kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

政党支持率と比例投票先5年分、重ねたグラフで検討します(三春充希氏のnote)

 下記三春充希氏のnoteが興味深かった。

 

note.com

 

 しかしもっとも興味深かった部分は有料部分に書かれたことなので、ここで詳しく紹介することはできない。それは立民の支持率と比例投票先の差に関する指摘であり、その分析から、立民代表が枝野幸男から泉健太に代わった当初の立民の路線(具体的には提案型野党路線と維新へのすり寄り)が誤っていたとの推論が可能になると思われる。この程度の記述にとどめたい。

昨日午後2時頃、南砂町の商店街で自転車に乗って電飾たすきをかけた須藤元気に遭遇した

 昨日(5/12)午後2時頃、南砂町の商店街を歩いていたら、自転車に乗って電飾たすきをかけた須藤元気氏に遭遇した(もちろん昼間だったので光らせてはいなかったが)。そう、先月の衆院選補選の時と同じ格好だった。顔がはっきり見えたので頭を下げてやったら喜んでいた。選挙での予想外の善戦(2位)に気を良くしているのだろう。その姿を見て、これは近いうちに行われる衆院選の本選にも東京15区から出馬するつもりなんだろうなと確信した。おそらく無所属で。元号新選組の公認は多分受けない。当地は他の下町の選挙区と同様に新選組の支持率が低く、NHKの補選の出口調査でも新選組の支持率はわずか1%に過ぎなかったからだ。須藤氏は無党派層自民党支持者から多くの支持を受けた(無党派層からの得票は酒井菜摘氏も須藤氏と互角ないしそれ以上だったけれど)。

 須藤氏はたぶん昨日は地下鉄東西線の工事で南砂町駅が使えなかったので、住民への周知も兼ねて自己PRをしていたのだろう。今度はたぶん、というより間違いなく自民党の公認候補が出てくるから、補選で自民支持者からの得票が多かった須藤氏にとっては補選よりも不利になるとは思うが、侮れない候補には違いない。

 昨日も取り上げた東京12区の立民学生党員さんが下記のXを発信していた。

 

 

note.com

 

 枝野幸男は「長崎島根はしっかりとした(立民の)後援会組織がある」のに対し、東京15区は「区議ひとりだけ(高野勇斗氏)でものすごく弱い」との認識だ。前代表だけあって地域の特徴がよく頭に入っている(当たり前だけど)。

 つまり、島根1区や長崎3区では立民が「横綱相撲」をとれたけれども、東京15区(やその他の東京下町の選挙区)での立民は「弱者の兵法」をとるしかなかったということだ。

 それなのに、下記Xのように「島根1区補選の体制こそ立民が目指すべきもの」などと押しつけないでいただきたい。そんな体制を取ろうにも取れない地域もあるのだ。

 

 

 上記Xの発信者はプロフィールに「非維新・非共産」を掲げており、今回の補選に関しても本多平直氏云々を振りかざして酒井菜摘氏を盛んに批判していた有力者の一人だ。その人が発信した上記Xをリポストしていたのが、かつて共産党系学者とされていたさる軍師氏である。

 そのあまりの振幅の大きさには唖然とするほかない。

立民支持層の酒井菜摘批判者の一部は昨年の江東区長選でも酒井氏を批判し、内心では極右の三戸安弥を応援していたらしい(呆)

 Xでこんなやりとりがあった。

 

 

 そりゃ立民支持層の幅は広いから、「トロイの木馬」なんてなんぼでもいるだろうね。

 

 

 やっぱり選挙中からそうだったのか。

 

 

 三戸安弥の名前が出てきたので反応することにした。

 三戸は一応、支持者とこんな問答をしていた。

 

 

 

 しかし、このスレの最初のポストである下記Xへの反応を見ると、三戸の支持者の傾向がよくわかる。

 下記が三戸自身のポスト。

 

 

 下記が支持者の反応。

 

 

 

 

 三戸の支持者は極右ばかりであることがよくわかる。

 そして三戸の親分である上田令子は補選の開票を受けてこんなXをポストしていた。

 

 

