Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

Spiral Fiction Note’s 日記(2024年4月1日〜2024年4月15日)

3月下旬の日記(2024年3月16日から3月31日分)


4月1日
日付が変わって4月になった。桜はまだ満開ではないのに今年の四分の一が終わった。六時過ぎに起きて可燃ゴミを出しにいく。風は冷えていて気温も低い。まだカラスの鳴き声は聞こえなかった。
とりあえず、6月末までに書き終えるスケジュールにした『鱗粉と忘却』というタイトルの作品について朝少し早く起きた時間にすることにした。もともといろいろと設定とか考えていたもので、キャラクター表は作っていた。
僕は妄想キャスティングという形で登場人物ごとに映像化した場合のイメージの俳優さんの画像をキャラ表に貼っている。改めてそのキャラ表を見ながら、それぞれのエピソードや設定を見ているとなんかもう違うなって気になった。
主人公と数人のキャラに関してはそれまで貼っていた画像を削除して新しい人の画像を貼った。今書くならその人たちをイメージしたほうが合うだろうなと思えた。
大抵の場合はその俳優さんの身長を設定にも書いている。そうすると話している時とか何かしている時の視線の位置みたいなものが決まる。そうすれば見えるものと見えないものが自然と把握できる。作品の核みたいなものがまだ揺らいでいる。身体と記憶について書きたい、それはタイトルに出ている。その鱗粉感がもうちょっとうまく掴めない。

8時半過ぎにコンビニに行こうと部屋を出たら可燃ゴミの集積所の辺りにゴミ袋から飛び出たゴミが飛び散っていた。カラスが鳴いている声もしたし、最近は寒かったから行動をあまりしていなかったけど、春だしカラスの子育ての時期で活動的になるから徐々にゴミ袋を破いて中の生ゴミとかを持っているみたい。
なぜか空いたゴミ袋からは生ラーメンの麺らしきものとマロニーが散乱していた。ゴミの集積車がゴミを持って行っていった後にはわずかにマロニーとかが残っていた。
お昼過ぎに買い物から帰ってきたら大家さん代理のおじちゃんが水を撒いて掃除をしていた。水を含んだマロニーがぷるぷると膨らんでいて、それをなにかあったんですかと言いたげな顔をしているような鳩が食べてキレイにしていた。

radikoで昨日の川島さんのねごとも有吉さんのサンドリは聴いてしまっていたので、『三四郎オールナイトニッポン』ファンクラブ「バチボコプレミアムリスナー」で過去のアーカイブを聴きながらリモートワークをしようと思ったが、いくつかの番組をTVerで流してから、永野さんとアンジャッシュの渡部さんが『チャンスの時間』に出演していたのを知ったのでそれを流しながら作業。


『チャンスの時間』#263:90分拡大SP!永野が渡部に噛み付く!!第4回行列のできるブチギレ相談所

永野さんが渡部さんにどんどん噛みついていき、声を出して笑ってしまう。非常にいい組み合わせなんじゃないかな。おもしろかった。永野さんやっぱり今年もっと売れるし、求められる存在になっていくとより確信した。

昼休みに外に出たら、家の近所で知り合いのHさんとばったり会った。実印をはんこ屋さんに取りにいくというので、そこまで話しながらご一緒させてもらった。
この三ヶ月ぐらいのことを聞いてもらった。話すことで癒えていく、気持ちが安定してくる感じはあって、何人かの人に話して聞いてもらえることで僕はだいぶ助けられている。

19時前にリモート作業は終わったので、散歩がてら池尻大橋駅にあるあおい書店へ。恩田陸著『spring』と安倍公房著『題未定』を買った。
4月になったし新しい小説を買いたかったし、『鱗粉と忘却』は「日本ファンタジーノベル大賞2025」に応募するつもりなので、選考委員である恩田さんの新刊というのもあるし、春に「spring」というタイトルの本はいいなって。
安倍公房作品はたくさん読んでいないけど、短編集ぽいのと満州にいた時期のことが書かれているみたいなので気になった。

【MV】Creepy Nuts - 二度寝(Nidone) 


朝も雨が少し降っていたが、お昼過ぎにも降っていてあおい書店へ行く時に外は肌寒かった。雨のせいなのか、昼過ぎにすごく眠かった。気圧の変動かなにかだったのだろうか、「春眠暁を覚えず」はこの場合では意味は違うけど、春はやっぱり眠い。

 

4月2日
一度起きて、radikoで『空気階段の踊り場』を聴きながら二度寝して、起きて途中から聴き直してから洗濯とか掃除をしながら『JUNK 伊集院光深夜の馬鹿力』を聴いた。

ガブリエル・ガルシア=マルケスの歴史的傑作『百年の孤独』文庫版を2024年6月26日に発売決定! 今年の「新潮文庫の100冊」の目玉新刊として刊行いたします。 

昨日出ていたニュース。単行本も買って持っているけど、文庫版も買う。だからお願いだからまともでカッコいい装幀デザインにしてほしい。

老舗文芸誌「新潮」を21年率いた純文学界のカリスマ編集長の矢野優氏が退任…「作家は星、文芸誌は星座」

矢野さんがいない『新潮』が始まる。僕が読み出したのは2008年とかなんで矢野さん編集長の時しか知らない。
古川日出男さんのトーク&サイン会の時に少しお話しさせてもらって、古川さんの15周年イベントの時にDJをされていたのを見たぐらい。あと水道橋博士さんの中学の後輩だって話は博士さんがされていた。
今は新潮文庫になっているチャールズ・ブコウスキー著『町でいちばんの美女』『ありきたりの狂気の物語』も単行本の時から矢野さんが担当編集だったはず。その時点で信用できる。何はともあれおつかれさまでした。

家を出るまでは作業をやっていたが、なんせ眠い。でも、とりあえず資料読んだりキーボードを打ったりしつつ、『キタニタツヤのオールナイトニッポンX』『山田裕貴オールナイトニッポン』『フワちゃんのオールナイトニッポン0』とオールナイトブランドを流していた。
フワちゃん以外は新番組で、キタニタツヤさんはレギュラーになって初、山田裕貴さんは一部昇格&結婚後初というタイミング。
タニタツヤさんは声が低いし落ち着いているので聴きやすい。山田さんはテンションが高いのでやっぱり苦手だ。でも、この枠を引き継いでちゃんとやっていくという意思は感じられた。
二週間後のスペシャルウイークのゲストが前々々パーソナリティーだった菅田将暉と発表。僕のようにコロナパンデミックで巣ごもり的にリモートなんかがきっかけでラジオを聴くようになった人は多いと思う。その時にパーソナリティーだった人たちへの思い入れなんかはあるだろうから、後任の人たちはきびしいところはあるかもしれない。その意味で菅田将暉ゲスト回が今後の分水嶺になるのかもしれない。


満開ではないけど緑道の桜がやっと咲き始めた。


二日前にポイントが貯まったので鑑賞チケットと引き換えていたマヒトゥ・ザ・ピーポー監督『i ai』をホワイトシネクイントで鑑賞。17時からの回だったが若い人たちがほとんどで十数名は観客がいた。
最後に主人公が観客に語りかけてくるところがあって、「第四の壁」を超えてくるような話というかメッセージがあった。それがやりたかったことなんだろうな。異物な部分があったと思うし、でもこれを作りたいという熱意みたいなものが過剰に溢れてもいた。森山未來が演じたヒー兄はマヒトゥ・ザ・ピーポーというよりも躍ってばかりの国の下津っぽかった。

【FUJI&SUN】ライブ映像(2022年):踊ってばかりの国ニーチェ」【WOWOW】 



終わってからスマホを取り出したら前に仕事をしたことがある人から連絡が入っていた。折り返して電話をしながら家に向かって歩きながら話をした。
新しい仕事になるかもしれないし、こういうご縁やタイミングを大事にしたいけど、諸々と確認することもあるのでどうなるのかはまだわからないけど、声をかけてもらってありがたい。

“かっこいい”はぜんぶ、やりすぎなひとから教わった。芸人 永野の道を照らす、前向きな「過剰さ」。

『ラヴィット!』は「令和の笑っていいとも!」と呼ばれるようになったけど、永野さんが「令和のタモリさん」的な存在になっていくと個人的には思う。

 

4月3日
6時前に目が覚めて、ペットボトル回収の日なので集積所に持っていく。かなり肌寒い、あの暖かさはなんだったんだ。今日はずっと雨と天気予報に出ていたけど桜も咲き始めたばかりなのに、これだと週末に満開になる前に散ったりしそう。
週一のMTGは今週リスケになったので、そのままリモートワークを。台湾のほうで大きな地震があったというニュース。住んでいる知り合いはいないが、知り合いのパートナーが出身だったり、今年台湾に行こうとしている人もいたりするので、そういう人の顔がよぎる。
知り合いが増えていくということはその人と関わり土地が他人事ではなくなっていく。

作業中はいつも通りradikoで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』を流した。
星野さんは先週休養で休みだったが復帰。声がまだ本調子ではなかった。
あのちゃんは番組スタッフをチームメンヘラという名前で呼びつつ、メンヘラ感を出しつつトーク、その辺りはすごくうまいし、ひとりでどんどん展開させていけるのはやっぱりすごい。演技ともいえるけど、メンヘラが言いそうな言葉や語彙や声の大きさみたいなものが異常にリアル、でも、言いながらすぐにフッと抜けてそのキャラとは距離を取るトークをやれる人ってそうそういないんじゃないかな。
あとスペシャルウイークのゲストが銀杏BOYZの峯田さんだった。すごいいい組み合わせだから、おもしろいトークになってほしいし期待したい。

親の描いた道とは真逆の人生を送ることを決めた三四郎小宮の人生とは?【鬼越トマホーク】 


ラジオを聴き終わってからはYouTubeTVerで気になるものを流していたが、前回の相田さんに引き続き、小宮さん登場してがっつり話をしていた。ありがとう鬼越トマホーク!

昼休憩の時には傘を差して外へ。ずっと家にいるのは嫌だから、駅前のスーパーやツタヤへ。『東京オルタナティヴ転-チェルノブイリ編-』が出ていた。
大塚英志原作/西川聖蘭漫画『東京オルタナティヴ』 「起-東京原爆編-」「承-天安門編-」「転-チェルノブイリ編-」「結」は今年後半連載再開ということなので楽しみに待つことにする。


仕事が終わってからニコラに行って、ほたるいかと菜の花のリングイネロゼワインをいただく。
昨日皮膚科に行って症状を診てもらった際に、ステロイドの薬はもう飲まなくてよくなったので、個人的にはいつも通りにお酒も解禁したし、食べたかったけどワインと一緒に注文したかったので食べていなかったこのリングイネを。
やっぱり美味しい。毎年春の時期にはこの料理をいただいている。季節のものを食べるのは本当に大事だなってニコラで食事をするようになって感じるようになった。
ラナンキュラスの花がお店には置かれていて、わからなかったので名前を聞いたけど、僕はピンとこなかった。この時期のお花みたいでGoogleでその場で検索したら花言葉が出てきて「とても魅力的」「晴れやかな魅力」「光輝」という明るくて前向きなものだった。

帰りに寄ったお店でバッグから長ネギが出ている人を見かけた。
そういえば、亡くなった友達と最後に会った時に朗読劇を観たシアターマーキュリー新宿が入っている新宿マルイ本館を待ち時間にブラブラしている時に、ガチャガチャのエリアがあった。その中に長ネギを入れる専用の袋のガチャがあって、彼女はそれを一回ガチャしたら一発で欲しいネギ入れ袋をGETしていた。あの袋って何回か使えたのだろうかと不意に思った。

 

4月4日
木曜日は基本的には休みにしている。でも、6時前に目が覚めたので可燃ゴミを出してからまた寝転んだ。
TVerで昨日放送した『あちこちオードリー』を流しながら寝る。一度見ているけど、事務所繋がりのゲストたちの中でも永野さん無双というか、永野さんにスポットが当たっている感じの内容だった。


スケジュールには予定を入れていたので8時前には家を出て246沿いを歩いていく。赤坂御所横の豊川稲荷赤坂別院を通ったのでお参りをして、花まつりというのをやっていて置かれていた甘茶というのをいただいた。熱くてほんのりと甘かった。ここまで一時間半以上は歩いていたので疲れに効いている気がした。


東京国立現代美術館で開催中の「中平卓馬|火―氾濫」を観ようと思って、散歩がてら歩いてきた。ちょうど開館する10時少し前に着いたので数分待って中へ。こういう場合はウェブでチケットを取っておくと本当に楽ちん。
中平さんに関して名前はさすがに知っているが、展示などは観たことがなくて、会期が日曜日までだったので平日に来ようと思っていた。多くはないが平日の午前中にしては海外からの人も含めてそれなりに観にきていた。

 「なぜ植物図鑑か」には次のような一節があります。「都市は氾濫する。事物は氾濫し、叛乱を開始する。大切なことは絶望的にそれを認めることなのだ。それが出発である。」
 世界と対峙することとは、世界の側からの視線が私に向かって投げ返されることであり、「私の視線と事物の視線とが織りなす磁気を帯びた場、それが世界なのだ」と中平は記しています。《氾濫》は、あるがままの世界に向き合うことの困難さを再確認する試みだったのかもしれません。

唯一読んでいる『なぜ植物図鑑か』に関するエリアの紹介文のところにこの文章があった。プリントしたものだけではなく、写真が掲載されていた雑誌もかなり多く展示されていた。
小説家・中上健次と一緒に行っていた連載が掲載されている雑誌もあったりして、何十年と月日を経たものだから展示物にもなるんだなって思った。これってウェブでの連載とかだとどうなるんだろう、たぶん展示しても味もでない(色も褪せない)し、無駄にディスプレイがいるだけだもんな。
プリントはモノクロのものがかなりインパクトがあって、強いなって感じる陰影にどこか時代的なものなのか暗さみたいなものを感じた。こういう写真が使われた書籍とか今あるほうが目立つしカッコいい。

九段下駅まで歩いてから半蔵門線一本で家に帰って昼ごはんを食べて、読みかけだった本の続きを進めたり、うとうとしながらまた夕方になって家を出て渋谷へ。朝同様に宮益坂の下まで歩いてル・シネマへ。

氷室冴子原作/中村香脚本/望月智充監督『海がきこえる』をル・シネマで鑑賞。
友達から話には聞いていたがお客がかなり入っていたし、七割ぐらいは大学生ぐらい、二十代前半という感じで若いお客さんばっかりだなという印象。作品の主要人物の子供世代に届いてるといったところか。
スタジオジブリ作品だが劇場公開ではなくテレビアニメとして放映されたものらしく、1993年の作品なので約30年前のアニメ作品である。
そういう時代を飛び越えて、今の若い世代に届いているのはシティポップの世界的なリバイバルヒットと無縁ではないだろうし、それによるネオシティポップというジャンルが流行っているのもあるだろうし、平成レトロ消費という側面もあるのかもしれない。実際に観てみると確かに古くて新しい、ジブリの可能性の一つだったんだなあ、と思った。
大学一年生時に高校の同窓会で当たり前に酒を飲んでタバコを吸っているシーンがあるので、今だと地上波(日テレ)で放送は難しいだろう。
僕らが高校時代でさえ、90年代末期は文化祭の打ち上げで酒を飲んだり、タバコを吸う奴は隠れて吸っていたぐらいで、自販機酒もタバコも普通に買おうと思えば買えた。今の二十代が生まれ育った環境ではそれらは無くなっていった時代でもあるので、新鮮かもしれないし、昔ってこんなにゆるかったのと思ったりもしているのかもしれない。

僕がスタッフをしている「monokaki」は小説投稿サイト「エブリスタ」のオウンドメディア。「エブリスタ」ではいろんなコンテストをやっていて、その中のひとつが『海がきこえる』の原作者である氷室冴子さんの名を冠した「氷室冴子青春文学賞」だったりする。
メフィスト賞」「R−18文学賞」とある種新人賞がレーベルのようになり、多種多様で才能豊かな小説家を世に出してきたが、それに続くのは「氷室冴子青春文学賞」になるだろうなと思っている。
海がきこえる』が大学生ぐらいに届いているとなるとこれはマジでさらに新しい才能が出てくる呼び水になるんじゃないか、と妄想してる。たぶん、これ当たる。当たってほしい。

【ネオシティポップとか】Neo City Pop etc. Mix + Video 

 

4月5日
曇り空の金曜日、雨が降りそうで降っていない。肌寒くて春という感じがまたしなくなった。リモートワーク開始までにライティング関係のオンラインでミーティングをする。もうしばらく僕がやる作業はなさそうだなという感じなので、しばらく待つしかしない。
リモートワーク開始してからはいつもの深夜ラジオをradikoで流して作業。昨日寝る前には23時から25時の『四千頭身 都築拓紀 サクラバシ919』を聴いていたので、朝から『ハライチのターン!』『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『ナインティナインのオールナイトニッポン』『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』を。

新年度ということもあって、それぞれのラジオでは新しく聞き始めるリスナーがいるので番組のことやパーソナリティーの話をしていた。
なんだか微笑ましい感じもあり、卒業入学、就職等で聴いていたリスナーも同じような環境や時間帯で聴けなくなっていく人もいるし、新規というか新たに聴き始める人もいて入れ替わっていく。「マヂラブANN0」でも四年目で他の番組はもっと長いので、そのことをわかっているんだなって感じた。
僕はコロナパンデミックになってからリモートワークで自宅で仕事をするようになってから、基本的な生活のリズムはパンデミックが終わったように見える現在も変わらない。だから、同じようにタイムフリーで深夜の番組を仕事をしながら聴いている。こういう日常やルーティンというのはあまり変えられない。だけど、こういうものは突如終わったり、変わらざるを得ない状況になることもあるというのは頭のどこかではわかっている。


休憩がてら外に出たら四月の頭にしてはやっぱり寒くてフーディの上にもう一枚着ないといけないぐらいの気温だった。
千葉雅也著『センスの哲学』という書籍が出ているのを新TwitterことXで見ていたので購入。まあ、『センスの哲学』という本を買う時点でセンスがないと思われる気もするのだけど、千葉さんの本だから気になるということが勝った。

岩井俊二作品を彷彿? 号泣必至の恋愛映画『パスト ライブス/再会』を解説【宇野維正のMOVIE DRIVER】 


アカデミー賞授賞式の前日に先行上映で観ていた『パスト ライブス/再会』についての宇野さんの動画。確かに岩井俊二監督ぽさもあるし、動画の中で触れているけど、『花束みたいな恋をした』の二人と今作の二人は重なる部分はあるなと話を聞いていて改めて感じた。やっぱりもう一回観に行こうかなと思った。

仕事が終わってからはライティング作業の仕事で送られてきた修正原稿を読んだ。一回この後に改めて打ち合わせをしてこういうラインみたいなものを確認して、方向性が決まる形なのかなって思う。
個人的にはもっとライトでもいい気はしているけど、それは僕の決めることではないので、著者や編集者がどうしたいのかに任せればいいし、決まったことの方向に僕は構成原稿を寄せていくしかない。僕の本ではないので仕事としてはそうするべきだし、求められていることができるようにはなりたい。

 

4月6日
6時前に目が覚めたけど、すぐに布団から出たくなくて寝転んだままMacBook Airを開いて新TwitterことXを開いたら『三四郎オールナイトニッポン』のイベントが武道館で行われるということを知った。バチボコプレミアムというファンクラブに入っているので、すぐにファンクラブ先行を申し込んだ。一人一枚だったが、一番最初の先行でゲットできるならしたいという気持ちが強かった。
そのままradikoを立ち上げて、『バナマンのバナナムーンGOLD』を流して聴いていた。気がついたら二度寝していた。再び目が覚めると9時40分だった。観に行くつもりでチケットをウェブで撮っていた映画の開始が10時25分からだったので、すぐに顔を洗って家を出たのが50分過ぎ。渋谷まで普通に歩いたら40分かかるかかからないぐらい、微妙な時間。
三四郎オールナイトニッポン』を聴きながらできるだけ早足で渋谷へ向かった。10時15分過ぎにはTOHOシネマズ渋谷に着いた。自分でも思っていないぐらい早く着いたのでアイスコーヒーを頼んで劇場に入るぐらいの余裕があった。

AWA世界ヘビー級王者のフリッツ・フォン・エリックに育てられたケビン、デビッド、ケリー、マイクの四兄弟は父の教えに従ってプロレスラーとしてデビューする。しかし、フォン・エリック家は次々と悲劇に見舞われて「呪われた一族」と呼ばれるようになっていった。
実話をもとにした物語であり、僕よりも上の世代の人からすると実際にケビンや日本で悲劇に見舞われることになるデビッドなどは知っているプロレスラーのようだ。僕はプロレスに関してはまったくわからない。幼少期に父と一緒に新日本プロレスを見ていたが、その頃には闘魂三銃士の頃で、その番組の前に『鎧伝サムライトルーパー』や『獣神ライガー』のアニメがやっていてそのセットな感じで見ていた記憶がある。
上の世代はプロレス直撃世代で原理主義というか、プロレスというカルチャーに多大な影響を受けているので、共通言語として知っておいたほうがいいなと思って、プロレスに関する書籍などは読んでいるが実際に観に行ったことはないし、強い興味を持ったことはなかった。

『アイアンクロー』はA24制作というのもあり、前から気になっていた作品だった。お客さんはやはり年齢層は高くて当時のプロレスを見ていた人たちが多かった。
実は四兄弟ではなく、ケビンの上に幼少期に亡くなっている長兄がいるので彼は実は次男なのだが、ずっと長兄としての役割を果たしてきていた。作中では彼が主人公ということもあるが、恋人を見つけ家庭を持つことになる。しかし、他の兄弟はそうはならない。
次男は痛みを隠して王座決定戦のために各地で試合をし、日本のホテルで急死する。腸が破裂したことによるものだが、その前兆はケビンと恋人のパムの結婚式のあるシーンで出てきていた。そして、彼の弔い合戦となるチャンピオンベルトをかけた王座決定戦にはケビンではなく三男ケリーが挑戦することになる。
ケリーはモスクワオリンピックアメリカが出なかったことでひとつ夢を潰されていた。急成長していた彼はチャンスをものにして王者になるのだが…。そして、ケリーの悲劇のあと音楽好きだったマイクもプロレスラーとしてリングに立つものの…。本来は五人兄弟だったが、最終的にはケビンのみが生き残ることになってしまう。
プロレスによって子供や家族を守ろうとした父、信仰によって子供や家族を守ろうとした母だったが、ケビン以外の子供たちを失ってしまう。ケビンは失ってしまった兄弟たち、強権な家父長制に君臨する父から離れていくことで、自分の家族を持つことで自分なりの弱さを受け入れて家族を大切にしようと変わっていく。呪いは解かれたのだろう、ケビンは子供に恵まれ、孫たちに囲まれている現在の写真がエンドロールに出てくる。
フォン・エリック家に悲劇が起きていく様は「フォークナーの小説みたいだな」と途中から思えるものだった。それにしてもすごい話だし、役者である彼らが肉体を鍛え上げて本物のレスラーに見劣りしない体を作り上げて演じていることもすごい。

赤えんぴつ(バナナマン)の武道館ライブに行ってから、今年この先武道館に来るとしたらあの(ano)ちゃんが初武道館やる時ぐらいかなと思っていたけど、三四郎のラジオイベント『三四郎オールナイトニッポン 10周年記念 バチボコプレミアムライブ in 日本武道館』になるとは思わなかった。
起きてすぐに申し込みをしていたので、映画を見終わって家に帰ってからラジオ好きの友人Hにファンクラブ先行は一人一枚なので、申し訳ないと伝えた。彼とは『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』の際に誘ってもらって、現地のチケットは取れなかったが、LINECUBE渋谷でのライブビューイングに一緒に行っていた。

adiko、20代・30代ランキング

男女ともにオードリーが圧倒的に強い。男性で見ると世代が上がると『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』の順位が上がっている。おそらくこれは40代男性も30代男性と上位は同じだろうなと思ったんだが、実際に見てみると一位は『ショウアップナイター』、二位は『オードリーのオールナイトニッポン』、三位は『ナイツ ザ ラジオショー』となっていた。
後から出てくるが三四郎もアルピーも40代男性では10位以内には入っていない。おじさんといえるランキングになっていた。僕がそういう社会人の40代的なものとズレているから聴いているものが違うんだろうなと思う。
でも、佐久間さんの時代はあと10年ぐらい続くんじゃないかな。下の世代に聞かれているのがやっぱりデカい。
佐久間さんの凄さはアウトプットだけではなくインプットの量であり、オススメするものに説得力がある。舞台も映画もちゃんと忙しくて観に行っている(もちろん趣味であり好きだから)ことで、新しい才能を見つけている。
岸井ゆきのさんだとブレイク前にオードリー若林さんの相手役でドラマに出していたが、それも観に行った舞台ですごかったからと話していた。
東京03おぎやはぎ劇団ひとりという才能に出会えたことが今につながっているが、それもテレ東という辺境で吉本など大手には相手にされないから、バラエティを作る際にはまだ見つかっていない若手や同世代の才能を見つけて一緒にやってきたことが大きかった。
諸行無常なのか、当然何十年かすれば王者は王者ではなくなり、権力は腐敗を生んでいく。辺境にいたものが中央に躍り出ることはままある。そういう意味でも佐久間さんは第一希望には入れなくて、バラエティが皆無な辺境の地から始めたことで(例えば初期は吉本興業にほぼ相手にされていなかったので彼らがメインになるものは多くなく、あっても若手であり、ダウンタウンとも仕事をしたことがない)時代と共に共に戦った人がメインに育っていき、かつての強者が勝手に堕落していくので自然と上にいくという感じになっていると思う。

三四郎とアルピーは男性ではどちらも10位以内には入っていてラジオスターとしての人気の高さを物語っている。彼らはテレビタレントとしてよりもラジオでの人気があり、彼らの影響を受けた世代がメディア関連に就職していくことで露出が明らかに増えている。どんなジャンルでも大事なのは自分よりも年下に影響を与えることというのはここでもわかる。
20、30代男女なのでその上の世代になるとジェーン・スーさんとかも入ってくるんじゃないかな。これだと女性のパーソナリティーはランキングに入ってきていない。

TBSラジオ・松重暢洋さん「この絶望を、誰かに味わわせるまで」<U30~新しい風>⑩

今自分が10代や20代でラジオ好きなら「オールナイトニッポン」ブランドに憧れるだろうし、出役ならばそこでパーソナリティーをしたいと思うのだろうけど、ここで松重さんが書いていることも確かになと思う。というかそれしかない。
『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』はラジオの一つの完成形であり、「オールナイトニッポン」ブランドはイベントもやってちゃんと収益を出すことができるようになっている。これはコロナパンデミックによる配信文化も後押しをしたと思う。で、数年前から明らかに「オールナイトニッポン」は不動化し始めた。
佐久間さんが言うように若手時代の伊集院光さんのような「どこの馬の骨」だかわからない存在は抜擢されない。入れ替わりの激しかった時代を経て、パーソナリティーは売れっ子ばかりになった。

オールナイトニッポン2024年度パーソナリティ決定!

