kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

低投票率ゆえの酒井菜摘候補勝利だった

 下記は堀新氏のX。

 

 

 これは本当にそうで、私はブログ記事には書かなかったけど、投票率なんか上がらない方が良いと思っていた。その方が酒井候補に有利なことは明らかだからだ。好ましくないことかもしれないが事実だから仕方がない。

 少し前にも書いたが、現在の立民は政党としては支持されていない。私も酒井菜摘候補を応援も投票もしたけれども、立民の右半分はむしろ嫌っている。

 昔からブログをやっている『日本がアブナイ!』のmew氏も反泉健太で、立民を半分しか支持していないとコメント欄に書いていた。私がカッコ付きの「リベラル」とか「都会保守」などとさんざん揶揄してきたmew氏でもそうなのだ。

 ただ、自民党にとことんうんざりした有権者が、単に野党第一党だから立民候補を投票の対象に選んでいるだけである。今はそういう政治状況だ。

 江東区民として言わせてもらえば、多くの区民が「また選挙かよ」と思う気持ちはよくわかる。同じ酒井氏が立候補して敗れた区長選からまだ4か月しか経っていないのにまた選挙が行われた(酒井氏はここ1年あまりで3度も選挙を戦った)。私自身、今月はブログにかまけ過ぎたために仕事にしわ寄せがきて、一昨日の金曜日に仕事を終えた時には疲労困憊してしまった。だから、投票率の低さを責めるかのような下記Xには正直言って腹が立った。

 

 

 低投票率を責められてはたまらない。この区の立民の政党支持率の低さを知ってますか? 今回の補選でも酒井候補があと伸びしたという情報には一つも接しなかった。典型的な先行逃げ切り型の戦いだった。野球でいえば、相手が二線級の先発投手(乙武洋匡)を出してくれたおかげで序盤に挙げた先制点を守り切った展開。投票率なんて上がらなくて良かったんだよ。立民がもっとどういう社会を目指すのかなどのビジョンをはっきり打ち出して人々から積極的に支持されるようになったら、00年代後半の民主党候補のように選挙戦中に立民候補があと伸びして勝つような勢いもつくかもしれないが、今の立民はそのような政党では全くない。投票率が上がったら逆に不利になるような政党なんだよ。今回はガチのリベラル層と共産党の固定票で勝った選挙であって(もちろん右側が小池百合子一派、維新、超極右に三分裂してくれたために漁夫の利を得た形だ)、投票率が低いほど酒井氏が有利だったことなど、ものがわかっている人には自明だったんじゃないかな。

 下記は前記堀氏のXへの反応。

 

 

 私も同感だ。

東京15区補選、NHKの出口調査では2位はなんと須藤元気

 東京15区補選、NHK出口調査では2位がなんと須藤元気。これにはびっくり。驚くべきことに、自民党支持層の投票先で一番多かったのが須藤だった。地元出身の影響なのか。

 3位以下は金沢結衣、乙武洋匡、飯山陽の順。金沢と乙武はともに大大大惨敗。宿願だった「小池百合子への審判」も実現した。これは祝杯のメートルが大いに上がりそうだ。

 超極右の飯山が出口調査で10%を超えているのが余分だけど。

笠谷幸生死去

 1972年札幌五輪金メダリストの笠谷幸生が亡くなった。

 笠谷氏の死去自体よりショッキングだったのは下記の情報。

 

sumita-m.hatenadiary.com

 

兄の笠谷昌生氏、一緒にメダルを獲った金野昭次氏、青地清二氏がみなとっくに鬼籍に入って「故人」となってしまっているということに哀れさを感じる。

 

 えっ、そうなのか。

 調べてみると、笠谷昌生(あきお)氏が2009年没(享年74)、金野昭次氏が2019年没(享年75)、青地清二氏が2008年没(享年66)。

 

