閉鎖のお知らせ

 日頃、皆様には大変にお世話になっております。
 私は、昨年秋頃より、組織とは別の活動を行って参りました。
 今回、事情により一端ここのブログを閉鎖することにしました。
 クソッタレのアンチになったわけでもなく、脱会したわけでもありません。
 むしろ、今まで以上に信心の姿勢が問われる境遇となります。
 師匠の指導を現場生活の場に生かす、常に行動する、戦う人間とならねばなりません。
 本年の大法戦を共々に戦ってまりましょう!
 ありがとうございました。かならず、帰ってきます!!!
 
 


 
 
 

2006-12

 「戸田先生の指導を記録に残すことが大切になってきます。これからは、頭で分っているだけでなく、どれだけ先生の指導を実践に移すことができるかが大事なのです。
 もし、戸田先生の言葉が文字として記録に残っていなければ、イメージだけが伝わっていき、やがて100年もたてば間違ったものが伝わってしまいます。
 先生の言葉を文字に残すことができれば、時がたてばたつほど、それは輝きを増していくのです」(「総務指導」――弟子が立つ6)

 
 今は、先生の書物が次から次へと出版される時代だ。
 しかし、「池田大作全集」も、もう入手困難な巻がある。金銭的に裕福であれば、全ての書籍を光ディスクに収納したいくらいだ。新聞の切り抜きだって、いつかは紛失してしまうのではないか。私は嗜好品と書物には金を惜しまないのでいつだって金欠だ(笑)
 願わくば、私の子孫に一冊でも多くの書物を残してあげたいと思う。

 広布とは「新しき開拓」であり、これまでと同じ考え、行動では開拓などはできはしない。これこそ、戦わずして敗れている姿だ。
 まもなく新年を迎える。明日の元旦、いかに第一歩を踏み出すかで、勝敗が決定づけられてしまう。私の第一声で大闘争を開始するぞ!
 「今年も宜しく」ではなく「今年こそ」の一念で走りぬいていきたい。
 皆さまも、明年はそれぞれが、前進した一年でありますように。
 本年、大変にお世話になりました。ありがとう! 同志の皆様! 

 「創価王道」「総県長会議での秋谷会長の指導」を読んで。

 昨日、会館にて新任の支部幹部と会った。数名の壮年部とともに、しばし懇談。
 傍らには総県幹部の一人がいた。皆と別れた後、私は総県幹部にかけより、「さっきの新任幹部ご存知ですか?」と聞いたところ「彼は知っているよ。私のところに挨拶にくるものだと思ってまっていたんだよ」と。
 この総県幹部は決して悪い人じゃあないんだけどなあ。
 やはりと言うべきか、みんな自分が気づかないうちに「幹部病」に罹ってしまっている。議員も同じだ。
 「幹部病」「議員病」も先生の指導が身に入らないからなのか。
 油断とも慢心とも言うことは簡単だが、困ったことにこれらの病には自覚症状がないことだ。常に現場の空気を吸う、一緒に汗を流す、現場主義に徹せよ!


  「創価王道」「インターネットに関する覚え書き」を読んで。
 
 去年の暮はDef Techのことで内部の婦人部が盛り上がっていた。その間、いろいろな情報が、FAX、メールで飛び交っていた。大筋は一緒でも、微妙に内容が食い違う。年が明けてからだろうか。徹底事項として「インターネット、メール等でやりとりされた情報を、会合等での指導に用いないこと」とあった。対象は県幹部以上。最初は幹部に対する注意であったはず。さて、ここからが悪しき打ち出し主義のあわれな結末となった。
 「インターネット上の学会情報は創価学会HP以外は信用してはならない」なんてことになっている地域もあった。
 どこかで精神のねじ切れた野郎が、またバカなことを言う、そう思っていたのだが、「名字の言」を読んで落胆。
 そのうち、「ネットをやっている学会員はおかしい」なんて言い出す奴もでてくるのか。
 情報は、組織の幹部からありがたく話を聞けばいい?冗談ではない。
 再就職したうちの壮年部は今、パソコン教室に通っている。悪戦苦闘しながら「50の手習い」で辛酸を十分すぎるほど味わっている。「キーボード 叩いてみても 意味不明」なのだ。ネットは知らない、メールも打てない幹部は少しは彼を見習ってほしいものだ。

