再出発もいいかな、と思うような人を選ぶべきだ。
▼拍子抜けの人もいる。ある意味、日常生活が大神学院の生活のような人には、クルシリオはきつくも何ともないから、変化しづらいのだろう。見た目に何の変化も見られなかった。私の見えないところでは、変化したのかもしれない。そう信じたい。
▼今、漢字変換で「変化したのかもしれない。」に続けて「そうしんじたい。」を変換させたら、「送信自体。」だそうだ。このレベルだと笑うに笑えない。クルシリオが終わるまでお金は節約だが、「そう信じたい」と変換できない理由が分からない。
▼クルシリオの裏方の人たちには心から感謝したい。私がクルシリオに送った1人は、参加したクルシリオの長の人を心から尊敬していた。実際にあらためてその人に会いに行って、お礼を言いに行った。本当に世話になったと、感じられる体験をしたのだ。
▼人と人とのつながりが希薄な時代だ。だからこのクルシリオのような練成会は、貴重な場所になってきた。日本には迷惑と感じるカトリックの活動団体もある。世界的には認められているかもしれないが、こと日本では良い噂を聞かない活動団体もいる。そんな中でクルシリオは特別な光を放っている。
▼修道会の「在世会」もオススメだが、クルシリオは修道会でないところが特別である。さまざまな「社会実験」をすることに私はとやかく言わないが、クルシリオなどはすでに成功しているのだから、私はこの活動を多くの人にお勧めしたい。ちなみに私はクルシリオ福岡第30回大会の参加者である。

† 神に感謝 †

年間第23主日(マルコ7:31-37)

「この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。」(7・37)周りにいる群衆の、イエスに向けた最大級の賛辞です。これ以上ないくらいにイエスを褒め称えましたが、褒めて褒め上げて、その人達はどうなったのでしょうか。

平戸地区の球技大会ですが、天気がねぇ。私が説教を準備している時点で予報を見たところ、一日中雨予報でした。仮に雨が小降りでも、風が強くて体育館の競技以外は難しそうです。私はこの前、ナイターソフトで3打数3安打しましたので、今年の平戸地区球技大会だったら3打数3安打できると思っていたのですが、残念です。

残念と言えば、私の応援しているプロ野球のチームも、マジックが減っていて、もう減らないでほしいと祈りながら試合の様子を見守っています。チームが負けているのに、マジックが減るわけです。このままでは振替休日に広島経由五島福江行きで試合観戦した時、優勝争いの終わった試合観戦になりかねません。適当に勝ったり負けたりしているのですから、他チームはぜひマジックが減るのを阻止してもらいたいです。

さて福音朗読ですが、群衆がイエスを褒め称える声を聞いて、何を考えたでしょうか。私は、「あなたたちは今はイエスを褒め称えているけれども、しばらくしたらイエスに『十字架につけろ』と言うのでしょう」そんな事を考えています。「この方のなさったことはすべて、すばらしい。」この言葉が、イエスに対して最高の言葉ではなく、常に変わらない言葉であるべきです。

エスが救い主ですと信じる人は、「この方のなさったことはすべて、すばらしい」と言うのであれば、イエスが徴税人や罪人と食事をすることも、今にも石投げの刑に遭おうとしている罪深い女性をゆるしてあげることも、最後に十字架に磔にされていのちをささげることも、すばらしいと言える人でなければなりません。けれども集まっている群衆のどれだけの人が、罪人に手を差し伸べるイエスを、十字架に上るイエスを、「すばらしい」と言ってくれるのでしょうか。

同じ問いかけは、私たちにも向けられています。「この方のなさったことはすべて、すばらしい。」イエスを称えるこの言葉は、私たちの言葉でもあるはずです。ですが私たちもまた、見た目に華やかな場面ではすばらしいと言えても、目立たない働きや、理解に苦しむ姿や、私たちが受け入れるのが難しい答えを示された時、同じようにつぶやくのではないでしょうか。

一切を横に置いて、「この方のなさったことはすべて、すばらしい」と言い切る信仰を願いたいと思います。金曜日に数々の病人を訪ねました。一人は病院を転院していました。一人は病院スタッフがかかりきりでお世話をしていたため、訪ねるのを断念しました。聖体拝領が難しい病状にある人もいました。そこまで訪ねていながら、手を差し出せずに帰っていくのは、本当に辛いものです。

「なぜこうなるのでしょうか」と、納得できずに病室を去っていきます。こんな時でも、司祭は揺るぎない信仰に立って、「この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。」と言えるようになりたいです。

