今更ながら亀田一家終了について

以前よりアンチ亀田だった僕は、当日に世界戦を見た感想としては正直ガッカリしてました。大差判定なんて現実的に想像しうる最悪の試合結果だったからです。相手がどんなにガードを固めてきても元々の実力には天と地の差があるので、内藤には「向こう20年くらいコイツには勝てない」と思わせるような豪快なKO劇を期待してからです。


しかし、試合が終わって様々な情報が飛び交う中で内藤よくやったなぁ、と思うようになりました。セコンドすら気付かないように巧妙に行われたサミング(目潰し)、クリンチの際に太ももを殴る、執拗なローブロー、セコンドですら反則指示、リングが狭かった、マットが柔らかかった、試合間隔が短かった。全てが内藤不利の状況を仕組まれた上でよくあれだけ戦った、と素直に賞賛を送りたいという感情になりました。


話を元に戻して肝心の亀田の事ですが、あれは本当にもうどうしようもねぇなぁと思うわけです。はっきり言って今回の試合で反則が多かったなんて素人の目にはそんなに理解できたものではなかったと思うのです、本来ならば。しかし最終ラウンドでどんなド素人でも分かる投げ技を繰り出した事によって世間一般の目は「なんだコイツ!」という空気になり、その結果数々のラフプレー(というか反則)が明るみに出る結果になってしまったのです。反則行為は当然許されたものではないし、実際内藤は失明の危機もあったわけですが、最終ラウンドのアレがなかったらコトはここまで大袈裟になったでしょうか?残念ながら僕はなったとは思えないんですよね。


亀田一家がボクサーとして生命線を絶たれたのは100%自業自得です。本当にバカです。そもそも今回の試合、僕は「まさか亀田史郎もTBSも本気で大毅を勝たそうなんて思ってないよなぁ」と思っていました。いくらバカだからと言っても瞬間的な商品価値としては歴代NO1と言えるボクサーを造りあげる事に成功した人間達です。当然今回は敗戦が前提で最低でも興毅の世界戦への伏線、あわよくば見かけ上の大健闘を演出して大毅の株を上げる…、そんなシナリオだと思っていたところいざ蓋を開けてみると、悪い意味で勝ちにこだわる試合を展開させました。本気で大毅クラスのボクサーに世界を獲らそうとしていたのです。もう本当に信じられない。


そもそも今回の試合だってクリーンファイトに徹してKO負けでも判定負けでもした後に「やっぱりチャンピオンは強かった、今までごめんなさい」とでもコメントしていたら「弱冠18歳にして立派に世界に挑戦した期待のホープ」という評価に繋がり、世間の好感度も上がり、勝てるかどうかは別問題として内藤×興毅戦の伏線を貼れ、次の興行に繋げれた事でしょう。


そもそもランダエタ×興毅の初戦も、興毅のマイクパフォーマンスが腐ってたのであれだけ世論の反発に繋がったワケで、それから何にも学ばず、以前のノリをそのまま押し通してしまったので今回は致命的な打撃を受ける事になったのです。実際ランダエタとの一回目の対戦の後「しょっぱい試合で判定には不満が残る」というコメントをもっと強調していればあのような事態にはなりませんでした。他にランダエタ戦で学ぶ事は「ボクシングの実力はそれほどでも無い」という事もあったのですが、彼らは何を勘違いしたのかそれを無かったものとし「俺たち最強!」とずっと思い続けてしまったのです。もう本当に救いようが無い。ランダエタ戦の影響は他にもあり、あからさまな八百長試合が(前ほどは)出来なくなったという事もあるのです。実際あのランダエタ戦が無かったら今回のような内容でも大毅の判定勝ちの可能性があったワケですが、今回そのような裏技は封じられていました。世間一般は当たり前だと認識していた事でしたが、亀田一派だけはそれを理解していなかった。


長々と書きましたが、バカバカ言うのも疲れたので、もう結論だけ書くと「亀田一派は想像以上にバカだった。ゆえに滅んだ」という事です。それにしても本当にもうここまでバカだとは思わなかった。ここまで想定の範囲を飛び越える人間というのは凄ぇ…ある意味尊敬するよ!


