チーコと私の卒業日誌(189)

4月1日、今日は昼から、北畑の樹木の手入れと草掘りをして5時半に終わる。

2日、午前中、熊の川公園墓地管理事務所に年間管理料5千円を郵便局で納入する。

4日、午後から、スーパーの帰りに、神野公園の桜の下で、あまり読みたくなかった県文学賞の一位になった小説を読んだが、両性具有の話や南アジアでの虐待の記憶など、カタカナ混じりではあるものの、文章はいいが、何を伝えたいのか分からない。12日の企画委員会には出席し、審査員一人替える予定。

5日、昼から、北畑へ行く道の脇、楠の長枝を切るため、命綱をかけて梯子を上る。マンションの方に靡いた枝などを切り、6時に終わる。

7日、昼から、蕗を取りに来てくれるようSさん宅に電話して、草を刈っていると、やがて夫婦でやってきた。、蕗のほか、庭桜やアイリス、ジャスミンなども上げる。その後、草刈りや、挿し木など。終わりに、私も蕗を取り、筋を取ってあくを抜き、味付けをして、6時に夕飯を食べる。(教訓)去年は、蕗を取りに来ないので持っていったが、今後は、柿も同じ、時期を知らせるだけにしよう。

10日、昼から、表竹生垣に巻き付いた下草を取っていたら、佐賀城を見に来た男が来て江藤新平の事を色々聞くので、前の犬も吠えるし捗らなかった。6時に終わる。

12日、10時から始まった文学賞企画委員会。事務局の説明が終わったところで、発行された作品集の小説、詩、短歌の中の「カタカナ」の軽さや異質感ついて、他の企画委員に質問した。詩、短歌、俳句の企画委員からも賛同の答えがあり、事務局の方に、次の審査員会議で取りあげて貰うことにした。頭で読むのではなく、心で読める小説を書いて貰いたい。帰り際、「現代の福沢諭吉が欲しいですね」と言ったら、笑っていたので大丈夫だろう。帰宅昼食後、昼から5時半まで、庭の草取り。

14日、昼過ぎから、南のマンションとの境の樫の樹などを剪定。6時に終わる。

16日、4時から、北畑への入り口付近、マンションに入りこんだ肥後椿の枝を剪定。6時に終わる。

 

チーコと私の卒業日誌(188)

3月2日、昨日食べた味噌ラーメンのため、このところ一回ぐらいで済んでいた夜尿が、一時間おきになり、良く眠れなかった。辛子、刺激物は良くない。

4日、昼から、草取りしていると、Sさんが通りかかりに寄って立ち話。旦那の実家の話や自分の花粉症の話など、今日は歯医者へ。また花を取りに来てね。草の生えた畑を耕して、3時まで。明日は妻の誕生日。どうしようか。

5日、昼から、ボケの花を花瓶に生け、「誕生日おめでとう」のカードを張って、どんぐりに持って行く。若い男の介護員が出てきたが、手当中の妻の体調は普通のようだ。花を持って行くことについても、好意を持たれている。部屋に溜まっていたガラス瓶なども持って来てくれた。

6日、脳梗塞から来る症状を抑えるために、妻はチアプリド錠のサワイをのんでいるが、これは、脳内のドパミン受容体を遮断して、神経に興奮性の刺激を伝達する物質の働きを抑えるためのもの。この薬のために、パーキンソン病の震えはみられないが、もう、この薬を何年飲み続けただろうか。

10日、晴、午後3時から、庭仕事、5時頃来た民生委員さんに花を上げた。

12日、3時から庭の松の樹を剪定していたら、雨が降って来た。慌てて梯子をなおし、4時過ぎたので風呂に入る。

14日、昼前、12日に中途半端になって居た松の樹の形を整える。

15日、昼前、2つのクーラーのフィルターを洗って干して嵌める。また3時から、入り口の黒松の剪定と、植木の水やりで5時に終わる。

17日、雨模様だが、花瓶の花が枯れたので、水仙、利休梅、椿などの花で活け直す。妻の居る施設にも毎月持って行くが、不思議と花を見ていると元気が出る。

18日、晴、昼から、入り口の男松に梯子を掛けて頂枝剪定。その後、東の槙の樹の枝透かし、更に、堀に突き出たはまボウの枝を切って5時に終わる。

19日、午前中、小説と随筆の企画委委員をしている県芸術文化協会から、県文学賞作品集が送ってきたが、小説1席の作品から、薄っぺらなカタカナが多く、生理的な嫌悪感から、解剖の場面を見ているようで、なんだか読む気がしない。(以前、認知症の妻の症状を書いた小説を読んだ時の嫌悪感と同じ)そこで、詩の方を読んだが、これも単なる言葉遊びのようでまるで力を感じない。