よく考えると、司祭が病人を訪ねていくのは病人のそばまでで、病人の魂にまで訪ねてくださるのは他ならぬイエスです。ですから私は一喜一憂せず、「私はここまでしか病人に近づけなかったが、イエスは必ず慰めてくださる。この方のなさったことはすべて、すばらしい。」こう考えたいと思います。こうしたことの積み重ねが、揺るぎない信仰に結びつくのではないでしょうか。

お一人お一人に当てはめてみましょう。「この方のなさったことはすべて、すばらしい。」イエスをこのように称えたいけれども、現実の生活はそれを許さないかもしれません。苦しみがあり、悲しみがあり、思うようにいかないもどかしさがあります。こうした中で、「それでも私はあなたを称えます」このように返事をしましょう。

「私たちの信仰はすばらしい」とたやすく言えることばかりではありません。それでもイエスを称える。「この方のなさったことはすべて、すばらしい」と称える。その積み重ねによって、私たちの目は開かれ、耳は聞こえるようになり、信仰は鋼のように鍛えられるのです。

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ちょっとひとやすみ
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▼黙想会の話。毎年指導司祭を選ぶのに苦労するが、今年はあるお方に依頼したらすんなり引き受けてくださった。韓国語では「人」を「サラン」と言うが(ハングル表記できずにカタカナ表記)、「お方」となると「ブン」になる。
▼「この人」「あの人」と「この方」「あの方」は日本語でも違いが感じられるが、韓国語はなおさらだ。まぁ、そういう「お方」に依頼してみたら引き受けてもらえたということだ。
▼私は黙想会を依頼する時に、「得意なテーマはなんだろうか」と考える。もちろんその小教区が置かれている状況でより重大なテーマがあれば(前回は献堂百周年を迎えようとしていたから、献堂百周年経験者の先輩にお願いした)そちらが優先だが、得意そうなテーマをお願いしたほうが、良い黙想指導をしてもらえるだろうという考えである。
▼今回お願いした方には、得意かどうかはわからないけれども、きっと誰よりも理解しておられることについて一回分の話をお願いし、残りはおまかせしますというお願いをした。田平教会の評議会ではすでに名前を報告し、了承を得たことも伝えた。
▼「忙しいかと思ったけれども、二つ返事で引き受けてくださり、こちらが拍子抜けした」とその場で言ったのだが、ずっと予定を入れずに待ってくださったのだと思うと、本当にありがたいことである。
▼司祭館に滞在してもらうことになると思うが、問題がある。寒いのだ。私が赴任したときもそう思ったが、五島と比べると平戸は寒い。さらにこの司祭館は建物が古く、隙間風だらけ。どうしたものか。案外、信徒会館の畳の間が、快適かもしれないと思ったりもする。
▼話変わるが、土曜日に殉教公園の清掃に出かけられた皆さん、予報では曇りになっていたのに外を眺めたら弱い雨が降っている。その中で清掃をしているとしたら本当にご苦労さま。一週間清掃を遅らせて、焼罪(やいざ)殉教祭(「カミロ・コンスタンツオ神父殉教記念ミサ」のこと)前日に変更もありだと思っている。とにかく、怪我のないように、雨で濡れて体調を崩さないように、心から願っている。

† 神に感謝 †

年間第22主日(マルコ7:1-8,14-15,21-23)

9月に入りました。子供たちにとっては夏休みが終わり、新学期に向かう心の準備に今週の説教を聞いてくれると嬉しいなと思います。

8月最後の週に、年間を通して平日にミサの侍者と祈りの先唱をしてくれる子どもたちに呼びかけて下五島に行ってきました。「福江に行ってきた」と言ったほうがわかりやすいのかもしれません。

田平教会出身の啓輔神父様が福江教会の助任なので、思い切って案内をお願いして下五島の教会をあちこち巡礼して回ることができました。宿泊は、名前は忘れましたが井持浦教会そばに建てられている立派な巡礼宿に子供たち保護者たちは泊めさせてもらいました。

この巡礼宿は私の同級生が井持浦小教区の主任だった時に苦労して建てたものです。ついでに話しますと、同級生の神父様は資金集めに苦労しておられ、太田尾教会の私のところまで協力を願いに来たのでした。神学生時代から仲の悪かった私に頼みに来たのですから、よほど困っていたのでしょう。お金を貸しました。余談ですが貸したお金が返ってきたのは去年でした。

子供たちと教会巡礼、海水浴のおまけまで付いて楽しい旅行でしたが、個人的に行ってよかったと思ったのは水ノ浦教会です。この教会の敷地内に、野外の十字架の道行が設置されています。私はこれを見てすぐに、「あー、これが田平教会にあったらいいなぁ」と思いました。