お笑い芸人、俳優、ミュージシャンと武道館クラス、M-1王者というもうちゃんとブレイクしきっている人たちが並んでいる。もちろん、集客しやすいイベントができるメンツでもある。完全なレッドオーシャンなのでものすごい実績やあり得ないプッシュがないと入ることはできない。

TBSラジオの「JUNK」は山里さん以外は聴いている。なぜか山里さんの声が苦手で聴けない。同様にANNも霜降り明星は声が合わなくて聴けない。「JUNK」も周年イベントが前にあった時に配信で観たけど、やっぱりジジイしかいないという気持ちになってしまった。
若者がいなすぎる。どこかで世代交代をしないといけないとみんなわかっているけど、人気も実力もあるからできない感じ。なんか政治の世界と同じだなって。だからこそ、一回大きな変動、入れ替わりの時期が来たりすると一気に新しい風が吹いて、TBSラジオの逆襲が大逆転が始まるのかもしれないとも思う。
その時にもやっぱり、上の世代の時代が長くて30代後半と40代の世代が育てられることもなく挑戦すらもさせてもらえなくて、プレイヤーの数がそもそもいないから、バトンタッチされる時はそこを通り越して20代や30代前半になるんだろうなって気もする。だからこそ、山里さんがいかにすごい才能と能力の持ち主かという証左にもなっている。
その就職氷河期世代の絶望や愛憎を持ち得ているのが永野さんだなって思う。だから、彼にはもっとブレイクしていろんなものをぶち壊してほしい。そして、彼がそういうものからは解き放たれた若手である令和ロマンやダウ90000の蓮見さんに期待するのもわかる。そこに希望があることは明白だから。
同時に自分を持ち上げる人、信者化するファンに対して苦言をちゃんと言っている永野さんのスタンスというか、その辺りの距離感はちゃんとしているなと思う。

夕方に散歩したくなったので目黒川沿いの桜もこの週末が見ごろで満開かなと思ったので足を運んだ。
花見客がたくさんいたが、提灯が気になった。企業やお店の名前は前から入れてあったけど、アイドルの名前の入ったものを多く見かけた。推しの名前を入れている提灯が思ったよりもたくさんあって、前からこんな状態だったっけと思った。前からあったのかもしれないけど、あまり僕が気にしていなかっただけかもしれない。

syrup16g - Sakura 

 

4月7日
起きてから昨日夜にやったライティング作業の続きをする。来週以降にいろいろと止まっているものが動き出すのかなという予感というか、流れだなって感じる。
『新潮』2024年5月号に掲載されている朝比奈秋さんの『サンショウウオの四十九日』を昼過ぎに読み始める。もう半分残っているが、結合双生児を描いた小説。主人公はその双生児の姉妹であり、それぞれの視点で物語っていく形式になっている。彼女たちの叔父と実父との関係が彼女たちの状況よりも先に描かれるのだが、その関係性もかなり特殊なものであり、ちょっとビックリするものになっていた。
朝比奈さんはすでに三島由紀夫賞を受賞しているのだが、今作は芥川賞候補になるだろうし、たぶん取るんじゃないかな、取ろうとしている意欲みたいなものを感じる。
今まで気にはなっていたが朝比奈作品は読んだことがなかった。話に聞いているものだと『あなたの燃える左手で』では移植された人種の違う他人の左手のことを描いていようだし、『私の盲端』では20代で人工肛門となった女子大生の物語だという。もちろん著者が医師であるからこそ描けるものでもあるのだろうけど、今回の「サンショウウオ」も含めて人体に起きたこと(あるいは変化や欠損、それを補うこと)による自分と他者の境界線や、心はどこに宿っているのかということを描こうとしているのかなと思ったりする。


13時過ぎに家を出て渋谷へ。ユーロスペースの大きな宣伝用のスペースが小路監督の最新作『辰巳』になっていた。
PARCO渋谷で久しぶりにライブに行く友人Aと待ち合わせして、地下の寿司屋に行って昼飲みがてらいろいろと近況報告をしながら話す。


LINE CUBE SHIBUYAで『SYNCHRONICITY’24』特別企画のツーマンライブで凛として時雨×syrup16gのライブへ。
一階の真ん中よりも前の方だったので見やすかった。最初は凛として時雨だったが、彼らのファーストアルバムが出たことにフェスやライブで観て以来だった。好きな曲も何曲か聴けたが、思ったりよりも音が小さかった気がした。
syrup16gは最初の三曲はまったく聴いたことがないもので、新曲をやっていた。その後ももう二曲ほど新曲だった。

syrup16g
01. Need Somebody To Me(新曲)
02. セブンティーン(新曲)
03. 気遣いピエロ(新曲)
04. Sonic Disorder
05. 生活
06. センチメンタル
07. 負け犬
08. Breathe(新曲)
09. Feel Dead(新曲)
10. coup d'Etat~空をなくす
11. 落堕
<アンコール>
12. 真空

新曲をいきなりやるのもsyrupらしいなって思っていたが『Sonic Disorder』のイントリが始まると一気に場内が沸いた。『生活』『センチメンタル』『負け犬』もよかったけど、『クーデター〜空をなくす』が最高によかった。全体的に20代が多い気がしたけど、彼や彼女たちはどういう経緯でsyrupを知って聴いているのだろうか、と思ったり。新曲以外ではかなり盛り上がっていて、知っているし聴けたという反応だったように思えたから。
Syrupを聞き出した二十代中頃から僕の情緒は彼らの曲で形成されていったんだろうなと思ったし、やっぱり五十嵐隆の咆哮に僕は救われてきた部分が大きい。僕にとってのロックスターは五十嵐さんだし、ロックバンドとしてsyrup16gが一番好きなのかもしれない。

 

4月8日
昨日のライブは楽しかったし、去年の日比谷野外音楽堂でのMATSURI SESSIONに行って以来だった友人Aとも飲みながらいろいろ話したので気分的にもスッキリした。
起きて朝活がてら作業をしようと思ったけど、やる気がなんせ出ない。無理はしないで寝転んだままTVerで『オールスター後夜祭』を見た。テレビがなくてリアルタイムで見れない。この番組だけはリアルタイムで見れないことが悔しい。
日曜日に家に帰ってからradikoで川島さんと有吉さんの番組はタイムフリーで聴いてしまっていたので、今朝聴くものはなかったので、『三四郎オールナイトニッポン0』をバチボコファンクラブのアーカイブで流しながらリモートワークで作業をしていた。
アーカイブももう2023年10月とかに入ってきてしまったので、早かれ遅かれ最新回に追いついてしまうだなとちょっと不安。過去の放送分もまだ配信していないのもあるけど、アップしているものはその度に聴いているのですぐに聴いちゃうってのもある。


昼休憩の時にちょっと下北沢の方に用事があって歩いて行った。緑道沿いの桜が咲いていたが、夜から明日のお昼にかけてはかなりの量の雨が降るらしいいので散ってしまうのかな。雨も傘がいらないぐらい、ずっと曇っているみたいな春らしくない天気だった。
戻ってからTVerで『ラヴィット!』のオープニング部分を再生したら、休養していたなすなかにし那須さんがサプライズ出演と復帰をしていて、川島さんと抱擁している場面とかで泣いてしまった。もう涙腺はずっとゆるゆるだから感動的な部分でもすぐに泣くし、悲しいシーンでもすぐに泣いてしまう。もうこれはどうにもならないよなって。

 

4月9日
起きてから朝比奈秋さんの『サンショウウオの四十九日』の残り半分を読む。
結合双生児の話だけど、読んでいる時は気づかなかったというか完全に忘れていたけど、萩尾望都さんの『半神』とそれを元にした野田秀樹さんがやっていた「夢の遊民社」の舞台(専門学校の時に授業で見せられた)も同じく結合創成時の物語だったことを少し時間が経ってから思い出した。
朝比奈さんの他の作品のことを聞いている感じと今作を読んでみると、自分の肉体だけど他者や外部性との関わりの中での「自我」についてこの人は書きたいのだろうし、軸というか中心にあるんだろう。


ずっと使っていたMacBook Airがちょっと前から怪しくなってきていた。ニューモデルも出たタイミングだったり、金銭的なことも含めてちょうどうまく噛み合ったので雨の中、表参道のアップストアに行って同じく13インチのMacBook Airを買ってきた。前機種はシルバーだったが、今回はミッドナイトブルーと暗めのモデルにした。
書き始めたけどほとんど進んでいない自分の作品についても、このMacBook Airでどんどん書き進めたい。道具を変えて心機一転、というように道具を変えることで自分のモードを意識的に変えるようと思っていたこともある。


アップルストアに行く前に「今日ランチ行かない?」と友人Sさんからラインが入っていたので、表参道から帰ってセットアップをある程度してから松陰神社へ。
大雨だったけど、電車に乗るとみんな濡れてるしなあ、とか思っていたので25分ほど傘を差して歩いて行ったらズボンが膝上までびしょ濡れになった。
僕が「魚が食べたい」と言ったので、「炭火焼き魚弁当 すみさわ」という店内は五席、基本的にはお弁当みたいなお店に集合することになった。季節商品「桜鯛の桜塩焼き」を頼んだ。身がほろほろであっさりしていた。塩味が強くなくてほんのり甘いような、美味しいお魚だった。


食べ終わってからSさんがよく行くカフェに行く。去年の年末から会っていなかったので、その期間に起きたことをお互いに話しては聞いた。たくさん話したし、話せる相手がいるというのは本当に大事。Sさんはいつもいいタイミングで誘ってくれるから会えるし、そこで話ができるのでありがたい。長く友達付き合いするのに必要なことの一つには確実にタイミングが合う合わないがある。

家に帰ってからも新しいパソコンのセットアップの続きをした。文字を記入するとかなり反応が早いし、変換もすぐに行われるのでちょっとその速さと文字を打つ感じがまだうまく噛み合っていない。その辺りがうまく反応し始めるともっとスラスラと文章を書けるし、長く書いていけるようになるはず。反応が良すぎるんだよなあ、前のがだいぶ悪くなっていたからギャップがかなりある。

 

4月10日
日付が変わってから『アルコ&ピース D.C.GARAGE』を聴きつつ寝落ち。6時過ぎに起きてから、前のMacBook Airを下取りに出す前にやっておくことはないかなと検索などをしていて思い出した。
元々iTunesのデータがかなり重くなっていて外付けHDにデータを移行していた。それが壊れてしまってから二年ほどはiTunesにデータがほとんどない(ダウンロードしたものとそれ以降に取り込んだもの)だったので、次第にSpotifyを聴く&よりradikoを使う頻度が増えていた。
壊れていた外付けHDのUSBケーブルをハブに繋いでみたら、データのコピーとかができそうだったので、好きなアーティストのものをある程度選んでデスクトップに落としてからMUSICのiTunesの方にデータをダウンロードした。
おかげでずっと聴けなくなっていたDC/PRGの七枚セットのボックスのライブ演奏とそれについていたダウンロードだけでしか手に入れられなかったラストライブとなった新木場 USEN STUDIO COASTでの『Hey Joe, We’re dismissed now/PARTY 2-TOKYO』もそこに残っていた。
菊地成孔さん関連のDC/PRGやぺぺ・トルトメント・アスカラールの音源も全部データが揃ったので執筆中に聴けるのでこれでかなりいい状況だ。発表した年代順に聴きたかったりするのにSpotifyとかだとそれができない(僕にはやり方がわからない)ので作業用BGMにしにくかった。

リモートワークを開始して、そこからは『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』とradikoで流しながら作業。
「爆笑カーボーイ」で太田さんが今回の本屋大賞は『成瀬は天下を取りにいく』だろうといっていた。僕は読んでいないのだけど、書店でのプッシュの感じや評価の高さからいっても他の作品から一つ上をいっている印象があったから、そうなるんだろうなっておもっていた。実際に夕方ぐらいに受賞したとニュースで見た。いいことなんだろうけど、なんだかこの数年はもう本屋大賞に興味がわかない。
「あのANN0」で『オールスター感謝祭』の裏話をしていた。二位になった理由とかだったけど、粗品とのワンツーフィニッシュに二人のカップリング萌えにはたまらなかったのだろう。僕はそういうあまりわからないけど、カップルを愛でるみたいな心境になるのは、なんかいいなって気持ちで安らぐのかな。知らんけど。
あのちゃんが桜ソングを歌っていたりしたけど、その中でsyrup16g の『Sakura』に触れていた。あとゆらゆら帝国のベーシストだった亀川千代さんが亡くなったこともあってか、ゆらゆら帝国の『ゆらゆら帝国で考え中』を流していた。

ゆらゆら帝国ゆらゆら帝国で考え中」(Official Music Video)



休憩時間になってから前使っていたMacBook Airとその前に使っていてリサイクルに出しそびれていたMacBook ProApple Store渋谷へ持って行った。昨日は表参道店に行ったけど、渋谷店は潰れたとか閉店していると勘違いしていたから、表参道に行ったわけだが、近くに残ってた。前にお店のリニューアルか何かで工事していたんだろうけど、それを閉店作業みたいに思って、もう無いこととして考えていたので目の前にあるPARCO渋谷にあんなにも行っているのに目の前のApple Store渋谷店を意識の外に置いていたということなんだと思う。
2台のノートパソコンはそれなりの重量に感じた。昨日の雨は嘘みたいに晴れていてTシャツの上にカーディガンでも汗をかいた。お店について下取りとリサイクルをスタッフさんに聞いたらその場ですぐに対応してくれた。
リサイクルの方はすぐに終わって、下取りのMacBook Airは起動してデータ削除を目の前でやるところまで、価格も多少ついたのでその金額分をApple Gift Cardに入れて渡してもらうという形だった。待ち時間とか含めてそれなりに時間がかかるのかなって思って行ったけど、リサイクルと下取りが終わるのに二十分ぐらいしかかからなかった。ありがたい。Macを使っているのはApple Storeに行けば色々と対応してくれるというのがやっぱり大きい。

『異人たち』予告編│2024年4月19日(金)公開 


仕事が終わってから散歩がてらBOOKOFFへ。山田太一著『異人たちとの夏』単行本がかなり美品であったので購入。
1987年の初版だから35年前のもの。紙だから残っているし味が出ている。これを元にしたイギリスでのリメイク映画『異人たち』も映画館で何度も予告編を観て期待しているので、読み返せたらいいなとも思った。

映画『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』特報 2024年10月11日(金)公開 


半年後に公開か、楽しみでしかない。レディー・ガガが二作目となる今作からハーレイ・クイン役として登場。
前作のこともあるので、ジョーカーの妄想なんじゃねと思ってしまうが、それだと『ファイトクラブ』みたいになっちゃうから流石に実体はあるのかな。

「親の無い子は嘘の歴史を創るのに向いている」「自分がどこから来たか空想するからな」
『東京オルタナティヴ 転-チェルノブイリ編-』にあったセリフ。
日本民俗学の祖である、柳田國男折口信夫、そしてラフカディオ・ハーン三者に共通して見られる、「来歴否認」についてずっと書いている大塚さんらしい。大塚さんの先生が千葉徳爾で柳田門下生、KADOKAWA初代の角川源義は国文学を学び、柳田や折口に師事していた。
ある時期まで角川書店のメディアミックスや源流には民俗学があったし、そこには都市伝説や偽史なんかがギミックになっていた(僕らみたいなのが影響を受けた)。でも、フェイクニュースが流れ、歴史改竄を平気でしようとする奴らが跋扈するとフィクションが難しくなる。
ワールドカップに湧いているけど、外国人差別や日本人だということを殊更誇るみたいなバカが増えるだろうと世紀末に大塚さんが書いていたが、ほんとうにそうなった。僕がヘイトしたり、なんにもない自分を国家に重ねたりしないで、下からのポピュリズムに危機感を覚えたりするのは大塚さんの影響だろうな。

 

4月11日
少し前から鼻が痛くなっていた。左側の鼻の穴の上の、なんというか鼻の厚みの間にできたニキビか吹き出物が皮膚の上の方でもなく、穴の方に下へでもなく、その間にできて腫れている感じで存在感を異様に出してきていて、尚且つ痛い。
穴の方にはかさぶたみたいな感じで鼻くそが固まっているみたいになっている。下の方にニキビか吹き出物が出てきてそこから出てきた汁みたいなものが凝固しているみたい。触ると痛いし、表面は赤くなっている。
『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』をradikoで聴きながら家を出る。


10時40分からイメージフォーラムで上演するフルーヌル・パルマソン監督『ゴッドランド』を観るために渋谷へ。なんとなく気になっていた作品。
主人公の若き牧師のルーカスはデンマークから植民地のアイスランドの辺境の村に教会を建てるために布教の旅に出ることになる。そこで案内人の一人である老人のラグナルはデンマーク嫌いで二人は対立をしていく。過酷な旅の中でアクシデントに見舞われながらもなんとか村へ辿り着く。
観たくなった理由としてはアイスランドが舞台であること、そしてデンマークからというのは僕がずっと読んでいる幸村誠著『ヴィンランド・サガ』の奴隷編の後に主人公のトルフィンたちが自分たちの居場所として旅立っていく姿と少し被るものがある。
異文化に入っていくことの困難さだけではなく、やはり牧師であるルーカス自身が心身ともに打ちのめされるような体験の中で確実に壊れていく様を描いていた。
神を信じる存在は人を救えるのか、そして異文化であり言葉が通じない人との交流をどうしていけばいいのか。老人ラグナルが最後に明かすことは、ある種植民地を支配している帝国主義側の人間が陥りやすい、要するに自分たちよりは下だと差別し見下していることで足元を掬われるような出来事になってしまう。
ルーカスは牧師だがかなりの重さの写真機を持ってきていて、人々や風景を撮っていく。ここで撮るという行為とその暴力性や魔法のようなものが原因で起こる不幸というものも感じさせ、それは19世紀後半が舞台といえど現在にも容易に置き換えて考えることができることだと思った。
お客さんは平日の午前中だったけど10人ちょっといた気がする。


帰りに真造圭伍著『ひらやすみ』7巻を購入した。『違国日記』をもう少しマイルドにしたような、作品だなって、ベクトルは絶対に同じ方向だと思う。それでも登場人物たちの日常や関係性が変わってきているので、もうひと展開でラストに向かうんじゃないかな。


夕方からニコラに行ったら、今日から始まったというパンチェッタとホワイトアスパラのカルボナーラ 白トリュフの香りと白ワインを頼んだ。
ホワイトアスパラがたくさん入っていて、香川産らしい。白トリュフの香りも良いし、パンチェッタの香ばしさと少しある焦げた部分の塩味とホワイトアスパラの食感と甘みが相性がよくて、カルボナーラにするとすごく合うんだなって。とても美味しいし、ビオワインはちょっとフルーティさが強い目だけどあっさり。
カルボナーラってどういうワインを合わせたらいいのか問題というのがあるらしい。僕みたいに普段飲まないし強くない人だから、由賀さんが僕でも美味しく飲めるものを選んでくれた。
鼻が赤いから鳴いているのかと思ったと言われたけど、そのぐらい鼻はまだ赤いし、ニキビか吹き出物が鼻の肉幅の中でジンジンしている。

 

4月12日
6時ごろに目覚ましで起きる。寝る前に『四千頭身 都築拓紀サクラバシ919』を前半一時間ぐらい聴いていたので続きを聴きながら意識を通常運転に戻して行こうと思ったのだけど、異様に眠い。すぐに寝落ちしてしまった。
結局、リモートワークが始まる少し前の8時半近くに目が覚めた。合わせれば8時間近く寝ているはずなのに、頭がスッキリしていない。まだどこかで眠い。
仕事はいつも通りの時間から開始。別件で返答が欲しかったものが返ってきていたので、その件でお待たせしている人に連絡をした。これでうまくいくと今年の下半期に新しいライター仕事ができるのだけど、これもいろんな情勢や関係性、お金の問題があるからどうなるかは正直わからない。


休憩時間になってから歩いてPARCO渋谷へ。ホワイトシネクイントで明日のお昼上映の『哀れなるものたち』のチケットをポイントが四つ貯まったポイントカードと引き換えた。これはネットではできないので劇場に行くしかない。
ヨルゴス・ランティモス監督の新作『憐れみの3章』がカンヌ国際映画祭で上映されるらしいので、そちらも早く観たい。日本でも年内公開ということにはなっているので、そのために余韻を感じたいから、観ようと思った部分もあるのかもしれない。

行き帰りには『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』をradikoで聴いていたが、ゆらゆら帝国の曲が流れた。あの、佐久間宣行、マヂラブと「ANN0」で三日連続曲がかかった。
あのちゃんと佐久間さんは音楽好きだし、なんとなくわかるんだけど、マヂラブもそうなのか、あるいはディレクターの趣味なのか。それでも一般的に超メジャーなアーティストではない、音楽好きなら知っているしどちらかというとミュージシャンズミュージシャン的なバンドな気もする。でも、こうやってベースの方が亡くなって三日連続同じ枠で流れたことがちゃんと届いて響いていたんだなと思わされた。

きちんと〈歴史〉を駆動させている小説は、……いいや、ここでは「きちんと〈歴史〉に接触している小説は」と言い直そう、そういう作品は、ひとつひとつの時代や世界には、もしかしたら〈現実〉感をもって触れられていない。それはまさに目立つキズである。しかし、たとえば西暦1221年を、これは和暦だと承久3年であってこの年にこそ承久の乱が勃発するが、そこをきちんと〈現実〉の迫力で描出できたとして、承久の乱を題材にしているのに〈歴史〉に接触していない文学が、どんな〈力〉を持つのか?

