kurakenyaのつれづれ日記

ヘタレ リバタリアン 進化心理学 経済学

いただき女子(を擁護する人)は好きか?

こんにちは。

 

「いただき女子は、法に触れていない」とボクが主張すれば、なにかボクが非道徳的な人間であるかのような気がするだろう。人は、「不合理でも道徳的な悪を罰するべきだ」と主張する人は、おそらくそれほど道徳的なのだろうと考えるからだ。つまり、道徳性という倫理判断の思い込みが強ければ強いほど、無理にでもそれを犯罪にしたがるのだという人間心理のあり方を踏まえた判断なのだ。

 

おそらくこれは正しい。中世のアクィナスなどの哲学者からマルクス、さらに現代に至るまで、多くの経済学者たちは「自然な価格」とは「市場での価格」ではなくて、むしろ生産に投入した労働量などだと主張してきた。まあ、大体はあっているのだが、厳密には一致しないことも多い。

 

いただき女子を批判するのは非合理的だが、そういった批判を肯定することで、初めて「自分の道徳性の高さ」を喧伝できる。ボクのように「悪いが、それでも犯罪ではないだろう」などという偏屈者は、道徳的に信頼に値しない。

 

最後の余談になるが、こうした論理を展開する人(ボクの場合は女性)が眼前にいたとしよう。ボクは研究者仲間として大いに評価するが、そういう女性が好みかといえば、おそらくそうではない。ここにはダブル・スタンダードがあって、研究仲間と配偶者や恋人には異なった資質や性格を求めるということなのだ。

 

あな、難しや、難しや。

 

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EVよりもICEのほうが売れている

こんにちは。

 

ホンダのwv-rというクルマが売れている。

 

http:// https://car.watch.impress.co.jp/docs/news/1586275.html

 

これって、つまりはEVの反動みたいな感じだ。HV、さらにはEVにすれば、モーターと電池の分だけ、どんどんと値段が上がる。それに比べると、何もつけない素のエンジンなら、かなり安く作れるというものを、実際に消費者が指示しているということ。

 

うーん、つまりガソリンというランニングコストが若干高くても、人々は初期投資の小さな普通のガソリン車を求めているのだ。これが環境に良いか、あるいは究極的に消費者利益になっているかはさておき、それはそれで一つの合理的な選択だ。

 

政府も(普通の人から集めた税金で)EVなんかに補助するのはやめて、市場に任せるべきなのだ。もしEVがホントに指示されるのなら、その値段が高くても、自然と売れるはず。

 

余談だが、今の中国の電池開発のスピードを見ると、5年もすれば、ICE(内燃機関)のクルマよりもEVのほうが安くなる。だって構造が単純だから。というと、何か、中国びいきの感がするなら、それは日本がEVで完全に競争力がないということがわかっているからだ。

 

さて、あと2,3年もすれば、本当のことがわかる。正直、ボクはXiomiはじめ、中国車の開発スピードに驚いているが、日本車びいきの人たちのなかには、それは単に中国政府の補助金による見せかけのものだという人もいる。どうなのかは、本当に近いうちに、誰の目にも明らかになるだろう。

 

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いただき女子は何の罪?

こんにちは。

 

今日のニュースに、「いただき女子リリちゃん」が9年の有罪判決を受けたという話があった。

 


www.youtube.com

 

簡単に言えば、「若い女性が恋愛関係を装って、生活困窮についての嘘をついて、おじさんから金を引き出した」という話で、これを「詐欺」としている。さらに、そのマニュアルを他の女性に売ったことが、「詐欺幇助」の罪に問われたというものだ。

 

別段の興味もなく聞いていたが、ちょっと考えてみるなら、これは明らかにおかしな判決だ。リリちゃんが相手の男に対して「どういう事情で経済的に困っているのか」の説明を偽っても、詐欺の構成要件である「男が金を与える」という認識そのものは、被害者とされる男に存在していた。金銭贈与の「理由」というのは、動機の錯誤であり、日本の刑法では詐欺罪を構成しない(はずだ)。

