桜の花がほとんど終わり、
わたしの散歩コースも、静けさを取り戻した

二日ほどすべてを霞ませていた黄砂も、
きょうは落ち着いている
今年は早くから咲いているシャガが、
まだしゃんとして、風に揺れていた

ほとんど誰もいない川べり
この辺りの水は、とくべつ澄んでいる


茶店でパフェとカフェオレを頼み
しばらく、静かに本を読む
この時間のために生きている、という気がする

Kindleにも、たくさんのタイトルが入っているけれど
やっぱり、どうしても紙の本が好きだ
ぱらぱらと頁をめくる、という点において
わたしにとって、紙はデジタルより自由だから

 

日々、仕事をしていると
どうしても、自分が削れていくような感覚がある

それでも、読むことで栄養を得て、
歩きながら思索することでそれを増やして
中身が流れ出しているような気持ちにならないように
そして、なにかを誰かのせいにしなくてもいいように
内側から湧いてくるものを育てて過ごしている


なんてことのないわたしだけれど、
自分自身を保つ必要はある
そして、それだけのことが簡単ではないのだ

本は考える力をくれるし、
いい具合にわたしを振り回して、しなやかさもくれる
いつでも


実際のわたしの身体は、しなやかにはほど遠く
両手も両足も痛いけれど
深く呼吸をして、新緑の季節を行こう

来週やってくる、雑事のことは
ひとまず、忘れて

 

 

抜けるような青空と、夏のような陽気
まだ花が咲いている川辺を、上を向いて歩く

明るい黄色の体をしたメジロが、囀りながら
ひょいひょいと桜の小枝を渡っていった
ブルーグレイの嘴はスズガモだろうか、
流れに逆らわず、揃ってゆったりと川の水にのっている

遠い空と、光が跳ねる水面
鳥たちの世界は、いつもグラデーションの中にあって
眺めることしかできないからこそ眩しい

 

きょうの分の事務作業を終え、カフェへ
半分の時間は、スウェーデン語で本を読み、
のこり半分は日本語で、読んだり、書いたり

今週から、月に一度のスウェーデン語の授業を再開した
といっても、先生と楽しく雑談したり、
本のわからなかったところを訊くくらいなのだけれど
それでも、ずっと続けてきた読書とポッドキャストに、
腰を据えて勉強する時間を加えるモチベーションにはなる

4年ぶりに会った先生は、変わらずほがらかな人で
ずっと早口で手を緩めない感じも、心地よかった
聞き取れない部分がもしあれば質問すればいいだけなので、
これくらいの気楽さとスピード感がちょうどいい


出会った頃には、京都に住んで5年ほどだと話していた先生も
もう、日本に来て10年になる
僕もスウェーデン語ほとんど喋ってなくて、忘れてそうだから、
辞書を横に置いておかなくちゃ、と言うので笑った
実際、わたしがわからないことは彼もわからなかったりもするけれど
調べて、わたしが納得できるまで、言葉を尽くして付き合ってくれる
いい先生だと、思う

彼は、この4年のあいだに転職して、
シフト制ではなくなり、以前のように平日には会えなくなったし
市内のちょっと離れた場所にある一軒家に引っ越した
それでも、授業を再開したいと相談したら、
快く、大丈夫、また行くよと言ってくれた

コロナの時間を超えて
こうしてまた会えるだけでもうれしいのだ、本当は

 

英語もそうだけれど、スウェーデン語も、
わたしにとってはもう日常に溶け込んでいる言語だ
毎日のようにニュースを聴き、本やオンラインの記事を読み、
取引先や友人へのメールを書く
何年もそれがあたりまえなので、
日本語の世界との継ぎ目はほとんどない

それでも、スピーキングは今年の頭にスウェーデンで、
仕事でというよりも、友人と話しているときに
ブランクを経て、自分の言葉に厚みがなくなったと感じた
つい同じ単語、同じ構文を使ってしまうことにがっかりしたし
自由なプライベートでこそ、反射的に使える語彙の大きさが
ほんとうに会話に直結するのだと気がついて愕然とした


