2006年に社会人になってから死ぬ気で働いてきた。
心筋梗塞で死にそうになって思った。
「死ぬ気で働く」の死ぬ気なんて、全然死んでない。
それは死に近くないのだ。
2007-2016年にお世話になっていたHatenaに、
ちょっと戻ってみようと思った2024年4月。
入社11年目。にして。初めて。字コンテを書くチャンスを頂いた。
今まで、企画の核を、画像とか言葉でペロッと出すことはしていたけれど、
コンテ化するのははじめててで。
3案出すのに、たぶん20時間くらいかかった。(夜なべ含めw)
ストプラは、嘘がつけない。事実をかく。そこから未来像を構想する。
未来像だから、事実や兆しをもとにしなければいけない。
逆に言えば、事実に正直にストーリーを組めばいい。
クリエーターは、違う。極論、嘘がつける。(というか誤魔化せる)
圧倒的ファクトも強いけれど、比喩だったり擬人化だったり、
喩えだったり、フィクションだったり、、、
そういう思考の幅を広げる作業がストプラの比じゃない感じがした。
まだ一回しかコンテ書いてないうえでの感想だけどw
元々、映像・グラフィック・Web、、、広告自体が好きだったから、
この経験はつらかったけれど、すごくENJOYできた。
「広告が好きだったから、広告会社にはいりました」
って言い続けてきたけれど、
ホンネのところは、
「好きな人にちゃんと、好きなんだ、って伝えられるような人になりたい」
と思ってた部分があって。
伝える表現。伝わる言い方。そこを深ぼれるクリエイターとは、
なんと過酷で素敵な職種なんだろう、と改めて思った。
世代論は、完全に信じていないけれど、
最近、局長やら執行役員やら専務やらと会話する機会がでてきて。
彼らの経験値に基づく引き出しはすばらしい。
一方で、それはあくまでも「過去」のことでしかない。
彼らの論理は、いつの時代も「本質は変わらない」というもの。
個人的には、そこが捻じれていると思う。
圧倒的なスピードで、人の価値観や幸福の価値観、
そういった類の本質が変容している、というのが実質だと肌で感じる。
その点における、オッサンたちと現場、の距離感・肌間の違いは、
ゆくゆく致命的になってくると思う。(というか、もうなっている気がする。)
タイトル「日本人の幸福って何なの?」。
私は日本に来るまで、日本は立派で偉大な国だと思っていた。
来日当初も、街の発展ぶりや人々の生活の豊かさを見て、私の国ベトナムとの差は大きいと感じた。
きっと日本人は自分の国に誇りを持ち、幸せだと感じているのだろうと思っていた。しかし、来日から10カ月が過ぎた今、実はそうではないように感じる。
日本は、世界でも自殺率が高い国の一つだという。電車の中では、睡眠不足で疲れた顔をよく見る。
日本人はあまり笑っていないし、いつも何か心配事があるような顔をしている。日本人は勤勉で、一生懸命働いて今の日本を建設した。
でも、会社や組織への貢献ばかり考え、自分の成果を自分が享受することを忘れていると思う。
ベトナムはまだ貧乏な国だが、困難でも楽観的に暮らし、めったに自殺を考えない。経済的豊かさは幸福につながるとは限らない。日本人は何のために頑張っているのか。幸福とは何なのか。
日本人自身で答えを探した方がいいと思う。
自分がみれる守備範囲でしかないけれど、
facebookや2chやtwitterやnewspicksやらを見ていると、
どうしてこう肩書を持っているオジサンたちは、
自分の主張ばかりで議論ができないんだろうか、と嘆きたくなる。
自分の視座でしか主張をしない印象。
そのスタンスには、オジサンたちの「守るべきもの」≒既得権益、
が関係しているのだろうか。
自分の立場上・しがらみ上の発言しかできない、
そういった暗黙のルール化がされているのだろうか。
ビジネスの現場で、日本の経済をバリバリ動かすのは、
間違いなくこの40代以上のオジサンたちだ。
彼らがディフェンシブに働くだけだったら、
若手は育たない、若手にその企業で働くメリットはない。
給与がオジサンたちで高水準で滞留・膨れ上がり、
数が少ない若手に給与がまわってこない。
オジサンたちよりも、未来の成長余地のある、
そして体力のある若手がどんどん流出していく。
企業の「手足」が抜けていく。
そんな危機感がまったくなさそうなオジサンたちに、
ほとほと絶望と嫌悪を感じる。
彼らを「動かす」にはどうすればいいのか。
最近もっぱらそればかり考えている。
同級生で、すごく言葉遣いがうまい人がいた。
その人は、出来事の機微や、人間関係の行間や、
自分自身が感じた事の咀嚼がすごく上手な人だった。
当時は携帯もそんなに普及していなくて、
FAXをメールがわりに使って、
今思えば軽い文通みたいなこと、その人としていた。
その人がずっと好きだった。
「あなたが好きです。」
なんて台詞は、芸がないのはわかっていた。
(直球がいい。という人ももちろんいるだろうけれど。)
でも結局、ぼく自身、好きと伝えることができなくて、
その人の発する言葉たちを、「拾って」「繋げる」ことしかできなかった。
「ずっとコミュニケーションしていたい。」
その想いを具現化するので精いっぱいだった。
「伝え方、伝える方法がわからない。」
というのがその当時の状況だった。
「広告はラブレターだと思う」
と誰かが一時期言っていたけれど、
ぼくの発想はそれに近いのかもしれない。