 上田は江東区民ではないはずだが、上記Xを見ると、もし三戸が誰かに投票していたなら日本保守党の候補の名前を書いた可能性がもっとも高いと思われる。

 つまり「日本を守る会」は極右政党だ。そしてそんな上田を側近にしていた小池百合子も極右そのものだということだ。

 ちなみに上田は読売ファンらしい。

 

 

 しかも、よりにもよって私をスワローズファン一時休止に追い込んだ高田繁のファンだったという。最悪だ。

 なお私は何年か前に新小岩駅で上田たちの街宣を見かけたことがある。2017年秋に行われた葛飾区議選の時だった。江戸川区の中央図書館に行く時には、行きはJRで錦糸町から新小岩に出て、帰りはバスで西葛西に出て東西線で帰宅していた。コロナのあとは行ったことがないが。

 そういえば今日は東西線の工事で西葛西と東陽町の間は運行しないんだったな。

 なお、三戸安弥の選挙戦術は結構巧妙で、選挙戦では日本保守党(飯山陽)みたいに極右色を全開にしたりはしない。地方選だから地域の課題を丁寧に取り上げる。だから前記立民支持層の一部のように、極右の正体に気づかず、うっかり「この人の方が酒井氏より良いじゃないか」と思わせかねない力がある。現に昨年の区議選では酒井(3位)を抑えてトップ当選だった。決して侮れない地域の政治家である。

 その三戸のXにこんなのがあった。

 

 

 どっひゃー、「みと」か。

 やっぱり最悪だ。

江東区の立憲民主党は4月3日までの時点で支部長無し、都議無し、区議ひとり。これでどう独力で戦えというのだろうか。勝てても負けても共闘陣営の他のメンバーに責任をなすり付けようとする人ほど現場をよく見ていないというに尽きる。(東京12区在住の立民学生党員さんのnoteより)

 noteに衆院東京15区補選の戦記を連載している立民の20代の学生党員の方がいるが、その方はXもやっているらしい。下記Xに注目した。

 

 

 それはうらやましい。私など「かつや」という文字列を見ると、反射的にある人物を思い出して背筋がぞわわわーっとなってしまう。その人物は2018年の晩秋にアル中に起因する病気で死んだ。なお上記Xの「かつや」(忌まわしい2文字が変換候補に出てきた)は岡田克也、「かづや」は榛葉賀津也を指す。

 この立民学生党員さんは東京15区ではなく東京12区(北区など)の方。公明と共産が一騎打ちする選挙区として知られているが、前回2021年の衆院選では維新が候補を立て、共産候補を抜いて2位になった。

 その東京12区から来られて2週間酒井菜摘候補陣営で活動された。北区も江東区に似てこれまで立民が候補者を立てたこともない、立民が弱い選挙区とのことで、noteを読むと、似た者同士として当地の事情を実によくご理解していただいていた。やはり実際に選挙活動をやっておられた方は、何人かの政治家から話を聞いただけで適当な記事をでっち上げてしまう大濱崎卓真だの安積明子だのとは全然違うなあと感心した。

 だから、氏が下記Xでぶち上げた室井佑月に対する憤怒には強く共感した。

 

 

 

 昨日も書いたが、本多正直の件については私もうっかり乗っかってしまい、その後も事実関係がわからないため放置して今に至る人間だ。この件に関して下記のコメントをいただいている。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 魔の山

こんにちは。考え方が近いのでたまに寄らせていただいております。
本多平直の件に関しては三春充希(はる)さんのブログがよく整理されていると思います。https://note.com/miraisyakai/n/nfe61d3c812a0
北原みのりら過激フェミが福山哲郎らに圧力をかけ、表現自由派の本多平直の処分を迫りそれに津田大介荻上チキが加担したという構図です。
事実関係が明確ではないのにかかわらず、衆議院選挙のために辞職に追い込みました。
これ以来立憲民主党を見切りました。
室井佑月は擁護の論陣を張り、北原みのりフェミニストと激しくやり合いました。
ぼく自身はどちらかというと上野千鶴子らのフェミニストは好きですが過激フェミニストの醜悪さを知った思いでした。
なお、井戸まさえさんはぼくも注目している人で政治家には珍しく知的な人だと思います。こうした人物を重用できない政党に期待はできません。

 

