衆議院議員選挙の投票をボイコットします

 きょうの衆議院議員選挙、今回もわたしは投票しないという選択をすることにしました。
いうまでもないことですが、「投票をする」という行為は、すべての住民にひらかれた普通選挙がいまだ制度化されておらず、したがって民主主義にもとづいた正統な議会をもたない日本国においては、不当な特権の行使にほかなりません。
 そして、今回のわたしの選択、「投票しない」「棄権する」という選択をできるということ自体もまた、かぎられた「有権者」のみにあたえられた不当な特権にもとづくものだというべきでしょう。
 でも、あるいは、だからこそ、いっぽうでこうも思います。「かぎられた有権者はその自分にあたえられた特権を、より正義にかなう方向につかうべきではないだろうか? あえて投票しないことを選択するのは、そうした機会をみすみす捨て去る行為ではないのか?」と。ここは、わたしも悩むところです。
 いずれにしろ、選択肢のかぎられたなかで「よりマシな選択」をしたいものです。投票するならば、よりマシな候補者、よりマシな政党に票をいれることになるでしょう。しかし、わたしは、今回の衆議院選挙でも、投票において「よりマシな選択」などありえないと判断せざるをえませんでした。
 わたしが日々であうひとびとの多くは、日本に生活の拠点をもちながら、選挙権から排除されています。そうしたひとびとのなかには、日本政府の強制収容所に監禁され、また、監禁を解かれても社会保障や医療から排除され、移動の自由をいちじるしく制限されているひともいます。
 また、日本政府は「制裁」と称して他国への戦争政策をこの10年間にわたってつづけており、国会はこれを全会一致で(自民党などの極右政党だけでなく共産党社民党といったインチキ左翼政党もふくめて)賛成しているありさまです。
 非有権者への人権侵害や挙国一致での戦争政策が、国会の議決した法にのっとって政府によってすすめられるなか、これらを批判的に問うようなひとりの候補者、ひとつの政党すら(すくなくともわたしの選挙区には)みあたりません。
 たしかに、現状でも、どこに関心をむけるかによって、投票をつうじて「よりマシな選択」をおこなうということも、可能なこともあるでしょう。しかし、わたしの関心にとっては、投票における「よりマシな選択」はありえないと結論するほかなかった、ということです。
 したがって、わたしにとって「よりマシな選択」は、この制限選挙制度の外にしかありません。それは、この不公正な選挙の結果成立する国会および内閣を「民主的な議会・政府」としては承認しない、という意思表示をおこなうことです。また、その成立に民主的なプロセスを欠いた国会で「議決」された法律についても、わたしたちはその正当性を留保する権利があるのだということを表明しておきましょう。
 わたしはこれまで政治的なとりくみを(可能な範囲で最大限)「合法的に」おこなってきたつもりですし、まあ、今後もしばらくはそうするつもりではあります。しかし、それはあくまでもわたし自身の自由な選択・恣意によってそうしているのであって、そうしなければならない理由もないのだということは、ここで言っておきます。
 わたしは、最初にのべたとおり、きょうの選挙の投票をボイコットします。
 不公正な投票特権をもっている他のひと(有権者)については、投票すべきかすべきでないか、わたしがいうようなことではありません。それぞれにそれぞれの選択があってしかるべきだとおもいます。
 ただし、この選挙のあとに成立したことにされる議会および政府が、ほんとうに普通選挙にもとづく民主主義的な正当性をもつといえるのか、という問題意識を、すこしでも多くのひとびとと共有できればいいなと願ってはいます。「普通選挙」の実施をもとめて路上を占拠してきた香港市民のたたかいから学ぶべきことは、それだと思っています。

つねのさんへの麹町署の家宅捜索に抗議する

つねのさん( id:toled )が、20日麹町警察署による家宅捜索をうけたとのことです。


●警察は靖国抗議への弾圧をやめろ〜日の丸バッテン救援会声明 - 日の丸バッテン救援会 ブログ


救援会がうえの救援会声明への団体賛同・個人賛同を募集しています。
麹町警察署は、今回の容疑とはあきらかに関係のない健康保険証や携帯電話、障害者手帳を押収するなど、このたびの家宅捜索が政治的弾圧をねらったものであることは、うたがいありません。
このたびの政治的弾圧をゆるさない、ということとあわせ、つねのさんがおこなったとされる行動について、支持と賛同を表明すべきだと考え、わたしも以下の賛同メッセージを救援会によせました。

常野雄次郎さんがおこなったとされる、靖国神社の鳥居にはり紙をはったという行為について、全面的に支持を表明するとともに、これを理由とした麹町警察署による常野さんにたいする政治弾圧につよく抗議します。
罪に問われるべきなのは、常野さんではありません。国のために死んだら英霊としてまつってやるなどと言って兵士たちをそそのかし、人殺しと略奪と暴行にかりたててきた靖国神社のほうです。靖国神社は、人殺しを推奨するこの体質を現在でもあらためておらず、日本の侵略戦争を賛美・肯定し続けております。靖国神社とこれを容認する日本の政府と社会こそが、きびしく指弾されるべきなのです。住民の生命と安全をまもるべき警察が、殺人教唆をおこなってきた反社会的教団にほかならない靖国神社の肩をもつことはゆるされません。
麹町警察署は、常野さんにたいする政治弾圧をやめ、「押収」などと称して常野さんからぬすんだ28点すべてをただちに返却しなさい!

関連
●賛同者・メッセージ一覧 - 日の丸バッテン救援会 ブログ
●麹町署は呼び出しをやめろ! - 日の丸バッテン救援会 ブログ

いわゆる「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対するパブリックコメント

 朝鮮学校のいわゆる「高校無償化」適用からの排除を決定づけようとする省令改正案について、いま文部科学省は「パブリックコメント」を募集しています。本来、このような少数者に対する差別政策については、世論がどのようなものであるかにかかわらず、おこなってはならないものです。政府が、こうして募集した「パブリックコメント」を世論の声としてみずからの差別政策に利用しようとしているのであるならば、そのことに反対を述べるべきだと私は考えました。
 少数者への差別は「多数意見」によってもけっして正当化できません。差別は不当であって、不当なものは不当です。わたしはそう考えて、おおざっぱにまとめると「これは差別である。差別は不当である。だから差別を是正しなさい」という意見を書いて、送りました。
 なお、この問題は「他の外国人学校は制度を適用されているのに、朝鮮学校が排除されているのは差別であり不当だ」というかたちでの問題化もできるのですが、あえてそれはしませんでした。わたしが主張したのは、朝鮮学校に対する公的支援について、いわゆる日本のフツーの学校*1とのあいだに差別をもうけていることが不当だということです。
 パブリックコメントについては、つぎのリンク先に募集の詳細がしるされています。募集のしめきりは1月26日(土)です。

パブリックコメント:意見募集中案件詳細|電子政府の総合窓口e-Gov イーガブ

 以下、わたしが送ったパブリックコメントです。ただし、このブログで公開したものは、実際に送った原文にはなかった小見出しと いくつかリンクをおぎないました。




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一、はじめに

 公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律施行規則の一部を改正する省令案に関しまして、意見を述べます。
 本省令案は、現在審査中として凍結されている、朝鮮学校生徒への就学支援金の支給について、これを支給対象から排除することを意図しているのはあきらかであり、以下に述べる理由で不当なものです。本省令案を撤回し、ただちに朝鮮学校生徒への支給凍結を解除すべきだと考えます。



二、少数民族の民族教育への公的支援は日本政府の義務

 日本も批准している「児童の権利に関する条約」子どもの権利条約)は、第30条において以下のとおりさだめております。

種族的、宗教的若しくは言語的少数民族又は原住民である者が存在する国において、当該少数民族に属し又は原住民である児童は、その集団の他の構成員とともに自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰しかつ実践し又は自己の言語を使用する権利を否定されない。


 「児童の権利に関する条約」を批准している以上、日本政府は、国内の少数民族に属する児童・生徒が自己の文化・宗教・言語を継承し、また発展させていく自由を保障しなければなりません。そして、少数民族に属する児童・生徒が、自己の文化・宗教・言語を自由に継承し、発展させていくためには、自己の文化・宗教・言語や歴史を学び、知る機会が不可欠です。
 こうして少数民族に属する児童・生徒に民族教育を受ける権利を保障するためには、おおざっぱに言って以下1,2の方向での施策が考えられ、すくなくともいずれか一方の施策を十分におこなうことは欠かせません。

