kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

象徴天皇制、根源から問い直す議論を 主権者への原武史さんの訴え(朝日新聞デジタル有料記事のプレゼント, 3/13)

 今週はずっと記事を更新する余裕がなかったが、一昨日(3/15)区切りをつけてこの土日は小休止。昨日は完全休養日にした。

 その間に注目していたのは、泉健太支持者のnaoko氏がリポストしていた(Twilogで知った)こたつぬこ(木下ちがや)氏の下記Xだった。

 

 

 プレゼントの期限は既に過ぎているが、私も朝日新聞デジタルの有料読者なので(紙媒体は昔はとっていたが現在はとっていない)、石川智也記者による原武史氏のインタビュー記事は読める。

 ひとことでいえば(象徴)天皇制の存廃を問い直せという論旨だ。私は今を去ること5年前の今頃の季節に原氏の大著『皇后考』(講談社学術文庫)を読み、それまで天皇制を「必要悪」であるかのようにみていた微温的態度を改めて明確な天皇制廃止論へと考えを改めた人間だから、原氏がそのような問いかけをするのは当然だと思ったが、現在天皇制を所与のものと考えたり、あるいは積極的に天皇制の存続を支持している方にも原氏の意見をお読みいただきたいと思うので、原氏のインタビュー記事を弊ブログからも改めてプレゼントする。リンクの有効期限は3月18日の12時08分。

 

digital.asahi.com

 

 実は弊ブログはnaoko氏が天皇制を所与のものと考えていると思われることを以前批判したことがあった。下記リンクの記事だ。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 該当箇所を以下に再掲する。

 

 もっともnaoko氏も秋篠宮家の長男の誕生日を祝うXを発信した泉健太を、さすがにそのXには苦言を呈したものの支持し続けたり、一度などは天皇制に反対することを論外視するかのようなXを発信していた。

 どの政治家を支持するかは勝手だが、天皇制批判に対する論外視は大いに心外だ。なぜなら天皇制こそ女性やマイノリティその他に対する差別の根源だからだ。

 氏は原武史の『皇后考』でも読んではどうだろうか。私はあの本を読んで、それまで天皇制を「必要悪」であるかのようにとらえていた微温的な考えを改め、天皇制絶対反対の立場に転向した。2019年3月のことだ。

 

bookclub.kodansha.co.jp

 

 この本に描かれた貞明皇后の生涯は読ませる。

 

URL: https://kojitaken.hatenablog.com/entry/2024/01/30/075248

 

 朝日の原氏のインタビュー記事は有料なので全文引用はむろんできないが、特に注目した部分を以下にいくつか抜き書きする。

 原氏はまず、現天皇徳仁氏と現皇后雅子氏が、前天皇・前皇后夫妻とは対照的に、長期間にわたって人々の前にほとんど姿を現さないこと、そして意外にもそのことに対する批判が国民の間からほとんど起きないことを指摘し、それを国民の関心の薄れによるのではないかと言う。

 そして(そのように国民に関心を持たれなくなった)皇室をどう存続していけば良いのかという記者の問いに、原氏はそういう問いではなく、象徴天皇制を存続させる必要があるのかを問い直すべきだと主張する。これが今回の記事の核心部だ。

 さらに原氏は、現在右派が「逆説的に」天皇制存廃の話をしているのに、左派リベラルの方が天皇制の存続を前提にした議論ばかりをしているとして批判する。私がこの記事をブログに取り上げようと思ったのはまさにこのくだりによる。

 私が1月の記事でnaoko氏を批判したのも、常日頃男女同権の観点を強く持つXのポストを多く行っている氏が、天皇制批判の視座を全く持たないばかりか、天皇制批判など論外と言わんばかりのポストをしていたからだった。そして、その記事にいただいた下記のコメントにも呆れ返ったのだった。以下引用する。

 

 楽太郎

どの政治家を支持するかは勝手だが、天皇制批判に対する論外視は大いに心外だ。なぜなら天皇制こそ女性やマイノリティその他に対する差別の根源だからだ。

>これだと世論の多数派の共感得ずに勝てないから、共産党ですら野党共闘&連立内閣中は引っ込めている/引っ込めると言うてるのに。 むしろ、どのくらい積極的反天層(ガチ左翼層)がいるのか判明させたいからココをアピールした野党共闘してほしい。 自民党の支持率落ちると無党派層が伸びるのは、左派政党の支持層や政治家の優先政策が、こういう有権者の平均から左過ぎるの以前よりも知られたからなのだから。格差是正とは言うが対立事項となった際には、ジェンダーとか外国人!とか選ぶ層なのだから。後回しにされるようになったアメリカのラストベルトの労働者が、共和党やトランプいれる率激増したのと同じ。欧州でも自国民中間底辺層よりも外国人やジェンダー優先してるのバレてから負けるようになった。