私はそこを考える。私はそれを考えているのだ。

古川日出男の現在地「新世界、新生活、シン怒濤」

古川さんのブログが更新されていた。今取り掛かっている。これから執筆する作品への想いやどう超えていくのかという意思表明でもあると伝わってくるものだった。

夜はNetflixで配信されている韓国版の『寄生獣』を見ようかなと思っていたら、6月末に書き終わりたい作品の核になるアイデアが浮かんできた。『寄生獣』のように別の生命体が人間に寄生するのはメタファでもあるし、原作でもある漫画でも実写にしてもインパクトが大きい。僕は目に見えないけど人間に寄生というか入り込んで離れないものを物語の核にしたら、それを描きたいんじゃないかなって閃いたというかイメージが浮かんだ。
実際に書き進んでいくと変わっていくかもしれないけど、なんか確信のようなものがあるのでたぶんいけるはず。


SPANK HAPPY『ethic』

 

4月13日
7時過ぎに起きてから『バナナマンバナナムーンGOLD』を聴きながらちょっとずつ目を覚ます。昨日夜にやっていたライティング作業の続き。一晩寝かせたものをもう一度必要なものをもう一回見て、文字数や単語を入れ替えたりしながらなんとか出来上げる。請求書のPDFと一緒に原稿データを送って一旦は終了。
友人にもオススメしてもらっていて、昨日見ようかなと思ったNetflixの韓国版『寄生獣』一話を見る。
ちゃんと怖いぞ、あと寄生獣って顔にしか寄生しないんだっけ? 漫画『寄生獣』とか日本版の映画とかミギーの存在があるから手のイメージだけど、あれがイレギュラーというか異端なんだっけ。土日で六話見ちゃったほうが良さそうだし、見ないとこのまま最後までいかないパターンになっちゃうんだよな。

11時過ぎに家を出る。Tシャツ一枚だとまだ肌寒いけど、そこそこ暖かい。桜はだいぶ散っているので葉桜になっていて、地面や道路にピンク色の桜が敷かれていた。春先でちょうどいい日差しなので家族連れや一人よりも誰かと一緒に歩いている人が多く、渋谷はさらにカオスな人出だった。
行き来は『三四郎オールナイトニッポン0』をradikoで聴いていたけど、小宮さんが韓国版『寄生獣』の話をしていたのでちょうど、なんかリアルタイムな感じだなって。
次週のスペシャルウイークは武道館イベントのチケット発売も兼ねている放送なので、誰をゲストに呼ぶかみたいなトークになっていたが、そこで何度か笑ってしまった。果たして僕はファンクラブ先行チケットをGETすることはできるのだろうか。

ヨルゴス・ランティモス監督『哀れなるものたち』をホワイトシネクイントで鑑賞。後方の一段上にある席はほとんど埋まっていたし、前の方もかなりお客さんが入っていて、七割近く埋まっていたんじゃないだろうか。1月末に公開してエマ・ストーンが主演女優賞などアカデミー賞でいくつかの賞を取ったこともあるが、だんだん上映回数も減っているし、そろそろ上映も終わる感じがあるので集中しているのかもしれない。
シネクイントのポイントカードが貯まったので昨日引き換えていた。ありがたいことに四回鑑賞すると一回無料券として引き換えられる。シネクイント&ホワイトシネクイントなら二ヶ月だとギリギリだけど、三ヶ月あれば四回は劇場に行くので一回は無料になる。今月になってから二枚貯まっていた。
一枚はこの前、マヒトゥ・ザ・ピーポー監督『i ai』に使った。もう一枚をどうしようかなと思っていて、昨日から公開のエルヴィス・プレスリーの元妻のプリシアをソフィア・コッポラ監督が撮った作品もありかなとは考えたが、個人的にソフィア・コッポラ作品は合わないのでやめた。だったら、配信になったら観ないので、もう一回劇場で観たいなと思っていた『哀れなるものたち』にした。
去年だと『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』と『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』は四回スクリーンで観たけど、配信が始まっても観ていない。「エブエブ」に関してはA24オフィシャルで特別版のDVDを買ったけど、観ていない(リージョンが違うのでそもそも見れない)。配信オンリーだと仕方ないけど、映画館で映画が観たい人なので仕方ない。
と言うわけで去年二回(東京国際映画祭&オズワルドシアターでの試写)+今年三回(ホワイトシネクイント)ということになって、今日で五回目になった。
観客の反応が一番良かったは最初の東京国際映画祭だった。国際とつくこともあるけど、海外からの観客も多く映画自体もほとんどの国で観ている人はいないに近い状態だったので、ヨルゴス・ランティモス監督への期待値も高かった。
映画がある時点からモノクロからカラーになってから、主人公のベラが幼い少女から大人の女性へと成長していく。ベラを何かで縛ろうとする男たち(この映画はベラと男たちの関係性を描くことで女性自身の肉体はその当事者のものであり、家父長制による長である父に縛られない自由さを獲得していく。同時に成長して知識と経験を得たベラは何も知らずに残酷なことをしていた時代とは異なり、その自由さと力を行使する暴力性すらも描いている)との関係性の中で、彼らが求める女性像や家父長制的なものや男性優位社会における男性性を見事に皮肉っていくセリフや行動で場内は割れんばかりの爆笑が起きた。ほんとうに痛快だった。
知らぬ間に進められていた「共同親権」のことも、統一教会の根本にある家父長制を持続させたいということを自民党は無理矢理に周知もしないで進めている。政治家も主権者もバカしかいない(共同親権は離婚できなくなるし、あんなもんさらに子供作らないし、結婚しなくなるが、そうしないと守れないものがあるとしたら本当にバカバカしい。同性結婚だって知っている人であろうが知らない人であろうが、その人たちの幸せに誰かが文句言うのはおかしいし、幸せな人が増えたほうが社会はよりマシになるはずだ。でも、彼らが重んじるどうでもいい伝統や社会の根本は今の世界で、日本で生きている人たちを幸せにすることはない。僕のような結婚もしてなくて子供もいなくて、ヘテロセクシャルでもそんなもんおかしいと思うし、幸せになってほしくなくてたまらないんだなって思う)けど、そういう後ろ向きで前時代的な考え方もベラは吹っ飛ばしていく。そういう意味でも今見られるべき映画だと思っている。
終盤にベラが「モンスターたち」と言った後のゴッドとのやりとりではまた泣いてしまった。フランケンシュタインがベースにあるし、ベラ自体も一度は死んでしまった女性をゴッドや再生させた存在である。
ここでのベラとゴッドのやりとりは創作物と創造主の関係性であり、作品と創作者すべてに当てはまる。作った側がコントロールしようと思った創作物が自らの意志でそこから出ていく。その自由意志を作り手は認めて背中を押すのか、認めずに狭い箱の中に閉じ込めてしまうのか。親と子供の関係性も重なってくる。
作られた存在であるベラが創造主のゴッドに思いの丈を伝える。真実を知って許せなかったこと、怒っていること、それでも感謝していること、あの場面に生への肯定がしっかりと刻まれていて、僕はそこに惹かれているし感動してしまう。

夕方に散歩に出た時にコンビニに寄ったら、『GINZA』の最新号が目に入った。特集は「映画とファッション」で、『哀れなるものたち』の現場で写真を撮っていた写真家のjimaさんによる記録のページもあった。A24特集というかファッションに関することや新作関連の監督インタビューなどちゃんとページ数がさかれていた。
「映画スタイリングという仕事」というページでは、北村道子さんや伊賀大介さんたちのインタビューも掲載されていた。『哀れなるものたち』をオズワルドシアターで試写を観終わった後に北村さんとは少しだけお話をさせてもらったので、ここでもリンクしている気になった。
水道橋博士のメルマ旬報』で同じく連載陣だった伊賀さんは最近はお会いしていないけど、ヴィム・ヴェンダース監督『PERFECT DAYS』でもスタイリングで伊賀さんの名前を見て嬉しかった。僕らの世代にとって大切な映画だといえる渡辺あやが脚本を手がけた映画『ジョゼと虎と魚たち』で伊賀さんが最初に映画に関わったというのも僕には大きなことだったりする。

【検証企画】大喜利の逸材 福留光帆はトンツカタン森本を相手に、ボートレース場でのロケをうまく回せるのか? 


『佐久間宣行のNOBROCK TV』で大喜利が強く、元AKB時代は活躍ができていなかった福留さんが大好きなボートレース場でロケを回すという企画。これがお見事すぎるし、僕のようなボートレースをまったく知らない人にもかなりわかりやすく紹介しながらロケができていた。
佐久間さんも驚いていたけど、やっぱり好きなものを語ったり紹介する時に人は笑顔にもなるし、その好きさが溢れ出ていてより魅力が増す。
アメトーーク!』でも「古着好き芸人」の回で出ていた芸人さんたちが本当に古着を好きなのが伝わってきたし、それぞれの好みやこだわっている部分がわかるものになっていた。
どちらも好きなものをテーマにしているからみんないいオーラというか雰囲気になっているのも大きいんだろう。誰かが自分の好きなものを語るのを見るのは心地いい。

 

4月14日

起きたけどやっぱりまだ眠い。気圧のせいなのか、春だからなのか、現実逃避したいからかわからないけど快眠って感じにならない。横になったままで『ゴッドタン』をTVerで見て、『さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』をradikoで聞いた。
散歩をしようと家を出る。昨日スマホradikoでは途中まで聴いていた『三四郎オールナイトニッポン0』の残りを30分ほど、あとの行き帰りは『オードリーのオールナイトニッポン』をお供に。
桜はかなり散っていて、葉桜状態に移行している。歌野晶午著『葉桜が咲く頃に君を想うということ』という小説のタイトルを桜が散り始めると思い出す。何にも知らないまま読んだ方が驚きの多いミステリーであるが、確か三軒茶屋が舞台だった気がする。


代官山蔦屋書店に着いて書店エリアをぶらぶら。特にこれというものもなかったので二階の音楽フロアに行くとヴァンパイア・ウィークエンドの5作目となる新作アルバム『Only God Was Above Us』が展開されていた。何曲かはすでにYouTubeにも動画がアップされていたが、アルバムのジャケも動画にあったような電車内でクリストファー・ノーラン監督『インセプション』見たいな時空というか、空間が地球上の重力を無視しているようなものになっていた。

Vampire Weekend - Hope (Official Visualizer) 




写真関係のフロアになんで昔のアイドルや女優の写真集があるんだろうと思って手にしてみると、ヴィンテージ写真集と値札があり、発売時の倍ぐらいの四千とか三千円くらいの価格になっていた。日を浴びすぎたのか結構色焼けというか色が淡くなっている。彼女たちは今は40代や30代になっていて、写真集は10代の終わりや20代前半ぐらいだろうから二十年近く経っていたりすると考えればそのぐらいの価値になっていても違和感はない。

家に帰ってから昼ごはんを食べて、作業を開始。あまり集中ができないけど、来週か再来週にミーティングすることがありそうなので、原稿をもう一回読んだ。あとは話の中でどう進めていくか決まるだろうし、個人的にはもっとシンプルな方がいいかなと思うけど、それを決めるのは僕ではないのでいち意見としては言えばいいだけかなあ。
夕方になんとなく外に出た。どこに行くかは特に決めていなかったけど茶沢通りは歩行者天国になっているから人手が多かった。平和だなって思った。
TwitterことXは朝起きて見た時にトレンドワードのところに「第三次世界大戦」と出ていた。イランがイスラエルを攻撃したことでそういう言葉が出ていた。第二次世界大戦終戦から75年はすでに経った。100年、一世紀まで持たないものなのだろうか。そもそも「第三次世界大戦」と言わないだけで世界中で戦争や紛争は起きているとも言えるのだろう。
軍事費を拡大していくのはそういうことを見越しているかもしれないが、敗戦国である日本は抑止力になるべきだし、外交力や海外支援によっていろんな国となんとかやってきた。だから、ある時期まで日本人が海外に行っても好印象だったりしたし、敵国ではないという扱いをされていた。
祖母の兄の大叔父で初生雛鑑別師だった新市さんはイギリスで鑑別の仕事をしていたが、日本とイギリスが敵国になった瞬間に捕まってマン島の収容所に入れられた。日本国内にいる人にはすぐに影響は出なくても、海外に住んでいる日本人やその家族はある線を越えた瞬間に敵国民として扱われる。だからこそ、外交が大事だし、海外支援は大きなものだった。そんなことを考えながら気温がまだ下がらない茶沢通りを歩いて下北方面に向かった。サミットで夕食用の食材を買って帰るとちょうど歩行者天国の時間が終わって、道路に溢れていた家族連れや恋人たち友達同士や親子たちが歩道に戻って車が走るいつもの風景になっていた。
春先は桜の季節で気温もちょうどいいから家族連れや恋人たちや友達同士なんかをたくさん見ることになる。独り身としては羨ましいし、笑顔が溢れているのはいいなと思う。桜が咲く頃に集まろうと話していた友達は一月末になくなってしまったから、いつもメンバーで集まることはできなかった。たぶん、そのことがあるからいつもの年よりも羨ましさは増すし、この時間を大事にしてほしいと思ってしまう。時間があっという間に過ぎていく。

 

4月15日
寄生獣―ザ・グレイ―』

日付が変わってから最終話である第六話を見終わった。映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』のヨン・サンホ監督と言われたら納得な内容だった。ジョージ・A・ロメロ監督『ゾンビ』(原題は『Dawn of the Dead』)のゾンビたちはショッピングモールに集まった。今世紀に入ってからゾンビものが増えたのはグローバル化新自由主義が加速する世界において、人間は経済を回すために消費するだけの存在になったメタファとして有効だったのだろう。
今作ではゾンビではなく寄生獣。寄生生物に乗っ取られた人間は人間ではなくなってしまう。主人公のチョン・スインのみが脳を乗っ取られず寄生生物と共生する変異種となったことで、人間からも寄生生物からも狙われることになってしまうという物語になっていた。

個人と集団(家族)について今シリーズでは描いていて、教会が出てくるのは韓国らしい。キリスト教が浸透している韓国では神の存在や聖書的なモチーフが使われることが多い。日本だと西欧の作品におけるキリスト教的なものがあまりわからなかったり、モチーフに使われていてもその理解は難しいけど、韓国の作品にはそういうものがわりとあるなと思う。神という概念があるかないかで、人間の行動や考え方はかなり違うものになるし、見られているという視線は行動を左右する。

内容とは関係ないけど、メトロポリタン美術館に所蔵されているサルバドール・ダリによる『超立方体的人体〈磔刑〉』は一度この目で観てみたい。

寄生生物たちは生存のために組織化していく(生殖では彼らは増やせないらしい)。彼らは自分たちの最も適した生存方法として、誰に寄生するのがいいのか、という考えのもとにある人物を狙う。韓国の大統領が罪を犯したら罷免されて捕まるなどのニュースは見たことがあるぐらいには、市民革命で政治を変えたことがあるからこそのディテールだなって。今回は大統領ではないけど、政治的な権力者に成り代わろうとする。
政治家が腐敗していくこと、権力を正しくない使い方をすることなどを寄生生物に寄生されているのでは、と思わされるのはちゃんと皮肉だし、これは日本だと中々描かれないものだなって思った。
これに近いのはAmazonプライム白石和彌監督『仮面ライダーBLACK SUN』では政治の話も入っていたからそれぐらいかな。にほんだと明治維新は侍のクーデターだからトップの顔がスライドしただけなので、その支配層はずっと変わっていない。市民革命が成功したことない日本と成功経験のある韓国ではフィクションにしても政治性などのコミットや意識が違うのしっかりと作品に現れているなと思った。
最後の最後に原作である漫画版の主人公・泉新一を演じる菅田将暉が登場して、右手を特殊部隊「ザ・グレイ」のチーム長チェ・ジュンギョン(イ・ジョンヒョン)に差し出す。シーズン1で終わりそうにないし、続編のシーズン2をやるとしたらミギーが活躍するのかもしれない。個人的には戦うシーンがどうしても首が伸びて戦うから単調になってしまうから最後の二話ぐらいはちょっと飽きてしまった。

6時過ぎに起きて可燃ゴミを出しに行く。少し経った後ぐらいにカラスの鳴き声が聞こえるようになった。カラスたちにとってのご飯の時間でもあるし、巣を作って子育ての時期だからより活発的になっている。数年前よりもカラスがゴミを漁る回数や被害というかゴミ袋を破いて中を物色することが増えているように思える。
野良猫たちは地域猫として生殖能力を削がれて、もはやあんなにも鳴いていた町中を走って飛んでいた猫たちはすっかり姿を消した。代わりにカラスたちは勢力を伸ばしているような気がしてならない。人間社会と動物たちの生態系とバランス、何かが削がれたり減っていけば偏ったりおかしなことになる。それをこの十年ぐらいで目の当たりにしているのかもしれない。

漫才師としての活動休止について〜シングルファーザー日記最終回含む〜|ハチミツ二郎

リモートワーク開始前に『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』を聴いていたら、有吉さんがハチミツ次郎さんのnoteの日記に触れていたので購入して読んだ。
マイ・ウェイ東京ダイナマイト ハチミツ二郎自伝―』は買って読んでいたけど、その先の話だった。終活として残りの人生をどう過ごすかということを、壮絶な内容が書かれていた。
僕が初めて漫才を見たのは日比谷野外音楽堂行われた東京ダイナマイトの単独ライブだった。映画学校の撮影の授業などで出演してくれたりと手伝ってくれていたAV女優さんか何かの繋がりで東京ダイナマイトの単独ライブゲストで入れるから行きたい人は申し込んでみたいなことだったと思う。そう考えれば僕の初めての日比谷野音東京ダイナマイトだった。
ハチミツさんが岡山出身と知って親近感を覚えた。あの頃岡山出身の有名人は少なかった。甲本ヒロト稲葉浩志という日本のロックを変えてしまった真のカリスマと売上で記録を作っていったヒーローがいるから充分ではあったけど、芸人だと水道橋博士さん、森末慎二さんに有森裕子さんに川相昌弘さんに星野仙一さんに辰吉丈一郎さんとスポーツ選手が多かった。この時点でもクセは強い人ばかりだった。

高校の先輩である千鳥は東京ダイナマイトを観た2002年の時点ではまだ全国では知られていないし、「M-1グランプリ」決勝に進んでいない。翌年から決勝に進出し、最下位を2年連続取ることになる。しかし、今はあの世代の筆頭株になった。
千鳥の活躍もあり、岡山出身の芸人たちは空気階段が「キングオブコント」、ウエストランドが「M-1グランプリ」で王者となり、「シン・オカヤマ芸人」が『アメトーーク!』でできるほどになった。あと里庄から突然変異というか完全に両親の影響によるのだろうけど、藤井風が出てきてある種完成系というか、これ以上の才能もう出てこないだろう状態になった。
これは県民性もあるのだけど、中央(王道)が過密になった(レッドオーシャン)時に辺境(ブルーオーシャン)からやってきたものがやがて中央(王道)になっていく流れだったと思う。
岡山は新喜劇とかは普通にお昼に放送していたし、たかじんさんや紳助さんの番組も普通に日曜日とかやっていた。関西弁には馴染みがあるし、ノリはわかる。実際にできるかどうかは別で小さな頃から慣れている。だから、大阪に行く人が多かった。近いからすぐに帰れる距離というのもデカい。
千鳥の岡山弁は備後弁と関西弁のミックスであり、さんまさんの関西弁のようなもので、実際に住んでいる人とも僅かなズレがある。新しい方言であり、それが武器になって全国区になる要因になったと僕は思っている。
千鳥の大阪時代の後輩たちは岡山出身でもないのに千鳥の影響で岡山弁っぽい話し方をする人たちがそれなりにいたらしい。で、彼らも東京に進出してくると、それらの流れが千鳥と全国区でできるようになっている。

岡山県出身者でもう一人エポックメイキングとなったのは完全にオダギリジョーさんだった。平成仮面ライダーシリーズ第一作でクウガを演じて、その後役者として国内外と活躍するようになった。今の変身ヒーローものから役者として売れていく流れを彼が作った。
そして、どう見ても雰囲気や面構えは正統派ではない(でも異様にカッコいい)、まさにクセが強い。
関西に行かずにすぐに東京に出る岡山県民はかなり我(個性)が強いと思うのだけど、その代表格だと思う(東京ではなく最初にアメリカに行ってるのは、甲本ヒロト以降のロックのカリスマだったkjこと降谷建志の元妻のMEGUMIとも被る。)。
これはお隣の広島県の成り上がり志向とも関係していて、広島県民は大阪には行かずに東京というパターンが多いので東京にいると広島出身者にはわりと会うなということに繋がっていたはず。

この日記を読むとハチミツさんは残りの人生の時間を考えていて、その決意表明をしている。人間だからいろんな愛憎があってそのこともしっかりと書かれていた。
マイ・ウェイ東京ダイナマイト ハチミツ二郎自伝―』も書かれていたが、たとえ人生の終わりが見えたとしても、いや終わりが見えたからこそよりはっきりとするのかもしれない。許せないものは許さないという決意も見えた。
単純さと複雑さどちらも兼ね備えているのが人間であり、それがプリズムのように当てる光の角度や量や色で目まぐるしく変化していく。僕にはある側面しか見れないけど、他の人は違う側面が見えている。誰もがそうであって、相手との関係性の中で多種多様な自分(個人)が存在している。
短い文章や動画ではどうしてもそれらは伝わらないし難しい。小説は紙やデジタルと媒体は変わっていくとしてもなくならないだろうなと思えるのは、そういう人間のどうしようもなさとか答えのなさは簡単には理解できないし、そのためにはかなりの文量がないとその最初のところにすら辿り着けない。そして、それは答えがあるとか簡単だとかわかりやすいみたいなこととは真逆であって難しいしわかりにくい、でもそれが人間の本質でもあるし、それを求め続ける人はいると思うから。

いつも通りの時間からリモートワークを『川島明のそもそもの話』(ゲスト:銀シャリ橋本直)と『川島明のねごと』(ゲスト:チャンス大城)をradikoで聴きながら作業を。二つで二時間もないので、あとは『三四郎オールナイトニッポン0』のバチボコプレミアムリスナーのアーカイブを流していた。これももう今年の1月に突入してきた。
聴いたことあるっていうか、内容も聴くとなんとなく思い出すぐらいのもの。三四郎のラジオのいいところは内容を覚えないというか、聴いている時は楽しいけどすぐに忘れてしまうその軽さみたいなものだと思う。もちろん、聴いている時はすごくおもしろいし楽しい。でも内容をしっかりは覚えていないぐらいの話題。過去の話を二人が話をしていると「ああ、そんなんあったなあ」ぐらいで思い出す感じ、それが僕は好きだし聴き続けられる理由だと思う。

ニコラの曽根さんが書いた小説『死者のテロワール』が発売される。その告知が出ていた。発売されるの楽しみ。

リモートもが終わってからニコラに行った。アルヴァーブレンドとアアルトブレンドを飲みながら、上田岳弘著『旅のない』文庫版を読んだ。
単行本の時に読んでいたので、小説家の父親が息子と『鬼滅の刃』について話す件は「ああ、そんなんあったなあ」と思い出した

今やっているものと少し前に声をかけてもらったライティング関連の仕事についての連絡が来た。すべてのことはスムーズにはどうせ行かないけど、5月から忙しくなっていくといいな。

今回はこの曲でおわかれです。
米津玄師 - さよーならまたいつか! Kenshi Yonezu - Sayonara, Mata Itsuka ! 

Spiral Fiction Note’s 日記(2024年3月16日〜2024年3月31日)

3月上旬の日記(2024年3月1日から3月15日分)


3月16日
日付が変わってから上旬の日記をアップして一時前には寝る。目が覚めたので時計を見たら二時過ぎだった。全然眠れてなかった。TVerで『不適切にもほどがある!』第8話を見始めた。
一話を見た時にラスボス的に出てくるかもと思っていた小泉今日子さんが本人役でラストに出てきた。彦麿さんも同様にサプライズゲストだった。どんどん弾を打ってくる、攻めている感じがとてもいい。radikoで『JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』を聴きながら寝落ちした。

6時過ぎに起きてすぎに家を出る準備。薬疹による体にできた赤い発疹みたいなものは小さくならずに広がっているが、さほどかゆみはなかった。渋谷駅まで歩いて副都心線池袋駅まで、そこからグランドシネマサンシャイン池袋へ。
移動中は『三四郎オールナイトニッポン0』を聴いていたが、先週は休みだったのもあってか小宮さんのテンションが高くて、いいぞ、この感じ大好きだという放送だった。
草月ホールでの単独ライブの告知も出たので、この間オードリーの東京ドームイベントに声をかけてくれた友人Hに行きませんかとDMを送った。OKだったので昼前にファンクラブ先行を申し込んだ。去年はそれで取れなくてぴあ先行で取れたので、正直不安。


日本最大級のIMAXレーザーによるドゥニ・ヴィルヌーヴ監督『デューン 砂の惑星 PART2』を鑑賞。
8時からの回だが、スクリーンから手前三分の二以降の席はほぼ埋まっていた。今作と『オッペンハイマー』は共にフローレンス・ピューが重要キャラで出演している。彼女が出ている大作映画は当たり率高いのかもしれない。観ながら村重杏奈に似てんなあと思っていた。
グランドシネマサンシャイン池袋の最大級IMAXで観た感じとしては映像アトラクションとして次なる領域に突入したのが『デューン2』だけど、『オッペンハイマー』は物語の構造で魅せるし、派手な場面は少ない(わりとの冒頭にミクロからマクロへみたいな深層心理を表現しているような、爆発のような、シナプスとかそういうもの動きのようなものが映像で出てくる)けど、それが後半に効いてくる作品だなと思った。観ていて作品成果にどっぷり浸かれるし三時間も退屈はしなかった。
前作『DUNE』を映画館で観てから見返していなかったので、もろもろわかっていない部分も多かったのはもったいなかったのかもしれない。ただ、戦闘シーンとか一対一の決闘とかでもまったく血が出ない。あえてなんだろうけど、戦いの中で血が飛び散ったりしないせいでどこか登場人物たちが人形みたいにも思えてしまう。これは人それぞれの好き嫌いだろうけど、僕は体内に閉じ込められていた血が吹き出てしまう、解放されてしまって死ぬというほうが好きではある。
主人公のポールの妹であるアリアはまだ母の胎内の中にいる存在だけども、母が教母になったことで胎児ながら母と会話ができる設定になっており、成長したアリアの姿も途中出てくる(それを演じた俳優は検索すれば出てくるが今のところシークレット的な扱い)。
同じくドゥニ・ヴィルヌーヴ監督『ブレードランナー2049』で主人公のKがデッカードの子供で救世主になる可能性みたいなものを匂わせつつ、実際はデッカードの子供は女児で作中に出てくるある人物で、Kは救世主ではなかった。主人公ではなかった感みたいなものがあって、個人的にはすごくハマる設定だった。
それとちょっとアリアの存在がちょっとダブって見えた。観終わってからそのことを思い出して、『ブレードランナー2049』が好きなのも改めて思ったけど、なんかアリアを救世主にしそうな気がする。

