2ペンスの希望

映画言論活動中です

Akino Kondoh 

遅まきながら、だいぶ前 若い人に教えて貰った近藤聡乃のことを思い出した。

うち、アニメを二本。

《電車かもしれない》2001-2002年 4分19秒


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《てんとう虫のおとむらい》2005-2006年 5分39秒


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不思議少女は、永遠・最強のアイテムだよな。

その昔の絵師:中村宏佐伯俊男、林靜一、西洋にはヘンリー・ダーガーやバルチュスなんかもいたっけ。笑わぬ少女。つげ義春のコバヤシチヨジやキクチサヨコも…。

備忘録 連打:『ハレンチ君主 いんびな休日』

今回も備忘録。しぶとく生き残りつづけているピンク映画業界の隅っこのお話し。

荒木太郎監督の『ハレンチ君主 いんびな休日』をめぐる裁判の顛末。

「公開中止」を巡る監督と製作会社のやりとりに狡猾な週刊誌が乗り出して‥‥

これ以上は書かない。ご興味の向きはご随意に。

参考になりそうな記事を二つ。

2018.3.4ハレンチ君主 いんびな休日 ⑶ 週刊新潮3月8日号 2/28発売 - GooBlog編_おはら野のブログ

⇒ 皇室タブーで封印されたピンク映画裁判判決が浮き彫りにしたもの(篠田博之) - エキスパート - Yahoo!ニュース

さらに、「ピンクリンク」2024年2月号の荒木太郎監督による「裁判報告説明会の御報告」全文。

コレ、日本中 いずこの業界にもはびこっている問題なんだろう、な。知らんけど。(舌足らず、刃こぼれ は 御容赦)

備忘録 二題

今日は、映画の周縁からの備忘録 二つ。

1956年 京都生まれのAV監督ラッシャーみよしさんの本『AV監督ヒヤヒヤ日記』【2023.2.26. ワック株式会社 刊】

「はじめに」の一節 ⇒「考えてみれば、私は四〇年もこの世界(アダルト業界)にいます。その間に業界の様子もずいぶん変わりました。‥‥ 二〇二二年六月一五日、いわゆるAV新法「AV出演被害防止・救済法」が国会で成立しました。‥‥ それはいいのですが、問題はこの法律が拙速すぎて、結果、出演者の救済というより、AVを有害と断定して、AVそのものをなくしてしまえ‥‥と考える人たちの主張に近づきすぎてしまったことなんですね。

京都壬生にある「おもちゃ映画ミュージアム」で展示・開催中の『友禅染めの着物で❝映画❞をまとう~初期映画と染織に尽力した稲畑勝太郎にもふれて~』

お誘いのメール ⇒「“映画”を描いた面白柄の着物と帯をたくさん展示しています。撮影現場を描いた柄、人気俳優さんや人気キャラクターを描いたものなどとても珍しいものばかり。

ご興味の向きは、適当にググってどうぞ。

道楽:道を楽しむ ただそれだけのこと

道楽:道を楽しむ ただそれだけのこと。

地べたの日常生活の中で、喰うこととは別の楽しみ・余計なこととしてイソイソワクワク取り組むすべてのことは道楽だ。もとをたどれば音楽だって絵画だって皆そうだろう。やれ芸術だとかアートだとか崇め奉ったり、持て囃される必要なんてさらさらない。クラシックバレーだってブレイクダンスだって同じ道楽さ。

鶴見俊輔の〈限界芸術〉や都築響一の〈おかんアート〉のたぐい‥

いずれも、まず自らが楽しむ、時間を忘れ我を忘れて止むに止まれず没入 三昧‥。あまり人にお薦めできるもんじゃない。いずれもマイナー仕様。
映画だって同じことかも。ただ、はからずも映画は一時代 超メジャーになったことがあるゆえ、その栄光と悲惨を引きずり続けているんじゃなかろうか。娯楽産業としての映画が凋落し、映画の裾野が大きく広がりつつある時代の幕開けがもしかしたら始まっているんじゃないだろうか? 

竜馬の言葉だそうだ。剣道 柔道 弓道 ‥‥ 画道 歌道 棋道 書道  ‥ 華道 茶道 香道 ‥‥漫画道 映画道‥‥‥‥武士道 騎士道 任侠道‥‥ ∞

映画の沼にハマろうと思っている若い衆に

スコブル面白い映画本に出会った。

関本郁夫『映画監督放浪記』伊藤彰彦・塚田泉 編【2023.6.30. 小学館スクウェア 刊】

評論家や研究者センセの本より現場を知る映画人の書いた本のほうが数段面白くってタメになるというのは当管理人の持論だ。ただし、昔はよかった凄かったの懐古/回顧型自慢話本も混じるので注意が要る。古臭くカビの生えた昔話/おとぎ話にしかならない役立たずは敬遠してもよろしい。

この本は違う。

日の当たる表街道/大通りではなく、据えた臭いが漂う裏路地/けもの道を走り抜けてきた一人の映画人の自叙伝。元は1980年に出た『映画人カツドウヤ 烈伝』山下誠・河崎宏 編【1980.12.青心社 刊】

好評で初版5000部はたちまち完売、2002年には同じく青心社から「改訂版」が出たそうだ。【2002.5.青心社 刊】

高卒で東映京都撮影所に美術助手=大工見習いとして入社、退潮期の撮影所を生き、松竹・日活・東宝・角川と、〝渡り監督〟として映画とテレビを往還してきた映画人生指南本。

