寸暇惜しむマン


1日24時間。全ての人に平等に与えられている時間の長さである。


自分自身のこれからの「人生の時間」を計算したことってありますか?


自分がこれから先、80歳まで生きられるとして与えられた時間は、


417,384時間 (48年×365日×24時間−129日×24時間)しか


ない計算となる。内4分の1は、潜在意識時間である睡眠である事を考慮すると「意識時間」は僅か10万時間。
「仕事時間」を差し引き、私的時間を割り出そうとし、我が目を疑った。


この時間をどう使うか、自分自身の「決め」の問題である。誰も教えてくれないし、どんな使い方をしてもお咎め
ない。その代わりに「結果に対する責任」は自分で取らねばならない。


むしろ人の言う通りにやって上手くいく人生など面白い訳が無い。不確実性が増す現代だからこそ、「未知の世界に
チャレンジしがい」があるとさえ言えるだろう。


限られた時間を無駄に過ごさないよう「小さなこと」から始めよう。そう考えるきっかけを与えてくれた。


「考える癖」と「空白の時間を作らない事」


「知」を磨く事は「損しない生き方」を導き、一日の中で「何も考えていない時間」が結構多い事に気づいたからだ。


「通勤のバスを待つ時間」、「エレベーターを待つ時間」、「病院の待ち合い室で過ごす時間」。積もり積もれば結構な
時間になる。


私は自らを「寸暇惜しむマン」と称し、北京語のノートを肌身離さず、これらの時間を「北京語学習」の時間に充てて
いる。


年明けに同期に「今年の目標は、北京語をビジネスができるレベルにまで上達させる」と大見栄を切った手前もある。


この癖を持つ事で思いがけない波及効果は、妻も「寸暇惜しむウーマン」に変身し、無駄な時間
を惜しむという意識が彼女にも芽生えた事だろうか。


今年の「流行語大賞」を期待するのは、いささか気の早い話というべきか?(笑)

通勤を楽しむ


住まいを移ってから現在、通勤手段として実は5つの異なる方法を用いている。

  1. 大型バス
  2. 小型バス
  3. 路面電車
  4. タクシー
  5. 徒歩


それぞれ特色と楽しみがあり、優劣を付けるのは難しいが、何が面白いかと言えば、全てにおいてルートが異なる
事である。


家を出てからの前半は、「新しい街並みを知る」の楽しさを覚え、到着までの後半は、「勝手を知った筈の街にも
新しい風景がある事を再認識する」事の楽しさをかみ締め、一度で二度美味しい思いをしている。


例えば一つ手前のバス停で降り、朝早くから汗を流し働く人の表情を眺めたり、洒落た店を探し当てたりと、早起き
以上に私を清々しい気分にさせ、心を満たしてくれる。


今朝見つけた花屋で心を動かされた「胡蝶蘭」を買って帰ろうか。妻も私のこの清々しい気持ちと花の美しさに共鳴
してくれる事だろう。


仕事だけでなく、日々の生活をも「ルーティンワーク化」する事に慣れている真面目なあなたへ。


「違う時間に家を出、違うルートで会社に行って見ては?」 いつもと違う風景と共に、いつもと違う事を感じる新たな
自分に出会えるかも知れませんよ。

「匂い」から学ぶ文化の違い


「香港って独特の匂いがあるね」妻が香港に降り立った時に開口一番発した言葉だ。


「香りは、その国の嗜好を表す。」という事を定義付けてみたい。


「嗅覚」と「味覚」が繋がっている事からも理由付けされるだろう。鼻を摘まむと味を感じる事ができないのはそれを
示す一つの事実である。


個人的な見解であるが、香港には大きく分けて3種類の独特の匂いがあると思う。1つ目は、街市*を筆頭に乾物・
魚の干物の生臭い匂い、2つ目は過度とも言える香料の匂い、3つ目は消毒剤の匂い。


