芸術起業論

kta6662013-08-10

最近は映画監督もやって、とかくエポックメイキングな村上氏。
前々から読もうと思っていた本を読んだ。
顔近い!

村上氏の日本の芸術業界(特に美術教育)への怒りが込められている。
アーティストとしての自分の欲を満たすため、
歴史とアートマーケットを分析し戦略を練る。
「芸術とはいままでにない価値を生み出すこと」として、
良い作品ができたときは何ものにも代え難い喜びを感じると述べつつも、
才能よりもサブタイトルが大事というラディカルな視点も持つ。


周りのこととか関係なく
表現やものづくりをすることは楽しい、が、
やっぱり評価もされたい。お金も欲しい。
それは、打算的なように感じられるし、
どこかしら都合のいい話のようにも聞こえる。
この本の中でも、氏がアメリカへの留学を経て
アートシーンに対する言説を構築しなければいけないと気づいていくくだりは
はっきりと書かれていて、
自分の中にもなんとなくあった「アートは純粋な世界だ」という
ほのかな憧れ(まったくもって無責任な話だけど)が
壊されていく感じもする。


しかし。


少し個人的な経験から考えてみる。
アートってよくわかんないな(特に西洋の近代絵画)と
ずっと疎遠に感じていた時期から、
少しずつ興味を持ち始めたのは、
きれいだな、かっこいいなという素朴な美的価値観をくすぐられ、
あ、なんとなく悲しい絵だなとか怖い絵だなとか
根拠は乏しいけれど、そういう絵に対する共感を感じてきたからだ。
絵や彫刻を鑑賞することで
作品や作家とコミュニケーションできる。
しかも今まで自覚していなかったような感覚について。
それが自分にとってのアートの面白さだと思っている。
そういう意味では、作家が、
自分の中に溜め込んでいるモヤモヤを
人に伝えようと言葉を探すように世界を分析し、立ち向かうことは
それほど悪いことには思えない、というか
すごく勇気づけられる話である。
そういう意味では、
表現やものづくりをして
生きていくことを考える良い刺激になった。


アートシーンが本当に金持ちの道楽で
マネーゲームに過ぎないとしても、
アーティストでない自分は
いまいちピンとこない。
ただ、作品を通してコミュニケーションを
磨いていくということが面白い。
それはヒップホップのシーンにも似ていると思う。
サンプリングやディスなど、
コンテクストを読み込んで更新していく文化。


絵のルールを知っていくことで目や手が鍛えられるという話が面白かった。
これだけはっきりと言葉で物事を区切っていく人が、
修練によって得られていくものがあるというのが
ある種、他の言葉への説得力のようにも感じられて、興味深い。


芸術闘争論も読んでみようかな。

るきさん

kta6662013-08-08

高野文子が1988〜92年にHanakoで連載していた漫画。
まさにバブルまっただ中から崩壊した余韻の少しだけをかぶらせて
連載が終わっている。
主人公のるきさんは、バブルとはあまり関わりなく
マイペースに過ごしている。
いや、自由ではつらつな部分は
この頃の女性像としてあるかもしれない。
男女の関係もカラッとしている。
友達のエッちゃんはバブルにふさわしいような
ファッションや行動を示していて、
ひと昔まえのドラマなんかを思い出す。


同じ靴を2つ買うとかお風呂でコーヒー呑むとか
年賀状出すとか出さないとか。
そんな日常。
るきさんは流行に無頓着で、
電車の中でマスクしながらスポーツ新聞を読むような
人の目を気にしないようなひとだけれど、
日常を自分の幸せの基準で行動している。
ガサツに見えるけれど効率的だったり、
無駄に見える時間が落ち着けるひとときだったりしているのだ。
そういう、世の中の常識や価値観を
自分のフィルターを通して暮らすひとって
丁寧に生きてるなと思う。


「黄色い本」ではじめて高野文子を知って、
気持ちの良い線と構図を描く人だなあと思っていた。
この漫画ではさらに色づかいにもセンスが感じられる。
読みやすくて、体の重心や勢いがよく現されている。
線が少ないのにうまさを感じられるのっていいよなあ〜。


日常の仕草や会話や歓びに共感できて
笑える漫画は数あれど、ラストが予想外だった。
不自然ではないけれど、そこまでの枠を飛び越えるようで
気持ちが軽くなった。

アンドレアス・グルスキー展

kta6662013-08-07

  • 場所 国立新美術館
  • 会期(東京展) 2013.07.03〜2013.09.16/10:00〜18:00
  • (火曜日休館、金曜日のみ〜20:00)