 

 まあ上記のコメントを書いたのはリベラルや左派ではなく、今やリベラル・左派以上よりももっと時代から完全に取り残されたネトウヨであることは文面から明らかだ。ところがコメント主はそのことさえ理解していないので、下記コメントの反撃を受けている。

 

 管見

また、多数派ぶりたい人が現れましたね。
大多数の人は左派など支持してないと言いたいらしい。
裏金政治家と彼らが作った不公正な社会に、多くの国民が怒っているのが実情でしょう。

 

 絶滅危惧種でしかないネトウヨへの批判は上記コメントで十分だろう。

 私が本当に問題だと思うのは「問題は天皇制の存続を前提に議論ばかりしている」リベラル・左派の方だ。

 原氏は天皇制は多様化する社会の統合や包摂を担うメカニズムにはなり得ないどころか「排除の論理」になりかねないと指摘している。私が「排除」という言葉から真っ先に連想したのは小池百合子であり、次に連想したのは昨年来「分派狩り」に明け暮れる日本共産党だった。はしなくも前記ネトウヨのコメントが「共産党ですら野党共闘&連立内閣中は引っ込めている/引っ込めると言うてるのに」と書いていたが、同党は小沢一郎らとつるんで「野党共闘」路線を走り始めた直後の2016年1月に、天皇が臨席する通常国会に初めて出席したり、『しんぶん赤旗』の1面に、その一箇所だけとはいえ西暦に年数表示に括弧付きで元号を併記したりするようになったが、それらは共産党の堕落を表すものでしかない。

 では現在の右派はどんなありさまかというと、たとえば来月の衆院東京15区補選に日本保守党の公認を受けて出馬する予定らしい飯山陽は、5ちゃんねるを参照すると下記の発言をしたらしい。

 

0395アフターコロナの名無しさん

2024/03/08(金) 21:34:02.90  ID:1le2UWdm0


時事ドットコム時事通信ニュース)
@jijicom
【速報】
宮内庁は、秋篠宮家の長男悠仁さまが4月から筑波大付属高校に進学されると発表した

飯山陽 Dr. Akari IIYAMA日本保守党東京15区支部
@IiyamaAkari
ふむふむ、ワシの後輩になるということだな。
ワシはいわゆる「高校外部」というやつで、ガチの高校受験をして筑附に入ったので、受験生の中に絶対に合格すると決まっていると思われる人が約1名いた、というのは正直、なんともいえない感じではあるな。
ってか時事通信よ。付属ではなく附属だ。

悠仁親王殿下を「約1名」呼ばわりする飯山陽。

 

URL: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1709681587/395

 

0435アフターコロナの名無しさん

2024/03/09(土) 02:05:19.63  id:FOk2wARN0

 

飯山陽 Dr. Akari IIYAMA日本保守党東京15区支部
@IiyamaAkari
佳子さまには、日本のジェンダー指数ランクについてなぜ「とても残念」に思うのかうかがってみたい。単に順位が低いから残念だ、というのであれば、思慮深いとは言い難い。

佳子内親王殿下に説教を垂れる飯山陽。

 

URL: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1709681587/435

 

 飯山陽だけではなく党首の百田尚樹も下記の様子らしい。

 

0476アフターコロナの名無しさん

2024/03/09(土) 12:13:57.64  id:FOk2wARN0

 

>>465 >>468
飯山陽に関しては>>395>>435を読んでみて、悠仁親王殿下と佳子内親王殿下に説教や不満を言う女だぞ。
百田尚樹上皇陛下が天皇陛下から離れる事をお言葉として出し、その件で朝生で討論があった際に百田尚樹はお言葉も「読んでない。何が悪いんじゃ」と言ってた。

 

URL: https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1709681587/476

 

 特に2件目、飯山陽は佳子氏が自分たちのように反動的な極右思想に染まっていないと文句を垂れている。

 また3件目からは百田の露骨な反明仁天皇のスタンスが読み取れるだろう。

 彼らネトウヨ安倍晋三が脚光を浴び始めた2002年くらいには既に天皇制への関心を失い、ひたすら安倍に代表される極右のリーダーを崇拝するようになっていた。

 だが、少なからぬリベラルや左派は「敵の敵は味方」の論理によって、ネトウヨに敵視される(た)前天皇らを「評価」してきたのだった。

 原氏はそんなあり方を批判し、前天皇がたびたび発した「お言葉」も「あからさまな権力の発露」だと断じている。そしてネトウヨは故安倍晋三に、「ヤマシン」は党名に元号を関する政党の独裁指導者である山本太郎に、また「共産党信者」は日本共産党執行部に絶対服従することによってひたすら権力に屈し続けている。