  1. 少数民族に属する者自身が運営する教育機関民族学校)に、必要な財政的・社会的支援をおこない、また運営にあたってその独立性を担保すること。
  2. 日本の初等・中等教育機関において、少数民族に属する児童・生徒が自己の民族的な文化・言語等を学ぶ機会を保障すること。


 この2つの観点からみて、日本の教育行政の現状はどう評価できるでしょうか。
 まず、1について。日本において、少数民族の民族教育をおこなう学校は、学校教育法第一条に規定される学校(一条校)としての認可を受けられず、差別的な取り扱いを受けています。そして、一条校においては、その教育内容が多数民族である日本人の民族教育(「国語」と称した日本語教育、また日本の文化や歴史についての教育など)にいちじるしく偏重・偏向したものになっており、少数民族に属する児童・生徒が、自己の言語・文化・歴史等をまなぶ機会がきわめて制約されていることは、指摘するまでもありません。つまり、多数民族の民族教育をおこなう学校が一条校として日本政府に優遇され、他方、少数民族の民族教育をおこなう学校は、一条校としての認可から排除され、ごくごくひかえめに言っても「冷遇」されていると言わざるをえません。このような不公平・不平等が存在しているのが現状です。
 2についても、一条校がいま述べたように、多数民族の民族教育に偏重・偏向したものになっている以上、そこで少数民族に属する児童・生徒が、みずからの文化等をまなぶ機会が保障されているとはとうてい言えない状況です。
 したがって、日本の教育行政においては、1,2いずれについても、多数民族の民族教育を優遇する不公平かつ偏重・偏向した施策がとられており、児童の権利に関する条約第30条に違反していると言えます。
 朝鮮学校など少数民族民族学校生徒への就学支援金支給の可否を決定するにあたっては、以上に述べてきた不公平と偏重・偏向をただし、少数民族に属する生徒の侵害されている権利をいかに回復し保障していくかという観点から検討されなければならないと考えます。
 そう考えたときに、一条校の生徒には支給されている就学支援金が、朝鮮学校生徒にいまだ支給されず、その決定がずるずると先延ばしにされている現状自体が、朝鮮人に対する差別的取り扱いと言うべきですし、こうした差別的取り扱いを追認・決定づけようとするこのたびの改正省令案を容認することはできません。



三、朝鮮人の民族教育への弾圧・妨害の歴史

 さて、以上、「児童の権利に関する条約」もふまえながら、朝鮮学校生徒を就学支援金の支給対象から排除することの差別性・不当性について述べてきました。
 ただし、朝鮮人の民族教育に対する差別的取り扱いは、最近にはじまったものではありません。これに対する弾圧・妨害とすら言える差別的な取り扱いは、戦後の日本の教育行政が一貫してとりつづけてきたものであり、それは日本による朝鮮に対する植民地支配に起源をもつ、いわば植民地主義の継続と言うべきものです。
 「児童の権利に関する条約」批准国政府として日本政府が取り組まなければならないことのひとつは、朝鮮人の民族教育に対して日本政府がおこなってきた弾圧と妨害を真摯に反省して謝罪し、公平な教育行政へ転換することです。その意味で、日本政府が朝鮮人の民族教育にどのような対応をとってきたのかという歴史をふりかえっておくことは重要です。
 日本の敗戦後、日本による植民地支配から解放された朝鮮人たちは、日本各地に国語(母語)講習所とよばれる学びの場(500ヶ所をこえるといわれる)をつくってきました。日本の植民地支配によって、民族の言葉をうばわれ、また自分たちの文化や歴史をおとしめられてきた朝鮮人たちが、民族の言語・文化・歴史を取りもどそうと民族教育の場をつくるのは、しごく正当なことであります。
 ところが、こうした正当というほかない朝鮮人たちのいとなみに対して、日本政府は弾圧をくわえてきました。
 まず、日本政府は、1948年1月24日に「朝鮮人設立学校の取扱いについて」という文部省教育局長の通達(官学五号、学校教育局長より、文部省大阪出張所長、都道府県宛通達)を出します。

……朝鮮人の子弟であっても学齢に該当する者は、日本人同様市町村立又は私立の小学校又は中学校に就学させなければならない。又私立の小学校の設置は学校教育法の定めるところによって、都道府県監督庁(知事)の認可を受けなければならない。学齢児童又は学齢生徒の教育については各種学校の設置は認められない。


 日本政府はこうして朝鮮人児童・生徒に日本の学校に通うことを強制し、またいったんは各種学校として認可した朝鮮人学校の認可を取り消しました。これに従い、日本政府は1948年3月から4月にかけて朝鮮人学校に対する閉鎖命令を各地であいついで出します。また、1949年10月13日には、在日朝鮮人聯盟(朝聯)への解散指定にともなって「朝鮮人学校に関する措置について」(文部省管理局長ほか通達、文官庶第六九号)を出し、朝聯系の93校に閉鎖命令、245校に改組命令を出します。
 なお、現在、朝鮮学園が運営する、「各種学校」として認可された学校は、こうした不当な弾圧を受けながらも、朝鮮人自身の努力によって再建されたものです。
 戦後、朝鮮人の民族教育に対して日本政府がとってきた政策にみられるのは、自己の言語・文化・歴史等を自由に継承し発展させていこうとする朝鮮人のいとなみを妨害し、多数民族である日本人への同化を進めていこうという方針です。すなわち、一方で、朝鮮人自身による自律的な教育の場をつぶすことを企図して弾圧をくわえ、他方で、朝鮮人児童・生徒を日本政府・文部省の支配下にある学校(一条校)に就学させ、その民族性を圧殺しようというものです。
 こうした民族性の圧殺と同化主義の方針は、1965年の同じ日(12月28日)に、文部事務次官が各都道府県あてに出している2つの通達にも、はっきりと表現されております。「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位および待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定における教育関係事項の実施について」(文初財第四六四号)と「朝鮮人のみを収容する教育施設の取り扱いについて」(文菅第二一〇号)です。
 前者は、日韓協定にともない永住を許可された者およびそれ以外の朝鮮人について、希望する場合には、公立の小中学校への入学および高等学校の入学資格を認めるよう通達する一方で、「学校教育法第一条に規定する学校に在籍する永住を許可された者およびそれ以外の朝鮮人の教育については、日本人子弟と同様に取り扱うものとし、教育課程の編成・実施について特別の取り扱いをすべきでない」としております。つまり、これは、公立の学校において朝鮮人の民族教育をしてはならないとしたものです。
 先にも述べたように、公立の学校の教育内容は多数民族である日本人の民族教育に多くの時間をさいているわけですから、この通達にみられるように少数民族の民族教育を禁じるということは、少数民族の児童・生徒に多数民族のための民族教育をおこない、多数民族への同化をすすめていくということを意味します。
 さらに後者の通達では、私立の朝鮮人学校の取り扱いについて、つぎのような措置を通達しております。

(一) 朝鮮人学校については、学校教育法第一条に規定する学校の目的にかんがみ、これを学校教育法第一条の学校として認可すべきでないこと。
(二) 朝鮮人としての民族性または国民性を涵養することを目的とする朝鮮人学校は、わが国の社会にとって、各種学校の地位を与える積極的意義を有するものとは認められないので、これを各種学校として認可すべきでないこと。


 一方では多数民族のための民族教育に財政的・社会的資源をつぎこみ、これを政府をあげて推進しておきながら、少数民族民族学校に対しては地位上の差別をもうけ、公的支援から疎外する。これは、いちじるしく公平性を欠いた措置と言わざるをえません。
 この通達はさらに、朝鮮人のみを収容する公立の小学校分校はその「存続について検討すること」、また朝鮮人のみを収容する公立の小中学校およびその分校または特別学級は「今後設置すべきではないこと」とし、朝鮮人の民族教育を公教育から排除するものとなっております。
 このように、日本政府は、朝鮮人から自己の言語・文化・歴史等をまなぶ機会をうばい、日本人への同化を朝鮮人自身の意思にかかわらずせまるということを、教育行政においておこなってきました。こうした戦後の教育行政のありかたは、朝鮮人の言語をうばい、文化をおとしめた植民地支配期における皇民化政策がいまだ継続しているものと言えます。



