2ペンスの希望

映画言論活動中です

閉と開 悲喜連綿

ミニシアターの苦戦が続く。

仙台駅前にあった「チネ・ラヴィータ」は2024年3月末に駅前から撤退、フォーラム仙台青葉区木町通)に集約されながら、経営を継続。

2022年9月 東京都墨田区菊川に誕生した映画館「Stranger」は2年たらずの2024年2月経営譲渡した。その経緯を岡村忠征(旧代表)が語っている。長文だが、誠実な中間総括として、なにがしかのヒントと刺激になれば‥と挙げてみる。

Stranger運営会社の株式譲渡について:Stranger代表 岡村忠征より皆様へ - Stranger

一言につづめるなら「映画館は習慣化ビジネス、広域に散在するコアな映画ファンだけでなく、地元密着・ご近所エリアにシフトした運営へ」ということになろうか。

この映画館、実は過去のブログで触れている。⇒ 

ミクロ シアター - 2ペンスの希望

バトンを引き継ぐ小金沢剛康(新会長)は、ワーナー・マイカル(現イオンエンターテイメント)でキャリアを積んできた47歳の映画人らしい。製作と興行両方に軸足を置いて新しい映画ビジネスを模索する。「ふだん足を運ぶことのない地域の人たちに来てもらうきっかけとなるよう」「より幅広い層が見やすい作品も選ぶ、と『ペーパーシティ 東京大空襲の記憶』(地元墨田区が大きな被害を受けた79年前の東京大空襲をテーマにしたドキュメンタリー映画  エイドリアン・フランシス監督 2021年 80分)を上映」したり「編成ルールも変えた。例えば翌週の作品は、前の週の観客数を見てから決めている。お客さんがたくさん来てくれるのであれば延長すべきで、柔軟に対応する

ミニシアターというとコアな映画ファンだけが来るところだと思われがちだがそれでは、その少ない人たちをミニシアターどうしが奪い合うだけで、事業として広がっていかない。ミニシアターの魅力はスタッフとお客さんとの距離の近さであり、気軽に入れる文化発信拠点として、地域社会に貢献できる施設にしていきたい。コアな映画ファンと初めて足を運んだ人たちが共存できる空間を作りたいという思いが強い(青字発言はすべて、NHK仙台放送局「てれまさ」2024.3.29.OAより引用)

バトンのゆくえを見守りたい。

1908 『 ADVENTURES OF DOLLIE 』

ハスミン大明神の『ショットは何か 実践編 』【2024.3.18.講談社】を読んだ。2年前に出た『ショットは何か』の時に挙げた「1957『BABYFACE NELSON』(ドン・シーゲル)」に続いて今回は、「1908『ADVENTURES OF DOLLIE 』(D.W.グリフィス)推し。

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ジャン=リュック・ゴダールの「難解さ」やトリュフォーの「平易さ」から、コッポラの「不器用さ」やスピルバーグの「率直さ」までの歩みは、その試みはグリフィスのこの13分足らずの短編一本に始まる」とのご宣託。敬して謹んで同意。(ちなみに、以前 当ブログで書いた「迷惑ぼうし」もグリフィス作だった。気づかず見逃していて、このハスミン本で改めて知った。面目ない。。キネピアノ~「迷惑ぼうし」 - 2ペンスの希望 蓮實先生は、THOSE AWFUL HATS=『これらのいやな帽子』と直訳しておられました。)

 

Alice Guy

映画の始まりに、リュミエール兄弟の名は有名だ。映画史の冒頭には『工場の出口』や『ラ・シオタ駅への列車の到着』の記述が必ずのように並ぶ。しかし同じ時期、フランスで活動した女性監督がいたことは知らなかった。最近 読んだ本(『彼女たちのまなざし 日本映画の女性作家』【2023.12.フィルムアート社】)で知った。

アリス・ギィ Alice Guy (Alice Guy-Blaché とも

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映画界にも根強く巣食う男性優位のバイアス補正、知られざる女性監督の「復権」というわけだ。

記録映画の始まりはリュミエール兄弟、物語映画の開祖はジョルジュ・メリエス、‥そんな定説に新しい光を、という思い、分からぬ訳でもない。

けど、そんな上っ面の腑分けで事が済むわけでもなかろうに、とも思ってしまった。(フェミニズムにもジェンダーにも鈍くってゴメンなさい。けど 映画を作るのは“人間の仕事”ってことでいいんじゃない、男性でも女性でもなくってさ。)

1895年 リュミエール『水をかけられた散水夫』(『庭師と小さないたずらっ子』)


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1897年 メリエス『舞踏会のあとの入浴』


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コメディあり、ストリップあり、特撮やSFXだってあった。映画の黎明期は、もっともっと何でもあり・輻輳・未分化・混沌、‥きっと わくわくハラハラどきどき時代だった筈なのだ。

と ココでふと、十二年前、当ブログを始めたころの文章を思い出した。

(恥ずかしげもなく、再掲してみる。)

JLG×山田宏一 映画史定説転覆 - 2ペンスの希望

なんとまぁ、昔も今も あまり変わっていない。進歩がないというか、軸がぶれずに終始一貫というか‥‥嘆息。

 

『日本アニメーション映画クラシックス』

当ブログは基本アニメーションは扱わないようにしてやってきた。趣味じゃないし、知識も無い。それでも瀬尾光世政岡憲三、大藤信郎の映画は何本か見てきたし、感心もしてきた。

