自分とワープロ

今まで何度も購入するかどうか逡巡しては結局買わなかったポメラを最近購入した。
(DM100)

ずっと購入を検討するも結局買わなかった理由は、
もうすでに持ち運びしやすいノートパソコン(MacBookAir)を
持っていたからだった。
なぜかまだなんとか漫画家っぽい生活をしているわたくし、
お話のあらすじ(俗に言うネーム作業)をダダダダッとまず
文章で作成することが多い。
マンガでも歌詞でもなんでも、とっかかりとしてテキストを
キーボードで打ち込むことが多い自分なので、
それすなわちワープロに触れる機会が増えれば増えるほど
作品数に直結するのではという安易な考えに至ったのでした。

だからテキストが打ち込める道具をいつでも
持ち運べる状態にしておけたらいいよね〜と思っていたのだけれど、
MacBookAirは比較的軽量だし優秀なパソコンではあるが
それでも1キロを越えている。

なんだそのくらい、と思われるかもしれないが、
最近のデスクワーク生活習慣で慢性的な肩こりになっているわたくし、
ちょっと荷物を背負っているだけで午後には肩の痛みが
ドラクエステータスでいうと毒状態くらいに深刻になり
数歩あるくごとにHPがどんどん減っていく貧弱な体になってしまいました。
数年前までは工場で重い鉄のワイヤーを引っ張ったりしていたのが
嘘のようですね。

よってなおさら、ポメラの軽さと取り回しの良さは魅力だったのであった。
軽い! 399g! サッと持てる。パカッと開いて2秒で機動するのもいい。
プラスチックで、冬に異様に冷たくならないのもいい。
乾電池2本で動くのも手軽でいい。
テキストしか打ち込むことができないので
文章作成に集中せざるを得なくなるのもとてもいい。
ついブラウザを開いたりツイッターを覗いたり、ということがない、というかできない。

そう、その「テキストしか打ち込むことができない」というところが特に、
今の自分にはとても良かった。
ポメラを使っていると昔を思い出すのであった。
ワープロを使っていたあのころ。
パソコンではなく、ワープロ


思えば、むかし自分の家に初めてやってきたのはパソコンではなく、
プリンタ一体化型のワープロであった。
父が会社で使う用に購入したものだったが、自分も自由に触らせてもらえた。
なんならむしろ使い方を覚えて、会社書類の清書をお願いしたいみたいな感じだった。
憧れていたキーボードをカタカタッターン! ができるぞ〜と、
わくわくしつつ取り留めのない文章をたどたどしくも打ちはじめてみる。
自分の考えた文章が、活字になって表示されていくのは新鮮だった。

少したって、高校生になり文芸部に入った。
そのころはもうギターを始めていたのだけれど、
軽音楽部なんてものは田舎の高校には存在しなかった。
そこで、文芸部で詩を書いていたら自分の曲の歌詞として
使えるのもできるかもしれないし、
それに短編小説みたいなのも書けたなら楽しいかもしれないなあと、
ごく軽い気持ちで入部した。

文芸部の活動はゆるゆるで、
定期的に文芸誌をザラ紙で作り(思えばコピー本ですねこれ)、
部室の前に置いて無料で配布する。
しばらく後に部室で寸評会を開き、顧問の先生も交えて各自作品の感想を言い合う。
文芸誌を作る時期だけ少しだけ忙しいという部だった。
〆切前は、家のワープロの前でよくうなっていたものだった。

とりあえず何かしら書いてみる。良い言い回しが全然思いつかない。
語彙力の無さに打ちひしがれる。書いては消して書いては消して、
根負けしたかのように残っている文が時折だけど偶然、
なんだかおもしろいと思えるようなものだったりして、一喜一憂していた。

そんな才能のない文芸部員だった当時、携帯電話は持っていなかったし、
インターネットなんてものもなかった。田舎の、静かな夜。
ワープロと向き合って自分の中からでた文章を自分で読んで
自分で判断し削り・足し、編集する。

誰にも邪魔されずに、ワープロのディスプレイに表示される活字で、
自分自身とマンツーマンで濃密に対話していた時間だった。今思えば。


そんなことをポメラで文字だけを打っていたら思い出したのだった。
「自分だけ」と活字で対話するような作業。
パソコンのインターネット上で文章を書く時は(SNSとか)、
往々にして誰かの意見を浴びてそれに呼応するように
即時的な文章を書きがちなんだけれど、
ネットをすることができないこのポメラDM100を使っていると、
当時のワープロで自分の中にだけ深く潜り込んでいくあの感じが何だか蘇る。
ふと油断すると、「ネットのほかのみんなたちはこう思っています」
「ネットではこんなことが今話題です」なんてことがなにひとつ目に入ってこない。

起動したらただそこにあるのは無味乾燥な白い画面。
自分が考えて、打ち込んだ文章だけがそこにある。
空想した物語を綴ってもいいし、思うことを文字にして整理してもいいし。
自由だ。自分だけが自由に使っていい自由だ。
なんだかいいなと思う。ひさしぶりだなこの感じ、と思う。