四、差別主義・同化主義にもとづく教育行政からの転換を

 今回の省令改正案も、一条校の生徒にはあたえられる就学支援金支給の措置から、朝鮮学校生徒を差別的に排除しようとするものであって、戦後の一貫した差別主義的・同化主義的な教育行政の歴史の延長上にあるものです。「児童の権利に関する条約」を批准した日本政府がおこなうべきなのは、このような差別主義・同化主義の歴史を踏襲し継続することではなく、少数民族の児童・生徒が自己のルーツについて継承し、発展させていく自由と機会を保障するものへと教育行政を転換させることです。
 多数民族の民族教育に比重を置いた教育をおこなう一条校でまなぶ高校生には就学支援金を支給する一方で、朝鮮学校にまなぶ生徒ににこれを支給しないのは、差別です。多数民族の民族教育ばかりを公的に支援・奨励し、少数民族の民族教育を公的な支援から疎外するのは、筋がとおりません。
 少数民族に属する生徒が、多数民族に属する生徒とすくなくとも同程度には、自己のルーツについてまなぶ機会を制度的に保障されることは、政府や多数者の恣意によって少数者にあたえられる「恩恵」などではありません。それは権利であって、日本政府がそれを保障することは義務です。このたびの省令改正案を撤回し、朝鮮学校生徒への就学支援金の支給を、凍結されている卒業生のぶんもふくめて即刻おこなうべきです。


以上


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*1:学校教育法第一条にさだめられた「学校」として認可を受けている、いわば日本政府の支配下にある学校

いかなる強制送還にも正当性はない

1.はじめに

 ひじょうに腹立たしいニュースがとびこんできました。
 読んでみると、法務省の幹部が子飼いの新聞記者にリークして書かせた記事だということがわかりますが、ここに述べられている法務省の方針、そして記者の書き方、いずれもひどいものです。


不法滞在者:チャーター機で一気に強制送還へ 法務省方針

 不法滞在者の強制送還を効率化するため、法務省は、一度に多数を帰国させられる専用チャーター機の活用方針を固めた。一般客も乗り合わせる航空機で対象者を1人ずつ送り出す現在の方法より、費用と安全の両面で利点があるとしている。同省は来年度予算の概算要求で関連費用約3000万円を計上。予算が通れば、年間150人程度にとどまっていた送還拒否者の帰国人数を350人程度に増やせるという。


 「不法滞在者」という言葉の選び方の問題については、あとで述べます。
 その「不法滞在者」の強制送還が「効率」という観点からのみ語られ、この強制送還という暴力によって壊されるひとりひとりの生活への想像を徹底して欠いた、この記事の文章には、心の底からぞっとします。
 人間を、これまで生活してきた土地と人間関係から強制的に引きはがして監禁し、暴力をもちいて国外追放にする。強制送還とはこうした行為にほかなりません。たとえどのような方法を選んだとしても。
 このようなものでしかありえない強制送還について、ある方法がほかの方法よりも「費用と安全の両面で利点がある」などというおしゃべりを記者にむかって語る法務省幹部。また、このおしゃべりを批判的な論評・情報もなくたれ流す伊藤一郎さんという記者。おそろしいと言うよりほかありません。
 以下、強制送還や「不法滞在者」について、この法務省入管の広報としか評しようのない『毎日』の記事が書き落としていることを述べたいとおもいます。



2.強制送還とは

 『毎日』の記事も書いているように、強制送還には航空券の代金を強制送還される人が自己負担する「自費出国」と、その代金を日本政府が負担する「国費送還」とがあります。
 「国費送還」がなされるのは、ひとつには、送還される人が帰国のための旅費を用意できない場合です。この場合、航空券代は日本政府が出すものの、送還される人は、ろくに医療も受けられない劣悪な収容施設に半年間ぐらい監禁され、つまりは虐待されたうえで、国籍国に送還されることになります。
 「国費送還」は、もうひとつには、これも『毎日』の記事にあるように、帰国を拒否するひとにたいして適用されます。これは「国費無理やり送還」ともよばれます。
 この「国費無理やり送還」は、拘束具や薬物投与によって身体を拘束し、文字どおり無理やり飛行機にのせて国籍国に放り出すという措置です。麻酔で意識を失わされ飛行機にのせられた例、毛布でグルグルにすまきにされて送還された例などが、以下のサイトで紹介されています。


入管収容施設問題を考える - 強制送還・・・「薬物投与送還」と「簀巻き送還」


 2010年3月には、国費無理やり送還において、ガーナ人スラジュさんが死亡するという事件もおきています。


スラジュさん事件 | APFS - ASIAN PEOPLE’S FRIENDSHIP SOCIETY


 この入管によるスラジュさん殺害事件は各種メディアでも報道され、支援団体、また非正規滞在外国人当事者によるはげしい批判と運動をひきおこしました。以後、入管にとって国費無理やり送還のハードルはかなり高くなったようです。
 こうしたムチャクチャな送還は、なにより送還される人にたいするいちじるしく不正な暴力と言うべきですが、飛行機の他の乗客や乗務員の安全をもそこなうものです。航空会社としても、入管の国費無理やり送還に協力するのはむずかしくなるでしょう。
 入管は、航空会社の協力をとりつけるためにも、これまでも、送還の「効率性」や「安全」を――まさに『毎日』のぞっとするような記事にでてくる言葉のとおり――追求してきたわけです。
 送還される人が暴れるかもしれないから、すまきにしちまえ! すまきにしても大声を出されたらかなわんから、猿ぐつわをかませよう! それより、薬物で気をうしなわせてしまえば、効率的で簡単じゃあないか!
 入管が追求してきた「効率性」と「安全」とは、こういうものです。その延長線上に、「チャーター機で一気に強制送還」というこのたび報道された法務省の方針がある。そう考えるべきでしょう。



3.収容をとおした帰国拒否者に対する拷問

 入管は全国(茨城県大阪府長崎県)に3つの収容所*1をもっています。このほかに、東京入国管理局、名古屋入国管理局など地方局、あるいはその支局に、「収容場」と呼ばれる収容施設をもうけています。
 入管は、オーバーステイ(超過滞在)などの退去強制事由にあたる疑いのある外国人に「収容令書」というものを発付し、収容施設に監禁します。これは、警察が逮捕令状にもとづいて刑事事件の容疑者を逮捕するのと似ています。しかし、警察による逮捕の場合、一応は裁判所が発行する逮捕令状を必要とするのにたいし、入管による摘発・収容は、裁判所等の第三者機関のチェックなしにおこなわれます。というのも、「収容令書」を発付するのも、これにもとづいて摘発・収容するのも、おなじ入管という組織であるからです。
 ともかく、この「収容令書」にもとづいて収容された外国人は、まずは最大60日間、身柄を拘束され、この間に審査を受けることになります*2。審査の結果、在留特別許可がみとめられれば、なんらかの在留資格があたえられ、収容施設を出ることができます。しかし、これがみとめられずに退去強制令書が発付されると、収容の期限は無期限になります*3。「無期限」というのは、原則としては、帰国しないかぎり、収容施設から出ることはできないということです。
 こうして退去強制令書が発付されたひとのほとんどは、自費出国により帰国します。航空機代を用意できないひとは、先に述べたように、しばらく収容施設にとめおかれたうえで、国費送還されます。
 しかし、入管に「帰れ」と言われても、当然ながらそう簡単に「帰国」できるひとばかりではありません。人間の生活というものは、そう簡単なものではありません。あとで述べるように、さまざまに帰国できない事情をかかえ、送還を拒否するひとも出てきます。
 送還拒否者にたいして、入管は身体的・精神的な圧迫をくわえること、つまりは拷問によって、送還に「同意」するようせまります。「拷問」という言葉をわたしが使うのは、まったく誇張ではありません。
 長期にわたる監禁、しかも収容期限がさだまってないので、本人からすると「いつ出られるかわからない」、また「出られるかどうかすらわからない」わけですから、その精神的なストレスは想像を絶するものです。被収容者のなかには、刑務所での服役経験のあるかたもいますが、みなさん口をそろえて言うのは、この期限がきまっていないことのゆえに「入管は刑務所よりつらい」ということです。
 このような状況で監禁されると、例外なく、遅くとも4,5ヶ月で拘禁症状を発症します。高血圧、頭痛、極度の不眠、めまい、生理不順など。持病を悪化させるひとも多いですし、収容施設内で運動時間などにケガをするひともいます。東日本ですと、ほとんどの送還拒否者は、仮放免許可によって出所するまでに9ヶ月10ヶ月以上かかり、2年あるいは3年以上収容されている人もいます。心身が健康でいられるひとは、まずいません。
 しかし、入管は病人・ケガ人に対して、医療ネグレクトをおこないます。医療ネグレクトの事例は、たとえば仮放免者の会ブログの以下の記事などにくわしく紹介されています。