パーティで一度訪れたことはあるけれど、
展覧会を見に来たのは初めての国立新美術館
全部はまわってないけれど、
高い天井のロビーからそれぞれの展示室に入っていくという意味では
オーソドックスな構成となっていた。意外とエントランスはおとなしめ。


学生の頃から気になっていたアンドレアス・グルスキーの作品が
ナマで観られる!ということで行ってきた。
また、「ライン川 2」という作品が写真家の作品として
史上最高額の約433万ドルで落札されたことで
日本でもニュースになっていた。


証券取引所の電光掲示板やスーパーマーケットの陳列棚、集合住宅など
執拗なまでに反復される風景を、
正対して撮影し、巨大なサイズで印刷する。
異様な迫力を感じながらも、そんな中で自分も生活しているんだなと
自分がその反復されたもののひとつになってしまうような
没入感が面白い。


引いて眺め、寄って眺め、小さな人の顔を見ては笑ったりして
見てて飽きることがない。


話題の「ライン川 2」が意外に小さくてビックリしたけれど
さらにビックリしたのは、その作品でグルスキーは
対岸の建物をデジタル加工で消してしまったということ。
写真でそんなのあり!?って思う。
でも実際に、感じたことのないような感覚と
それを楽しんでいられる時間だけで
「いいんだろうな」と納得してしまった。


初期の作品は対象に正対せず、構図に遠近感を感じる作品も多いが、
中期から最近の作品は真正面から、真上から、または近接して撮った写真が多く
遠近感がいまいちつかめないものが多い。
対象への眼差しはそこにある出来事や現象を写すというよりも
前後の挙動が見えないような写真になっていて、
それが絵画的と言われる原因なのかなと思った。
そこに映し出されているのは、
物語というよりもっと大きな、
個人の意志とかあっという間に流してしまうような
性(さが)とか本能みたいなものを感じた。

浮世でランチ

kta6662012-02-21

人のセックスを笑うな」で文藝賞を受賞し、
華々しいデビューを果たした女性作家の2作目。
発表されるほかの小説でも大抵、
芥川賞野間文芸新人賞の候補として挙げられている。


中学生時代の「私」と、25歳になった「私」の
エピソードが交互に綴られていく。


中学時代では、
人気者だけどオネエ言葉の幼なじみや友達と、
自分たちで規則を決めてお祈りを捧げる「宗教ごっこ」という
遊びを中心にしたやりとりが描かれ、
25歳で働く職場では、
なんとなく同僚のひとたちと距離をおきつつ
ひとり公園でランチを過ごしたり、
退職してアジアを旅する記録が続く。
アジアの旅では、
人の生と死がごちゃ混ぜに見えてくる情景が描かれる。


中学時代と25歳のおよそ10年間の隔たりを
かすかにつなぐのは人の生死と宗教の話。
ただ、タイトルの語感からもイメージできるとおり、
力んだような感じではなく、
なんとなく、でも実感があるように
つらつらと書かれていく。
それにつられるように、
なんとなく一日で読み終えてしまった。


このふわふわしている感じが、
宗教(大きくいえば何か信じること)、
というものに対して
教条的ではないありかたを示しているように思う。


日常の捉え方や人物の掘り下げ方に
女性らしさを感じつつも、
雰囲気だけじゃなく物事に向き合って
気持ちをのせていくバランスが良い。

なんとなく、という言葉を何回も
使ってしまってるけど、
ホントにそんな感じで、でも記憶に残った小説。

長谷川豪展 スタディとリアル

kta6662012-02-13

 (金曜日のみ11:00~19:00 日曜日、月曜日、祝日など休館)

  • 入場料 無料

日本の30代建築家を牽引する一人である長谷川豪の展覧会。
建築家にとって、模型制作は基本的なスタディ(検討)のひとつ。
長谷川氏はそのスタディを、
今の時代に必要である能動的な姿勢ととらえ、
実際に建ったものの現象=リアルとの応答を再考した。


それぞれのフロアには、大きな直方体の上に
プロジェクトの模型や図面が展示され、
中庭には、東日本大震災で甚大な被害を被った
石巻市の幼稚園に移築する予定の鐘楼が建てられた。
展示中は、鐘楼は1日に3回鳴らされる。


各フロアの展示台となる巨大な直方体はそれぞれ、
「桜台の住宅」の中心的な存在であるテーブルと同じ大きさ、
「狛江の住宅」の庭と同じ大きさとしている。
展示されている模型は1/100などもあるけれど、
「経堂の町屋」の1/1スケールの断面詳細図も印刷されていたりと
極小と実物のスケール感が往復する感じもまた、
スタディとリアルの往復、ということだろうか。


