髑髏の檻 (文春文庫)

髑髏の檻 (文春文庫)

 

ちょっとテンションが落ちた気がするが、お兄ちゃん成分でカバーか。 

 

弁護士の血 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

弁護士の血 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 ダメ人間ぶってるわりにはとんだ超人ヒーロー主人公ものだった。よくできたエンタメ小説と思います。

 

パールストリートのクレイジー女たち

パールストリートのクレイジー女たち

 

 涙が出るほどに苛烈で自省的で愛おしい。バック・トゥー・チャイルドウッド。

垂里冴子のお見合いと推理 (講談社文庫)

垂里冴子のお見合いと推理 (講談社文庫)

 

 

Fate/Plus 虚淵玄 Lives 〜解析読本

 

Fate/Plus 虚淵玄 Lives 〜解析読本

Fate/Plus 虚淵玄 Lives 〜解析読本

 

 現在の自分は海外ミステリを主戦場にしているライターなので多少気が引けたのだが、昔取った杵柄で主にPhantom、ヴェドゴニア、ジャンゴについて書かせていただいた。

 かなり無理なスケジュールの中では、ま、ま、それなりのことを書いた気がするが、正面きって評論を書けばいいのか、書評的なスタンスで書けばいいのか最後まで迷ってしまったこと、また同時代性など評論的な切り口は横に置いて作品・作家論に始終したことを考えると、評論畑の方の原稿と比べると薄くなってしまったのではないかとちょっと心配。そのあたりは、この本のレビューが同じ作品に対して二人がレビューするという形式をとっているので、読み比べてみていただきたい(その心配があたっているかどうか、自分じゃちょっとよくわかんないのだ)。

 書いたあとで「これもうちょっと触れておけばよかったな」と思ったのはマイク・レズニックサンティアゴ』と『続・殺戮のジャンゴ -地獄の賞金首-』との関係について(確か、公開された虚淵玄氏の本棚の写真に『サンティアゴ』があったのだ)。

サンティアゴ』のネタバラしになってしまうので深くはツッコめないのがシャクだが、虚淵玄のリミックスの才能(については詳しく論に書いた)、すなわち借り物=偽物を本物たらしめる、もしくは本物の真髄を借り物であるリミックスが受け継ぎ、次の世代に繋げていくという行為、「オリジンではないという痛切な自覚」を暗示する『サンティアゴ』の物語の決着のつけ方に感銘を受けたはずの虚淵玄という作家と、この作家がアウトプットした『続・殺戮のジャンゴ』のイライザ・ウォーロックが「黒のフランコ」の名を継いだという物語の始まり方に関係がないと言うほうが難しい。というわけで面白いよ、『サンティアゴ』。

 銀河を股にかけ、悪虐の限りを尽くす稀代のならず者――そして、にもかかわらず手の甲に稲妻の形をした傷痕があること以外、全てが謎のヴェールに包まれた男〈サンティアゴ〉を追って多くの賞金稼ぎたちが〈辺境〉へと流れつく。そして今日もまたひとり、元革命家の名うての賞金稼ぎ〈ソングバード〉・カインが酒場で彼の情報を尋ねてやってきた……というところから賞金稼ぎたちのサンティアゴ争奪戦が始まって、というE・R・バロウズを愛してやまない作者のスペースオペラ(?)の傑作――スタイリッシュでクールでヒップな銀河的叙事詩。久しぶりに読み返したのだが、何度読んでも傑作だわあ。

 もちろん『Fate/Plus 虚淵玄 Lives 〜解析読本』はいい評論本……だと思います(実はまだ全部読めてない)。ゲーム・小説はともかく、監督、演出家をはじめとするスタッフの影響が大きいはずのアニメ・特撮の創作は虚淵玄個人に依るところがスポイルされるはずだという先入観があるので、評論の際に「これって虚淵玄についての評論としてこれ(アニメ)を評論していいんだろうか……」と悩んじゃうところだと思うのだけれど、果敢に挑戦されている印象で個人的なイイネポイントでございました。 

サンティアゴ―はるかなる未来の叙事詩〈上〉 (創元推理文庫)

サンティアゴ―はるかなる未来の叙事詩〈上〉 (創元推理文庫)

 

 

 

サンティアゴ―はるかなる未来の叙事詩〈下〉 (創元推理文庫)

サンティアゴ―はるかなる未来の叙事詩〈下〉 (創元推理文庫)

 

 

S.I.A. ―生徒会秘密情報部― (電撃文庫) 長月渋一

S.I.A. ―生徒会秘密情報部― (電撃文庫)

S.I.A. ―生徒会秘密情報部― (電撃文庫)

デビュー作でこれならば上手い。ボーイミーツガールの「ミーツ」を忘れていた過去に帰結させるのではなく、丁寧に描いていればもっと評価は高かった。

世界をおれのポケットに (創元推理文庫)

世界をおれのポケットに (創元推理文庫)

1959年本作発表時、ハドリー・チェイスはフランスに宅を構えていたはずである。

となればその時代のフランスにおいて自ずから連想できるものはヌーヴェルヴァーグ。その代表的な作品『勝手にしやがれ』がアンチ・クライマックスの作品であり、その文法が例えばハードボイルドに代表される「文学」ではなく、『拳銃魔』に代表されるフィルム・ノワールの作品群に、あるいはニコラス・レイの諸作品であるなどの映画作品の影響下にあったことを考えれば、同様にアンチ・クライマックスを得意としたハドリー・チェイス(中期以降)も文学作品を通してではなく映画作品を通してその文法を確立させていった作家と考えても中らずといえども遠からずではないか。

当然ながら、ディヴィッド・グーディスと同系列の作家と考えてもよいのではと思う。

『ミス・ブランディッシの蘭』等々の初期作品はまた別ね。

にゃんにゃん。

警鐘(上) (講談社文庫)

警鐘(上) (講談社文庫)

警鐘(下) (講談社文庫)

警鐘(下) (講談社文庫)

リー・チャイルドという作家は簡単に理解できるが、リー・チャイルドを挙揚する人間の気持ちは全く理解できない。

『アウトロー(上下)』に関しても読んだ直後の高揚感を落とし込んだ書評を書いたしそれはそれで別段貶されるべきものではない。が、が、が、その高揚感がなんだというのか。リー・チャイルドとはいわばアメリカ的なおバカで野蛮で自分の正しさに疑問を感じない「感性のなさ」を売り物にしている作家である。確かにその技巧、ひいてはエンターテイメントとしての完成度には目を見張るが、この作家が巨匠として認められる世界にあって世の小説家(ミステリ作家)は彼の者に巨匠の名を譲ってしまった己を恥じるべきではないか。何が言いたいかというと、自分にはバカでマッチョなアメリカ人の血は流れていないというポジショントークの言い訳でありました。