22日、晴、昼1時から庭仕事。マンション南境のくろがねもちの長枝を切り、北畑の黒松の長枝を切り、入り口の野ボタンを北畑に移植して5時に終わる。明日は雨。

25日、小雨、午前中、入り口の枝垂れ桜が咲いたので、妻の所に持って行く。顔色も良く元気そう。

27日、晴、写真が撮れないスマートホンを持って、スーパー東のドコモショップに行き、再起動で治して貰い、昼3時から、北畑マンションとの境の樫の木々の伸びた長枝を鋸で剪定して6時に終わる。

29日、庭の草が伸びてきたので、3時から鎌を使って草むしり。芝生が広がって居ない所がまだ多いので、まだ2~3年はこの作業をしなければ。6時に終わる。

 

チーコと私の卒業日誌(187)

2月1日、曇、今日は久しぶりの遠出。昔、妻とよく行った多久の西渓公園で、折よくぢぃ咲いていた赤梅の写真や、滝口泰彦の記念碑の写真も撮ってきた。昔懐かしい「城」同人。もう、あの当時の仲間たちはもう墓の下だろう。

4日、今、欧州では、ウクライナでの戦争による電価高騰で、ドイツの農民が困っているそうだ。今年になってから、日本では、能登半島での地震などがあり、あの北朝鮮かあめりから、電報が届いたということだが、その意図は何か。この3月はロシアの大統領選。4月は韓国での選挙で、ユン大統領の存否が問われる。また、台湾の国家承認に向けては、11月のアメリカ大統領選挙が問題。今年はどんな年になるのか。

昼から、北畑の堀に倒れた松の先枝は切ったが、手前の大枝を切れず、切込みを入れたままロープに繋ぐ。明日は雨。

8日、午後5時前、どんぐりからの電話で、病院の検査で、妻がコロナに感染していることが分かったと言う。「施設は面会禁止なのに、どうして」と訊きなおしたが、原因は判らない。病院の方に入院はせず、施設にそのままとのことだが、症状は軽いとのことで、安心はしているが、やはり面会は禁止とのことだ。明日か明後日また電話して全体の様子を聞くつもり。晩、その旨長男、次男に電話で伝える。

9日、昼過ぎ、どんぐりに自宅の水仙や椿、梅などを2便(居間と妻の部屋用)持って行く。どんぐりのコロナ患者は妻の他6人だが、すべて軽症とのこと。職員に、頑張ってと声を掛けて帰る。

12日、午後1時から、スーパーで食料品の買い物後、北畑で切った松の枝の整理後、台所の生ゴミを畑のイチジクの根本に埋める。

13日、昼から、北畑から堀に突き出たナンキンハゼの大枝を切った後、ユズリハの子木を掘り、宅地の南西の濠際に植え、剪定したハマボウの枝を堀際に挿し木する。

14日、小雨。昼から、背振まで水汲みに行ったが、店が休み。折角と思い、福岡まで。ところが、前行った場所が判らず、別の店でトンネルの水を入れてもらったので、お礼にポンカンを買って帰った。帰りの店(鶴屋)で昼飯を食べ、漬物を買って帰る。

17日、午前中、支柱が壊れた郵便受を入り口の黒松に打ち付け、昼から、北畑からマンション側にはみ出した植木を剪定。明後日雨の予想なので、椿や百日紅などの小木を植え、5時に終わる。

21日、雨、ユーチュウブで、2月9日に行われた、プーチン大統領と米メディアのfoxを首になったタッカーカールソンとの対話を見た。大統領は冷静に、長い時間、ロシアの歴史を語り、過去、nato加入への申し込みを断られたこと、ウクライナとの停戦協議にも応じていることにも言及した。もともとロシアはキリスト教ギリシャ正教の国。プロテスタント国家アメリカとも仲良くできる国ではなかろうか。戦争で潤うのは武器商人と株屋だけだ。アメリカには、プーチンと話し合える大統領が望ましい。

25日、晴、昼から、南西の柿の樹、隣にはみ出た枝を切り、ついでに、入り口のザクロの樹の枝を整え、4時に終える。今日は風が強い。cnnの報道では、ロシアの国庫は西側の制裁にも拘らず、戦争前の13倍とか。ロシア原油の抜け道が原因らしい。

