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諏訪紀行

長年行きたかった諏訪大社巡りをしてきました。諏訪大社は上社の前宮と本宮、下社の春宮と秋宮の4つの神社から構成されます。いずれの神社にも御柱が天に向けて建てられています。

 

まずは、下諏訪駅で下車し、そこから十五分ほど歩いて下社の秋宮に向かいます。

それから、今度は春宮へ。弊拝殿が静かに鎮座しています。

春宮の近くには、万治の石仏があります。

大きな丸い岩の上に首がちょこんと乗った、何とも不思議でキュートな仏像です。一見するとモダンアートの作品にも見えますが、立派な仏像です。かつて岡本太郎がえらくこの石仏を気に入り、これを見るために何度も下諏訪まだ足を運んだとか。それくらい人を惹きつける魅力があります。かつて、石工がこの石にのみを入れたところ血が噴き出たため、これを仏像として彫ったという言い伝えが残っているようです。この仏像の回りを三周しながら願い事を唱えると成就するのだそうです。

 

下諏訪にはいくつかうなぎの名店があり、昼の時間を狙って行ってみましたが、大勢の先客が並んでおり断念。そのまま上諏訪に移動します。近場のお寺をいくつか散策し、八剱神社にも寄りましたが、なかなか趣のある神社です。

諏訪市内は5件の酒蔵が集中しており、有料で試飲ができます。それぞれ全く味が異なり、違いを楽しめます。

自分の好みは、「舞姫」と「麗人」の二つの酒蔵でした。

 

夜は市内の片倉館の千人風呂で温泉を堪能。古くて由緒ある建物です。

 

諏訪の夜は「ごん太」という店に入りました。

ごん太 - 上諏訪/居酒屋 | 食べログ

早速、酒蔵試飲で美味しかった酒蔵の酒を注文します。美味しい馬肉や焼鳥と共に堪能します。店内には小澤征爾さんのサインが飾られていました。小澤さんといえば、松本で毎年サイトウ・キネン・オーケストラの公演をされてきましたので、その関係で諏訪にも来られたことがあったようです。気さくな店主との会話を楽しんだ後、二件目は「鳥梅やきとりコーナー」というお店に。とりわさが美味しいお店でした。

鳥梅やきとりコーナー - 上諏訪/焼き鳥 | 食べログ

 

翌日は、茅野まで移動して、諏訪大社の上社をお参りすることに。レンタサイクルでまず上社の前宮に向かいます。山の上の方からの清流が流れている静かなシチュエーションの中に本殿があります。

それから、上社の本宮へ向かいます。本宮はかなり人も多く、規模も大きく、建物も豪華です。

途中、「神長官 守矢史料館」というこじんまりとした施設に立ち寄りました。

中は串刺しにされたウサギの展示などグロテスクなものでしたが、一番奥にあった古図の写しに興味をそそられました。

何が興味深いかといえば、地図の真ん中に五重塔が描かれている点です。それから普賢堂という建物も見えます。つまり、中心にお寺が描かれているわけです。この五重塔はもちろん現存していません。おそらく廃仏毀釈で壊されてしまったのでしょう。この場所は地名に神宮寺とあるように、諏訪大社の神宮寺がありました。江戸時代は神社よりもお寺の方が力を持っていたのでしょう。それが廃仏毀釈で仏教施設が悉く破壊されて、今では神宮寺は地名に残るのみです。

他方、廃仏毀釈を免れた仏像が近くの仏法紹隆寺というお寺に保管されています。

それが諏訪大明神本地普賢菩薩です。

象の上に菩薩が乗っているこの像ですが、象は1292年に、上の菩薩像は1593年にそれぞれ作られたもののようです。菩薩像は、武田信玄が信仰していましたが、その後、織田信長によってこの菩薩像が破壊された後に、再建されたようです。

そして、この菩薩像は明治元年までは諏訪神社上社本宮で諏訪大明神として祀られていたというのです。仏像が神社の本尊だというのは今では考えにくいのですが、かつての神仏習合の時代においては、本地垂迹説の考え方に基づき、こうした事例は一般に見られました。

さらに、この菩薩のお腹の中にはもう一つの菩薩像があり、それは諏訪大社上社前宮に祀られていたものだそうです。

ちなみに、普賢菩薩象の後ろには文殊菩薩像があるのですが、その目は廃仏毀釈の際にえぐられてしまったそうです。

つまり、諏訪大社はもともと神仏習合を体現する神社だったのが、明治維新廃仏毀釈を境に、仏教色がごそっと削がれてしまったのです。その際に破壊された仏教美術も数多くあったわけで、明治維新政府は何とも惜しいことをしてしまったのかと感じざるを得ません。

