東京モーターサイクルショー BMW編

 今年はBMWだけが「キャンギャル」っていうのを使っていた。「不適切にも程がある」じゃないけれど、不思議なもので今は「もういいわ」って感じになる。
 昔は嬉々として

こういうの

撮ってたけどすぐに飽きた。
 BMWのボクサーエンジンにはいつ見ても感動する。

こんな横に突き出るエンジンを

最初にバイクに乗せようと考えた人は偉い。

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 しかしながらご時世という意味で今年目を引いたのは

CE 02
CE 02
CE 04
CE 04

の電動スクーターだった。

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 BMWの本気度が伝わるデザイン。
 個人的には、電気自動車よりは電動二輪の方がまだしも可能性がある気がしている。
 モビリティの全体像を考えると、この世の自動車全部が電気自動車になる未来に、一体どのくらいの発電量が必要になるのか想像もつかない。
 また、もしこの世のガソリン全てが電気に置き換わったとしても、電気というエネルギーに全依存する危険性も懸念すべきだと思う。電気が終われば全てが止まる。
 安全保障の点からも正しいと思えない。非効率に見えても、水素、電気、エタノールなど多様なエネルギーが選択されるべきではないかと思うのだけれど。
 その意味で、都市コミューターとしてのスクーターは電気って選択はありかなとも思う。そうなると、でも、でかい必要はなくなる。そうなると電動キックボードでよくねえかってなるかも。


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 コストの差がありすぎるし。何なら所有する必要もなく、シェアでよくねえかってなるかも。

東京モーターサイクルショー CRF1100L Africa Twin

 デカいバイクにそもそも興味がないので、今まで気にかけてなかったから、これまでのショーにも出てたのかもしれないが、NX400の後ろにアフリカツインがあった。

2024 CRF1100L Africa Twin
2024 CRF1100L Africa Twin

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 アフリカツインはホンダのオフ車の最高峰だと思う。それが今気がついたんだけど、すでにクラッチがマニュアルではなくオートマになっていた。

CRF1100L Africa Twin
CRF1100L Africa Twin

 しかも、サスペンションも電子制御なのだそうだ。動画で砂漠を走るアフリカツインが見られるけれど、こんな走りがオートマでできるのが信じられない。

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 今年の目玉はE-Clutchで、これはクラッチレバーをにぎらずにシフトできるシステムだそうだ。昔から上手い人はアクセルとシフトペダルだけで操作できるってことがあったが、それを電子制御でやれるってことなんだろう。

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東京モーターサイクルショー2024 HONDA NX400速報

 週末に東京モーターサイクルショーがあった。
 あいかわらずすごい人をかき分け写真を撮ってきたけど、速報的にびっくりしたのはHONDAのNX400。

HONDA NX400 諸元
HONDA NX400 諸元
HONDA NX400
HONDA NX400

 ホンダの「NX」っていうと、1980年代に「AX-1」っていうオフ車とオン車の中間くらい。かと言ってアドベンチャーというほど攻めてもなく、スポークレスのタイヤに水冷エンジン。ハーフカウルに小さめの二つ目ヘッドライトっていう、それなりに流行ったバイクがあった、その弟分というか125ccタイプという位置付けの「NX125」ってバイクがあった。
 これがなぜかAX-1とはまったく違う見た目で、タイヤはスポークホイールだし、ハーフカウルながら目はひとつだし、エンジンは空冷だし、どっちかというかこっちの方がアドベンチャーっぽかった。
 AX-1に125ccの選択肢を与える意味を感じなかったのだと思う。海外向けのみに売っていたNX650を125ccにおもっきりスケールダウンしたバイクNX125を、AX-1の小排気量な選択肢として組み合わせたのだった。
 しかし、AX-1自体がXLR250のオルタナティブってイメージだったから、そのさらにオルタナティブのNX125は、かなり控えめな印象になっていた。
 当時、オフ車の250ccに乗っていた私としては、デュアルパーパス(と当時言っていた)としてダートを意識しないなら125ccくらいのコンパクト感が逆にいいのかなと思っていた。これって今ヒットしてるハンターカブと発想は一緒だと思う。
 それからずっと気に掛かってきたNXが400ccの排気量で復活した。国内ではNX125がNX400にジャンプアップして復活したことになるが、海外では、NX 650がNX500にコンパクトになって復活ってことになる。公式サイトでは海外向けのNX500の写真が上がっていてまだ400の写真が間に合ってない。
 その意味では、かなりほやほやのニュースなんだろうと思う。CRF250に対してNX400という選択肢を用意したHONDA。これは確かにちょっとグラッと来る。

