つまらない栄養学の大切さ

 ちなみに、これをアップするきっかけとなった高橋先生の講演では、

  • 機能性表示食品の宣伝は問題も多いし、宣伝で思い込むほどの効果はない。だから、(専門家たる栄養士としては)まずは「適切な食事」を示しましょうよ。
  • 適度に動く、寝る、食べるの健康管理。これしかないと腹をくくりましょう。
  • 地味な情報に、多くの人の関心が向かないかなあ。

と語られていました。

 この最後の点は最近僕もものすごく感じています。

 もちろん最新の栄養学的知見は大切です。それによって、今後の栄養学が発展していって、多くの人の健康に資するわけですから。でも、新しい知見は、新しいがゆえに、揺らぎやすいです。その揺らぎが、「栄養学は毎年言っていることが違う」と言われる状況を生んでいると思うのです。

 新しいことは楽しいし、わくわくします。だけど、まだ海のものとも山のものともわからない状態のそれに飛びつくのではなく、しっかり踏み固められた地味な情報、ーーあるいは、「それ、食事摂取基準に書いてありますか?」ーーに踏みとどまる。そのことが、食事法の流行に振り回されることのない、もっとも確実な道なのではないかなあと思います。

高橋久仁子先生の講義を聞いた

 先日、群馬大学の高橋久仁子先生の講演を聞く機会がありました。実のところ高橋先生の話を聞くのはこれが2回目で、1回目である、今から1年ほど前の放送大学面接授業については、講義の1週間後くらいに内容をノートにまとめていたのでした。

 ところが、いつかアップしようと思っている間に訪れた冬は去り、桜が芽吹き、通勤の道にある木々は緑眩しくなり、そして今また、その葉が色づき冬が訪れようとしているのです。月日が経つのは早いものです。

 そうしたわけで、これもきっかけだと思って、多少加筆した上でアップする次第です。

 受講した放送大学の面接授業は、ほかの面接授業の大抵がそうであるように、途中休憩を挟んで概ね10:00〜17:00と結構なみっちり具合で、これを2日行います。対象者は放送大学の学生というだけで、必ずしも栄養や食品を専門にしているわけではありません。

 しかしながら、やはりそれだけの長丁場をやるのですから、かなり詳細な内容であったと思います。先日の専門家を対象にした講演を聞いて、その思いをまた強くしました。

 なのでまあ、僕の拙いまとめでも役立つ人もいるかもしれません。そんな人に届けば幸いです。聞き間違いとか、勘違いとかはあるかもしれませんので平にご容赦を。

以下、時間は遡って2015年のこと

 11/14、21に放送大学群馬学習センターで行われた、高橋久仁子先生の講義を聴いてきました。エビデンスについての細かな数字的な話とか、説得力に富むいろいろ使えそうな話も聞いたのだけど、とりあえずその精神というか、概要をまとめてみましょう。

栄養素を摂ることも大事だけど、出すことも大事。摂るも出すも、車の両輪。

「1粒で〜mg!」「えー、そんなに摂れるのー?」
っていうけれど、「そんなに摂れるなら、なにかいいことがあると思うんですね? それがなにか、悪さをするとは思わないんですね」

例)核酸栄養:核酸はDNAの構成成分なので、全ての細胞に含まれている。ということは、ほとんどの食品に含まれている。
 中心静脈栄養の人には、確かに核酸を注入する。でも普通の人には? 少なくとも高尿酸血症の人は注意しないといけない。(核酸を構成するプリン塩基は代謝されると尿酸になるので)

 たくさん成分を摂る→処理しないといけない→体に余計な負担をかけているかもしれない。代謝機能の落ちている高齢者は特に注意!