終わってから一目散で帰ってきて、14時から予約していた皮膚科に行く。前の先生とは違うが、話をしたらかゆみ止めが僕の体重のわりには少ないということで倍になって、赤くなっているところへの塗り薬が出た。さすがにこれで引いてくれないとほんとうに困る。
今日診てもらった先生には、「家の外出たらかゆみとか感じないんです」と言ったら、「それは外だといろんなものに意識が言っているからじゃないかな」と言われた。なるほど。家にいたら自分の体への意識が行きやすいからかゆみに敏感になってしまう、ということは確かにありそう。
かゆみ止めも帰ってからすぐに二錠飲んで赤くなったところに塗り薬を塗った。かゆみ止めは昨日までは1日二錠だったけど、今日から朝二錠、昼と夕方に一錠ずつになった。夕方過ぎたら首にできていた赤みはだいぶ落ち着いたし、かゆみも基本的にはなくなった。
いやあ、マジで量の問題だったんじゃねえかっていう。これで助かった。自分でも回復しているのがわかるぐらい効いている。夕方から作業も開始、遅れるけど、これならなんとかなりそう。

ayutthaya "GUM" MV 


TwitterことXのタイムラインに流れてきた曲、バンド名も知らなかったし六年前の曲みたいだけど、これは好きなやつだ。

 

3月17日
起きて朝食代わりのトマトジュースを飲んでから、処方してもらったかゆみ止めと胃の保護の薬を飲む。かゆみ自体はほとんど感じないし、胸や太ももの内側と足の付け根の赤くなっている部分はまだ残っているが前日よりも落ち着いた色合いになっていた。めっちゃかゆみ止めと塗り薬効いている。この調子ならこれ以上は広がらないで薬疹も治るかもしれない。
かゆみ止めは朝の分は二錠だったけど、あれ微妙に眠い気がする。無理せずにもう一時間仮眠を取ることにした。すぐに寝落ちした。『さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』のタイムフリーを目覚ましがてら聴いて、とりあえず起きた。
かゆみが引いたことがかなり助かる。薬のせいでなったのに薬でマシになっている。なんだかなあと思わなくもないが、通常モードに戻りつつあると感じてそれはうれしい。

少し作業をして昼ごはんを食べてから、歩いてヒューマントラスト渋谷へ。『オードリーのオールナイトニッポン』を聴いていたら、春日さんが先週休んでロサンゼルスに行っていた話も出てきた。今日の二人の雰囲気はすごくよかった。なんだろうな、お互いに新しいことや知らなかったことについて話をしていたからだろうか。
TBSドキュメンタリー映画祭2024」の佐井大紀監督『方舟にのって~イエスの方舟45年目の真実~』(上映後トークゲスト:小川哲)を鑑賞。
イエスの方舟と彼女たちの生活や現在から過去のことを知るのも非常におもしろく、同時に取材者であり監督の佐井さん自身が浮かび上がってくる感じがよかった。佐井さんは取材対象者との関係性によって、相手が沁み込んできて距離感や問いが変化して行く感じがして、それがとても本来の意味での純文学的なものに近いんじゃないかなって。
他者が入り込んでくるやっかいさやそれによってそれまでの自分とは変化してしまう感じが作品に出ているなと、小川さんとのトークを聞きながら感じた。

劇場には渋谷に行くとよく会う作家の燃え殻さんもいらしていて、帰りがけに燃え殻さんと一緒に佐井さんにちょっとだけ挨拶して、途中まで歩きながら話をさせてもらった。
いつもみたいに僕がかなり話をしてしまった感じもあって、毎回申し訳ないなと思っていたりもするんだけど、久しぶりに人と話すタイミングだったからよりそうなってしまったかなって。一週間ぐらいは病院関係の人と話すことが多かったから。


夕方からライティング作業を始めたらCOTOGOTOBOOKSから町田康歌集『くるぶし』が届いた。

 

3月18日
寒くて目が覚めた。朝の5時過ぎだった。トイレに行ってから薬疹の赤い痕を確認する。胸の部分と太ももの内側と足の付け根の部分以外はほとんど目立たないぐらいになってきた。かゆみはほとんどない。
トマトジュースを飲んでから塗り薬を塗った。そのあとにかゆみ止めと胃を保護する薬を飲んで朝活的にライティング作業を開始した。ようやくちゃんと作業ができる状態になってきた。
同時に先週できなかった分が押し寄せてきているから水曜日ぐらいまでに〆切から遅くなっているものを終わらしたい。自分が悪いのはわかってる。でも、作業ができる感じではなかった。
リモートワークが始まるまではライティング作業をして、終わってから日付が変わる前まで続きをしてなんとか提出まではいけた。
もう一つ遅れているものは明日中に提出できればなんとかなる。遅れますとは伝えているけど、遅れた分はクオリティをあげたい。そのことについて考えているけど、これってものがまだ浮かばない。明日考えて浮かんできたらいいんだけど、そうならない場合はいくつかのパターンを書くことで絞り出していくしかない。量より質か、質よりも量か。
今日は風が強くて洗濯物を朝干したら昼過ぎには乾いていた。これは春一番なのか、また寒くなるということなのだろうか。

 

3月19日
目が覚めて第三火曜日だったのでペットボトルの回収を出しにいく。肌寒かったが、ただ気温が低いだけで天気は悪くはなさそうだった。
リモート開始前に朝活がてらライティング作業の資料を少し読んでから仕事を開始。昼休みを前倒しして皮膚科へ。また違う先生だが、薬疹も引いてきているので今回の処方箋からはステロイドの量を減らしていき、次回検診の時に問題がなければもう飲まなくてもいいかもしれない、ということになった。
自分でも肌の色が普段にほぼ近付いてきているのはわかる。胸の辺りはいつもの90%ぐらい、太ももの内側と付け根は80%ぐらいか、後者の方は肌が柔らかいこともあるのか薬疹が出て広がるスピードも早かったし、治りも胸と比べても遅くは感じる。でも、このぐらいなら今月中には元通りかなと思える。

作業中にネットで頼んでいたano Feat. 幾田りら『絶絶絶絶対聖域』のCDが届いた。
来月は幾田りら Feat. ano『青春謳歌』が出て二枚で一つの絵になる。二人の所属レコード会社が違うのでanoの方はトイズファクトリー、幾田りらの方はソニーミュージックが発売という風に分かれているみたい。

リモート中radikoでいつも通りラジオ。『フワちゃんのオールナイトニッポン0』ではフワちゃんが4月から海外移住すると発表したのでどうなるか思ったけど、ラジオは継続らしい。『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』で春日さんが若林さんに二人が通っていた中華料理店のポークライスを作って食べてもらっていたが、星野源さんもその店に通っていたことが発覚。イベント後に春日さんのお家に呼んで星野さんにポークライスを食べてもらうという話が出ていた。
春日家と仲の良いフワちゃんも同席したが、星野さんが帰る時に妻の新垣結衣さんが車で迎えにきて、みんなテンション上がってパニクって、はじめてのガッキーにフワちゃんや春日夫妻が緊張していたというすごい引きのある話をしていた。朝から新TwitterことXのトレンドにガッキーが入っていたのはこれが理由だったらしい。

「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム ウェルカムムービー おともだち」 



ニコニコ動画で登録している『ビュロー菊地チャンネル』のフェイクラジオ「大恐慌のラジオデイズ」が昨日更新されていて、ペペ・トルトメント・アスカラールのニューアルバムレコーディングの話から最終盤ではないけど、曲が聴けたのでよかった。本歌はまだ入れてないということだったけど、5月の東京芸術劇場プレイハウスでのコンサートまでには出そうにないかな。

映画「ドライブ・マイ・カー」の制作で濱口と意気投合した石橋は、彼にライブパフォーマンス用の映像制作を依頼。そこから試行錯誤を重ねた濱口は「従来の制作手法でまずは1つの映画を完成させ、そこから依頼されたライブパフォーマンス用映像を生み出す」ことを決断し、プロジェクト「GIFT」のためのサイレント映像を完成させた。上演会では石橋の音楽と濱口の映像によるライブ公演に加えて、2人のトークショーが行われる。

なおこの映像制作の過程で完成したのが、4月26日公開予定の映画「悪は存在しない」。本作は第80回ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞(審査員大賞)を受賞した。

いつもより一時間早めに上がらせてもらってPARCO渋谷にあるパルコ劇場で「GIFT Eiko Ishibashi × Ryusuke Hamaguchi」を鑑賞。
『悪は存在しない』は4月公開されてから観るので内容はわからないが、今回の『GIFT』ではその映像が使われており、なんとなくストーリーは追えるものの、石橋さんの映像に合わせたその場でのライブパフォーマンスが素晴らしかったし気持ち良すぎた。あれはウトウトしてしまう。序盤はとくにそうなりやすかった。
70分ほどの演奏だったが、映画の素材は使っているがサイレント(字幕で説明やちょっとしたセリフが出る)なので、映画ではないし物語としても不完全で何が起きているかは正確にはわからない、それでも鳴らされている音によって受け手である観客の中で動き出すものがあったり、膨らみ出すものがあるものになっていた。

 

3月20日
春分の日でお休み。リモートワークは代わりに昨日やって出勤になったので本日はなし。目覚ましがてらradikoで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』を聴いた。昨日はSpotifyで『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』で鈴木涼美さんゲスト回を聴いたばかりだったのでアルピー祭りっぽくなった。それから〆切から遅れてしまっているライティング作業を開始。BGMがてら流していたのは『星野源オールナイトニッポン』と『あののオールナイトニッポン0』だった。
星野源ANN」は昨日の「フワちゃんANN0」での春日家でのポークライス会食について補足するような内容だった。「あのANN0」は録音放送だったけど、今日ライブだからそりゃそうかと思ったけど、二年目突入するのもちゃんと発表になったのでめでたい。

14時過ぎまでライティング作業をしたが、もう少しのところでタイムアップ。雨は降っていなかったけど曇り空の中渋谷まで歩いて、副都心線新宿三丁目駅へ。
改札から地下通路でそのまま紀伊国屋書店本店へ、今日は何かを買うつもりではなかったけど時間潰しでブラブラとしていた。恩田陸さんの新刊がちょっと気になった。あと先日発売されたばかりの町屋良平著『生きる演技』は読みたいと思ってるけど、トワイライライトで買うことにした。

ano 1st Album Release TOUR 追加公演 「猫吐極楽温泉~ぷかぷか&ほかほかいい湯だなぁ~」@ Zepp Shinjuku
ここは2回目だけど、整理番号が700番台だったのでおそらくキャパからすれば半分ぐらいのところ、待っているとちょっとずつ雨が降り出した。それでも16時開場で20分ぐらいには中に入れた気がする。
会場は半分ぐらいに分かれていて、前の部分とそこから段差があって少し高くなっている後方部分がある。一段目と二段目のところの境目の真ん中には撮影用のカメラがあったので、その左の部分の段差のできる前に自分の立ち位置を取った。
並んでいる時から客層を見ていたが、男女はどちらかに偏っているという感じはあまりなくて半々ぐらいか、お母さんと来ているような10代半ばの女の子から僕よりも明らかに上だろうなと思える50代やもしかしたら60代ぐらいの人もいたので年齢層はかなり幅広かった。あとカップルらしき男女ペアが思いのほか多かった印象。
バンド・アイズの時にはじめてあのちゃんのライブを観たので、今回のいわゆるポップな方は初めてだったが、アイズの時みたいにゴスロリとかロリータファッションや地雷系の感じの子はほとんど見かけなかった。ツアーグッズとか色々出ているからTシャツとかタオルとか諸々装備しているからなんだろうか。

ファーストアルバム『猫猫吐吐』からの楽曲とシングルで出しているものをメインにしていたが、テレビでも見るようなポップさも当然あるのだけど、そこにあのちゃんのデスボイスというかラウドロックさも加わっていた。
ダンサーの女性たちとのコンビネーションというかダンスはよりポップさを、バックバンドの二人の演奏はポップな曲でもゴリゴリさがあってそれによってあのちゃんがよりシャウトするみたいな感じで音源よりも激しいものが多かった気がしたけど、ライブとしてはデカい音で気持ちよくて体が揺れて楽しかった。
ステージに流される映像はアニメやマンガやゲーム的なものが混ざり合うサイケデリックな感じとゼロ年代以降のカルチャーのミクスチャーみたいで悪夢っぽさもあるし、ヴェイパーウェイブとかにも通じるような気もした。その前に立って歌っているあのちゃんは絵にはなる、圧倒的に映えていたし、それらを形にして体現できる器としてあの(Anonymous)なんだなって思った。ほんとうにカッコよかった。
個人的にはクリープハイプ尾崎世界観さんが作詞して作った『普変』は感動したし、『スマイルあげない』はダンスと後ろの横スクロール的なゲーム画面の映像もすごくハマっていたし、ギターを弾きながら歌っていた『YOU&愛Heaven』も素晴らしかった。アルバムの一曲目で今日の一曲目だった『猫吐極楽音頭』で神輿に乗って出てきた時は祭り感と多幸感があって、すごくいいなって思って笑ってしまった。
アンコール最後は今日リリースの『絶絶絶絶聖域』だった。浅野いにおさんは『素晴らしい世界』からリアルタイムで追いかけている大好きな漫画家なので、今回の劇場版アニメ『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』はヒットしてほしい。

帰りに池尻大橋のあおい書店で『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』特集の『SWITCH』を買った。一回TAAF招待作品で観ているけど、誕生日はこの映画を観ることにした。二回目だけどパンフも買いたいし、ファンとしても応援したい。

家に着いてからライティング作業の残り部分を仕上げる。今回は体調のこともあったりして延ばしてしまったけど、作業がどうしたらいいかわからないからまとまらないし、どうしたらいいかっていうのはけっこう大きかった気はする。
それでも提出した上で先方の判断を待つしかないし、いろんなことを試している中でのことだから正解というのもないというか、輪郭を確かめたり、何をしない方がいいかとの見極めも兼ねているので、その辺は投げてみてどう思うかを聞くしかない。

 

3月21日
今日中にリライトというか修正したものを提出する日だったので早めに起きて朝活がてらライティング作業を開始。
『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を流していた。佐久間さんが話していた喫茶店は、価格帯的にもビルの一階だし、そこのオーナーだったり関係者だからこそやれているのかなと思ったりした。
場所は詳しくは話していたなかったけど、コーヒー400円とかトースト500円、コーラは瓶コーラだけど、氷は塊をマスターが砕いて空のグラスに入れているという手間の掛け方とこだわりだけど、どう考えても安すぎる。佐久間さんがこれから通いたいというぐらいだから雰囲気もいいんだろうし、これ以上広めるつもりはないとしてもいろんな人から聞かれるんだろうな。教えちゃってそういう人が生き始めるとその空間は変わってしまうから教えたくないだろうし、みたいなジレンマを抱えそう。

リモートワークを始めたら、久しぶりにスマホ緊急地震速報の嫌な音を出して鳴り始めた。イスに座って机に向かって作業をしていたので、そのまま机と横にある本棚を押さえていた。縦揺れだろうか、かなり大きな揺れだったので体感震度は震度4ぐらいかなって思えるものだった。
最近いろんなところで地震が頻発しているので大きめの地震がくるのかもしれないし、東日本大震災の時の影響でいまだに揺れているのかはわからないけど、ちょっと用心してないとダメそうだなあ。



リモートでの仕事が終わってからまた朝やっていたライティング作業の続きをやった。22時ぐらいには終わって送信できたので、一服がてらニコラに行ってアルヴァーブレンドをいただく。平日の夜だけどお店は混んでいた。
日付が変わるまでいたので、曽根さん夫妻と常連のTさんに42歳の誕生日を祝ってもらった。もともと22日の夜行く予定だったから、連チャンで行くのだけど。こうやって気にかけてもらえているのはありがたい。

Mount Kimbie - Dumb Guitar 

 

3月22日
42歳になった朝、昨日夜話をしていてわかったが後厄らしい。昨日までは本厄だったのか、特に残りの二ヶ月ちょっとでいろいろありすぎた。
朝やる予定だったミーティングは来週に繰り越されたのでなくなった。午前中は部屋の掃除をしたり、本棚を整頓して文庫本でもう読まないもので後日バリューブックスで売る分を段ボールに入れた。


14時にはTOHOシネマズ日比谷についていないといけなかったので、11時半過ぎに家を出た。少し肌寒いぐらいだったが歩いていれば体は温まるので気持ち薄着にした。最近は日比谷まで歩いてきてなかったので久しぶり。
マップアプリで時間を出すと二時間ちょっとかかる感じだったが、意識的に少し早く歩いたので一時間四十分ちょっと着いた。青山墓地を越えて乃木坂から赤坂へ、『ラヴィット!』ショップが出てきて行列ができていた。そこから首相官邸と国会議事堂を横目に日比谷公園へ。公園は再生整備というのをやっているので大部分が柵に囲まれて工事中になっていた。


公開初日に『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章』をTOHOシネマズ日比谷にて。TAAF2024で観たので二回目、終わったあとにイソベやんの声優をされたTARAKOさんへの追悼コメントと後章の予告が追加されていた。
物語としては門出と鳳蘭の二人の関係性がメインであり、空に浮かぶ謎の飛翔体や目的もわからない母艦によって非日常になった世界でも、彼女たちは、日本人たちは慣れていき普通の生活を送っている。彼女たちの友情、シスターフッド的な物語であり、例えば門出とその母(過度に汚染などを恐れる(放射能と呼ばれた人の類似系として))の関係性は修復はされないままなのは、そこに重心は置かれていないしドラマも作らないことがどこかリアルさにもつながっている。
門出たちが高校を卒業するまでが前章であり、門出と鳳蘭の小学校時代に起きたある出来事が回想的に終盤に語られることで、後章で起きる人類滅亡への流れや門出たちがなぜ物語の主軸なのかもわかるようになっている。
東日本大震災が起きても日常は終わらなかった。非日常だと思っていたものにも慣れてきて、僕たちは生活を続けた。世界は一発では終わらずに徐々に終わっていくのかもしれないという予感があったが、まだこの世界は終わってはいない。
その時に10代だった人にはより親近感を覚えるだろうし、コロナパンデミックが起きて大人たちは右往左往し、責任も取らなかったような中で学生生活を過ごしていた子供達も門出たちに気持ちがシンクロするんじゃないかなって思う。そういう意味でも10代の人に観てほしくもある。

映画を観終わってから皇居の東側沿いを沿うように北上して大手町を越えて、新御茶ノ水お茶の水神田川を越えて本郷に入って東京大学へ。一時間ちょっとぐらいかかった。東大に行くのは「東京国際文芸フェスティバル2016」でスティーヴ・エリクソン古川日出男さんのトークイベントを観に来た以来のはず。あとから古川さんと話した時もそうだよねって話になった。有名な赤門は工事中で空いてなかった。
あと卒業式の日だったのか、キャンパス内には式服(アカデミックガウン)を着た学生たちの笑顔がたくさんあった。
大学もろくに出ていない人間からすると日本の最高学府卒業した若者たちがこれからに日本の中枢に入ってくから、もうちょっとマシな国にしてくれと思ったり、でも東大に入る時点で今の国を作っている人たちの子息なわけだから変わらねえかなって思ったり、人間味溢れてくださいとしか言えない。


キャンパスに入って地図を見ていたけど、思いの外迷ってぐるぐる。17時半過ぎには「福島芸術講活動報告会」(https://www.fafta.org/)の看板を見つけて報告会が行われるスタジオへ。

祭から講へ。
日常性・持続性の中でいかに革新・創造の場をつくり得るのか。
祭が成立しない時代に、無理に祭を成立させようとすることの歪が様々に生まれている。それでもなお、祭を立ち上げようとする挑戦、あるいは経路依存性から私たちは完全に逃れることは難しいだろうが、また別な枠組みを用意する試みに賭けることはできるだろう。
それが講だ。つまり、復興の再考の結果としての「講」がここにある。
公式サイトより


大森克己:SIGHT/SEEING: On the Pacific Coast of Fukushim


開沼博:まつりのあと


古川日出男:作文(一)〜(三)


開沼博さんによる福島第一原子力発電所構内フィールドレコーディングドキュメンタリー作品『選別と解釈と饒舌さの共生』というCD音源があるが、36Pのブックレットが付いていて、使われている写真は大森さんによるもので、帯分とライナーノーツは古川さんが手がけられていた。そういう意味では今回の「福島芸術講」の三人はそこからの延長線みたいな感じであり、さらに遡れば古川さんが校長として開催した「ただようまなびや」でも他のお二人は講師として参加されていた。
どうしてこの三人だったのか、どういう繋がりなのかという、三人のことを知らなくてもわかるような質問をファシリテーターの元『GINZA』編集長である中島敏子さんが聞く感じで進行していた。それぞれの人が振られて話す中で自分の考えと担当した作品、そして他の二人との呼応した部分や「祭」ではなく「講」になっていくことの意味や必要性を感じられていたようにも思えた。
芸術というのは複雑性があって、簡単には処理できないしプロダクトではないので作ろうと思って数を作れるものでもない。複雑性を排除していく、解答や正解があってそれが正しいとされる世界では豊かさは減っていくし、多様性や寛容性も奪われていくと思う。そもそも人間はシンプルではない。愛憎入り混じったり矛盾を抱えている。その意味でも芸術という表現は人間の根幹にかかわってくる。


終わってから古川さんにご挨拶をして東大から神保町まで歩いて、半蔵門線に乗って一本で最寄駅へ。
二日連続だけどニコラに行った。誕生日仕様のデザートとアルヴァーブレンドをいただいた。曽根さん夫婦とちょっと話してから帰る。
もう42歳あっという間。50歳、半世紀がすぐにやってくる。でも、そのためには今まで以上に健康とか精神的に安定するとかが作用してくるだろうから、今まで以上に気をつけないといけない。

 

3月23日
昨日、『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章』を観てシネマイレージ6ポイント貯まったので、TOHOシネマズ渋谷で上映の山田智和監督『四月になれば彼女は』朝8時の回のチケットに引き換えた。
radikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を聴きながら朝の渋谷を歩く。高校で留年している小宮さんが卒業式を迎えた学生をたくさん見たことで、「卒ハラ」だというところからトークがスタート。小宮さんがいい感じにテンション高くて、それにも乗っかりながら話を促していく相田さんというよい流れだった。
朝早いというのもあるだろうけど、お客さんは二十人以内かなあ、十人ちょっとはいたと思う。川村元気さんの原作小説は単行本が出た時に読んでいるので基本的には内容もわかっていた。
カメラ女子も懐かしい思い出の風景としてある(ウユニ塩湖に行きたがっていたあの子は今も元気だろうか)し、大切な人がいなくなったり亡くなるという内容であればこの二ヶ月ほど涙腺は壊れたままなので条件反射で泣けるはずなんだが、これがまったく泣けなかった。

主人公の藤代(佐藤健)の大学時代の後輩であり恋人だった春(森七菜)がかつて二人で行こうとしていたボリビアのウユニ塩湖やチェキのプラハアイスランドを一人で巡り、そこから彼女の手紙が届く。藤代には結婚を決めた弥生(長澤まさみ)がいたが、ある日彼女が出奔してしまい、という物語。
村上春樹作品では主人公の恋人や妻がいなくなってしまい、その後「僕」は不思議な世界に入り込んで、そこで新しい「妣の力」によって何らかの解決を得る。だが、恋人や妻は戻ってこない。というのがある時期まで定番パターンだった。
そうなると村上春樹フォロワーや影響を受けた人はいなくなった恋人や妻を取り戻す、見つけるというパターンをすることでファンタジーぽさも含めながらもリアルさを醸し出すことになる、まあ、それもフィクションではあるわけだが。いなくなった人たちは基本的には元の場所には帰らないし、関係は修復されることはほぼない。
そこでノレないってわけではなくて、そうなるよねってわかるんだけど、移動している映画だからこそ、大事なものがある。
映画が始まる前にJTBのCMとか入ってるわけですよ。でも、この映画に出てくるボリビアのウユニ塩湖やチェキのプラハアイスランドもまったく魅力的に映ってないし、画的にもよくない。この前に試写で『オッペンハイマー』や公開中の『DUNE2』の絵力や構図のよさを観ているせいだったのかもしれない。
でも、カメラを持ってその風景を撮りに行っている女性を映している風景が魅力的じゃないってことは致命的な気がする。エンタメなんだから、これを観た人が「ここに行きたい!」って思うような映像や構図じゃないとダメなんじゃないかな。だから、小説の方が良かった感は出てくる。だって、読みながら自分の中に広がる風景の方が映画よりも魅力的だったから。


渋谷の帰りにあおい書店で浅野いにお著『MUJINA INTO THE DEEP』第2巻を買った。昨日出ていたけど買う時間がなかった。ゆんぼっていう風俗嬢が出てきたけど、『零落』に出てきたあのキャラと同一人物なのかな。浅野さんの遊び心なんだろうか。
『デデデデ』ほど長く続きそうな感じはしないんだけど、どういう方向にいくんだろうか、なんとなく5巻ぐらいで締めるんじゃないかな。


夕方にそういえば、買おうと思ったままで忘れていた町屋良平著『生きる演技』をトワイライライトで買ってきた。装幀に使われている写真が細倉真弓さんぽいなと思ったらそうだった。写真展行ったり、作品集も買ってるから好きなフォトグラファーではあるけど、なんか文体みたいなものが写真見たら伝わる感じがする。たくさん写真を見てるわけじゃないし、スマホで撮るのも下手だけど、そういうものが伝わる人が好きなんだろう。
『夜は歩けよ、恋せよ乙女』で中村佑介さんのイラストが使われてそこから今の書籍の装幀のイラストを使う流れが加速、定番化したと思う。しかし、その前に角川書店滝本誠さんの『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』の装幀イラストが安倍吉俊さんになった流れはラノベの歴史の黎明期に重要な役割を果たしたある編集者さんのアイデアからで、一般文芸ではあるけど、純文でも既存のエンタメ小説でもラノベでもないタイプの小説を滝本誠さんが書いていたから、安倍吉俊さんのイラストにしたと聞いた。

個人的にはイラストの装幀はさほど嫌いではないけど、書店に行くとちょっと増えすぎてるし、昔みたいにジャケ買い的に装幀見て知らない作家の小説を買うことがなくなった。イラストは好き嫌いが分かれるし、僕個人の感覚としてはダサい装幀が多すぎる。
たぶん、売れるエンタメ作品ならちょうどいいダサさぐらいがいいんだろうし、本屋大賞ノミネート10作品でジャケ買いしたいものはかろうじて『君が手にするはずだった黄金について』ぐらいで他のは正直キツい。装幀で惹かれて手にするものではない。
写真を使う装幀が増えたら問題ないかということではないけど、書店に行っても光ってる、呼ばれてるみたいな装幀デザインはどんどん減ってる。特に大手の出版社のものは。
デザインを決めるためには内容を読んでから想起されるイメージとかを形にするわけだから、装幀がダサいなって思ったらその本は僕とは感性が基本的に合うことはないので読むことはなくなる。でも、そうなるとずっと読まない作家さんとかが出てきてしまうので、信用している人がオススメしてくれたら本来は買わない装幀でも買う。たまにすごい出会いがある。でも、たいていの場合ほとんど外れる。

裕福な家庭に生まれたが実は苦労人!? 世間のイメージとはギャップがある三四郎相田の知られざる半生【三四郎】【鬼越トマホーク】 


三四郎オールナイトニッポン0』を朝聴いて楽しませてもらったばかりなのに、夜もおもしろそうな動画がアップされてた。ありがとう鬼越トマホーク!