28日、午後3時から、渋柿の根本に密生した椿の小木をマンションとの境に植えるなど、少し寒い庭仕事。暮れて風呂に入り、夕飯を食べ、また、ユウチュウブで、山田五郎の絵の解説を見るが、今日はルソーで面白い。ジャングルの葉と色彩が綺麗だ。

チーコと私の卒業日誌(186)

1月3日、召集令状

ロシアの少数民族の若者に ある日呼出状が届いた

モスクワからだった

給金に惹かれて行くと 古い武器を持たされて 戦場に駆り出された  

来る日来る日も 突撃作戦 何人もの仲間が死んだ

一体この戦争は何の為だろう  この戦争が ロシアの為に そんなに大切な事なのか

4日、今年になって、80人以上亡くなった能登珠洲の大地震羽田空港の飛行機衝突事故までおきている。これでは、年明けを祝う年賀状は出せない。 中国四川省で、昔の文化財である石像たちに、ペンキで綺麗な色付けをした老人たち。中国共産党のどんな寛大な処遇が下されるのか楽しみだ。

5日、朝9時、好生館に電話、前立腺の手術のための入院を申し込むが、紹介状が要るとのことで、森病院に行き、紹介状を10日予定で申し込む。翌11日に入院予定。このところ夜中のトイレが4~5回。

6日、中国で発見された長江流域の三星堆遺跡には、中国を支配する漢民族とは異なるエジプト、インド系の民族を示唆する遺物が出土しているそうだ。現在の権力者がいかにその正当性を主張しようと、歴史を変えることは出来ない。

10日、昼2時、森病院で紹介状を貰って、好生館に行ったが、明日11日、朝8時半に来るように言われ、スーパーで買い物して帰る。

11日、朝8時前に好生館に行き、受付を済まし、午前中一杯血液、尿検査などしたが、待っていた前立腺の手術は無く、結局、最後の診察で、常用薬が、フリパスからシロドシンへ変わっただけだった。今月18日にまた行かねばならない。

18日、小雨、朝10時から12時半まで待って、ようやく好生館での問診を受ける。結果、前立腺の手術は、90という年齢からして無理で、シロドシンでの薬抑制を続けるべきという医者の意見に従うことになった。院内食堂で食事の後、松原町の中央郵便局から、自宅の八朔を茨城に送る。

21日、人生とは

生きているということは、自分にこだわること。自分の健康、食欲、能力にこだわり、周りの人に認めてもろうこと。これは、生きている限り、捨てられない煩悩。自分の煩悩のために、他の人をそこなうこともある。
しかし生命は、植物や動物を始め、他の命を奪わなければ生きられない運命を背負っている。これも動物に与えられた宿命だろう。この事実は動物同士の調和の限界を示している。
しかし、虐げられる動物や人を見る時の人間の同情こそが、煩悩の救いになる。そしてこれが宇宙の意思、仏への道になるのだろう。

27日 詩の感動
詩は自分の気分、考えの概念的説明のためにあるのではない。
今、多くの詩人たちは、国際、政治には無関心、自分が味わっている日常の気持ちを表現することに腐心しているが、それは、読む人にとっては、いつもの世間話か、他人の愚痴を聞かされているような気持ちで、「そうだろうな」と、納得することで終わってしまう。人が他人の書いた詩を読んで心を打たれるのは、初めて読む深い話に共感した時だろう。
「風は柳を吹いてゐます どこにこんな薄暗い墓地の景色があるのだろう。」(中略)(萩原朔太郎-艶めかしい墓地)
この詩をウクライナの破壊された街並みに重ねたらどうだろう。強い戦争嫌悪の感情が生まれないか。
また、詩は、異質な言葉の組合わせ、意外な言葉が読み手の驚きを誘う。
蟻が 蝶の羽をひいて行く ああ ヨットのやうだ(三好達治-土)
読む人の強い共感こそが詩の目的ではないのか。
人間の気持ちを、日常、概念の説明ではなく、詩への感動の源泉を、想像の世界にまで広げたいものだ。
てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った(安西冬衛-春)
優れた詩は短くても、現実の世界をなぞるだけものではない。
幾度読み返しても、生命の感動を与えて呉れるのが詩ではなかろうか。