札幌五輪」は既に半世紀以上昔の出来事である。「札幌五輪」を回想しているというのは、その頃の(ティーンエイジャーの)私からしたら、大正時代のことを考えているに等しいのだった。因みに、「札幌五輪」の1972年は連合赤軍あさま山荘事件が起り、沖縄が返還された年でもある(Cf. 坪内祐三『一九七二』*2)。

 

 上記に書かれたような思考は私もしばしばやるので、大いに共感した。

 1972年は田中角栄が総理大臣になった年で、秋には日中国交回復もあった。なぜか佐藤栄作が大嫌いだった*1私はこの首相交代に大喜びしたのだった。物心ついた時には佐藤栄作が首相だったから、角栄に代わって本当に良かったと思ったのだ。プロ野球・読売の湯口敏彦が死んだのはこの年だったかなと思って調べてみたら翌1973年だった。私が読売球団に疑問を持つようになったのは湯口の死が最初のきっかけだったから*2、1972年に8連覇した時にはまだアンチではなかった。あとから思い出すとあの年も読売が優勝しやがったんだなとネガティブな印象を持ってしまうので、記憶が多少混濁しているけれども。

 1972年は今から52年前。1972年の52年前は1920年で、元号でいえば大正9年だ。そういえば私が元号に疑問を持つようになったのは、改元で変わってしまったら計算が面倒だよなあと気づいたことがきっかけだった。この頃はまだその意識はなかったが、西洋のクラシック音楽を聴くようになって、その世界では元号はほぼ用いられないことから元号を疑問視するようになったものかもしれない。遅くとも高校生時代の1977年秋には明確に元号不要論を意識するようになっていた。

 元号に関しては下記記事にいただいた檜原転石さんのコメントの通りだと思う。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 檜原転石

元号を使うと、過去を振り返らない悪弊が身につく
「令和4年」「平成26年」「2024年」→「2022年」「2014年」「2024年」
■同じ学校で生徒2人相次ぎ自殺 横浜市教育委 重大事態で調査へ
2024年4月24日 21時43分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240424/k10014432131000.html

横浜市教育委員会横浜市立の同じ学校に通う生徒2人が令和4年度に相次いで自殺していたことを、24日明らかにしました。1人については遺族からいじめの訴えがあり、今後「重大事態」として調査することを検討しています。

横浜市教育委員会は4年前、市内の中学校の2年生の女子生徒がいじめを理由に自殺した問題を受け、平成26年以降に起きた児童・生徒の自殺41件のうち、学校の調査のみで終わっていた事案については、いじめの疑いがなかったか外部の弁護士による点検を行っています。

こうした中、教育委員会は24日会見を開き、41件の中に横浜市立の同じ学校に通う生徒2人が令和4年度に相次いで自殺した事案があったことを明らかにしました。

このうち1人の生徒については遺族からいじめの訴えがあり、いじめ防止対策推進法で定める「重大事態」として今後調査することを検討しているということです。

法律では、いじめによって自殺や不登校などが起きた場合、再発を防止するため速やかに「重大事態」として調査するよう義務づけています。

その調査をまだ始めていないことについて、教育委員会は「遺族の意向を最優先に判断したが、国のガイドラインに合っていないところもあるかもしれない」と話しています。

また、もう1人の生徒については、専門家による詳細な調査をすでに行っているということです。

同じ学校で生徒の自殺が相次いだことについて、横浜市教育委員会は「あってはならない事態で、大切な子どもの命を守れなかったことを深く反省している」と話しています。

 

 ああ、NHKはいまだに国内のニュースでは元号を使ってるんだね。同じNHKでも解説や企画ものでは西暦しか使われていないニュースが増えた印象はあるけど。

 上記コメントは天皇制に関する記事。天王星が自然消滅するかどうかは議論が分かれているようだけれども、少なくとも1972年当時と比較したら、元号の使用頻度が極端に少なくなっていることは、朝日新聞毎日新聞、というか産経(放送ではNHK)を除く一般紙や経済紙で当時の紙面と今の紙面を比較すれば一目瞭然だろう。元号は確実に廃れつつある。