 

3月24日
7時ぐらいに目が覚めた。『街裏ぴんくオールナイトニッポン0』の予定だったが、体調不良のため急遽お休みになって、「R-1グランプリ」で三位だったルシファー吉岡さんが代理で生放送をやったのをradikoで聴きながら朝活がてら作業。
夜の8時に連絡が来てルシファーさんはやることになったらしい、二位は吉住だったけど、おじさんだったからおじさんということなんだろうか。でも、ピンチヒッターとして呼ばれることって大きいし、この人ならできるみたいなスタッフの呼ぶ側の期待もあるだろう。それが成し遂げられたら信頼や信用になっていく。
ルシファー吉岡オールナイトニッポン0』を聴き終わったので外に散歩へ、途中で目黒川が少し見えたけど桜はまだ咲いていない。例年よりも遅れている。毎年春分の日の後ぐらいの週末には咲いている。


代官山蔦屋書店でなんとなく朝吹真理子著『TIMELESS』が目に入った。恋愛感情のない男女が「交配」のために結婚したという長編小説みたい。なんとなくペラペラめくったら女性の一人称で、解説が江國香織さんなので買うことにした。
お昼前には家に帰ってきたので三日前にもらったレンジで簡単な野菜蒸し器に野菜を何種類か入れてチンして食べた。さつまいもを入れたんだけどもっと薄い方がいいのか、蒸し時間が短いのか。味はいいんだけど気持ち固かった。
夕方前に家を出るまではTVerであのちゃんがゲストだった『ANOTHER SKY』を見たり、『TIMELESS』を読んだりしていたら、急に眠気がやってきた。薬疹用のステロイドの薬は朝、昼だけ飲んでいるのでそのせいなのか、時期的に春がやってきているから眠気を誘うのか、『TIMELESS』のわりとすらすらと読みやすい文章がそうさせたのか、数十分だけ昼寝をしてから家を出た。


歩いて恵比寿のリキッドルームへ。cinema staffのワンマンライブを観にきた。以前Zepp Shinjukuでのライブはご招待してもらったので自分でチケット取って観に行こうと思っていて、リキッドルームなら近いし箱としても好きなので今日にした。
八週間連続でのリキッドルームライブをやっていて、最後の日だけワンマン。それもあってかファンの期待とかワクワク感みたいなものは開場前から伝わってきた。新旧の曲をやっていたのもあって、後ろにいた男性が曲の冒頭が流れた時にかなり反応をしていた。全体的にかなりノっていたし、反応も良くてたのしめた。
個人的なことだけど、気持ち音が小さい気がしたのは気のせいなのか、けっこうゴリゴリな音とか轟音的なサウンドにもなっていて、メンバーの弾き方もかなり力が入っていたのに、聴こえてくる音がもっと爆音の方が気持ちいいのになとは思った。もしかしたら自分の耳が悪くなっていて、小さく聞こえている可能性もなくもないが。
終わってから外に出たら一雨降った後だった。雨はほとんど止んでいたけど、3月下旬にしてはかなり肌寒かった。

 

3月25日
午前中に昼休みを前倒しにして二週間ぶりに近所の整骨院へ。ピロリ菌の除菌薬で薬疹ができて肌が赤くなっていたので先週は行かなかった。その間は歩いてはいたけど、普段やっている湯船に浸かってから出たあとのストレッチみたいなものをほとんどやらなかった。
体が温まると血行が良くなって薬疹が広がる可能性があったのでシャワーだけにしていた。そうなると気持ちの問題なんだけど、湯船に浸かった後のストレッチとか背中を伸ばすとかを怠ってしまった。ステロイドの塗り薬も塗ってしまうとそういう動作をやりたくないというのもあった。
全体的に固いのでほぐしてもらったので、首の筋とかが固まっていたらしいのでそこをゆるめてもらったら全体的にちょっと動きやすくなった。一週間に一回というルーティンになって通っているので、一週間行かないだけでもちょっと気持ち悪いし、体は固くなる。
小雨だったけど雨は降っていて、桜はまだ咲いていない。そういう話とかを施術中に先生とした。天気の話は大事というかちょうどいい。

リモートワーク中はBGMがてら聴くラジオの番組は昨日聴いてしまったので、『三四郎オールナイトニッポン0』の過去のアーカイブを流した。バチボコファンクラブに入っているので過去のアーカイブは聴ける。
一番古いものから聴き始めていて、まだ途中に期間でアップされていないものもあるが、アップされたものは大抵聴いていて、今は2022年10-12月の時期になっている。この頃はすでに聴いていたので懐かしい部分でもあり、コロナパンデミック期間中のものは緊急事態宣言が出て、ライブやイベントが中止になったり、三四郎もコロナになって休んだりしていた。それを懐かしく感じるぐらいにはコロナパンデミックの脅威は過去のものとなっているのはどこか不思議だ。
ファンクラブに入ったのは過去のアーカイブも目当てだったが、三四郎の単独ライブのチケットが先行で申し込めるからというのもデカかった。でも、去年は外れてしまって、ぴあの先行で取れたので行った。今年も申し込んだけど、さすがに今年はファンクラブで取れて欲しい。

昼休憩に行く前からradikoで『永野 ザ・ラジオショー』を聴き始めた。普段はナイツがパーソナリティーをやっているが、彼らが春休みで一週間代演パーソナリティ期間になっていた。
今日は永野さんがメインパーソナリティーで曜日パートナーが平野ノラという同時期にブレイクした二人の組み合わせだったので、リアルタイムで聴いた。永野さんの毒というかちゃんと言いたいことを言えていたし、ノラさんもそれを受けていた。ゲストのヒャダインと永野さんは仲がいいらしく、本音というか芸能界で感じることとかを話していて、ライトさもあってお昼のラジオとしてもいい温度感だった。

「BOOKSTAND映画部!」のレビューコーナー「月刊予告編妄想かわら版」2024年4月号が公開されました。4月は『パスト ライブス/再会』『異人たち』『辰巳』『悪は存在しない』を取り上げました。


『絶絶絶絶対聖域』のMVがアップされていたので二回観てから『TIMELESS』の続きを読んで寝た。

 

3月26日
7時ごろに目覚ましが鳴る。怠いのでそのままもう少し寝る。9時を過ぎる。いい加減に起きて玄関のドアを開けて外を見る。雨が降っている。まだ眠さが残っている。radikoで『空気階段の踊り場』をタイムフリーで聴きながら本を読む。仕事がない日だし、自分の作業を進めた方がいいがどうも気分が乗らない。
ライターとして関わっている構成とライティングの仕事は二つあるが、一つは一月末に出す予定だったがそれどころではなくなったので一週間遅れで二月頭に提出してから、何の音沙汰もない。
構成原稿を関係する人にccを含めてメールしても、肝心の進行していく編集者からは何にも返信がなくて、著者の方が確認しますねとメールを返してくれただけだった。この本が出るのがいつになるのかまったくわからないし、始めて一年以上経っているけど、出版がいつになるかわからない。
もう一件のほうはとりあえず、最初の方の章を読んでもらった感想をアドバイスを元に再修正したのを送って、先方の確認待ちの状態。たぶん、四月いっぱいか五月頭には全部の章に関しては僕がやる構成作業は終わって、あとは著者の人の修正や手直しが入るは流れになるので、おそらくこちらのほうが早く形になりそうな気はしている。

11時前に家を出たが、雨は止みそうになくて傘を差して駅前の皮膚科へ。前回から一週間経ったのでピロリ菌の除菌薬でできたであろう薬疹の経過を診てもらった。
胸の方と足の付け根付近はかなり赤みが減っているのでそこは前よりも弱い塗り薬を、背中はまだ赤いので前回のままで、かゆみ止めのステロイドの入った飲み薬は一日二錠から一錠へ減った。来週にもう一回診てもらって経過が順調なら飲み薬はなくなる感じらしい。一ヶ月ぐらいはかかると思っていたので順調な感じで回復はしている。

昨日は永野さんが「ザ・ラジオショー」で代演パーソナリティーを務めていたが、今日は三四郎の相田さんだった。曜日パートナーは相席スタートの山﨑ケイさんだった。
三四郎の時は小宮さんがハンドルを握って前面に出ていくことが多いが、相田さんは実はたいていのことは平均以上にサラッとできてしまうタイプの人だったりするので、司会もわりと安心。
しゅーじまん名義で作詞して自分で歌っていた『Standby』を菅田将暉がカバーしているという話がラジオで出てきて、山﨑ケイさんがわりと驚いていた。やっぱりラジオを聴いていて知っているけど、普通は知らないものなんだな。
このラジオを聴きながら雨の中を代官山蔦屋書店に向かっていた。途中で菅田将暉バージョンの『Standby』をSpotifyで流した。久しぶりに聴いたけど雨の日によく合う、今の自分の気持ちにすごくシンクロする曲だった。




インスタとかでなんとなく知り合いの人がアップしていて気になって調べたら、今の自分が読むのはベストなんじゃないかなって思える書籍だった。
トワイライライトは今日休みだし、駅前のツタヤには当然ながら置いてないので、在庫で調べたら代官山蔦屋書店にはあったので雨の中歩いて、まあ、暇つぶしがてらだけど、前田隆弘著『死なれちゃったあとで』を買って、そのまま来た道をまた傘を差して歩いて家まで帰った。読み始めたら最後まで止まらないで読み終わってしまった。

 人間、死ぬときはあっけなく死ぬ。予告なく死ぬ。あらゆる準備が無効化されて死ぬ。
 そのことは理屈としてわかっているつもりだったけど、本当にはわかっていなかった。 こういう本を書いているくらいだから、折に触れて死に思いをめぐらせることはある。しかし24時間365日考えているわけではない。忘れたり、思い出したり、また忘れたりして生きている。でも死の可能性は24時間体制で稼働しているのだ。メメント・モリとは「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」という意味のラテン語で、胸に刻みつけている言葉ではあるけれど、死は時としてその言葉を完膚なきまで叩きつぶすくらいの暴力性をともなって現れる。人知の及ばぬ範囲からやって来る。
 耳元で怒鳴られる勢いで、そのことを痛感させられた出来事だった。事故の余韻を引きずりつつ、ぼんやりした頭に浮かんだ言葉はこれだった。
「じゃあ明日」P79より

このあとには「もっとセックスしないとなあ。」という一文が続く。
一月末に20年来の友達が亡くなったと聞かされてから、彼女のご両親に会って、お母さんと彼女といく予定だった赤えんぴつ(バナナマン)の武道館ライブに代わりに一緒に行ったり、形見分けを受け取りに最後になった(三月頭には退去準備が終わったから)友達が住んでいたマンションに行ってご両親とお話をさせてもらった。お二人とも時間を共有して話もしたし、もう一人の共通する友達に形見分けを渡す時もたくさん話をさせてもらった。
二月以降に僕が会った人には彼女の話をして聞いてもらったりした。そうやって話すことで僕の中では多少は受け入れられるようになったと思うし、話すことで癒されていったと部分が間違いなくあると思う。この『死なれちゃったあとで』で書かれていることはすごくわかる気がしたし、響くところもたくさんあった。
この部分で前田さんが思ったことは正直僕も亡くなったことを知ってから思ったことだった。死んで火葬されてしまって肉体が失われてしまった友達。だから余計に肉体という自分の限界というか境界線みたいなもののことを考える。
境界線を越えることはないけど、肉体が触れ合うことみたいな、タナトスとエロスなのかもしれないし、死を考えるからこその性なのかもしれないけど、僕もセックスしないとなって思った。これは年齢的なこともあるだろうし、40歳越えて独身で子供いないとか肉体的にどんどん衰えていくことはわかりきっているから、まだ元気なうちにみたいなことも脳裏にはあったからかもしれない。
でも、この前田さんが思ったことって男女とか性差とか関係あるんだろうか。女性でもそう感じる人はいると思うし、たぶん、このことでお互いに「バカだねえ」とか言い合えるけどわかるよねって人なら、いろいろと深い話ができる気はする。なんというかちゃんと人として向き合えるかなって思う。なんかそういう気がした。

 という出来事があった2日後。

 鎌田さんの訃報が飛び込んできた。
 虚血性心不全により、自宅で急死したのだという。その亡くなった日というのが、トークイベントの日なのだった。鎌田さんの話をしていたのは終電のタイミングだったので、そのときすでに彼はこの世にいなかったことになる。碇さんが「今度三人でファミレスに行きましょう」と鎌田さんに送ったLINEには、既読がつかないままだった。
 訃報を知ってショックを受けたあと、2日前の記憶がよみがえってきた。俺に向けての最後のメッセージが「死ぬまでにいっぱいセックスしてくださいね」って・・・・・・。ちょっと笑ってしまった。そしてすぐ大きな後悔に襲われた。
あとがき P247

この部分はあとがきで最後のところ、ちょっと自分に起きたことにも似ているなって思った。僕は元上司であり友人Aに誘ってもらって、1月27日にLoft9のトークイベントに登壇者として出演した。その日、10時過ぎにチケットぴあでかが屋とランジャタイのツーマンライブのチケット発売日だったので、朝10時の販売開始と同時にPCから購入しようと思ったが、繋がった時にはソールドアウトだった。
取れたら行こうと誘っていた友達には取れなかったので、「次のダウ90000がんばるから取れたら行こう」とラインをしてから家を出て渋谷へ向かった。既読はいつも気まぐれで遅いからその日や翌日に既読にならなくてもさほど気にしていなかった。
結局、僕がラインをした時にはその友達は亡くなっていた。それを知るのは三日後の30日の夕方から彼女のお母さんからのメッセージだった。その間、僕は彼女が亡くなっていることを知らずに、なかなか既読にならないなぐらいに思っていた。そういうタイムラグがあった。その経験とまったく同じではないけど、この文章を読むと重なっている部分があるなって思いつつ読んだ。

 

3月27日
6時過ぎに目が覚めて、寝たままで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』を聴く。番組を聞いてから朝風呂に入ってトマトジュースを飲んでから、昨日処方箋で出してもらったかゆみ止めと胃を保護する薬を飲む。胸と足の付け根の内側のふとももと背中に軟膏を塗る。
クイックルワイパーのふわふわしたホコリを取る部分を外して、テッシュを丸めたものを先端につけてサランラップで何重か巻いてテープで動かないようにした部分を止めたものの、先端部分に背中用の軟膏を塗って孫の手みたいにして手の届かない部分に塗り込む。でも、塗り込んでいると微妙に当たった部分がかゆかったことを思い出すようにかゆくなり、何度か擦るような感じになる。これで効いているのかちょっとわからない。
朝活として読書の続きをする。ライティング関連の仕事は今は待ちだけど、自分の作業に関してはどうも手が動かない。『JUNK 爆笑問題カーボーイ』を聴いているとリモートワークの時間になったので、自分のMacBook Airから会社から支給されたノートパソコンに変えて仕事を開始。
いつもなら流れとしては『星野源オールナイトニッポン』と『あののオールナイトニッポン0』になるのだが、星野さんが体調不良ということで、「M−1」チャンピオンの令和ロマンがピンチヒッターで『令和ロマンのオールナイトニッポン』を聴いてから、『あののオールナイトニッポン0』という流れ。
リスナーからのメールにもあったけど、普段星野さんのラジオを聴いている人たちからすると令和ロマンの話は早いし、固有名詞がどんどん出るのでリズムがつかみにくいということはあったのかもしれない。彼らが話している固有名詞とかわかると面白さが増すんだろうけど、その辺りのチューニングは難しいだろうなって思った。
あのちゃんは二週連続に録音だったけど、 Zepp Shinjukuでのライブ後だったので、ライブのことをちゃんと話してくれたのを聞けたのはよかった。確かに一部にうるさい客はいた。「結婚して!」とか叫んだりしていた。そう言うことをライブの観客として当人に叫ぶ人がその人が結婚できることは永遠にないとは思うけど、叫びたかったんだろうなって思って聞いていた。結局問題はタイミングだったりして、MCしている時とかに叫ぶのはあんまりよくないよねとは思う。

ラジオを聴き終わってからTVerで『ランジャタイのがんばれ地上波!』の最終回だと思ってみたら、「終王ノブ」という千鳥のノブさんが扮したキャラが出てきて、最初から最後までランジャタイの二人は画面には出ずにノブさんだけが写っていた。
国崎さんの笑い声は終始していたけど、津田さんとのゴイゴイスーコラボをやった時みたいな、やりたい放題してやりきるというスタイルで自分の番組の最終回をやってしまう、最高だなって思って笑ってしまった。ランジャタイ最高だわ。


休憩中にTSUTAYAガブリエル・ガルシア=マルケス著/旦敬介訳『出会いはいつも八月』が新刊で出ていたので購入。マルケスの最後に書いていた作品で未完のもの、ページ数もかなり薄い。タイトルもいいし、未完で薄いのですぐに読めそうだなっていうのも買っておこうと思った理由。

リモートの作業は思ったよりもめんどくさいことがあって、誰が悪いというわけでもないような、でもそのせいで作業増えちゃったなあということがあった。とりあえず自分で確認と修正をやるしかなかった。
最初に渡されたもので進めていたのに、こちらが完成したバージョンですと渡されたものがけっこう細かいところが違うのは確認に時間がかかるし、けっこう集中力がいるから疲れた。

今回はちゃんと100分くらいになりました!ダウ90000の単独ライブ「30000」開幕(舞台写真 / コメントあり) 


三四郎の単独ライブ「道徳の日本男児 其ノ玖」開催決定、初の広島公演も(コメントあり) 


18時を過ぎて、そういえば三四郎の単独ライブの先行抽選の結果が出る時間だと思って、チケットぴあのサイトを開いたら、ダウ90000の単独ライブ「30000」のリセールが何件か出ていたので、日付と時間帯を確認して、自分が行ける日の公演をソッコーで取った。で、三四郎の先行も取れていたのでよかった。
亡くなった友達とは去年の三四郎とダウの単独ライブには行っていて、どちらもおもしろかったので来年の公演もあったら行こうと話をしていた。ダウは先行でも一般でも取れなかったのでリセールで狙っていたので一安心。
独りよがりな思いだとは思うけど、彼女が生きていれば一緒に行っていたであろう単独ライブだからこそ、僕は観たかったし観ないといけないと思っていた。死なれちゃった側の勝手な思い込みや独りよがりな気持ちは仕方ない、残された方はいろいろと考えるし、ふいに思い出すし、一緒に観たりしたものはどうしても関連づけてしまう。
そのあとにお母さんからメッセージが来て、遺影にする写真が送られてきて、少しだけやりとりをした。たぶん、そういう日だったんだろう。

この日記を書きながらアジカンのゴッチこと後藤正文さんのドローン/アンビエントアルバム『Recent Report I』を流して聴いていた。とても今の気持ちに合う音だった。

 

3月28日
目覚まし時計が鳴る少し前、まだ夜が明けていない時間帯に目が覚めたので可燃ごみを出してからまた一眠り。起きてから『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴きながら諸々の作業とか。



13時過ぎにとある場所に行く予定だったので、マップアプリを見たら二時間半ほどの距離だったので歩いて行くことにした。行ったことのない地域だったのでアプリを見つつ進んだけど、ほんとうに知り合いも住んでいないし、用事もないので未踏の区だった。
途中で名前だけは聞いたことのあった池上本門寺があったのでお参りをした。目的にあと一時間ほどの距離で小雨が降り出したので、勘弁してよって思ったけど、ひどくはならなかったし、曇り空だったけど止んでくれたのでそのまま歩いた。

ニコラ友達というかカウンターでたまに一緒になって話をする高橋雄飛さんの主宰するブランド「oira」のcollection002/冬の展示会へ。とあるお家を使っているみたいで住所非公開で知り合いとか行きたい人には教えるというアポイント制になっていた。
前のシーズンのもの冬のものがあって、もう一人スタイリストの方が来られていたので三人で色々と話しながら服を見たり、雑談をしたりした。こういう展示というのもおもしろいし、服のデザインはシルエットもよいし、これが着て似合うとかなり様になるだろうなって思った。

「oira」に関する高橋雄飛さんのインタビュー。これを読むとどういうコンセプトなのかわかる感じかな。

帰りは流石に電車に乗ったけど、乗り換えが二回あって一時間ほどかかった。ニコラに寄ろうと思ったら今日は17時からオープンということだったので一旦家に帰る。

お店に行くまでの時間で今日放送分の『ラヴィット!』を見ていたら、嶋佐オアシスで泣いてしまった。番組開始三周年記念の視聴者の方からのリクエストという形で『Live Forever』を嶋佐オアシスで歌ってほしいという声に応えたものだった。
その方とお父さんがコロナパンデミック期間はお互いに家でリモートだったので、起きてから『ラヴィット!』を一緒に見ていたという長文の手紙の文章が読まれていった。
手紙の最後には急に亡くなったお父さんとの思い出として一番好きだった木曜日で嶋佐オアシスをというリクエストで感極まって泣いてしまった。涙腺は壊れたままなので、手紙の途中でおそらく亡くなったのだろうなとわかって、涙腺がうるうるしかけていた。

17時半すぎにニコラに行って、アルヴァーブレンドとおかわりでアアルトブレンドを飲みながら、朝吹真理子著『TIMELESS』を読みつつ、ニコラのお二人と色々と話をした。

 

3月29日
深夜1時過ぎになっても眠れず、radikoで『四千頭身 都築拓紀 サクラバシ919』も最後まで聴いてしまった。そのあとようやく眠くなって寝たが、三時間もしないうちに目が覚めた。
外から雨が降っている音が聞こえていた。今日は昼過ぎまでは雨で、そのあとは20℃を越える気温になると天気予想に出ていたので、今週末で桜は咲いて来週末にはもう散るみたいな感じなのだろう。
目が覚めたので、そのまま横になって『ハライチのターン』を聴きながら目を閉じて布団を被る。6時前には目覚めてしまったので諦めて起きた。コンビニに傘を差して行ったが、雨よりも風が強くて傘がひっくり返りそうになった。


朝日新聞の月に一回、最終金曜日に掲載されている古川日出男さんによる「文芸時評」を読みたいので購入。
角田光代さんの『方舟』が最初に取り上げられていた。書店で見かけていたがあまり惹かれなかったのだけど、この時評を読んで読もうかなって思った。あとはいくつかの作品も取り上げられているのだけど、川村元気さんの『新潮』に掲載されていた『私の馬』も読んでおこうと思った。

ヨルゴス・ランティモスエマ・ストーンの新作「憐れみの3章」公開決定

原題「Kinds of Kindness」のままでよかった気がするが、とりあえず2024年公開なのでよかった。海外は6月末公開だったので、秋ぐらいには公開できるのかな。