 そもそも、老化とともに減少する成分を、食品から摂取したとして補えるとは限らない。

トクホ、機能性表示食品、「健康食品」の問題点

エビデンスの弱さ。

例)トクホコーラのエビデンス
 1日に55gの脂質を摂取させた*1とき、
  ・難消化性デキストリン5gを摂取した*2群……糞中脂質量1.44g/日
  ・コントロール群……糞中脂質量0.77g/日
 つまり、両者で糞中脂質排出量は1.0gの違いもない。この差は有意なんだけど、意味のある差なんだろうか。揚げ物の衣少しはがせばいいのでは?(ちなみに、脂質は1g=9kcal。体脂肪は1kgで7,000kcalと言われています)

(ここら辺賢者の食卓は偉くて、ちゃんと商品のサイトで根拠論文のグラフが見れる*3。これの「脂肪の吸収を抑え、体外への排泄量を増加させます。」のところに「約2倍」と、約2倍排泄させるんだよと見える形でグラフがある。けどタテ軸見ると、1.0g/dayに満たない→1.5g/dayくらいになるのがわかる。誰もタテ軸見ないのかもしれないけど。)

生活習慣の見直しが不要であると錯覚させる

 健康維持の3要素:運動、休養、栄養。この順番大事。過剰摂取のツケはものすごく運動すれば払えるかもしれないけど、運動しないツケ、睡眠不足のツケは栄養では支払えない。これを支払えると考えることが、フードファディズムに結びつくのではないか。

 体重を減らす人がまずすべきこと→運動。次に休養。これでリズムが整い、過剰な食欲を押さえられる。このあと食べ物に行く。一口減らして食べようよ、を合い言葉に。

  • 販売者「食品だから安全です」←無根拠!
  • 消費者「体にいいものが、体に悪いはずがない」←無根拠!

食べ方が大事

 食品それ自体は何らかの価値を持つ。「よくする」「悪くする」のは食べる人の食べ方。
例)玄米は体によい? 悪い?
→米よりも多様な成分を含む。でも、消化性は? 食味は?

 食材の安全を言う会社はたくさんあるけれど、食べ方の安全を言う会社はない。食材はどれだけ安全でも、食べ方の不適切さで病気になるでしょう。
例)1杯で食塩9gが入ったカップめんとか、「添加物がー」って言う前に、食塩相当量を気にしてはいかがか。

  • 野菜は90%が水分。育ち盛りの子どもは好きじゃなくても当たり前。でも、”食べることに慣れていこうね”という働きかけが大事。野菜ジュースのませて野菜摂取させた気になってはいけない。野菜ジュース=野菜、ではない。
  • ”そこそこの健康とほどほどの食生活”で手を打ちませんか?”

本当に危ないものが見落とされている

 メディアに載るのは、添加物、農薬、BSEGMO……。食の安全を真に脅かしているのは、食中毒でしょ!

「安全」と「安心」の混用

  • 安全=科学
  • 安心=感情

 食を提供する側として言えるのは、「安全な食を提供しますので、できれば安心してお召し上がりください」程度ではないか。「安全だから、安心して食べろ」は違う。

 「安全だけど、安心できない」という感情もあるのではないか。

講義最後のメッセージ

(学会などに行くと、機能性の研究に反対なのかといやな顔をされるけれど)食品の機能性研究、おおいにやって欲しい。でも、「だからこの機能性食品を摂ろう」ではなく、ではどうやって食事から摂ろうか、と考えたい。だから、いろいろな食品を偏らずに食べようよ、としたい。

得られたことなど

 勝手に講義をまとめるなら、「よい悪いは食品ではなく、その人の食べ方」という言葉に集約されると思う。トクホや機能性表示食品、「健康食品」の根拠の乏しさ、「健康食品」による健康被害なども語られていたが、やっぱり大きくは、「よい悪いはその人の食べ方」なのだと思う。

 栄養状態、体質は、個人個人で異なる。個人においても、ライフステージ等によっては異なる。一方の人にとって必要で、摂取することが大変有益になるものであっても、他方の人にとっては違うかもしれない。同じ食品が、人によって、あるいは時期や状態によって、よい食品にもなれば悪い食品にもなる。「よい」「悪い」の二分によって食べ物を考えないことが、根本の考え方としてとても大切なことだと思う。

 また、講義を通して、先生は「排出」ということを重要視されていたと思う。「摂るも出すも車の両輪」。「これひとつで〜mg!」と量の多さを宣伝するものが多い(実際は、そう宣伝されてイメージしているだけで、少ししか含まれていない、というのも多そうだけど)が、「そんなに摂って大丈夫なの?」「それが悪さをするとは思わないの?」「それが体の負担になっているとは思わないの?」と問う。ここは僕自身、一般的な過剰症についてはあるとわかっていても、あまり意識していなかった視点であった。