 井戸氏は希望の党から声が掛かれば行くつもりだったのが、「東京は小池百合子が決めているので民進党の人は無理だ。希望の党はきれいどころを揃えています」などと暴言を吐かれたために以後希望の党にはアクセスせず旧立民を選んだ。この経緯から、小池のみならず、希望の党の在籍歴を持つ泉健太の心証も良くなかった可能性が高い。

 なお酒井議員は28歳の時(2014年か15年)に癌に罹患し、その後不妊治療を受けた。手元に酒井氏のチラシがあるので以下に引用する。

 

若者も含めた多くのがん患者の皆さんが、抗がん剤治療で外見が変わったり、仕事を辞めたりと闘っているのに、公的なサポートを身近に感じることができない。これはおかしいと思いました。がんの闘病には年間100万円を超える医療費がかかり、20代の私にとって経済的な負担は大きかったです。

 

 この話は、たぶん酒井氏が2019年の区議選に最初に立候補した時からチラシに書かれていたのではないだろうか。少なくとも昨年の区長選にチラシには書かれていた。実際、区長選のチラシから転載したものであることが衆院補選のチラシに明記されている。闘病や不妊治療を経て政治家になろうと思ったというのは非常に印象に残る話であって、私は二度の都議選では他党の候補に投票したにも関わらず酒井氏の結果も気にしていたのは、この経緯を知ったためだろう。

 この闘病経験が、その2,3年前に持っていたことが過去のXからうかがわれる、酒井氏がそれまで持っていた新自由主義的な考え方を変えたであろうことは疑いない。昨日も書いた、自らの介護の経験でそれまでの新自由主義的な意見を変えた(と思われる)舛添要一と同じである。私が組織内権力と個人の権力行使/被行使についてやたらとうるさく、これでもかこれでもかと書き続けるのも、井戸まさえ氏の事例から思い出さずにはいられないような理不尽な人事権の行使を私も受けた経験があるからだ。このように、人生における大きな経験は人の考え方を大きく変える。

 

 立民学生党員さんのXに戻る。

 

 

 必ずしも立民支持者とは言い難い(考え方はむしろ社民党に近い)私から見ると、上記リストには大きな抜けがある。

 それは立民支持層内部からの酒井氏批判だ。兵庫県在住の立民支持者・ぷろもはん氏も下記のXをポストしている。

 

 

 勢力的には立民支持層内部からの批判が最多ではないか。「表自戦士」の一部も立民支持層に含まれると思われるが、こちらについては私は詳しくない。新選組支持者も少なくないだろうが、立民支持層右派からよりも多いとは思えない。彼らが支持する山本太郎新選組自体が室井佑月から酒井氏に対するよりもずっと激しく攻撃されていて(何しろ少し前までは仲間だったのだから近親憎悪は実にすさまじい。室井は山本太郎を「太郎」「おまえ」呼ばわりだもんね)、室井にはうっかり乗れないはずだからだ。保守党支持者は右側内部での抗争の方に主な関心があると思われ、酒井氏が過去にネオリベだったかなどは彼らにとってはどうでも良いことだ。

 実際、立民学生党員さん自身が何人かの例を挙げている。

 

 

 ここで党員さんが批判している相手は、党員さんと同じ東京12区の立民支持者だ。プロフィールに明記してある。

 

 

 ここで批判されているXは下記。

 

 

 弊ブログも取り上げた政治おじいちゃんお化け氏のXに反論している。

 この人は共産党県議にブロックされたことを示す下記Xがトップページの一番上に来るようにしている。一時的なものだそうだが。

 

 

 どうも2021年の横浜市長選をめぐって、野党共闘で当選した現市長に対する反対派をやっている横浜市民の方のようだが、この横浜市長選をめぐるリベラル・左派側内部の対立構造についても私はよく知らない、というより全然知らない。

 この方自身の支持政党はよくわからないが、立民であってもおかしくない。

 

 

 ここで批判されているのも立民支持者。

 

 

 ああ、そういうことを言ってたわけね。

 

 なお弊ブログは補選等開票日の翌日に下記記事を公開した。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 上記記事からリンクした下記の嘘八百のXは今なお削除されずにそのまま残っている。

 

 

 酒井氏は実際には、区長選の3万4千票、得票率21.0%から衆院補選の4万9千、得票率29.0%へと大きく票を伸ばしている。だから上記のXは事実に反する真っ赤な嘘だ。