ダウ90000単独ライブ「30000」 を本多劇場で鑑賞。ザ・スズナリで前回の「20000」を観た際に次回は本多劇場ということは発表されていた。亡くなった友達と一緒に「20000」を観て、次も行こうと終わってから飲みながら話していたこともあって、形見分けで譲り受けたリングをつけて連れてきた。
当たり前だが自己満でしかない、まあ残された側は自己満なりなんなりをして、いなくなった世界や現実に折り合いをつけて、いつか次第に慣れていくしかない。来年の命日までは喪中のつもりなので、ヘアドネーションするために伸ばしている髪もそれまでは切らないつもり。バカだなあって亡くなった友達は笑うだろうから、バカなままでこの日常を僕はたのしむ。
七本のネタで100分、ラストひとつ前の『リベンジ』で会場がうねるというか一番拍手笑いが多かった。メンバーそれぞれのキャラもわかってきたのもあるのか、さらにおもしろく感じた。前回に引き続きメタっぽい自己批評的なラストネタ『メタな夜』もさすがというかより強いネタになっていた。
前回もあったが幕間の映像で次がラストネタでそれまでやってきたネタがラストに繋がっていくんじゃないかと考察する男女(配信で見ているてい)が出てきた。
コントをやる芸人の単独ライブで最後の長尺コントがそれまでのネタと実は繋がっているというものがある種定番みたいになったことを皮肉っているようにも見えるし、同時にただやってるネタだけを見て、ありもしない考察でこれが繋がっていくとか考えないでくれという蓮見さんの気持ちが出ているようでかなり好感が持てる。
実際にお笑い好きな人からするとそうなるのが当たり前になっている部分はあると思われるので、そんな自分へのツッコミになっていて苦笑いしたり、する感じで最終的に笑っちゃう形になっている。

若くてオシャレな観客が多くて、演劇が取りこぼしている客層に届いているし、お笑いライブでの若い女性の比率がかなり高いということもなくて男女率も世代のバランスもちょうどいい。
かつて有吉さんは「ブレイクするということはバカに見つかることだ」と言った。お笑いや演劇に興味があって今ダウ90000を知らない人は、メディア関係だとさすがにアンテナが錆びついているのでもうどうにもならないと思うが、バカに見つかる手前か見つかり出したなという感じはする。
20歳前後で宮藤官九郎脚本『池袋ウエストゲートパーク』が始まってドラマをリアルタイムで見て、シネマライズで公開初日に映画『ピンポン』を観た時に、「僕たちの日本映画が始まった」と感じた。そういう流れで遅ればせながら僕は大人計画の舞台をはじめ演劇も観に行くようになった。
ダウを観終わってから興奮しながら話している20代の人たちを見て微笑ましく感じたし、あの時のワクワク感やドキドキ感を思い出した。

 

3月30日
6時過ぎに目が覚めて、午前中に外に出ようと思って映画のサイトを見ていたら、前日から公開が始まった『ゴーストバスターズ/フローズン・サマー』がTOHOシネマズ渋谷で8時半からの上映回があったのですぐにチケットを取った。散歩がてら歩く時にはBGMがてら『三四郎オールナイトニッポン0』をお供に。


朝の早いうちというのもあって、道玄坂も人はあまりいなくてちょうどいい気温で歩きやすい。お客さんは二十人もいない感じで、一人で来ている人が多かった。
女性四人リブート版も素晴らしかったけど、オリジナルの続編で再始動した二作目となるのが今作『ゴーストバスターズ/フローズン・サマー』。
内容としてもお見事な出来で三世代のゴーストバスターズ、家族の物語になっていた。オリジナルのおじいちゃん世代、何にもなれなかった親世代、デジタルネイティブで隔世遺伝的に古いものと新しいものをミックスできる孫世代という印象。
今回はNYが舞台になっていて、祖父が初代ゴーストバスターズだったイゴン博士の孫娘のフィービーと兄のトレヴァー、実母のキャリー、彼女の恋人で元教師のゲイリー、トレヴァーの彼女のラッキー、レイモンドの手伝いをしているポッドキャストという新世代ゴーストバスターズ、そこに初代の亡くなったイゴン博士以外のレイモンドとピーターとウィンストン、受付嬢だったジェニーンの祖父母世代が封印を解かれたなんでも凍らせるゴーストのガラッカからNYを守るというのが今作。

祖父の才能や能力を引き継いだ天才少女であるフィービーが実質は主人公である。彼女の母のキャリーと恋人のゲイリーの親世代は僕と同世代の中年であり、ゲイリーとフィービーは家族みたいなものではあるが、実際母と彼は籍を入れていないので彼は父ではない。今回はその関係性にも焦点が当たっていて最後にフィービーがあるセリフをいう。それが一番の進展であり、家族というものを描こうとしていたのがわかるようにもなっている。
ただ、自分の同世代が親として登場しているので、彼らのことをいろいろと考えてしまった。
ゲイリーはフィービーとトレヴァーとキャリーたちイゴン博士の血筋のスペングラー一家と一緒にゴーストバスターズとして家族のようにしているが、実のところ家族でもないし、血族でもない。フィービーからすれば彼は母の恋人であり先生だった人だ。このゲイリーにおける父になれなかった中年男性が「父」になるという問題意識はこの数年いろんな作品で描かれている。『トップガンマーヴェリック』『カモンカモン』などでも同様のテーマが描かれていた。アメリカだけの問題でもなく、先進国(だった)の国では共通の問題として起きているのではないかと思う。
この辺りの問題意識はおそらくトランプの「Make America Great Again」や安倍の「美しい国日本」に通じているのではないかと思う。家父長制が当たり前で育った世代が自分はそうなれないことや新しい価値観に対応できなくて、自分を否定されたくないので彼らを支持して同化することでプライドを保とうとした。で、当然彼らや彼らの政党に利用されてヘイトや差別を助長するようになる。というバカが増えた。
そうならずに「父」や「父性」の問題に向き合うかを模索したり、問いかけていくのが、本来は文学と呼ばれていたものの役割だろうけど、この20年ほど小説家で売れていて評価されているのはジェンダー的には女性の作家であり、男性の作家は正直どんどん影を薄めていっている。たぶん、そういう問題意識でジェンダー的に男性性の当事者として書く作品が今後なんらかの形で出てくるんじゃないかな。
この三作は問題意識的にはトランプや安倍たちの事柄と無縁ではないと思うけど、観て影響受けて差別主義者になるわけでは当然ない。家父長制に縛られた負の部分にも繋がっているだろうし、そういう縛りから解き離れたいという意識どちらにも作用しているはずだから。書いていて適当なことを言っているような気もするし、意外と当たってるのかもしれないと思ったり、書くことで自分がその問題意識に興味が向いていることはわかる。

あとはゲイリーやキャリー世代のなにものでもない感じには僕は既視感があるし、言いたいこともある。
すべての時代、どの世代もなんらかのわりを食ってるんだけど、上からパワハラセクハラが当たり前で不景気の煽りもあって、正社員を長い間ずっと正規雇用で取らなかったくせに、そうならかった人たちは「自己責任」とか言われていくようになった。僕みたいにそういうことをそもそも選んでない人はいいけど、上の世代なら普通に正社員になれたのに枠がないから派遣とかフリーターになるしかなくて、経済的に貧しくてそのうち精神が病んだり、結婚も子供を諦めた世代が中年になったら、そいつら上の世代の子供世代には正社員になる努力もしなかった怠惰な人たち扱いされて、あなたたちの「自己責任」でしょうみたいに思われるという悲惨さ。お前らの親世代が正社員でいるために犠牲になってんだよ、こっちはみたいな気持ちはずっとある。
芸人の永野さんの皮肉的な笑いって、その時代の当事者だった人たちの被害者意識とも関わっているのでよくわかる。
でも、なんにもないから下の世代の邪魔をしないように、すごい奴らや人がいたらもう僕らは踏み台にすらなれないけれど、なんとかがんばって世界をおもしろくしてくれって言うしかない。


帰りに『フールナイト』最新刊を買う。『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』連載中に感じていた現実世界とのシンクロとメタファ感に通ずるものがあると思ってるのが『フールナイト』。なんとなく90年代後期のTBSの金10ドラマ『ケイゾク』『QUIZ』感がある。大好きなラインの物語。もっと話題になってもおかしくないと思うのだけど。

夕方に20代の知り合いで俳優をやっているFくんから連絡もらったのでニコラでお茶。いろいろと話をした。なにか参考になったりするといいけど、人に話すことで自分の中で不明瞭なものにピントがあったり考えがまとまることはあるから、そうなってくれていたらいい。

『違う冬のぼくら』ところにょりのゲーム開発遍歴 #1【クリエイターインタビュー】 


去年からライティング仕事でお世話になってる講談社ゲームクリエイターズラボの第一弾で大ヒット中の『違う冬のぼくら』のクリエイターのところにょりさんのインタビュー動画。

21時からオンラインで月に一回のゲーム関連のライティング作業のミーティング。去年の三月からやっていた作業はとりあえず今月でひと段落して終了。
新しい仕事だったので楽しかったし、この仕事があったので生活も助かったりしてありがたかった。自分のやったことがどのくらい貢献できたかはわからないけど、ゲームが完成して形になる日を迎えることができるのを楽しみにしている。

 

3月31日
この三日間程軽い頭痛があって、起きてからそれを感じた。金曜日夜にダウ90000の単独ライブを観て帰る時に珍しく缶ビールを買って帰って飲んだ。前日木曜日のo.i.raのコレクションを観にいった時にもビールをいただいて、それがピロリ菌の除菌薬飲んでから薬疹が出て行こう初めてのお酒だった。胃の調子がまだそこまで良くないのか、ビール一缶程度を二日連続飲んで軽い二日酔いみたいな頭痛、まだ本調子ではないということなのだろう。
春の日差しが暖かくて、正直Tシャツ一枚程度でも問題のない気温、目黒川沿いの桜はまだ咲き始めで満開ではなさそう。たぶん、今週の真ん中辺りが見頃じゃないかなって思う。と書いたけど去年目黒川沿いの桜はかなり剪定したらしく今まで通りの満開の桜みたいにはどうやらならないらしいっぽい。


午前中に歩いてホワイトシネクイントへ行って火曜日に観ようと思っている映画のチケットをたまったポイントカードで引き換えてもらった。そのままダーレン・アロノフスキー監督のデビュー作『π〈パイ〉デジタルリマスター』を観た。1998年の作品だから劇場では観ていないから、レンタルしてなのか一度はなにかで観た記憶があったが、観ていたらどの辺りかわからないがガッツリ寝てしまって、そのおかげなのか頭痛は消えた。物語はほとんどわからなかった。

行き来の散歩はradikoで『オードリーのオールナイトニッポン』を聴いていた。東京ドームらイベントが終わってから一ヶ月半ほど経っているが、若林さんと春日さんのトークは前よりも体温が高い感じも残ってるし、春日さんのトークが前よりも話題が多くなったような、話したいって気持ちが前に出ているような気がする。
帰ってから夕方過ぎに、TVerで「ラヴィット!」の増刊号的な『夜明けのラヴィット!』で嶋佐オアシスへのリクエストと『Live Forever』の歌唱部分をもう一度見ていたらやっぱり泣いてしまった。

明日から四月なのでこの三ヶ月でできなかったことやスケジュール的に守れなかったことをもう一度スケジューリングした。とりあえず、四月から八月末までで決めた〆切やスケジュールを遂行したい。『鱗粉と忘却』『インターレグナム』『みずのあわ』の三作品は夏が終わるまでに仕上げる。なんかそれができれば今年は十分な気がしている。というかそれだけは終わらしたい。

今回はこの曲でおわかれです。
ano feat. 幾田りら 「絶絶絶絶対聖域 」Music Video 

Spiral Fiction Note’s 日記(2024年3月1日〜2024年3月15日)

2月下旬の日記(2024年2月16日から2月29日分)


3月1日
日付が変わってから2月下旬分の日記をアップする。誕生月になったので今月でひとつ年を重ねることになる。昔自分がイメージしていた大人とは程遠いが、そこまで悪くはない人生というか楽しくやってはいる。
でも、年齢だけでなく、時代や社会の変化が急激に変わる部分とゆるやかに変わる部分がある。それらに翻弄もされるし、確固たる自分というほどのものはなくても、陰謀論や宗教にハマったり、ネトウヨ化したり極左になったり、インフルエンサーに踊らされることもなく、なんとかほどほどにやっている。
現時点では自分がそうであっても周りの人たちがいつかそういう状況に陥ったり、あるいは病気になったり精神的に病んだり事故に遭うということは起きるだろうし、その時には否が応でも自分も巻き込まれたり関わっていくことになる。その時に自分にとって大事な人にはちゃんと向き合える人ではいたいとは思う。それが一番大切で難しいのだとも思う。
四千頭身都築拓紀 サクラバシ919』の追っかけ再生を聴きながら寝落ちした。

昨日の取材で疲れていたのか6時前に起きるつもりだったが、8時過ぎに目が覚めた。3月に入ったので早起きして作業をするというのを体に染み込ませたいのだけど、初日からダメだった。朝やる作業は仕事終わってからやることにした。しかし、ほんとうに3月まであっという間だった。


休憩中にTSUTAYA白倉由美著『夜明けと白と屍の病』と大塚英志原作/西川聖蘭作画『東京オルタナティヴ 承―天安門編―』を購入。
白倉さんは大塚英志さんのパートナーであるけど、大塚作品でも関わっている漫画家であり小説家。僕の家には漫画『贖いの聖者』や少女の頃の平野綾が表紙や中の写真で写っている小説『ロリータの温度』など彼女の作品があって、大塚英志名義の小説『冬の教室』『夏の教室』は白倉さんの朗読ドラマが原作になっている。それらの表紙イラストが鶴田謙二さんによるものだったが、今作も鶴田さんなので小説のテイストが近いといいなと思って、期待していたもの。
『東京オルタナティヴ 承』はコミックスとしては二巻目、「転」が来月出て「結」の連載が今年始まるとのこと。大塚さんらしい偽史であり歴史改変&可能性世界もの。フェイクがありふれる時代にフィリップ・K・ディック『高い城の男』のドラマ版とかの流れも汲んでいたり、イメージが感化されたもの。ずっと刊行を待っていたのでうれしい。

若林の良さはなにより品のあるところ、まったく卑屈にならないところ、「八丁堀だから」と深夜放送で言う江戸前なバックボーンがあるところ。東京の人間はこれが一番好きだ。大阪の“松本風”が止んだ今、根っからの東京人の私はこう思う(今まで土足で入ってきた大阪人に気をつかいすぎた。ここは東京である)。東京の文化を私はキチンと守り攻めこんでいきたい。

PS 東京の笑いは太田(爆問)、有吉、若林がいるから安心だ。

高田文夫氏が綴る、「若い」って素晴らしいとちょっぴり嫉妬したオードリーの東京ドームイベントとキチンと守りたい「東京の文化」

高田さんが書いていたエッセイ。有吉さん広島出身で、オール阪神さんの弟子だった時期も短いし、電波少年深夜特急させられる前から東京にいたから東京芸人という扱いなのだろう。書かれていることはわかるし太田、有吉、若林という並びも納得だけど、何か新鮮だった。

リモートでの仕事が終わってからライティング作業と自分の作業をする。
日曜日までに最初の部分を提出できればリズムはできそう。しかし、元々が長いから切るにしてもニュアンスとか流れをどうしていくか悩むと悩むだけ進まない。でも、いけそうな手応えはある。
自分の作業はさほど進んでいないけど、仕事のライティング作業のストレスは嫌でも溜まるから、その発散にもなればいいし、前みたいに複雑な話ではなくなったのでシンプルに書きたいことを書いてみればいいやって感じになってきた。

礼賛 - PEAK TIME 


ラランドのサーヤがやっているバンドの礼賛の曲がとてもよかった。

 

3月2日
8時過ぎに目が覚めて、眠気覚ましに散歩へ。radikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を聴きつつ、いつもの代官山蔦屋書店まで。新潮社の『波』の表紙がガブリエル・ガルシア=マルケスだったのでもらった。
来月末にガルシア=マルケスが最後まで執筆していた未完の小説『出会いはいつも八月』が出るの合わせたんだろう。また、高橋源一郎著『DJヒロヒト』の書評として菊地成孔さんの文章も掲載されていた。

書籍ページの下に菊地さんの文章が掲載されて読めるようになっていた。

一度家に帰ってから少しだけ作業をしてお昼過ぎには家を出て渋谷に向かった。半蔵門線渋谷駅からそのまま終点である押上駅まで乗った。その間、家に戻るまでは『JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』を聴いていた。
三四郎ANN0」も「バナナムーンGOLD」も家で作業中に聴いた『EXITのオールナイトニッポンX』でも野球の大谷選手の結婚に関して、「結婚したねえ」というフリから入るということをやっていた。
時事ネタは生放送ならではの扱えるネタだし、彼の知名度とかももろもろ考えれば当然ではある。オリンピックもW杯もWBCの時も当然ながら世間的には気になることがネタとして話される。そういうものに興味がない、嫌いな人間としてその時期が来るとラジオのパーソナリティーが同じネタを話すのでちょっと勘弁してほしい気持ちにはなる。
でも、『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』もいろんなパーソナリティーが話してたじゃんかと言われそうだけど、そもそもラジオ番組が他のラジオ番組のイベントについて話すことなんて正直ほとんどないことだし、やっぱり向いてるベクトルは違うんじゃないかなって思うし、ラジオ聴いている時点で他のラジオのことも全く興味ない人の方が少ない、芸人がやってるラジオやポッドキャスト聴いていたらどうしても横や縦のつながりのほかのものを聴くようになるから。


先月10日に赤えんぴつ武道館ライブ終わって、友達のお母さんを送り届ける役目もあったので、その時に来て三週間ぶりの押上駅へ。亡くなった友達の形見分けを受け取るために来たのだけど、押上駅からも両国駅からも距離的にはあまり変わらない場所なので、今回は押上駅から20分ちょい歩いて行った。
部屋の退去準備をしているお父さんとお母さんに迎えてもらって、今日は来れなかった友達への形見分けのものを受け取った。お二人から僕にも形見分けということでいくつかのものを譲り受けた。
喉仏の骨と一緒に僕らが前にお渡しした写真や、会社の人が撮った写真が祭壇のような感じで置かれていた。彼女の一部だった喉仏の骨をまた触らせてもらって、スマホのカメラで画像を撮った。それは命日の時に自分が手をあわせる時に見れたらと思ったから。
部屋に行く前からひとつ決めていたのは、亡くなった彼女もご両親も喫煙者だから、お話をさせてもらうときに煙草をもらって一緒に吸うことだった。お焼香がてらの煙でもあるし、紙煙草なら一本もらって火を貸してもらうということがコミュニケーションになる。そういうことをしたいなって思っていた。

ヤングスキニー - ベランダ feat. 戦慄かなの【Official Music Video】 


煙草を吸うMVだから思い出した。

なんとなく行く前は一時間ぐらいお邪魔するつもりだったけど、気がついたら17時近くになっていて、約三時間ぐらい三人で話をしていた。ほんとうにあっという間だった。
秋田にも遊びにきてね、と言われたので行ってみようと思ってる。僕は秋田には親族とかもいなくて、縁もゆかりもない場所だったけど、亡くなった友達が出身だから彼女から秋田という場所が思い浮かぶようになったのがこの二十年近く、もう縁もゆかりもできてしまった。

 

3月3日
昨日歩きすぎたのか、思ったよりは緊張をしていたのか、ぐっすり寝入ってしまって起きたら9時前だった。
昼前に家を出るのでとりあえず、『オードリーのオールナイトニッポン』をradikoで聴きながら作業を開始。今日中に出しておきたいものの、あまり進んでいないのであやしい感じではあるが、毎週決まった範囲を出していくことにしているのでそこをクリアしていかないとのちのち自分の首を絞めるんだよなって頭ではわかってる。


土曜日に押上に行ってスカイツリーを見たら、翌日はヴィム・ヴェンダース監督『PERFECT DAYS』をもう一度観ようと思っていた。PARCO渋谷にあるホワイトシネクイントへ。
去年の年末に二回観たからこれで三回目なんだが、この作品に対する批判とかも目にしてるし言っていることはごもっともだと思うし、それもわかる。でも、ヴィム・ヴェンダースは自分の描きたい「妄想(理想)の東京」をそういう資本(UNIQLOとか)などを利用して(だまくらかして)作ってるわけで、パトロンの意向も無下にしない程度に、自分がやりたいことをやってる。それはなんというか最強に正しいインディーズ魂(精神)というか、商業ベースではない最も冴えたやり方なんじゃないだろうか。
288分もある『夢の涯てまでも【ディレクターズカット】』をル・シネマで開催したレトロスペクティヴの際に観た時にすごく感動した。ヴィム・ヴェンダースがそれまでやってきたものを混ぜ合わせていて、どう見てもやりたいことしかしてなかった。世界中でロケもしていて制作費もかなりかかっていたはずだけど、各国からお金も集めたりしてやりきってしまっていた。あんなもんヒットするわけない、でも最高の映画だったと思っていて、『PERFECT DAYS』もそれに近い匂いがする。

ストーリーラインはわかっているけど、やっぱりデラちゃんがタカシを探しに来て、もう仕事を辞めているから平山がいないよという意味で首を振るシーンではまた泣いてしまった。姪っ子のニコの母(妹)が迎えに来た時のやりとりでは以前に観た時よりも感動というか、知らないうちに涙がずっと流れていた。家族を巡るシーンだったからだろうし、昨日、友達のお父さんお母さんと会ったこともたぶん関係はしていたのだと思う。
僕は上京してから基本的にはずっと一人暮らしで、ある時期には友達が数ヶ月居候的にいたこともあったが、基本一人だ。一人の孤独というものには慣れてしまっている。
友達のお父さんお母さんと話をしていた時に、家族が増えてやがて子供が大人になって東京で生活を始める。両親もよく東京に遊びにもよく来ているぐらいに仲もよかった。その娘が亡くなってしまったことで家族が減る悲しみとそれによる孤独さみたいなもののことを話してもらったのだけど、その悲しみと痛みは今の僕ではちゃんと理解はできないなと思った。
僕にも実家に父や母や祖母、別のところに暮らしている兄がいるが、僕が生まれてからは祖父が亡くなっただけだ。僕が結婚したり、子供を持っていたら数は増える、そして誰かが亡くなって減ってしまう、失われたそこにいた人の記憶や思い出みたいなものが一人ではない家族だけの孤独を連れてくるのだろう。平山と妹の会話にはそれに近いものがあったのかもしれない。

ano、『猫吐極楽つあー』Zepp Hanedaで迎えたファイナル ファンとの約束のように響いた歌 

追加のZepp Shinjukuでのライブは楽しみにしていて、去年の音楽ライブでいうとSTUTSの武道館が素晴らしかったし、今年は赤えんぴつのライブにも行っていてしばらくは武道館に行くことはないかなって思っている。でも、あるとしたらano初武道館ライブかなって。今年か来年初頭にはきっとやると思うので、それには行ってどんなパフォーマンスをするのかを観たいと思ってる。

家に帰ってからは寝るまでライティング作業の続きを。しかし、進まねえ。やらないといけないと思うほどにやる気がなくなる感じ、〆切も一応あるけどなんだろうな、気力の問題か、とりあえず気圧で頭痛がするという言い訳もさすがにできないから、寝るまでは机に向かってちょっとずつ進める。

 

3月4日
起きてから朝活がてら昨日終わらなかったライティング作業の続きを。リモートワークまでに終わらなかったが少しは進んだ。夜には終わるだろうなと見当がつくぐらいにはなった。
いつもの始業時間からリモートワークを開始。なんというかいつも通りの作業の時間だけど、自分の中にあるいろんなものが混ざり合っていて、集中しにくい。
気がついたら昨日ぐらいから口唇ヘルペスができているし、ストレスがたまってるらしい。首から肩甲骨がガチガチになっていたので休憩時間を前倒していて、いつもの整骨院に行ってほぐしてもらったら少し軽くなった。


その帰りにトワイライライトに寄って、装画イラストを小山義人さんが手がけていて気になっていたリカルド・アルルフォ著/木下眞穂訳『死んでから俺にはいろんなことがあった』が新刊の平台にところにあったので購入。
店主の熊谷くんと版元の書肆侃侃房のことを話していたら、そこが経営している書店のajiroで柴田元幸さんの朗読イベントをしてきたと聞いた。この何年かで書肆侃侃房はいわゆるインディーズ系の出版社だけど短歌とかいろんな書籍を刊行されていて、本好きなら気になっている版元。
九州に福岡にあるので、そういう出版社なんだろうなってずっと思っていたので、実際に行った熊谷くんからいろいろ聞けてよかった。


Facebookで一年前のポストが出ていて、去年の今日は『東京03 FROLIC A HOLIC feat. Creepy Nuts in 日本武道館 なんと括っていいか、まだ分からない』を観に行った日だった。亡くなった友達と観に行ったということもあるし、そこでCreepy NutsのR-指定が歌った『のびしろ』には彼女が住んでいた家から見えたスカイツリーが出てきたりするし、とかいろいろと結びついている。
Creepy Nutsはこの武道館でのライブ二日間やったあとにはオールナイトニッポンを卒業し、ほかのメディアに出るような仕事も音楽関係以外は止めて音楽に専念した。そして、今や世界中で大バズりをしている。このライブのあとにCreepy Nutsのライブ観たいねと言っていた友達のことが思い出された。今年代々木体育館とかデカい箱で東京公演はやるみたいだけどチケット取るのは難しそうだよって言いたかったな、一緒に観に行こうと言っていたらよかった。

リモートが終わってからライティング作業の続きをして22時ぐらいに送信。
わりとすぐに原稿のチェックポイントについてのメールが返ってきた。なんだろう、一週間に一区切りずつ提出したほうがいいとは思ったけど、このペースだとちょっときびしい。

 

