フリーレンを読んで、考えたこと(その5)

その5になってしまった。「まだ書くことがあるの?」というより、
komoko.hatenablog.com
その4で告知していたフリーレンの2巻の名言の続きだったりする。


例によってネタバレありなので、ネタバレを踏みたくない人はそっ閉じ推奨。

続きを読む

フリーレンを読んで、考えたこと(その4)

「フリーレンを読んで、考えたこと」もうその4になってしまった。
まぁその1の以前にフリーレンについては
komoko.hatenablog.com
ここで書いているのだけれど、上記の記事はうまくまとまっていない。(テーマが大きいというか重すぎて)
とりあえず、上記の記事は「その0」ということでカウントしておこう。


今日もフリーレンを読んで(主に2巻)考えたことを書いてみるので、ネタバレを踏みたくない人は、そっ閉じ推奨。

続きを読む

フリーレンを読んで、考えたこと(その3)

フリーレンに出てくる<魂の眠る地 オレオール>についてちょっと考えてみたので書いてみる。

ネタバレを踏みたくない人は、そっ閉じ推奨。

続きを読む

意見の相違についての考察

「これまでもなんとかなってきたのだから、なんとかなるだろう」というのは、このブログでもよく書いてきたことだ。


この言葉は、ある程度年をとって、経験があるから言えることで、もし経験がなかったら、そうは思えないだろうなと。


つい先日、真っ向から自分の考えを否定されることがあった。
仕事に関係することなので、具体的には書けないけれど、少しでもわかりやすくするために書くと、自分ではAという現象が起きて、それはBが原因だと思ったとそう言ったところ、Aという現象はごく一般的によくある現象。それがBが原因だとするのはおかしい、あなたはAという現象にこだわりすぎだ、と。


まぁ結局のところ、Aという現象にこだわりすぎるな、気にするな、スルーしてもかまわないということなのだろう。


自分が問題だと思った現象Aについて、こだわりすぎと言われ、いい気持ちはしない。原因Bも自分なりに考えたものだったが、それについても鼻で笑われた。いい気持ちはしなかったけれど、自分の意見や考えが通らないことはこれまでも何度もあったし、言い換えれば経験済みで、この経験が自分としてはプラスになっているなぁと。


なんでも自分の意見や考えが通ると思わないこと。


自分の意見や考えを表明しても、一蹴(いっしゅう)されることがあるということ。


自分は認められていないと言うか、非力というか、ちっぽけな存在に思えてしまうのだけれど、それはそれで仕方がないとも思う。自分の実力不足もあり、結果を出していないということなのだと思う。それでつい、結果を出そうと焦ってしまうのだけれど、焦っても空回りしてむしろ悪い結果になったりする。


成功経験は大事だ。
でも失敗した経験も大事だと思う。


失敗した経験。どうして失敗したのか、どうしてうまくいかなかったのか考えるようにしている。
これは若い頃はしなかったことで、とにかく失敗を忘れようとしていた。そうしないと前に進めないと思っていたフシがあった。


それは下記の本の中にあった

処理可能感、つまり、つらいことが起きても「自分なら大丈夫、なんとかなる」「私なら乗り越えられる」と思える感覚
「なんとかなる」と思えるレッスン 首尾一貫感覚で心に余裕をつくる より

この「処理可能感」が若い頃はなかったせいだと思う。自分でどうしようもなかったら、忘れるという「逃げ」で、自分を守るしかない。

処理可能感が低かったとしても、相談していくうちに解決の糸口を見つけて解決できれば、それが成功体験になります。


すぐに解決するのが難しくても、新たな考え方などを得て「知力」という資源になれば、処理可能感は高まっていくでしょう。
「なんとかなる」と思えるレッスン 首尾一貫感覚で心に余裕をつくる より

こう本には書かれているが、それが難しいタイプの人もいるということが考えられていないように思う。アドバイスとしては有効かもしれないが、かなりハードルが高いことが書いてあって、うーむと思ってしまう。


私の「これまでもなんとかなってきたのだから、なんとかなるだろう」という考え方は成功体験に基づくもので、かなり驕った、思いあがった考え方だと今思う。ポジティブな考え方で、自分を支える言葉ではあったけれど、一個人の経験に基づくものでしかなく、誰にでも言ってよいものではない。そもそも当人にその「なんとかなってきた」という感覚がなかったら?誰かに相談することもできず、本など読んでも役に立ちそうになかったら?自分の意見や考えが一蹴される(否定される、拒否される)ことに慣れていなかったら?