最近こんな気持ちになることがあまりなくてそれを思い出せて嬉しくって、
ちょっとだけ外に行くときでもポメラを鞄に忍ばせている日々です。
買って良かった。ほんとに買って良かった。
めっちゃ安いって訳じゃないけど。迷っている人は買ってみよう。

…と、散々ポメラを買った感想とか買った理由とかをまくし立ててみましたけど、
真の買ってしまった理由としてましては普段ワープロ用に使っていたMacBookAirに
このあいだ盛大にビールをぶっかけてしまい、
たまに反応しなくなるキーができてしまったから、保険として購入したのでした。
タッチ音もニチニチいうようになって悲しい。

なんだったんだこれまでの文章。台無しだ!!!

あと今更になって「ワープロでなくメモ帳とペンでええですやん」
という野暮なツッコミはなしでお願い致しますゼ!

そんなわけでポメラと戯れていたら長い上に
どうということはない文章が書けたわけだけれども、
なんだかこんな風に文章なんて久しく書いていなかったせいもあって読みにくいし、
相変わらず未熟なままだ。
でもまあ折角なんで今後も気軽に文を書いて残して、後日に指さして笑いたい。

なので、
(気軽に長めの文章を書けたらなってことで作ったのに放置していた)このブログに、
投稿してみました。ポメラは打ち込んだテキストを工夫すればwifi
Evernoteにすぐ投稿もできるんですよ奥さん!
そっからコピペして手直しすればブログにすぐ投稿できるんやで奥さん!
奥さん! ジョイ君やで! 奥さんとジョイ君の官能的な小説も書き放題や!
なんの話だ。
いや、ほんとにいいですよポメラ。ネットに疲れ気味な人には特にいいかも。
MacBookAirだとついブラウザ開いて文章書くのに集中できないって人(僕だ)に
特にオススメだ!

というか、自分は「ワープロ」そのものが好きだったのかなと、
ポメラ触ってて思いました。
タイピングさえ早ければ脳内をスムーズに文字として簡単に出力できる、
ただそれだけのマシンが。
昔使っていたのはデカくて重くて大変だったが、今やカバンに入るんだもんね。
すごい時代だな〜。充分なくらいに未来だ〜。
盛大にビールぶっかけないように気をつけよう。

自律神経失調SHOW

前回の記事から2年経ってしまった。
長文を練習しようとして作ったブログだったのだけれど、
やっぱりそこまでサラサラと気軽に書けるものではないみたいだ。
(というかツイッターも昔ほど呟かなくなっているのに
 長文となるともっと難しくなるに決まっている…)

現状としては、まだマンガの連載があったり
今年も単行本を出してもらったりしていて、
なんとか東京にしがみつけている。

でも、家から出ずにマンガを描き続ける生活を
数年間も続けたことが今までなかったからだろうか、
去年の夏から秋にかけて体調を崩した時期があった。

自分はごくまれに自律神経失調症気味になる傾向があるのだけれど、
それに似た症状だったので「ああまたアレか」と落ち着いて対処…
…できれば良かったのだけど、久しぶりに来た不調なのに加えて
加齢の賜物なのか快方まで時間がかかってしまった関係で
今回は色々とオロオロしてしまった。

でも体調を崩したからこそ得た教訓も色々あったので、
今回はそのことを備忘録的な意味も含めて
ここに書いておこうと思います。
以下、ただのアラサーおじさんの不健康日記だから注意だ!

でももしかしたら似たような不調に悩んでいる人にとって
なにかのヒントになるかもしれないので
妙齢の駆け出しマンガ家が自律神経失調症になってから
なんとか回復して得た知見として読んで頂ければ幸いかもしれません。


   ◇ ◇ ◇


とっかかりは去年の初夏くらい、
単行本作業や月々の連載原稿をこなして
色々と充実していた時期だったのだけれど、
急に片方の目の視力がガクッと落ち、ピントが合いにくくなる。
コンタクトの度を変えてみてはその視え方に慣れず、
また変えてみて…みたいなことをくり返す。
近くを視る分にはあまり問題はなかったので、
原稿は普通に描けていた。
そしてある時、脱稿したことだし居酒屋でビール♪
と飲みに行ったらいきなり胃が気持ち悪くなり、
軽い吐き気もでてきて食事もお酒も喉を通らず、
すごすごと退散する羽目になった。ビビる。

疲れているのにいきなり酒とか飲もうとしたからだなきっと!
と反省しつつ内科に行って胃に聴診器を当てられると
「胃から全然音がしていない!!!」
とか言われて「とても新鮮な台詞だ…!」と思いつつお薬を頂いて飲む。
そのまま騙し騙し生活していたものの、
相変わらず目の焦点は合ったり合わなかったりだし、
そのせいか肩も首もすごく強張っている。
軽い目眩はするし、気を許したら身体がぐるんぐるん回り始めるし、
それが気持ち悪さを誘発した。吐き気もカムバックだ。
これ総合的に色々おかしいな…と思っていたところで
運良く仕事が一段落したので、
今のうちに不安なところ全部診てもらおうと