 その流れに強情に逆らっているのが山本太郎元号新選組だ。何度書いたかわからないが、あの党名(組名)は本当になんとかしてもらいたい。

*1:理由はよくわからないが、私は子ども時代のその頃からあの一族を嫌悪していたのだった。

*2:あと、1972年から家で購読するようになった毎日新聞が、それまでとっていた朝日と比較して読売球団にネチネチ絡むような記事をよく書いていた印象があるので(たぶん当時毎日が読売に部数を多く奪われたことと関係があるのだろう)、その影響を受けた可能性がある。

衆院東京15区補選の最終日、東陽町と門前仲町を往復し、何人かの候補の最終街宣を横目に歩いた

 夕方に散歩がてら、永代通り東陽町から門前仲町、そこからまた東陽町、最後は木場まで1と4分の1往復してきた。いうまでもなく補選のいろんな候補の街宣を見るためで、実際に遭遇したのは地下鉄東西線東陽町駅前に止まっていた須藤元気選挙カーの女性の声、それからおそらく小池百合子が同乗してマイクを持って訴えていたのではないかと思われる選挙カー(あの声はたぶん小池自身だろうと思った。違っているかもしれないが)、それに東陽町から門前仲町まで練り歩く乙武洋匡陣営、これは永代通りの南側を歩きながら北側を練り歩く彼らの様子を見ていたが、途中で吉川里奈陣営の前を通りがかる時にはどうなるだろうかと注目していた。しかし両陣営とも愛想良く挨拶を交わしていたようで、どっかの黒川一派みたいな乱暴狼藉に及ぶ気遣いなど一切ない紳士的なものだった。

 私が見た中で一番盛り上がっていたのは門前仲町での日本保守党の街宣だった。門仲での街宣は永代通りの北側でやるに違いないと思ったから北側に移って歩いていたら案の定出くわしたが、よりにもよって一番出くわしたくない保守党に遭遇してしまった。しかしこの保守党の街宣が、今日見た中では人出も最多なら熱気も最大だった。裏を返せば一種異様な雰囲気で、日の丸の連中がしゃがんで陣取っているなど、いかにも極右候補の街宣らしく、正直言ってちょっと怖さも感じた。あれでは極右人士たちの内輪での盛り上がりはすごくても、一般の人々はドン引きしてしまうのではないか。

 同じ門前仲町でも日本保守党よりも西の清澄通りとの交差点付近で最終街宣をやっていた維新は、日本保守党と比較すると人出が少なそうに見えたし*1、盛り上がりにもやや欠ける印象を受けた。だがその反面、維新の方が保守党と比較すればずっと「普通」だなと思った。私の記憶に強く残っているのは2013年の都議選の維新候補の応援に故石原慎太郎と当時大阪市長橋下徹が今回と同じ門仲にやってきた時の街宣だったが(私はブログ記事に取り上げるために見に行ったのだった)、この時の人出は本当にすさまじかった。一方今回は、その時の人出や熱気には全く及ばなかった。しかし2013年の都議選の結果は維新の惨敗だった。つまり、街宣が盛り上がったからといってそれが結果につながるとは限らないということだ(今回の保守党もそうなる可能性がある)。なお保守党候補の飯山陽の顔はよくわからなかったが維新候補の金沢結衣の顔はかなりよく見えた。これまでに1万5千回の辻立ちをやったという金沢候補だが、私が遭遇したのは今回が初めてだった。

 なお、維新の最終演説に関してはこんなXがある。

 

 

 ああ、それをやったのか‥‥

 私は馬場や吉村が来ていたことさえ知らなかった。私は関西出身なので彼らが大阪弁で喋っていたら気づいたはずだが気づかなかったから、私が通りがかったのは運良く彼らの演説のタイミングではなかったのだろう。

