くらのすけの映画日記

「シネマラムール」の管理人くらのすけの映画鑑賞日記です。 なるべく、見た直後の印象を書き込んでいるのでネタバレがある場合があります。その点ご了解ください。

映画感想「ピアノ・レッスン」(4Kデジタルリマスター版)「街のあかり」

ピアノ・レッスン

初公開以来30年ぶりの再見でしたが、やはりこの映画は名作です。男と女の愛情の不可思議さを徹底的に突き詰めた作劇と、恐ろしいほど大胆な構図、ブルーの色調を中心にした詩的で美しい画面、登場人物それぞれの生々しい感情の彷彿、そしてなんといっても、人間を客観的に見下ろすような天使としての存在感を見せる女の子の存在が素晴らしい。なぜあそこまで夫スチュアートを嫌うのか、なぜベインズに身も心も惹かれていくのか、そこに存在するピアノの不思議なくらいの存在感に映画芸術ともいえる神髄があるのかもしれない。娘のフローラが背中に羽をつけて飛び回る姿もシュールな中に大人をハッとさせる怖さを秘めているのも良い。やはり素晴らしい映画だった。監督はジェーン・カンピオン

 

19世紀半ば、スコットランド、エイダは六歳の時に言葉を発することをやめたというナレーションから映画は幕を開ける。大人になったエイダは娘フローラと共にニュージーランドの入植者スチュアートの元に嫁ぐことになり、ピアノと共に荒れる海をニュージーランドの海岸にたどり着く。しかし、荒れた天候で、船乗り達は帰ってしまい、迎えが来るまで浜辺で娘と野宿することになるエイダ。

 

やがて、夫となるスチュアートが通訳でもある地元の地主ベインズと共に迎えにやって来るが、住まいまで森を抜けなければならず、ピアノは海岸に置いておくことになる。ぬかるみを進んでスチュアートの家までたどり着き、やがて結婚式が行われるが、エイダの態度は冷淡にさえ見えるほどそっけなかった。エイダはベインズに無理を言って浜辺に連れて行ってもらう。エイダはそこで浜辺のピアノを弾くのだがそれを見ていたベインズは、自分の土地と引き換えにピアノを譲って欲しいとスチュアートに申し出る。

 

エイダのピアノはベインズの家に運ばれ、ベインズはエイダに、毎日教えに来て欲しいと頼む。ベインズはエイダに惚れてしまった。ベインズは小屋に来てもらうごとに黒鍵を一つづつエイダに与えると言い、その代わり、エイダの体に触れることを許してもらう。エイダはベインズに言われるままに、ピアノを教えるという口実でフローラを連れてベインズの小屋に行き、足、腕、上半身、と次第にベインズの要求に応えていくが、いつの間にかエイダの心もベインズに惹かれていく。

 

ある日、ベインズはエイダの前で全裸になり、エイダにも服を脱いで欲しいと頼む。そして二人は初めて体を合わせるが、その様子を外で待つフローラは目撃する。その日の後、ベインズはスチュアートにピアノを譲ると申し出る。スチュアートの家にピアノが届くがエイダは弾こうとしなかった。そして、エイダはベインズの元へ出向くようになり、不審に思ったスチュアートがベインズの小屋を覗いてエイダとベインズが抱き合う姿を見てしまう。

 

しかし、エイダは、少しづつスチュアートの体に触れるようになっていく。それでも一線を越えさせようとしないエイダに、スチュアートはある日、エイダを信じるからとエイダを一人残して森へ仕事に出かける。エイダは鍵盤の一つを外し、そこに、自分の気持ちはベインズのものだという言葉を書き込んで、フローラに届けさせようとする。フローラは拒否したものの無理やり押し付けられ、仕方なくベインズの元へ向かうが、途中で道を変え、スチュアートのところに鍵盤を届ける。スチュアートは激怒し、エイダのところに戻ると、斧でエイダの指を切り落とし、フローラにその指をベインズの元へ届けるように言う。

 

泣きじゃくりながらフローラはベインズの元へ向かう。指の怪我で熱のあるエイダを介抱するスチュアートは、ついエイダの体に触れようとするがエイダが目を開き、その視線を感じたスチュアートは行為をやめてしまう。そして、ベインズの元に行くことを許し、二人で旅立ちように促す。

 

ベインズとエイダはピアノを船に乗せ浜辺から沖に出るが、途中でエイダはピアノを海に捨てるように言う。躊躇ったもののエイダの気持ちを汲んだベインズはピアノを海に落とすが、ピアノを縛っていた縄がエイダの足に絡まり、エイダも海の中に引き摺り込まれる。しかし、すんでのところで縄が外れてエイダは海上へ浮き上がる。ベインズとエイダは行き着いた街で、エイダはベインズが作った義指でピアノを教えるようになったと言うナレーションと二人が抱き合う姿で映画は終わる。

 

激しいドラマなのに、落ち着いた淡青な色彩映像と美しい音楽が素晴らしく、フローラがスチュアートのところにエイダが書いた鍵盤を届ける時の極端な斜めの構図や、海を背景にした横長の落ち着いた美しいショット、原住民の粗野な姿と、入植者としてのスチュアートの苦悩など、隅々まで描き込まれた物語に圧倒されたまま、ピアノを通じた三角関係の展開を描く様は群を抜いた仕上がりになっています。一級品の映画の貫禄十分な一本だと改めて感動してしまいました。

 

「街のあかり」

何をやってもうまくいかず、それでも前に前に進む男の姿を淡々とひたすら綴っていく作品で、どこかユーモラスであるのはいつもの空気感の作品でした。監督はアキ・カウリスマキ

 

警備会社で働く主人公コイスティネンが職務を終えて戻って来るところから映画は幕を開ける。上司にも信頼されず同僚からも無視されているものの、気にすることなく、このまま警備員で終わるつもりはないとキッチンカーで働く女に話をしている。

 