■目医者行く → 眼精疲労・ドライアイだよ 目薬してね 目を労ってね
■首肩こり整形外科に行く → ただのストレートネックだよ 湿布あるよ
■念のためアタマのMRIも → 異常ないよ よかったね

どこを調べても根本的な原因は分からない。
相変わらず気持ち悪さが拭えず、それは不安感も誘発した。
抑うつ状態みたいになってきた!
眼精疲労! 首肩こり! めまい! 胃部不快! 不安感!
なんだこれ不定愁訴ゴレンジャーの波状攻撃ダッ!!
ダッ! じゃねえ!!!!!
原因はよくわからないがとにかくなんか不調、
命に関わるほどじゃないが体のどこかが
ずっとスッキリしないという状態。不安感。
かくして最後に行き着いた病院は神経科
数ヶ月に及ぶ自律神経失調SHOWの始まりであった。

冒頭でも言ったように過去何度か
こういう不定愁訴に襲われる
自律神経失調症になったことがあるので、
その時の経験も踏まえつつお医者さんと相談する。
不安感と慢性的な肩こりの緩和の為に
お薬はデパスだけを処方してもらった。

前も似た様な状況になったときも
デパスを少し飲みつつ時間経過したら
気づいたら治っていたので、今回もそれに倣おう。

しかし迂闊であった、
年を重ねたこのアラサーおじさんの体!
もはや若いころの肉体とは違う、
自律神経が良くなるまで時間もかかる。
というわけで今までよりも長い期間で
デパスを飲み過ぎてしまった。

するとある日、
肩こりの薬でもあるはずのデパスを飲んでいるのに
逆に肩が異様に凝るようになってしまった。
しかもなんか頭が全然働かない。
トーンやモヤがかかっているみたい。
作業にいつもの倍くらい時間がかかる。
物忘れも多い気が…
なにこれこわい。まずいですよ!
気づいたら頬もかなりコケていて、体重も数キロ落ちている。

やったー痩せた! みるみる痩せる! デパスダイエット!
言ってる場合か!! お医者さんに相談した。

どうやら薬が効かなくなってきてて現状の処方量では足りず、
解脱のような状況になっていたみたいである。
もっと薬の強さを増すという選択肢もあるけれど
それは絶対にラリラリ一直線になってしまう…ので
じわじわとデパスを減薬することになった。

…のだけれど、心を落ち着かせて眠気を誘発する効果もあるデパス
寝る時はその入眠パワーに頼るようになっていたらしく、
アタイ…デパスなしでは眠れない体になっちゃったの…
布団に入る。朝になった。さらには昼になった。もうじき15時…
ギエエ体が壊れてしまっているよお!? 怖いよお!!
これ本当に大丈夫なのん? お布団の中でiPadいじくるん!
そしてネットで不健康な日記やら読んで更に陰鬱としたのん!
デパスに頼りすぎてデパス抜きじゃ生きられなくなった人が沢山いるん!
今自分は解脱症状がでて眠れないし不安がきそうで怖いし
首と肩の凝りが異常で枕に頭を置いててもなんか疲れているし
(体調不良で安眠枕を模索していたのはこの頃)
心臓の動悸もすごいことなっているけど
俺はここでデパスと縁を切らないと大変なことになるん!
れんちょんのマネをして現実逃避をしている場合ではない!!!
突然ですが現在発売中「のんのんびよりアンソロジー はるっ!」に
ノッツは4ページ参加してます!!!(CM!!!)

…で結果的にどうなったかというと、運良くデパスも断薬できて、
自律神経失調性の方も冬が来る頃にはなんとな〜く寛解していた。
2014年の夏〜秋にかけてずっと調子が悪かったことになる。

なんかとっちらかってしまったのでまとめると、
・去年の7月くらいから色んな体調不良が始まったよ
自律神経失調症だと思ったのでこれまでどおりデパスを飲んで治そうとしたよ
・そしたらデパス長い間飲み過ぎて逆に解脱症状で苦しんだよ
デパスが体から抜けて時間経過したら症状はラッキーにも寛解していたよ
ということなのだった。最悪の時期を過ぎてしまえば
一体何だったんだあれは…って感じの体調激悪時期だった。


   ◇ ◇ ◇


で…肝心の、
「体調を悪くした原因やキッカケはなんだったのか」

という疑問が生じるが、
自律神経失調症というのはどれそれが直接の原因と
言い切れないなんともモンワリとしたヤツなので、
色んな不摂生が総合的に結実したんでは、
としか言いようがなかったりする。