だから、それをまあいいやと放っておきたくないし
自分を過信しないでちゃんと地道に積み上げたい
そのために時間をかけたいと思う

日本語でももちろんそうだけれど、
豊かな言葉が信頼を生むと信じるなら
いつでも、いつからでも、できることがある

効率はよくないかもしれなくても、
一歩一歩、そして長くつづけたい

 

もはや春を超え、初夏のような空気のなか
上着を脱ぎ、日傘を閉じて、
ほとんど人のいない桜並木を歩く

静かに咲く花は、ふわふわとあまりにも儚くて
迫力にも似た切なさがある
毎年見ていても、慣れることがない存在感

桜の写真にかぎって、
そこになにも写っていないように思えてしまうのは
美しさを留めておけないという焦りもあるけれど、
そもそもわたしが、記憶を花に重ねているからなんだろう


この季節には
なにもかもが、自分とは遠いところにあるような、
自分だけが冬のなかに取り残されているような気がする

一方で、何年かをヨーロッパで過ごしてから
春に抗えずに流されていくことを、
どこかで心地よくも思うようになった
図書館に籠って文献と向き合う、長いイースター休みに
強引にきらめきを与えてくれていたこの力よ


心が軋むわたしなどお構いなしに
有無を言わさずやってくる春
同じようで毎年違う、その横顔を
なかば溺れるようになりながら、たしかめる

いつかは、もうすこし、
この季節を越えることがうまくなったりするんだろうか

 

記憶が一年分増えるごとに
切実さが増すのでは重すぎるから
もうすこしは、軽やかに

今週は、仕事もプライベートも
なんだかんだで予定がパンパンになっているけれど、
合間にちょこちょこと出かけて、桜との思い出を増やしたい

ひととおり、店での事務作業を終わらせて
買い物に出かける日曜日

例年より二週間ほども遅れて咲いた白木蓮が、
足早に去っていこうとしている
いつもはもうすこし遅い枝垂れ桜は、
ソメイヨシノを待たずに、もう咲きはじめていた

紙みたいに白い鳥が、
ひらひらと飛んで橋を渡っていく
未だ、春の訪れを受け止めきれないわたしのことも、
軽やかに、越えて


キャラクターグッズの店で、
妹と姪の顔を交互に思い浮かべる
イギリスにいる姪は、とっくに小学生だけれど
あしたから、日本でも一年生ということになる

なぜかおみくじがついた鉛筆キャップや、
薄紫色でちょっとキラキラしている鉛筆削り
小学生のころ、わたしはこういうものが大好きだった
きっと、姪も好きな気はするんだけれど、
でも、妹はなんて言うかしらと、むずかしい

カフェで、珍しくゆずシトラスティーを飲みながら
本から目を離し、さっきのどうしようかなあ、とふわふわ考える
こういうので日々はじゅうぶんなのだ、きっと

 

 

さて、ちょっと唐突なむかし話
ずいぶん前に、Nikon FM3Aというカメラを買ったとき
実はもうひとつ、Contax Ariaという候補があった
当時、まだぎりぎり製造していたマニュアルフォーカスのカメラは、
たしかその2機種だけだったからだ

わたしは迷った末に選んだFM3Aをほんとうに長く愛したし
信じられないくらいに数多くの写真をFM3Aと、
最初に買ったF2.8のパンケーキレンズで撮ったけれど
それでも、Ariaはいつも、心のどこかにあった
そのカメラと、F1.4という明るい標準レンズとの組み合わせには、
どうしても、ほかにはない魅力があったから


その憧れだったレンズを
実は最近、長い時を経て、使いはじめた
Ariaにではなく、ミラーレス一眼につけてだけれど
レンズのリングをくるくる回してピントを合わせ、
泣いたり笑ったりしながら練習している

留学からの帰国後、わたしはフィルムカメラはほとんど使わなくなって
そのかわりにスマホで何十万枚という写真を撮ってきた
機敏なiPhoneのカメラを愛しているし、
心持ちは何で撮ってもほぼ変わらないと思っているにもかかわらず
それでも、また、レンズのリングを回してみたくなったのだ

1975年の発売で、
いわゆる“オールドレンズ”ということになるけれど
(しかも、わたしのレンズはいちばん古い部類のものだ)
やっぱり、無二のレンズだった、と言えるくらい
たくさんの写真をこれで撮りたい
遅れてやってきた青春のような、さわやかでおっとりとした時間を
このレンズと、カメラと、一緒に過ごしたいと思っている

昔の感覚を思いだしながら、新しいことを練習するのは
まっさらの紙に向かってなにかを書き起こしているような、
さっぱりとした、予測のできない気持ちのよさがある
それを大事にしたい


限りある時間を
なるべくゆっくり歩こう

さあ、新年度!