そんな彼はいつも行くカフェで飲んでいると、男達がコイスティネンに目をつける。しばらくして、コイスティネンはカフェで一人の女ミルヤに声をかけられる。そしてデートをすることになり、映画に出かける。キッチンカーの女にそんなことも報告する。ある時、仕事中に訪ねてきたミルヤとカフェに行き、コイスティネンが少し席を離れた隙にミルヤに睡眠薬を入れられ、車の中で眠ってしまう。コイスティネンは警備しているショッピングセンターの鍵束を持ったままな上に、先日職場を案内した時にミルヤに暗証番号を覚えられていた。実はミルヤは、マフィアがコイスティネンに差し向けた女だった。

 

ミルヤはボスに鍵束を渡して、マフィアは宝石店に入って貴金属を奪う。窃盗事件の時にいなかったコイスティネンは当然疑われ、解雇される。そんなコイスティネンの家にミルヤが訪ねてきる。そして盗んだ貴金属と鍵束をクッションの下に隠すが、鏡を通してコイスティネンは目撃する。しかし、コイスティネンは黙ってミルヤを帰らす。まもなくしてコイスティネンは警察に捕まるが、ミルヤのことは話さず、有罪となり刑務所に入る。しかし、初犯でもあったのでしばらくして仮釈放になり、食堂で皿洗いとして働くようになる。

 

ところがそのレストランにミルヤとそのボスが客としてやってきてコイスティネンと出会う。ミルヤのボスは店長にコイスティネンのことを話したためコイスティネンは首になる。コイスティネンはミルヤのボスをナイフで襲うが、逆にマフィアに捕まりリンチされて放り出される。いつもコイスティネンを見かける道端の少年の通報でキッチンカーの女がコイスティネンのところにやってくるが、コイスティネンはまだまだこれからだと呟いて映画は終わる。

 

なんと言うこともないドラマもない淡々とした作品で、なんともいえない不思議なコミカルささえ感じてしまう一本でした。

映画感想「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」(4Kレストア版)

「荒野の用心棒」

何回目かの再見、名作「用心棒」の焼き直しではあるけれど、これはこれで名作だと思います。砂煙りを白く見せる演出や、クライマックスの足元から靴だけを写して向こうを望むカメラ構図など、拍手ものです。監督はセルジオ・レオーネ

 

アニメタッチのオープニングクレジットの後、メキシコ国境の宿場町サンミゲルへ一人のガンマンジョーがやって来るところから映画は幕を開ける。この町ではロホ兄弟と保安官のバクスター達が利権を争っていがみ合っている。いきなりロホ兄弟が囲っている女マリソルの息子が泣き叫ぶ場面に遭遇したジョーはこの街を掃除してやろうと思ったかどうか、争い合う二組をケンカさせる計画に出る。

 

街の酒場の親父と仲良くなり、ロホ兄弟やバクスターらを快く思っていない棺桶屋の親父も巻き込んで、ジョーは自分をそれぞれに売り込みながら、たまたま軍が運んできた金塊をロホ兄弟のラモンが略奪したのを見たジョーらは、この事件を使って二組を歪み合わせ、さらにマリソルも助け出して解決しようとする。しかしすんでのところでジョーは捕まってリンチに会う。しかしなんとか脱出して、バクスターらを皆殺しにしたロホ兄弟に復讐しに戻って来る。クライマックスは鉄板を胸にぶら下げてライフルの銃撃をかわす名場面から、一瞬の早撃で倒してしまう大団円へ続いて映画は終わる。

 

シンプルそのもののストーリーはオリジナル版「用心棒」をほとんど踏襲した形になっているが、マカロニウェスタンに焼き変えた横の動きを多用したカメラワークとエンニオ・モリコーネの名曲のテンポで、別の意味での名作に仕上がっています。スクリーンで見てこその一本だと思います。

 

夕陽のガンマン

これこそスクリーンで見るべき一本。画面が大きいし、とにかく作品にスケール感が溢れている。しかも、男臭いドラマにさりげない切ない話を組み合わせた展開がとっても良いし、映画らしい名シーンに溢れている。こういう映画を見るとやっぱり映画は映画館だなと思います。監督はセルジオ・レオーネ

 

列車の中、賞金稼ぎのモーティマー大佐が乗っている。トゥクムカリという町で無理やり列車を停めて降り立ち、ターゲットの男を仕留めて賞金を手にする。そして次のターゲットの元へ向かおうとして、最近新入りのモンコという賞金稼ぎも現れたことを知る。モンコはホワイトロックスという町でお尋ね者を殺し賞金を手に入れていた。

 

監獄で燻るギャング団のボスインディオは、仲間の手助けでこの日脱獄に成功するが彼の首には20000ドルという賞金がかけられる。インディオエルパソ銀行を襲うらしいという情報を聞き、モーティマー大佐もモンコもこのインディオを狙ってやって来るが、インディオの仲間が14人いて手こずりそうだとわかり、お互いに手を組んで賞金を山分けすることにする。

 

モーティマー大佐はモンコをインディオの仲間に入り込ませ、中からと外からインディオを片付ける計画を立てる。モンコはインディオの友達を刑務所から助け出し、それをネタに仲間に入る。インディオは別の街で小さな銀行を襲わせ、エルパソ銀行が手薄になった隙にエルパソ銀行を襲う段取りをする。モンコらに他の銀行を襲わせにいくが、モンコは途中でインディオの手下を殺し、帰り道に襲われて風を装って戻って来る。

 

インディオらがエルパソ銀行を襲うタイミングで一網打尽にしようとモンコとモーティマー大佐は待ち構えるが、インディオはいきなり金庫室を爆破して金庫ごと持ち出すという意表をついた作戦に出たため機会を逃してしまう。そこで、モーティマー大佐はモンコに、インディオ達の逃げる先をうまく誘導するようにアドバイスし、まんまとアグアカリンテの街へ行かせる。そこで、インディオらが手こずっている金庫をモーティマー大佐は開けてやりモーティマー大佐も仲間になる。

 

インディオはとりあえず金を一ヶ月保管しておくと言って一軒の小屋の中のつづらに入れて鍵をかける。深夜モーティマー大佐とモンコは小屋に忍び込み、金を取って袋に入れ、つづらに鍵を閉めて判らないようにして逃げ出そうとするがインディオに見つかってしまう。二人はリンチに会うが、インディオの手下の一人がインディオの命令で二人を逃してしまう。インディオは二人を銀行強盗の犯人に見せかけようとしたのだ。そして、二人と自分の手下を撃ち合いさせて、自分と右腕の男で漁夫の利を得ようと考える。しかし、つづらを開けてもすでに金はなかった。モンコらは捕まる前に袋の金を木の枝の中に隠していた。