 そんなあり方が望ましいはずがなかろう。

 朝日新聞デジタルに載った(おそらく朝日本紙ではオピニオンに載ったであろう)原武史氏のインタビュー記事は必読だと強く思う次第だ。

鳥山明死去

 鳥山明死去の知らせで最初に思ったのは、そういえば『ドラゴンボール』第1回が載った『少年ジャンプ』って、山梨に工場見学に行く電車の中で読むために買ったんじゃなかったっけ、確か1984年11月中旬だった記憶があるけど、ということだった。

 ネットで調べてみると第1回が載ったのは同年11月20日発売の51号だった。少年漫画雑誌の号数には規則があって、今も同じかどうかは知らないが、11月最後の週に52号が出て、12月最初の週に「新年特大号」が出る。だから51号なら11月20日発売だ。でも私が工場見学に行ったのはその前の週だった記憶があるから、どうやら『ドラゴンボール』第1回ではなく、次号から始まるよという予告が載った11月13日発売の50号だったに違いない。

 『ジャンプ』というと、1973年の夏休みに若狭湾に家族旅行した時、帰りの何線だったか忘れたが国鉄のローカル線の車内で読むために買ったのがこの雑誌を初めて買った時だった。この号に載ってのが『はだしのゲン』の原爆投下の回であって、あれには忘れられない衝撃を受けた。しかし、この漫画雑誌は毎週買うどころかごくたまにしか買わなかったのだった。特に高校に上がって以降は数年に1回しか買わなかった。80年代半ばには『少年サンデー』をよく買っていた。この雑誌は、亡父が30代の頃に毎週買って読んでいたのだった。まったくとんでもない親父だった。手塚治虫の『火の鳥』はジャンプでもサンデーでもない青年誌に載っていたと思うが、親父は雑誌の別冊で買い揃えていた。中学2年生の1970年代半ばに読んだこの漫画に圧倒されたので、手塚漫画の系譜をジャンプよりは強く受け継いでいるように思われた小学館の雑誌(青年誌では『ビッグコミック』系)の方になじみがあったのだった。

 『ジャンプ』は大学近くの定食店で「新着文献」と称してよく読んではいたが、『ドラゴンボール』は連載初期には面白いと思ったものの、その後じきについていけなくなった。特に私が敵視していたのはゆでたまごの『キン肉マン』という漫画で、その理由は主人公の「キン肉スグル」とかいう奴の名前が、あのにっくき読売なんとか軍のインチキ入団野郎・江川卓からとられていた頃だった。あの茶番劇が演じられたのは、スワローズ初優勝の興奮さめやらぬ1978年秋であって、あれで私の「アンチ読売道」が本格化したのだった。私のトンデモ親父は大の読売ファンで政治思想的には晩年極右化したくらいの保守派だったから、それらへのことごとくのアンチには、私の「父殺し」の意図があったに違いないと今も思っている*1。だからあの江川の名前をとった主人公の漫画が載っている『ジャンプ』も敵視していた。しかし鳥山明ゆでたまごと張り合っていたので、「敵の敵は味方」思考によって悪い感情は全く持っていなかった。それどころか『Dr. スランプ』は面白がって読んでいたほどだ。しかし『ドラゴンボール』には乗っていけなかったし、ドラゴンクエストをプレイしたことは一度もないので(PCの『ウィザードリィ』には人生の貴重な時間をずいぶん無駄遣いしてしまったと後悔しているが)、鳥山明については何を語る資格もない。だからその方面は他の方々にお任せする。

 しかし68歳という死は現代ではかなり早い。でも1989年の手塚治虫60歳、2018年のさくらももこ53歳など、漫画家には比較的早く亡くなる人が多いようにも思う。私は「創造系は短命、再現系は長命」という仮説を持っていて、それは作曲家は早く死ぬのに自らは何の音も出さないくせに演奏家たちを「指揮する」だけの指揮者はやたらと長生きするんだなあという偏見からきている(そういえば小澤征爾も88歳まで生きた。でもあの人は最後の20年くらいは思うように音楽活動ができなかった)。

 鳥山明の死因は急性硬膜下血腫だったというから、初めは氏が転倒でもしたものかと思ったが、2月に脳腫瘍の手術を予定していたとも聞くから、悪性の脳腫瘍が原因となった血腫なのだろうか。ともかく脳腫瘍手術の予定があった、その前から具合が悪いとの訴えがあったとの情報からは、外傷性の原因である可能性は低いのではないかとの心証を持った。しかしネット検索をかけると、高齢者が転倒した時にはどうこうとか、鳥山氏の死因が外傷性であるかのようにきめつけているかのような情報が流布しているのが非常に気になった。