30日、午前中、買い物に行き、午後3時から森病院まで歩いて行く。帰ってから、血圧記録ノートを返して貰ってないのに気付いたが、ほどなく自宅まで、娘さん(?)が届けて呉れた。感謝。

 

チーコと私の卒業日誌(185)

12月2日、今日は下着の洗濯はしたが、寒いので庭仕事は無し。

4日、朝、1か月にほぼ1回の八戸の回覧板に、先月26日のお茶会の写真もそえられていた。半分はスポーツ関係で、全般として女性が多い。伝言ゲームや抽選などがあり、お達者クラブの講演などもあった。午後から、以前から気にかかっていた北畑の堀に突き出た松に取り掛かる。根本から切ることは出来ないので、干上がった堀土面から梯子を掛け、混みあった枝を切り、どうにか形を整え、5時に終わる。

8日、昼から、山茶花佐賀市の花)と八朔(妻の好きな蜜柑)を持って、施設に行く。介護婦は喜んでくれた。妻の前歯はないので、八朔はジュースにするとのこと。

9日、午後2時から、北庭の大きいつつじの木の剪定後、北畑の堀上に広がった松の木がこれ以上広がらないように、枝先を高枝鋏で切り、5時に終わる。

10日、昼から、竹生垣の表の剪定。前家の犬も居ないし、風も無く、順調に2時間ほどで済んだ。その後、北溝の子笹を切り、槙の途長枝を剪定して5時に終わる。

17日、家に居ても寒い。暖房費も無駄なのでスーパーに買い物に行く。風呂を沸かし、夕食の前後に2回入る。戦争が終わらない。中国には中華中心思想があると同様、ロシアにも昔からの独特な伝統があるのだろう。それにイスラムとキリストの軋轢。もうそろそろ目が覚めてもいいのではないか。

20日、昼前、県立図書館で寄贈図書などを調べ、県芸術文化協会への回答手紙を郵便局で出し、県庁屋上階のレストランで昼食。その後、高木瀬の妹の見舞いに寄るが、至って元気。コーヒーを飲み、母の小説、世界情勢などの話で盛り上がる。

22日(金)、今日は朝から大雪。午後3時過ぎ、積雪も消えたので、近くの元自治会長に声をかけて「寓話」を送呈し、歩いて森病院に行く。

24日、昼過ぎ、車で帰って来た茨城の次男一家と近所の中村屋で食事。その後、次男一家は唐津へ。

25日、昼、4人、近所の食堂へ。その後、妻の見舞い。家に帰ってきて子供とボール遊びの後、厚情を暖めて車で帰る。

 

チーコと私の卒業日誌(184)

11月2日、晴、西空でバルーンが飛んでいる。従兄半が始めた昔の市の活性化策だが、あまり市の発展に寄与しているとは思えない。一緒に始めた川掃除も部落の高齢化で生き詰まっている。西の堀に漂うプラスチックのゴミも始めは拾っていたが、キリがないのでもうしない。自分の事しか考えない人間が捨てるのだろう。子供の頃は、この堀で泳いでいたのだがー。

午後2時から作業。柿の木の下辺りのカズラを鍬で掘り、北堀の水路付近の葦などを整理し、庭の伸びすぎた木の枝を高枝鋏で切って、5時に終わる。

3日、雨が降らない。午後2時から5時まで庭仕事。

4日、午後2時から、北堀端に突き出た木や葛を整理し、畑に積んだ枯れ草に苦土石灰をかけて埋め、5時に終わる。

5日、午後1時から、北畑のマンションとの境、樫の樹の剪定などをし、4時半に終わる。明日は久しぶりの雨。

8日、午後2時から屋根に梯子を掛け、上の屋根から落ちる雨水の樋のはずれをテープで治したが、梯子や鍬などを収納する小屋のトタン屋根の上部が赤く錆びついていることに気が付いた。まだ、内側は錆びていないが、いずれ、業者に頼まねばなるまい。庭仕事を5時までして終わる。

9日、昼買い物に出かけた先で、中々繋がらなかった電話が妹からかかってきた。心臓の調子が良くないようだ。私と5つ違いだが、まだまだ元気でいて欲しい。午後3時から庭仕事。5時に終わる。