誰の言葉だったか、
「考えることは抽象化することである」という言葉を思い出した。


建築という行為は、基本的に置き換えがきかない。
それぞれの建築物とそこから起こる現象(リアル)は、
その時代でのみ、その場所でのみ存在する。
どれだけ模型をつくろうと、実物大のサンプルを集めようと、
実際に建った建物の現象を頭の中で捉えることはできない。


建て売りというのは、
そのもどかしさに対する一種の担保ではあるが、
それはまさに、例えば都市近郊の様々な場所を「郊外」と
十把一絡げに呼んでしまうような、
リアルすら抽象化して感知してしまう危険を孕んでいる。


狛江の住宅では500以上の模型をつくったという長谷川氏は、
その様々なスタディを通して、
場所や時代や条件の抽象化を繰り返すことで、
建築することから生まれる現象を
再び複雑で豊かなものにしようとしてるのかなと思えた。


あまりうまく言えないけれど、
「カワイイ」に代表されるような、価値観の押しつけ
(これもまた建て売りと同じ危険性を持っている)がなく、
かといって凡庸でもない、
緊張感のあるデザインであるように感じられる。
作品集がもうすぐ出るらしいので
お金ないけど買ってみよう。


しかし、最近は写真OKの展覧会も多いのに
写真の1枚もないブログ書いてちゃダメだな。
この展覧会も写真OKです。

星を継ぐもの

kta6662012-02-06

ハードSFの名作といわれた作品。
無名だったジェイムズ・P・ホーガン
この作品によって世に広く知られることとなった。


月面で発見された死体。
チャーリーと名付けられた死体は
なんと5万年前の死体だったという
驚愕の事実から、謎が謎を呼び、
主人公であるハント博士をはじめ
科学者たちが調査や議論を重ねながら核心に迫っていく。


この物語では、そのチャーリーの謎を中心として
大きくぶれていくことはない。
想像の範疇を超える時空のスケールに
真っ当に向き合った作品であり、
謎に迫る科学者たちの感情の揺れや人間関係の展開が少なく、
あくまで彼らは観察者であることで、
宇宙と歴史が巨大なスケールを対象化され描写されていく。
宇宙は途方もなく広く、歴史は想像を超えて長いことが
感じられてなんだか心地良い。


一方で、チャーリーというひとつの死体から
現代科学の矛盾が浮かび上がりつつも、
それを解決するような仮説をたてていく科学者たち。
次から次へと新しい謎と事実が応酬する様は読み応えがある。


SFといえば触れたことがあるのは
漫画か映画くらいのものだったけれど、
初めてSF小説を読んで、
数億円をかけてCGで表現された銀河の映像よりも、
巧みな文章の方がその終わりのないスケールを
現すこともあるのだなと思えて、
もう少しいろいろとSF小説を読んでみようかな
という気持ちになれたのだった。

ゴースト・ドッグ

kta6662011-01-18

ジム・ジャームッシュ」「刀」「HIPHOP」という
キーワードでビビッときたのでレンタル。


主人公は、ビルの屋上でハトとともに過ごし、
日本の書籍「葉隠」を訓辞とする孤独な殺し屋。
彼とその主人であるマフィアとその一団の話。


映画の大きな主軸となっている「葉隠」。
日本人ですら、名前は知っていても
馴染みがないひとが多いと思う。
主に尽くす忠臣のありかたを現した文章が
映画のシーンの間に挿入される。


階段を上るだけで息があがり、
ステレオタイプのローブを着て
最近のヒットチャートで踊るマフィア。
屋上で完成しつつある手作りの船。
誰も読むことのなくなった「葉隠」。


手遅れになってしまった色々なことは、
あとはもう死ぬことを待つだけの運命なのか。
過去と現在と未来はどのような接点をもって
つながっていくものなのか。
ストーリーにおける印象的なシーンが
ストレートかつユーモアに描かれている。


個人的にはアイスクリーム屋のレイモンが
最高です。


ジムジャームッシュ作品は
「ダウンバイロー」「コーヒーアンドシガレッツ」
ミステリートレイン」ときて
コレが4作目。時系列がメチャクチャだな。


ほかの3作に比べると、
殺し屋である主人公の目的や行動が一貫しているだけに、
独特の長い「間」が少なく、
登場人物の過ごす時間を
観ている人に寄せていくというよりも、
出来事やメタファを通してシンクロしていくような
感覚がありました。


重く哀愁の漂うテーマでありつつも、面白い。
まだまだジャームッシュ作品には
ハマっていきそうです。