 本当のところはどうだったのだろうか。

 鳥山明氏の逝去にお悔やみ申し上げます。

*1:だから私が死んだらドン・ジョヴァンニみたいに地獄に落とされるかも知れない。

衆院3補選、自民内に不戦敗論 政権ダメージ軽減の思惑(日経)

 衆院東京15区補選だが、ついに自民党に「不戦敗」論が出てきたと日経が報じた。

 

www.nikkei.com

 

 有料記事なので無料部分を引用する(というか日経には有料登録していないので無料部分しか読めない)。

 

衆院3補選、自民内に不戦敗論 政権ダメージ軽減の思惑

2024年3月6日 18:38 (2024年3月6日 19:21更新)

 

4月28日投開票の衆院東京15区と長崎3区の補欠選挙自民党内に不戦敗論が高まってきた。政治資金問題の逆風を考慮し、候補者を立てて敗れるよりも不戦敗の方が政権運営への影響は小さいとの思惑があるためだ。

 

衆院の3補選で自民党が候補者を立てたのは6日時点で島根1区だけにとどまる。同選挙区は細田博之衆院議長の死去にともなうもので、財務省出身の新人を公認した。

もともと自民党の支持基盤が強固な地域だが(以後有料)

 

日本経済新聞より)

 

URL: https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA2997J0Z20C24A2000000/

 

 少し前に自民党の東京15区補選候補は公募にする話があって、それに某ドリル議員らを含む党中央が待ったをかけたという読売の報道があった。そして今度は不戦敗論。

 おそらく都ファというか小池百合子の動向がわからないために金縛りにあっているのだろうが、俗説にかなり出ている小池自身の出馬は絶対にあり得ない。遠くない将来に本選が控えている以上、こんなところでそんなカードを切るはずがないからだ。都ファの誰かを出すのも難しい。それをやると仮に本選に小池が出るとしたら、そのための障害になってしまうからだ。かといって自民が公募の候補を出したところで維新の金沢結衣にも及ばず負ける可能性が高い。現に前回の衆院選では自民の都連(支部長の萩生田光一や当時江東区議のトンデモ2世・山崎一輝ら)が推した自民推薦の極右候補(愛知県から引っ張ってきた刺客)は柿沢未途にはもちろん、立民公認の井戸まさえにも維新の金沢にも及ばず4位で惨敗した。ましてや今は3年前とは比較にならないほど自民への逆風が強い。それなら不戦敗で、と自民党が考えたというのは大いにありそうな話ではある。

 こんな状況でも動けない立民は本当にどうしようもない。もしかしたら希望の党の残党である泉健太小池百合子を敵に回したくないのではないかと勘繰ってしまう。そういえば「野党」には希望の党の残党の党首が他にも2人いる。玉木雄一郎前原誠司である。これではどうしようもない。

 立民は、やはり泉健太を代表に選んでしまったことが痛恨の極みだった。

「あれほどひどい計画はあり得ない」「明らかにカジノのための万博になっている」と「建築界のノーベル賞」プリツカー賞受賞者・山本理顕氏が大阪万博を批判(TBS)

 一昨日(3/5)夜に、TBSのnews23を見ていて、「建築界のノーベル賞」といわれるプリツカー賞を受賞したという山本理顕氏の大阪万博表に快哉を叫んだのだった。それを以下に紹介する。

 

newsdig.tbs.co.jp

 

 以下に大阪万博に関連する部分のみ引用する。

 

山本さんがいま、課題に感じていること。それは、専門家であるはずの建築家が、社会の中で信頼を失っているのではないかということ。例えば、大阪・関西万博。

 

建築家 山本理顕さん
「あれほどひどい計画は、建築家から見たらあり得ないと思う。日常生活を阻害するような施設がカジノ。社会貢献(課題解決)をすることを前提にしている博覧会に対して。明らかにカジノのための万博になっていると思います。そこに対して建築家集団は何も言わない」

 

その上で、未来を担う建築家たちへ、こうメッセージを送りました。

 

建築家 山本理顕さん
「(自治体や施主の)『御用聞き』のように建築をつくるのは建築家の仕事ではないです。自らのアイディアや思想が多くの人たちに貢献できる、そういうプライドをぜひ持ってほしいと思います」

 

(TBS NEWS DIG 2024年3月6日 10:30)

 

URL: https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1037298?display=1

 

 しかしブコメを見ると、山本氏は昨年11月には下記のXを発信していたという。

 

「現代の住まい」の問題に地道に向き合い…建築家・山本理顕さん(78)が“建築界のノーベル賞”プリツカー賞を受賞【news23】 | TBS NEWS DIG

2023年11月 &quot;博覧会協会の皆様、吉村知事、橋下さん、藤本さん、わたしたちが相談に乗ります。大阪万博は絶対にやめてはいけない&quot; <a href="https://twitter.com/RikenYamamoto/status/1725823342685606222" target="_blank" rel="noopener nofollow">https://twitter.com/RikenYamamoto/status/1725823342685606222 <a href="https://twitter.com/RikenYamamoto/status/1725708736931774474" target="_blank" rel="noopener nofollow">https://twitter.com/RikenYamamoto/status/1725708736931774474