個人的にはだけど
姿勢の悪さと運動不足で首の血流が悪くなって、
調子悪くなった脳が自律神経を狂わせたんじゃ
ないかなぁと疑っている。
「首の血流? よく分からんこと言ってるんじゃないよ」
と思われるかもしれないけど、これは昔にも実際経験したことがあって、
工場勤務時代、毎日のようにクレーン操作の仕事が重なり、
(自分はなぜか小型移動式クレーン運転技能講習修了者である)
一日中ずーーーーーっと上をむいてクレーンを操縦していたら、
クレーンから降りた瞬間猛烈なめまいと気持ち悪さに襲われ早退した。
家に帰ったものの夏なのになぜか体が猛烈に寒くって
毛布をかぶってグッタリしていた時がある。
あの頃も自律神経失調になったのだけれど、
クレーンで首の血流が悪くなったのがきっかけだった。

なんか、よくあるらしい。
海外旅行に行って、背の高い建物などを
ずっと上を向いて観ていたら
ある日突然体調を崩すようなこと。
(名前があったようなきがするけど、思い出せない)
首の血流大事だと思うので皆さんも気をつけてください…

……と、自分は首の血流不全から不調がきたのでは、
と勝手に思っていたのだけれど、
マンガ家イラストレーターの古屋兎丸先生が
このようなツイートをしていたのがとても衝撃的だった。

…これ…! ここまでひどくないにしても
すごく心当たりのある似たような症状が自分にも…。
デジタル機材から受けるストレスに体が反応というのも
やっぱりあるのかもしれない。
僕も2年間ほぼずっと液タブとにらめっこをしていたわけだから
ここらで何かがリミットブレイクしてもおかしくない。
(自分は兎丸先生ほどバリバリ働けてはいないとはいえ…)

それに今回の不調のキッカケって
眼精疲労からだった気もするから、
姿勢の悪さやデジタル機材からのストレス、
視神経の疲れが脳も疲れさせて…と
色々加速したんじゃないかな〜
かな〜とかかも〜とか憶測ばかりで
医療に基づいたこと何一つ言ってないので
なんかアヤシイトンデモな記事っぽくなってもきましたけど、
まあ個人的な意見ということで話半分に読んで頂ければ…


   ◇ ◇ ◇


とにかくも今現在は体調が最悪な時は抜けだしており
当時よりは健康です。おくすり何も飲んでない。
体調が改善したのは、
自律神経失調症の原因だったかもしれない不摂生に
前より気をつけるようにした成果なのかもしれない。
具体的にどう気をつけるようにしたかをまとめると、

●首の角度が悪いと首こり肩こり→不調に繋がるので
 モニタや椅子の高さ液タブの角度など色々と探るようにした

●首肩が凝り固まらないように定期的に
 整形外科で電気とマッサージを受ける
 あと前よりはお風呂にお湯を張るように

●枕が高すぎてそれも首の負担になってた気がするので
 安眠枕を買った(テンピュール

●毎日のように寝酒をしてたのをやめた
 平日は酒なしで眠りましょう 週末のみ酒を解禁する
(これは週末に飲むお酒が美味しくなるし体重も減るのでオススメです)

●目にもっと気を配りマンガ作業用メガネ外出用メガネ使い分ける
 モノクロ作業の時は液タブの光を柔らかくするソフト(f.lux)を起動する。
(f.luxは目の疲れに予防にすごく役に立ってるきがします)

●お薬は大丈夫なときは頼らない、飲む時は細心の注意を
(もうデパス怖い! 解脱マジ勘弁!!)

そんな感じです。
(これらで改善したのはあくまで自分の場合なので…悪しからず)
(もしかしたらこれらも別に体調改善に関係なくって、
 ただ普通に時間経過で回復したという可能性もあります)

今回、不幸中の幸いだったのは、
自分のなった体調不良って完全に身体と精神がやられて
無気力になって何もできなくなるレベルまでじゃなく、
「なんか調子悪い」「リミットかかってる感じ」程度っちゃ程度なので
実際の仕事はやれていたことだった。
仕事の合間に夏休みの妄想イラストも描けていたし、
マンガ原稿は落とさなかったしライブもなんとかこなせたりした。

だからもしこれ読んでる方の中で
もっと深刻な自律神経失調症状の人いたら
こんな駄文読んで「ふ〜ん」とか思っていないで
おとなしく病院へGOして
処方されたお薬をちゃんと飲んでくださいね…
(そんな人いないことを祈ります)

しかし、
深刻なレベルでは無いとはいえ不調は不調で、
今まで大丈夫だったことが大丈夫じゃなくなるのが
とても辛かった。

一番厄介だったのは、
自分の体調に対しての不信感がマックスだと、
「今から体調が悪くなったらどうしよう」という不安で
本来大丈夫だったかもしれない体調を悪くするってこと。
〆切前やライブやイベントの前にその状況によく陥っていた。
パニック障害の予期不安ってやつに似ていますが)

こころとからだというものは、
ホントによく出来ていて、そして難しいもんですね。
体で気になるところがあると、そこを気にしすぎて
どんどん気になるところがでてきて、それで不調が加速する!