* 街市(ガイシ):香港の卸売市場。野菜・肉・魚・乾物全ての食材がここで揃う。


生臭い匂いは、その食材を使って調理される香港料理の食文化をそのまま映し出していると言える。


香料の匂いは、石鹸やシャンプーそして、芳香剤といったものが挙げられるが、日本のそれの何倍もの効果を発揮
する程の強烈な匂いを放っている事が多い。


消毒剤の匂いは、良くホテルやマンションの中で感じるもので、「プールの匂い」と錯覚する。生臭い匂いが強烈で
あるが故に、香りを強くして、匂いを消すという効果を狙うという意図を感じさせる。


2つ目、3つ目の匂いから読み取れる事は、香港では「臭い匂いを消す事=清潔になる」と信じている事である。矛盾
するは、汚いトイレに強烈な芳香剤を置いた所で更に匂いが複雑怪奇極まりない匂いを作り出している事だ。


話しは逸れるが、香港では冬場でもタクシーの中、ビルの中と至る所で冷房が効いている。冷房により空気を換気
して目に見えないサービスを提供していると提供側は言う。


しかし、良く見ると冷房のフィルターは真っ黒なのである。現実は換気が換気になっていなのである。この矛盾
を受け入れる事から香港を理解する第一歩を踏み出せるのかも知れない。


ところで人間の鼻はどんなに臭い匂いにも順応する便利な機能を持っている。例えばどんなに臭い場所に行っても
最初は耐えられないと思っていても、繰り返しその匂いを嗅ぎ続ける事を通して感覚が和らぎ以前程の不快感は
感じなくなるのはその機能のお陰だ。


香港独特の匂いを敬遠する前にその匂いがもたらす副次的な効果を探ってみると案外と自然に受け入れられたり
するものだ。それに加えて人間には、先に触れた素晴らしい「順応性」がある。


香港に来たら、「ショッピング」「食事」も大いに結構であるが、それらに加えてもう一つ楽しみとして、街市や老舗の店
や通りを訪れ、「香港の匂い」を感じてみてはいかがだろう?

妻のチャレンジ

Joe & Wynn



私を影から支える妻が香港で新たな事にチャレンジしている。


香港の子供に「日本語」を教えるというものだ。


張 老師 (04/04/04登場)の勧めで、ご友人の双子の4歳のお子さん
(JoeとWynn)に週1回2時間程、日本語を張 老師と共に教え始めて
かれこれ1ヶ月が経つ。


初めての経験に加えて、日本語でのコミュニケーションがままならない状況を唯一の伝達手段である「英語」を
使ってどう克服するか見守っていたが、音を上げず、むしろ子供達とのやり取り、彼らの上達振りについてを楽し
げに、そして興奮気味に私に語る姿を見て、我妻ながら「凄い!」と関心した。


4歳と言ってもちゃんと自我が確立しており、日本語を広東語と別の言語として受け止めている事、双子と言っても
全く別の人格を形成していて兄妹の関係がしっかりできている事等々、どれもとても新鮮な話しに映る。


お父さんであるByron氏によると、今まで二人の子供に「水泳」「ピアノ」「英語」を習わし、「日本語」に加えて、
近々、「舞踊」を習わせる予定だという。


香港の人は、子供の教育に対してとても熱心であるというのは、色々な所から耳にする。Byron夫妻の方針は、
所謂 「教育パパ・ママ」とは一線を隠す。


「子供が苦労せずに物事を吸収できる5歳までに色々な経験を積ませてやりたい。そして少しでも多くの可能性と
選択肢を二人に与えて上げたい。」


5歳を過ぎた時、何をやりたいのか彼らの自主性に委ねるという。子供への心からの愛情を肌で感じた。


言った事をスポンジのように吸収し、見事なまでに素晴らしい発音で復唱するJoe、甘えん坊だが芯の強い愛らしい
Wynn、今後の二人の成長が親ならずとも楽しみでならない。