心停止した収容者を放置しつづける東日本入管センター
重病のAさんに仮放免許可/2Bブロックの要求書


 収容施設内には診療室がありますが、そこの医者の診療は、「診療」とは名ばかりのもので、患者の顔すら見ず、問診もほとんどなし、症状や訴えにかかわらずどの患者にもおなじ鎮痛剤・精神安定剤睡眠薬をだしておしまい、というような実態です。
 施設内の診療では対処できない病人やケガ人にたいしては、外部の医療機関での診療を受けさせることになっていますが、東日本入国管理センターでは、現状、申請書を出しても少なくとも1ヶ月は待たされる、あるいはどんなに本人がうったえても拒否されるという状況です。
 こうした入管の医療ネグレクトは、意図的なものとみるべきです。あきらかに入管は、収容施設の処遇をできるかぎり「改善しない」「劣悪な状態のまま維持する」という方針をもって収容施設を運営しており、その方針を被収容者の健康よりも優先させています。去年わたしが東日本入国管理センターで面会していたあるひとは、施設内で足をケガして、自力で歩くのが困難な状況でしたが、松葉杖を貸すようにと職員に依頼したところ、「保安上の問題がある」との理由で拒否されました。
 東日本入国管理センターでは、最近も、足をねんざした被収容者が車イスの貸与を拒否されたということが、被収容者が外部の協力者を通じて更新しているブログで報告されています。


「あれは特別だから」 - リアルタイムな収容所!


 こうした実態からして、入管の収容施設とは、被収容者の身体・精神に虐待をくわえ、国外追放への「同意」をせまることを目的にした拷問施設と言ってまちがいありません。
 わたしの言っていることが「極論」だと思われるかたもいるでしょうから、そういうかたのためにもうひとつ事例をあげましょう。東日本入国管理センターでは、収容所の窓にシートを貼って、外の景色がまったくみえないよう細工してあります。その日の空模様も木々の様子も見ることができないということが何ヶ月、ひとによっては数年もつづくわけです。被収容者たちは、再三このシートをはがすよう要求してきましたが、センター側は「保安上の支障がある」との理由でこれを拒否しつづけております。入管はなんのためにこんなことをするのでしょうか? 嫌がらせのほかになにか理由が考えられるでしょうか?
 入管収容施設は、個々の職員がみな悪魔のようだということではもちろんありませんが、帰国拒否者にたいし組織的に虐待をくわえることを目的とした事実上の拷問施設であると言えます。こうした施設の性格上、被収容者にたいして「外国人をイジメるのが楽しい」「バカ」などと暴言をはくほどの職員の深刻なモラル低下が生じるのも、ふしぎではありません。


仮放免者の会(PRAJ): 「外国人をイジメるのが楽しい」(入管職員CH115の発言)



4.抵抗には切実な理由がある

 入管がおこなってきた強制送還というのが実際にどういうものなのか、わたしの知りうるかぎりで、できるだけ具体的に説明してきたつもりです。
 拘束具や薬物をつかう方法。拷問施設に長期間監禁して「帰国」に「同意」させる方法。どちらの方法がベターでしょうか? それぞれの方法の「費用と安全」の面でのメリット・デメリットはなんでしょうか? どちらの方法がより人道的でしょうか?
 こうした比較や議論そのものがバカげています。絞殺と薬殺と銃殺のうち、「費用と安全」の面でどの殺し方がベストでしょうか? いちばん人道的な殺し方はどれでしょうか? バカバカしい。
 強制送還の「方法」について比較検討し、あれこれおしゃべりすること自体が、人殺しの方法について検討すること同様、恥ずべきことです。問題とすべきなのは、強制送還そのものについてです。
 どのような「方法」をえらぼうと、またどのような「方法」を考えだそうと、強制送還そのものがきわめて悪質な暴力であることにはかわりありません。だからこそ、飛行機にむりやり乗せられるときに激しく抵抗するひとが出てくるのだし、監禁され拷問をうけても、送還を拒否して仮放免許可で出所しているひとが現在2500人も(先の『毎日』の記事にあるとおり)いるのです。
 強制送還(退去強制令書の執行)をしようとする入管の側からすると、2010年3月のスラジュさん殺害事件以降、航空券を買って、一般の航空便でひとりずつ送還する方法はそのハードルが高くなった。他方で、収容施設に長期間監禁して圧迫をくわえても、拷問にたえて帰国を拒否しつづけるひとがおり、仮放免で出所しているひとは2500人をこえるにいたった。航空機をチャーターすれば、「効率的」な送還が可能だし、この方法での送還がはじまれば、帰国拒否者に自費で出国するよう今まで以上に効果的におどしをかけること(「むりやり飛行機にひっぱっていかれるのがイヤだったら、自費で航空券を買って帰りなさい」というふうに)も可能になる。そういう考えなのだろうと思います。
 ここにあるのは、どうやって送還拒否者の抵抗をくじき、「効率的に」強制送還をおこなうかという計算です。いわば、いかに入管にとって「効率的に」暴力を遂行するかという話であって、送還されるひとがこうむるダメージがより小さくなるわけではありません。パートナーや子どもや親、長年きずいてきた人間関係からひきはがされること。あるいは、国籍国に送還されることで殺害や投獄の危険にさらされるひともいます*4
 こういった人たちには、強制送還に抵抗する切実な理由があるのであって、いかなる方法で送還しようとしたとしても、その抵抗がやむことはないでしょう。収容施設での苛酷な帰国強要によっても入管が送還できないようなひとたちは現にいるわけです。強制送還のどんな方法をあみだそうとも、かれら・かのじょらの抵抗する力を弱めることは、できないでしょう。これは予言です*5
 強制送還がひきおこす抵抗を、強制送還によっておさえつけることはできません。強制送還のひきおこす抵抗をなくすには、強制送還をやめる以外に方法はありません。
 「造反有理」とはよく言ったものです。くりかえしますが、かれら・かのじょらが抵抗するのは、抵抗する理由があり、その抵抗する理由がきわめて切実なものだからです。したがって、強制送還に「効率的な」方法などありません。強制送還をやめることだけが、事態を収拾しうる唯一の手段です。いま手づまりの八方ふさがりにおちいってるのは、ある意味、むしろ入管のほうなのではないでしょうか?
 ならば、入管はもう一刻もはやく強制送還をあきらめたらよいのです。今後も強制送還のハードルがますます高くなることはあっても、低くなることはないでしょう。また、そのハードルをもっと高めるために、強制送還に反対する側がとりうる手段には、さまざまなものがあるはずです。


5.「不法滞在者」とはなにか?

 在留資格のあるなしにかかわらず、外国人にたいする差別発言の定番は「日本がきらいなら(日本に文句があるなら)あなたの国に帰ればいいじゃないか」というものです。入管の職員もおなじことを言います。「あなたのダンナさんは在留資格はあるけど中国人なんだし、いっしょに中国に帰ればいいじゃない」など*6
 こういうふうな口をきくひとに言いたいのは、「軽々しく『帰ればいい』などと言うな!」ということです。「あなたの国に帰ればいい」などとと外国人にむかって言うひとは、日本が「自分の国」であると疑いもせずに信じこんでおり、だから自分が外国人を「自分の国」である日本に「いさせてあげる」か「追い出す」かをきめる権限をもっている、そう考えているのでしょう。思い上がりもはなはだしい。
 差別主義的な偏見をすこしでもぬぐってみるなら、日本人も外国人も、あるいは在留資格のない非正規滞在の外国人も、この社会の住民であることにかわりありません。ある住民がほかの住民に「出て行け」などと命令する特権的な資格などないし、反対に、ある住民が拉致監禁されて国外追放されてよい正当な理由などありません*7
 そのようなことに正当な理由などないからこそ、行政は、ある種の住民を追い出すことがあたかも正当であるかのようなプロパガンダを必要とするのです。日本では、まるで外国籍住民、とりわけ在留資格のない外国籍住民が犯罪者もしくは犯罪者予備軍であるかのような行政によるプロパガンダが、とりわけ2000年代前半あたりから強化されてきました。そうした過程で、(時期ははっきりと特定できてないのですが)さきの『毎日』の記事にも使われている「不法滞在者」ということばが発明され、積極的に使われるようになってきました。
 2003年には、法務省入国管理局・東京入国管理局・東京都・警視庁の4者によって、「首都東京における不法滞在外国人対策の強化に関する共同宣言」なる差別的・排外主義的な宣言が出されるにいたります。

