苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

有朋自遠方来

 今朝は、朋有り遠方より来たるで、短い時間だったけれど金太郎の池の周辺を散歩して楽しかった。大学時代の友人M君で、卒業後は久しく会うことがなかったのだが、12,3年前私がまだ信州小海にいたとき、一度ちょうど仕事で上京するタイミングと、クラス会のタイミングが合ったので参加したら会うことができたのだった。今回は、北海道を釣り三昧の旅をしているとのこと。

 春の日差しの下、池の周り林の中を、お互いの近況、仕事、家族のことを語らううちにあっというまに時間がたってしまった。お互い、もう65歳とか66歳というのが信じられないなあ。九十になろうとしている父母を見ながら、自分の老い先はどうなるのかなあなどと考えているという話題。最後は、鼻笛でコンドルは飛んで行くを聞かせて、「お互い元気でね」とあいさつをして別れた。

 下はM君が釣って来てくれたカレイ。7、8匹。ごちそうさまでした。

 

下種の勘繰り

大谷君に関する疑惑が晴れたようです。
 この種の「疑惑」とそれに対するマスメディアやユーチューバーなどの対応を見て思い出すのは、会田雄二が小野田寛郎少尉について書いた文章のことです。
 小野田少尉が戦後ずっとルバング島に潜伏していることがわかったけれども、まだ真相が謎に包まれていたとき、いろんな立場・職業の人が好き勝手な推測をして、雑誌にその意見が出されていました。会田さんは、それらはすべて的外れだ。陸軍中野学校で訓練された小野田さんは、戦後も諜報員としての任務をジャングルの中で果たし続けていたのだと断じました。果たして、事実は会田さんの言った通りでした。
 会田さんは、他の人々の推測は「下種の勘繰り」なのだと厳しく指摘しました。戦後民主主義社会の中で育って来た人々が、それぞれに「私だったらどうだろう」と推測しても、戦前、天皇制下に中野学校で諜報員としての訓練を受けた軍人小野田さんを正しく理解できるわけがない。他者を理解しようとすれば、自分のかけている色眼鏡を外して、相手の状況をよくよくわきまえて判断しなければならない、と。
 イエス様は「あなたがたは人を量るように、自分も量られるのです」とおっしゃいました。他者の行動とその真意について、なんらかの推測をして解釈するとき、私たちは図らずも自分がどの程度の人間であるかを暴露してしまうのです。「下種の勘繰り」をせぬように注意したいものです。

聖書文脈読み違えの2例

 聖書釈義の基本は、文脈をわきまえることである。文脈とはなにか?下の数列のXは何か?

2,4,6,8,X,12,14,16・・・


 X=10であるとすぐにわかるだろう。等差数列である。文脈とは数列のようなものである。課題文の前から、課題文の後へと流れていることばの流れが文脈である。課題文の解釈はその流れを妨げないものであることが肝心である。前後の流れから、その課題文を解釈するのである。

 私がこれまで最もしばしば耳にしたり目にしたりしてきた、文脈を外れた聖書解釈の典型を2つ紹介しよう。

「神の賜物と召命は、取り消されることがないからです。」ローマ11:29

何人かの牧師や宣教師が、「私は自分がこの使命を果たしていけるだろうか?と恐れを感じた時、このみことばに励まされ、支えられてきました。神様がこの伝道者としての召命を与えてくださった以上、それは変わることはない。そして、その使命を果たすために必要な賜物は与えてくださるのだ、と。」というふうな証しをなさったのである。

