はじめに

 
創価学会員として個人的に、師匠「池田先生」のご指導。。。魂に染めるご金言。。。を綴り、
同志の体験。。。を通して日々確信を深めるために開設しました。
転載は自由ですが、個人の体験談については了承無き無断転載はお断りします。
なお。。。心ある叱咤激励は感謝と共に真摯に受け止めます。
さらに大切なご金言等のミスタッチを発見の際は、是非ともご指摘下さい。
ただ、いわれ無き誹謗中傷のコメントは削除させて頂きます。
 


カテゴリー「女性」内の、師匠のメッセージ「女性に贈ることば 365日」は、
同志シンさんより頂いています。
 
管理人きょん


偉大なる 如来の使いと 休みなく
   この地も霊山 この地も仏土か


「木は、土の中で根っこを伸ばすとともに、空高く向かって成長する」と、アフリカの環境の母マータイ博士は語られた。
大地に深く根を張ってこそ大樹となる。
人も組織も同じである。
根無し草では、時代の激流に押し流されるだけだ。
いかなる嵐にも揺るがぬ根――それは地域という最も身近な大地に張られる。


私たちの師匠であられる戸田城聖先生は、よく言われた。
「大事なのは足元だよ。足が地についていなければ、観念だ。
 何があっても浮き足立つな!
 妙法の旗を高く掲げ、地域の大地にしっかりと立つことだ。
 地域を磐石に築いた者が勝者となる」
来る日も来る年も、わが誉れの友は誓願の地域で、人間の輪に飛び込み、対話を重ね、信頼を広げる。
どんなに離れていても、いつも私の心に光っているのは、最前線の尊き同志の方々である。


大白蓮華2009.2月号〜


(続く)


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戸田先生のお言葉が胸を突く。
地域でなくてはならない人材になりたい。
お役にたてる自分になりたい。
今の地域を守り尽くせる自分になる。
それが今の一番の目標。(きょん)

 「脊髄腫瘍を克服」


埼玉県戸田市
沼田浩一さん(36)
男子部圏主任部長


「普通に歩けることが、どんなに素晴らしいことか。
 毎日、友のために行動できる喜びをかみしめているんですよ」
沼田さんは昨年5月、左半身の痺れが気になり病院へ行くと、医師から「首に脊椎腫瘍の疑いがあります」と。
6月、「硬膜内髄外腫瘍(こうまくないずいがいしゅよう)」(神経鞘腫)と診断される。
脊髄とその周囲を覆う硬膜との間に腫瘍ができ、脊髄を圧迫していた。
発症の頻度は10万人に1人〜2人で、沼田さんの場合、
首の脊髄を傷つける恐れがあるため、手術が難しく、命の危険もあるという。
がくぜんとした。
"なぜこんな病気になったんだ?"
動揺する夫を、妻・由美子さんは励ました。
「あなた、絶対に大丈夫よ!乗り越えられるから」
実はその4年前、由美子さんの身にパニック障害うつ病が発症した。
寝たきりになった妻を励まし、祈り、二人三脚で病と闘った。
その結果、一昨年ごろから普段通り子育てや学会活動ができるようになった。
自身が10年前に設立した建築会社も、順調に発展を遂げる。
"守られている!"と信心の確信を深めていた。
そこに襲い掛かった病魔。
"すぐに唱題だ"と頭で分かっていても、重圧は計り知れなかった。
不安が押し寄せるたび、人生の師・池田名誉会長の指導をむさぼるように読んだ。
その中で見つけた一節は今も忘れられない。
「人間にとって恐ろしいものは、白血病でも癌でもない。
 生きる生命力のなくなった弱い自分なのだ」
確信をもって唱題に励むことができた。
長女・柚夏さんをはじめ、子どもたちが色紙に書いてくれたメッセージに涙した。
「病気なのにお仕事してくれてありがとう」
「お父さん、治るからね」――。
家族や同志の祈りに包まれて、7月、沼田さんは手術に臨んだ。
難しい手術だったが、脊髄から腫瘍がきれいに取り除かれた。
神経を切断するため、右手に残ると危惧された障害も免れ、戻らないといわれた体の痺れは消えていた。
術後1週間で退院。
医師が驚くほどの回復ぶりだった。
11月には「寛解(かんかい・病状の進行が止まっている状態)」と告げられ、
沼田さんの胸中に、信心の歓喜と感謝の思いが、ふつふつと込み上げてきた。
病後、久しぶりに参加した座談会。
温かい歓声に包まれ、学会員で本当に良かったと心底、思った。
「病を通して、強い人間になることができました。
 多くの人に支えられてきたことを痛感しました。
 池田先生が言われる『報恩の人生』を貫きたい!」


聖教新聞2009.1.24〜


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病に悩む友人がいる。
彼女の苦しみはいかばかりか…。
そんな人たちがたくさんいるだろう。
いずれは私も同じように苦しむことがあるかもしれない。
でも、立ち上がれる。
立ち上がる道を私は知っている。
明日、友人のところへ行こう。
(きょん)

生命は永遠であり、三世を貫いていく。
ゆえに一時期、病等に苦しんだとしても、その人の立場、立場で最後まで信心を全うしていけば、
必ずそれが次の生への大きな推進力となる。
御書に、「病によりて道心はをこり候なり」(1480頁)
――病によって仏道を求める心は起こるものです――と仰せのごとく、
病気が信心の発心の機縁となることも少なくない。
また、その苦しんだ経験が人格を深め、慈愛の心を豊かに育んでいく。
要するに、病気の苦しみに絶対に負けないことだ。
それを、信心で打開し、克服しながら、大いなる境涯を開きゆく突破口としていくこともできるのである。

【第4回全国婦人部幹部会 1988-11-24 創価文化会館】

転載元:創価王道 http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/
『病気は大いなる境涯を開く突破口』http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20050920/p1

 『人生の勝利者の多くに共通』


松下(幸之助)はさらに続ける。
「私の場合、その日その日を精いっぱいに努力してきたということに尽きるように思われます。
 そして、その過程のなかには、常に希望があって、それが苦労とか苦闘を感じさせなかったのではないかと思っております」
"さすが、「人生の達人」の答えだ"と、山本伸一は思った。
おそらく苦闘についてのこの実感は、人生の勝利者の多くに共通したものであるに違いない。
後年、伸一と対談集を編んだブラジル文学アカデミーアタイデ総裁も、こう語っていたことがある。
「私は十代の終わりから、働き抜いてきました。
 しかし、苦労したなどと思ったことはありません。
 ただただ命がけで仕事をしてきただけです」
自身を完全燃焼させ、その時々の自らの課題に懸命に取り組む人にとっては"苦闘"などという思いは無い。
あえて言えば、それは"歓闘"といえるかもしれない。


聖教新聞2009.1.20(抜粋)〜


いかに日蓮いのり申すとも不信ならば
ぬ(濡)れたる・ほくちに・火をうちかくるが・ごとくなるべし、
はげみをなして強盛に信力をいだし給うべし


【通解】
いかに日蓮が祈っても、あなた自身が不信ならば、ぬれている火口に火を打ちかけるようなものである。
勇んで強盛に信力を出しなさい。