 「創価王道」「総県長会議での秋谷会長の指導」を読んで。

 昨日、会館にて新任の支部幹部と会った。数名の壮年部とともに、しばし懇談。
 傍らには総県幹部の一人がいた。皆と別れた後、私は総県幹部にかけより、「さっきの新任幹部ご存知ですか?」と聞いたところ「彼は知っているよ。私のところに挨拶にくるものだと思ってまっていたんだよ」と。
 この総県幹部は決して悪い人じゃあないんだけどなあ。
 やはりと言うべきか、みんな自分が気づかないうちに「幹部病」に罹ってしまっている。議員も同じだ。
 「幹部病」「議員病」も先生の指導が身に入らないからなのか。
 油断とも慢心とも言うことは簡単だが、困ったことにこれらの病には自覚症状がないことだ。常に現場の空気を吸う、一緒に汗を流す、現場主義に徹せよ!


  「創価王道」「インターネットに関する覚え書き」を読んで。
 
 去年の暮はDef Techのことで内部の婦人部が盛り上がっていた。その間、いろいろな情報が、FAX、メールで飛び交っていた。大筋は一緒でも、微妙に内容が食い違う。年が明けてからだろうか。徹底事項として「インターネット、メール等でやりとりされた情報を、会合等での指導に用いないこと」とあった。対象は県幹部以上。最初は幹部に対する注意であったはず。さて、ここからが悪しき打ち出し主義のあわれな結末となった。
 「インターネット上の学会情報は創価学会HP以外は信用してはならない」なんてことになっている地域もあった。
 どこかで精神のねじ切れた野郎が、またバカなことを言う、そう思っていたのだが、「名字の言」を読んで落胆。
 そのうち、「ネットをやっている学会員はおかしい」なんて言い出す奴もでてくるのか。
 情報は、組織の幹部からありがたく話を聞けばいい?冗談ではない。
 再就職したうちの壮年部は今、パソコン教室に通っている。悪戦苦闘しながら「50の手習い」で辛酸を十分すぎるほど味わっている。「キーボード 叩いてみても 意味不明」なのだ。ネットは知らない、メールも打てない幹部は少しは彼を見習ってほしいものだ。


  
 
 
 
 
  

 
 
 
 

・本意なき事ありともみずきかずいわずしてむつばせ給へ(陰徳陽報御書1190ページ)

・大果報の人をば他の敵やぶりがたし親しみより破るべし佐渡御書957ページ)

・悪鬼入其身はよもそら事にては候はじ(常忍抄982ページ)

・忠言は耳に逆い良薬は口に苦しとは先賢の言なりやせ病の者は命をきらう佞人は諌を用いずと申すなり(大夫志殿御返事1105ページ)

・一生が間賢なりし人も一言に身をほろぼすにや、各各も御心の内はしらず候へばをぼつかなしをぼつかなし(兄弟抄1085ページ)

・わざわいは口より出でて身をやぶるさいわいは心よりいでて我をかざる(十字御書1492ページ)

・若し恩を知り心有る人人は二当らん杖には一は替わるべき事ぞかし(弥三郎殿御返事1450ページ)

・出世の恩のみならず世間の恩を蒙りし人も諸人の眼を恐れて口をふさがんためにや心に思はねどもそしるよしをなす(法蓮抄1051ページ)

・電光朝露の名利をば貪るべからず(持妙法華問答抄467ページ)

・賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり四条金吾殿御返事1151ページ)