これ一冊読めば足りる。どこかの大学や専門学校で教わるよりはるかに実践/実利の教則本/教科書である。これから映画の現場で生きよう/映画の沼にハマってみようと夢見ている若い衆は騙されたと思って手に取ってみればいい。なあに買うことはない。近くの公立図書館に結構 蔵書している筈だ。

もっとも、撮影所のことなんてかけらも知らない、映画がメインと添え物の二本立て興行だったことなんて想像もできない、そういった御仁には、不向きかもしれない。

けど、映画という表現物が他と違って共同制作/集団創作を旨とし、企画から制作/製作、興行/流通、配信/販売までチームプレイ/何人もの人の手を経る代物であるかぎり、きっと役に立つ 示唆/姿勢/教訓/智恵 が読み取れるにちがいない。

この本、管理人もお世話になった方々が少なからず登場する。いささかながら関本監督に遅れて東映京撮周辺をうろちょろしたことのある身としては、末尾ながら、お名前を列記しておく。深尾道典監督、中村務脚本家、奈村協プロデューサー、石原昭美術課長、上田正直進行主任、中島貞夫監督、‥‥京一会館‥‥菅原伸郎朝日新聞映画担当記者‥

胸アツ「映画人」本

『映画館を再生します。小倉昭和館、火災から復活までの477日』【2023.11.30 文藝春秋 刊】は胸アツ本だった。

1939年(昭和14年) 祖父・樋口勇さんがつくった映画館を継いだ三代目館主樋口智巳さんが火災で焼失した映画館を復活させるまでの紆余曲折を編集者が聞き取って纏めたノンフィクション本。

黒田征太郎が壁に描いた「へのへの えいが」「へらへら えいが」‥

その他‥田中慎弥中村哲火野葦平~玉井金五郎、NPO法人「抱撲」、鮎川誠(四列七番)、リリーさん、青山真治村田喜代子、‥‥大勢が綺羅星のごとく登場する。なかで高倉健の手紙。

映画館閉鎖のニュースは、数年前から頻繁に耳にするようになりました。日々進歩する技術、そして人々の嗜好の変化、どんな業界でもスクラップ・アンド・ビルドは世の常。その活性が進歩を促すのだと思います」」

他人の力は借りず、自分の借金はつくっても、補助金はもらわない、寄付も受け付けないでやってきた先代の父・樋口昭正さん。そんなこと、言ってられない、と皆さんが差し出してくれた手を握り返して、一緒につないだまま、再建しようとする三代目の奮闘記。「映画館の運営は大好きで、自信はあります。経営者にはなりたくない。」「最高と最適はちがいます。」といった言葉も‥

以前、塚本晋也の本「『野火』全記録」を書いたことがあるが、「全記録」と謳うなら軍配はこの「小倉昭和館再生本」に挙げたい。おススメ。

『よもだ俳人 子規の艶』

夏井いつきと奥田瑛二の共著『よもだ俳人 子規の艶』【2023.9.30. 朝日新書924 朝日新聞出版を読んだ。拾い物だった。

よもだ」というのは伊予の言葉で「へそ曲がり」というか、「わざと滑稽な言動をする」というか、そんなニュアンスだ。と夏井さんは書いている。天野祐吉さん松山市立子規記念博物館名誉館長だったらしい。知らなかった。)は「ソッポを向く人」「反骨の精神をおとぼけのオブラートでつつんだような気質」と書いていることも紹介されている。教科書でもおなじみの子規の横顔写真も、「よもだ ゆえの所業」と説く。

そう云われて見れば、そう見えなくもない。三十四年の長くない生涯におよそ二万五千もの俳句を残した写生句の巨人・正岡子規。その中に遊里や遊女を詠んだ句が多くあることも知らなかった。この艶俳句に焦点をあてた三夜の対談本である。めっけもの。おすすめ。サクサク読める。とはいえどーでもいいようなことも混じるが‥奥田瑛二の本名が安藤豊明で、瀬戸内寂聴から「寂明」という俳号を頂戴したこともある俳句詠みだったことも初めて知った。俳優で俳句を詠む人はたくさんいる。成田三樹夫渥美清小沢昭一‥‥、最近では、梅沢冨美男も句集を出していることはご存知の通りだ。

〈第二夜〉東京 から一個所 引用。

現実と妄想の混沌、虚実混在のなせるわざ‥といったくだりを受けて

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夏井映画監督と物書きとでは違いを感じてるの?

奥田違いがあるとすれば、映画監督は「より、リアリスト」なこと。独自な世界観(=妄想)は持ちながらも、目に見える現実からどうしても離れられない。というのも、映画監督は役者と観客をつなぐ橋渡し役だから。映画監督が現実と乖離してしまうと、作品が破綻してしまう。一方、小説の世界は、登場人物の脳内を「私は~と思った」で描写できてしまう。それが小説の力です。だから、物書きは万能だなと。

夏井:(物書きのほうは)目に見える形にしなくても、脳内で知らない現実を味わわせることができるんだ。

さして目新しいことが書かれているわけではない。ただ、「映画監督は役者と観客をつなぐ橋渡し役」という定義は、役者兼業の奥田ならではの視点だろう。

対談はこのあと奥田が尊敬する大先輩の名優さんとのエピソード「オオカミ少年」と「全部嘘」に続くのだが、あとは勝手にどうぞ 読んでみて‥。