3月5日
6時前に目が覚めたが、なんだかダルいので8時に目覚ましを再度セットして二度寝。朝活がてら昨日の作業の続きを二時間ほどしてから、駅前の西友に行って昼ごはん用の食材を買いに出た。曇り空で昼以降は雨予報だったので、帰ってから洗濯物を取り込んだ。
14時半には池袋の映画館に着いていたかったので13時には家を出る。小雨がすでに降り始めていた。渋谷まで歩いていって副都心線に乗って池袋駅で降りた。目的地の東口まで出るまで久しぶりだったから迷ったし、思いの外時間がかかった。東口から外に出ると雨はかなり強くなっていたけど、目的地は目と鼻の先だったので助かった。

クリストファー・ノーラン監督『オッペンハイマーIMAX試写をグランドシネマサンシャイン 池袋にて鑑賞。
29日にTOHOシネマズ日比谷のIMAX、今日のグランドシネマサンシャイン 池袋のIMAXがマスコミ試写だった。映画関係のことも書いているので試写状は送ってもらうけど、IMAX試写というのは初めてだった。29日の方は仕事で行けなかった。交通の便的にも池袋に行くのはちょっと嫌だけど、この二回目を逃したら公開日まで観れないから仕方ないなって思って申し込んでいた。
それで大正解だった。普段IMAXを観るのはTOHOシネマズ日比谷か新宿だけど、グランドシネマサンシャイン 池袋と大阪のどこかにあるIMAXが日本最大級だと観終わったあとに知った。日比谷や新宿のIMAX上映にも満足してたけど、ここはちょっとレベルが違う。遥かにそれらを凌駕していた。
終わって帰る時にライターの宇野維正さんと少しお話をさせてもらったが、宇野さんは日比谷でも試写を観たみたいだけど、ここはやはり別格だし、『デューン 砂の惑星 PART2』もここで観たらとんでもないよと言われたので、ここで観ることに決めた。
日本公開前(3月29日)だけど、アメリカでは去年すでに公開しているし、輸入DVDとかBlu-rayでも観れるし、史実をもとに作っているからネタバレもなにもないとは思うところはある。
物語の構造的は三つぐらいの時間軸が同時に走っている感じになっていることもあって、正直一回観ただけですべては理解しにくい。最後の方でなんとなくわかってはくるのだけど。その時間軸のことがはっきりわかっていなかったとしても、このクラスのIMAXであの映像を見せられたら今までになかったすごい映画体験をしてしまったとしかいいようがなくなってしまった。なんかもう違う次元だった。

すでに試写を観た人が原爆を広島と長崎に落としたことについて、一応オッペンハイマーが人道的にも後悔していることをアメリカ的なポーズとして描いているけど、あんなのは被爆国の日本に対してアメリカ人はなんも思っていない、人間扱いしていないとかいろいろと不満を書いていた。
クリストファー・ノーラン監督は両親がイングランドアメリカ人なのでイギリスとアメリカどちらの国籍も持っているし、アメリカ人的な思想とかで作っている感じはあまりしない。
というか、第二次世界大戦の敗戦以降、日本はアメリカの属国でありアジアにおけるコマでしかないんだから、アメリカ人が日本人を下に見ていようが申し訳ない感じで広島は長崎のことに言及したらそうなるでしょうよ、としかいいようがない。阿部和重さんの小説読めばいいのになって思った。
広島や長崎の原爆の悲劇をちゃんと描いていたら、おそらくこの映画はブレてしまっただろう。ソ連が原爆を作っていたことはアメリカも把握していて、彼らに先に使われてはマズい。アメリカが先に実験に成功して実戦で使うことで第二次世界大戦を終わらして主導権を持ち、さらに核の抑止力にしようとアメリカは思っていた。それは冷戦に向かって行くことになるのだけど、オッペンハイマー共産主義の関係も描かれるのでそちらに軸はあったなと思うし、広島や長崎のことを描くなら別軸が必要になったんじゃないかな。だとしたらドラマじゃないと無理かもしれない。

オッペンハイマートルーマン大統領に原子爆弾について懸念点を話すところでは自然と涙が出た。トルーマンは落とす都市について候補は12、いや11だな、京都だけは文化的な価値があるし、新婚旅行で行った素晴らしい街だと言って外した。そして、広島と長崎に原子爆弾は落とされたことを僕らは知っている。岡山と広島の県境で生まれ育ったから、道徳の時間で広島の原爆のことなんかも当たり前に習っていたのもあるからか、そういうシーンのところでは泣いてしまった。
確かに多くの日本人にとっては、オッペンハイマー原子爆弾は1945年夏のことがあるし、原子力としても東日本大震災原発事故のことが脳裏に浮かぶだろう。そのことを別にして観ろとは言わない。そのことに引っかかりながらでも観ればいい。そこに好き嫌いがあるのは当然だ。だけど、この映画はちょっとそういうことが頭にあったとしても、とんでもないものを観せられたと思わされる映画になっている。
しかし、クリストファー・ノーラン監督はとんでもないものを作ってしまった。劇中でオッペンハイマー原子爆弾を作って成功させてしまったように、それが作られてしまったら歴史はもう変わって戻れなくなる。ノーラン監督は映画を映画館で観るものとして生き残らすことしか考えていないのだと感じた。
この映画はIMAX用のカメラで撮影してIMAXのスクリーンと施設で観るように作られている。配信とかで家のテレビやスマホで観る人のためには作っていない。劇場に行って体験するしかないものとしての次の時代へ進んでしまった映画作品だった。

特集「震災後の世界13」の古川日出男さん「キカイダー石巻鳥島、福島」では、『ゼロエフ』で歩き、書いた古川さんが、つぎの一歩目を踏み出します。古川日出男さんと柴崎友香さんの震災と書くことをめぐる対談「書けないところから始まる」もあわせてお読みください。

おお、古川さん『ゼロエフ』の次を始めるんだ。『群像』がちゃんとサポートしてくれるならいいな。
僕は僕の歩くことを始めないといけない。村上春樹に影響を受けたならきっとランニングで東京を見たけど、僕は古川日出男チルドレンなので東京を歩いて見る。

 

3月6日
霧雨が降っていた。とりあえず、胃カメラの検査結果を担当医から説明の日だったので朝一で自衛隊中央病院へ。診断予約をしていたのですぐに順番が来て、ピロリ菌がいるのは確定なので抗生物質とかを一週間飲むということになった。その後八週間後にもう一度検査をして菌がいなくなったかを確認するという流れ。
思いの外時間がかかるものなんだな。ピロリ菌を放置しておくと胃がんになる可能性とかがあるから早めに処置したほうがいいわけで、これでも2月に入ってから検診して胃カメラの予約をしたりしてこのぐらいの時間はかかるのだから、放置しつづけたらなにがあるかわからないものだなって思った。
終わってからすぐに帰ってリモートワークを再開して作業を。昼休憩がてら家の近所の調剤薬局で処方箋を出したら、ものがないので明日になると言われた。一日ぐらいだったら、問題はないので取り寄せてもらうことにした。

仕事中はradikoで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』、 TVerで『あのちゃんの電電電波』(ゲスト:chelmico)、Spotifyで『あのと粗品の電電電話』と『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』(ゲスト:今泉力哉監督)と盛りだくさんで夜まで聴くものがたくさんあった。火曜深夜からあのちゃん関連は三つもあって、固め打ちみたいな感じになっているので、なんかそれを聴くと今日は水曜日っていう曜日感覚ができてきている。


仕事が終わってからニコラに行って、文旦とホワイトチョコ、マスカルポーネのタルトとアルヴァーブレンドをいただく。
土曜日に友達の家に行って形見分けしてもらった時に、お父さんとお母さんと一緒に煙草を吸わせてもらったこともあって、彼女が吸っていた煙草も開いていたのと開いていないのをもらっていた。
普段煙草吸わないから、そういえばライターがないなって思っていて、ニコラに行った時に持っていって吸おうと思っていたので一服。二年前ぐらいに下北沢で舞台を観終わったあとにその友達を連れてニコラには来たことがあったし、友達のことは曽根さん夫妻にも話していたので、ニコラで吸いたいなって思っていた。曽根さんにも一本渡して吸ってもらった。なんかそういうことなんじゃないかなって。
煙草は父親がヘビースモーカーだったから嫌いだったし、自分では吸うことはなかったけど、ニコラに来るようになってからカフェの文化というものは煙草を吸いながらワインとかを飲んで話すっていうもので、二人はそれが好きだから煙草を吸えるお店としてやっているのを知ったりした。
数年前に皿洗いの手伝いヘルプをしたあとに曽根さんから仕事終わりでもらった煙草を吸うっていうのがわりと好きで、個人的には煙草に対しての嫌悪感みたいなものはなくなった。煙草を吸ってからコーヒー飲んだらやっぱり、いつもよりコーヒーが美味しく感じられた。こういう追悼のやり方だってある。

昨日ぐらいから口唇ヘルペスが上唇にできていたものが潰れて、横に新しいのができて腫れている感じになっていて辛い。見た目も悪いから外に出る時には久しぶりにマスクをしていたけど、ニコラから帰ってきたら気持ち口唇ヘルペスの張り具合が和らいでいた。ライティング作業があるから、また腫れそうな気はしたけど、とりあえず今日中に直しがあったところは出して次へ行きたいので文句を言いつつ進める。

Naruyoshi Kikuchi y Pepe Tormento Azucarar’s 2021 in Orchard Hall 


菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールの結成20周年記念巡回公演「香水」の東京芸術劇場プレイハウスでのチケットが先行で取れていた。
2021年に動画のオーチャードホールサントリーホールでコンサートを観てからはずっと観れていなかったのでうれしい。

 

3月7日
起きてから色々と連絡をしたりしてから朝活がてら作業を開始。夜は雨予報だったので家を出る前に洗濯して干してから家を出た。風は冷たくこのまま気温が下がってもおかしくない感じだった。
radikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴きながら渋谷まで歩いて、半蔵門線に乗って神保町駅まで。A9出口から出ると何度か来て歩いた記憶のある場所だった。地図アプリを見ながら見本帖本店へ。

「BOOKS 水戸部功×名久井直子
装丁に焦点を絞りほぼ同時期から活動を続けてきた、水戸部功氏と名久井直子氏。
お二人のこれまでの仕事から、それぞれ30冊を自選いただき、
その素材・造本・デザインを解き明かします。
削ぎ落としたデザインの水戸部氏、素材と加工を駆使した名久井氏、
対照的な仕事を続けるお二人の本から、〈装丁の現在〉をお楽しみください。


装幀家の水戸部功さんと名久井直子さんの手がけてきた装丁をそれぞれ30冊自選したものの実物が展示されているということだったので休みの木曜日にやってきた。12時近くだったが、十人ぐらいは展示を見ている人がいた。たぶん、デザインとか勉強したり、関わっている人っぽい人たち。
お二人の名前は書籍のデザインを見るのが好きなのでもちろん知っているし、古川日出男さんの5、10の倍数になるアニバーサリーに刊行される書籍だったり、これだという小説の装幀は水戸部さんが手がけているのでなんというか憧れもある。デビュー10周年時に刊行したメガノベルと呼ばれた『聖家族』は亡くなった菊地信義さんが手がけられていた。水戸部さんは菊地さんの弟子筋とも言える人なので、それを引き継いだという部分もあるんだと思う。
水戸部さんの装幀デザインは書店に行って新刊とかを見ていると、これって水戸部さんだろうなってわかるぐらいにはなってきた。似たようなというかパクったようなデザインもなくはないが、やっぱり細部に神が宿るというけれどなにかがまったく違うからわかる。
名久井さんのデザインされたものはどこか柔らかいというか包みこむようなものが多い印象だった。ビビッドなカラーを使っていても強烈ではあるもののどぎつくもないし、どことなくおだやかさが感じられた。


図録はお二人のものが別々になっていて赤い部分がケースではないけど、二冊が入る感じのデザインになっていて、これがすごく充実しているものだったので買ってよかった。
紙や輸送費の問題で書籍は値段が以前と比べても明らかに上がっていて、これからも上がっていくと思う。電子書籍のほうが場所も取らないし便利だという意見もわからなくはない。
でも、やっぱりこういうデザインであったり紙それぞれの色合いや素材が活かされたものの物体としての本が僕は好きだ。自分の体もいつか死んだら消える。
紙の本は燃えたり濡れたりしたら読むことは難しくなってしまうけど、それを免れたら何十年と僕は死んだあとにだって残る。やっぱり永遠ではないとしてもいつか自分が消えてしまうから、目に見える形を大事にしたいし所有していたい。


最寄駅に帰ってきた時に本日発売の文芸誌『群像』と『新潮』とハヤカワSFコンテスト特別賞を受賞して刊行が決まった間宮改衣著『ここはすべての夜明けまえ』を。
『群像』では特集「震災後の世界13」で古川日出男さんの『キカイダー石巻鳥島、福島』が掲載されていた。2000年に取材でお手伝いした『ゼロエフ』その後、というよりもその先へ、今現在に続くものとして書かれていた。『ゼロエフ』単行本の装幀は水戸部さんが手がけられていた。『新潮』に掲載している古川日出男×角田光代対談は去年の12月にジュンク堂書店池袋本店で行われたトークイベントを活字化したものだった。
『ここはすべての夜明けまえ』は大賞受賞していないけど、評価が高いらしく、自分がこの時の大賞だったらもっとこっちを応援したりSNSとかで広めてくれよというだろうなっていう感じの盛り上がり方をしている。装幀見たら恐ろしいことに名久井さんだった。今日はなんか古川さんと水戸部さんと名久井さんに関連する日になった。

本買って家に戻る前に昨日処方箋を出していた調剤薬局に行き、ピロリ菌用のお薬を受け取ってきた。今日から一週間朝夕と飲んでピロリ菌が除菌できるといいのだけど、薬剤師さんが薬について説明してくれた際にだいたい70%ぐらいで一回目では除菌できますと言われたので、微妙な数字だとは思った。

 

3月8日
夜中の3時ぐらいに一度目が覚めたので、金曜日が缶とビンと段ボールの回収なので出そうと思って玄関を開けたら、みぞれぽさも多少感じられる雪が降っていた。
結局、起きてからコンビニに行く時には止んでいたが、多少雪の残骸は残っていた。

いつも通りの時間からリモートワークを開始。これから春先にかけて公開する記事がいくつかあるけど、進み具合は問題ないので急がずに作業がでてきてありがたい。
昼の休憩時間に入ってから別件の週一回のオンラインミーティングをした。今月で四月以降の進め方とかが決まる感じ。うまいほうに転がって続くのがベストだけど、どうなるだろうか。

2024年、これを観ずに何を観る! 21世紀最重要作品『デューン 砂の惑星PART2』を解説【宇野維正のMOVIE DRIVER】 


今日からIMAXで先行上映が始まった『デューン 砂の惑星PART2』について宇野さんが話す動画を観た。
オッペンハイマーIMAX試写でグランドシネマサンシャイン 池袋に行ったばかりだったが、チケットを見たらさすがに金曜から日曜日までほとんど埋まっていて、いい席はなくなっていた。一般公開は来週の15日からなので行ける時にグランドシネマサンシャインIMAXでこの作品は観る。

私の新しい執筆プロジェクト『あるこうまたあおう』の第1話が文芸誌「群像」に掲載された。この掲載誌を、関西で移動の途上にある私はまだ目にしていないのだけれども、たぶん、きっと、いいや絶対に、ちゃんと世にドロップされているはずである。この『あるこうまたあおう』は執筆プロジェクトだが劇烈なる行動プロジェクトでもあって、とにかくここから2年前後、私はしっかりやる。あと、織田作之助賞の贈呈式がらみで乗代雄介さん(生身)に触れて、この人もまた「あるこう」な作家だったことに感銘を受けた。

『新世界はなにゆえ新世界というのか、と大阪で思う』2024.02.24 – 2024.03.08 東京・埼玉・大阪・兵庫・京都 「古川日出男の現在地」

仕事が終わってから古川さんの「現在地」を読む。昨日『あるこうまたあおう』の一話にあたる『キカイダー石巻鳥島、福島』を読んだので上記の文章のことがよくわかるというか、次なるものが始動していて続いていくんだなってわかって、それをちゃんと追いかけたいと思った。

Creepy Nuts - Bling‐Bang‐Bang‐Born / THE FIRST TAKE

 

3月9日

日付が変わる前からNHKの夜ドラで始まった『ユーミンストーリーズ』の第一週で綿谷りさ原作&夏帆主演『青春のリグレット』全四回を見始めた。一話15分と短いので四話まで見ても深夜一時を回る前には終わった。
一話は夏帆演じる菓子(かこ)が夫の浩介(中島歩)とやってきた旅先でかつて大学生時代のことを思い出し、青春時代の記憶と現在が交差していくというものだった。大学時代の彼氏が金子大地であり、現在の旅先のコテージを借りて遊んでいる大学生の中の一人の青年が青木袖という配役でバランスがすごくよかった。
夏帆さんの顔は個人的に大好きな系統であり、見てしまうのだけど、見ている時に口が少し半開きになって歯が見えるぐらいの角度になにかフェチ的なものというか、自分が惹かれる要素があるような気がしてきた。口周りの感じと全体のバランスみたいなもので自分が好きな顔なんだと思う。ドラマとは全然関係ないけど。


起きてから作業をする前に昨日買っていた早川義夫著『女ともだち-靜代に捧ぐ』を少し読んだ。書き手である早川さんと奥さんの話で、二人ともいわゆる普通の感覚とは言いにくい行動や言動だったりするけど、二人だけの中で許される許しているルールというか距離感、気持ちがあって、そういう人と出会えたことは素晴らしいことだしすごくうらやましいと思いながら読んだ。

話題作『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章』が本フェスティバル招待作品としてワールドプレミア上映!
数々のヒット作を生み出し続ける漫画家・浅野いにおによる傑作漫画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』(通称・デデデデ)の初アニメーション化。突如東京上空に巨大な宇宙船 通称“母艦”が襲来し、絶望的に思えた異常事態も次第に日常へと溶け込んでゆく世界で、日々の青春を謳歌する少女たちの物語。

16時半からTAAF(東京アニメアワードフェスティバル)2024招待作品として22日の一般上映前にワールドプレミア上映される『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章』を観に火曜日に初めて来たばっかりのグランドシネマサンシャイン池袋へ。上映前には黒川智之アニメーションディレクターと本多史典アニメーションプロデューサーによるトークイベントがあった。
おそらく全席売り切れにはなっていたはず。僕は火曜日に『オッペンハイマーIMAX試写でここに来ることになっていたので、サイトを見ていたら偶然この上映を見つけてすぐに席を予約した。
プレミアムクラスという3700円ぐらいする真ん中近くのいい場所でシートも革張りな感じのグレードのいい席を取っていた。そのチケ代には700円分のミールクーポンというのがついていた。アイスコーヒーはそれで無料で引き換えられた。
お客さんは僕みたいな原作者の浅野いにおさん世代の40代もわりといたけど、若い女性もかなりいたし、アニメアワードということもあるのか海外から来たっぽい人も見かけた。

物語の内容としては全12巻のコミックスの半分ずつを前章と後章にわけるのではなく、門出と凰蘭二人の物語だからこそ、それを中心にしたものに再構成してあった。
驚くほどにあのが凰蘭だったし、幾田りらが門出だった。二人の声は原作好きでずっと読んできた僕にもまったく違和感はなかった。
また、この作品の肝ともいえる設定というか門出と凰蘭の小学生時代に起きたことも後章へのブリッジとして最後の方で出してきていた。原作ではもう少し後ぐらいのイメージだった。
ドラえもんのオマージュとしてのイソベやん(声は昨日亡くなったと報道が出たTARAKOさん)が作中作として出てくるが藤子・F・不二雄の描かなかった悪意とかも浅野いにお的に描いていたが、それも多くはないが映画にも出ていた。
上映前に黒川さんが「後章」のラストは浅野いにおさんが手掛けていて漫画とは違うものになるとサラッとすごいこと言ってた。あの終わり方にしないとなると、ほんとうに地球崩壊したりするのか、でも救いのない終わりにはならないとは思うけど、どうなるんだろう。
門出と凰蘭がもちろんメインだけど、ほかにも仲のいい三人がいて五人組でつるんでいた。その中の一人はあることに巻き込まれて亡くなってしまう。これは予告編にも出ているしネタバレではないと思うが、どうしても友達が死んでしまったあとの四人のやりとりのところで泣いてしまった。
東日本大震災以降の日本で僕たちが見てきたこと×(クリストファー・ノーラン監督『インターステラー』的な)SF的な想像力×シスターフッド作品が『デデデデ』という作品だと思っている。

昼頃に新TwitterことXでポストしていた柴崎友香さんの12月に出た単行本『続きと始まり』とちくま文庫で出たばかりの『百年と一日』のことを柴崎さんご本人がリポストしてくださっていて、版元の筑摩書房のアカウントもしてくれていた。
筑摩書房の紹介文のところには「東京のひがし・蔵前にある出版社です」と書かれていて、『百年と一日』の解説を書かれている深緑野分さんのインタビューをしに行った時に一度会社には行ったことがあった。目の前の隅田川テラスで写真撮影をした記憶もあった。亡くなった友達が住んでいたマンションは蔵前にあったので、歩いていける距離だった。いろんなものが繋がっていたけど、意識するようになると見えていなかったものが見えてくるのかもしれない。

家に帰る前に亡くなった友達のお母さんからメッセージが来て何往復かやりとりをした。
8日には部屋の荷物を実家に送って、9日にはお母さんもお父さんも家に戻って彼女の荷物を受け取るという話をされていた。だから、もう先週お邪魔したあの部屋にはなにも彼女と関係するものがなくなってしまっていて、がらんどうになっている。たぶん、彼女の気配だけはわずかに残っているだろう。
次に住む人がやってきて家具を置いたりして新しい生活が始まっていけばその人の気配で満たされていく。それが繰り返されていく。
形見分けの時に僕もいくつかのものを譲り受けた。アーセナルファンでイギリスにまで試合を観に行った彼女が買っていたアーセナルペンダントもそのひとつだった。
僕は個人的にはサッカーは好きではない。元カノがサッカー好きになりすぎてどんどん追いかけていくのを苦々しい気持ちで見ていたが、僕にとって大切な人はどうもサッカーにハマってしまうらしい。ほんとうに困ったものだ。だけど、このペンダントは大事にする。

syrup16g - ex.人間(MV) 

 

3月10日起きてから金曜日に放送された『不適切にもほどがある!』の最新回を見る。脚本のクドカンに直訴して出演したという岡田将生がゲスト出演しているのだけど、山下敦弘監督&宮藤官九郎脚本『1秒先の彼』に岡田さんは主演しており、そこでもバスが時間に関する役目を背負っていて、今作と繋がっている部分があった。
最初の数話が放送されて、実際の1986年とは違うものやディテールがあるという声がSNSにはあったが、やはり作中作的なものの可能性も今回濃厚になってきたような展開だなと思った。

作業を開始しようと思ったけど、どうもやる気が起きないので寝たまま第一章部分まで読んでいた江國香織著『川のある街』の続きを読もうと思った。

 二羽の頭上には太陽が輝き、寂れた道は静まり返っている。くかかか、くかかか。 瞬膜が半分閉じられた彼女の目に、日ざしにあたためられたアスファルトが、鉱物的混合色とでもいうべき色合いに燃え立つのが見えた。腐敗と荒廃の結果であるその地面が、いまの彼女にはおそろしく美しく、生命力に溢れたものに見えるのだった。
P125

第二章的なパートではカラスの視線から街や人が見られているものが入っていた。上記の引用箇所はその中でもすごいなと思ってメモした文章。こういう文章を読むとやっぱり江國香織すげえなと思う。

「そう。いずれするつもりの帰国の時期とか」
 荷物が重い上に、道が若干登り坂だった。
「おばちゃん、こういうのいつも自分で持ってるの?」
 澤が訊いたのと、
「帰国なんてしませんよ。私には帰るところなんてないもの」
 と伯母がこたえるのとが重なった。
江國香織著『川のある街』P206

第三章の異国の街で暮らしている、パートナーには先立たれた老婆が主人公のものだが、「私には帰るところなんてないのもの」というセリフはリアリティがあった。
初生雛鑑別師だった祖母の兄は戦前にアメリカのカルフォルニアに一年近く日系移民の人に呼ばれて行き、帰国してその翌年にはイギリスに渡った。第二次世界大戦が勃発し日本とイギリスは敵国になったので仕事の最中に大伯父は捕まりマン島に収容された。戦争が終わっても日本には帰らず、もう一人の仲間と共に北アイルランドの養鶏場を任されてそこで暮らして、友達を看取ってから一人で暮らしてポーターダウンという町で亡くなった。
イギリスで一緒に仕事をしていて日本に帰った同じ協会だった人たちが戦後、高齢になってから大伯父の元を何人かが訪ねた。みんなが一人になったのだから日本に帰ってはどうかと聞いたが彼は首を振らなかった。最後に会いに行った人は戦前の初生雛鑑別師たちの海外での記録を書いていて、大叔父のことも触れていた。そこで大伯父は「もう私には日本に帰る場所はない」と言ったという。それを読んでいたから、この部分は自分がなにかが知っているものと似ているような気になった。