そして、これからも妻の奮闘振りを彼女の一番の良き理解者として見守り、サポートしていきたい。

第一回 「張 偉 小姐 & 蒋 東強 先生 夫妻」

張 偉 小姐 & 蒋 東強 先生 夫妻



香港での生活がこれ程充実感と幸福感で満たされているのは、このお二人との
出会いを置いて他にない。


張 小姐* は北京のご出身で妻と私の北京語(以後、普通話)の老師**であり、
蒋 先生***は香港のご出身で張 小姐の旦那様である。


* 小姐 (シャオチエ)  : 中国語で「女性に対する呼び方」(〜さん)
** 老師 (ラオシー)    : 中国語の「先生」という意。
*** 先生 (シエンシャン) : 中国語で「男性に対する呼び方」(〜さん)


北京語(以後、普通話)のクラスレッスンの講師として出会い、プライベートレッスンを通して現在は旦那様の
蒋 先生を交えた家族ぐるみのお付き合いをさせて頂いている。


我々に「漢方の奥深さ」(29/03/04)を教えて下さった事、香港の結婚式に出席する機会を作って下さった事、
私の妻に子供達に日本語を教えるきっかけを与えて下さった事、家族の絆の大切さを教えて下さった事等々、
感謝の気持ちを綴るエピソードは数知れない。


張 老師の素晴らしさは、その「行動力」と努力を辛いものと捉えないその前向きな「姿勢」とユーモアのセンスに
ある。蒋 先生もまた、大変な努力家であると同時に家庭を第一に考える心の温かい方である。自立した「個」を
持ち、互いを尊敬しあう関係であるお二人は、我々の「理想の夫婦」である。


13年の日本生活を通して培った張 老師の日本語は、アクセント・文法共に「完璧」である。日本語でジョークを
交えながら、和やかな雰囲気を作り出し、授業をリードする術は圧巻である。


今でこそ、自由自在に日本語を操り、最近では日本語で物を読む方が心地良く頭に入ってくるという張 老師で
あるが、文化の壁を越えて、語学を習得するには相当な努力をされた事は想像に難くない。


張 老師は、広東語の習得においても、大変な努力をされた。


「広東語」と「普通話」を「関西弁」と「関東弁」の違いと同じように捉えている人がいるがそれは大間違いである。


類似する言葉は存在するが、まず読み方が根本的に違う。声調も普通話が4つしかないのに比べて、広東語は、
9つある。それぞれ普通話と広東語しか喋れなかったお二人が出会った当初は、会話もままならなかったそうだ。


それ以上に、張 老師にとって一番の壁を感じたのは、旦那様のお義母様とのコミュニケーションであったという。


伝えたい事が伝えられないもどかしさに加えて、中国と香港の文化の違いによる勝手の違いから、一時期は会って
も義母さんの目を見て喋れなかったそうだ。


張 老師は、その壁を持ち前の負けず嫌いな性格と努力で克服された。今では何を置いてもお義母さんに相談し、
互いの家を毎日のように行き来している程のご関係だとか。


日本語・広東語の言葉の壁をどう克服されたのかお聞きした所、とにもかくにも「喋る」事だと教えられた。


【張 老師の生き方に共鳴し、学ぶ事】

「目を逸らさず、現実を受け入れる寛容性を持つ事が大切である。自分を信じて努力を怠らなければ、道は開かれ
る。毎日を楽しんで生きる事で物事の見え方が変わってくる。」


「人情網」という「言葉」に触れたのは書籍を通してであったが、この言葉の持つ「意義」を体感できたのは、張 老師
と蒋 先生、お二人との出会いがあったからである。


お二人との出会いを生涯に亘って、大切にしたいと思う。


【張 老師のご経歴】

北京生まれ。北京にて大学卒業後、単身で渡日。福岡の大学と大学院で計6年学び、日本語教師の資格を取得。
その後、日本の電力会社に計7年勤務。卓越した語学力とコミュニケーション能力に加えて、物腰の柔らかさと
人当たりの良さから、中国からのお客様の接客には欠かせない存在となる。02年ご結婚を機にご主人の生まれ
育った香港に移り、現在に至る。7月下旬に第一子を出産予定。福岡の老舗ラーメン「一風堂」と旦那様をこよなく
愛する愛らしい妊婦さんである。


