私、基本的にアニメ見ないんだけど、日本のアニメのレベルは高いわ、結局。
『デッドデッドデーモンズデデデデストラクション 前章』のことだけど、絵、シナリオ、キャスト、オリジナリティ、文句のつけようがない。すばらしいとしか言いようがない。
こういう比べ方は変かもしれないけど、同じく少女グループの活躍するSFって観点で『マダム・ウェブ』と比べてみたら。まあ、比べるのがやっぱりおかしいわ。
どちらもエピソード1って趣きなんだけど、『マダム・ウェブ』の方は「これで当たったら続編作るのね、はいはい」って感じ。正直、前のバットマンの「ホーム」シリーズみたいの始められたらラッキーかな。
でも、『デッドデッドデーモンズデデデデストラクション 前章』の方は期待感の高まり方が違う。けど、何ならここで終わっても全然満足くらいお腹いっぱい。原作ファンの方は何て言うか知らないけど。
あのちゃんは当て書きってレベルじゃなく、あのちゃん本人よりむしろこの声優の方がしっくり来るくらい。主題歌も上手い。
しかもこの不穏な空気感が今の日本の空気感を見事に映してる。無闇にお勧めしたいレベルです。
東京モーターサイクルショー Kawasaki編 およびその他の電動二輪
電動二輪って意味でいちばん驚いたのはKawasakiのハイブリッド
プロトタイプではなく実際に売るみたい。メーカー希望小売価格 1,848,000円~。
バイクの限られたスペースにエンジンとモーターの両方を積み込むって発想はなかなか。
重量226kgは同じ排気量のKX450(112.6kg)のほぼ2倍。果たしてどうなんだろう。
KX450は保安部品のついていないレース車だから軽量には違いないものの、それにしても2倍って。
もちろんEVもありました。
メーカー希望小売価格1,012,000円。こっちの方がだいぶ安いですね。
二輪は雪が降るような季節にはまず乗らないし、少なくとも四輪よりは連続航続距離も短くなりがちだし、長距離の物流にも使わないので、四輪より二輪が電動に向いてるのかなと、こういうのを見せられると、信じさせられちゃいますね。ブツの力。
去年、大々的だったCAKEは今年は出展してません(後で調べたら倒産してた)でしたが、ENERGICAは今年も。
価格はこの写真の装備だと 5,885,200.00円するようだ。「ベンツ?」ってすぐに頭に浮かぶが、しかし、EUではガソリン車が2035年から販売禁止になるので。
最近身近に充電スタンドを見るようになったのも確か。
ちなみにHONDAのEVは
こんな感じ。
スマホと同じ感覚ですね。
Kawasakiのブースで目を引いていたのは、EVとは真逆の昔懐かしいバイク。
Kawasakiの二輪の原点。というか、そもそもKawasakiは川崎重工なのであって、重工業でもないバイクに手を出すキッカケは目黒製作所を吸収合併したことだった。
昔、Kawasakiのバイクに乗っていたことがあったが、年配の人なんかには「メグロか」と言われたものだった。
Kawasakiのバイクは巡り合わせで長続きせずすぐに手放すことが多かった。KLXもそのひとつ。今年新たに復活するそうだ。230ccの空冷みたい。私の乗ってたKLX250は水冷だったけど。
安心してください。もちろんライムグリーンもありました。
東京モーターサイクルショー BMW編
今年はBMWだけが「キャンギャル」っていうのを使っていた。「不適切にも程がある」じゃないけれど、不思議なもので今は「もういいわ」って感じになる。
昔は嬉々として
撮ってたけどすぐに飽きた。
BMWのボクサーエンジンにはいつ見ても感動する。
最初にバイクに乗せようと考えた人は偉い。
しかしながらご時世という意味で今年目を引いたのは
の電動スクーターだった。
BMWの本気度が伝わるデザイン。
個人的には、電気自動車よりは電動二輪の方がまだしも可能性がある気がしている。
モビリティの全体像を考えると、この世の自動車全部が電気自動車になる未来に、一体どのくらいの発電量が必要になるのか想像もつかない。
また、もしこの世のガソリン全てが電気に置き換わったとしても、電気というエネルギーに全依存する危険性も懸念すべきだと思う。電気が終われば全てが止まる。
安全保障の点からも正しいと思えない。非効率に見えても、水素、電気、エタノールなど多様なエネルギーが選択されるべきではないかと思うのだけれど。
その意味で、都市コミューターとしてのスクーターは電気って選択はありかなとも思う。そうなると、でも、でかい必要はなくなる。そうなると電動キックボードでよくねえかってなるかも。
コストの差がありすぎるし。何なら所有する必要もなく、シェアでよくねえかってなるかも。
東京モーターサイクルショー CRF1100L Africa Twin
デカいバイクにそもそも興味がないので、今まで気にかけてなかったから、これまでのショーにも出てたのかもしれないが、NX400の後ろにアフリカツインがあった。
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アフリカツインはホンダのオフ車の最高峰だと思う。それが今気がついたんだけど、すでにクラッチがマニュアルではなくオートマになっていた。
しかも、サスペンションも電子制御なのだそうだ。動画で砂漠を走るアフリカツインが見られるけれど、こんな走りがオートマでできるのが信じられない。
今年の目玉はE-Clutchで、これはクラッチレバーをにぎらずにシフトできるシステムだそうだ。昔から上手い人はアクセルとシフトペダルだけで操作できるってことがあったが、それを電子制御でやれるってことなんだろう。