 それから永代通りの南側に戻って東に引き返す途中で、乙武陣営の練り歩きと遭遇し、候補者の乙武洋匡とも接近遭遇した。結構人懐っこい笑顔を浮かべてたっけな。でもこの陣営が「小沢一郎」の一件をやらかしたと思うと、人は見かけによらないものだなと思わずにはいられなかった。今回私がもっとも接近遭遇して、顔までよく見えたのはこの乙武候補だった。それから東陽町に戻ると吉川里奈が最終街宣をやっていたが、人出は保守党や維新よりずっと少なかった。応援演説で立民の悪口が出てきたが、今回の補選では立民批判が当の立民公認の酒井候補を除く全候補の定番になっているようだった。その吉川候補の街宣から離れて永代通りの北側を歩いていたら、酒井候補の選挙カーが西からやってきて、酒井候補と思われる女性が選挙カーの助手席から手を挙げていた。これが19時55分頃。同候補の最終街宣は豊洲だったらしい。それでなかなか遭遇しなかったわけだ。同候補の選挙事務所は木場にある。私は選挙戦を終えた同候補が選挙事務所から出てきて、スタッフと「お疲れさま」のハグをしているところを見届けて、今日の散歩のスケジュールを終えて帰宅した。実は今回は最後に木場に着くのがその時間帯(20時ちょっと過ぎ)になるように計算して散歩したのであって、誰がどこで街宣するのか等の情報は全く把握していなかった*2。酒井事務所の前には特に人だかりも何もなく、私も通りすがりの人間を装ってハグの場面の横を通過したのだった。もちろん写真などは撮っていないし、酒井候補の表情も見えなかった。それは拍子抜けするほど普通の選挙戦終了の光景であり、周りには選挙関係者以外には通行人しかいなかった(ように見えた)。その普通さがかえって印象に残った。

 そうそう、書き忘れていたが今日はチャリに乗りながらの秋元司候補の街宣に二度も遭遇したし、もう暗くなってからの時間帯には永代通りをやはりチャリに乗って東に進む、服やタスキに多くの電球をまとった須藤元気候補も見た。

 幸い、黒川一派とは全く遭遇しなかった。彼らはどこで何をやっていたのだろうか。

 今日のところは、各候補とその陣営の方々に「お疲れさま」というほかない。

*1:実際にそうだったかは知らない。少なくとも私が通過したタイミングにおいては維新は保守党と比べておとなしめだったから、そう見えただけかもしれない。

*2:本当は酒井陣営の選挙事務所が木場にあるから、同候補の最終街宣はその木場を挟んだ東陽町門前仲町のどちらかではないかと当てこんでいたのだが、その期待はみごとに外れたのだった。同陣営のスケジュールを調べるほどには応援に熱心でなかったといえるかもしれない。

【コメント欄】「自民党が権力の座にある限り、責任を取るどころか悪事の隠蔽に走る」との弊ブログの意見に、管見人さんからはご賛同いただいたが、泉健太支持者の金柑さんには「戦う前から腰が引けてるようでは国民の信望を失うが、ワナに突っ込むのも愚かとみなされる」と言われてしまった

 さっき投票所前を通りがかったら、NHK朝日新聞共同通信・TBS連合軍が期日前投票出口調査をしていた。後者はすれ違う時に腕章を読み取った。選挙で出口調査に答えたことは一度だけあるが、その時は調査員はタブレットは使ってなかった。今回は両者ともタブレットを用い、NHKの調査員は画面から目を逸らせて「見てませんよ」とアピールしていた。朝日共同通信TBS連合軍とおぼしき調査員は別の出口でも待ち構えていたので、ずいぶん物々しいなと思った。以上から、期日前の出口調査に関しては朝日と共同とTBSは同一ソースを使うとみて良いだろう。なお私自身は期日前投票はしていない。明朝投票することに決めている。

 ところで、最近は別のブログ、それもご自身の支持する政治家とはかけ離れた政治的志向を持つはずのブログのコメント欄でご活躍するようになったらしいと仄聞する某コメンテーター氏が、弊ブログの度重なる泉健太批判に堪忍袋の尾でも切れたのか、久々にコメントを寄越してきた。どうやらその直前にいただいた管見人さんのコメントに刺激されて書かずにはいられなくなったような気配がある。こういう経緯を見ると、当該人物はやっぱり以前弊ブログの常連コメンテーターだったあの方と同一人物なのではないかと疑わずにはいられないが、以下にお二方のコメントを紹介する。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 管見