 だが、ローマ書11:29の前後を合わせて引用してみよう。

25,兄弟たち。あなたがたが自分を知恵のある者と考えないようにするために、この奥義を知らずにいてほしくはありません。イスラエル人の一部が頑なになったのは異邦人の満ちる時が来るまでであり、
26,こうして、イスラエルはみな救われるのです。「救い出す者がシオンから現れ、ヤコブから不敬虔を除き去る。
27,これこそ、彼らと結ぶわたしの契約、すなわち、わたしが彼らの罪を取り除く時である」と書いてあるとおりです。
28,彼らは、福音に関して言えば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びに関して言えば、父祖たちのゆえに、神に愛されている者です。
29,神の賜物と召命は、取り消されることがないからです。
30,あなたがたは、かつては神に不従順でしたが、今は彼らの不従順のゆえに、あわれみを受けています。
31,それと同じように、彼らも今は、あなたがたの受けたあわれみのゆえに不従順になっていますが、それは、彼ら自身も今あわれみを受けるためです。

                        (ローマ11:25-31)

 ここで言われている賜物と召命とは、神がイスラエル民族にお与えになった救いを意味していることは一目瞭然である。伝道者の召しとは縁もゆかりもない。「賜物」とか「召命」ということばを辞典で調べて、いくつかの語義があったとすると、あの意味もあり、この意味もあると考えてはならない。これもあれもというのは連想ゲームであって釈義ではない。語義のうち、文脈にそったものを一つだけ選びとらなければならない。

 もう一つの例を挙げよう。主イエスが弟子たちとの別れが迫ったときに言われたことばである。

わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。あなたがたのところに戻ってきます。(ヨハネ14:18)

 このことばを主の再臨の預言であるという解釈を聞いたことがある。この個所だけ見れば、そのように見えなくはない。しかし、前後の流れを見てみよう。

16,そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。
17,この方は真理の御霊です。世はこの方を見ることも知ることもないので、受け入れることができません。あなたがたは、この方を知っています。この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられるようになるのです。
18,わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。あなたがたのところに戻って来ます。
19,あと少しで、世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生き、あなたがたも生きることになるからです。
20,その日には、わたしが父のうちに、あなたがたがわたしのうちに、そしてわたしがあなたがたのうちにいることが、あなたがたに分かります。(ヨハネ14:16-20)

 主イエスが「あなたがたのところに戻ってきます」と言われたここでの意味は、もう一人の助け主、真理の御霊を送ってくださることを意味している。真理の御霊が来られると、「あなたがわたはわたしを見ます。」とあるように、主イエスを見ることができ、「わたしが父のうちに、あなたがたがわたしのうちに、そしてわたしがあなたがたのうちにいするこが、あなたがたにわかります。」というのである。主イエスが天の父の御許に行き、聖霊を私たちに与えてくださっているので、私たちは二千年前弟子たちが主イエスと親しく交わったように、今も主イエスと交わって生きることができる。再臨の話とは別の話である。再臨を否定したいわけではない。主イエスは確かに他の箇所で再臨の約束をなさったが、ここでは再臨の話をしているわけではないと言いたいだけである。

 

 しかし、このような文脈から遊離してしまった解釈であるにもかかわらず、その説教が胸にしみてしまうこと、いわゆる「恵まれる」ことが起こる場合がある。なぜかといえば、それはその聖書個所では教えられていないことであるけれども、他の聖書箇所において教えられている真理だからである。説教者は他の聖書箇所が教えている真理を、その聖書箇所に読み込むという間違いを犯しているのだけれども、語られている真理自体は正しいので、「恵まれる」ということが起こるのである。

女性専用車両に乗って「法律違反ではない」と騒ぐおじさん

 今朝たまたまニュースを見たら、わざわざ女性専用車に乗って、乗客や乗務員に注意されると、「女性専用車は一般車両だから、法律上、男性が乗っても問題ないのだ。日本は法治国家だ。」という内容のことを口汚く罵るユーチューバー男性が出ていた。

 法律はそれを破ったら犯罪にあたる最低限の基準であって、人としてまともに生きて行くにはより高いレベルの良識が必要であることを、この男性はわかっていない。法的に問題ない行為であっても、道徳的に問題ある行為がある。男性が女性専用車に乗るというのは、そうした行為の一つである。この男性の言っていることは、「法律」ということばを初めて知った小学生低学年が、親から「朝は、ちゃんとおはようございますとあいさつしなさい」と言いとがめられたとき、「そんなこと法律で決まっていないでしょ。」と反論するのと同じレベルのことである。