 不法滞在者は、その多くが不法就労活動に従事しているほか、安易に金を得るため犯罪に手を染める者も少なくなく、さらには、暴力団等と結託し、あるいは犯罪グループを形成するなとして、凶悪犯罪に関与する者も増加しているなど、一部不法滞在者の存在が、多発する外国人組織犯罪の温床となっているとの指摘があり、我が国の治安対策上、これら不法滞在者問題の解決が喫緊の課題となっている。


 この法務省入管らによる「共同宣言」は、このように非正規滞在の外国人への差別的偏見をあおって、「不法滞在外国人」にたいする摘発の強化をうたっております。
 80年代後半ないし90年代初頭から非正規に滞在する外国人が口をそれえて証言するのは、かつては警察もオーバーステイについて今よりずっと無頓着だったということです。わたしの知っている非正規滞在のフィリピン人から、つぎのような話を聞いたことがあります。

 おれも昔は交番でおまわりさんに道を聞いたんだよ。「ビザはあるのか?」と聞かれて「オーバーステイです」って言っても、「そうか、犯罪やってないんだろ?」で終わりだった。でも、いつからかきびしくなって、友だちのフィリピン人がみんなつかまって帰らされちゃった。それからは、おまわりさんには気をつけるようになった。


 現在では、警察は職務質問によって組織的に「不法滞在外国人」の摘発をおこなっていますし、入管は入管で摘発を強化しています。
 以前は、非正規滞在の外国人は、いわば安価で「使い捨て」のしやすい「労働力」として、みのがされていたわけです。また、バブル期に来日したひとにかぎらず、非正規滞在の外国人は、たんにかれら・かのじょらの都合だけで日本に来たわけではありません。日本のこの地で長く生活してこられたということは、日本社会がかれら・かのじょらの滞在を要請してきたということ、そこには日本社会にとっての必要性があったということを意味します。フィリピン・中国・イラン・スリランカバングラディシュ・パキスタンといった、かれら・かのじょらの出身地がかれら・かのじょらを送り出したというだけでなく、日本の側がかれら・かのじょらの存在を要請し、言うならば引っぱり込んだということでもあるのです。
 そうやって、みずから要請し、引っぱり込んだひとたちにたいして――おそらく2000年ごろに政府の方針転換があったのでしょう――こんどは「不法滞在外国人」のレッテルをはって、追い出しにかかっている。非正規滞在外国人にたいして行政が仕掛けてきたネガティブ・キャンペーンは、ほんとうにひどいものです。
 入管と警察がいかにひどいプロパガンダをやっているかということについては、このブログでも以前ふれたことがあります。


ヘイトスピーチ - やねごんの にっき


 また、ナショナル・メディアの一部も、外国人への差別的偏見をあおり、強制送還を正当化しようとする法務省や入管のプロパガンダに協力し加担してきました。以下は、おそらくは法務省の官僚が『朝日新聞』の記者にリークして書かせたもので、難民認定申請者を犯罪の温床と印象づけようとする、きわめて悪質な差別記事です。


朝日新聞デジタル:難民認定申請中の犯罪相次ぐ 日本滞在できる制度悪用か - 社会


 しかし、法務省や入管は、このように差別的なプロパガンダをおこない、「治安悪化をもたらす不法滞在者」という虚像をつくりだそうとすることでしか、みずからがおこなう強制送還を正当化できないということでもあります。それほどに、法務省と入管がやろうとしていることには正当性がないし、またそのことを法務省と入管自身も知っている、ということです。自分らのやっていることにうしろめたさを感じざるをえないのは、法務省や入管のほうです。
 入管が強制送還しようとしているのは、どういったひとたちなのか? わたしたちがいだいている「不法滞在者」についてのイメージには、行政による差別的プロパガンダが反映していないだろうか?
 こういったことについて、よく知り、またよく考え、おおっぴらに語ること。そうして行政が悪意をもってつくりあげてきた非正規滞在外国人像を一枚一枚はがしていくこと。入管にとっての強制送還のハードルをさらに高くしていく手だてはあるはずです。入管による国費無理やり送還をかならず断念させましょう。



6.さいごに

 さいごに、2011年の3月11日の東日本大震災にあたり、入管や警察の言うところの「不法滞在者」たちがとった行動の一部を紹介しておきます。


P-navi info : 入管収容者からの義援金について感じたこと少し


 一方、震災時に入管がとった行動は以下のようなものです。


被収容者を部屋に閉じこめ鍵をかける!――大地震発生時の入管の対処

*1:東日本入国管理センター、西日本入国管理センター、大村入国管理センター。

*2:審査は場合によって在宅でおこなわれることもあります。

*3:最大60日間という期限つきの「収容令書にもとづく収容」と区別して、この期限のない収容を「退去強制令書にもとづく収容」と呼びます。

*4:難民条約は、以下のように「難民」を定義しています。
「人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができない者又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者」
日本は諸外国にくらべて申請者にたいする難民認定率、また難民認定数がいちじるしく低いことがよく知られていますが、上記の「難民」のカテゴリーにおさまらないひとのなかにも、送還によって身の安全をおびやかされるおそれをいだいているひとが多数います。その本人が「人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがある」とはかならずしも言えなくても、紛争が常態化している地域に帰ることは危険でしょう。また、ブローカーにだまされるなどして多額の借金をして渡航してきたひともまた、帰国することで危険にさらされる場合があります。

*5:この表現は、敗北感と無力感にうちのめされた2001年の柄谷行人のことば、「これは予言ではない」の批判的・否定的な借用です。

*6:これは私の友人のオーバーステイのひとが入国警備官から実際に受けた発言です。

*7:「正当な理由がある」と言えるのは、軍事力を背景にいすわる侵略者・植民者に「出て行け」と要求するといった場合のみです。

アサヒと サンケイの かれいなる チームプレイ

 ここで わたしの かく ことわ、わかる ひとにわ せつめい される までも なく わかる こと であり、あたりまえの はなしだと おもいます。わたし じしんわ どうなのかと いえば、そう あたりまえの ことでも なく、ながい あいだ きづかずに すませて きた ことでも あります。それに きづかずに いられる という ことが、その ものの とっけんてきな しゃかいてきな いちを あらわして いると おもいます。


 さて、『あさひ しんぶん(朝日新聞)』が、3がつ 3にちづけで つぎの ような しゃせつを だして おります。


朝鮮学校―無償化の結論だすとき


 2ねんまえに はじまった こうこう むしょうか せいど から、ちょうせん がっこうが さべつてきに はいじょ されて いる もんだいに ついて、この しゃせつわ、いちおう ちょうせん がっこうにも むしょうかを みとめる べきだ という ことを のべてわ おります。しかし、その ぶんしょうの かきかたわ、たいへんに おんきせがましく、えらそうで、ごうまんです。「あんた、いったい なにさまの つもりなの?」と あきれはてて しまいます。

 在日本朝鮮人総連合会朝鮮総連)と結びついた学校のあり方にも疑念の声がある。文科省はそうした点にも踏み込み、調査を続けてきた。
 その間の議論を通じ、学校側は開かれた教育への姿勢を示しつつある。教科書の記述も改める動きが出てきた。父母の間にも、祖国の「3代世襲」に違和感を持つ人はいる。教室に肖像画を掲げることも考え直す時期だろう。そして、自国の負の部分も教えるべきだ。
 多様な学びの場の一つとして認めた上で、自主的改善を見守る。そんな関係を築けばよい。