【蒋 先生のご経歴】

香港生まれ。香港大学卒業後、香港の電力会社に就職。仕事の傍ら、夜間でMBAを取得。広東語、北京語、英語
を自在に操る。更なるスキルアップを目指して、週末学校に通い英語を習い、自宅で奥さまより日本語を習うという
大変な努力家である。奥さまをこよなく愛する優しいパパである。

香港のラーメン博物館


ここ香港で日本ラーメン屋を名乗る店は数知れないが、「本物」を見つけた。


その名も、「日本ラーメン横丁」


横浜のラーメン博物館と同じコンセプトを日本に持ち込んだ形で、店内は60年代を再現してあり、日本人の店員の
「いらっしゃいませ」という掛け声が飛び交う。


北は北海道の「山頭火」から南は九州の「福福のれん」まで全から6つの日本のラーメン店が香港に集結。


「やさしい味わいの白いスープ」が自慢の「山頭火」を一番混み賑わっているという理由で選んだ。店内には10組程
の客がいたが、内半数以上は香港人。ラーメンが現地で認知されたのか、またはこの店の人気によるものか。まず
は試してみる事に。


触れ込み通り、日本の味を忠実に再現してある。「うまい!」思わず言葉が自然と漏れた。


特に「とんとろ醤油ラーメン」は、お勧め。豚一頭から200g程しか取れないというほほ肉をとろとろに煮込み別皿で
添えられてくる。くどくないとんこつベースのラーメンと相性ぴったりだ。


日本から出張・旅行で香港に来られ、「脂っこい中華料理はちょっと一休み」という方、是非香港の日本ラーメン
横丁をお試しあれ。


これからこの横丁に、度々顔を出す事になりそうだ。


日本ラーメン横丁」
MTRのCausewayBay駅 B出口より徒歩3分。Cannon st.とFaffe rd.の交差点。

人情網について(プロローグ)


「人情網」という言葉について馴染みの少ない人も多いと思いと思う。


この言葉は、私が香港に来て最初に学んだ中国社会を理解する上での大切な
キーワードの一つである。


「人情網」と題して、「自分に影響を与えてくれた人物」について記していく上で、まずこの言葉の持つ意味を
あらためて確認しておきたいと思う


「中国人と気分よくつきあう方法」(講談社出版)の著者である花澤 聖子さんによると、中国人は「人と人との関係」
をとても大事にして生活をしており、その関係を上手に作り、上手に保ち、上手に利用する事が上手に生きる「鍵」
であると御自身の中国滞在の経験を通して述べている。


自分を中心に、網の目のように広がる人間関係のネットワークを作り上げている。この「関係(ネットワーク)」こそが
「人情網」である。


紙の中心に小さな点で自分を置き、「同期」・「親戚」・「メンター」といった自分なりのキーワード毎に思い付くままに
自分に影響を及ぼした人物を書き出してみると良い。その点と点を結んでいくとその線は、本当にクモの巣の如く、
網の目を形成する。


如何に自分が様々な人に支えられて生きているかを再認識すると共に、この関係が一方通行とならない為に自分
自身がそれらの人々に対してできる事は何かを指し示すヒントを与えてくれるだろう。


私はこの「人情網」を単なる「人脈図」としてでは無く、上手に生きる術を享受させてもらった事を通して、それを
どうやってその人または、新たな人に対して還元(貢献)できるかを考えさせる「ツール」として捉えたい。


この「はてな日記」も形を変えた一つの「私の人情網」となればと思っている。