 最後の先生の言葉、「食品の機能性研究は……」は、とても熱い思いが伝わってきて、感動的であった。

「それ、食事摂取基準に書いてありますか?」を合い言葉にしようと、年初めに東大の佐々木敏先生と話したと仰っていたけれども、栄養士の方はこの言葉の意味するところをしっかりくみ取って業務に励んでいただきたい。と、偉そうにしめてみましょう。

*1:なぜ「55g」か。日本人の平均脂質摂取量が55gだから、と。健康栄養調査の平成26年版を確認すると、全員の平均でぴったり55g。20歳以上男女にしても54.3gだから、まあそうでしょ。

*2:これ、講義だと「15g」って言ってた記憶があるのだけど、健康食品の安全性・有効性情報にある特定保健用食品の製品情報ペプシスペシャルでは「難消化性デキストリン5gを摂取」と書いてあるし、キリン メッツコーラにも参考文献で挙がっている同じ論文を見てみても、やっぱり5g摂取とある。だから記憶違いかもしれないので、ここでは「5g」とした。「15g」はペプシスペシャルのほうの安全性試験に15gを配合した炭酸飲料を用いた安全性検査の記述があるので、こっちと混ざったかもしれない。

*3:自社製品を用いた研究ではない参考論文なのに、そのグラフを宣伝に利用する形で商品にくっつけてしまうのはどうか、という批判を先日の講演ではしていたように思うけど、この場合は単純に見れるのは嬉しい。

みんな大好きマクガバン!

 ってひょっとしたらこれのことではあるまいか。誰でも全文読めるよー。pdfでもkindleでも読めるよー。これで5000ページ論争とか元禄時代論争とか解決じゃん! て喜んでいたら、以前読んだ素晴らしい記事前の記事に、ちゃんと注で公式へのリンクが貼ってあったのでした。

 すごいな、7年遅れで喜んじゃったよ。

東京栄養疫学研究会の動画を見て反省した話。

 先日聞いた講演が素晴らしかったので、東京栄養疫学研究会のアップされている講義の様子を見る。

 まだ2014年の春季会の1全部と2の冒頭しか見てないのですが、佐々木先生はどうやらものすごく熱弁家で、講義がとても面白い。たぶん予備知識なく見ても、引き込まれたのち疫学の知識がついているんじゃないでしょうか。

 さらに、冒頭の話、檄とでもいうか、これも面白いのですが、反面、己の興味関心でふわふわとしている僕にとってはものすごく耳が痛い。

(1:20頃)みなさんはですね、大学が、または社会が、自分に、なにをしてくれるかということを望んではいけません。自分が、社会に対して、なにが出来るかを考えるべきなんです。

 社会のなかには、たくさんの役割があります。その役割のなかの、どこが自分にとってふさわしいか、自分に適しているか、それによって社会はどのように変わるか、ということを考えてほしいんですね。なにをしてもらえるかというのは、子供の発想です。社会のなかでなにが出来るかというのが大人の発想です。

 うん、社会の役割とか、正直あんまり考えてないなあとか、

(7:40頃)(大学医学部の生理学の試験が「塀の上に猫がいます。猫の落ち方を生理学的に記述せよ」であったことを受けて)そこで思ったことです。しまった、講義は出ていたが猫を見ていなかった。

 おそらく先生方か伝えたかったのはそういうことじゃないかなと思うんです。すなわち猫も見よ、教科書も読め。で、その次です。一番大きなメッセージは、猫の動きと教科書を頭のなかで繋げろということだったと思うんです。教科書は教科書、猫は猫、それではいけません、ということではないでしょうか。

(略)

 というわけで、勉強するということは、私たちの学習の半分でしかありません。いや半分は占めているんです。もうひとつは、現実を、見抜く力。それから見ようとする心。そしてその態度、行動です。

