備忘録

ー 経済概観、読書記録等 ー

技術的失業と人口減少

 ケインズの『孫の世代の経済的可能性』では、「技術的失業」という概念が取り上げられる。これは、省力化のペース速過ぎ、労働力の新たな用途を見つけ出すことができないことで発生する失業のことである。近年、AIの活用が進むことで雇用が失われることを懸念する議論があるが、これも技術的失業に対する懸念とみることができる。

 一方、ケインズは人間のニーズを絶対的/相対的に二分割し、前者についは、それが満たされる時点がくる、さらに当時から百年後、すなわち2030年において経済的にみた生活水準が8倍になると仮定した場合、人間生存のためのあらゆる経済的な課題*1は解決されると指摘する。しかしその場合、問題となるのは時間の過多(聴くことはできても、歌う側に回ることは永遠にできない)であって、人間は、この時間をうまく処理する術を身に付けることが必要になる。(結論からいえば、人間はこれをうまく処理することができず、絶対的ニーズは新技術によって飽和することなく、相対的ニーズは経済の規模に応じ肥大化を続けるわけだが。)

 なお、ケインズはその人口論において、「マルサスの悪魔P.」に対し「マルサスの悪魔U.」を対峙させる。

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 現在の日本社会に当てはめれば、人口減少からの有効需要の減少と失業への懸念、との文脈になる。しかし実際の文脈をみれば、むしろ人手不足が懸念されており、これとAIに対する恐れが奇妙に混在している。

 あり得べき未来としては、人手不足は有効需要の減少によって解消するであろうし、その過程で失業も生じ得る。一方、AIの活用が進むことによる生産性向上は、当該縮小均衡的過程を抑制する。その過程で生じ得る技術的失業は、マクロ経済全体としてみれば資本と労働の代替の弾力性をどうみるかに懸かるわけだが、それもまた世の中のバランスにうまくフィットする形で決まってくるんだろう、という楽観的な信念のようなものがある*2
 さらにいえば、人口減少に関しても、健康増進と開放経済の進展でこれまでの常識的な見方は変化し得るものである。これに「高圧経済」が重なれば、(技術的失業とは別に)有効需要減少の過程で生じ得る失業すら抑制した上で、経済規模の維持と生産性向上を同時に成立させるような経路もあり得るであろう。その場合、労働市場のタイト化が労働条件全般の向上につながる一方で、物価上昇によって生活者視点での満足度低下が生じることになる。

 以下は、『孫の世代の経済的可能性』における百年後の孫の世代についての有名なパラグラフである。

 今後もかなりの時代にわたって、人間の弱さは極めて根強いので、何らかの仕事をすなければ満足できないだろう。いまの金持ちが通常行っているよりたくさんの仕事をして、小さな義務や仕事や日課があるのをありがたく思うだろう。しかしそれ以外の点では、パンをできるかぎり薄く切ってバターをたくさんぬれるように努力するべきである。一日三時間勤務、週十五時間勤務にすれば、問題をかなりの期間、先延ばしにできるとも思える。一日三時間働けば、人間の弱さを満足させるのに十分ではないだろうか。[前掲書p.215]*3

*1:後述する「マルサスの悪魔P.」に相当。

*2:とはいえ、世の中的には、特に専門家の間でも、それほど楽観的ではない人の方が多い気はする。

*3:さらにここから「富の蓄積がもはや、社会にとって重要ではなくなると、倫理の考え方が大きく変わるだろう」とのフレーズが続く。

関口正司『J・S・ミル 自由を探求した思想家』

 2023年6月刊。J・S・ミルといえば、父ジェームズやジェレミーベンサムの薫陶を受けた早熟の天才との印象を持つ。本書では、評伝という形式で、ミルの思想の全体像をみる。
 マンデヴィル『蜂の寓話』により、人々の欲求が勤労と消費需要を促し文明社会が進展すると主張されたのは17世紀半ば。本書においてミルが大きな影響を受けたとされるベンサム『立法論』は、その数十年後に出版されている。功利主義、自己利益優先の普遍的原理は、先天的で固定的なものとされる道徳や立法観に対置された「最大幸福原理」と結びつく。ミルは、ベンサムに強い影響を受けつつも、その自己利益優先の原則と、公共の利益のために活動しているとの自分自身に対する確信との関係は、後の「精神の危機」へとつながることになる。

