多くの人が面白いと思う文章とは?

仕事が忙しくて、しばらく更新できないでいた。


仕事があるというのはありがたいことだけれど、ストレスも溜まっていく。
他の人のトラブルに巻き込まれたり、思わぬケガをしてしまったり、あることを知らなかったことで痛い目に遭ったり、春の嵐のような日々に心身ともに疲れてしまって、ふと思った。文章が書きたいと。


文章が書きたい。それも自分が書きたいと思う文章を。
書きたいことを書いてしまえば、脳内は凪ぐのではないだろうか、と。


もちろん、このブログに縛りなく書きたいことを書いてしまってもいいのだけれど、そうしたとしてどれほどの人がその文を面白いと思うだろうか。果たして、脳内の春の嵐言語化したとして、興味を持ってもらえるだろうか。そもそも読んでもらえるのか疑問だ。


人それぞれ興味を持つことはちがう。また、面白いと思うこともちがう。


自分的には、面白いというのは、なにか発見があったり、知らなかったことを知ることができると面白いと思うのだけれど、それは他の人も同じなのだろうか。多くの人が面白いと思う文章とはどういう文章なのだろう?


万人が面白いと思う文章はないわけだが、まぁ大多数の人(7割とか8割とか?)が面白いと思う文章と言うのは実際あるのではないだろうか。


自分のオリジナルの文章で、面白いと思ってもらえるような文章を書いてみたい。
自分の脳内を垂れ流すような文はおそらく面白くない。
文脈があって、オチがあって、最後に「ほうほう」とうなずいてもらえるような、そんな文章が書けるようになりたいと、思っているのだが…。


多くの人が面白いと思う文章について、もう少し考えてみたいと思う。


長くなってしまったので、このへんで。
ストックがあったら、また予約更新します。(予約更新はPM9時の予定)



フリーレンを読んで、考えたこと(その5)

その5になってしまった。「まだ書くことがあるの?」というより、
komoko.hatenablog.com
その4で告知していたフリーレンの2巻の名言の続きだったりする。


例によってネタバレありなので、ネタバレを踏みたくない人はそっ閉じ推奨。

続きを読む

フリーレンを読んで、考えたこと(その4)

「フリーレンを読んで、考えたこと」もうその4になってしまった。
まぁその1の以前にフリーレンについては
komoko.hatenablog.com
ここで書いているのだけれど、上記の記事はうまくまとまっていない。(テーマが大きいというか重すぎて)
とりあえず、上記の記事は「その0」ということでカウントしておこう。


今日もフリーレンを読んで(主に2巻)考えたことを書いてみるので、ネタバレを踏みたくない人は、そっ閉じ推奨。

続きを読む

フリーレンを読んで、考えたこと(その3)

フリーレンに出てくる<魂の眠る地 オレオール>についてちょっと考えてみたので書いてみる。

ネタバレを踏みたくない人は、そっ閉じ推奨。

続きを読む

意見の相違についての考察

「これまでもなんとかなってきたのだから、なんとかなるだろう」というのは、このブログでもよく書いてきたことだ。


この言葉は、ある程度年をとって、経験があるから言えることで、もし経験がなかったら、そうは思えないだろうなと。


つい先日、真っ向から自分の考えを否定されることがあった。
仕事に関係することなので、具体的には書けないけれど、少しでもわかりやすくするために書くと、自分ではAという現象が起きて、それはBが原因だと思ったとそう言ったところ、Aという現象はごく一般的によくある現象。それがBが原因だとするのはおかしい、あなたはAという現象にこだわりすぎだ、と。


まぁ結局のところ、Aという現象にこだわりすぎるな、気にするな、スルーしてもかまわないということなのだろう。


自分が問題だと思った現象Aについて、こだわりすぎと言われ、いい気持ちはしない。原因Bも自分なりに考えたものだったが、それについても鼻で笑われた。いい気持ちはしなかったけれど、自分の意見や考えが通らないことはこれまでも何度もあったし、言い換えれば経験済みで、この経験が自分としてはプラスになっているなぁと。