 この人はその後下記のようなXもポストしているから、ほぼ間違いなく立民右派支持層と判断して良いだろう。

 

 

 なお、本多平直氏の一件を理由としての酒井氏批判は、前記記事を書くためにネット検索をかけた党開票日の翌日には既に行われていた。

 「表自戦士」云々の方はよく知らないのだけれど、私が気になるのは、立民支持層内で酒井氏に対してネガティブな人に多いのが、東京15区でやった立民と共産の選挙協力を嫌う人であることだ。酒井氏が癌に罹患する前のネオリベバリバリのXや本多正直氏の件は、そのためのダシに使われているのであって、特にネオリベ云々の話は、立民支持層右派内で立民と維新との提携に肯定的だったり、東京だと都ファに神話的だったりするなど、現時点で比較すれば彼らの方がよほどネオリベに親和性が高いとしか私には思われない。

 弊ブログは、東京15区のように従来立民がきわめて弱かった地域では、今回の補選のように共産党との共闘を選ぶしかなかったと何度も書いた。

 この指摘を裏づける話を前記立民の学生党員さんがnoteに書かれているので、以下に引用する。

 

note.com

 

 ここで、野党共闘について振り返りたい。

 

 今回の3補選では、東京、島根、長崎で立憲民主党共産党が候補者調整を行い、いずれも立憲民主党の候補に一本化した。

 

 共産党がそれほど前面に出ていなかった島根と長崎とは異なり、東京では共産党も、そして社民や諸派の皆さん、市民連合やフェミブリッジの皆さんもかなりはっきりと酒井なつみさんの宣伝活動を行った。既に第11節において述べたように、本人無し街宣や独自の宣伝活動をかなり活発に行い、妨害の影響で日程公表がかなわない中でも酒井なつみの名前を江東区のいたるところに響かせてくれた。時には、酒井なつみさんが妨害を受けたときに、そうした市民の皆様が身を挺して止めてくださったこともあると聞く。街宣のみならず、電話かけや支持者、有権者への呼びかけ、ポスター貼りにおいても共闘陣営の皆さんの影響が大きかった。共産党ポスターの横に酒井なつみポスターが貼ってあるのを何軒も目の当りにした。「今回は共産党出てないから選挙いかない」と言っていた方を投票所まで連れ出すことに成功したこともあった。こうした収穫があってなお些細なことで共闘陣営を論う向きがあるのは残念なことであるし、何より一本化に向けて尽力した地元の多方面に対する冒涜侮辱と言わざるを得ない。江東区立憲民主党は4月3日までの時点で支部長無し、都議無し、区議ひとり。これでどう独力で戦えというのだろうか。勝てても負けても共闘陣営の他のメンバーに責任をなすり付けようとする人ほど現場をよく見ていないというに尽きる。中には、党内のある中堅議員が東京のこうした明確な共闘について「まあ東京は共産党の票がないと勝てないからな」と半ば嘲笑うように発言したこともあったが、その議員もまた希望の党に入党して臨んだ2017年の衆議院選では小選挙区議席を落としており、次の選挙で共産党との一本化で選挙区の議席を回復しているのである。

 

URL: https://note.com/rikken_jugend/n/n2e6e7a714022

 

 2021年衆院選に出馬した都連の他の候補は、参院選に転じることが決まっていた東京16区の水野素子氏(現参院議員)を除いて全員が総支部長に再任されたのに、自分だけ再任されなかったと井戸まさえ氏は書いている。このように都連からも、そしておそらくは泉執行部からも半ば見放されていたのが東京15区であり、あっさり新選組に差し出された14区ともども、あるいは公共対決の舞台に半ば固定されてしまった12区もそれに加えて良いかもしれないが、立民という政党の東京下町に対する冷淡さをよく示している。しかしそんな地域から、敵失(もとは柿沢未途がやらかした買収)をきっかけにししたとはいえ政局を左右する選挙結果から出た。しかも、敵のラスボスともいうべき小池百合子に昨年12月の区長選で完敗しながらそれを衆院補選で倍返しするという形で。少し前までは立民候補がおよそ当選するとは思えなかったという点では、島根1区と十分張り合えるのではないかと思った。あの保守的な四国からやってきた私でも(とはいえ香川1区の小川淳也は、野党議員としては同2区の玉木雄一郎に次いで強かったけど)驚くほどのリベラル不毛の地、それが東京下町の江東区だった。