 

インディオらとわずかの手下に対しモンコらが立ち向かう。そして最後の最後、モーティマー大佐はインディオと一騎打ちとなる。実はインディオは、かつて愛した女性の形見のオルゴールの鳴る懐中時計を持っていた。若い頃、無理やり手に入れようとしたその女性は自殺してしまい、以来彼女への思いが断ち切れていなかった。一方モーティマー大佐も同様の時計を持っていた。自殺した女性はモーティマー大佐の妹だった。そして一騎打ちの末モーティマー大佐はインディオを撃ち殺す。

 

インディオら大勢の手下の死体を手に入れ大漁に賞金を稼いだがモーティマー大佐はモンコに全てを与えて、自分は夕陽の中に去っていく。木に隠した金を取り、死体を積んだ荷車を引いていくモンコの姿で映画は終わる。

 

クライマックス、丸く置かれた石のサークルでのモーティマー大佐とインディオの一騎打ちシーンから、大きく俯瞰でカメラが引いてのラストシーンはまさに映画の世界です。本物のスクリーン映画を堪能できる一本でした。

 

 

映画感想「コール・ジェーン 女性たちの秘密の電話」「ブリックレイヤー」「罪と罰」(アキ・カウリスマキ版)

「コール・ジェーン 女性たちの秘密の電話」

相当に良かった。実話を元にしているとはいえ、エピソードの組み立てが抜群に良い脚本が素晴らしく、クローズアップや背後からのカメラワーク、延々と長回しをするリズム感と軽快な音楽の挿入が映画全体をテンポよく牽引していくタッチも見事。下手をすると重い話になりがちなテーマをメッセージをしっかり伝えながらも、女性のドラマとして完成させたのは秀逸でした。良い映画を見ました。監督はフィリス・ナジー

 

高級ホテルの階段を一人の女性が降りて来るのをカメラが背後から追って行って映画は幕を開ける。共同経営者の会合のような実業家らの華やかなパーティーホールを横目に玄関まで出ると、外ではベトナム戦争反対の若者たちを同じ年代の警官達がホテルを警護している。時は1968年8月、優秀な刑事弁護士の夫ウィルを持つ妻のジョイはこの日も夫のパーティに同行した後帰宅する。しかし、最近彼女は時に気を失いかける症状を感じていた。長女シャーロットは15歳で、最近初潮を迎えたと聞いてジョイは喜ぶが、ジョイのお腹には二人目の赤ん坊がいた。

 

ある日、ジョイはシャーロットとはしゃいでいて突然倒れて病院に担ぎ込まれる。医師の診断は、心臓に問題があり、このまま妊娠を続けることは難しいというものだった。しかしこの時代人口中絶は違法とされ、どの病院も許可していなかった。母体を守るよりも違法性を優先する男性の医師達の行動に、ジョイは辟易としてしまう。夫のウィルも、なんとか無事出産することしか考えない。病院の医師のアドバイスで、二人の精神科医にジョイが精神不安定で自殺しかねないと診断されたら中絶できるかもしれないと言われ、精神科医を受診するが、その診断にならず、メモで違法医師を紹介される。さらに帰り際、受付の女性に階段から落ちたらいいと言われるが、ジョイは結局できなかった。

 

メモの住所でスラム街のような建物を訪ねたジョイだが、やはり思わず逃げ出してしまう。そしてバス停で「コール・ジェーン」の張り紙を見つけ、恐る恐る電話をする。ジェーンからの迎えで、ジョイは黒人のグウェンの車に乗せてもらい目隠しをされてとある建物にやってくる。そこでバージニアという、この組織の主催者に迎えられたジョイは、ディーンという若い医師に施術され無事中絶する。自宅に帰ったジョイは巧みに嘘をついて流産した旨をウィルに話す。

 

後日、ジョイはバージニアから突然、運転手が急病になったから一人の患者を車で送って欲しいと頼まれる。それをきっかけにジョイはたびたびジェーンに患者を送迎し、仕事を手伝うようになる。そして手術の際のディーンの手伝いも手際よくこなすようになる。ジェーンの経営が厳しくなり、患者数を増やしたり、無料の手術を受けたりするようになって、施設は多忙を極めていく。

 

ある日、ジョイは、何かにつけ報酬にこだわるディーンを不審に思い彼の後をつける。そこでジョイは、ディーンはプールのある大邸宅に住んでいるのを突き止める。ジョイはディーンに詰め寄り、ディーンが医師免許を持たないことを告白させ、自分に施術の方法を教えるように迫る。そしてディーンはジョイに中絶手術のやり方を手ほどきし始める。やがてその真実をバージニアも知ることになり、ジョイが一人で手術ができるようになって来るとディーンを解雇する。

 

日々の行動に疑問を持ち始めたシャーロットは、ジョイの日記からジョイの行き場所を突き止め乗り込んできた。さらに、仕事を終えてジョイが帰宅したら自宅前にパトカーが停まっているのを発見する。てっきり逮捕されると思ったジョイだが、実は警官の知人の一人が中絶の必要があり、ジェーンに連絡をするから頼むというものだった。

 

全てがウィルにバレてしまったジョイはバージニアに、今後活動から離れる旨を知らせる。ところがしばらくして、シャーロットに連れられてバージニアがやってくる。沢山の患者が苦しんでいるからと、ジェーンに届いた留守電のカセットテープを渡す。ジョイはシャーロットとそのテープを聞き、再びジェーンの事務所へ行く。そして、みんなにも手術の方法を伝授するので、みんなが手術できるようになるまではここに残ると告げる。

 

こうしてジェーンの組織はその後強制捜査が入るまで12000人の女性を救ったことがテロップされ、ウィルの弁護と女性達の支援で保釈されたことが語られて映画は終わる。

 

社会ドラマではなく、女性達の自立のヒューマンドラマというのが根底に流れるストーリー作りが見事で、周囲の脇役も、主人公に反対しながらも応援していく描写が当時の世相を見事に反映し、爽やかなエンディングに拍手してしまう作品だった。