前よりは良くなったとはいえ、実は今も
「完全に健康だなあ〜」なんて思えてはいなくて、
眼精疲労やドライアイはうっすらまだあるし、首や肩も凝っている。
めまいまでいかなくても、たまに少しフラフラするときもある。
もう少し若かったなら 不調だった時期を忘れるくらいに
ケロッとなにもかも元通りの健康に戻れたのかもしれないけど、
なかなかそうもいかないようだ。
マンガ家になってからすっごい視力落ちた! 戻らない!(職業病)

年を重ねると、一病息災じゃないけれども
なにかしらの「ステータス異常」が絶対自分に張り付いてしまっていて、
それとうまく付き合いながら生きないといけないんだなと思うようになった。
実際自分も、いつまた去年みたいに体調を悪くするか分からない。
ただ、調子がまたどんどん悪くなる前に
先回りして処置できるように予防行動が出来るようになった。

不調はいつも側にあるって考えていると
突然不調になっても驚かずに対応できるし
好調なときも油断して調子に乗りすぎずに
安定した生活ができて良いのかもしれない。

不調を気にしすぎてさらに不調になるよりも、
まあ月並みな言葉ですけど前向きに
段取り良く先回りして対応していけば
あとは結構時間が解決してくれることもある、
そういう教訓を得ました。今回体調を崩したことで。

ほんと、とにかく、
「体調悪くなるのが不安で体調悪くなる」の、
すげえ勿体無い!!

どうあがいても人間は
ある日突然体調は悪くなる!
という前提で予防策やら張って、
不調が来たら来たですぐ対処できる状況や心構えを
作っておくほうが建設的なのかな、と思いました まる



   ◇ ◇ ◇



以上、すごく長くなったけれども
自分が去年体調を崩した時の忘備録でした。

30超えたら健康面でガクっとくるぜ…とかよく聞くけど、
そんな大したことないじゃないか、と思っていたのだけれど
去年いきなりズンときた感じ。
このブログを読んでくださる皆様の年齢を存じ上げませんが、
もし近い年の方がいらっしゃったら、
一つの参考や注意喚起になっていれば…
…全然参考にならないか。

「つうか貴様のそんな体調不調なんて全部、
 ただの運動不足が原因なのでは? 外でて走れや引きこもりが!」

とお思いになった方もいらっしゃるだろうけど、
自分も体調悪い時にそれは思っていて、
そのときのツイートがこちらです。

まずはこの時に買ったズボンを洗濯することから始めたいです。

『東京』というタイトルの曲は絶対作りたくない

「東京」というタイトルの曲には名曲が多い。
…とよく言われる。
実際どうだろう、と、そんなに音楽に詳しくないなりに
思いかえしてみても、確かにいい曲は多い気がする。
「東京」というタイトルの曲だけで構成された
コンピアルバムがあるのも納得だ。

昔ほどではなくなったとはいえ、
結局のところ音楽活動をやっていくならば
活動拠点を東京にした方が諸々において
有利という現状は、やはりあるように感じる。

それ故に地方で音楽活動をやっていた
バンドやシンガーソングライターたちは、
それぞれドラマティックに決心し、上京する。
そんな彼ら彼女らが「東京」というタイトルで
曲なんか作ったら、そりゃ他の曲とは想いや覚悟に差がでよう、
いい曲になるに決まってるじゃないかと思う。
(中にはどうでもいい感じの東京って曲もあるだろうけど)


僕もアラサーになってようやく、上京してしまった。
(23歳Dカップ女子大生というのは仮の姿だ)
「30になるまで東京で頑張ってダメなら田舎に帰る」
というのは昔からよく聞いた話だけれど、
その逆をやってしまったことになる。

今更ながらに自己紹介をすると、
私ノッツは山口県に住みつつ
宅録音一人バンドで
拙いなりに作詞作曲編曲録音演奏歌唱して
ずっと音楽活動をしておりまして、
海沿いの工場で働きつつCDを自主制作したり、
某笑顔動画に若干動画を投稿したり、
一度全国流通のCDを出してもらったり(廃盤)、
リミックスの仕事をさせてもらったり、
たまに腐れ縁の大学の時の友人と
バンドを組み、ライブをしたりしていた。

そんな不肖ノッツだが、なぜ上京したのか。
表向きには音楽するために上京した、
とか冗談で言うこともあるけれど、
本音を言えば、この音楽不況のご時世、
音楽でなんかやってやるぜ〜と息巻いて
上京したわけではない。

では、どうして上京したかというと、
1・人口の半分が熊、もう半分が猪の、故郷山口県
  もう居たくなくなったから、
2・東京の利便性についに負けてしまったから、
3・このタイミングを逃したら一生上京ということを
  しなさそうだったから、
4・気がつけば友達がみんな都内に居るようになったから、
4・そんな友達が何度注意しても
  楽しそうなピザパーティの写真をTwitterにアップし
  宅配ピザ屋さえない田舎の俺を嫉妬に狂わせたから、
4・しかもそのピザがすごく美味そうだったから、
4・さらにポテトとかチキンナゲットとかも
  頼みやがっていたから、腹が立って…腹が立って…