ボクシングについては別個に書きたい事もあるので今回はこの変で。

るろうに剣心星霜編

るろうに剣心-明治剣客浪漫譚- 星霜編 ~特別版~ [DVD]

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基本的な知識として剣心の最終章だと知っているには知っていたが今まで機会が無くて見なかった作品。


内容の方はこれまでの剣心の人生を薫視点の回想で描き、最期に剣心と薫の人生の行く末が語られる、というもの。少年誌的な面白さを一切カットし、「るろ剣」の暗の部分になっているものを青年誌で思いっきり表現するとこういうものになるんだろうなぁというもの。


原作者の和月は元来「少年誌らしい漫画を描きたい」という欲望を持っていた人間*1で「るろ剣」は影に重いテーマを背負いながらも少年誌の代名詞であるハッピーエンドに拘った作品だった。その為人誅編でヒロインを殺す事ができず「贖罪」というテーマを描き切れなかったし、ラストシーンも「皆幸せになって良かった良かった。ハッピー」という感じで明るく締めくくられてる。少年誌としてはあれで正解だと思うしあの終わり方に特に不満があるワケではないが、あくまでも「少年誌」としての終わりなのだ。逆にその後の剣心の人生を辛辣に描いたこの星霜編は青年誌的なラストと言えるだろう。


原作のラストを読むと剣心は家庭もでき、後継者も育ち、戦いの呪縛から解き放たれ明るい未来に向かって歩んでいく…というような想像をかきたてられるのだが星霜編はそのようなファンタジーを物の見事に粉砕している。星霜編で語られたその後の剣心の人生は客観的には決して幸福なものでは無い。それはその家族の薫や剣治も同様で境遇だけをみると限りなく不幸であったと言えるかもしれない。だが星霜編のラストの剣心の満面の笑みを見ると、贖罪という十字架を背負いそれを自分のできる限り(例えそれが自己満足であったとしても)果たした剣心はある意味で幸福な人生を送れたと思う、そしてその男に寄り添い見届けた薫も。


これを見た後は原作の終わり方は少年誌的な配慮を加えた非常に無難なラストであるとつくづく思う。原作の明るい空気が好きな人は星霜編は到底受け入れられないものであろう。だがこの星霜編こそが贖罪という重いテーマを抱えたあの作品の本当のラストにふさわしいのではないだろうか。リアルタイムで原作を読んでいた人は是非。

*1:これは「るろ剣」以降の作品を読んでもらえればすぐに分かると思う

ニコニコ動画の自演騒ぎについて思う

参照URL:http://www39.atwiki.jp/niconicodouga/pages/12.html


簡単に流れを説明するとニコニコ動画に多く投稿され、(少なくとも見た目は)人気を博していた「歌ってみたシリーズ」の自演が発覚し大盛り上がり。その内にそれを指摘する動画や批判する動画が投稿され一部で祭りになっています。




自演した事が直接的な問題となっているワケだけど、突き詰めれば自分のコンテンツへのアクセスの姿勢の問題ではないのだろうかと思う。そう置きかえて考えてみると腐る程見てきたテキストサイト時代からのネットバトルと構造的に酷似していると思う。


今じゃテキストサイト時代を知る人は随分減ってしまったけど、現在のブログサービスの前身のようなものだとイメージして下さい(実際僕はそうだったと思っている)。あの頃から「出る杭は打たれる」というような風潮があり、人気サイトのほとんどは叩いたり叩かれたりしたものだ。非の打ち所が無い…つまりは一切のポカをせずネットバトルに参加しなかったサイトだけが無傷でいられたのだが、人気サイトの中でそのようなサイトは稀だった。


叩かれていたサイトは山ほどあったのだが、その中の理由の1つに「アクセス至上主義」というものがあった。自分のサイトにアクセスがあったら嬉しい、これはほぼ万人が共通して持っている認識だと思う。そのアクセスは多ければ多いほど嬉しい。まぁこれも分かる。それが行き着く所まで行き着いたのが「アクセス至上主義」という考え方で、この考えの凄かったところは「自分のサイトの内容は二の次。とりあえずアクセスが欲しい。それもいっぱい」というような思想にまで突き抜けていたところだった。本人達に自覚があったのか無かったのか分からなかったが周りからそう見えた。


彼らは大手サイトとのリンクを第一目標とし、それにあわせて行動していた(ように見えた)。その姿勢は凄く浅ましく卑しく見えたので彼らが台頭していくと共にアンチも増え、バッシングも多くなり時には祭りとなり徹底的に叩かれやがて衰退していった。


繰り返すが現在の騒ぎはそれと非常に酷似しているんじゃないかと思う。自演した事は確かに問題なのだがそれ以上に叩く側を刺激したのは「自演してでも自分のコンテンツ(動画)を盛り上げたい」という姿勢だったのではなかろうか。「歌ってみた系」の動画がニコニコ動画のランキングの上位に多く位置していたのも、アクセス至上主義が台頭していたという状況に良く似ている。