 

「ブリックレイヤー」

原作が悪いのか脚本が雑なのか、トップクラスのプロの諜報員なのに素人みたいなドジをふむケイトの存在や、強いのかどうかわからないカリスマ性のない主人公ヴェイルの描き方、さらに安易なカーアクションと、まるで安物のテレビアクションを見るような映画だった。監督はレニー・ハーリン

 

ギリシャテッサロニキ、元CIA諜報員で死んだと思われている一人の男ラデックがホテルの一室に入っていく。そこにはドイツ人女性ジャーナリストグレッグが待っていて、ラデックはCIA諜報員がヨーロッパで殺戮を繰り返している証拠の書類を手渡した直後グレッグを撃ち殺して映画は幕を開ける。

 

アメリフィラデルフィア、元CIA諜報員のヴェイルはレンガ職人となって今日も仕事をしていたが、CIAの上司オマリーに呼び出される。グレッグ殺人の防犯カメラを調査していたCIAの新人諜報員ケイトが、死んだはずのラデックを発見したため、ラデックの元相棒で友人のヴェイルが呼ばれたのだ。

 

ヴェイルは最初は拒否するが、仕事中何者かに銃撃される。どうやらラデックの仕業らしいと判断したヴェイルはオマリーの依頼を受けるが相棒にケイトをつけられる。二人はギリシャに着き、ヴェイルはかつての仲間のところに無理やりケイトを連れて行って、車や武器を調達、ラデックとの接触を試みるというのが本編になるのですが、このあたりから混沌としてくる。

 

ヴェイルはCIAのギリシャ支局長でおそらく元カノであろうタイと会って状況を把握し、仲間の協力でラデックと接触しかけるが、ーラデックは自分の娘と妻がCIAに殺されたと信じていて、CIAをヨーロッパでの敵に仕立てる計画を進める。そしてヴェイルの仲間はラデックの手下らに殺され、CIAの暴露資料を渡すための法外な報酬を要求、オマリーは仮想通貨による支払いを承諾してギリシャに乗り込んで来る。

 

ラデックは金の受け渡しにケイトを要求し、頼りないながらケイトが一人向かうが、途中でヴェイルと入れ替わる。しかし、罠に嵌められ間一髪のところ脱出してケイトと共にラデックを追う。そしてようやく追い詰めるのだが、ラデックはギリシャ外務大臣暗殺を最後の目標にし、それをCIAの仕業にすることでとどめを刺そうとしていた。しかしヴェイルがその企てを阻止し、自ら重傷を負って事件を解決する。

 

ヴェイルが最後の挨拶にタイの部屋に行ったが、そこで、かつて自分がラデックにプレゼントしたレコードのジャケットを発見、黒幕がタイだとわかる。しかしタイはヴェイルに銃口を向けていた。しかしすんでのところで脱出、タイがヴェイルを車で轢き殺そうと迫るのを駆けつけたケイトが救う。全てが終わり、ヴェイルは元のレンガ職人に戻り、ケイトは出世を拒否して映画は終わっていく。

 

なんともいえない雑な脚本で、ギリシャのギャング達との銃撃戦の意味も、ラデックが意地になって復讐するくだりも、仮想通貨を要求する動機も表立って見えてこない上に、カーアクションもありきたりだし、主人公のヴェイルにカリスマ性がなさすぎる。さらにケイトがまるで素人の女の子にしか見えないキャラクター設定があまりにリアリティに欠けすぎ、結局、凡作の極みで終わった。まあ気楽に見れたからよしとしましょう。

 

罪と罰

音楽に合わせて淡々と流れる物語で、殺人を描いたサスペンスなのにどこかとぼけた感満載のユニークな映画だった。監督はアキ・カウリスマキ。彼のデビュー作。

 

虫を殺すカットから、主人公ラヒカイネンが食肉工場で働いている場面から映画は幕を開ける。仕事終わりに掃除を終えた彼は帰路に着く。タクシーで帰ってきた実業家のホンカネンが自宅に入るのをじっと見ているラヒカイネンは、手紙らしいものを持ってホンカネンの家の前に立つ。出てきたホンカネンに電報だと手紙らしいものを渡し、サインをしに奥に入ったホンカネンの後についてラヒカイネンが入っていき、銃を向けてホンカネンを撃ち殺す。ホンカネンの所持品を包んで帰りかけると一人のケータリングの女エヴァが入ってくる。ラヒカイネンは、自分は人を殺したから警察に電話をしろと言って出て行ってしまう。

 

刑事が殺人現場にやってきて一通り調べ、犯人を見たというエヴァに事情聴取するがあまり参考にならない。刑事が容疑者だと目星をつけたラヒカイネンを参考人に呼び、エヴァと引き合わせても何故かエヴァは知らないと答える。エヴァは洋菓子店で働いていて店の店長ハイノネンに言い寄られているが、話を逸らしていた。その店にラヒカイネンがやってきてエヴァをデートに誘う。

 

ラヒカイネンは、ホンカネンの部屋から持ち帰った品物をロッカーに隠し、その鍵を道端の浮浪者ソルムネンにやる。ロッカーを開けに行ったソルムネンは張り込んでいた刑事に逮捕される。どうやらラヒカイネンは密告したようだ。結局、ソルムネンは殺人を自白してしまうが、それは長時間の取調べで疲労の結果だろうと刑事は考える。そして再度参考人で呼んだラヒカイネンに犯人はお前だが、いずれ罪の意識で自首して来ると断言する。

 

その頃、エヴァはラヒカイネンの部屋に行った際、ソファに隠していたピストルを持ち帰る。ハイノネンにホテルに呼び出され、結婚を迫られる。力づくでエヴァを奪おうとするハイノネンにエヴァはピストルを向ける。しかし結局撃てず、ピストルを捨てて逃げる。そのピストルを持ってハイノネンは外に出てラヒカイネンと出くわす。ハイノネンはラヒカイネンを撃とうとするが、そこへ市電が走ってきてハイノネンは轢かれる。

 