この辺の話は、仏法紹隆寺の住職のYouTubeでの解説がわかりやすいです。

 

その後、前日に食べ損なったうなぎを堪能。蒲焼きと白焼きの両方が楽しめる金銀鰻重がおすすめです。

鰻 小林 (こばやし) - 茅野/うなぎ | 食べログ

 

諏訪を後にして、次に向かったのは小淵沢です。目当ては、中村キース・へリング美術館です。一度行ってみたいと思っていた美術館です。

小淵沢駅からレンタルサイクルで10分くらいのところにあります。行きは少し坂道を登るのでやや疲れます。

キース・へリングといえば、先日も六本木の森美術館で展覧会をやっていましたが、それに続く鑑賞です。

この美術館の館長は、シミックという医薬品開発の会社の社長が就任されています。

キース・へリングといえば、地下鉄でチョークを使って絵を描くサブウェイ・ドローイングが有名ですが、そのカラフルでポップな筆致が特徴です。

 

そして、キース・へリングという人物を語る上で必須なのは、彼が同性愛者であったことでしょう。キースの絵には頻繁に過激な男性器の描写が登場します。

彼自身もエイズに罹患し、エイズや同性愛者への偏見をなくすための活動もされていたようです。

今回も神仏とアートをテーマにした充実した旅となりました。

道尾秀介「カエルの親指」

ヒューマンタッチのミステリー作品です。

詐欺に巻き込まれて、詐欺師たちに追われる身となった武沢と、テツという二人の中年男性がタッグを組むことになる。その生活にマヒロが飛び込んでくる。マヒロはさらに姉のヤヒロとその彼氏の貫太郎も加わり、不思議な共同生活が始まる。。。

 

すべてのカラクリは最後の最後に明かされるのですが、その意外性に度肝を抜かれます。登場人物のキャラ設定が巧みで、温かみを感じさせるのは、著者の人間性によるところかもしれません。

audibleで聴きましたが、とても聴きやすく、スッと小説の世界観に没入できました。

 

また著者の本を読んでみたいと思いました。

エドワード・アンダースン「夜の人々」

かつてレイモンド・チャンドラーが、いままでに書かれた最高な犯罪小説の一つと称賛したとされる作品、と言われれば、手に取らざるを得ません。その前振りに違わず、深い余韻を残す味わい深い作品です。

 

刑務所を脱獄した三人の男、Tダブ、チカモウ、そして主人公のボウイは、銀行強盗によって大金を手にする。ボウイは逃亡中に知り合ったキーチーという若い女と恋仲になり、逃亡生活を送る。

やがてTダブは殺され、チカモウは再び刑務所に入れられる。ボウイはチカモウの救出を企てたが、それが仇になって居場所がバレて、キーチーと共に銃殺された。。。

 

逃亡生活の中でキーチーがようやく子どもを授かった矢先に二人とも殺されるラストがあまりに悲しすぎます。ボウイは世間では極悪の犯罪者とみなされて追われていたわけですが、キーチーを思いやる優しい人間でもあり、そのギャップがやるせなさを誘います。

この作品では、キーチーがとても印象的なキャラとなっています。健気にボウイの後を追い、そして一緒に銃殺されるという生き方が何とも切なすぎます。キーチーという登場人物が作品全体のカラーを決めていると言えます。

 

文章は多少読みにくい面もありましたが、チャンドラーが激奨しただけある素晴らしい作品でした。

三島紀行

静岡県の三島を中心に旅をしてきました。東京から程近く、最近ではスカイウォークがインバウンド客に人気となっていますが、案外知られていない魅力がある地域です。

 

まずは三島大社にお参りです。

三島といえば、富士山からの湧水が有名です。街のあちこちに湧水があり、水の街です。よくメディアでも取り上げられるのは柿田川の湧水です。三島駅からバスで20分くらいのところに公園が整備されており、湧水を眺められる展望台が設置されています。

それ以外にも、駅からすぐ近くの楽寿園にも、湧水による池があります。この楽寿園は、多くのこども連れで賑わっており、市民の憩いの場になっているようです。園内にある休憩所では飲食も販売されており、三島コロッケとビールを美味しく頂きました。

 