 なぜ女性専用車両に乗ることを法律は禁じていないのか。それは市民の良識に信頼しているからである。市民が良識を持っていないということになれば、法律で女性専用車に男性が乗ることを禁じなければならなくなってしまう。法的には男性も乗ることができるようにしておけば、緊急時には融通が利くのである。良識にもとる行為をするこのユーチューバーのような人々が出てきて国会などで取り上げられると、結局、法律で禁止せざるをえなくなり、社会を窮屈なものにしてしまうのである。

 この件を考えていたらローマ書の愛と律法に関することばを思い出した。

8,だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことは別です。他の人を愛する者は、律法の要求を満たしているのです。
9,「姦淫してはならない。殺してはならない。盗んではならない。隣人のものを欲してはならない」という戒め、またほかのどんな戒めであっても、それらは、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」ということばに要約されるからです。
10,愛は隣人に対して悪を行いません。それゆえ、愛は律法の要求を満たすものです。

ローマ13章9,10節

 キリストは私たちに、あれこれの律法の要求に縛られてではなく、隣人愛によって、律法の要求を自由に十二分に満たす生き方を用意してくださった。

 

女性専用車両の法的見解

国土交通省の見解

下記は当会会員が国土交通省女性専用車両の任意性について問い合わせした時の回答です。(原文のまま)

 国土交通ホットラインステーションと申します。
 お問い合わせ頂いた案件につきまして、鉄道局 業務課より以下の回答が来ましたので、送付いたします。
 回答が大変遅くなり、申し訳ございません。

国土交通ホットラインステーション
東京都千代田区霞が関2-1-3
連絡担当 西川
TEL 03-5253-8111(代表)
03-5253-4150(直通)

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 以下のとおり回答します。
 現在各鉄道会社で導入されている女性専用車両については、あくまでも利用者のご理解と任意のご協力のもとに行われているものであり、法的な根拠はありません。
 女性専用車両はあくまでも男性利用者の任意のご協力のもとに実施されているものであることから、実際の運用に際して、駅係員等が誤乗車された方に対して呼びかけ、ご協力をお願いすることはあると考えます。
 しかしながら、強制的に降車させるような行為は不適切と判断されることから、そのような事実があれば指導して参りたい。
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ノアの苦労、カルヴァンの苦労

 史上最初の動物園の園長ノアは、動物たちを箱舟に順々に乗せて、それから1年と10日間にわたって、彼らの世話をしました。それはどれほどたいへんだったでしょう。カルヴァンは『綱要』の中で、ノアの苦労について「ノアは生涯の大部分のときを方舟の建造に疲れきって働いた。彼は死を免れたが、それは百度死ぬよりももっとわずらわしかった。すなわり、箱舟は十ヶ月(ママ)にわたって、かれにはあたかも墓穴のようなものであったが、そのほかに、この長い期間、獣たちの排泄物のなかに空気もかよわぬままに、ほとんど浸ったままで置かれたというほどつらいことがありえようか。」(綱要Ⅱ,10,10)と書いています。

 カルヴァンの「死を免れたが、それは百度死ぬよりもずっとわずらわしかった」という言い回しに似た言い回しが、カルヴァンの同労者ファレルへの手紙の中に見られます。ジュネーブは市の改革のためにカルヴァンを招いておきながら、カルヴァンが改革を徹底していくと、たちまちカルヴァンを追放しました。ところが、カルヴァンがいなくなるとまたぞろカトリック勢力がジュネーブで画策し始めました。そこでジュネーブ市当局は、カルヴァンを再び招聘する手紙を書きました。