2024/03/06 13:54

b.hatena.ne.jp

 

 

 

 山本氏は大阪万博自体にではなく夢洲での集中開催に反対しているだけだとの指摘もある。

 

「現代の住まい」の問題に地道に向き合い…建築家・山本理顕さん(78)が“建築界のノーベル賞”プリツカー賞を受賞【news23】 | TBS NEWS DIG

この人は万博開催自体には反対していないが、夢洲はやめて別会場で分散開催することを提案している。建築ジャーナル最新号に提案が載ってるらしい。 <a href="https://twitter.com/RikenYamamoto/status/1764089273761112369" target="_blank" rel="noopener nofollow">https://twitter.com/RikenYamamoto/status/1764089273761112369

2024/03/06 18:53

b.hatena.ne.jp

 

 

 よくわからないが、とりあえず山本氏が「日常生活を阻害するような施設がカジノ」であるとして「カジノのための大阪万博」に反対しているとみて、それに拍手喝采を送りたい。

 ところで、TBSのこのエントリのタイトルは、昨日(3/6)見た時には

「あれほどひどい計画はあり得ない」大阪・関西万博に……

というタイトルだったが、今朝になってみたらタイトルが差し替えられていた。維新か維新支持者かのクレームを受けてのタイトル変更だったとしたらいただけない。

 TBSはせっかく良いニュースを発信したのだから。

日本保守党、衆院東京15区に擁立表明 麗沢大客員教授の飯山陽氏(朝日)

 衆院東京15区補選に、日本保守党が飯山陽(いいやま・あかり)という人を擁立すると発表した。下記は朝日新聞デジタルの無料記事。

 

www.asahi.com

 

 以下引用する。

 

日本保守党、衆院東京15区に擁立表明 麗沢大客員教授の飯山陽氏

宮野拓也 2024年3月5日 19時51分

 

 公職選挙法違反の罪で起訴された柿沢未途被告=自民党を離党=の辞職に伴う衆院東京15区(江東区)の補欠選挙について、政治団体・日本保守党百田尚樹代表)が5日、麗沢大客員教授で新顔の飯山陽(あかり)氏(48)を擁立すると発表した。

 飯山氏はイスラム思想研究者として著書などがある。同日に記者会見し、同区選出の自民衆院議員が「政治とカネ」を巡る事件で相次ぎ起訴されたことを踏まえ、「政治の経験はないが、自分のお金のために政治をしている人よりはましなのではないか」などと話した。

 同補選を巡っては、共産党の小堤東氏と日本維新の会の金沢結衣氏の新顔2人が立候補を表明。国民民主党は、擁立するとした新顔の公認内定取り消しを発表している。(宮野拓也)

 

朝日新聞デジタルより)

 

URL: https://www.asahi.com/articles/ASS356H1CS35OXIE027.html

 

 最近は朝日や毎日の記事を紹介する時には、有料登録をログアウトしてから無料部分であることを確認して引用することにしているが、その状態でも辻田真佐憲氏のコメントプラスが途中まで読めるので、以下に引用する。

 

飯山陽氏は、記事にあるとおりイスラム思想研究者ですが、近年では保守論壇の新星として急速に台頭し、中東問題に限らず幅広く発言しており、『WiLL』や『月刊Hanada』の常連執筆陣のひとりとなっています。X上の論争でも日本保守党の関係者と連携(以下有料)

 

 飯山がどういう人物であるかはこれだけで十分だろう。つまらない極右アジテーターの一語に尽きるのであって、現在擁立が発表されている2人のうち、共産党の小堤東の得票には全く影響しないだろうが、維新の金沢結衣にとっては「いい迷惑」だろう。私など、飯山陽と言われても頼山陽(らい さんよう, 1781-1832)と飯山満(はさま, 千葉県船橋市の地名)のあいの子かいなとしか思えない。後者については、たまにこういう人名みたいな地名があるのは面白いなと昔から思っていた。地下鉄東西線に乗る人なら車内に表示される駅名表示でおなじみだろう。もっとも飯山満駅東葉高速鉄道東葉高速線の駅であり、同線は東西線に直通している。一方、頼山陽Wikipediaを見ると