東京モーターサイクルショー2024 HONDA NX400速報
週末に東京モーターサイクルショーがあった。
あいかわらずすごい人をかき分け写真を撮ってきたけど、速報的にびっくりしたのはHONDAのNX400。
ホンダの「NX」っていうと、1980年代に「AX-1」っていうオフ車とオン車の中間くらい。かと言ってアドベンチャーというほど攻めてもなく、スポークレスのタイヤに水冷エンジン。ハーフカウルに小さめの二つ目ヘッドライトっていう、それなりに流行ったバイクがあった、その弟分というか125ccタイプという位置付けの「NX125」ってバイクがあった。
これがなぜかAX-1とはまったく違う見た目で、タイヤはスポークホイールだし、ハーフカウルながら目はひとつだし、エンジンは空冷だし、どっちかというかこっちの方がアドベンチャーっぽかった。
AX-1に125ccの選択肢を与える意味を感じなかったのだと思う。海外向けのみに売っていたNX650を125ccにおもっきりスケールダウンしたバイクNX125を、AX-1の小排気量な選択肢として組み合わせたのだった。
しかし、AX-1自体がXLR250のオルタナティブってイメージだったから、そのさらにオルタナティブのNX125は、かなり控えめな印象になっていた。
当時、オフ車の250ccに乗っていた私としては、デュアルパーパス(と当時言っていた)としてダートを意識しないなら125ccくらいのコンパクト感が逆にいいのかなと思っていた。これって今ヒットしてるハンターカブと発想は一緒だと思う。
それからずっと気に掛かってきたNXが400ccの排気量で復活した。国内ではNX125がNX400にジャンプアップして復活したことになるが、海外では、NX 650がNX500にコンパクトになって復活ってことになる。公式サイトでは海外向けのNX500の写真が上がっていてまだ400の写真が間に合ってない。
その意味では、かなりほやほやのニュースなんだろうと思う。CRF250に対してNX400という選択肢を用意したHONDA。これは確かにちょっとグラッと来る。
真理はよみがえるだろうか ゴヤ<戦争の惨禍>全場面
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「地べたに座り込み物乞いをする人物群の前を、帽子を被りうつむいた女性が背中を向けながら通り過ぎています。彼女が売春に身を落としていることは、その歩む先の中景に見えるフランス兵の存在が明らかにしています。ゴヤの付けた題は、清廉潔白な物乞いたちは飢えに苛まれながら死んでいくのに対し、身体を売る恥辱に耐え忍ぶ女は生き残る、と読むことができます。しかし、ゴヤは彼の作品において常に売春に対し批判的な姿勢を示しており、この題は彼なりの調刺としても解釈できます。」
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ラファにイスラエルが侵攻するそうだ。常々、シオニズムはナチズムだと言ってきたけど、証明されてよかったです。
これが今後どんな傷を歴史に残すのかおぞましいです。
「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?—国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」
という長いタイトルの展覧会が国立西洋美術館で開催中。
国立西洋美術館が現代美術を展示するのは珍しい。ゲスの勘繰りとしては、円安と予算縮小でいよいよ海外の作品が借りられなくなったのではないかと思われる。
しかし、結果的にすごくエキサイティングな展示になっていた。
美術史的な問いかけも意義があると思ったが、正直言ってそれよりも、弓指寬治のまったく美術史を無視した展示の辺りから面白くなってきた。
「昔から上野公園にはブルーシートの小屋がたくさんあってホームレスの 方が住まわれていたのですが、ここ15年ぐらいの間にめっきり見なくな りました。上野公園はどんどんクリーンになっています。長年、美術館 に勤めながらその方達の存在を知ってはいたのですが何の接点もなく、 我々はこれまでずっと彼らに対して見て見ぬふりをしてきたように感じ ています。少なくとも私はそうでした。今回の展示で弓指さんにそのことについて触れてもらえないかと思っています。どうでしょうか?」と、「国立西洋美術美術館の学芸員の新藤さんから展示の依頼が届いた。」そうだ。
弓指寬治は、「上野と同じく路上生活者が少なくない山谷 地区におよそ一年通い、そこで暮らすひとびと、あるいは彼ら一彼女らを支えている方々とこのうえなく丹念にコミュニケーションをとり、上野公園での アウトリーチにも参加してきた」そうだ。
ただ、この辺から展示がカオスになってきて、うっかり誰が誰の作品かわからなくなってしまった。
セロテープアートだと思うが、記憶の片隅にこれが誰かの作品だった気がする。
「物語るテーブルランナープロジェクト」は鴻池朋子さんが始めたプロジェクトです。個人が体験したことを語る「語り手」とその話を元に下図を描く「描き手」その下図を元に手芸する「縫い手」によって1つの作品が仕上がります。」
それから、パープルーム(Parplume)というアーティスト・コレクティヴの展示もカオスで面白かった。
安藤裕美という人の絵らしい。
と同じく
もよかった。