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真理はよみがえるだろうか ゴヤ<戦争の惨禍>全場面

 国立西洋美術館では、ゴヤの《戦争の惨禍》の全場面が公開中。

真理はよみがえるだろうか ゴヤ<戦争の惨禍>全場面
真理はよみがえるだろうか ゴヤ<戦争の惨禍>全場面
55, The Worst Is to Beg
《55番 物乞いは最低だ》

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「地べたに座り込み物乞いをする人物群の前を、帽子を被りうつむいた女性が背中を向けながら通り過ぎています。彼女が売春に身を落としていることは、その歩む先の中景に見えるフランス兵の存在が明らかにしています。ゴヤの付けた題は、清廉潔白な物乞いたちは飢えに苛まれながら死んでいくのに対し、身体を売る恥辱に耐え忍ぶ女は生き残る、と読むことができます。しかし、ゴヤは彼の作品において常に売春に対し批判的な姿勢を示しており、この題は彼なりの調刺としても解釈できます。」

19, Time Has Run out
《19番 もう間に合わない》

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29, He Deserved It
29番 当然の報いだ

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沢田教一《泥だらけの死》
沢田教一《泥だらけの死》

 横浜美術館で見た沢田教一ベトナム戦争の写真を思い出した。

69, Nothing We Shall See
69番 虚無。それが物語るだろう

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 ラファにイスラエルが侵攻するそうだ。常々、シオニズムはナチズムだと言ってきたけど、証明されてよかったです。
 これが今後どんな傷を歴史に残すのかおぞましいです。


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「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?—国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」

 という長いタイトルの展覧会が国立西洋美術館で開催中。
 国立西洋美術館が現代美術を展示するのは珍しい。ゲスの勘繰りとしては、円安と予算縮小でいよいよ海外の作品が借りられなくなったのではないかと思われる。
 しかし、結果的にすごくエキサイティングな展示になっていた。

「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?—国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」
「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?—国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」

 美術史的な問いかけも意義があると思ったが、正直言ってそれよりも、弓指寬治のまったく美術史を無視した展示の辺りから面白くなってきた。

弓指寬治
弓指寬治

 
「昔から上野公園にはブルーシートの小屋がたくさんあってホームレスの 方が住まわれていたのですが、ここ15年ぐらいの間にめっきり見なくな りました。上野公園はどんどんクリーンになっています。長年、美術館 に勤めながらその方達の存在を知ってはいたのですが何の接点もなく、 我々はこれまでずっと彼らに対して見て見ぬふりをしてきたように感じ ています。少なくとも私はそうでした。今回の展示で弓指さんにそのことについて触れてもらえないかと思っています。どうでしょうか?」と、「国立西洋美術美術館の学芸員の新藤さんから展示の依頼が届いた。」そうだ。

 弓指寬治は、「上野と同じく路上生活者が少なくない山谷 地区におよそ一年通い、そこで暮らすひとびと、あるいは彼ら一彼女らを支えている方々とこのうえなく丹念にコミュニケーションをとり、上野公園での アウトリーチにも参加してきた」そうだ。
 ただ、この辺から展示がカオスになってきて、うっかり誰が誰の作品かわからなくなってしまった。

おにぎりを持って会いに行く何てお呼びすればいいですか?モネ
この辺は、弓指寬治の絵なのだと思う。
でも、この辺は違う気がする

 セロテープアートだと思うが、記憶の片隅にこれが誰かの作品だった気がする。

斎場での風景
それから、これらの印象的な布の絵は

「物語るテーブルランナープロジェクト」は鴻池朋子さんが始めたプロジェクトです。個人が体験したことを語る「語り手」とその話を元に下図を描く「描き手」その下図を元に手芸する「縫い手」によって1つの作品が仕上がります。」