 しゃせつわ、ここで まず 「がっこうがわわ ひらかれた きょういくえの しせいを しめしつつ ある」などと、ちょうせん がっこうに 「ひょうか」を くだす いちに みずからを おいて います。オレさまわ ひょうか する がわで あり、ちょうせん がっこうわ オレさまに よって ひょうかを くだされる がわなのだ、という わけです。
 そして、きょうしつに しょうぞうがを かかげるのを やめろ とか*1、ちょうせんの マイナスの ぶぶんも おしえろ とか*2、ようきゅう して います。
 ようするに、『あさひ』の いって いる ことわ こうです。すなわち、「あなたたちの がっこうに にほん せいふが むしょうかを てきよう する ことに、さんせい して やっても よい。ただし、オレたち 『リベラル』で 『りょうしんてき』な にほんじんさまにも みとめられやすい ように、じしゅてき かいぜん*3の どりょくを しろ!」と。これわ どうかつ いがいの なにものでも ありません。ひどい ものです。
 そもそも、にほん せいふわ、ちょうせん がっこう いがいの がっこうに たいしてわ、きょういくの 「ないよう」にわ ふみこまず、カリキュラムが きじゅんを みたして いるか どうかの 「けいしき」だけを みて、むしょうかを てきよう して いる わけです。ちょうせん がっこうに だけ、さまざまな じょうけんを つけて、てきようを ほりゅう して いる というのが げんじょうです。この あたりの ことわ、たとえば いかの ブログ きじに くわしいので、ぜひ さんしょう して ください。


その眼差しから目を逸らすことは許されない - 日刊イオ
「朝鮮学校を閉鎖しろ」と言わしめてしまう状況を危惧する - 日刊イオ
いつまで朝高生を苦しめる? - 日刊イオ


 また、にほん せいふが、1945ねんの はいせん いこうも、みんぞく きょういくを しえん して こなかった ばかりか、いっかん して だんあつ して きた ことも、わすれてわ なりません。にほんわ、ざいにち ちょうせんじんたちが 1945ねんの かいほうを へて にほん かくちで じしゅてきに つくり、そだてあげて きた ちょうせんじん がっこうを もじどおり ぼうりょくてきに だんあつ する いっぽうで、にほん がっこうに かよう ことを きょうせいし、あるいは そう しむけて きました。その けいいわ、この ブログでも まえに しょうかい した ことが あります。


「ちょうせん がっこうの せいとたちは すんだ めを している」 - やねごんの にっき


 『あさひ しんぶん』ごときに 「じしゅてき かいぜん」を しろ などと せっきょう されなくとも、ざいにち ちょうせんじんわ じしゅてきに きょういくの ばを つくり あげて きたのです。それを ぼうがい して きたのわ だれですか? にほん せいふ であり、もんぶしょう(→もんかしょう) でしょう?
 ちょうせんじんたちの みんぞく きょういくを だんあつ しながら、にほん がっこうでわ、それを のぞまない ひとたちにも にほんじんに 「なる」ための みんぞく きょういくを おしつけて いる。こういう ことを にほんの きょういく ぎょうせいわ ずっと やって きて いる わけです。
 そして、こんかいの 『あさひ』の しゃせつの ように、にほんじんや にほんの ナショナル・メディアわ、ちょうせん がっこうに オレさまの いう じょうけんを のめと せまる。くりかえしに なりますが、これは どうかつと いう べきです。


 しかし、ねが ふかい もんだいだと おもうのわ、おそらく この しゃせつを かいた きしゃたちわ、じぶんたちの やっている ことが どうかつに ほかならない という ことを じかく して いない だろう という ことです。たぶん、この ひっしゃたちわ、じぶんたちが どちらかと いえば 「リベラル」で 「かんよう」で、いくらか 「りょうしんてき」だとすら にんしき して いる ことでしょう。だって、「さんけい しんぶん」の ような 「うよく」で 「さべつ しゅぎしゃ」の れんちゅうと ちがって、オレたちわ ちょうせん がっこうが むしょうか てきよう から はいじょ されて いる ことに、はんたい して いるのだから。
 なるほど、『あさひ しんぶん』は、『さんけい しんぶん』のような うよくと くらべれば 「リベラル」です。たしかに、『さんけい しんぶん』ほど ろこつにわ ちょうせん がっこうを 「にほんの てき」と なざす ような かきかたわ して いない かも しれません。ちょうせん がっこうにも むしょうか てきようを みとめる べきだと しゃせつでも かいて いるのですから、『さんけい しんぶん』よりわ 「かんよう」と いえる かも しれません。
 しかし、『さんけい しんぶん』と 『あさひ しんぶん』は にほんに おける みんぞく きょういく だんあつ*4の きょうはんしゃと いう べきです。
 『さんけい しんぶん』などの うよくわ、しょうすうしゃに たいして、あからさまな はいがいしゅぎで むかいます。うよくわ しょうすうしゃに たいし、「こくえき」を そこなう 「てき」と なざして こうげき します。
 いっぽうで、『あさひ しんぶん』に みられる ような、たすうしゃで ある ことに いなおり、たすうで ある ことを かさに きた 「リベラル」*5わ、しょうすうしゃに たいして、「かんようさ」を もって せっします。「わたしわ あなたを みとめて あげますよ」と。ところが、この「リベラル」は そこで 「ただし……」と じょうけんを つけるのです。「あなたを そんちょう する つもりだし、そんちょう したい という きもちを もっても いるのです。ただし、これこれしかじかの じょうけんを のんで くれないか?」と。
 ここにおいて、うよくと 「リベラル」わ、たがいが たがいを ひつようと する かんけいに あります。もし、うよく しか いなければ、しょうすうしゃに とって 「じょうほ」や 「だきょう」という せんたくしわ げんじつてきに そんざい しようが ありません。いかに うよく による はいじょと よくあつに ていこう するか(あるいわ、やりすごすか)、という こと だけが、しょうすうしゃに とっての かだいに なります。したがって、「リベラル」ぬきでわ、たすうしゃわ しょうすしゃの はげしい ていこうを うける かのうせいが たかく なります。
 ところが、ここに 「リベラル」が いる ことで、じじょうが かわって きます。「リベラル」は うよくの あからさまな はいがいしゅぎを はいけいに して、しょうすうしゃに 「じょうほ」と「だきょう」を せまる ことが できる からです。「リベラル」わ、しょうすうしゃに たいし「うよくどもの せいで あなたたち ひどいめに あってるね」と どうじょうを しめし、「でも、わたしわ あなたたちの みかたですよ」と ちかづく ことが できます。そして、「あなたに とって きちょうな みかた である わたしの だす じょうけんを のんで くれないか」と どうかつしに かかる わけです。
 こうして、うよくと 「リベラル」の やくわり ぶんたんの けっか、しょうすうしゃわ たすうしゃ えの 「だきょう」を せんたく するのか、それとも その ぎゃくの せんたくを するのか、という ぶんれつ あつりょくを うける ことに なります。その 「ぶんれつ」とわ、たとえば 「しんにちは(親日派)」と「はんにちは(反日派)」との たいりつ として あらわれる ことも ある 「ぶんれつ」でも あり、また ひとりの ひとの なかでの かっとう として あらわれる 「ぶんれつ」でも あるでしょう。


 これわ きゃっかんてきに みて チーム・プレイと いうべきです。しかし、「うよく」と「リベラル」を ぶんり する ような にんしきの もとでわ、これが いったいと なった れんぞくした ぼうりょくで ある という ことが みえません。
 うよくにわ うよくの じこぎまんの りくつが あるのでしょう。「あえて どろを かぶり、にくまれやくを かってでるのが オレたち おとこの びがくだ。さよく*6と ちがって きれいごとわ いわないぜ」とか、そういうのでしょうかね? くだらない。
 たほう、「リベラル」にわ 「リベラル」の じこぎまんの りくつが あるのでしょう。「わたしたちわ たしゃを うけいれる かんようさが あるのです。うよくと ちがって はいがいしゅぎを となえたり しない」と。
 じこぎまんの りくつに おいても、りょうしゃわ 「たがいが たがいを ひつようと する かんけい」に あると いえそうです。
 うよくを ひはん するのと どうじに、あるしゅの 「リベラル」、『あさひ しんぶん』に みられるような ふるまいかた*7を ひはん して いく ひつようが あると おもいます。

*1:キム・イルソンわ にほんによる しょくみんち しはいと たたかった、どくりつ うんどうの リーダーの ひとりと されて います。ちょうせんじんに たいし、その キム・イルソンの しょうぞうがを おろせと にほんの ナショナル・メディアが ようきゅうする なんて、たしょうなりとも しゅうちしんが あったら はずかしくて できない ことだと おもいます(イギリスの しんぶんが インドこくみんに むかって 「ガンジーの しょうぞうがを おろせ」と いってる ような ものです)。しかも、『あさひ』わ かつて その しょくみんち しはいに きょうりょく した せきにんを とわれる べき しんぶんでしょ?