 この手紙を受け取ったカルヴァンは、ファレルへの手紙に次のように書きました。「印刷やのミシェルは、私のジュネーブ帰還は実現されるだろうというブレシュレの言葉を知らせてきました。しかし毎日あの十字架に千回かけられるよりも、むしろ百回も死んだほうがましです。」(CR39,301540年3月29日ファレルへ)カルヴァンは理性なき野獣たちの排泄物の悪臭と喚き声に満ちたノアの箱舟のくだりを、陰謀をめぐらせ改革を挫折させようとするローマの蛇のようなスパイや、教皇庁からの独立を望みながらも神に従いたくない野獣のような人々が満ちているジュネーブありさまをノアの箱舟と重ね合わせて書いているのでしょう。こちらの「毎日千回十字架に」という言い回しからすれば、ジュネーブの方が箱舟よりも酷いというわけでしょう。

  ノアの、箱舟の船長としての生活は、けっして優雅なものではありませんでした。方舟の中でたくさんの動物たちの世話に忙殺されたものでした。箱舟は暗くて悪臭と排泄物に満ちた動物園のようなものでした。ノアは、生涯を主にささげて、獣ちに仕えたのでした。カルヴァンは学者として過ごすことを目ざしてストラスブールに向かっていたのですが、ギョーム・ファレルのことばに神の召しのことばを聞いて震えあがり、ジュネーブ教会の改革に身を投じました。カルヴァンジュネーブにおける生活は、改革をとん挫させるために権謀術数を尽くすような悪意に満ちた人々、無関心な人々、不敬虔な人々を悔い改めに導き、教会に秩序を回復するために日夜忙殺されるというものでした。

日常の変化

 20年間していた教団の理事者としての務めから解放されて、日常生活の大きな変化の一つは、毎日10通から20通を超えるメールが来なくなったことです。すべてが自分の担当に深くかかわるメールではないものの、一応、目を通してレスポンスをしなければならない場合が結構多いのです。ぽっかり穴が開いたようで寂しくは・・・全然ありません。ほっとしたというか、せいせいしました。

 もう一つの変化は、毎月1回、時には2回、月曜の朝まだ暗い時に起きだして千歳空港に向かわねばならないということがなくなりました。午前11時15分に始まる理事会が終わるのは深夜ですから、事務所で一泊して帰宅は翌日の午後になりました。そして担当局や委員会の会議で、もう一度ということも。むかし「東京へはもう何度も行きましたね。君が住む鼻の都♩」という歌がありました。あ、鼻ではなく花。HANAと打つと、パソコンがまず鼻を選ぶようになってしまいました。
 さて理事の働きに割いていた時間とエネルギーを、何に対して注ぎましょうか。ひとつは苫小牧での宣教と教会形成であり、もうひとつは北海道聖書学院における神学教育・伝道者養成です。いずれに関しても後継者を迎える準備もしていかねばなりません。

 私は主に召されて人生をお献げした者ですから、とにかく主の召しに相応しく応答をすることが肝要です。この節目、自分で勝手に決めないで、祈って考えながら歩いてこうと思います。

霞か霧か・・苫小牧 

 夜に霧雨が降ったようで、今朝の苫小牧はしっとりしています。でも太陽は見えず、白い空。数十メートル先の病院の看板が霞でかすんでいます。
 春になると、苫小牧はこういう感じの日が多くなり、それが7月まで続きます。だから日照時間が少なくて農業に適しません。苫小牧周辺は今も灌木が生えた原野が広がっています。今でこそ有数の港湾都市となっている苫小牧は、その昔は小さな漁村でした。
 江戸時代の終わりに、ロシアの船が苫小牧の沖に頻々と出没するようになり、幕府は防衛のために八王子の千人同心と呼ばれる侍たちの指定100名をこの地に移住させたのだそうです。食料は現地で種を蒔いて収穫すればよい、ということで。しかし、想像を絶する寒さと、農業不適地という状況の中で、多くの人々は病に倒れ、死んで行き、撤退を余儀なくされたのでした。
 そんな歴史があって、八王子市と苫小牧市姉妹都市提携を結んでいます。