刑事はそのピストルを証拠にラヒカイネンを呼ぶがラヒカイネンは自白しなかった。ラヒカイネンは偽パスポートを手に入れ、職場の同僚と海外逃亡を考えていた。この日、車で港へ行き、パスポートを見せて船に乗りかけるが、Uターンして警察署へ行き自首しようとする。しかし直前で断念してまた警察署を出てくる。ところがそこにエヴァが待っていた。ラヒカイネンは再度警察署に入り自首し逮捕される。

 

刑務所にエヴァが面会に来る。ラヒカイネンが出てくるまで待つというエヴァにラヒカイネンは8年も待つなと言い、自分は結局虫ケラになったと言って去って行って映画は終わる。

 

一見シリアスドラマなのに、何故か淡々としたとぼけた感が全編に漂い、心地よい楽曲のテンポが映画を不思議な空気感に包んでいく。まさにカウリスマキ色満載の一本だった。

映画感想「ペナルティループ」「ロッタちゃんと赤いじてんしゃ」(2Kリマスター版)「真夜中の虹」

「ペナルティループ」

面白いと言えば面白いのですが、テレビレベルの小手先のストーリーという感じの作品で、それを無理やりシュールな映画作品に仕上げようという軽いタッチの作品だった。結局なんの話かといえばその程度の話かという映画ですが、気楽に見れたのでいいとしましょう。監督は荒木伸二。

 

ベッドで目を覚ます岩森、傍に恋人の唯がいてこれから仕事に出かけるようで、岩森が引き止めるがそのまま家を出ていく。岩森は自宅で建築パースを作ったりしている。夕方二人の男が訪ねてきて岩森はある河岸に連れて行かれる。そこで唯の死体を検分させられる。どうやら唯は殺されたらしい。

 

6月6日朝、岩森はベッドで目を覚ます。職場の植物工場へ行き、いつものように勤務をこなす。駐車場に一人の男がやってきて、機械の点検をする。岩森は自動販売機のカップに何やら細工をし、さっきの駐車場の男溝口が自動販売機のコーヒーを飲む。溝口は車に戻るが急に気分が悪くなり車を停める。そして深夜、目を覚ました溝口の車に岩森が飛び込んできて滅多刺しにして殺し死体を川に沈める。

 

再び6月6日朝、岩森はまた目を覚まし、職場へ行き、同じようにコーヒーに仕掛けをするが、溝口はそのコーヒーを食堂にいた別の女性に与える。岩森は無理やり溝口の車に飛び込んで殺す。そしてまた6月6日朝、岩森はまた職場へ行く。溝口はコーヒーを岩森に渡し次のコーヒーを飲むが気分が悪くなり、また岩森に殺される。何度も繰り返すうち二人は会話を交わすようになり、溝口は当たり前のように岩森に殺される。

 

以前、岩森は、車を走らせていて、たまたま唯が何かを燃やしている現場に遭遇して知り合った。ファミレスで一夜を明かし、唯を駅に送っていくが、何者かに追われるように唯が駆け戻ってきて車に乗る。こうして二人は恋人同士になったようである。そして、また6月6日朝、岩森の周りには謎の男が出没し始め、ラジオからのニュースで今日が最後だと伝えられる。

 

岩森は溝口を唯が殺された河岸に連れていく。そこで、溝口は、実は唯は死にたかったのだと話す。岩森はいつものように銃で溝口を撃ち殺す。気がつくと岩森は謎の男の前にいた。謎の男との契約で時間を繰り返しながら、溝口への復讐を繰り返すことになっていた。そして契約が終わり、元の世界に戻る手続きに入る。いきなり戻らない方が良いと言われ、岩森は最後に、唯と再会し別れていく。目が覚めると岩森の部屋に張り巡らされたシートを何者かが剥がして片付けていく。

 

元の世界に戻った岩森は車で外に出るが。前方のバイクを避けて道の脇に突っ込む。血だらけになって出てきた岩森のアップで映画は終わる。

 

一見、シュールなのだが、次第にSF色を帯びてくる。植物工場という職場設定もどこか近未来感があるし、謎の男も、何かの実験の研究者のようでもある。前半のオカルト的な出だしからの展開が奇妙な違和感になっていく後半、結局、唯の復讐劇のどろどろ感はどこかへ吹っ飛んで、岩森の周りの人物描写もあまり効果を生まず、まるで世にも奇妙な物語の一編のような気分で映画館を後にしました。

 

「ロッタちゃんと赤いじてんしゃ」

さすがに三作目になると、ちょっと工夫の見られない展開と、ほのぼの感が薄れてしまった仕上がりでした。前作の方が心温まる感動がありましたが今回は普通でした。監督はヨハンナ・ハルド。

 

雨の日、風邪をひいているロッタは兄ヨナスと姉ミアがお菓子を買いに行くのについていけず、ママと喧嘩をしているところから映画は幕を開ける。ところが、お菓子屋さんでヨナスらがいると、一人でやっていたロッタがいた。帰ったらママに叱られて部屋を出れなくなるロッタ。

 

家族でハイキングに行くことになり、パパの車で川沿いのハイキング場へ。そこでヨナスが川に落ちて、助けたパパと一緒にずぶ濡れで帰る。ロッタの5歳の誕生日、ロッタはヨナスらと同じように自転車が欲しいがまだ早いからと貰えない。ロッタは隣のベルイおばさんの物置から自転車を持ち出して乗るが、大きいのとブレーキがわからず生垣に突っ込んでしまう。がっかりしているロッタに、パパは中古の赤い自転車を持って帰ってくる。

 

ロッタ、ヨナス、ミアはママと一緒にママの実家へ列車で出かける。ロッタは一年ぶりにおばあちゃんらに会い大はしゃぎ。それでもママに怒られて、一人で帰ると言い出すが。そこへ車でパパが駆けつける。ロッタはおばあちゃんに本を読んでもらって映画は終わる。

 

前作と違い、淡々とエピソードが流れるだけで、全体のリズム感がいまいち盛り上がらないままにエンディングだった。

 

「真夜中の虹」

抜きん出た音楽センスと、シリアスドラマを笑い飛ばしてるんじゃないかというコメディセンスに楽しくて仕方がない感覚を味わわせてくれる秀作。何気ないシーンがよく考えると常識はずれなユーモアが溢れているのがとっても面白い。監督はアキ・カウリスマキ。さすがです。