現実社会の観察を怠ってるよなあとか、

(10:50頃)すなわち、もうみなさんは、高校生ではないのです。ある決まった教科書を習って、合格点をとるという時代は、もうとうの昔に終わっています。そうではありません。わからないものに対して、それを調べに行ったり、社会でつくったりする、そういう、もう年齢なんです。十分に。ですから、座って聞いてさよならというのは、それはもう、高校三年生までです。そういう人がもしもいるなら、早く帰りなさい。この勉強会には向いていません。そしてそういう人は、おそらく、十中八九、社会の役に立ちません。

わからないことへの解決を、社会の中で作っているとは言い難いよなあとか、または春季会の2の冒頭部分、

(1:30頃)ここはですね、自分の、興味で勉強しているのではないということは自覚しておいてください。カルチャースクールではありません。カルチャースクールではないのです。世の中の役に立つ人間をつくろうという、そういう情報をみんなに広めていこうよねっていう、そういう勉強会です。

主に興味でしか勉強してないよなあとか、なんかすごく反省してしまったのでした。

 ただ一方で、社会の役に立つかどうかよりも自分の興味に従うのだって大切だろうと思っていて、

 自然科学は新しい発見がどんどん生まれる世界です。……自然科学と同じ意味で学問の役割を評価するならば、人文・社会科学は何の役にも立ちません。

 しかしそれでもよいではありませんか。時間が許す限り、力のある限り、自分自身の疑問につきあってゆけばよい。文化系の学問は己を知るための手段です。あなたを取り巻く社会の仕組み、あなたがどのように生きているのかを知る行為にすぎません。
(小坂井敏晶『社会心理学入門』*1あとがき)

 研究のレベルなど、どうでもよい。どうせ人文・社会科学を勉強しても世界の問題は解決しません。自分が少しでも納得するために我々は考える。それ以外のことは誰にもできません。社会を少しでも良くしたい、人々の幸せに貢献したいから哲学を学ぶ、社会学や心理学を研究すると宣う人がいます。正気なのかと私は思います。そんな素朴な無知や傲慢あるいは偽善が私には信じられません。
(同上)

という諦観の仕方も素敵だと思うのです。まあ、栄養疫学と心理学の、そもそもの学問の立ち位置の違い、なのかもしれませんが。

 そんな具合なので、耳は痛くはあるのですが、これからも揺れ動いてしまうのだろうなと思うのでした。

単なる同意文

日本人の食事摂取基準の基本とかけ離れた内容の栄養摂取になってしまうような食事を推奨する食事健康法を不特定多数の人に推奨し、宣伝するのは公衆衛生上問題のある行為です。
栄養士の皆様は、くれぐれもお近づきならないようお願いしますとともに、一般の方へも注意喚起をお願いします。

https://twitter.com/doramao/status/573821043728498688

 全力で同意します。

 と同時に、お近づきになっている栄養士のかたも少なからず見受けられて、そういうかたが「栄養士です」っていうのは、問題だよなと思うのです。資格をチラつかせて語るなら、資格の許容する知識体系の範囲内で語るのが、職業倫理ってものではないかと思います。

 せめて、「栄養士としてここまで」「それ以外としてここまで」みたいな語りならまだ誠実だと思うのだけど、本人の中では地続きかもしれないから難しい。

国立健康・栄養研究所の一般公開セミナーに行った話。

 最近全然お勉強してないなー、という反省の意も込めて、第16回国立健康・栄養研究所一般公開セミナー『「日本人の食事摂取基準」の改定をふまえた食事と身体活動*1に行く。

 冒頭、理事長が挨拶で「本当はここに来ていない(食事なんか気にしないという)人に直接語りかけたい。でもそれはできない。今日は心に焼き付くような話をして、来場したみなさんに、来週職場で話してもらう、伝道師になってもらえるような話をしたい」とおっしゃる。