 

つまり、(キャバ嬢と同じように)リリちゃんは詐欺はしていないし、彼女に金を与えた男も(その金銭贈与の理由以外は)騙されていない。

 

つまり、彼女は他の女性にも自分のパパ活のマニュアルを売っていて、それがあまりにも「道徳的に」悪いので、「みせしめ」に9年の判決を受けたということだ。しかし、2,3年ならともかく、9年というのはあまりに長い。こういう「みせしめ」というのは、それなりの合理性はあるのだろうが、そして日本政府=お上が好きなものではあるが、しかし罪刑法定主義(の精神)に反している。

 

もしメディアが「人権」擁護を気取るのなら、リリちゃん判決はみせしめであり、不当だというべきだ。もちろん、ホストの活動が法的にも否定され、歌舞伎町狩りが行われている現在、そんなことはのぞむべくもないだろうが、、、、

 

しかし、こんなことで良いの? 確かにリリちゃんは、道徳的には望ましくないことをさんざんしてきた。しかし、それにしても彼女をブタ箱に10年も閉じ込めるというなら、日本はホントに全体主義の国になっちゃうよ。

 

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「知能=IQ」という日本教育のタブー

こんにちは。

 

娘のYouTubeを参考にして、高須幹弥のサイトを見てみた。彼はさすがに医学を学んだだけあって、大まかに正しい。

 

www.youtube.com

 

残念だが、人間の知的能力には差があって、そのことを公言できるのは医師の資格を持つ人達だけだ。彼らは犯罪者その他の知能検査で、どの程度、犯罪者が「避けられない、仕方がなかったのか」を判定する役割を法的な制度の枠組みでも担っているからだ。

 

当たり前だが、生まれつきIQの高い個人は、野球で「運動神経の良い個人」と同じような意味を持つ。努力である程度は補えるが、すべてではないだろう。

 

こういうことは「発言してはならない」ことになっていることそのものがおかしいし、残念だ。こういう真実を無視しては、(所得の不平等の矯正などという)マトモな政策ができるわけがない。

 

まともなメディアではなく、高須幹弥のような「いろもの」しか。IQについて話せないというのはそもそも我々の議論の可能性を歪めている。僕も「自由主義」という枠がなくなれば、もっと自由気ままに「科学」的にわかっている行動遺伝学についても話せるのかもしれない。

 

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きみのお金は誰のため

こんにちは。

 

今日は『』を読んでみました。普通、こういうベストセラーってあんまり感心しないものがほとんどなんですが、これは良い! 社会・経済は人々の贈与、それは形としては金銭を通じた交換であるということがはっきりと書かれていますね。

 

 

おそらく一番良い指摘は、「僕たち」という概念が、通貨を通じた交換だと認識するとひじょうに狭く感じられる反面、「贈与」であるというふうに考えるなら、はるかに広くなって、社会全般を友好的に捉えられるという点にあるでしょう。

 

 

(では、なぜこうした認識論的な相違が生じるのかについても、いつか書いてもらいたいのですが、おそらくそれは人々が望むことでも、面白がることでもないのだろうけれども。)

 

もちろん、ツッコミどころはいくつもあって、「投資銀行に務める切れ者の大卒女性が、それまで、こんな単純なことを理解していなかったのか?」とか、「エンジェル投資家が、本当に『働かずに金儲けをしている』ズルい人たちなのか?」など、まったく納得できない部分はあります。

 

そうしたことまで書き込めば、小説としての枠組みには収まらなくなるだけでなく、おそらくは多くの人たちの反発を買って、ベストセラーにはなり得ないでしょう。。。ともかくも、とても読みやすいので、おそらくは大学生くらいの人にオススメの本でした。

 

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山崎元さん

こんにちは。

 

今日は近所の書店+スタバにて山崎元さんの『息子への手紙』を読んだ。僕は1995年に大人かつおそらく十分な経済学の知識を持ってと帰国してから、いろいろな「経済評論家」の本を読んできた。そのなかで唯一人にオススメできるのは、この人の投資法だ。実際、昔書いた本でも、彼の文章を引用しているはず。