 

炭鉱が閉抗になり、爆破して穴を埋めている場面から映画は幕を開ける。カスリネンとその父がカフェで話していて、父はカスリネンに自分の車を与えて、一人銃を持ってトイレに入り自殺してしまう。父が言っていた南へ行けという言葉通り、カスリネンは車で南へ向かう。しかし途中のカフェで暴漢に襲われ金を巻き上げられてしまう。

 

無一文になってカスリネンは日雇いの仕事をしながら安ホテルに泊まるが、そこでイルメルという女性と知り合う。イルメルには息子も一人いた。ある日、カスリネンは、金を奪った強盗に再会し、その男を襲うが逆に警察に捕まってしまう。カスリネンは刑務所でミッコネンという男と知り合う。

 

ある日、カスリネンの誕生日だからとイルメルが誕生日ケーキを差し入れてくるが、カスリネンの誕生日はずっと後だった。なんとケーキの中に金切りノコギリが入っていて、それを使ってミッコネンと脱獄する。カスリネンはイルメルにプロポーズするが警察の追っ手が迫る。カスリネンはミッコネンに立ち合いを頼んで結婚式を挙げる。一方、ミッコネンは裏社会の知り合いにパスポートと海外逃亡の船の手配を頼む。

 

ミッコネンとカスリネンは、パスポートを作る金のために強盗しようと計画するが、ミッコネンの知り合いが、半分金をもらえるなら車や銃の準備をしてやると言われ条件を飲む。そして金を奪ったカスリネンらはパスポートをもらうためにミッコネンが一人掛け合いに行くが、金を全部よこせと言われ、ミッコネンがビンを割って脅そうとしたのだが逆に刺されてしまう。

 

カスリネンは、ミッコネンがなかなか出てこないので銃を持って中に入っていき、刺されたミッコネンを発見して、裏社会の男を撃ち殺す。そして、イルメルを呼んで、ミッコネンを助け出すが、ミッコネンはもうダメだから埋めてくれと頼む。

 

カスリネンはイルメルとその息子を連れて、ミッコネンが段取りした密航船に乗るべく港に行く。そして、メキシコ行きのアリエルという船に向かっていくところで、背後に「虹の彼方に」が流れて映画が終わる。

 

シリアスな犯罪映画なのに、なぜかユーモア満載に展開する軽いタッチの映像がとにかくユニークで楽しい。これぞカウリスマキと言わんばかりの秀作でした。

映画感想「パラダイスの夕暮れ」

「パラダイスの夕暮れ」

一切の余計な描写を排除し、研ぎ澄まされたエッセンスの塊の中にさりげないユーモアとセンスの良い曲、落ち着いた色彩演出で魅せる素朴なラブストーリー、これという仰々しい感動などはないのですが、ラストシーンがとっても粋なのが素敵な一本でした。監督はアキ・カウリスマキ

 

ごみ収集業者のトラック倉庫にやってくる従業員たちの場面から映画は幕を開ける。主人公ニカンデルもその一人だった。L L教室で英語を勉強し、ビンゴに興じるだけの平凡な毎日、この日、職場の先輩が独立するから手伝って欲しいと言われる。その帰り、自分の車の不調でエンジンを触って怪我をしたままいつものスーパーに行き、レジの女性イロナと知り合う。

 

これという望みもない毎日だったニカンデルは、先輩の申し出を快く承諾、ようやく自身の未来が見えてきたと心なしか喜んでいたが、その先輩が仕事中突然心臓麻痺で亡くなってしまう。せっかくの希望が見えてきたニカンデルは落胆し、バーで飲んで大暴れして留置所に入れられる。そこでメラルティンという男と知り合う。ニカンデルは、先輩の後釜に彼を職場に紹介し一緒に仕事をするようになる。

 

ニカンデルは以前から気になっていたイロナをデートに誘うが、いつもいくビンゴに連れて行きイロナに嫌われてしまう。そんなイロナは突然職場を首になり、その腹いせに事務所の手提げ金庫を盗んでニカンデルの部屋に転がり込む。ニカンデルはイロナとレストランに行き、ホテルをとってやるが、イロナが盗んできた金庫は返したほうがいいと勧める。ニカンデルは金庫をスーパーにさりげなく返却するがその頃イロナは警察に捕まっていた。しかし金庫が返ったことで釈放される。

 

イロナは、洋品店に勤めるようになり、ニカンデルはしばらく充実した日々を過ごすものの、イロナは洋品店の店長から、ニカンデルを店にこさせないように言われたりする。メラルティンは自身の妻とニカンデル、イロナで映画を見に行こうと誘うが、結局イロナは来ず、まもなくしてイロナはニカンデルの部屋を出ていく。

 

ニカンデルはすっかり落ち込んでしまうもののメラルティンの励ましもあり仕事を続ける。一方、イロナも洋品店の店長との日々に物足りなさを感じニカンデルへの未練が燃え上がり始める。イロナは店長とレストランでデートをするが、結局その場を立ち去り、ニカンデルの部屋にやってきますがニカンデルは戻ってこなかった。その頃、ニカンデルは暴漢に襲われ、ゴミ置き場のそばで気を失っていた。翌朝ごみ収集人に発見され、病院へ入院する。見舞いに来たメラルティンにニカンデルは突然、着替えを要求し、イロナの職場へ向かいます。

 

ニカンデルは店長に邪魔されるが、イロナに新婚旅行に行こうと誘います。行先はタリン、食べ物は毎日イモになると迫る。そんなニカンデルにイロナはついて行く決心をする。外ではゴミ収集車で待つメラルティンがいた。メラルティンは二人を港に送って行き、ニカンデルとイロナは船に乗り込む。船がどんどん遠くに消えて行き映画は終わる。

 

たわいない物語なのにセリフの一つ一つが不思議な程にユーモアがあって、思わずニヤッとしてしまうのですが、その底にあまりにも不器用でピュアな男と女の物語、さらに労働者の生き方の機微が見え隠れするのがとっても良い。赤、青、黄色の色彩が落ち着いた処理で画面を彩り、挿入される楽曲の軽快なテンポが映画をリズミカルに運んでいく。素敵な一本というのがぴったりの映画だった。