 最後の勝利を導くもの
 ボロジノ戦を控えて、アンドレイ公爵は、陣地を訪れた親友ピエールを前に、戦いについて大事なことを語っている。
「二人の歩兵はつねに一人より強い。が、実践となると、一個大隊がときとして一個師団より強い場合があり、ときとして一個中隊より弱い場合もある。この点がちがうのだ・・・・・
 戦争の勝利はかつて、陣地や、武装や、兵数によってさえ支配されたこともなければ、また将来も、支配されることはないだろう。・・・・・それはね、僕やこの人や・・・・それから、兵卒各自のなかにある感情さ」
 「戦争に、かならず勝とうと堅く決心した者が勝つのだ。なぜわれわれは、アウステルリッツで敗れたか、彼我両軍の損害はほとんど伯仲していた。それだのにわれわれは、あまりに早く、こちらの負けだと自分に言った。そして負けたのだ。」
「感情」「必ず勝とうと堅く決心したほうが勝つ」――これらは、太平洋戦争の日本の軍部に見られたような無謀、合理性を無視した精神主義では決してない。
あらゆる戦いにおいて、最終的に勝利を決しゆく要諦となるものは、全員がある目的のもとに、心を一に結束できるような拠りどころが、確固不抜なものとして存在するかどうかなのである。・・・・・・
 士気――中心者のもとに、結束して事に当たることができるかどうかは、勝負の行方に対し、このように微妙にして決定的な役割を演ずる。
【私の人間学 「戦争と平和」より抜粋】 


 『戦争と平和』(トルストイ著)は、「戦いの運命を決するもの」は何か、と問いかける。それは、“指導者の命令”でもなければ、“環境”でも、“武器の数”などでもない。
 戦いを決するものは、「士気と呼ばれる、あのとらえがたい力」である、と。
 戦いは「勢い」で決まる。勢いが止まれば、不思議と疲れたり、乱れたりするものである。
 創価の我らもまた、朗らかな「士気」、歓喜あふれる「勢い」で、人間共和の大理想へ、いよいよ進んでまいりたい。
【「方面長協議会でのスピーチ(上)」聖教新聞 2004/12/27付】


 激戦は、根気の強いほうが勝つ  
 トルストイの『戦争と平和』から、3点目について述べたい。 それは、これまで何度も論じてきたことであるが、「『断じて勝つ』という執念を持て!」という「絶対勝利の哲学」である。 「戦いに勝つのは、必ず勝とうと堅く決心した者だ」(米川正夫訳) これは、押し寄せるナポレオンの大軍との決戦 ―― 「ボロジノの戦い」を前に、主人公の一人であるアンドレイ公爵が語った言葉であるが、人生の万般(ばんぱん)に通ずる哲学といえよう。 この戦いの中で、別の登場人物は語る。 「勝負の決しがたい場合には、常に根気の強い方が勝利者であります」(同)
 人生にあっても、平和を目指す我らの戦いにあっても、何があろうと、断じて勝つと、固く、強く、決めた者が勝つ。 この一点を、とくに青年部の皆さんは深く生命に刻んでいただきたい
【第45回本部幹部会・婦人部総会・東海道総会での名誉会長のスピーチ 聖教新聞/1/13付】


 必勝の信念がなければ、戦いには勝てない。但し、必勝の信念だけでは、戦いには勝てない。核となるべき中心者(リーダー)の勝利への執念が団結をより強固なものとする。信頼されるリーダーになるには、慈愛と責任感ある自分に成長するしかない。一人でも落伍者が出れば、リーダーの責任。
 年末、年始と繰り返し、指導されているのは、あらゆる魔性との戦いの決着をつける年だからだ。そういう時にめぐり合わせていることを深く自覚し、一切に勝利していきたい。

 また公明党議員の情けない行為が明らかになった。
 産経ニュース
 うちのとなりだし、議員は知っている。浦安も決して楽な選挙区なんかじゃない。腐った部分は早いとこ切除するに限る。辞職は当然。
 時に合った辞職なのだろう。それにしても、周りの議員は何をしていたのだろう。私は、辞職した議員よりも、そちらの方が気にかかる。