 

 

 

 

要するに、投資法としては、「それなりの収入割合をオルカン一本で投資をして、必要だと感じたときに売って生活資金にする」というだけ。

 

他にも「資本主義の仕組み」や「幸福論」などの著者の世界観が書いてある。僕も資本主義の仕組みについては完全に同意。要するに、サラリーマンの「リスクを極端に回避する」という人生戦略では、人生を「機嫌よく」生きることは難しいということ。早いうちにスタートアップに関与するか、「取替のきかない」特殊な知識を持つビジネスマンになるか、の2択だということだ。

 

僕はこの本で言う、「個人投資家戦略」という形で生きてきたが、それは単に人付き合いが下手で、あれこれ本を読んで考えるのが人生の楽しみだったから。ビジネスマンとして楽しくスタートアップで仲間とうまくやれるなら、そういう人生も素晴らしいと思う。

 

幸福論についても、大まかに同意できるし、「人生の目的は人それぞれで良くて、金儲けでもいいし、何でも良い」というのも第賛成だ。

 

 

どうして凡百の投資法がの指南書が溢れているのか?? 特に経済学のマトモな論文を読んでいる人ほど、まったくよくわからないはずだ。おそらく山崎さんが指摘しているように、情弱の主に年配者が「マーケティングに惑わされている」のだろう。まともな若者はもうS&P500か、オルカンしか買っていない。

 

余談になるが、こういう本は、「よくわかっている大人が18歳の大学生にわかってもらいたいこと」を書いている。僕も「18歳から」という題名で書いたことがあるが、現実には18歳の少年はあまりに子供すぎて、知識も世界観も中二病のままなので、こういう「本当のリアルな現実」を語っても、ほとんど届かない。(山崎さんの息子さんは飛び抜けて知的だから、あるいはわかると考えられるのかもしれないが、、、) その点は残念でもあるが、まあ、実際の読者は20代後半以降のビジネスマンだから、別に問題はないのだろう。

 

ともあれ、彼のような啓蒙的な人材が亡くなったことは実に惜しい。もっと活躍してもらいたい人だった。ご冥福をお祈りします。

 

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最後のアダ花になるのか?

こんにちは。

 

なんか今年に入ってEVが売れていないというニュースが相次いでいる。アメリカ、EUでも大きなブレーキが掛かっている。

 

もともとEVは高いのに航続距離は短いから、政府の補助金がなければ売れないということと、どの国でもアーリーアダプターには行き渡ったということなのだろう。完全にEV普及は踊り場に差し掛かっている。

 

それで、もともと経済的に有利だったHVが俄然売れているということになる。特にトヨタはその評価までもが復活して、これから5年以上はこの世の春を謳歌しそうだ。いや、あるいは10年かもしれない。

 

しかしナトリウム電池、半個体電池など、毎年電池は新しい種類が出て大容量化して、低価格化している。HVよりも全体のランニングコストが下回るようになるために必要な時間は、せいぜいあと5、10年ほどではないのだろうか?

 

また、BYDのEV・PHVラインナップを見ていると、トヨタの時代はやっぱりもう10年したら終わるんじゃないかと、改めて思われてくる。というか、EVの設計や生産の効率化に関しては、中国勢は5年は先を行っている感じだ。テスラでさえも、自動運転という土俵以外では、中国勢の価格競争力にはついていけなくなるのではないだろうか。

 

電池を含めた価格競争力が違うことが重要なので、まずは東南アジアなどの中進国から席巻していくことになるだろう。実際、もう中国は世界最大の自動車輸入国だ。インフラが揃ってくれば、あるいは中国メーカーが(今のテスラのように)自分たちのためのチャージャーを是会に整備していけば、どの国でも中国車は大きな勢力になりそうだ。

 

今は「日本車がやっぱり優れていた」「EVはオワコン」なんて自慢している人が多いようだが、どう見ても終わりの始まりだよ。

 

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