と最近再認識し始めている。
ぼくらのシゴトはもちろん、クライアントの商品を売ることだけれど、
その商品を売るために、顧客となりうる世の人たちに、
Charmingに「好きだ」と代弁して伝えられるようになりたい。
それでクライアントの商品と顧客が結ばれたなら、
そんなハッピーなことはきっとない。
感情が関係性を創る。そう信じている。
充実したライフスタイルの顕示欲。
シゴトの苦労の顕示欲。
仲間との楽しみの顕示欲。
一昔前のblogのスタイルに近いけれど、
それ以上に、オジサンどうしでdisりあったり、
若手のbloggerをたたいたり、
お上のお達しを批判したり。
そういう使い方はやめたほうがいいように思う。
facebookは、パブリック空間なんだと思う。
社交界や立食パーティの空気感に近い。
そんな空間で、自慢話や批判をする人がいるだろうか。
webは、メディアでもあるけれど、
それ以前にいろんな人の頭の中にある、
思想の集合体だ。
それが最近は、「ぶつかり合っているだけ」という印象。
国や経済の最前線にいるオジサンたちが、
そういう行動をしているのは、なにか違うように思う。
ナカノヒトヨさん(サザエさんbotのなかの人)の使い方。
いろんな思想をポジティブに集積してマッシュアップして。
未来につなげる使い方をした方が絶対にいい。
残念ながらピークはすぎてしまったけれど、
kickstarterとか、クラウドファンディング系のwebは、すごく正しいと思う。
そういう思考をもって、オジサンも行動してほしい。
日本の経済は、オジサンがまわしている。
きみたちの変化を期待するのは、もうやめたほうがいいのだろうか。
申し訳ないが、私は皇帝などなりたくない。
それは私には関わりのないことだ。
誰も支配も征服もしたくない。
できることなら皆を助けたい、ユダヤ人も、ユダヤ人以外も、黒人も、白人も。
私たちは皆、助け合いたいのだ。
人間とはそういうものなんだ。
私たちは皆、他人の不幸ではなく、お互いの幸福と寄り添って生きたいのだ。
私たちは憎み合ったり、見下し合ったりなどしたくないのだ。
この世界には、全人類が暮らせるだけの場所があり、大地は豊かで、皆に恵みを与えてくれる。
人生の生き方は自由で美しい。
しかし、私たちは生き方を見失ってしまったのだ。
欲が人の魂を毒し、憎しみと共に世界を閉鎖し、不幸、惨劇へと私たちを行進させた。
私たちはスピードを開発したが、それによって自分自身を孤立させた。
ゆとりを与えてくれる機械により、貧困を作り上げた。
知識は私たちを皮肉にし、知恵は私たちを冷たく、薄情にした。
私たちは考え過ぎで、感じなさ過ぎる。
機械よりも、私たちには人類愛が必要なのだ。
賢さよりも、優しさや思いやりが必要なのだ。
そういう感情なしには、世の中は暴力で満ち、全てが失われてしまう。
飛行機やラジオが私たちの距離を縮めてくれた。
そんな発明の本質は人間の良心に呼びかけ、世界がひとつになることを呼びかける。
今も、私の声は世界中の何百万人もの人々のもとに、
絶望した男性達、女性達、子供達、罪のない人達を拷問し、投獄する組織の犠牲者のもとに届いている。
私の声が聞こえる人達に言う、「絶望してはいけない」。
私たちに覆いかぶさっている不幸は、単に過ぎ去る欲であり、人間の進歩を恐れる者の嫌悪なのだ。
憎しみは消え去り、独裁者たちは死に絶え、人々から奪いとられた権力は、人々のもとに返されるだろう。
決して人間が永遠には生きることがないように、自由も滅びることもない。
兵士たちよ。 獣たちに身を託してはいけない。
君たちを見下し、奴隷にし、人生を操る者たちは、
君たちが何をし、何を考え、何を感じるかを指図し、
そして、君たちを仕込み、食べ物を制限する者たちは、君たちを家畜として、単なるコマとして扱うのだ。
そんな自然に反する者たち、機械のマインド、機械の心を持った機械人間たちに、身を託してはいけない。
君たちは機械じゃない。
君たちは家畜じゃない。
君たちは人間だ。
君たちは心に人類愛を持った人間だ。
憎んではいけない。
愛されない者だけが憎むのだ。
愛されず、自然に反する者だけだ。
兵士よ。
奴隷を作るために闘うな。
自由のために闘え。
『ルカによる福音書』の17章に、「神の国は人間の中にある」と書かれている。
一人の人間ではなく、一部の人間でもなく、全ての人間の中なのだ。
君たちの中になんだ。
君たち、人々は、機械を作り上げる力、幸福を作り上げる力があるんだ。
君たち、人々は人生を自由に、美しいものに、この人生を素晴らしい冒険にする力を持っているんだ。
だから、民主国家の名のもとに、その力を使おうではないか。
皆でひとつになろう。
新しい世界のために、皆が雇用の機会を与えられる、
君たちが未来を与えられる、老後に安定を与えてくれる、常識のある世界のために闘おう。
そんな約束をしながら獣たちも権力を伸ばしてきたが、奴らを嘘をつく。
約束を果たさない。
これからも果たしはしないだろう。
独裁者たちは自分たちを自由し、人々を奴隷にする。
今こそ、約束を実現させるために闘おう。
世界を自由にするために、国境のバリアを失くすために、憎しみと耐え切れない苦しみと一緒に貪欲を失くすために闘おう。
理性のある世界のために、科学と進歩が全人類の幸福へと導いてくれる世界のために闘おう。
兵士たちよ。
民主国家の名のもとに、皆でひとつになろう。