それから三島の隠れた穴場スポットであるベルナール・ビュフェ美術館へ。

ビュフェはフランスの画家で、この美術館にもしばしば訪れていたようです。この美術館は、スルガ銀行の頭取だった岡野喜一郎氏が創設したものです。近くにはヴァンジ彫刻庭園美術館という同じく岡野一族が所有する美術館があったものの、こちらは数年前に閉館しています。つまり、ベンナール・ビュフェ美術館も、スルガ銀行のゴタゴタに巻き込まれた形で苦境に陥ってしまっているのです。

かつては三島駅から無料送迎バスがあったようですが、今は廃止されたため、交通の便が悪いのが最大の難点で、行きは数少ない路線バスを使って近くまで辿り着けましたが、帰りは一キロくらい離れたバス停まで歩いてようやくバスに乗れるという立地の悪さです。

他方で、所蔵作品はなかなか素晴らしいものです。ビュフェの作品に登場する人物は顔が縦に細長く引き伸ばされ、冷めた表情をしています。ビーチでバレーに興じている絵でも、楽しいはずの場面なのに、登場人物は誰一人ニコリともしていません。

究極はキリストの受難シリーズです。処刑されるキリストも処刑する人物も一様に無表情です。処刑している人々は、処刑に関心がないようにやれやれという表情をしています。

これらの絵は、大戦後の社会の虚無感を表しているのかもしれません。若き日のビュフェがどのような思いでこの絵を完成させたのか、興味が湧きます。

 

それから、三島に程近い場所にあるのが、畑毛温泉です。伊豆箱根鉄道大場駅からバスで10分ほどの場所にある小さな温泉街です。田んぼの端っこにひっそり佇んでいる感じの温泉です。

この温泉の泉質は2種類あるようで、うち一つは温度があまり高くなく、長時間かけてじわじわと温まる感じのお湯で、とても気に入りました。

 

翌朝は、願成就院まで朝ランです。田んぼから眺める富士山がとてもきれいです。

成就院北条政子の父である北条時政が開いたお寺です。

このお寺のすごいところは、運慶の手による国宝の仏像が5体あるところです。落ち着いた表情の阿彌陀如来坐像、二体の童子を従えた不動明王像はいずれも迫力があります。

すぐ隣には守山八幡宮があります。

伊豆に流されていた源頼朝が平家追討に出発する際に祈願に訪れた場所です。647年の創建ですから、かなり由緒のある神社ですが、願成就院の人気に押されて、ひっそりとした感じです。

目を瞑ってお参りしていると、かつての頼朝の覚悟が長年の時を経て感じられるようで、感慨深いものがあります。

それから、再びランを再開して、蛭ケ島に向かいます。十四歳で流された頼朝が、その後北条政子と知り合うまでの十数年間を過ごしたとされる場所です。

頼朝というと当然鎌倉を思い出すのですが、頼朝という人間を育んだのはむしろ伊豆のこの辺の地であったと言えるかもしれません。

 

この近くに大場という駅があり、少し散策してみました。ちょっと行ってみたい大場神社という小さな神社があったからです。

大場神社には小さな像がポツンと置いてあります。


三島市郷土資料館のホームページによれば、この辺も明治維新の頃、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れたようで、この道祖神もその被害を受けたようです。というのも、廃仏毀釈でこの道祖神の首が切り落とされ、後年になって新たな首が付けられたようです。そう言われてみるとそんな感じがしますね。道祖神の穏やかな表情と廃仏毀釈で首を切り落とされた史実を結びつけると、やるせない気持ちになります。

歴史の小箱 | 三島市郷土資料館

 

この日は、修善寺温泉に立ち寄り、修善寺と隣にある日吉神社を参拝しました。

 

その後、熱海のMOA美術館に久々足を運んでみました。駅からバスですぐの高台にあり、海を一望できます。カフェからも絶景を堪能できます。

長いエスカレーターを登ったところに展示スペースがあり、この日は葛飾北斎富嶽三十六景の展覧会をやっていました。北斎の絵と現在の写真を並べて展示していたのは、なかなか面白い工夫だと思います。

 

こうして、三島近辺の神仏とアートを探求するちょっとした旅は充実したものとなりました。お詣りとアートは旅のテーマとしてベストな組み合わせかもしれません。

松浦寿輝「名誉と恍惚」

以前読んだ『香港陥落』につながる大作です。

舞台は戦前の上海。日本人の警察官芹沢が、陸軍将校の嘉山から接触を受け、上海の裏社会を牛耳る大物の蕭を紹介するように依頼される。芹沢は、蕭の伯父で時計屋を営む馮とは面識があった。その馮を通じて蕭を紹介してほしいというのが嘉山の依頼だった。

