病気

うーむ。入院して、命の先を見て。その時やっぱり、冷静ではいられないのだろうかなぁ。


最近かーちゃんが一時退院して家にいて嬉しい反面、その情緒の不安定さが少し見ていて辛い。
躁鬱とでもいうのが一番手軽な表現かもしれない。


やっぱり常に平常状態なんていうのは、難しい。


おばあちゃんも、死ぬまでは少し変だったように思う。
僕は僕で、就活の最期の自分なりの詰めを行っていた時期だった。

テンション的に異常なんてものじゃない。完全に気が狂っていた状態だった。
そんな中、夜の11時とか、夜中とかに、部屋の電話がなるんですよね。
何かなと思ったら、立ちあがる練習がしたいっていう、半分寝たきりの隣の部屋のおばあちゃんからの電話だったりってのがよくあった。

別にそれは良いんです。その練習に付き合うくらいは全然良い。
いやまあ本音を言っちゃうと、しんどいし寝たいけどさ。

だからそれは別に良いんです。良いんだけど、なんていうんだろ。
本来は、夜にこんな風に孫を呼び出す人ではなかったのです。

僕は、それがとても辛かった。どんどん人としての性質が変わっていくことが辛かった。
同時にそれは、すぐそばにある時計も見れないほど体が弱っていっていることや
相手の現状を察知する機能が衰えていっている、そういう現状を意味してる。それが辛かった。

僕は僕で、多大なストレスを抱えていたし。
それ故に、あまり良い対応を出来なかったことは、今でも後悔している。
そんなことを責める人ではないから、そこまで気に病んでもいないけどさ。
でもやっぱ、何も気に病んでないかというと、そうではない。


あの時もっと笑顔で接することができていれば、とか思っちゃいます。
死んじゃったあとにわんわん泣いて、ありがとうじゃなくって、ごめんなさいしか言えなかったことは、たぶん僕は一生引っかかり続ける。



病気というのは、なんというのだろう。体の不調だけではなくって、その治療を通じて、精神面を徐々に影響を受けていってしまう。
それは徐々に周囲へと波及していくし。

思ってはいけない考えなのかもしれないけれど、それはたぶん、悲しきかな周囲が死を受け入れることに一役買っていることも事実かもしれない。


僕だって、もしか神様がこんな風なタイミングで家族に病気を与えなければ。
気分良く受験を終えて、気分良く内定報告をして、内定証書を貰って、気分良く家を出て行けたのだ。

何一つ許してもらえなかったことはとても辛い。悔しい。
でもこれがあったから、僕は家族に対して強い意識を持つようになったし(数年前まで家族とか京都とかマジでどうでも良かった)。


父親は嫌がるだろうけど、素朴に心配ですね。
たぶん今から数年、我が家は多くの苦難を迎えるだろうし。
それは精神的なもので、避けられないもので、経済的なものかもしれないし。

その時に僕はたぶん無力で。
父が一番影響を受け、姉夫婦が一番支えになる辛い場所にいることになるだろうし。


うちの仕事だって不況の影響で赤字だしなぁ。借地だし。
僕はがんばって勉強して、法律とか税制とか金融とかの知識をつけて、そういう面でバックアップしていくのが一番現実的なんだろうか。

無愛想だから、うまくこう、ママ大好きパパだいすき!とか言えないしなぁ。
働いてちゃんとお金を稼ぐことが、親にとって一番安心出来る・・・いやまあこんなの前にも言ったか。



親の寿命、二人揃ってあと十年あれば、何とか孫くらいは見せられるかもなぁ。


ホント途方も無いなぁ・・・
今の職場でちゃんと経験と知識をつけて、京都に戻って、結婚して子ども産んで。
10年きっかりって時間が貰えればやる自信はあるんだけどなぁ。

いかんせん、3年、5年だと厳しいなぁ。


こんな考えが見透かされているのか、親父が「一瞬の感情で人生を変えるな」なんてことを言ってました。
確かに家族が僕の頭から消えたら、たぶん僕はどこか楽になってしまって、今の職場で一生を終えることを選ぶかもしれないなぁ。



でも難しいなー。感情・心情こそ理性と論理を裏打ちする原動力なんじゃないんですかね、とかちょっとアレなことを思います。





7年かかったけど、高卒認定試験合格証書と、大学合格証書と、内定証書、卒業証書と。
あとは小中高の友達の定期的に開かれる飲み会?
家族の結束?
あとは、原付とかバイクとかで広がった世界観とか!


僕が7年かかって得たものは、こんだけかぁ。
これから何を得て行くんだろうなぁ。失うもののほうが大きいなら、ホント生きるのが嫌になる。



はー。あと家にいるのが10日か。
やっぱ何を思っても無理だw 僕は家を出るのが辛い。家族と離れるのが本気で、本当に辛い。
新生活が怖いし、社会人生活がこえーわ!

半年以上かかってもやっぱり結果にも納得できんw
でも悔しいとか、こうしたい!とか、そう思うからこそ原動力が湧いてくるし。

人生は1回しか無いけど、こうやって必死になるスイッチが入っただけまだいいかもしれない。
あれから歩んできた7年間は、たぶん途方も無いほど僕を強くしてしまった。
そうそうのことでは苦難に一方的に負けることはないだろうと思う。



ただただ、本当に自分が大卒になれるという実感が持てずにいる。
ついに僕の7年間に終止符が打たれた。ただそれだけが、理解出来ないほどに遠い。
中退後過ごした3年間の無職が途方も無いほどに長かった。
そして入学してからの4年間が、どうしようもないほどに短かった。
我が大学生活に、何一つとして悔いはない。結局まともに友達は出来なかったけど、最高の4年間を過ごせたと思う。