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今年の10冊

 恒例のエントリーです。本稿では今年出版された書籍ではなく、前年の同エントリー以降に読んだ書籍の中から10冊を取り上げます。以下、順不同で。

オリヴィエ・ブランシャール(田代毅訳)『21世紀の財政政策 低金利・高債務下の正しい経済戦略』

traindusoir.hatenablog.jp

 r-g<0が中長期的に継続する可能性が本書の肝。そのため、これまでのマクロ経済学の「定型的事実」に対する異論が並べられる。使用される知識は、ローマー『上級マクロ経済学』であれば第2章までのラムゼイモデルと世代重複モデル。

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橘木俊詔、森剛志『新・日本のお金持ち研究』

 2009年10月刊。2005年に出版された『日本のお金持ち研究』の続編で、内容は異なる。本稿の著者は、前著『日本のお金持ち研究』を未読であるが、関係箇所は概ね引用されており、また著者の一人による短い紹介文で、その大まかな内容は知ることができる。

 これらの基となる研究では、「お金持ち」と言われる人はどのような人なのか、どのような経緯で「お金持ち」になれたのかなどを明らかにするため、国税庁『全国高額納税者名簿』(2001年度版)の住所・氏名を利用したアンケート調査を行っている。しかしこの名簿は2005年度版を最後に作成されなくなり、以後、同様の研究を実施することは困難となっている。その意味では、出版から十数年を経ているものの、本書と前著の内容は未だ希少性を保ち続けている。
 著者らは、高額納税者名簿が作成されなくなったことに対し、富裕層の研究ができなくなったという理由から批判的で、秘密保持や犯罪防止の方策は他ににいくらでもあるはずだという。しかし現在の視点からみると、妬み・嫉みに溢れたネット上の発言や、日本社会の同調圧力などの観点で、むしろ当時の判断は正しかったと考えられる。

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玄田有史、連合総研編『セーフティネットと集団 新たなつながりを求めて』

 2023年5月刊。日本のセーフティネットは、2008年の世界金融危機、また同年末の「年越し派遣村」を契機に非正規雇用者の労働条件が社会問題化したこと等を受け、無料の職業訓練と給付金からなる求職者支援制度等のいわゆる「第二のセーフティネット」が創設されたことで、雇用保険制度(雇用調整助成金や失業等給付)と生活保護制度という二つのセーフティネットの間を求職者支援制度等の「第二のセーフティネット」が補完する三層構造の仕組みとなった。非正規雇用者は、雇用保険への加入資格があっても受給の要件を満たさないことが多く、失業者のうち失業給付を受給している者の割合は3割にも満たないとされている(長期的にも低下傾向)。一方、生活保護は税財源により給付が行われるが、資力を持たない生活困窮者に限られ、スティグマ効果を持つ他、(本書の74頁の図表2-2を見てもわかる通り)一度制度の対象になると、そこから抜け出すことは難しいことが推察される。

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コルナイ・ヤーノシュ(溝端佐登史、堀林巧、林裕明、里上三保子訳)『資本主義の本質について イノベーションと余剰経済』

 訳書の初出は2016年で、原著は2014年刊。原題は”Dynamism Rivalry, and Surplus Economy: Two Essays on the Nature of Capitalism”。社会主義システムの下での経済は、商品と労働力が必要を満たない「不足経済」であると著者は名付けたが、本書では、一方の資本主義経済の特性を「余剰経済」と名付け、両経済の特性の違いに着目した上で、資本主義の評価を行い、計測上の問題等を検討する。特にイノベーションを促進する効果について、資本主義の最大の長所としている。

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