*2:しゃせつの ぶんしょうでわ 「自国(じこく)の 負(ふ)の 部分(ぶぶん)も 教(おし)えるべきだ」という かきかたを して おります。しゃせつの ひっしゃわ、ここでの「じこく」(じぶんの くに)とわ 「きょうわこく」の ことだと きめつけて いるのでしょう。
 しかし、ちょうせん がっこうに かかわる ざいにち ちょうせんじん にとって、「あなたに とって 『じぶんの くに』とわ どこですか?」という しつもんわ、そんなに かんたんに こたえを だせる ものなのでしょうか?
 「きょうわこく」と こたえる ひとも いるでしょうし、「かんこく」と こたえる ひとも いるかも しれません。また、「じぶんの くにわ その いずれでもない、まだ そんざい して いない くにである」と かんがえる ひとも いるかもしれない。あるいわ、「こっか などに アイデンティティを もって いないし、もつ つもりも ない」と いう ひとも いるかも しれません。「にほんが 『じぶんの くに』だ」あるいわ「にほんも 『じぶんの くに』の ひとつ」という こたえも ありえますが、すくなくとも、この しゃせつを かいた きしゃわ、その かのせいを そうぞうすら して いない ことが わかります。
 しゃせつを かいた ひとわ、「じこく(自国)」など という ことばを、とう までも ない あきらかな もの として へいきで つかえる みずからの むしんけいさが、じぶん じしんの どういう しゃかいてきな いちに ゆらい する ものなのか、よくよく はんせい して みたら よいのでわ ないかと おもいます。

*3:「じしゅてき かいぜん(自主的改善)」などと 『あさひ』わ いって いますが、なにを もって 「かいぜん」と ひょうか するのかわ、オレたち にほんじんさま しだいだ、という わけです。

*4:さきに かいた ように にほんじんに 「なる」ための みんぞく きょういく だけわ、にほんじん いがいの じゅうみんからも あつめた ぜいきんを つかって おしすすめ、おしつけて いる わけですが。

*5:ここでの 「リベラル」わ 「さよく」と おきかえて よんで もらっても よいと おもいます。

*6:わたしが この ぶんしょうで いってる 「リベラル」に あたります。

*7:cafe_more さんの ことばを かりると 「『りょうしんてき』である ことと『しはいしゃ』であり つづける ことを どうじに みたして くれそうな げんせつ」

けんえつ・ごうりか・せいとうか

 ひどい あくむを みた。じぶんが ぼうりょくを ふるって いる ゆめ。
 めが さめた ときに 「さっき わたしわ こうゆう ゆめを みた」と にんしき している 「ゆめ」わ、すでに いしきに つごうが いいように かこう(加工)され ごうりか された ものである らしい。ゆめ そのものわ けっこう おどおどろしくて ちょくし するにわ たえがたい もので あったとしても、めざめた ときにわ それを じぶんにとって あまり ていこうかんの ない 「ゆめ」えと かこう して いるのだと いう。せいしん ぶんせきで 「けんえつ」とか いうんだっけ?
 ただ、その「けんえつ」(って いうの?)わ うまく いく ばあいと うまく いかない ばあいが あるのだろう。さっき みた 「ゆめ」わ けんえつが あまり うまく いって ないようだった。じぶん じしんが ふるって いる ぼうりょくを ごうりか、ないし せいとうか しようと してわ いながら、その ごうりか・せいとうかが とって つけた ような ものに すぎないのが、めざめつつある わたしにわ あきらかだった。
 そんな ふうに、「けんえつ」の ふじゅうぶんな 「ゆめ」を みせられた わたしわ、めざめつつ あるのを じかく して いる ぼんやり した いしきの なかで、ゆめの なかでの じぶんの ぼうりょく について、さらなる ごうりか・せいとうかを こころみて いた。かなり もっとも らしい すとーりーを つくりあげ、じぶん じしん なっとく しかけて いた ときに、ぱっちりと かんぜんに めが さめた。




 ほんとうに やばいのわ、「じぶんの なかに じぶん じしんでは なかなか いしき されない ぼうりょくせいが はらまれて いる」という ことでわ ないように おもう。むしろ、「じぶんが ふるった ぼうりょく、あるいは げんに ふるいつつ ある ぼうりょくが、ただちに ごうりか・せいとうか されてしまう。それも おおくの ばあい、むじかくの うちに*1」という こと こそが、やばいのでわ ないか?
 たんに「ゆめ」に おける はなしでわなく、「めざめて いる」と じぶんが にんしき して いる げんじつの ぼうりょくに おいても。

*1:ただし、「むじかく」であっても、たしかに そこにわ いし(意思)が あり、あきらかに それわ いとてきな ものである。

「ふほう たいざい」「ふほう しゅうろう」とは なにか?

(1)にゅうかん しょくいんの おしごと

 まえにも この ブログで とりあげたのですが、にゅうこく かんりきょく(にゅうかん)の ロビーにわ、つぎのような ほうむしょう(法務省)の ポスターが はずかしげも なく、どーどーと はって あります。



ヘイトスピーチ

ルールを まもって こくさいか
2010 ふほう しゅうろう がいこくじん たいさく キャンペーン


がいこくじんの ふほう しゅうろう ぼうしに
ごきょうりょく ください。


げんざい、ふほう たいざいしゃは
やく 11まんにんと すいていされ、
ふほう しゅうろう する がいこくじんの そんざいは、
いろいろな ぶんやに わたり、
さまざまな もんだいを ひきおこして います。
にゅうこく かんりきょくでは、
ふほう しゅうろう ぼうしと
がいこくじん てきせい こようの ための
キャンペーンを じっし して います。


 なるほど。ほうむしょう としてわ、「ふほう たいざい」の がいこくじんの 「ふほう しゅうろう」を ふせぎたい、と。
 なるほど。「ふほう たいざい」そのものが はんざい である うえに、その たいざい しかくの ない がいこくじんが はたらくのわ、はんざいに はんざいを かさねる 2じゅうの いほう こうい である、と。
 ほうりつ いはんわ とりしまらなければ なりません。「ふほう たいざい」「ふほう しゅうろう」の がいこくじんを みつけたら、つかまえて しゅうようじょに ぶちこみ、にほんから おいだす。これが にゅうかん しょくいんの おしごとです。
 にゅうかん しょくいんの おしごとわ たいへんです。きょうせい そうかん(強制送還)を いやがって ていこう する 「ふほう たいざい」の がいこくじんも いますから、ちからずくで かれらを ひこうきに のせなければ ならない ことも あります。なにせ、ちからずくで やる わけですから、その とちゅうで まちがって ひとごろしを しちゃう ことも あります。


Pinkydragon ~ SYI Blog ~ : 特別公務員暴行陵虐致死容疑、入管職員10人を書類送検


 しかし、にゅうかん しょくいんも にんげんです。モンスターでわ ありません。やっぱり ひとごろしわ したく ありません。
 なので、できる ことなら、「ふほう たいざい」の がいこくじんが じぶんから すすんで にほんから でて いく ように しむけられれば、それが ベストです。
 そのために、にゅうかん しょくいんわ、「ふほう たいざい」の がいこくじんを いためつける わけです。ぐたいてきには、つぎの ような てぐちで いためつけ、がいこくじんが じぶんから 「きこく どういしょ(帰国同意書)」に サインするよう しむけます。

  • 1ねん 2ねんもの あいだ、しゅうようじょに とじこめる。
  • ながい あいだ とじこめられ じゆうが うばわれると、おおくの ひとわ うつびょうや ノイローゼに なります。そうでなくとも、ひとわ いきてれば とうにょうびょうや じんぞう けっせき といった びょうきに かかる ものです。
  • そうした びょうきに なったときに、まともな ちりょうを うけさせない。
  • がいこくじんが 「なんみん にんてい」の しんせい(申請)の ため、あるいわ びょうきの ちりょうの ために 「かりほうめん きょか(仮放免許可)」を しんせい すると、なんかげつも またせた あげく、きゃっか する。
  • かりほうめんが きょか されても、1かげつ(ばあいに よってわ 3かげつ)ごとに にゅうかんまで でむいて 「かりほうめん えんちょう てつづき」を しなければ ならず、えんちょうが みとめられなければ そのばで しゅうよう(収容)されて しまう。そのため、かりほうめんしゃわ 「また しゅうよう されるかも」という ストレスで ねむれなく なったり、うつびょうに なったりも する。
  • その えんちょう てつづきで、しょくいんが 「らいげつわ しゅうようするぞ」と おどしを かける ことも ある(1かげつ まえに きまってる わけが ないのに)。