 だから私は今回の補選に地元民として熱狂したのであって、幸か不幸か私は立民支持者でもないので(はっきり言って同党の右半分を嫌っている)、これまでこの地域をさんざん冷遇してくれた立民の都連や執行部に対しても「ざまあみろ」と思った。

 しかしそんな地域から送り出した代表であるだけに、敵からのみならず味方からも叩かれやすい。それはこういう形で当選した人の宿命だとしかいいようがない。

 なお、上記引用文中の最後に書かれた「まあ東京は共産党の票がないと勝てないからな」と言った人物が誰かはわからなかった。2021年衆院選の東京選挙区の結果を見てみたが該当者はいなかった。この人物が「まあ東京は」と言っているくらいだから東京都以外の選挙区から選出された衆院議員であるのは当たり前かもしれない、と調べ終わってから思ったけれども。

 しかしそのネット検索の過程で、小堤東氏は2017年衆院選には東京11区(板橋区の一部。残りは12区)から立候補していたことを知った。小堤氏もまた、東京11区から15区に転区させられたと思ったら、その15区からの立候補を二度も取り下げさせられる目に遭ったのだった。

 小選挙区制がある限り、前述の井戸氏や小堤氏のような例があとを絶たない。

 やはり小選挙区制は廃止すべきだと改めて思った。

景気のよいときに再配分とか社会保障の強化をせず、バラマキ、減税、欲だけの不急の公共事業に使ってしまうから、景気が悪くなったときに首が回らなくて公務員バッシングして、役所が質の高い仕事できなくなる社会になる。庶民は大量の現金を抱えて、自前でサービスを探さなくてはならない。(黒川滋氏のX)

 黒川滋氏が玉木雄一郎を批判している。

 

 

 

 これは黒川氏を支持するほかない。何も社民主義によらずとも、修正資本主義的立場に立ってもこの政策になるはずだ。それをやらずに「景気のよいときに再配分とか社会保障の強化をせず、バラマキ、減税、欲だけの不急の公共事業に使ってしま」い、その結果バブルの過熱と崩壊を招いたのが竹下登政権だったが、その総括が今の「反緊縮派」からはなされていない*1というのが私の意見だ。

 (日本版)MMTという仮説もあるが、以前いただいたコメントによると本家アメリカでも経済の実態と合っていないところからこの流儀は廃れつつあるようだ。それを日本式に改変した理論は、軍拡を求める右派にも好都合なので山本太郎元号新選組の支持層には右派がかなり乗っかっている。だから昨日見たように室井佑月とのバトルで日の丸アイコンを掲げた新選組支持者が現れるわけだ。日本版MMTを山本らは物理法則であるかのように主張しているが、そうではなく単なる仮説だ。そんなものには軽々しく乗っかれないから、今までのところもっとも妥当とされてきた教科書式の政策をとるしかないと思うのだが、黒川氏のXはそれに則った教科書的な主張だといえる。

 人文・社会科学は自然科学や工業技術の世界とは異なって実験ができないところに難しさがある。だからすぐに宗教論争みたいになってしまう。

 不思議なのは、大平正芳と同郷で宏池会への憧れが強いはずの玉木が、大平正芳よりもはるかに竹下登に近いような考え方をしているらしいことだ。そもそも玉木は大蔵官僚出身だから教科書的な考え方など熟知しているはずなのに、政界を遊泳しているうちにああなってしまったのだろう。口では「政局より政策」と言う玉木だが、彼こそ誰よりも政局に翻弄されて醜態を晒しているようにしか私には見えない。

*1:一方、緊縮派は不況下でも均衡財政を求める誤りを平気で犯す。

井戸まさえ氏は立憲民主党東京都連で唯一、次期の衆議院選挙に向けて総支部長として任命されなかった(2023/12/28の井戸氏のXより)

 私が変節してあれほど嫌っていたXのアカウントを開設したのは、井戸まさえ氏のXを読むためだった。

 昨年7月から今年4月初めにかけては、以前は連ツイとか言っていたスレッドは読めなかった。だから昨年12月28日に発信された下記Xの連続ポストも、最初のXにしか見覚えがない。