詩吟剣舞でも馴染み深い「鞭声粛粛夜河を過る」で始まる川中島の戦いを描いた漢詩『題不識庵撃機山図』の作者としても有名で、死後刊行された『山陽詩鈔』(全8巻)に収められている。古代から織豊時代までの歴史事件を歌謡風に詠じた『日本楽府』(全1巻)がある。同書の第一は下記引用の詩に始まるが、易姓革命による秦(嬴氏、西楚の覇王に滅ぼされる)、漢(劉氏、新の摂皇帝に滅ぼされる)に代表される中華王朝の傾きに対比して、本朝の「皇統の一貫」に基づく国体の精華を強調している。

とのことだから、右翼思想の元祖みたいな人だった。だから飯山陽という名前は東京15区の極右候補にはふさわしいかもしれないと思った。とはいえ最近の右翼(極右)は皇室を敬愛など全くしておらず、前天皇や眞子氏や佳子氏らに至ってはむしろ積極的な敵視の対象であるかのようだ。彼らがひたすら崇拝するのは一昨年に銃殺された安倍晋三である。また飯山は東京都生まれらしいが、江東区とのかかわりはよくわからない。

 この補選に関して、東京スポーツが立民幹事長・岡田克也のコメントを伝えている。

 

www.tokyo-sports.co.jp

 

 以下引用する。

 

立憲・岡田克也幹事長 衆院東京15区補選に焦りなし「誰でもいいということではない」

2024年3月5日 18:54

 

 立憲民主党岡田克也幹事長は5日に国会内で開いた会見で、衆院東京15区補選(4月28日投開票)の候補者擁立について言及した。

 同選挙区は公職選挙法違反で逮捕・起訴された柿沢未途衆院議員(自民党を離党)の辞職に伴い行われる。

 選挙戦に向けては日本維新の会・金澤ゆい氏、共産党の小堤東氏が立候補。国民民主党は「法令違反に該当する可能性がある行為があったため」として元フリーアナウンサーの高橋茉莉氏の公認取り消しを発表した。

 日本保守党はこの日、麗澤大学客員教授の飯山陽氏を公認候補予定者として発表。一方で、いまだ候補者擁立に至っていないのは自民党地域政党都民ファーストの会」、立憲民主党の3党だ。
 いつまでに候補者を擁立するのか問われた岡田氏は「なるべく早くです。いい人材、勝てる可能性がある人を擁立するということが必須です。誰でもいいということではないんです。そういう人材をぜひ擁立したいと考えていますが、現時点ではそこに至っていない。(候補者擁立の期限は)与党の方もどうするかまだ見えてきていませんので、自分で期限を切っていつまでという必要はないと思います」と語った。

 

東京スポーツより)

 

URL: https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/294369

 

 やはり想像していた通り、立民は自民と都ファの動きを見ているというか「先には動けない」のだろう。昨年12月の区長選では「勝てるかもしれない」と思って酒井菜摘を野党統一候補として立てたら、都ファが自公と手を握って大久保朋果を出してきたために歯が立たなかった経緯もある。とはいえ、都ファ系の候補者が決まって無所属で須藤元気が出ると仮定して、立民が新選組と一緒になって須藤を支援するなどというなめた真似をやらかしたら(さすがに恥ずかしくて須藤は公認できないだろう)、与党候補はもちろん金沢にも歯が立たないだろう。小堤といい勝負どころか、下手したら頼山陽もとい飯山満もとい飯山陽にも負けるのではないか。

 軍畑先輩氏のXより。

 

 

 区民から見ると、腹が立つ以前に「空いた口が塞がらない」んだよね。柿沢未途が自らの罪状を認める作戦に転じたのは、それで公民権停止の期限を5年から3年に縮め、3年経ったらまた東京15区から立候補しようと考えているからではないかとの噂もある。そうなったらまた柿沢が当選しかねない、そんな選挙区なのだ。

共産党の民主集中制に関する醍醐聰氏のX「党員が党の決定に反する意見を(党外で)発表することを禁じるのは、党外から寄せられた党の方針に対する疑問について党員が自分の真意を語ることを禁じるに等しい。これも党員の思想表明の自由を侵害し、思想の交流を抑圧する前近代的掟である。」(2024/2/28)