映画感想「四月になれば彼女は」

「四月になれば彼女は」

原作が弱いのか脚本が弱いのか演出が弱いのか、次の展開に行く動機づけが全く見えないために唐突にストーリーが流れていく感がラストの真相まで拭えなかった。それと、それぞれの役者は芸達者を揃えているのですが、完全な配役ミス。森七菜は流石に長澤まさみ佐藤健と歳が離れすぎていて、どう見ても妹にしか見えない。もちろん年上を演じればいいのだろうが、そこは演出でもカバーしないといけない。終盤へ向かうミステリー感が完全に失敗しているので物語が盛り上がってこない。いいたいメッセージの押し付けだけが目立つ作品だった。監督は山田智和。

 

ボリビアのウユニ塩湖に立つ春の姿から映画は幕を開ける。主人公藤代俊の元恋人の春は、ボリビアからプラハアイスランドを旅しながら藤代に手紙を送っている。場面が変わり、現在の藤代はフィアンセ弥生と結婚式場を見学に来ていた。パイプオルガンを引いてみる弥生の姿に少し驚きを感じる藤代。

 

同棲している自宅に戻った二人は、四月一日を迎える。この日は弥生の誕生日だった。そして翌朝、藤代が起きると弥生の姿がない。動物園で獣医をしている弥生の事だから忙しいのだろうと流すのだが、三日経っても弥生は戻ってこない。ここ二年ほどセックスレスになり、お互いの愛に疑問を感じていた。勤務先の動物園に行ったが休暇届を出しているという。弥生の妹純に会いに行っても行方はわからなかった。原作では藤代は純に誘惑されたエピソードもあるらしいが映画では削除されているので、非常に薄っぺらい展開になる。

 

精神科の医師をしている藤代は職場の先輩に相談したりする。藤代は弥生とは患者と医師という関係で知り合った。眠れないという弥生の相談を受けているうちに次第に藤代は弥生に惹かれるようになり、やがて結婚することになったのだ。そんな藤代は春から届いた最初の手紙を弥生に見せる。

 

学生時代写真部だった藤代は部員勧誘で春と出会い、先輩のペンタックスと三人で遊ぶのが日課になる。藤代はいつか世界中を回って写真を撮りたいという春に惹かれるようになる。原作ではペンタックスもまた春に恋心を抱くも成就しなかったがこのエピソードも削除されている。

 

藤代と春は交際を始め、一緒に海外旅行をするために計画を立てるが、父と二人暮らしの春は父の許しを得ることができなかった。それでも海外へ旅立とうとしていたが、空港へいった藤代は結局行くのを断念した春と会い、それをきっかけに二人は別れてしまった。藤代はこの時春を諦めたことを後悔していたが、その辺りの描写も映画では弱い。やがて10年の月日が経ち医師となった藤代は弥生と出会ったのだ。

 

弥生の行方の見当がつかなくなったある日、ペンタックスから電話が入る。春が死んだのだという。春はアイスランドで倒れ、日本へ戻ってきていた。そんな藤代に春から手紙が届く。ペンタックスは藤代に行って欲しいところがあるという。藤代が向かった先は終末を過ごすホスピスの施設だった。春は、不治の病となり、この施設で患者たちの写真を撮りながら最後を迎えたという。そして藤代は施設の職員から春のカメラを譲り受ける。藤代は、母校の大学に勤務するペンタックスに無理を言って暗室を借り、春のカメラの中の写真を現像する。そこには弥生の写真があった。

 

弥生は、春がアイスランドから出した手紙をつい読んでしまい、春が入っている施設の存在を知る。藤代との結婚に何か踏ん切れないものを感じていた弥生は、かつて藤代を愛した春と会うことでその理由を見つけようと考えた。施設の職員として勤務し始めた弥生は春と親しく話すようになり、やがて、弥生は春に会うためにここに来たと告白して、その際、春は弥生の写真を撮ったのだ。

 

全てを知った藤代はペンタックスに無理を言って、ある海岸へ行って欲しいという。藤代がついた海岸に弥生はいた。ここが原作と完全に違い、かなり無理のある展開になっている。藤代は弥生とようやく再会し、欠けていた愛の何かを確かめ合い、ようやくお互いを認め合って歩いていく姿で映画は終わる。

 

どうにもうまくストーリーテリングができていない作品で、前半のミステリー部分と春の存在、弥生や藤代の心のわだかまりが全く見えてこないために、いったいどういう話なのかとわからないまま映画が終わってしまう。しかも、年齢差が中途半端な配役で、何もかもチグハグで、言いたいことがモヤモヤと全く見えないどうしようもない仕上がりの作品だった。ネットで原作を検索してみたら相当な部分が削除されていること、舞台となる場所が無理やり変更されているのが見えてきて、要するに予算不足と脚本の中途半端さによる不出来な仕上がりの映画になったことがわかりました。本当に残念な作品だった。

 

 

映画感想「ビニールハウス」「マッチ工場の少女」

「ビニールハウス」

脇役も小道具も最後まで活かし切った非常によく練られた脚本なのですが、何もかもが悲劇で終わるエンディングは流石に辛い。生きているのが嫌になる程緻密に悲劇を紡いでいく展開になんの希望も未来もなく、グイグイと心の奥底を攻めてくる。映像や演技に特に秀でたものは見えないのだが、なかなかの演出は評価して然るべき一本だった。監督はイ・ソルヒ

 

広い農地の真ん中に立つビニールハウスの中、一人の女性ムンジョンがベッドの上で自身の顔を叩いている場面から映画は幕を開ける。彼女はここに住んで、少年院にいるのだろうか遠くにいる息子ジョンウが出所して来るのを待っている。ジョンウと面接し、一緒に暮らそうと唯一の希望を語る。ムンジョンは在宅介護の仕事をしていて、老婦人ファオクを入浴させているが、認知症気味のファオクはムンジョンを罵倒する。ファオクの夫テガンはできた人でムンジョンを大切にしてくれるが目が見えなかった。

 