 

 

 

 「東京都連で唯一」だったのか。

 この間立民都連が新選組に差し出した14区は、候補予定者(出発点が保守新党だった右派の人)が29区に転出したので総支部長が空位になっていたからだ。

 井戸氏を再任しなかったのは、2021年衆院選の敗戦で代表枝野幸男が直ちに辞意を表明したから、後任の泉健太か、さもなくば都連会長の長妻昭か同幹事長の手塚仁雄の意向によるものと推測される。誰が主導したのかはよくわからない。東京15区という、従来(先の補選で勝つ前には)立民が特に弱かった選挙区での井戸氏の惜敗率は決して悪くなかった。維新の金沢結衣にも票数で上回った。

 一つ考えられるのは、これまでにももう何度も書いたことだけれども、右派系の泉執行部が東京15区を金沢結衣が「頑張っている」維新に差し出そうと考えたのではないかという仮説だ。逮捕された柿沢未途議員辞職に伴う補選の実施によって、15区で「本気の戦い」をせざるを得なくなるや、お隣の本所(墨田区)が含まれる14区をいとも簡単に新選組に差し出した事実もこの仮説の確からしさを増している。何より、15区は維新にとって東京進出のための最重点区だったに違いないから、水面下で維新から打診があった可能性さえ考えられる。そう考えれば、何も泉なり手塚なりが井戸氏に悪意を持っていなくとも15区の総支部長を再任しなかった理由が説明できる。

 

 

 「これ以上先のことについては私が語ることではない」という、昨年末に書かれた井戸氏の言葉が示唆する通り、立民の候補者選びの過程では井戸氏の名前が挙がることさえなかった。これについては、確か昨年初め頃に井戸氏が総支部長未再任の件を現Xで発信したために、執行部または都連に疎まれるようになった可能性があるのではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 柿沢未途の懲役2年、執行猶予5年の判決は早々と確定した。公民権を回復したら再チャレンジを狙っているのではないかと警戒している。

 過去にも何度か書いたが、私が柿沢未途を嫌っている最大の理由は、親父の故柿沢弘治が大嫌いだったからだ。新自由クラブの国会議員になった彼は、1970年代半ば頃に、長ったらしいイキったタイトルの本を出しやがった。まずあの嫌味な本の印象が最悪だった。次いで、新自由クラブが傾くや、いち早く自民党に入って、その自民の中でもタカ派の議員になったことでますます嫌いになった。そんな柿沢弘治のドラ息子の世襲議員など応援できるはずもなかった。

 私は現在の前の香川1区在住時代には、やはり世襲政治家平井卓也を蛇蝎の如く嫌っていたが、柿沢未途はその平井と同じくらい嫌いになった。

 ただ、前述のような経緯があるから、衆院選の本選で自民党候補が出ても、柿沢の息のかかった人物が候補になろうはずもないと思われるから、柿沢の票が自民候補にそっくり上乗せされることはあり得ない。本選にも須藤元気が出るとしたら、もちろん自民候補には一定の「柿沢党」の票が乗るだろうが、今回の補選と同じように須藤に乗る分がもっとも多いのではないか。2019年の区議選では柿沢は酒井菜摘にもちょっかいを出そうとしていたから、酒井にも若干は乗っかるだろう。もちろん金沢結衣にも酒井以上に乗っかるだろうし(柿沢は一時期維新の党に属していて、維新公認で当選したことがある)、超極右が出ればそれにも乗っかるだろう。このように、柿沢党の票は各候補に分散するとみなければならないから、自民党候補が戻ってきたら楽勝するとはいえない選挙区だ。むしろ自民の堅い票は2021年衆院選での今村洋史の得票(今村は金沢結衣にも遠く及ばない4位だった)くらいしかないと言っても過言ではない。つまり、本選もまた先月の補選と同じような候補者乱立になる可能性すらある。泡沫はもう出てこないかもしれないが。

 この選挙区を維新なんかに明け渡さなくて済んで本当に良かった。しかし井戸氏は本当に不運だった。今回の結果を見ると、井戸氏が出ても勝ったのではないかと思われる。2021年にも井戸氏で「野党共闘」が成立していたのだから。