まぁこんなどうしようも無い昔話と比較したのには意味があって、あの頃も今も僕が感じる後味の悪さは変わらないという事なのだ。テキストサイトネットバトルはサワリを見る分には確かに面白かった。しかしまとめサイトなどで2chのログなどを見るとそのあまりにも悪意溢れた空気に思わず吐き気催したものだった。今回もそうで自演を告発する動画を見た時は「こいつらバカだなー」と深く考えずに笑ったのだが、告発された動画を見に行くと「自演乙w」「氏ね」などのコメントがほぼ動画の全編に弾幕となって流れており、その悪意の塊にまたもや吐き気を催した。


実際本気でそう思って、動画を埋め尽くすほどの悪意を振りまいてる人間はそう多くないだろう、というか思いたい。何気無く「こいつらーバカだなー。ちょっとコメントでもして煽ってやっか」というような人間が大多数だと思う。だがしかしその僅かな悪意の垂れ流しが大きな濁流となってしまう。そしてそれが目に見えて分かってしまうのがネットなのだ。


ほんの少しの悪意が溜まりに溜まって邪悪な塊となる…。いつ見ても気分の良いものではない。昔にも似たようなテキストを書いたのだが、大きな悪意はそれだけで恐怖となる。傍から見ていてもそうなのだ。もしそれが自分に向けられている事を少しでも想像して欲しい。僕はきっと耐えられないと思う。今回の自演騒ぎを起こした人間を擁護するつもりはないが、果たして彼らがそこまでの事をしたのだろうか。少しぐらいのおイタは草葉の陰で笑ってすませてやる…というのが良識ある人間ではないのか。全員が、とは言わないがこのような意識が少しずつ広まって行く日がいつか来ればいいなぁと思う。





これとは関係無く、ニコニコ動画については少し思うところがあるのでそのうちそのようなテキストを書こうかと思ってます。

涼宮ハルヒの憂鬱

涼宮ハルヒの憂鬱 1 通常版 [DVD]

涼宮ハルヒの憂鬱 1 通常版 [DVD]

オタクが熱狂しているアニメはどんなものだろうとニコニコで全話見てしまった。著作権を考えるものの端くれとしては色々と思う事もあるけど、便利な世の中になったなぁとつくづく思う。


ネタバレ無しの感想としては、オタクが好きそうな要素をとにかく全て詰め込んだアニメだと。いわゆる萌えキャラの配置はぬかりが無いもので良く(?)比較に出されるエヴァンゲリオンで例えれば、キョン=シンジ、ハルヒ=アスカ、長門=レイ、古泉=カオル、みたいな感じで置き返れる。エヴァンゲリオンはまともに見てないからそこんとこ詳しくは分かんないけど。


それなりに魅力的なキャラを配置し、動かすだけで面白いアニメになるのだけれどストーリーもこれまた凄い。原作通り(らしい)あえて時系列を無視した放送順序で、普通に見ていたらワケが分からなくなるのはご愛嬌だけど、学園ドラマかなぁと思って見ていたらいきなり話の本筋が世界の成り立ち、宇宙の真理にまでぶっ飛んだ時は度肝を抜かれた。小難しい話は時にオタクの心を鷲掴みにするもので、また例えに使って悪いが、いきなりぶっ飛んだ話になるという意味でははたまたエヴァンゲリオンと酷似していると思われる。エヴァンゲリオンは製作者が途中で嫌になったのか風呂敷を広げまくって解釈を丸投げにしたアニメだったのだが、涼宮ハルヒの憂鬱は(今のところ)伏線を回収し綺麗にまとまっている。そしてとどのつまりはある一点に物語の本質があるのだけど、その持って行き方が実に見事。


キャラやストーリー、どれをとっても実にオタク受けするアニメだと思う。作者がそれを狙って書いたかと問われれば十二分に意識したと思われるんだけど、「こんなのがオタク共にはウケるんだろ、ふふん」ってな姿勢だとその作品はタカが知れているワケで、逆説的だがオタク受けする要素を若干意識しつつも物語の焦点を描きたいという一心でこの作品を書いたのだろうなぁと思う。