 今日は共産党の話を少しする。

 まず、少し前にいただいたコメントを紹介する。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 774

人は誰しも経験に引き摺られるものです。特にそれが自らの尊厳を損なうような苛烈な経験であればあるほど…。私は管理人様のいう「パワハラに遭ったことのない幸せな人生を送ってきた人」であるせいか、田村委員長の例の結語を読んでも「共産党は相変わらずだな。でも100年も続いてる政党なんだからそう簡単に変わるわけないか」と感じただけですが(もちろん共産党には本当の意味で民主的で風通しの良い政党に生まれ変わってほしいとずーっと願っています)、紙屋氏の「スターリナ…」にはここまで言われなきゃいけないのか、小池晃氏が公衆の面前で田村氏を叱責した時(パワハラの典型的状況)、誰が彼を「スターリン」と呼んだだろうか?と思いました。それはとどのつまり、私が田村委員長と同年代の同性であるためでしょう。私には彼女が日本共産党という、戦前から建前は女性同権を唱えながら実態は女性党員をハウスキーパーとして利用してきた政党の中で、どれだけの苦労や理不尽な思いをしてきたか、容易に想像できるからです。日本共産党は結党から100年も経って、やっと初めて女性が党首になったような政党なのです。今は不十分であろうとも、これは変化への第一歩だと「今は」前向きにとらえています。そして田村委員長に一歩でも二歩でも共産党を前に進めてもらいたい、そう思って見守ろうと思っています。

 

 2022年末に小池晃氏が田村智子氏に対して行ったパワハラ(これがパワハラであったことは共産党自身が認め、小池氏に対する処分も行われた)には古くからの「男尊女卑」の差別構造の要因があったことは明らかです。しかしその時の小池氏のパワハラに対して「スターリン」との呼び方がなされなかったことは、単にスターリンの粛清に性差による差別構造が関連する事例を誰も思い出さなかったからに過ぎないのではないでしょうか。あの件はパワハラとは言っても上位の職位にいる男性が下位の職位の女性に対して行った「個対個」のものであって、田村氏の地位が脅かされる等の事態はありませんでしたし。

 それに対して、田村氏による大山奈々子氏に対する「パワハラ」(共産党自身がパワハラを認めているわけではないんで括弧付きとしました)には「組織対個」の構図があり、特に昨年末に党内の福岡県の組織で「組織対個」の吊し上げを受けた紙屋高雪氏が、自らの経験をまざまざと思い出してXに「スターリナ」とポストしたのは、ごく自然な感情の発露だったに違いないと思います。

 今「感情の発露」と書きましたが、ここに至るまでの紙屋(神谷)氏の自らを律するあり方は、生易しく「感情の発露」をすることとはまさに対極にある、極端にストイックなものでした。時折氏のブログ記事を読んでいた私は、「うひゃあ、すごいなあ。俺にはとても真似できないよ」と感嘆したものです。

 では、神谷氏が実践した党の規則とはいかなるものだったか。最近、それを批判した醍醐聰氏のXが発信されました。以下にリンクします。

 

 

 

 ポストが2つに分かれていて見づらいので、以下に醍醐氏の民主集中制批判を抜き書きします。

 

  1. 自分の意見が党の決定と異なる場合、意見は保留できるが、党の決定を実行するよう求める*1のは、個人の思想と行為を引き裂く結社の越権的統制であり、内心の自由を無化し、思想表明の自由を侵害するものである。
  2. 党の信用を失墜させる言動は別として、党員が党の決定に反する意見を(党外で)発表することを禁じる*2のは、党外から寄せられた党の方針に対する疑問について党員が自分の真意を語ることを禁じるに等しい。これも党員の思想表明の自由を侵害し、思想の交流を抑圧する前近代的掟である。

https://twitter.com/shichoshacommu2/status/1762827420128944619

https://twitter.com/shichoshacommu2/status/1762833251234877918

 

 上記は間然するところがない(非の打ちどころがない)批判だと私は思います。

 神谷氏は、このような厳しい規則を守って自らを律し、「意見を保留する権利」を行使した上で「党の決定を実行した」のでした。つまり規約第5条(五)の前段は完全に守った。しかしその経緯をブログに発表したために、後段に違反していると党に認定されたものと推測されます。

 私は氏のブログ記事を読んだ時、意見を「保留する権利」が認められるだけなのか、自分だったらこういう政党ではやっていけないだろうなと思って氏の精神力に感嘆したのですが、「意見を保留するだけにとどめる」態度を維持するための精神的エネルギーは大変なものだったに違いないと思います。

 一方、当規約を盾にとって処分する側にはさほどの精神的エネルギーを必要としないように見えます。私は必要な精神的エネルギーの大小関係がこの逆でなければまともな組織とはいえないと思います。権力者には配下の人々の人生を大きく左右する力がありますから、権力を行使するか否かを多大な精神的エネルギーを用いて熟慮するのが本来のあり方なのではないでしょうか。

 なお、神谷氏や松竹氏を「反党裏切り分子」、党外からの党批判者を「反共分子」と罵倒するだけの意見を垂れ流す一部の人間の行為に至っては、ただ単に惰性でやっているだけですから必要とする精神的エネルギーはほぼゼロです。文章を書いて発信する時間を消費するだけでしかありません。従って私はそのような人間を誰よりも深く軽蔑します。まさに人間のクズ。あらゆる人間の中でももっとも劣悪な人たちだと思います。