ムンジョンには施設に入っている認知症の母がいた。母のため、息子のため介護の仕事に励んでいるが、精神的に苦しく、進められたグループセラピーに参加することにする。そこで若いスンナムと出会い、スンナムが勤め先で性暴力を受けているように思えたので自分のビニールハウスに自由に出入りできるようにするため入口の鍵の番号(息子の誕生日)を教えてやる。しかしスンナムも精神障害者で、次第にムンジョンのことを好奇の目で見るようになっていく。

 

そんなある日、テガンは親友で医師のヒソクから、初期の認知症だと診断される。自分もファオクのようになると思ったテガンは夫婦で施設に入る決心をする。テガンは懐かしい友達と会うためヒソクと一緒に出かけるが、その夜、ムンジョンがファオクを入浴させていて、誤ってファオクを突き飛ばした拍子に殺してしまう。ムンジョンは一時は救急車を呼ぼうとするが、そこへジョンウから電話が入り一緒に暮らしたいと言って来る。ムンジョンは覚悟を決め、死体を隠すため布団に包んで運び出そうとするがそこへ酔ったテガンが帰って来る。ムンジョンは今夜はファオクの横で寝たいと言ってその夜は切り抜け、車でビニールハウスハウスまで死体を運んで箪笥の中に隠す。

 

後日、ムンジョンは施設にいた母をテガンの家に住まわせてファオクのふりをさせる。ファオクに比べて無口なムンジョンの母にテガンは不信を抱くものの自身が認知症初期だと思っているのでヒソクに確認してもらおうと呼ぶ。しかしヒソクはファオクだと信じているので結局はっきりわからないままになる。ムンジョンは以前から息子と住むためのアパートを探していたがなかなかお金が貯まらなかった。そんなムンジョンにテガンは援助してやり、ムンジョンは新居を準備し始める。テガンは認知症の妻と無理心中を計画し、浴室で首をつる準備をする。

 

その日、テガンはベッドにいるムンジョンの母の首を締め、自分は浴室で首を吊る。早めに出所したジョンウは仲間と出所祝いのパーティをしようと、ムンジョンの住むビニールハウスにやって来る。スンナムはこの日も雇い先の先生に体を求められていたが、ムンジョンに「嫌なら殺してしまえ」と言われたことを思い出し、カッターナイフで先生を刺し殺す。ヒソクがテガンの家を訪ねてきたら表にムンジョン宛の張り紙があって、警察に連絡して欲しいと書かれている。新居の準備が終わりムンジョンはビニールハウスに戻ってくるが、ジョンウらは奥の部屋に隠れる。ムンジョンは死体を隠した箪笥ごと焼こうとビニールハウスにガソリンを撒き火をつけて立ち去るが、何かを感じて振り返って暗転映画は終わる。

 

脇役の存在もしっかり描けていて、ラストへ向かっての伏線も無駄なく、浴室や居間、ビニールハウスなどの空間の設定も上手い。全体に非常に良くできた作品だと思うが、全て悲劇的な結末を迎えるのはどうにもやるせなさ過ぎる。映画としてクオリティが高くても、気持ちよく劇場を出ることはできない一本でした。

 

「マッチ工場の少女」

面白かった。抜群の選曲センスとテンポの良さ、ほとんどセリフがない中、映像だけで描いていく秀逸な演出、見事なブラックコメディでした。ここまで洗練して研ぎ澄まされると言葉が出ない。傑作でした。監督はアキ・カウリスマキ

 

マッチ工場の機械の流れを数カット捉えた後、ここで働くイリスという少女をカメラが映して映画は幕を開ける。仕事の後、ダンスホールへ行くが、平凡な服装の彼女は誘われることはなく傍に飲み物の瓶が並ぶだけ。家に帰ると母と義父が出迎え、イリスは食事の準備をしてまた翌日仕事に出る。この日給料をもらったイリスはそのお金でドレスを買い、残りを母に渡すが母と義父は怒って、返品して来い、売女、などと罵倒してイリスを殴る。

 

理不尽な思いのイリスはそのまま出かけ、ドレスに着替えてディスコに行く。そこで一人の男性と知り合い一夜を共にするが、男は翌朝金を置いて仕事に出ていく。イリスは電話が欲しい旨メモを残して帰宅する。帰宅すると誕生日プレゼントに「アンジェリカ」の本が置かれていた。電話が来ないのでイリスは男の家に直接会いにいく。男は翌晩迎えにいくからと答え、翌晩、イリスの自宅へ誘いにいく。レストランで、男はイリスに一夜の遊びだったから愛していないと告げる。イリスはその場を去り、自宅に帰る。

 

しばらくして、イリスは妊娠していることがわかる。男にその旨を書いた手書きの手紙を直接渡すが、男からの返事はタイプライターで打った、「中絶して欲しい」 という言葉と小切手だった。傷心したイリスは家を出て交通事故に遭い流産してしまう。母に心労をかけたと義父に勘当されたイリスは別居している兄の家に行き、そこで、近くの薬局でネズミ退治の薬を買う。それを溶かして瓶に詰め、男の家に再度出かける。男の部屋に入り、男が氷を取りに行った隙に男のグラスにネズミ退治の薬を入れ、お別れだからと小切手を返して部屋を出る。男がグラスを飲んだカットで暗転。

 

イリスはバーへ行き酒を頼む。「アンジェリク」の本を読んでいると一人の男がナンパしてきたのでその男のグラスにネズミ退治の薬を入れて席を立つ。男はグラスの酒を飲んで暗転。家に帰ったイリスは、母と義父の食事を作ってやり、酒瓶にネズミ退治の薬を入れて、食事の準備が整ったと呼びにいく。しばらくして、イリスは家を出て職場に行き仕事をしていると二人の刑事が来てイリスを拘束して去って行って映画は終わる。

 

冒頭の「アンジェリク」という本の一節や、イリスが誕生日プレゼントにもらうこの本の意味、中盤、温室に入ったイリスが夜に咲く花をじっと夜明けまで見る場面など、正直、本編の話とどう関わるのか感想できない部分もあるのですが、挿入される音楽のテンポが実にセンスよく物語をリズミカルにしているのが本当に見事で、これが映画作りだと言わんばかりの魅力に富んだ作品だったと思います。