 そういえば21年の衆院選で井戸氏が使い、この間の補選で酒井菜摘も使った選挙事務所は、もとのダンススタジオには戻らなかった。現在「テナント募集」状態になっている。また次の都議補選で誰かの選挙事務所になるかもしれない。

室井佑月が日刊ゲンダイのコラムで酒井菜摘をdisったあと、昨夜遅くXで山本太郎と元号新選組を爆撃しまくった

 下記政治おじいちゃんお化け氏のXをきっかけに、室井佑月日刊ゲンダイに酒井菜摘を批判するコラムを載せたことを知った。

 

 

 私など室井佑月日刊ゲンダイというだけでもうげんなりだが、しょうがないので少し調べてみた。

 本多平直の一件については弊ブログも批判する側に回ってしまった口だが、あの件の事実関係は今に至るまでよくわからない。結局処分は枝野幸男が決めた。私としては事実関係がわからない以上何も書けないので、過去に本多氏を批判した記事は削除もしないで放置している。もちろん本多氏の配偶者が誰かも知っているが、あの件に関しては経緯が今もはっきりしない以上何も書きようがない。

 酒井氏はもう衆院議員という立派な権力者なので、批判されるべきところはされて当然の立場にいる。ただ、一般人時代の2012年に発したツイート(現X)は、2012年という悪夢の年(読売なんとか軍が最後に日本シリーズに勝った年でもある)の空気がよく現れているよなあと思った。あの年には自民党の第2次憲法草案がまとめられた。石破茂などはあれに心酔していたとんでもない右翼だ。一方、2014年の都知事選に勝った舛添要一は、その翌月に講談社現代新書から『憲法改正のオモテとウラ』という本を出した。 

 

bookclub.kodansha.co.jp

 

 舛添はこの本で2012年自民党改憲草案のアブナさを厳しく批判している。またさらに遡れば、2008年だったか政権交代の起きた翌2009年だったかに、日本(人)には高福祉高負担が合っているとも発言したことがある。後者については舛添自らの5年間にわたる介護の経験が考え方に反映されていると思われる。こうした点では極右にして強度の新自由主義者である小池百合子と比較すればよほどマシな人だと思うので、2016年に都知事が舛添から小池に代わったのは最悪だと思ったが、あの2016年7月からの1年3か月ほどの期間も小池人気が爆発した悪夢のような時期だった。

 小池が東京都知事という地位に目をつけるまでのテレビのワイドショーによる舛添批判も激烈であり、何度か書いたと思うが私がよく覚えているのは、2016年5月に丹沢山地の主稜を縦走して山小屋で一泊する登山から下山した時に地元の中年女性たちと交わした会話で、彼女たちが舛添を口を極めて罵っていたことだった。確かに舛添には批判されるべき点が多々あったが、その後彼女たちは高い確率で小池百合子に好感を持ったのではないかと私は思っている。それどころか、リベラルのはずのブログ『日本がアブナイ!』が小池を翼賛する記事を頻繁に載せていたので、当時まだトラックバック機能を持っていたはてなダイアリーに小池を批判する記事を書いて、同ブログに何度かトラックバックしたものだ。このことを書いたらさるブログの常連コメンテーター(オザシン兼ヤマシンの人)にさんざんあげつらわれたものだが。

 前述の2012年には、私の身近にいた、ふだん小沢一郎を熱烈に応援しているような人たちまでもが、舛添の元妻である片山さつきの「生活保護不正受給」叩きに熱く共鳴していた。そして2016〜17年にはリベラルのはずのブロガーまでもが小池百合子に熱狂していた。それどころか、斎藤美奈子が当時まだ小池の側近だった音喜多駿と意気投合していたこともあった(下記リンクを参照)。

 

gendai.media

 

 ブログ内検索で下記記事が引っかかったので一部を再掲しておく。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

URL: https://kojitaken.hatenablog.com/entry/20161201/1480550191

 

 こういう悪例が多数あった(上記引用文中の最後の例はブログ『日本がアブナイ!』である)。音喜多と上田令子はその後小池百合子と訣別したが、音喜多は維新に入り、上田は落ちぶれた渡辺喜美とつるんで「日本を守る会」を立ち上げた。後者から三戸安弥という彼らにとっての有望株が出てきて、江東区議選や江東区長選で酒井菜摘と戦い、得票数で1勝2敗の成績を残していることは何度か書いた。三戸は7月の東京都議補選に出てくるので、その時にもブログに名前が出てくることになろう。