私の場合、自分の意見や考えが一蹴されても、簡単に撤回するつもりはない。
今でもAという現象が起きて、それはBが原因だと思っている。


それを鼻で笑われても、その人にとって鼻笑い案件であっただけで、その人にとってたいした問題ではないということなのだろ思う。
つまり問題の重要性の差は人によって違うということで、簡単にいえば、Aという現象は、鼻で笑った人にとって他人事にすぎなかったということだ。


なので、そんなにショックを受けることはなく、簡単に言えば「意見の相違」で、良いとか悪いとかではない。


どうしても自分の意見が「いい」とか「正しい」とか思ってしまいがちだけれど、意見というのはそう単純に割り切れるものではない。
最近は自分の意見と他者の意見は「色」が違っていただけで、良いか悪いかではないと思うようにしている。


長くなってしまったので、このへんで。
ストックがあったら、また予約更新します。(予約更新はPM9時の予定)


読んだ本



フリーレンを読んで、考えたこと(その2)


引き続き、フリーレン(主に1巻)を読んで考えたことを書いてみようと思う。


ネタバレありなので、ネタバレを踏みたくない人は、そっ閉じ推奨。

続きを読む

フリーレンを読んで、考えたこと(その1)

フリーレン、漫画の方の感想というか考察というか、いろいろ考えたことを書いてみる。
ネタバレありなので、踏みたくない人はそっ閉じ推奨。

続きを読む

書きたいこととか生存証明のためのブログとか

「手元に置いて繰り返し読みたい本、その本についてあれこれ書きたいと思うほどの本」に出会ったとして、本の感想をまた書きたくなることもあるかもしれないけれど、それよりは「心の中にしまっておいて熟成させたもの」を文章にしてここに載せたい。

ということを下の記事で書いた。
komoko.hatenablog.com


そして、書いて何日も経たないうちにジレンマに陥っている。
本の感想を書きたい。やっぱり書きたい。
一読者としての感想で、そんなにたいそうなことは書けやしないのだから、ささやかながら自分のブログの1ページに残したい。
そう思ってしまうのは、自己顕示欲がやっぱり残っているからだろうか。


そもそもこのブログも自己顕示欲、承認欲求から始まったようなものだし、読みたい人が読んでくれればいいというスタンスは変わらないけれど、なんというか存在証明というか、まだ生きている証明にはなるので、更新しているところもある。


生存証明のためのブログ。


そんなこと言ったって中の人が変わってる可能性もあるじゃないかという話は置いておいて、とりあえず中の人は開設以来変わっていないと思ってほしい。中の人の文体とか考え方とか少しずつ変わってきているかもだけれど、でもまぁ根本的なところはあんまり変わっていないんじゃないかと思う。


書きたいこと(書き残したいこと)を書くというスタンスは変わらないので、書き残したくないことは容赦なく後から消している。


ここ(ブログ)は自分の城で自分の領域だから、どうとでもできる。そこが面白い。
コントロールできないものばかりの世界で、ここ(ブログ)だけは好きなようにできる。好きなことを書ける。
ゆえにハマる。ハマって抜け出せなくなる。


抜け出せないのなら、いっそ楽しんでしまえ。
そう思っている。


そして、さっきも書いた『生存証明のためのブログ』。
まだ生きてるよ。
時々更新してるよ。
2007年に始めたから、今年で17年になるよ。


あ、そんなもんなんだね。
うん、そんなもの。


ブログの先輩はたくさんいるし、同じ頃に始めて今も続いているブログもいくつも知っているし、まぁ17年というのはたいしたことはないと思っている。私の場合、やめなかっただけ、ただそれだけ。


というわけで、ブログは自分の城で自分の領域。「本好き」「書くのが好き」な者としては本の感想も書きたい。
隠して温め続けるのもよいけれど、でも本の感想、考察も書きたい。あ、漫画の感想(考察)も書きたい。


長くなってしまったので、このへんで。
ストックがあったら、また予約更新します。(予約更新はPM9時の予定)