自民党が権力の座にある限り、責任を取るどころか悪事の隠蔽に走る」と言うご意見に賛成です。

文革の終焉時に、江青たち四人組は逮捕されて厳しく裁かれました。
文革に苦しめられた中国人は生ぬるいことを言わず、「水に落ちた犬」を叩きのめしたのでした。

「水に落ちた犬は叩け」で検索したら、魯迅の意図を捻じ曲げて、「日本人の不寛容さの現れ」的に解釈してるる者が多くて呆れました。
3K新聞は自民党のためにワザと書いてるようで、見出しを見ただけで「ふざけるな」と思いましたが、プレジデント社のサイトに生物学者池田氏まで、そんな風に書いてるのにはガッカリしました。
(この先生は専門外ではアレな発言が多いようです)

「人に噛み付く性悪な犬は、助けてやっても感謝するどころか、図にのって噛み付くだけだから、叩きのめさなければならない」という魯迅の苦々しい皮肉らしいけど、理解出来ない人が多いようですね。

 

 金柑

 政権交代直前の麻生内閣が何をしたか振り返ると
リーマンショック後の大判振る舞い+財源を過剰な基金として積み上げてた=財政的な焦土作戦を実行したと言えます。
これは、ツケというより意図的な民主党政権対策です。

戦う前から腰が引けてるようでは国民の信望を失いますが、ワナに突っ込むのも愚かとみなされるでしょう。

やはり極端ではなく、ワナと見破り逆に利用し勝利をつかむくらいのしたたかさが無いと威信は得られません。

 

 麻生太郎政権のリーマンショック後の大盤振る舞いは、政権交代を控えた民主党財政支出をできなくするための「焦土作戦」なんかじゃなくて、あの時には世界各国で行われた普通の財政政策だったというか、むしろ中途半端さが批判されていたくらいだったと記憶してますけど違いますかね。金柑さんはなんでそんな変な陰謀論に走ってしまわれるのでしょうか。民主党を陥れるための作戦だったというエビデンスあるいは状況証拠でもあるのならそれを示してください。寡聞にして私は知りませんが。

 それと、後半は現在の岸田政権のことでしょうが、「ワナに突っ込むのも愚か」と仰いますけど、岸田文雄がどんな狡猾な罠を仕掛けているというのでしょうか。具体的な指摘がなければ議論に説得力は全くありません。

 もしかしたら、麻生政権の政策と同じように金柑さんの妄想に基づくものなんじゃないですか?

 私は、岸田の後継を狙うはずの自民党の政治家たちにとっても政策が手詰まりになっているので、総理大臣にはなりたいけれども現在のような難局を乗り切れる自信は誰も持っていないんじゃないかと推測しています。

 だから、あれほど内閣支持率が低いのに、岸田が「再選の目処が立った」などと思っているらしいとの報道が出てくるんだと思います。

 つまり、金柑さんが「ワナに突っ込む」と仰るそんなワナなんて現実に存在するはずがあるまいというのが私の意見です。岸田なんてそんな知恵者じゃありませんよ。彼らはもう政策に行き詰まっている上に、積年の自民党の腐敗も今は一気に噴出してますから、立民をはじめとする野党は、可及的速やかに政権交代の準備をしなければならないところですが、これまで政権交代など5年後の課題だと思い込んで悠長に構えていた泉健太ら立民右派には大きな不安があると思います。

 それにしても、金柑さんはなんであんなブログに出入りされるんですかね。それが一番信じられません。あそこでは立民の泉健太支持者は「敵の敵は味方」式の論理によって優遇でもしてくれるんでしょうか。私は(時間の無駄だから)見に行かないのでよくわかりませんけど。