セリーヌ・ソン監督『パスト ライブス/再会』第 96 回アカデミー賞®授賞式直前特別先行上映ということでル・シネマへ。19時からだったので17時半には家を出た。
radikoで『オードリーのオールナイトニッポン』を聴きながら宮益坂下に向かった。春日さんが仕事でロサンゼルスにいるということで、冒頭からしばらくは若林さんの一人トーク、そこからアンガールズの田中さんがゲストで登場。二人の言い合う感じが同期であり、共にテレビで戦っていたからこその信用でできているんだろうなと思わさせるものだった。本音もたくさんあるだろうけど、丁々発止でできるやりとりはやはり相手の懐に入っていて、互いの信頼がないとできないと思うし、二人がたのしそうだった。
アカデミー賞授賞式前に候補作になっているA24制作の『パスト ライブス/再会』と『関心領域』の二作品が公開日より前に限定的に上映されるというもので、ル・シネマ以外でもやっていたが一番近いのでここにした。お客さんは二十人ぐらいだったかな、男女半々ぐらいだろうか、部活帰りっぽい女子高生らしき二人組もいた。

海外移住のため離れ離れになった幼なじみの2人が、24年の時を経てニューヨークで再会する7日間を描いた、アメリカ・韓国合作の大人のラブストーリー。

韓国・ソウルに暮らす12歳の少女ノラと少年ヘソンは、互いに恋心を抱いていたが、ノラの海外移住により離れ離れになってしまう。12年後、24歳になり、ニューヨークとソウルでそれぞれの人生を歩んでいた2人は、オンラインで再会を果たすが、互いを思い合っていながらも再びすれ違ってしまう。そして12年後の36歳、ノラは作家のアーサーと結婚していた。ヘソンはそのことを知りながらも、ノラに会うためにニューヨークを訪れ、2人はやっとめぐり合うのだが……。

これが長編映画監督デビュー作となるセリーヌ・ソンが、12歳のときに家族とともに海外へ移住した自身の体験をもとにオリジナル脚本を執筆し、メガホンをとった。ノラ役はNetflixのドラマシリーズ「ロシアン・ドール 謎のタイムループ」や声優として参加した「スパイダーマン スパイダーバース」などで知られるグレタ・リー。ヘソン役は「LETO レト」「めまい 窓越しの想い」のユ・テオ。2023年・第73回ベルリン国際映画祭コンペティション部門出品。第96回アカデミー賞では作品賞、脚本賞にノミネートされた。(映画.comより)

ノラを演じたグレタ・リーがどうしてもMEGUMIに見えてしまった。すごく似てる。彼女のパートナーであるアーサーは同じく A24制作のケリー・ライカート監督『ファースト・カウ』や『ショーイング・アップ』にも出演していたジョン・マガロだった。ヘソンを演じた役者さんは初めて見たかもしれない。その三人が主軸であり、ノラとヘソンという二人の初恋、その後という物語。
大きなドラマはない、といっても二十四年後に実際にニューヨークで再会するのが一番のドラマであり、ノラは結婚していてアーサーというパートナーもいるので初恋の二人は会いたかったという以上のことには進めないし、進まない。もどかしくもあるが、それがリアルだしそうだろうと観ながら思った。
作中では韓国語の「イニョン」という言葉が軸のようになっていた。日本語にすると「縁」や「運命」の意味らしい。袖振り合うも多生他生の縁みたいな感じで使われていた。今世では結ばれることがない二人は前世ではどんな関係だったのかと話す場面などがある。
ノアとヘソンとアーサーの三人で食事に行ってバーに行って飲むシーンが哀愁というか大人の恋愛や付き合いの難しさであり思いやりを感じられた。とても大人しい大人の恋愛ドラマという感じだが、カップルとかで観に行くタイプではないかも。通り過ぎたかつての大事な人を思い出してちょっとセンチメンタルになるような作品。


帰りも歩いて渋谷を抜けようとしたが、日曜の夜だというのに人がたくさんいた。特に誰かと袖振り合うことはなかった。

 

3月11日

13年目、震災以降何度か福島に行って歩いた。
機会があれば、ぜひ古川日出男著『馬たちよ、それでも光は無垢で』『ゼロエフ』『あるこうまたあおう』の第一回、第一話「キカイダー石巻鳥島、福島」(『群像』四月号掲載)を読んでみてほしい。
復興とはなにかということ、人と人の生活のことを考える。終わりはない、能登のことだけじゃなく、様々な震災が起きても改善されない問題など、あれからどれだけのことが震災の経験から活かされているのか。
祈りや願いだけではどうにもならない実生活に関する問題は国や自治体を動かさないとどうにもならない。人権や個人の自由を認めない人たちを僕はこれからも選ばないし、いろんな事柄によって変わるべきだったのに変えずに変わらないままで沈没していくことに関してはちゃんとNOと言わないといけないと思う。


リモートワークの昼休憩の時に今日、3月11日がオープン日で2周年を迎えたtwililightに。twililightが刊行した大崎清夏著『私運転日記』を購入。とてもきれいな装幀デザイン。

今日発表になったアカデミー賞でのロバート・ダウニー・Jrエマ・ストーンらの受賞の際の行動が差別的だと新TwitterことXで話題になっていた。
ロバート・ダウニー・Jrキー・ホイ・クァンは撮影後に抱擁してたけど、受賞の時の無視が問題になっていた。アジア人は目に見えていないという差別だとポストが広がっていた。
主演女優賞を受賞したエマ・ストーンは前回受賞者のミシェル・ヨーからトロフィーを受け取らずにハグしなかったみたいな感じになっているが、どうもミシェル・ヨーがエマの親友のジェニファー・ローレンスにトロフィーを譲って渡すように促してるっぽいし、それでエマも彼女とハグできずにみたいな感じに見える。その後ミシェル・ヨー自体がインスタでエマと抱擁している姿もポストしていた。
この二つのことでアジア人差別だ、という声がどんどん広がっていっていた。アジア人への無意識でも差別意識が働いているとしたら、それは残念なことだ。
ただ、条件反射でその前後関係も調べず、見ないでリポストすることが差別を見えにくくするし、加担するかもしれないとは思ったほうがいいよね、とは思う。
エマ・ストーンが受賞したのはよかったと思うし、試写で観たけど『オッペンハイマー』でのロバート・ダウニー・Jrの演技が素晴らしかったのは間違いない。

サンボマスターの曲の中でも屈指の名曲だと思うし、今日この日にこの曲をやるという意味、見ていた多くの人の心に沁み渡ったと思う。
Tverで見れるので今日の前半見て、この後半でサンボのライブを見たらこの『ラヴィット!』の良さが伝わると思う。ライブだけなら後半の25分前から、31分になる少し前から始まる『ラブソング』だけでも聴いてほしい。 

ラブソング サンボマスター 


TVerで見れなくなったらこちらを。この曲がリリースされたときにアップされた「長澤こよみ」というとある有名女優さんにしか見えない人の写真で作られた動画も素晴らしくセンチメンタル。自主制作でバージョンが三つあるけど、これが一番好きかな。
美しかった時間がかつてあった。過ぎ去っていったけど、一緒にいたことは日々や景色は心のどこかに残っている。

最中(モナカじゃないよ)というのは、いろいろな事が「それどころではない」という状態になり、時間が止まってしまう。こういうのをカイロス時間(主観時間)と言う。時間は基本、止まらないので、カイロスによって止まると、ものすごく止まってしまっていたかのように思ってしまうのだが、先生も看護婦さんも、受付の女性も、診察待ちの親子などもみんな含め、何も変わっておらず、時間が再び走り出すのが手に取るようにわかる。

再開したのだ。あらゆることが。後遺症という縁(よすが)だけを残して。たった半年だったのだなあ。と思う。既に去年の夏は熟成され、甘さを発し始めた。死の覚悟までしたのに。

どんな薬であっても、常用すれば効かなくなる。処方された「昔ずっと飲んでいた抗アレルギー剤」は、物凄く効いて、あれだけ僕を七転八倒させていた花粉症の諸症状は、2錠で綺麗さっぱりなんともなくなってしまう。

深夜0時から早朝7時までスタジオに入る。ぺぺは、クラシック、ジャズ、ラテンという3つのトライブが、そのどれでもない音楽に収まるミクスチュアだ。各トライブには、各々のテクニカルターム=言語がある。

菊地成孔の日記 2024年3月4日~3月10日記す>



リモートの仕事が終わってから、SUPER DOMMUNEYouTubeを流しながらライティング作業を。余裕はあまりないけど、ちょっと中旬以降のスケジュールが読めなくなってきた。
ピロリ菌の除菌薬が効いているのかどうかわからない。確かに下痢気味な感じにはなっているが、赤いブツブツがちょっと出てきてかゆかったりするけど、その原因が抗生剤なのかもわからない。あと三日なのでとりあえず一週間早く飲み終わりたい。そうすれば二ヶ月後の菌が残っているかの検査までなにもないから。

 

3月12日
寝る前に第11回ハヤカワSFコンテスト特別賞を受賞した間宮改衣著『ここはすべての夜明けまえ』を読み始めた。死なない体になった主人公が家族史を書いていくというもので、漢字やカタカナなどはほとんどなく、ひらがなばかりが使われている文章になっていた。
正直こういう文章は思いの外読みにくいものだったりはする。だが、冒頭から主人公が置かれた立場や語り出した過去の話ということがわかっているからか、そこまで苦手意識は出ずに、こういうものだと脳が判断して読んでいる感じ。
刊行前から早川書房SNS系ではすごくプッシュしていたので気になっていた。大賞受賞作はすでに刊行されているので、どうしてもこの作品を刊行したいという気持ちにさせる作品だったのだろう。となると最後まで読むと沁みいる人もいるし、ある種拒絶する人もいるというものなのかなって気もする。

起きてからライティング作業をして、自分で決めていた〆切よりも早く提出した。ひとつずつ終わらしていくしかない。
で、昨日の時点では認めたくなかったけど、赤いブツブツはやっぱりじんましんぽい、あるいは薬疹というものなのか。しかしめっちゃかゆい。上半身の胸から上のほうにできていて、ちょっとみみず腫れっぽくもなってる。顔には出ていないが、顎ぐらいのところにもできていてかゆい。ピロリ菌とかゆみと副作用で検索したら、じんましんや薬疹が出たら薬を飲むのをやめたほうがいいと書いているし、処方箋の袋にもそれらの症状が出たら連絡くださいと出ていた。


家を出たら雨がしっかり降っていた。友達の形見としてご両親から預かっていたものを渡すために新宿三丁目へ。バルト9が入っている新宿マルイアネックスの地下にあるBrooklyn Parrlor SHINJUKUで待ち合わせを。なんか僕が好きそうだと予約をしてくれていたので、オープンすぐに入ってから料理を頼んで食べてから、形見の品を渡した。
結局、四時間近くお店にはいた。アイスコーヒーを三杯ぐらいは飲んだ。外はずっと雨が降っていて、店を出てもかなり降っていて、今の気持ちには合っている天候だなって思わずにはいられなかった。
お互いに亡くなった友達とは22年ぐらいの付き合いだったし、そのことを共有できる人もほとんどいない。ふいに彼女の形見を置いているイスを見たその友達が、今そこにいたような、三人で話してるみたいな気がしたと言って泣いた。
僕らは平日の昼間、雨がザーザー降る新宿三丁目の地下で泣いていた。僕が彼女に最後に会ったのも同じ新宿でビルは違うけど、すぐ近くのマルイ本館だった。一緒に朗読劇を観て、彼女は珍しく風邪気味だというので飲みにも行かずに違う路線だったので外で別れた。あの日は今年最初の雪だった。今日は雨だった。

家に帰ってから、新宿にいた時にはかゆみもなかった蕁麻疹がまた赤くなってかゆみが出てきた。もう、さすがに無理に薬を飲むのもいいとは思えないし、診察を受けて処方箋を出してもらった病院に電話をした。
喉がイガイガしたり、呼吸がおかしいことにはなっていなかったので緊急ではなくてよさそうだということになり、水曜日は診てもらった先生がいる日だったので明日一番で病院に行くことにした。
さすがに今日の夜はピロリ菌の除菌薬は飲まないで、一旦止めることにして明日これからどうするかは先生に聞こうと思った。もう、この状態で無理したらさすがにダメだろう。しかし、自分の内臓っていうか胃が思いのほかナイーブだった。まあ本来の機能も抗生剤で落ちてるだろうし、免疫も弱まってるだろうから、無理してひどくなったら意味ないし。これで薬の副作用じゃなかったら怖すぎる。

 

3月13日
6時に起きてからベッドで寝たままで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』を聴きながら、ちょっとずつ起きて準備を開始。ピロリ菌の薬でじんましんが出た可能性が高いので、最初から診てもらっている消化器内科の先生に今後どうするか聞こうと思って、7時半には家を出た。8時前には自衛隊中央病院に着いた。予約が今回はないので整理券を取って8時半からの受付を待った。結局、先生に診てもらって処方箋を出してもらうまでは9時半と思いの外時間はかからなかった。
ピロリ菌の抗生剤のどちらかがアレルギー反応を起こさせている可能性が高いので、かゆみ止めの処方箋を出してもらった。除菌薬は七日間続けて飲まないといけなかったけど、僕は昨日の五日目まで、先生がいうにはワンチャンでピロリ菌が除菌できているかもしれないので、6月の菌の検査はそのままということになった。
かゆみ止めを五日間飲んでも治まらなかったら皮膚科へと言われた。上半身の胸より上の首の辺りと背中の背骨付近がかゆい。正直痒み止めが効いてるのかどうかわからないから気になる。抗生剤のアレルギーが出てしまっているのか、かゆみ止めが合わないのかがわからない。とりあえず、先生には診てもらったので一安心はしたけど。

病院への行き来の間はずっとradikoで『あののオールナイトニッポン0』を聴いていた。番組が終わるという話もしないし、明日「オールナイトニッポン」の2024年のラインナップ発表だけど、「ANN0」の五つはたぶん変わらないのだと思う。終わるという発言をしているパーソナリティーは皆無だ。このラインナップがちょうどいい。
あのちゃんも『R-1グランプリ』チャンピオンの街裏ぴんくについてトークをしていたが、彼の芸風的に言っていることが本当なのか嘘なのかわらないって話から、今回のトークの流れもできていった感じだった。そういうのが自然とできているのはやっぱりすごい。
帰ってから仕事中に流していた『JUNK 爆笑問題カーボーイ』には街裏ぴんくが短い時間だが顔を出して挨拶をしにきていた。何度か番組に呼んでもらっていたからなんだろう、義理堅い。
土曜日にTAAF招待作品で観た『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章』のラストで流れたano feat. 幾田りら『絶絶絶絶対聖域』は劇場の音が大き過ぎたのかちょっと割れる様に聴こえたけど、今回のラジオでフル尺でかかったのを聴くとやっぱりあれは音割れてた。この曲のMVとか早く出ないかな。

11時前には処方箋出してかゆみ止めの薬をもらって、家出リモートワークを開始。かゆみはまだあるから気になってしまったが、朝の分はもらった時に飲んじゃっていいですよと言われたので飲んだ。副作用としてかなり眠気が出ると言われた。
14時過ぎに休憩をとって、30分ほど仮眠したが確かにすぐに眠れた。でも、夕方ぐらいにまたかゆみが出てきたりして、抗生剤のアレルギー反応なのか、かゆみ止めが逆に合わないのか効いていないのか判断がつかない。


仕事が終わってからニコラに行って、そら豆と木苺のモンブランとアルヴァーブレンドをいただく。気のせいか家を出るとかゆみが出ないんだけどなあ、ダニかハウスダストとかのアレルギーじゃないかなってまだ思っていたりする。でも、それでもかゆみ止めは効くと思うんだけど、どういう状態なんだろう、これ。
土曜日と月曜日に〆切というか提出するライティング作業があるから、集中できる状態に早くなりたい。

 

3月14日
最悪だ。起きたら首元まで赤かったものが顔にも見られる。朝8時半の一番早い時間帯に免許更新の予約を入れていた(東京都は2月から届いたハガキからウェブ予約して自分のQRコードを取らないといけなくなった)から、この顔で写真撮るのかっていう。
昨日はかゆみがあったところは冷えピタとかで冷やしてなんとかかかないようにできるだけしたのだが、結局昨日処方箋でもらったかゆみ止め効いている感じがあまりしない。ピロリ菌の除菌薬の抗生剤のアレルギー反応なのかもしれないし、あるいは除菌した際に死滅したピロリ菌が出す毒性のなにかのせいなのかはわからない。やっかいすぎる。

免許は8時半前には世田谷警察署の免許更新センターに行って、一番目に並んでいたので9時に30分のビデオ講習が始まってすぐに新しい免許を渡してもらった。
しかし、顔も赤いが輪郭が太りすぎだ。五年前の時でも一般的には太っていると言われる体重だが、それでも今と比べるとかなりスッキリしているように見えてしまう。それから十数キロ太っていて今は人生で一番太っている。顎や首に肉がついているから比べると輪郭がだいぶ違う。A24制作のブレンダン・フレイザー主演『ザ・ホイール』でフレイザーが演じた太り過ぎて家から出れなくなった主人公のことをちょっと彷彿させる。
車の運転はしないから次は五年後か、今の免許写真は戒めとして見ろと言われてるみたい。ほんとうにいろいろと変えなさいってことなんだろう。終わってから家に帰る時に手首とか手のひらも赤い斑点ができていたり、赤くなっていた。「エヴァ」で使徒に侵食されてる感じっていうか、陣地取られてる感がわかりやすくある。
自衛隊中央病院には皮膚科もあるから行こうと調べたら今日木曜日は休みだった。最寄駅で皮膚科を検索して探してみるが、一回も行ったことがないのでどこがいいのかわからない。
年賀状だけは十数年とお互いに出しているバイトが一年ぐらい一緒だった人が駅近の皮膚科のクリニックにはずっと通っていると言っていた記憶があったので、そこのサイトを見た。ウェブでの予約はいっぱいだったが、電話して訳を話すと院長先生ではない外部からの先生なら12時から予約できると言われたのでお願いした。

家に帰って服を脱いだが、やっぱり胸から首元と内腿の付け根辺りにあった薬疹の赤いものがお腹の方に広がっていた。昨日からかゆい背中も見れないけど、腰の方に広がっているのはわかる。
予約でいっぱいだったけど皮膚科に行って待っていたら30分以内には診察室に呼ばれて、ピロリ菌の除菌剤飲んでから赤くなっていったこと、除菌剤は五日まで飲んで先生に診てもらって止めて、かゆみ止めを出してもらったのを飲んだけどじんましんか薬疹が広がっていることを伝えた。
先生はじんましんではないだろうと、おそらく除菌剤のアレルギーによる薬疹か、ピロリ菌が死滅した際にだした毒性のものが原因だろうけど、特定は難しい。薬であればもう飲んでいないから治るはずだけど、これから全身に広がるということ、基本的には様子を見る感じになると言われた。かゆみはあるのでステロイドの入った昨日飲んだものよりも強めのものと胃の粘膜を保護する薬を出してもらった。
抗生剤のアレルギーでもピロリ菌の毒素によるものでも普段の皮膚の状態になるのはちょっと時間がかかると言われた。呼吸関係がしんどくなったり、粘膜系が爛れたりしたら、ほんとうに危ないのですぐに電話を言われた。ひどい場合だと最悪入院して点滴して中の毒素を出し切るみたいなことになるらしい。それはマジで嫌だし大変。
土曜日に薬を飲んで経過を診てもらうことになった。かゆみが減っていったらなんとかなるんだろうけど。今、体内にある毒素とか出し切って再生させてほしい。今年はもう体のことちゃんとメンテナンスしていく。もうそのきっかけにすると思わないとしんどい。

ステロイドの入った炎症やアレルギーを抑えるベタセレミン配合錠というのは、昨日飲んでいたものよりもさらに眠くなると皮膚科の先生に言われた。朝昼夕の一回一錠ずつだと仕事とかに支障が出るかもしれないということで夕食後に一日分として二錠飲むということにしたので、夕食を食べるまでは一旦一時間ほど横になって眠ったが赤みとはやっぱり引いてなくて腰の上とかにさらに広がっていた。ライティング作業はしないといけないけどちょっと精神的に無理。
寝転んだまま読みかけていた大崎清夏著『私運転日記』を。現実逃避というか、本読めるならライティング作業も多少できそうな気もするし、日記をこうやって書いているからできそうなんだけど、かゆみとか薬疹の広がりも気になるけど単純に仕事をやろうというテンションになれない。〆切は近いけど、今はできない。

8月20日

 シネコヤで『アフターサン』観る。薄い層を何枚も何枚も重ねて、それが溶けていくのを見ているような映画だった。忘れてしまうことばかりだった。スクリーンのそこらじゅうに、濃い死の匂いが漂っている。私たちが死ななくても、私たちの関係が毎日死ぬこと。だから記録すること。記録には何も映っていないこと。とどめようと足掻いた事実だけが再生されること。帰ってきたら午後だった。おやつのような時間に、納豆キムチ炒飯を作って食べた。夕飯は冷麺。

『私運転日記』「運転しない日々」 P105より

大崎さん日記を読んでいて、上記の部分が気になったというか、僕も『アフターサン』を観たけど、こういう書き方はすごくいいなって思った。16日からの下旬の日記はこのぐらいにシンプルにしようかな。
最後まで読み終わってから買ってきてきたナポリタンと豚しゃぶレタスサラダを食べてからもらった薬を飲んだ。ステロイドがどのくらいで効くのか、眠気はどのくらいなのかと思いながらまた横になって、20時からの「オールナイトニッポン2024年度ラインナップ」を17LIVEで見ることにした。

「ANN0」2024年ラインナップは月から金までは2023年のレギュラー陣が継続するのはすごくうれしい。この五番組は毎週聴いていて楽しみにしているしバランスもいいと思う。そこに最終土曜日にヤーレンズが月一回のレギュラーになったのもうれしい。
会見にはヤーレンズが出てきて挨拶をしていた。それもあって、去年は三四郎が司会だったけど、今年は現場に芸人がいるから彼らは司会ではなかったのかなと思ったり。
「 ANNX」の山田裕貴が一部昇格したあと枠にはキタニタツヤがレギュラーになっていた。『あのの電電電波』にゲストで出ているキタニタツヤを見たが、東大卒だが勉強ができるインテリというよりは地頭がよくて変態的なものもちゃんと好むというユニークな人、昔の頭いい人ってそっちよりだったと思うけど、この人はかなりよいのではないだろうか。
ミュージシャン枠だし、トークもいければ今後どんどん活躍の場は広がりそう。wiki見たら小学生の時にアジカンからロックを知って、高校時代にはアジカンのコピバンをしていて、ボカロPとしても活動をしていたらしい。アンダー30の人たちで曲を自作している人たちで才能豊かな人は以前にはボカロPをやっていたり、TikTokから世に出てきたりしていて、すごい時代を感じる。

 

3月15日
5時前に目が覚めた。髪の毛は二日ほど洗っていなくて気になっていた。湯船につかって温まると血行が良くなって薬疹のかゆみが出てしまうのでシャワーだけでと皮膚科の先生に言われていた。
シャワーを浴びて髪の毛を洗ってから寒いけど冷水で体全体を流した。体が冷えるとかゆみとかはなくなっていく。かゆいときは冷えピタとかで冷やしていたが、これはわりと効果があって、二度寝して7時過ぎに起きてもしばらくは大丈夫だった。
といっても仕事を9時からリモートで開始したぐらいから、かゆみが出てきた。両肘の内側に出てきたし、両太ももの足の付け根の下に広がっていたもの膝方面へ、胸の上部分に広がっていたものはお腹の方へと赤い斑点が広がっていた。
出してもらったステロイド入りのかゆみ止めを飲んでも効いている時とそうじゃない時間帯があったりする。先生が言われていたように、まずは全身に薬疹が広がってからゆっくり落ち着いていくのだろう。
顔は赤いままだし、首元も斑点みたいに赤いところと白いところがあって、明らかになにかアレルギーっぽいのが出ているのが普通に目視できる。顎の方とか瞼の上やかゆくて何度か掻いてしまった胸のあたりの皮膚は皮がカサカサになって剥けてきている。この辺りの状態は触ると皮膚やられてるなってよくわかる。
ネットで薬疹のことを調べても10日から14日ぐらいは元の状態に戻るのにかかるとあった。重症化したら毒素とかを点滴で全部流し切るとあるけど、これ以上ひどくなる感じはない。ただかゆいし赤い。二週間とかかかってもいいけど、このまま赤みが残ったり、肌が荒れたままだと嫌だなあ。もう若いわけでもないし、皮膚とかの再生能力次第なのかもしれないけど。

朝起きてからは『ハライチのターン!』を聴いて、仕事が始まってからは『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『ナインティナインのオールナイトニッポン』『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』『四千頭身都築拓紀 サクラバシ919』を流した。
都築とマヂラブは自分よりも若いけど、声が無理じゃないというかなんか馴染む。どちらかというと女性よりも男性の方が合う合わない声があるような気がする。自分と同世代や上だとあまりそれは感じないのだけど。

リモートが終わってからライティング仕事の作業を。〆切も近づいてきたのもあるけど、かゆみとかにも慣れてきたし、明日の〆切のものはアイデア次第なのでどうするかは考えていたのでそのパターンを書き始める。月曜日のものは日曜月曜でなんとかなりそうな算段。算段は算段でしかないから手を動かすしかない。
なんとか体調と共にリズムも戻さないといけないなって思ったけど、体調はよくしないとどうしようもないけど、生活のリズムとかもうちょっと考えてみよう。

今回はこの曲でおわかれです。
ゆるふわギャングと踊ってばかりの国『君の街まで』Music Video(2024)