ダラダラと書いたんだけども、結論としては非常に面白いアニメでした。少し趣向を変えればもっと一般ウケしそうなんだけどこれはこれで良いと思いました。








※以下ネタバレ※


途中から「この世界はハルヒが創った世界」というセカイの本質が提示されるワケなんだけどこれがビックリ。うわぁーなんなんだこのアニメはと思いましたね。そのハルヒを研究する為に未来人、宇宙人、超能力者がハルヒとコンタクトを持つワケですが、それすらも「日常に飽き飽きしているハルヒが通常では考えられないようなモノの存在を望んだからそこにいるのではないか」という解釈を提示されてびっくり。


その中で唯一思い通りに動かないのが主人公(?)であるキョンであり、ハルヒを奇人変人として無視する大多数や、ハルヒと積極的に関わり合いを持とうとする稀有な存在でも無く、キョンだけはハルヒにつかず離れずの関係を維持し望んでいる(いた)ワケで、そのような唯一無二の存在であるからこそ、ハルヒキョンに惹かれてしまったのだろうと思います(3年前に出会っていてそれが全ての始まりであるという分かりやすいエピソードも用意されているワケだけども)。そしていつしかキョンも知らず知らずのうちにハルヒに惹かれて行き…。とまぁなんともお互いがお互い絵に描いたようなツンデレっぷり。


これこそが物語の本質であるのです。これを軸にこのセカイは回っていて、世界の成り立ちなどの話はこれに色をつけるものでしか無いのです。大掛かりな舞台があるのだけど、結局行き着くところは恋愛物語…この構図はデビルマンを彷彿させられます。デビルマンは現代の黙示録と評される名作であって、涼宮ハルヒの憂鬱デビルマンは作品の方向性やテーマも全く違い、作品としてのパワーも違いすぎるのですが、この類似性は見るべきものがあると思います。


大掛かりな舞台の上でやっている事は所詮は恋愛沙汰…。この構図は実に美しい。デビルマンはそれによって(謀らずしも)儚さを演出し、涼宮ハルヒの憂鬱ツンデレの美しさを演出しました。繰り返しますがこの構図は本当に美しい。ツンデレはかくも美しいものなのか。未見の人は是非に!

怪物王女

最近ニコニコで観るのにハマってます。


最初に言っておきますがこのアニメ決して面白いアニメではありません。ていうか本当につまらない部類に入るアニメだと思います。だけども一度ハマってしまったらズルズル観てしまうという得体のしれない魅力が…。


正直な話、毎回毎回どこが面白いのかビタ一文分からないケースがほとんどで、ホントなんで観てしまうのか…。実はこのアニメ、4話に1話くらいの割合で、凄く面白い回(いわゆる神回)があって、その時は逆に「スタッフの人はどうしたんだろうか?」と心配してしまいます(笑)。その面白い回ってのは妙にエロかったり、グロかったり、普通に良い話だったり画一化してないのが素晴らしいです。


例えるなら出来が悪くてどうしようも無い子なのに時折「ハッ」と驚かせてくれるという感じです。その驚かせ方もパターンが色々あって実に飽きないです。そして普段は色んな意味でどうしようも無いくだらない話が続くのですが、慣れてきたらそれすら愛せるようになります。「相変わらずどうしようも無い子だなぁ…」→「でもそこがカワイイ!」


どう考えても優等生ではなく落ちこぼれアニメなのですが、何かしら観るべきものはある、といったところでしょうか。ホント、人を選びまくるアニメですが少しでも気になった人は見といて損はしませ………いやするな、生半可な覚悟だと絶対後悔する…。一体どう紹介したらいいんだこのアニメは(笑)。まぁとりあえずハマる人はハマる何かを持っているアニメです。


では、すっかりハマってしまった僕はこれからAmazonで原作コミックを注文してきます!(重症です)。

ライアーゲームが面白い

LIAR GAME 1 (ヤングジャンプコミックス)

LIAR GAME 1 (ヤングジャンプコミックス)

土曜深夜11時10分からフジテレビ系列でやってるドラマです。


ドラマの方があまりに面白いので単行本を買ってみたらこれまた面白かったというなんとも幸せなお話。カイジ当たりが好きな人には迷わずオススメしたいです。てかもう話の大筋はそのまんま初期カイジ。いわゆる大金を賭けた頭脳戦です。