 11日、ジンから電話があり、2時過ぎ車で出かける。店を辞めるそうだ。城に入った頃からだから、もう50年ほど通っていた事になる。文学の話ができる唯一の店だった。

15日、1時から庭仕事。5時に終わる。

16日、朝、ユーチュウブで、熊本の中原、ペトルグリフの撮影現場での研究者(武内)の話を聞く。日本神話に関わる海洋民族やシュメール文化の痕跡。中東、エルサレムイラクとの繋がり。スサノオの尊の出自などの話も面白かった。

17日.、昼飯の時、前の下歯1本がぐらぐらするので、歯医者に付けて貰う。

19日、午後2時から、表の竹生垣の入り口と裏から刈り始める。途中、手押し車のタイヤのチュウブからの空気漏れを治そうとしたが、直らず、5時に終わる。

21日、2時から、裏から竹の生垣を薄くして、入り口の竹を剪定していると、Sさん(夫)が来たので、庭に入れて咲き始めの山茶花を上げる。26日の公民館での八戸南の会合にも持って行く積り。

23日、昼から、厚くなった北裏竹生垣の間引き剪定を行い、5時に終わる。

25日、昼から、竹生垣の間引き剪定と柿の木付近の地面の鬘の鍬での掘り起し。5時半に終わる。こっちの家の作業なのに、前の家の犬がよく吠える。

26日、朝10時から、公民館でお茶会に山茶花と浜菊を持って出席。ご近所との話、交流も。前会長(杉本さん)は94歳まだ元気。午後2時から北畑マンションとの境に伸びた樹木の剪定など5時まで行う。

チーコと私の卒業日誌(183)

10月1日、気温28度。午後2時から庭仕事。今日は堀端に行く道の山吹や草などを刈り、芝生を掘って庭に植え、6時に終わる。

7日、曇、午後2時から庭仕事。表の生垣の整理の後、草取り、椿の剪定などで6時に終わる。

8日、午前11時半から公民館で敬老会。男女30人ほどでビールと食事。午後1時に終わる。

10日、午後4時から6時まで、渋柿付近の草取りなどの庭仕事。

12日、近頃、ウクライナイスラエルなど戦争の話題が多いユーチューブに嫌気が差して、夜寝る前の読み物に、「ビルマの竪琴」を読んでいる。ビルマに進駐した日本軍とイギリス軍の攻防で、終戦となり日本兵士の捕虜収容所での生活が書かれているが、戦争中行方不明になった水島上等兵の消息が主題になっている。実は彼はビルマ僧になっているのだが、この時代の戦争は武器も鉄砲だけで、お互い人間味もあり、兵士の会話や心情も書かれていてなかなか面白く、心が救われる。

15日(日)、午後2時から、筍が出る表の竹生垣の根を切っていたが、風が強いので、後、中央庭の槙の樹2本の整姿剪定をして5時半に終わる。

17日、今の施設「どんぐり」に妻が入居した当時、妻は「あなたも一緒じゅないの」と訊いたことがある。午前10時頃、芙蓉の花(熊の川からの花)を持って、「どんぐり」に行く。施設の人の好意もあり、がらす越しの面会だが、戸の隙間から、「早く良くなって家に帰ってきて」とか、「淋しいよ」とか叫んだ。コロナ禍で面会も出来ないこちらの気持ちを、分かって呉れたかな。車椅子の妻は微笑んでいたが。

18日、昼から、表生垣の根を掘り取っていたら、プロパンガスの集金。北畑の萱やススキに除草剤をかけ、後は、庭の草をむしって5時半に終わる。

23日、午後2時から庭仕事。まず、庭中の槙の剪定をして、ヒマラヤスギの一枝を切り、後は、堀端に浜坊の根などを植え、5時に終わる。

25日、午後1時から庭仕事。まず、表の倒れかかったヒマラヤスギを起こす為に、頂から引っ張った綱を槙の樹に巻き付け、少しづつ巻き上げて完成。後は、貝塚伊吹の剪定をして5時半に終わる。

27日、このところ雨がなかったが、朝9時から10分ほど、珍しく庭が白くなるほど雹が降った。昼2時から歩いて森病院で診察を受ける。

29日(日)、午前中買い物。午後1時から、表の竹生垣を整え、南隣との塀付近の蔦葛を取り除く作業をして、5時半に終わる。

30日(月)、午前中、作業用の靴を買う。午後2時から、北畑、マンションとの境の伸びた木や葛を剪定に、5時半までかかる。かなり疲れた。

31日、朝、ゴミ出し2個。昼2時から、庭中の槙の樹の下の葛を抜き、その後、脚立を使って、北の梅の木の剪定をして5時に終わる。