 このように、時期に特有の空気に人々、それも斎藤美奈子のような著名人までもがのぼせ上がったような時期がある。また本多平直の件については事実関係がはっきりしない。私としては下記Xに、最後のセンテンスを除いて強く同意する。

 

 

 最後のセンテンスについては、立民は酒井氏を信じて擁立したのではなく、集票力の高い候補として須藤元気と秤にかけた上で選んだものだ。集票力に関しては須藤元気の方が上だったらしいが、陰謀論者の須藤には共産党が乗ってくれなかった上、党内からも強い反発が出た。その後選挙戦中に山本太郎が「須藤の方から『野党共闘』を蹴飛ばした」と言い出し、ヤマシン(山本太郎信者)たちがそれを妄信しているようだが、状況証拠は党内からも共産からも応援団からも強い反発が出て須藤ではまとまらなかった経緯である蓋然性がきわめて高い。

 前記Xがリンクした室井のXには笑ってしまった。

 

 

 「政治家じゃないならいい」と言って自分を免罪しているわけだ。しかし、その室井自身が昨夜遅く、山本太郎元号新選組を罵倒するXを蓮発していたのにはびっくり仰天してしまった。

 

 

 

 「太郎」「おまえ」だよ。そこまで変わるかと思うくらいの豹変ぶりだ。これには私が昔から嫌ってやまない日刊ゲンダイの編集者たちも頭を抱えてしまうのではなかろうか。

 なお、室井が相手にしている新選組支持者が日の丸アイコンをつけていることにも注目した。

 

 

 「金だよ、金。」かあ。

 「電話にも出ない」で直ちに思い出されるのは小沢一郎だ。

 

 

 どんどんエスカレートしてる。

 

 

 そんなのもったいぶってないで早く言えば良いじゃない。

 こんなリクエストもあった。

 

 

 そうそう、これには私も興味津々だ。

 それにしても、室井の配偶者の政党遍歴はいったいどんなものだったのだろうかとか、室井がかつて信奉していた小沢一郎自民党時代にどうだったかとか、小沢が2012年に口癖のように言っていた「私の意見は橋下市長と同じだ」というのはいったいなんだったんだろうかと思わずにはいられない。特に小沢など20世紀末から21世紀初頭にかけての政治を語るときには絶対に落とせない大物政治家だったが、1980年代末から長い間ネオリベの旗手だったし、今もその思想が少なからず残っている。小沢の「野党共闘」の構想には漏れなく維新が含まれるのである。

 

 下記のnaoko氏のXには考えさせられる。

 

 

 その「決して高いとはいえない」人がネオリベバリバリの現Xを発信し、オザシンが片山さつきの「生活保護不正受給」バッシングキャンペーンに熱く共鳴していた2012年に、自民党があの極悪な第2次改憲草案を発表し、維新が安倍晋三をスカウトしようとして失敗し、町村信孝が急に病気になってしまって安倍が自民党総裁になり、年末の衆院選に圧勝して第2次内閣を発足させてしまった。ついでに読売なんとか軍も日本シリーズに勝った。

 あれほどひどい悪夢のような年はなかった。戦争に負けて焼け野原になったとかいう劇的な事件がなかったために目立たないが、あの年に「崩壊の時代」が始まったと看破したのが今は亡き坂野潤治だった。

 板野がなぞらえたのが1937年7月7日から1945年まで続いた戦前日本の「崩壊の時代」だった。それら「崩壊の時代」の入り口に立った時代の一般人のXをあげつらって何になろうかとはどうしても思う。

 それこそ、敗戦後に戦時中の自らの行いを「黒歴史」にして復活した人物など、岸信介のような反動側に限らず、戦後「進歩的文化人」と呼ばれた人たちの間にもいくらでもいる。たとえば著名な憲法学者の中にも、戦前や戦中には体制に迎合していた人たちがいる。経済学者では東大で極右とマルクス主義系が結託してリベラル系を追い落とした例があった。あまり知られていないが、宇沢弘文は最初マルクス系に入門しようとして挫折し、結局リベラル系の経済学者たちの系譜につながることになった人だ。