 伝道師になんてなれないけれども、心に残ったことをまとめておくのもいいでしょう。

基調講演「「日本人の食事摂取基準(2015年版)」のポイント」講演者:佐々木敏

  • 栄養学は難しい科学。だから食事摂取基準をわかりやすく書く気はない。正しく書く。これが努め。
  • 食事摂取基準は、一般の人が直接使うものではない。けど、存在と大切さは理解して欲しい。
  • 食事摂取基準は、栄養の専門家にとってなによりのベース。まずこれが先に来る。食事摂取基準に書いてないことを先に言ってきたら、その人は栄養の専門家ではない。
  • (食事についてアドバイスをされたら)「食事摂取基準に書いてありますか?」と聞いて欲しい。
  • 今日は何度でも言います。「食事摂取基準に書いてありますか?」

 ここまで語ると「今日はこれで終わりでいい」と冗談半分でおっしゃっていたのですが、それくらい、ここまでを時間をかけてかなり熱く語ります。一般公開セミナーなので一般の人を念頭に置いてのことなのだけど、でも、すごく大切なことだと思います。

 世の栄養士様の中には、学校で勉強した栄養学をどこかに置き忘れてしまっているように見える方もいらっしゃって、そういう人が、得てして目立った活動をしてたりするのです。

 「ベース」以上の健康を目指すために、食事摂取基準から離れたことを語ることもあるのでしょうけど、ベースがまるで見あたらないところで「わたくし栄養士です」とか言われると、なんだかなあと思うわけです。

 ベースと、それ以上のまだよくわからないところとは、できるだけわかりやすく区別して語るのがよいのではないかと思うのでした。

 で、このあとは食事摂取基準の内容の話に。

対象者について
  • 食事摂取基準の対象を、健康な人だけでなく、疾病を有する人にも広げた。
  • 生活習慣病は、つきあう病気。コントロールする病気。なので、薬よりも食事が大事。こういう考えで、対象を広げた。
エネルギーについて
  • エネルギーの過不足は、体重の変化で評価する。
  • エネルギー必要量は算出しない、使わない、勧めない。
  • 給食管理には必要だから残されたけど、推定エネルギー必要量は参考程度にとどめる。
  • 体重の推移でエネルギーを評価するのだから、体重計に乗れ!
  • エネルギー必要量を体重の変化で評価するのは、エネルギー摂取量も消費量も、測定が難しいから。
  • 過少申告、日間変動ともに大きい。
目標BMIについて
  • 目標とするBMIと、疫学研究で総死亡率がもっとも低かったBMIの範囲は、70歳以上で一致していない。目標は21.5〜24.9、疫学研究の結果では22.5〜27.4。
  • 総死亡率は一緒でも、BMI=22の人と、BMI=27の人だと、QOLが異なる。肥満は生活習慣病の悪化の原因となる。
  • ゆえに目標BMIの上限は、24.9になった。

 といったあたりで時間切れ。ほかの講演は持ち時間20分しかないので必然的にかなりの駆け足になってしまうし、もっと講演者をしぼって、各講演を長く聞きたかったなあと思ったのでした。

ついでに、箸でつまめる卵について

牛乳とタマゴの科学 (ブルーバックス)

牛乳とタマゴの科学 (ブルーバックス)

 箸でつまめるほどしっかりしているタマゴ、というのを見るけれども、著者は少なくとも卵白部分については、普通のタマゴと変わりないんじゃないかと仰る。

少なくとも卵白部分については、良質の餌を与えたからではない。なぜならタンパク質はDNAに刻まれた遺伝情報に基づいてつくられるので、極度に劣悪な餌でない限り餌の影響をまったく受けないからだ。
(p182)

 では卵黄部分はと言えば、こちらは餌の影響を受けるので、箸でつまめるタマゴと、そうではないタマゴで、異なる餌を与えた結果な可能性もあると。でもこれ、じゃあ箸でつまめるタマゴのほうは、いい餌を与えて育った栄養満点でありがたいのかというと、そうでもないんじゃないかと思います。

 卵黄の固さは飽和脂肪酸によるところが大きく、ある程度は餌によって硬さを変えることができる。……卵黄にある脂肪の一部は餌に由来し、飽和脂肪酸の多い餌を与えると硬さを増す。
(同上)

 実際に栄養価を計測してないからどの程度の差があるのかわかりませんが、少なくとも「飽和脂肪酸たっぷり!」ってポップ出したら売れないよなあと思う程度には、ありがたくはないと思うのでした。