なんでも自分の意見や考えが通ると思わないこと。


自分の意見や考えを表明しても、一蹴(いっしゅう)されることがあるということ。


自分は認められていないと言うか、非力というか、ちっぽけな存在に思えてしまうのだけれど、それはそれで仕方がないとも思う。自分の実力不足もあり、結果を出していないということなのだと思う。それでつい、結果を出そうと焦ってしまうのだけれど、焦っても空回りしてむしろ悪い結果になったりする。


成功経験は大事だ。
でも失敗した経験も大事だと思う。


失敗した経験。どうして失敗したのか、どうしてうまくいかなかったのか考えるようにしている。
これは若い頃はしなかったことで、とにかく失敗を忘れようとしていた。そうしないと前に進めないと思っていたフシがあった。


それは下記の本の中にあった

処理可能感、つまり、つらいことが起きても「自分なら大丈夫、なんとかなる」「私なら乗り越えられる」と思える感覚
「なんとかなる」と思えるレッスン 首尾一貫感覚で心に余裕をつくる より

この「処理可能感」が若い頃はなかったせいだと思う。自分でどうしようもなかったら、忘れるという「逃げ」で、自分を守るしかない。

処理可能感が低かったとしても、相談していくうちに解決の糸口を見つけて解決できれば、それが成功体験になります。


すぐに解決するのが難しくても、新たな考え方などを得て「知力」という資源になれば、処理可能感は高まっていくでしょう。
「なんとかなる」と思えるレッスン 首尾一貫感覚で心に余裕をつくる より

こう本には書かれているが、それが難しいタイプの人もいるということが考えられていないように思う。アドバイスとしては有効かもしれないが、かなりハードルが高いことが書いてあって、うーむと思ってしまう。


私の「これまでもなんとかなってきたのだから、なんとかなるだろう」という考え方は成功体験に基づくもので、かなり驕った、思いあがった考え方だと今思う。ポジティブな考え方で、自分を支える言葉ではあったけれど、一個人の経験に基づくものでしかなく、誰にでも言ってよいものではない。そもそも当人にその「なんとかなってきた」という感覚がなかったら?誰かに相談することもできず、本など読んでも役に立ちそうになかったら?自分の意見や考えが一蹴される(否定される、拒否される)ことに慣れていなかったら?


私の場合、自分の意見や考えが一蹴されても、簡単に撤回するつもりはない。
今でもAという現象が起きて、それはBが原因だと思っている。


それを鼻で笑われても、その人にとって鼻笑い案件であっただけで、その人にとってたいした問題ではないということなのだろ思う。
つまり問題の重要性の差は人によって違うということで、簡単にいえば、Aという現象は、鼻で笑った人にとって他人事にすぎなかったということだ。


なので、そんなにショックを受けることはなく、簡単に言えば「意見の相違」で、良いとか悪いとかではない。


どうしても自分の意見が「いい」とか「正しい」とか思ってしまいがちだけれど、意見というのはそう単純に割り切れるものではない。
最近は自分の意見と他者の意見は「色」が違っていただけで、良いか悪いかではないと思うようにしている。


長くなってしまったので、このへんで。
ストックがあったら、また予約更新します。(予約更新はPM9時の予定)


読んだ本



フリーレンを読んで、考えたこと(その2)


引き続き、フリーレン(主に1巻)を読んで考えたことを書いてみようと思う。


ネタバレありなので、ネタバレを踏みたくない人は、そっ閉じ推奨。

続きを読む

フリーレンを読んで、考えたこと(その1)

フリーレン、漫画の方の感想というか考察というか、いろいろ考えたことを書いてみる。
ネタバレありなので、踏みたくない人はそっ閉じ推奨。

続きを読む