歩きながら、キリストの十字架の道をお供する。もちろん聖堂内でも十分な恩恵を受けることができますが、これが野外でできたらどんなに素晴らしいだろうと思いました。場所は思い描いている場所があるので、あとは土地の所有者にぼちぼち相談に上がって、形にしたいと思います。

福音朗読に「昔の人の言い伝え」をなぜ守らないのかとイエスの弟子たちにファリサイ派の人々が詰め寄る場面があります。「昔の人の言い伝え」を大事にするファリサイ派の人たちは決して言い伝えに凝り固まった人たちではなく、もともとは聖書の教えを実生活に生かそうと努力した人たちでした。

ところが彼らの向かった先は、神の思いを実生活に活かすところまでたどり着いてなかったのです。「清い手で食事をすること」はたしかに神の望みですが、食器だけでなく家のもの一切合切洗い清めて食事をしなさいとは望んでおられないのです。細かな規則を作りすぎたあまり、「清い手で食事をする」ことから遠く離れていってしまいました。

さて十字架の道行を思い出してほしいのですが、みなさんが十字架の道行で思い出すことはどんなことでしょうか。もしかしたら、「十字架の道行は四旬節にするもの」「条件が整えば贖宥を得られる」そういった事かもしれません。

けれども今並べた2つのことが、もし十字架の道行の信心に取り組むのを難しくしているとしたらどうでしょうか。もし「十字架の道行きは四旬節にするもの」という考えがこの信心業を私たちから遠ざけているなら、私たちもファリサイ派の人たちと同じ過ちに陥っているのではないでしょうか。

十字架の道行は、イエスの受難・復活までの場面を思い起こす信心業のはずです。もっと頻繁に、この信心に加わって、イエスのご受難・ご死去・ご復活を黙想できたらと思うのです。十字架の道行を終えて疲れたと感じるのではなく、喜びを感じて帰ることができれば。この教会に野外で十字架の道行を設置したいと思っている私の狙いです。

伝統的な信心業に興味を失っている人は多いと思います。十字架の道行もそうです。こんな流れだからこそ、神への忠実を呼び覚ます信心業を次の世代に伝える工夫が必要だと思います。信心業は、神の思いを実生活に活かす助けとなります。私の在任中に、たとえば十字架の道行のできる「祈りの園」を設けて、親から子に、重荷ではなく喜びと感じられるような伝え方を学ぶ一助ができればと願っています。

「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。」(7・14)イエスは神の思いが何であるかを確実に教えてくださる唯一のお方です。私たちが神の望みをどのように実生活に活かすことができるのか、常に教え導いてくださいます。私も、この教会に熱望している「祈りの園」の計画が本当に神の思いを学ぶ場所になりうるのか、イエスの照らし、導きに心を開いて教えを請いたいと思います。

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ちょっとひとやすみ
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▼最近よくドラマを観る。韓国の朝鮮王朝時代のドラマばかりだが、ドラマに「ドラマ」があることをようやく教えてもらった。昔、山口百恵とかが出ているドラマを観た頃は、「ドラマ」を理解できる年齢ではなかったが、今は「なるほど、この人たちがドラマを展開する人たちなんだな」とか、「あー、こういう形で再開して、次の展開に進むのか」と考えが及ぶようになった。
▼ドラマを全部見た挙げ句に、Amazonなどを検索してDVDを買い求める。だったらDVDだけ観たらどうなの?と言われそうだが、展開を知った上で観ても面白いものは、まぁ、買っても損はないと思っている。最近観た中で特に良かったのは「根の深い木」と「チョン・ドジョン」だろうか。
▼なかでも「チョン・ドジョン」は景福宮を設計した宰相だから、韓国旅行をしたあとでとても親近感を覚えた。冷静さと情熱で国を前に進めていく姿、「生き馬の目を抜く」そんな政治の荒波を渡る姿、実生活でも考えさせられることがある。
▼時代劇のキャストは、ある程度のメンバーが入れ代わり立ち代わりして配役を担っている。それは長短あって、「中級官吏」の役割だった人が別のドラマで「王」の役割で登場したりすると「あれっ?」と思ってしまうが、最近はそれも慣れっこになってきた。かえって「女官長」まで上り詰めた女優さんが「まずしい猟師の妻」だったりするととても面白かったりする。しばらくはドラマを観そうだ。
▼ところで「ドラマを観ながら韓国語が覚えられるか?」という疑問に私は「すべての韓国語を覚えられるとは言わないが、『なるほど、こう言うのか』と頷くことはある」と言っておこう。ドラマで韓国語をマスターするというのは誇張だと私は思っている。

† 神に感謝 †