或る人への手紙

簡素な盛り付けの夕食。萎びた水仙。テレビは、ちょっと待ってくださいよ
を繰り返す。テーブルの角に向う脛をぶつけた。間違って吸い取ったビー球
を掃除機から取り出す。蛙の鳴き声が止んだ。


明け方の空は薄暗い。林立したアパート群の壁は濁った雲の色。誰かの欠
伸が聞こえるわけもない通り。僕はチャリで這い回る。


毎朝届く新聞は誰が運んできてくれるのだろう。サンタさんかな、違う。誰
か、だ。邸宅の壁にとまる虫。8本足。騒がないでじっとして。
ひとつ、ふたつ、みっつ、数え方を変えてみる。
変化をつけて新鮮さを演出。とうも、いかないうちに元に還る。


ある日、宅の投函箱に差し込んだ途端にぐっと引っ張られた。子供のいた
ずらかな。それとも、寝られない老人かな。


公園を通りかかる。嬉々とした声は今は聞こえない。鳥のさえずりも。
一息ついて、ポケットに入れたままで、すこし縮んだタバコに火をつける。


変わったお子さんですね。全部むらさき一色で顔描いて。
子供の頃のこと、親から伝え聞いた話。今はちっとも変わっていない。


絵に描いた機関車は列車に取り替えられて、アクションが減った。
前に進むだけ。今日が明日に変わるだけ。


ひとつ約束をしたい。これを読んでくれる君。
何かを運ぶのは重要だけど、運んでいる人は誰でもいい。
だから、僕はこれから間違いをしようと思う。弾みをつけるんだ。ぼんや
りとした輪郭をはっきりさせられるまで。それまで戻ってこない。


さよならの手紙を書き終えて、嘲笑が包む。ざわめきが喧騒を呼ぶ。
一頻り考えた後の日常。冷えかけた鍋の湯を温めなおして味噌汁を
つくる。

文化祭

当日まで実行委員として精力的に活動しようしようと思って、ほとんどを他人任せにしていた。実際に自分ひとり居なくてもコトはスムーズに、つまずくこともなく、あらゆる問題は適切に片付いていた。時間がありすぎて嫌になって家から寝袋でも取ってくるかなという気になった。同じ委員のKさんに、それを伝えることにした。結局は自分の存在を確認させたいという意味だったのだけど。廊下でKさんを呼び止める。彼女は背はそんなにないのだけれど、すらりと長い足が際立っていてとてもスタイルがよく見える。たぶん何を着ても似合うのはこのタイプの人間なんだろうと思う。こちらを向き直ったKさんが僕を見咎めるといきなり激怒した。どうやら僕がフラフラとしている間に、大仕事、力仕事、肉体労働、それに近いなにかがあったらしい。もちろんKさんはその中身についての説明よりも僕が責任を果たしていないことを詰ることに集中していた。「で、なに?」息をついてこう問うてくれた。僕は謝罪せずに寝袋の旨を説明すると、「そう、じゃあ紙粘土も買ってきて」と言って鋭い目つきで一瞥してからスタスタと教室へ戻っていった。


僕は家に帰って寝袋を探していると、母親があんた今日は帰ってこないんじゃなかったのと聞いてきたので、また戻るんだと生返事をして物置をかき回してみたのだけれど、途中で面倒になって寝袋なんかどうでもよくなった。Tシャツを替えてから、すぐ家を出て自転車で街の文房具やへ向かう途中に幼馴染のSと偶然あってSのバイト先のとんかつ屋で飯を食べてから、ゲーセンでボーリングをして、またとんかつ屋に戻ってバイト仲間と話していたら9時を過ぎていたので、学校へ戻ることにした。


教室にKさんが見当たらないのでどこへ行ったのか聞いたのだけど、誰も知らなかった。誰も手がかりひとつ持っていなかった。僕は紙粘土を持っていなかった。彼女は行方不明だった。それは一っときではあるかもしれないけれど、彼女に関わる人の誰もがその行方を知らないのだから。僕は、捜索しなければいけない。そして発見し、悪事に巻き込まれているとしたら救い出さなければいけないのだ。まずは靴箱のロッカーを一つづつ開け確認することにした。5,600は在るので終わる頃にはいい時間になっているだろうと考えて。