 また、いうまでもありませんが、大山奈々子氏の件に関しては性差による差別構造もなく、ただ単に強烈な「組織対個」のパワハラの構図が認められるだけです。

 この件で感じるのは、おそらく大山氏の方が田村氏より精神的に優位に立っているんだろうなということです。数年前までの田村氏の意見発信とそれが撤回された経緯を思い起こすと、田村氏がどのような心理であのような結語を発したかは容易に推測可能だからです。

 

 他の方から弊ブログにいただいたコメントを以下に紹介する。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 こっこ

本ブログで政党の権力抑止構造の話題になるたびに常々思うことですが、他ならぬ自民党の派閥こそはその執行部の権力抑止構造そのものでした。二大政党制=派閥構造の外部化を図った小沢一郎の手によって選挙制度が変えられ権力の源泉を失ってから数十年、小泉純一郎による「破壊」を経ても、不完全な形であれ今の今まで生き残ってきた派閥がとうとう真の意味で解体するのかどうかまだ分かりませんが、その有り様が示すのは、権力抑止構造とは権力の分割であり、新たな権威の創造に過ぎないということ、そして、権力は必ず腐敗する、ということです。民主集中制によって権力を中央に萃めている日共が「分派行動の禁止」を掲げて、それによる権力の行使が批判されているのは象徴的です。我々は今、集中的権威と分割的権威の二つの権力のあり方のそれぞれの極北を目の当たりにしていると言えます。

問題は制度ではないのだろうと僕は思います。立憲主義とか権力抑止構造とか、あくまで手続き的な、テクニカルなレベルの話であり、そこから入ると本質をとらまえた議論にならないのではないでしょうか。例えば派閥を党の綱領に書き込んで制度化したり、外部有識者による第三者監査委員会を常設したり、それによってガバナンスや透明性は一時的に改善するでしょうが、結局は権力の移し替えに過ぎず、プレイヤーが変わらなければ、いずれ同じことが繰り返されるだけでしょう。

 

 コメントの前段はともかく、後段がよく理解できませんでした。

 「問題は制度ではないだろう」から始まって「プレイヤーが変わらなければ、いずれ同じことが繰り返されるだけ」で終わるので、単純に考えれば「制度ではなく人の問題だ」、つまり旧ソ連であればスターリン個人、日本共産党であれば志位和夫個人、自民党であれば少し前までなら安倍晋三個人、現在では「安倍派5人衆」や、忘れてはいけない岸田文雄などの個人の責に帰(き)する問題というように読めるのですが、そうだとしたら同意できません。

 私はやはりこれは権力の構造の問題であって、制度を変えるしか解決法はないと思います。昨日、18世紀後半から19世紀前半にかけての権力と人間に関することに思いをめぐらせながら「権力悪」という言葉をブログ記事に書きましたが、その過程でかけたネット検索でみつけた、下記バートランド・ラッセルの「権力悪」の説明に感心した次第です。

 

バートランド・ラッセル「権力悪」

 

* 出典:牧野力(編)『ラッセル思想辞典
* Source: What is democracy? 1953.)

 

 権力者は、古今東西、恐怖心さえ抱かなければ、権力を持たない人間の幸不幸には無頓着である。上流階級の人々は、自分達が幸せに暮すためにどんな苦痛を他人に与えているかを生涯知らずに暮したり、知っても知らないふりをする。

 

 メルバーン卿はヴィクトリア女王(時代)の最初の首相で、私生活では、魅力的で、教養が豊かで、博識で、人情深く、気前よく、金持だった。だが、彼があのように優雅に暮せたのは、少年達がハシタ金のために暗闇の炭坑内で長時間働いたお陰だった。似た話はざらにある。プラトンの『対話篇』に出てくる洗練されたギリシアの若者たちを、英国の古典学者達は英国上流階級の青年の模範例にするが、若者らは短命なギリシア帝国を搾取して暮していた。また、十八世紀終りから十九世紀初めにかけて、英国の上下両院は地主貴族の代議士の集りで、貧農達が共同地で享受してきた権利を取り上げる囲地条令(囲い込み条例)を通過させた。これで農村の過疎化が起り、貧農は都会に流出して、長時間労働と低賃金の犠牲の下で産業発展にひと役買った。成人だけではなく、児童らも一日十二時間以上工場で働き、作業中眠り、機械に巻き込まれ、体を寸断された。

 

 右の例は、個人が悪いと言うよりも、権力悪のある社会の仕組みの結果というべきで、これを防止するには、政治的、経済的に権力を全市民に配分する民主主義しかない。

 

URL: https://russell-j.com/beginner/POWER-EV.HTM

 

 やはり個人ではなく制度の問題なのではないでしょうか。

*1:日本共産党規約第5条(五)前段=引用者註

*2:規約前条五後段=引用者