数日前、アニメーションに詳しい知人からこんなサイトがあるよと教えられた。

「昭和映画・昔の映画を眺めるつもりなら 是非 紹介してよ」と。

animation.filmarchives.jp

いやぁ驚いた。NFAJの仕事。充実のラインナップ。マジでスゴイ、手抜きなしの一級品。時間と余裕のある時に訪問されること おススメ。

デコとモリマ

デコとモリマ、そう 高峰秀子森雅之。その共演とくれば、真っ先に名前が浮かぶのは、『浮雲1955年だろう。他にも『あらくれ』1957年『女が階段を上がる時』1960年と成瀬映画が続く。では、これはどうだろう。

原作は林芙美子ならぬ太宰治(未完の絶筆)

脚本は水木洋子ならぬ小国英雄

監督は成瀬巳喜男ならぬ島耕二

撮影は玉井正夫ならぬ三村明

プロデューサーは、藤本真澄ならぬ青柳信雄

製作は東宝ならぬ東宝

完成尺は124分ならぬ69分

答えは、『女性操縦法 〝グッドバイ〟より

元々は、『グッドバイ』として1949年に製作され公開された。『浮雲』に先行すること5年余り、二人の初共演映画だ。原版が行方知れず、1960年10月に元の完成版99分から30分カットされ『女性操縦法 〝グッドバイ〟より』として改題縮尺版69分が劇場公開されたブコメの一編。近年何度か東京で上映されている。数年前に Happinetから『新東宝キネマノスタルジア』レーベルでDVDが出た。

アメリカ映画タッチの小国脚本と島耕二の達者な演出、デコちゃんとモリマの息の合った名(迷?)コンビぶりで、普通に楽しく肩の凝らないラブコメに仕上がっている。(東宝争議後の人間模様や、尺を短く刈り込んで新作のように仕立て直して三本立興行にするのが得策だと新東宝ではやたら作られたといった映画界事情も透けて見えてくる)そのPV=参考映像≠予告編がコレ ⇓

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そういえば、デコちゃんの『わたしの渡世日記』に、この映画の撮入前に太宰治と食事した場面が描かれている。

新橋駅に現れた太宰治のスタイルはヒドかった。
既にイッパイ入っているらしく、両手がブランブランと前後左右にゆれている。ダブダブのカーキ色の半袖シャツによれよれの半ズボン、素足にちびた下駄ばき。
広い額にバサリと髪が垂れさがり、へこんだ胸、細っこい手足、ヌウと鼻ののびた顔には彼特有のニヤニヤとしたテレ笑いが浮かんでいる…
‥‥(中略)‥‥
ドブから這いあがった野良犬の如く貧弱だった。

back to the past

ホントニもういい加減 新作偏重は辞めにしたらどうだろう。ガラクタが多すぎる。

それよりなにより山のように眠る旧作に分け入ってみる方がどれだけか健康的で精神衛生上も好ましいと思うのだが、いかが?

かのアロハ記者近藤康太郎は書いている。

書き言葉(エクリチュール テキスト)は、場を支配しない。出来ない。痩せ細ったもの。それが時が経つにつれて読者を獲得し、読み増しされて意味が付与され(時には誤読の種も孕みながら)太くなっていく【『三行で撃つ』2020.12. CCCメディアハウス 刊】

だよな。過去作は熟成し発酵し芳醇を撒く。

ん?おススメはですか?‥‥1920年代、30年代、40年代、50年代、西部劇、時代劇、ラブストーリー、ミュージカル、フィルムノワールヌーベルヴァーグ、‥なんでもござれ の 選り取り見取り‥‥綺羅星京都市中京区ふや町映画タウン辺りを当たってみて頂戴な。

dejan.dyndns.tv

九楊:正論不徳?

いささか訳ありで、石川九楊さんの本を立て続けに読んでいる。膨大な著作は四半世紀前からとびとびに読んできたが、今回は五冊。『石川九楊の行書入門 石川メソッドで30日基本完全マスター』【2010.11 芸術新聞社】石川九楊のほんとうに書がわかる九つの法則 書通九則 書ほど楽しいものはない』 【2019.7 芸術新聞社】河東碧梧桐 表現の永続革命』【2019.9 文藝春秋『俳句の臨界』【2022.2 左右社】『悪筆論』【2013.12 芸術新聞社 】いずれも九楊節、全開。余人を以っては代え難い技芸を発揮して飽きさせない。今日は最新作から 少々。

昭和の文学者十一人の書(の書きぶり)を俎上に、各人の文学(の核)に迫る九楊流の文学論考。表紙の背景を飾るのは中上健次の自筆原稿。副題「一枚の書は何を物語るか-書体と文体」の文字が白く浮かぶ。さらに 扉には 谷川雁のペン書き自筆詩集文字、久保田万太郎の色紙などが並び、ファン垂涎、サービス精神満載の一冊。

納得度100%、溜飲度100%、喝采度100%、と三拍子揃って、お見事としか言えない。舌を巻く芸達者。(全くの余談だが「八木俊樹」「東一条 春琴堂」「ナカニシヤ」‥‥懐かしい名前が幾つも出てくる。)

それにしても、だ。

映画批評の蓮實センセーといい、書の九楊さんといい、正論、マット―に本当のことしか言ってないようなのに、読後 気持ちよく癒やされないのは何故だか不思議。いや なに 御両人のオラオラ調に徳が感じられないのは心根の卑しい拙管理人=オラ一人だけなのかも....…知らんけど。