などなど1〜4のように、理由はいろいろあった。

運もあったのだとは思うけれども、
上京したらマンガ方面で少し動きがあった。
まさか曲が出来ないときに手慰みに描いていた
下手な絵のマンガの方で
動きがあるとは思わなかったけれど、
人と人との会いやすさは
「話の早さ」に直結していて、
それが運良く絵やマンガの仕事に繋がった。

(音楽の仕事はいまだにゼロです)


田舎でずっと暮らしていて、
遠目で都会を眺めていた時期が長かったのだけれど、
人と人とが会って直接話をする、ということが
いかに大事かということを
上京して実際に思い知った。
人と人とが会いやすいこの都市で、
世のだいたいの出来事が回っているのも納得だった。

だけど山口に住んでいるとき、それが不服だった。
面白そうなことは人が密集している東京で起こっていて、
テレビでもなんでも、美味しそうなお店が紹介されて、
えっどこだろう、と思っていたら新宿です吉祥寺です、
とか言われて絶対行けねえクソがふざけんな、
そっちがその気ならそっちでは高級魚の
ノドグロの塩焼きムシャムシャ食べてやるんだから、となる。
いやこれはこれで美味しいし田舎の利点なのだけれど、
やはり疎外感を感じる。

その、田舎に住んでいることによる疎外感は、
創作物を楽しんでいる時にもよく味わった。
「これいい唄だなー」と知らない唄を初めて聴いていても、
歌詞に「新宿」とか東京の地名が出てきた瞬間に
あ…少なくとも田舎に住む僕とは距離のある
唄なんだな…と、すこし虚しくなってしまう。

僕としてはこの唄が好きになりたいんだけれど、
東京に実際に住んでる人と比べたら、
毎日新宿を歩いてる人に比べたら、
100%にその曲を味わえないんだな、という。
最初からビハインドがあるのが切なかった。 
でもこれ東京に住んでるたくさんの人には
かなり響いてるんだろうなぁ…というハンデの切なさ。

作品は作品で絶対的に楽しめよ、
それはただ単に東京の唄なんだよ、
住んでる場所が違うからこその
共感の差異で相対的に作品を
楽しめなくなってどうするんだ、
と指摘されたらそれはそうなのだけれど、

いい曲であればいい曲であるほど、
なんだか地名が出てきて
想像力が限定されるのが
なんだか悔しかったりするのであった。

僕は田舎でそういう気持ちを
味わい尽くしたのち、
ついに我慢できず上京してしまった。

…今は、ひとまず音楽は音楽で脇に置いて、
こんな未熟者の僕に
有難くも誌面を分けて頂いている
連載マンガを一生懸命頑張ろうと思っていて、
音楽活動はゆったりになってしまっている。

けれど、音楽をべつに辞めたつもりはないし、
ごくたまにライブもしている。
(今度5月19日の大阪MARUZEN & ジュンク堂書店梅田店様の
 イベントでも少し唄います)
創作というものができれば、脳内世界を出力さえできれば、
その手法がマンガでも音楽でもかまわない、という性なので、
現状は現状でとても恵まれていて、
もちろんものすごく大変だけれど、嬉しい。
(マンガ…はやく上手くなります…)

そうはいっても人生の かなりの時間を
捧げてきたのは音楽なので、
また新曲も作りたいなぁと、
〆切が迫っている原稿を前にしつつ、
ぼんやり思っていたりもする。

だけど僕は新曲の歌詞に、
東京の地名は登場させたくないし、
「東京」というタイトルの曲もなんだか作りたくない。
ここまで田舎で長い間、
東京へ対して妬みに近い捻くれた複雑な感情を
ずっと温めつづけていた僕が、
「東京」というタイトルの曲を作ったとして、
いい曲になるわけがないし、
「東京」というタイトルの曲は名曲があまりに多すぎて、
確実に見劣りしてしまいそうだ。

逆に、
「『東京』というタイトルの曲は絶対作りたくない」
というタイトルの曲ならなんか作れそうだな、と思っている。
「東京」というタイトルの曲を作ってしまったら、
僕の脳内に住む、
もしかしたら山口県にずっと住んでいたかもしれない
パラレルワールドの僕が、確実に泣く。

東京はものすごく面白い。
住むのにお金はかかるし人間が多すぎて辟易するけれど、
その分、色んな人に会えるし、
面白い店もたくさんあって、便利で楽しくて仕方ない。
あんなに「なにさ、なにさ」と妬んでいた東京も、
実際に行ってしまえばほら、こんな簡単なものだ。
アド街とか嬉々として観ている。
山口県にはもう帰りたくない。
なんとか東京にしがみついていたい。
だけど、それでも、東京には気を許したくない。