原作を読んで気付いたのですがドラマではいくつか変更点されてる部分があります。変に変更すると原作の良さをぶち壊してしまうのですが、このドラマでは変更点がほとんど全部良い方向に変更されていて実に素晴らしい。例えば原作で少し分かり辛かったところがドラマでは分かりやすい設定に変更されているとか。漫画は理解できないところがあったら何回でも読めるけどドラマだとそうはいきませんもんね。後はキャラ付けを強烈にしているところとかですかね。対立や和解などの構図が原作に比べて分かりやすくなっていて良い感じです。これはドラマの制作側が原作の面白さをはっきりと理解しているからこそできる仕事だなぁと。原作に何の思いいれも無い人間じゃこうはできない。


もう少しで終ってしまうのですが、観てない人はレンタルされたら借りてみる事をオススメします。




※ネタバレ※
それにしても原作の敗者復活戦の流れは実に美しい。投票→投票無効化→型破りな契約で逆転→無効化されたと思われていた投票が有効に→ゲームの最初から提示されていた隠れた性質を活用。この隠れた性質っていうのが実に良く出来ているなぁと。ゲーム開始からしっかりと提示されている性質なのにそれに気付くのは実に難しい。本当に良く出来ている。一読するとやや難解なのでドラマでは設定変更されたのでしょうが…。本当にこれは凄い。完全に騙されました。


逆にドラマの演出も良かったです。あの性質をテレビで細かく説明するのは野暮と言わんばかりに設定を変更し登場人物の心情のみにスポットを当てて決着を演出。本当にドラマスタッフは良く分かってるし頑張ってる。
※ネタバレ終了※



忙しくって中々ブログ書けなかったら変な文章に…。もうここを定期的に読んでいる人なんていないと思いますが、なんとか自分が良いと思っていた水準まで戻したいなぁ。

鳥人計画

鳥人計画 (角川文庫)

鳥人計画 (角川文庫)


最近東野圭吾さんの著作をむさぼり読んでます。広い視野を身につけるために色んな人の著作を読んだほうがいいのだろうけど、小説って値段の割りにどうしても買うとき慎重になってしまうんですよねぇ…。その理由は小説は読むのに結構時間がかかってしまってつまらない小説を読むと精神的に大きなダメージを受けるからかなぁ…っと。しかしつまらないゲームとかは全然平気なのにこれはなんでだろう…気楽に楽しめるかどうかって点が違うのかな。…っと前置きが長くなりましたが以下レビュー。ちなみにこの作品は僕的にハズレでした。


スキージャンプを扱った作品で、作品全体にそれに関する記述が出てきます。かといって専門知識が無いと読めないかというとそうでもなくスキージャンプに関して何にも知識が無くても楽しめます。「ジャンパーは遠くに飛ぶことを何よりの目標にしている」というこの作品の1つのテーマは地味ながらも魅力的であり「短距離選手はより速く走る事を」「水泳選手はより速く走る事を」などに置き換えて他のスポーツにも通じるものがあります。科学的なデータでそれを解明していく場面があるのですが結果は「遠くに飛ぶ方法は分かってもその原理は不明」というもので一見単純に見えるような競技でも未知の領域…ロマンがあって非常に素敵だと思いました。


ただこの小説、大筋は殺人が起きてそれを解明していくというものなんです。個人的にこの小説人を殺す必要があったのかなぁ…と。謎解き部分は二転三転して面白いと言えば面白いのですが登場人物が無駄に多くなりすぎてチラっとしか出てこなかった人物が突然再登場していきなり重要なポジションにつかれても当惑するものがあります。真相が真相なだけにほとんど無駄の無いキャラクターの配置が施されているのですが…これはなんとも。まぁこれはこの作品を読んでいる時、僕は集中力をやや欠いた状態でしたので僕が悪いだけなのかもしれませんが。


話を元に戻すと「如何に遠くに飛ぶか…」現代科学でも解明できない魅力的な謎とそれに挑むジャンパー達の苦悩などをもっと多く書いて欲しかったです。この作品が書かれたのはおよそ10年ほど前で(確か多分)、最近の東野圭吾さんなら人を殺さず(殺しても推理要素を出さず)ジャンパー達の心理などを深く掘り下げて面白いものを描かれると想像してしまい、そこが残念でした。


酷評している推理部分ですが二転三転してしっかり伏線も貼ってあるのでミステリ好きも満足できるものだと思います。ただ「遠くに飛ぶ」という魅力的な謎と変にぶつかり合ってしまい読後の感想がイマイチに思えたのだと思います。それに推理パートの結末は妙にひっかかるものですし。


今の東野圭吾さんならこのテーマをどう描くのだろうと考えずにいられない一冊でした。





久々にレビューを書いたらなんかグダグダに…。やっぱり定期的に書かないと駄目だなぁ。