しかし、この依頼が芹沢の人生を狂わせる。芹沢は組織を追われ、工場労働者、映画技師と職を転々として逃亡生活を送る。やがて、馮の姪で蕭の第三婦人である美雨の館の一室をあてがわれる。

やがて、馮と美雨らは香港への脱出を企て、芹沢も一緒に行かないかと声をかけられる。芹沢は自分を嵌めた嘉山を探し出し、会いに行く。。。

 

戦前の上海は欧米と日本が共同で統治する租界という地区が設けられ、そこで独特の魔性を持つ都市の空気が形成されてきました。本書ではそんな上海の空気感が生き生きと描かれています。

私は、著者のハードボイルド的な筆致がとても好きです。登場人物の思考や内面が奥深くまで抉られるように描かれており、著者の力量を如何なく発揮されています。

登場人物も魅力的です。裏社会の大物の夫人でありながら孤独な美雨、そしてロシア人の男娼とのアナトリーが、この物語に効果的な華を添えています。

 

文庫二冊にわたる大部の作品ですが、間違いなく読み遂げる価値のある本です。

加藤シゲアキ「なれのはて」

直木賞候補になった作品です。惜しくも受賞は逃してしまいましたが、巧みなプロット、繊細な表現で読者を虜にさせる著者の筆力に圧倒されます。

話はテレビ局のイベント企画部門の女性職員が持っていた一枚の絵で展覧会を開催しようという提案から広がっていきます。その絵を描いたのは無名の画家ですが、展覧会を開催するためには著作権の許諾が必要になる。そのため、無名の画家のルーツを辿っていくと、秋田の石油会社を経営する一族に行き当たります。そして、その一族の複雑な歴史が徐々に明らかになっていきます。

著者は物語の細部にわたってよく研究されている印象です。著作権の制度、秋田の石油開発の歴史や空襲の被害、そして自閉症についてもよく勉強された上で書かれていますし、そうした細部が全体のストーリー展開にきちんと生かされています。

本当に素晴らしい作品でしたし、アイドルグループの一員でありながら、こうした作品を生み出す著者の才能に敬意を表します。

 

 

 

 

 

「君たちはどう生きるか」★★★★☆

近年、これだけ賛否両論を巻き起こした作品はなかったかもしれません。

ゴールデングローブ賞のアニメ映画賞を受賞したことが報道されましたが、ちょうどその日に鑑賞してきました。

戦争中、真人は母親を火事でなくす。その後、父親と共に田舎に引っ越すが、そこで父親が再婚したのは、真人の母親の妹の夏子だった。真人は新しい学校や生活に馴染めずにいる。真人らが住むことになった屋敷は、不思議な青鷺が現れる。そして、屋敷の端っこにある塔は秘密が隠されており、入ってはならないとされていた。

ある日、体調を崩した夏子が行方不明に。真人は夏子が森の中に入っていくのを見た。真人は、青鷺の導きも受けながら、夏子を助ける旅に出る。。。

 

この作品は、事前の宣伝を行わないことが大きく取り上げられました。結果的に多くの人々が鑑賞することにはなりましたが、賛否は大きく分かれるという、これまでのジブリ映画とは大きく異なる評価を得たわけです。

 

多くの方々がしっくりこなかったのは、おそらく荒唐無稽も思えるストーリー展開にあったのかもされません。つまり、何が言いたいのかがわからないという感想でしょう。それはそれでわかります。

しかし、この作品で宮崎監督らが何か明確なメッセージを伝えたかったというよりは、むしろ神話の世界観を描きたかったのではないかという気がします。そのベースにあるのは日本神話の天地創造のように思われます。ヒミは天照大神、青鷺は八咫烏をモチーフにしているように思います。ただ、実際に描かれているのは、和洋折衷ともいうべき不思議な世界です。

つまり、この作品では、宮崎監督らは壮大な神話を再構築して描いているという気がします。

そういうふうに見ると、この作品の意味を深く考えるのもあまり意味がないように思われ、描かれた世界観を純粋に楽しむというのが、この作品の見方なのではないかという気がしました。

この作品が海外で高い評価を受けているのも、強いメッセージがないが故に、いかなる宗教の人にとってもそれぞれの見方ができる点にあるからのような気がしました。