住み続けた山口はずっと心の中にある。
それが今住んでいる東京に侵食されないように
心の壁で守っていたいと思っている。

山口は田舎過ぎるし、何もない。
特に僕が直前まで住んでいた所なんて
配達ピザ屋どころか、牛丼屋もない。
実際、なんにもない山口を飛び出したら
たくさんある東京で物事が繋がり、
色々と人生が動いた。

山口は、僕に何もしてくれなかったなあ、と思う。
でも、何も邪魔しないでもくれた。

田舎ならではの一軒家で毎日ギターを弾き狂って
大声で歌わなかったら音楽は続けていなかっただろうし
そんな田舎の大学で知り合った友人たちと
なにもない町で同じ時間を食べあっていた時期がなければ、
あんなに濃密で大切で儚い想い出は積めなかっただろう。
そんな山口はずっと心の中に
変わらないままで存在していて欲しい。
強すぎる東京が、
残酷にそれを上塗りしていかないようにしたい。

だから僕は今だって人の多すぎる都会を、
夜でも街灯りが昼のような東京を、
今日はなにか祭りの日かなあ、
などとうそぶきながら歩いている。

100%そうではないのだけれど、
やっぱり自分が体験したことを一番の資料にして、
創作物を作る傾向がある。

かつて田舎の大学生だったので、
山口に住んでた頃、
「田舎の大学生」という曲を作ってしまった。
歌い出しが、『2両の電車は走る』という非常にわかりやすい曲だ。

いま思えば、
都会の人間しかわからないような曲に憤慨しておきながら、
自分は田舎の人にしか分からないかもしれないような曲を
作ってしまっている。

冷静に考えたら、創作物なんてそんなものだ。
みんながみんな、パーソナルに、自分を削りとって作っていたりする。
新宿で劇的なことが起こったなら、それは勿論歌詞にも登場するだろう。
それが田舎に住んでいた時の自分に響かなくたって、
それは、たまたまだろう。
みんな好き勝手に、創作すればいいんだ。

それでも僕はなんとなく、
東京の地名をまだ歌詞には登場させたくないのだった。
「『東京』というタイトルの曲は絶対作りたくない」
という名の新曲はいつできるのかわからないけれど、
きっとその曲にも出てこないはずだと思う。

今日も東京以外のどこかで、
それこそ宅配ピザ屋も牛丼屋もないような田舎で、
濃密で、大切で、儚いドラマが起こっているはずだ。
人はそれぞれの土地で、好き勝手に、パーソナルに、生きている。
教えてもらえない限り、
目にみえないし、味わえもしないけれど、
きっと僕はそれがとても好きだ、たぶん。

「何処に住んでいたって、
 本質なんてそんなに違わないはずだ。
 僕は君だったかもしれないし、
 君は僕だったかもしれないんだぜ。」
と、
田舎を飛び出して東京になんとか住んでいる身で、言ってみたい。
飛び出せなかったかもしれない自分を体内に宿したままで、言ってみたい。
宅配ピザを頬張りながら。
2両の電車が8両になっただけだぜ、なんて。

目の滑る文章

「ノッツさんの長文は目が滑るんですよ!」

ということを言われたからというのもあってかなくてか、
最近長文を書いていないな、と思った。

長文といえば最近ではブログが常套句なのであるが、
自分のブログ自体は、実はもうすでに何個かある。
特に「ノツメモ」というブログは2006年の7月から
ほぼ毎日つけているものだから今年の7月で7年目に突入であり、
恐ろしいくらいの更新量・積もり積もった文字量なのであるが、
そちらのブログはほぼ個人的な備忘録メモ、
というか頼まれてもいないのに更新される日報、
といった具合であって、
なにか思いついたことだとか考えたことだとかを
つらつらと書き記すような類のブログではない。

逆にそのブログを始める前によく書いていた
mixiの日記の方が長文だったかもしれない。
クソみたいな広告営業の仕事をし、
深夜に帰宅し袋ラーメンをマグナムドライと啜りながら、
酩酊した体で呪詛めいた長文をmixi日記に書き記し就寝、
次の日の朝にmixiで赤字の太字ゴシックで
新着コメントがあります! という単語を得て
僕は他人に存在を認められている…!
僕は生きているんだ…!
という生存承認確認ごっこをしていた頃があった。

その時は時折、長めの文章で、自分が思っていることを
酒に酔った勢いでつらつらと書き連ねていた。
酒がまわりすぎた時は、
よくわからない短編小説みたいなものも書き散らかし、
マイミクの人達を困惑させたりもしていた。
本人はそれでも善意の名のもとについていく
好意的なコメントたちにご満悦であったが、
ある日に冷静な感性を持った人から受けた
冒頭のセリフでもって我に返り、
長文のmixi日記、いやさ、
ただただ頭の悪い何が言いたいかわからない自己陶酔長文を
書くことを辞めたのであった。
賢明な判断であった。