10分もしないうちに嫌気がさして、L型校舎端のグランンドの木立とに挟まれた小道に向かった。タバコを吸うには丁度よく結構大勢が利用しているので、吸殻だらけになっていてグラウンド・ゼロ、爆心地と呼ばれていた。月明かりに照らされて、細身の影と赤赤とした玉、そしてヤニの香りがする。こんばんは、と誰か知らない影に向けて言った。影はもとのまま動かない。ぼんやりとしたシルエットは足の長いKさんにそっくりだった。「Kさん?」呟くように尋ねると、「うん」と心なしか寂しそうな返事が返ってきた。「とってきたの?」「いや、面倒だからやめた」「粘土は」「忘れてた」「そう」それから少し間があった。僕はタバコに火をつけて一息に吸い込むと思いっきり咽た。彼女が「大丈夫?」と言って、木立の合間から見えるグラウンドの方を向きながら、「T君、進路決めた?」唐突だったのでイヤとだけ返すと「私は大学行かないんだ、で、就職もしない」そう言ってから、まだ火のついたタバコをグラウンドの方へ放り投げた。僕も彼女もその方をじっと見つめた。「お姉ちゃんは就職してその会社で知り合った人と社内結婚してもう子供がいる。不満もないみたい。」「でも私はそういうの嫌なんだ。とりあえず旅行に行くバックパッカー、タイのアンコール㍗見てくる」僕は黙って聞いていた。タイで会いタイねと何度か繰り返して彼女の反応を伺っていると、小走りに走ってきたKさんが蹴りを入れてきて「ほら、いくよ!」とカン高い透き通る声が、グラウンドを裂くように響いた。

散歩

日が落ちてから散歩始めました。どこに行くかは特に決めておりませんで、とにかく歩けるところまで歩こうと、それだけは頑なに信条に近い所に置いていました。運河沿いは、比較的街灯が少なく夜を歩くには丁度良いのでした。私はあまり真っ暗を好みませんが、あまりに燦燦とした絢爛な場も敬遠したくなります。これは散歩道にも自然と適用されるのでした。運河の水面は街の木漏れ日と表現したくなるくらいに適度な量の光が反射しているのです。歩く程に私の足には力が、勢いとして付いてきました。キュキュとスニーカーが石畳の路面を踏んで叩く音は、私の耳にはっきりと届いてくるのです。何丁来たのでしょうか、はっきりとしませんが運河に林立したレンガ造りの倉庫軍は、疲労を感じても良いくらいに離れたことを示しているように思えました。私は引き返す前にポロシャツの胸ポケットからタバコを取り出しました。呼吸は多少の荒さがありましたが、タバコを吸うには寧ろ丁度良いと思えました。運河沿いの一メートル程の柵越しに肘を擡げて火をつけました。吸い終わるまで5分程だったでしょうか。ひっそりとした夜のしじまを縫うように星が落ちては来ませんし、微弱に吹く潮風は汗ばんだ体には爽やかではありませんでした。そうしながら黙と吸いつづけ、最後に運河に向けて吸殻をひょいと投げ入れた時でした。水面がゆらっと泡だったような波立ったような具合に白濁として、そこから棒状に何かが突き出ました。それがはっきりと何かは最初、判然としませんでした。スウっと泡だった所に突き出ていたので非常に存在感がありました。これを目の錯覚とすることは到底考えられない程、それは揺るぎない何かでした。私は忽然と現れたそれが、いつ消えたのかを認識することは出来ませんでした。まさに知らぬまに消えたのです。はっきりと見つめていながら、それが何かと認めることもそしてどこへ行ったのかも判りませんでした。私が自分のアパートに帰る道程で一軒、慌しくしていた家があったのを覚えています。よる夜中に、そうそう人があれこれ出入りするというようなことは、この界隈では珍しいのでよく覚えていました。後日、出勤前に私が身支度を整えて新聞の朝刊をハラハラ捲っていると、町内で溺死した少女があったことを知りました。遺体は既に発見されておりそれは運河から見つかりました。運河のどの辺かまでは書いておりません。少女は遊んでいるところ誤って転落したのでした。私が見た何かとその少女が遺体となって発見されたのには、かなりの時間的開きがありましたので、事実上まったく関係のないことなのでしょうが、私は私の感がべったりと纏わりつくようにして自分を支配していることを今も否定できないで居るのです。