 このような ひとを いためつける しごと、また きょうせい そうかん という しごとわ、なかにわ ほうりつ いはんの うたがわれる ケースも ありますが、きほんてきにわ ほうりつに のっとって おこなわれて いるのでしょう。にゅうかん しょくいんも ことあるごとに 「われわれわ にゅうかんほう(入管法)(あるいは 『しょぐう きそく(処遇規則)』)に のっとって やって おります」と せつめい します。さきの ポスターにも ある とおり「ルールを まもって こくさいか」という わけです。
 つまり、れいがいわ あるにせよ、おおざっぱに いえば、「にゅうかん しょくいんわ ほうりつに のっとって、ふほう たいざい・ふほう しゅうろうの がいこくじんを とりしまって いる」と いえるでしょう。「にゅうかんわ ほうりつを まもっており、とりしまられる がいこくじんが ほうりつを やぶって いる」と。



(2)「ふほう」じょうたいを つくりだしてるのわ だれか?

 しかし、どうなんでしょう? いったい「ふほう たいざい」「ふほう しゅうろう」の 「ふほう」とは なんでしょう?
 だれが この 「ふほう」じょうたいを つくり だして いるのでしょうか? 「ふほう たいざい」「ふほう しゅうろう」の がいこくじんでしょうか?
 わたしわ ちがうと おもいます。かれら・かのじょらの 「ふほう」じょうたいを つくりだして いるのわ、にほん せいふであり、その にほん せいふを 「みんしゅてきに」 ささえて いる にほん こくみんであると かんがえます。


 いぜん、しゅうようじょで めんかいを した 「ふほう たいざい」の がいこくじんわ、おおよそ つぎのような ことを いって いました。

 わたしわ 20すうねん にほんに いる。その あいだ ずっと にゅうかんわ わたしを つかまえなかった。しやくしょで がいこくじん とうろく などの てつづきを してるので、わたしに たいざい しかくが ない ことわ、にゅうかんも しって いた はず。
 なぜ、にゅうかんわ いままで ずっと わたしを つかまえず、なぜ いまに なって きゅうに つかまえたのか?


 なぜでしょう?
 けんちく げんばで てっこつを くみたてる しごと、ビルの かいたい げんば、じどうしゃ こうじょうの ライン……。そういった しょくばにわ、20ねん まえも いま げんざいも、たくさんの 「ふほう しゅうろう」の がいこくじんが います。そういった ところを かたっぱしから とりしまれば、にゅうかんの だいきらいな「ふほう しゅうろう」を にほんから なくす ことが できる はずです。「ふほう しゅうろう」の がいこくじんは その かぞくが 「ふほう たいざい」である ことも おおいでしょうから、「ふほう たいざい」も おおはばに へらせる ことでしょう。
 しかし、にゅうかんわ そう しません*1。「ふほう しゅうろう」を、あるいわ 「ふほう たいざい」を、ある ときわ とりしまり、ある ときわ みのがして いる わけです。
 なぜ、にゅうかんわ このように とりしまったり みのがしたり して いるのでしょうか?
 にゅうかんや ほうむしょうに きいた わけじゃないですが、さっするに その りゆうわ「てっていてきに 『ふほう しゅうろう』を とりしまった ばあい、こまる にほんじんが たくさん でてくるから」でしょう。ビルを たてたり、かいたい したり、じどうしゃを くみたてたり、そういった げんばに がいこくじんが かかせないからでしょう。
 だったら、なぜ かれら・かのじょらを 「ふほう」の ままに して おくのでしょう? 「たいざい」と「しゅうろう」の けんりを みとめ、「ごうほう」に してしまえば、「ふほう たいざい」も 「ふほう しゅうろう」も なくせるのに。かれら・かのじょらの そんざいが ひつようなら、そうすれば いいのに。
 しかし、にゅうかんわ そう しません。かれら・かのじょらを 「ふほう」じょうたいに しておく ことが、にゅうかん にとって つごうが よいからです。だって、「ふほう」じょうたいに ある にんげんわ、とりしまる がわが すきな ときに とりしまったり、あるいわ とりしまらずに みのがしたり、ようするに じゆうに できるのですから。
 けいきが よい ときわ あまり とりしまらず、けいきが わるくなって 「ろうどうりょく」が あまったら、どんどん つかまえて とじこめて にほんから おいだす。そのために、いっていすうの にんげんを あらかじめ 「ふほう」じょうたいに した うえで、にほんに おいて おくのが つごうが よい わけです。
 つまり、「ふほう」じょうたいを つくりだして いるのわ、「ふほう たいざい」「ふほう しゅうろう」の がいこくじんでわ ありません。それわ、にゅうかんや けいさつであり、にほんせいふであり、それを ささえ(また、ばあいに よってわ それに よって りえきを えて いる) にほん こくみんです。



(3)「かりほうめんしゃ」という そんざい

 さて、「かりほうめんしゃ(仮放免者)」という そんざいが あります。
 「かりほうめんしゃ」を めぐっても、うえに のべた かんりの やりくちが にゅうかんに よって とられて いるのを みる ことが できます。
 「かりほうめん」とわ、たいざい しかくを もたない がいこくじんを 「かりに」、つまり いちじてきに しゅうようじょから でる ことを きょか する という ことです(くわしくわ、きじの さいごの リンクさきを さんこうに して ください)。
 にほんの にゅうかんわ、「ふほう たいざい」の がいこくじんを すべて しゅうようじょに とじこめる ことを 「げんそく」として います。とうぜん、こんな「げんそく」が まもられる わけが ありません。11まんにんも いると ほうむしょうが すいてい(推定)してる 「ふほう たいざいしゃ」の すべてを、しゅうよう できる わけなど ないからです。
 じゃあ、なぜ こんな「げんそく」を にゅうかんわ もうけて いるのでしょうか? それわ「かりほうめんしゃ」を にゅうかんの すきな ときに しゅうよう できる ように する ためでしょう。
 たとえば、にゅうかんわ 「かりほうめんしゃ」の しゅうろう(就労)を きんし します。ところが、じょうしきてきに かんがえて、ほとんどの ひとが しごとを しなければ せいかつ できない ことわ あきらかです。おおくの 「かりほうめんしゃ」が しごとを して いる ことを にゅうかんも しって いる はずです。にゅうかんわ きほんてきに しらんぷりを して いるのです。
 これに よって、にゅうかんわ、いつでも すきな ときに 「いはん」を りゆうに して「かりほうめんしゃ」を つかまえ、しゅうようじょに ぶちこむ けんげんを てに して いる わけです。
 いわば、「かりほうめんしゃ」たちわ、あるいわ たいざい しかくを もたない すべての がいこくじんたちわ、あらかじめ わなに はめられて いる という ことです。かれら・かのじょらわ、そんざい する こと、せいかつ する こと そのものが、あらかじめ「ふほう」に されて いるのです。
 その 「かりほうめんしゃ」たちが こくせきや みんぞくを こえて ちからを あわせ、にほんの にゅうかん せいど、にゅうかん ぎょうせいを かえて ゆこう という うごきが、きょねんから かっぱつに なって おります。
 2がつ 25にち(きんようび)にわ、かんとう ちほうの 「かりほうめんしゃの かい(仮放免者の会)」が、とうきょう・しながわで デモを しゅさい します。また、こじん・だんたいによる 「かりほうめんしゃの かい」への さんどう(賛同)を つのって いるそうです。
 ぜひ リンクさきを ごらん ください。
仮放免者の会 2.25デモのおしらせ/団体・個人賛同のおねがい(転載歓迎)

*1:ただし、にゅうかんは これまで たびたび だいきぼな 「がいこくじん がり(外国人狩り)」を おこなって きました。たとえば、にほん けいざいの バブルが ほうかいした あと、1992〜93に「イランじん がり」を おこないました。
アリさんの日本での体験