気づけばmixiにはログインしなくなって数年になる。
地元の某フィリピンパブにオジサンたちに連れて行かれ
大層居心地が悪く大変だった、という
該当場所をぼやかした日記を全体公開で書いたところ、
「そこって○○の○○ですよね! 知ってます!」
とか書き込んできたあの子は元気だろうか。
あのようなインターネットリテラシーの終着駅に
再度降り立つ必要もないだろう。

話を戻そう。mixiはどうでもいい、もうログインすることもあるまい。
だれか僕の代わりにmixiの「OK GO」のコミュニティを管理してください。
純粋にパワーポップとしてのOK GOのファーストアルバムが好きで
コミュニティを作ってみたらセカンドで彼らがyoutubeで踊りはじめて
大変なことになった。恐ろしくて覗けていない。

…だから話を戻そう! mixiなんてどうでもいいんだ!!
なんか長文を書いていないな、といった話だった。

現状の僕は紆余曲折を経て山口県から上京し、
漫画家見習いみたいなことになっている。
そもそもは音楽をするために上京したというテイだったが、
気づいたらこうなっていた。
東京は怖いって言ってた古いギターをYUIにあげた人も、
僕の東京でのこんな事態は予測できなかったのではないか。
あの人はYUI以外の事なんて別にどうでもいいか。

思えば昔からなんでも、
自分が思いついたことを表現できるのなら
手段はどうでもよくって、
音楽だったりマンガだったり、
その都度、手を変え品を変えやっている。
音楽は一度全国流通でCDを出して以降サッパリであるが、
最近は幸運にも連載があるという現状がそうさせるので
マンガを下手なりに一生懸命やっている。
マンガを描いていると、
なにかしら表現しようという欲はマンガのそれで解消され、
あえて文章でなにかを表現する気は無くなってしまうのであった。

実際長めの文章は読むのにそれ相応の時間がかかる。
特にインターネットというものは
時間のないブラザーシスター達が
手際よくステキ情報を得るためにサーフィンをしている
大層ファンキーな場所なので、
読み抜くまでに時間がかかる長い文章よりも
タイプの違うカワイイ女の子の絵を描いて「あなたはどっち派?」
とかいってる画像をペッとTwitterとかで呟いた方が
五億リツイートとかすぐいくのである。

…久しぶりに文章を書けば書くほどに、
話題があっちらこっちらに散っていくし、
自分でも目が滑ってきた。
兎にも角にも、
最近長文を書くことがなくなってきていて、
それによって失われているなにかというか、
勿体無い事になっていないかしら、と思っていたところであった。

と、そんなところに都合よく、
マンガの担当さんから電話が鳴ったので出てみる。

提出原稿の修正を3箇所程度受けたのちに
他愛の無い世間話をしつつ、
「僕、また長文のブログとか書こうかなとか思っているんですよ」
と、のたまってみる。
「いや、文章ならではの表現とかを再考することによって、
 マンガならでは表現の利便性を再考することにもなり、
 それは今後のマンガ表現のステップアップに繋がるのではないかと」
べらべらと捲し立てる。
何事もそうだと思うが、思っていたことを実際人に伝えることで
現実味を帯びてくる。言霊というものは存在するのであった。

「それはまあ…そうですね」
聡明な担当氏はウザったい新参アラサー漫画家のどうでもいい決意表明に
丁寧に付き合いつつ、つづけた。
「実際、文章ならではの表現というものはありますものね。
 【1万の軍勢があらわれた。】とか、文章なら一行ですけど、
 絵にするとなると…」
なんて恐ろしいことを言うのだこの担当は。
1万の軍勢を描くことなど想像したくもない。
そういうのは三浦建太郎先生にまかせていればいい。
それこそ描いているマンガが引きこもり少女マンガだったり
アパートでダラダラしてる大学生マンガだったりで
結局家の中ばっかり描写している僕に
1万の軍勢は未来永劫描けないだろう。

なるほどそれを言うとやっぱり文章というものには
マンガにはない表現力というか、
読み手の想像力を借りることによっての表現力というものがあるなあ、
それによって気づけるなにかってあるんじゃないか、と思い、
定期的に長めの文章を書いてみることへの決意を強くしたのであった。

そういうわけで腐らせていたここのブログを復活させて、
早くも目の滑る文章を書いてみた次第です。
定期的になにかしら、思いついたら書いてみたいなと
思っているけれども、最初の一発目からこんな具合であり、先が思いやられる。
それでも書き続けていたら文章もうまくなるだろうか。
目が滑る文章だけが達者になりそうな気もしないでもない。
最終的にはツルッツルのスベッスベな文章マスターになっているかもしれない。
ところでローションって使ったことないんですがそんなにいいんですか。

…だけど目が滑る、という表現も文ならではだな、
絵・マンガでは表現しにくいもんなあ。
そう思ったところで、目玉のおやじがスッテンコロリンしている絵が
頭に浮かび、ええいよくわかんねえや、と
濃い目に作ったホッピーをグビリと飲んだ。