大切な友への何か

 自身を支配するものとは何か。

 それはきっと、未来へのスケッチなのだろう。

 人は、生き物は皆、画家であり、その絵の傍観者だ。

 自身が描き出した絵の数々。

 誰よりも多く観ているはずなのに、

 誰よりも無関心を装ったりもする。

 観て 観ない ふり を する。

 世界はおかしなことだらけ。

 きっとそれだけ自身の絵に対する想いは濃密で、

 時に屍同然ともなってしまうんだね。

 そんな力を備えた絵を描き続けるのは

 確かに危険なことかもしれない。

 でも、だからこそ、

 描き続ける友がいる。

 その力でしか解決出来ないものがあることを

 一人で証明しようとしている友がいる。

 応援なんて言葉はいらない。

 ただ、見届けてみたい。

 友が描き出す世界を見届けたい。

 あなたが描く世界と僕の描く世界。

 どこかで道が交差したら嬉しいね。

 そんな世界で、握手を交わそう。

凡庸というなのケミカルドラッグ

 生きる時間、生きるための時間は大部分が凡庸なもので、それが刺激を生み出す母体であったりするものだから、人生とはやり切れないほど掴めない。

 矛盾を肯定することが生きるということ。食っても食っても腹が減る。

 鳩のように飛べないから取り合えず飛行機を飛ばしてみる。魚のように泳げないから取り合えず潜水艦を泳がせてみる。チーターのように走れないから取り合えずスポーツカーでも走らせてみる。

 肯定したくて頑張る人がいる。無理を排除する人がいる。よく分からないけど面白い。

 そうやって、刺激から生まれた凡庸な世界を今日も生き抜く。

 さて、明日はどんな凡庸が、刺激的な薬物と変わるのだろうか。

a polyhedron

 人生の中で一番ハッピーな時って一つのブレイクスルーを見つけた瞬間だと思う。

「つまり、こうすれば良いんだ!」

 っていう発想の転換。逆算することで現在を肯定してみる。日常ついつい忘れがちな多面体の自分。そんなことを思い出した瞬間、現状は少なくとも地獄ではない。

 逆算を身体に沁み込ませるなら、料理を作るのが良いかもしれない。例えば、「カレーを作りたいからジャガイモと人参とタマネギと肉を買う」というように、逆算の方程式が見えやすい。

 ふと思う。大切なのは、ポジティブシンキング。

 現状の不満に敏感だからこそ生まれる逆算の囁きに、もっと耳を傾けようと思うこの頃。

 鏡を見る。今の自分に一番自然な表情は一体何か。その確認が世界を救うわけではないけれど、自身にとっては世界平和よりも大切なこと。

 ふと、キラキラとした正義に触れたくなる。

点が線を生み出すとき

自身と向き合うとはどういうことなのか。人との対話を通して改めて考える。

 偶然とか運命とか、そんな、脈を引き千切る言葉で死なせてしまうのではなく、もっと人肌を感じる言葉。何度デッサンを重ねても届かないと知りつつも、鉛筆を走らせずにはいられないような言葉。搾り出してようやく、自然に回帰されるような言葉。

 そんな言葉の生の営み。そんな自身の生の営み。

 一人の人間として生きていく。それは、空間に他者がいることで初めて成り立つ公式。

 脈を引き千切りたくなるような言葉は嫉妬から生まれ、何度もデッサンを重ねてしまう。嫉妬の中で自身を搾りきることによってようやく生まれる自然体という原点。その工程にある人肌の温度。

 そんな工程が自身と向き合うことで、苦しみにちょっとしたエスと楽しみを感じてしまう心が自身だったりするのだろう。

 だからこそ、本を読む。音楽を聴く。好きな人と一緒に時を過ごす。

 自身を取り巻く環境の全てが、向き合ってきた自身への答えであり、更なる自身への追求を即す大切なもの、大切な人だから。

 点が線となる。それはきっと、星が星座を描くのと同じこと。とてもロマンに溢れていて、とても遠い。想像力が喜び始めると同時に、決して届かないことに何かしらの温もりを抱く瞬間。

 そんな温度を感じられる現在に、感謝と未来を頂く。旅は終わらない。

過剰摂取から味わいつくすスタイルへ

 何事も、過剰摂取は良くない。
ここ3週間ばかり、機械的な生活を繰り返していく中で得た
一つの結論。

 摂取する量を増やすのではなく、広げていくこと。

 このスタンスが良いということに気づく。
具体的な例を挙げると、
 服を買いすぎるよりも、持っている服でバリエーションを
増やしていく方が楽しい。
 一つの音楽に対し、毎回違ったところ(歌詞・リズム・浮き出るイメージ等)
に集中しながら聴いてみると面白い。

 スタンスを持つことは大切なことだ。全ての取り組みがより、
能動性を増してくる。
スタンスが出来ていれば、予想外の事態にも対応出来る。
スタンスを変えるというよりは、事態に対して意図的にズレを生じさせ、
軌道修正を加えていくイメージ。
柔道や空手と近い感覚。

 味わいつくすスタイル、素材を知ることへの思考回路を大切にすること。
脳と想像力が喜び始めるスタイルを大切に。

 「今日出来ることを明日まで延ばすな」
 今年のおみくじに書いてあったこの言葉を、改めて胸に刻む。

削ぎ落とした末にあるもの

 最近、時間単位で区切りながら生活することを心掛けている。その成果かどうかは分からないが、短い時間も愛しく、貪欲に貪りたくなる。一日の充実ってつまり、どれだけ時間を能動的に使いこなせたかにあると思う。

 しかし、ただ、使いこなすだけではだめだ。やはり、そこには人の温もりがあり、その温もりの中で時間を使わせてもらえるからこそ、充実した日々を送ることが出来る。

 温もりに感謝しながら時間を使いこなすこと。それは、頭の中をよりシンプルなものにしていくことだ。

 不必要なものを削ぎ落とし、必要なもの、必要としているものに集中する。

 削ぎ落としていく中で感じる温もりと、自分の意志への実感。
「頭の中は出来るだけ、きちんと整理するのが楽しむコツだ」と、実感として分かりかけてきたこの頃。

自由から学ぶもの

 一番恐ろしい状態は、自由を恐れることだと思う。人は意外と自由に生きれるものだけれども、自由が最も恐ろしいものだったりもする。何かに縛られてないと不安というのもあるかもしれないがそれ以上に、自由の持つパワーがあまりにも膨大で、それを上手くコントロール出来そうもないことが恐ろしいのだ。

 コントロール出来ない自由は暴走する。気が付くと、自由が自身を支配する。

 それはもはや自由とは言わないのかもしれない。自由も日常の中で使いこなす道具の一つだと思えるようになれば、自由とは本当に素晴らしい。

 自由というものを考えて初めて気が付くこと。それは、自身の中に膨大なエネルギーが蓄積されているということだ。しかし、自由は使わなければ蒸発し、膨大なパワーは空気と化してしまう。

 膨大なパワーを使いこなす技術を考える。大切なのは、凝縮すること。冬の朝の空気を感じたときのように頭の中を凝縮させ、今日という一日の空間を敷き詰める。その空間に膨大なパワーを配置する。マトリックスのような画面をイメージしながら。

 宇宙や自然の存在は、自己との対話によって証明出来るものかもしれない。