 それから、パープルーム(Parplume)というアーティスト・コレクティヴの展示もカオスで面白かった。

ピエール・ボナールの絵を囲繞しているこれらの絵は

安藤裕美という人の絵らしい。

星川あさこ《存在の枠組み》
星川あさこ《存在の枠組み》

と同じく

星川あさこ《手》
星川あさこ《手》

もよかった。

掲げられている「モットー」が楽しい。
坂本夏子/梅津庸一《絵作り》
坂本夏子/梅津庸一《絵作り》

『アーガイル』ネタバレ

 マシュー・ボーンの『アーガイル』の予告編がすごく面白くて、ブライス・ダラス・ハワードが演じる作家エリー、彼女の書くスパイ小説が予言のように現実の事件が起こる。それで、現実のスパイ組織に追われることになる。
 この謎解きがなかなかよくできていて、これをいうといきなりネタバレになるけれども、『ロング・キス・グッドナイト』みたいな流れになる。サミュエル・L・ジャクソンが共通してキャストにいるのもオマージュなのかもしれない。
 しかし、『ロング・キス・グッドナイト』の主演は、ジーナ・デイヴィス、彼女はスーパーモデル級の美人。に対して、『アーガイル』のブライス・ダラス・ハワードは、ホントに女流作家体型で、ルックスがリアリティ路線。
 この高橋留美子さんみたいな作家さんが元スパイ?。みたいな面白さはあったと思う。シナリオはすごくよくできていて、「え、何?、」「あ、なるほどそうか」ってことの連続。
 プロットがどこかで破綻してるかというとそんなことはなく最後まで歯切れよい。
 そんなバカな!。てのは、スパイ映画の常道なんで、そこに文句は言わない。
 プロットではなく、世界観に綻びが出たかなと思ったのは、敵のアジトに潜入した後のアクション。マシュー・ボーンって、映画監督である一方で、バレエの人(コレオグラファー?)なんだね。今、マシュー・ボーンの「ロミオとジュリエット』が絶賛公演中です。
 で、アクションの代わりにバレエをやっちゃった。
 まあ、ジョン・ウィックのアクションもダンスみたいなもんだといえばその通りだが、だとしたらコレオグラフが良くなかったんだね。
 ちなみに、格闘シーンを振り付ける人も現にコレオグラファーと呼ばれるみたい。
 具体的に言えば、サム・ロックウェルブライス・ダラス・ハワードをリフトアップするのだが、いや無理でしょ。バレバレのワイヤーアクションでしょ。
 せっかく、モデルみたいじゃなく、リアルな体型の女性を主人公にしたなら、アクションもリアルにしなきゃならなかったろう。
 その意味では、原油のこぼれた床の上をアイススケートで滑走するシーンは有りだったと思う。トリプルアクセルをしないなら、体重が増えてても問題ないから。彼女の見せ場はあそこだけで良かったと思う。リフトアップは無理。
 バレエがマシュー・ボーンの強力な手札であるには違いなかった。だからああいうところでつい使っちゃうんだろう。
 他は全部よかったんだが、あそこでしらけちゃったな。
 言いたいことは「ありえないようないい女を主役に使え?」じゃないよ。リアルな体型のその辺の女性が実はスパイだったって面白さがあのアクションシーンで破綻しちゃったってこと。面白さの質が違いますもん。


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『ボーはおそれている』

 2月16日に公開された『ボーはおそれている』を今さら観た。3時間となるとよほど観たい映画でないとぐずぐずしてしまう。
 アリ・アスター監督の『ミッドサマー』は観たけど、世評の高さほどには好きじゃなかった。あのカルトな感じが私にはステレオタイプに見えた。聖なる何かにションベンした奴が殺されるんだけど、あの描写で「作りもの感」が出ちゃって、そのあとは入れなかった。
 あのカルトの連中は主人公たちを騙す目的で引き込んでるわけなので、そんなアクシデントは未然に対処してるか、さほど気にしないふりをするかのどちらかだと思う。
 カルトの恐怖は人の怖さなので、人のリアリティを失うと怖くなくなる。サメの水槽に落ちたって恐怖とは違うべきだと思う。
 そういうわけなので、ホアキン・フェニックスアリ・アスターは、果たしてどうなるんだろうという興味はありながら、3時間と言われると二の足を踏んでしまっていたわけ。あまり評判もよくなさそうだし。
 しかし、『ボーはおそれている』の方が『ミッドサマー』よりはるかに面白かった。3時間は全く気にならなかった。『ミッドサマー』は悪夢っぽいだけだが『ボーはおそれている』は全編、これぞまさに悪夢だった。悪夢の見せ方が多角的で重層的。夢から醒めたと思ったらまた別の夢の中みたいな。そしてその悪夢に一貫性がある。町山智浩によると、キリスト教とかユダヤ教ヘブライズムの隠喩があるらしいが、それを知らなくても、普遍的な母性の抑圧は伝わる。
 はちゃめちゃに見えるけど心理にウソがない。たぶん『ミッドサマー』みたいのをもとめてきた人には評価が低いだろうが、『ミッドサマー』は退屈だったと思ってる人にはお勧めしたい。
 もし今そんなに評価が高くない(というか大こけしてる)のがほんとなら、将来的にはカルト的な伝説になる気がします。

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