 

行ってみたかった丹波篠山へ
京都からのドライブ

江戸時代の面影の残る街並みと、
盛りだくさんにものが置いてある店々を巡り
古い建物を改装した宿に泊まって、土地のものをいただいた
夜の街はどこまでも静かで、宿にはテレビがなく、
思い出したくないことは、全部、思い出さなくていいような気がした


体から、自分に必要ないものを抜く作業
なかなかうまくはいかないけれど、
本当はわかってるのよ

非日常は、離れたところから日常を眺める機会をくれる
だから、極端なくらいがちょうどいい

 

なるべく波を立てないでいたいわたしにも、
日々、心のうちでは納得できないことがたくさんある

だれかを思って我慢していれば、
納得しているということになることにも納得していない
それは、なるべくちゃんと言葉にしたいと思っているし
我慢になにかしらの価値があるとしたら、
納得していないと口にするくらいで失われたりはしないと信じている


別に、特別なことを言いたいわけじゃなくて
ボロボロになってしまわないように、
自分に必要なプロセスを、よくよく考えたいなってこと

にしても、思いやりってどういうことなのかしら
永遠のテーマだ

 

 

Half Moon Runの去年リリースのアルバムが、
とっても格好良いことに今さら気がついた
それぞれの曲も良いんだけれど、
通すと、詰め合わせみたいな、贅沢なキラキラ感がある


イヤホンで耳にふたをする
箱のようになった自分のなかで、音楽が反響して、
そして、ふっと消える瞬間が好きだ

そわそわと落ち着かない季節だから、
音を味方につけて

 

祝日の水曜日
窓を叩く雨と、3月とは思えない寒さに心が折れ
きょうでなくてもいい仕事を放り出して、半休に

再読をはじめた本の行間に、
この本はそういうものにしよう、と普段はしない書き込みをする
狭い行間では、hとmとnとuがほぼ波線の自分の字
大学でスウェーデン語を勉強していた頃、
たびたび自分でも読めなくなっていたことを思い出して、笑う

雨の音がしなくなったと思ったら
遠くにあわく、虹がかかっていた
この天気だからか、平日よりも近所はひっそりとしていて
すうっと消えていった虹も、なんだか密やかだった


夕方にカフェで作業をしていると
ずいぶんと、日が長くなったものだと思う

3月も20日になると
もう、夏至までの折り返し地点
その実感は、ここにいると薄いものだ

日の入りを過ぎて、青く染まっていく窓のそと
夜は、訪れるときが、一等うつくしい

 

きのうは、半年ぶりに
長年お世話になっている美容師さんに会えた日だった
顔を見られてうれしかったし、ほっとしたのは勿論だけれど、
切ってもらった髪が、とにかく扱いやすく軽やかで
彼女の偉大さをひしひしと感じた

別れ際、ぜったい無理しないで仕事してね、と言ったら
それはそっちやで、がんばりすぎ、
誰ももっとがんばれなんて言わないでしょ、言えないですよ、と
何倍にもなって返ってきて笑ってしまった
このやさしさよ

明るくさわやかな花を選んで作ってもらった花束は、
彼女に、これ以上ないくらいによく似合っていた


きょうが誕生日の父にも、
おめでとう、体を大事にしてねと言ったら
それはあなたです、自分を大事にしなさいねと言われてしまったし
こうして心配されてばかりの自分はやっぱりいやだから、
今年は休み休みいこうと思うよ、いや、本当に

もうすぐ桜が咲いて
その季節が過ぎたら、きっと店も落ち着くでしょう
そうしたら、もっと本を読んで、もっと勉強もして、
ひとりで短い旅にも出るつもり

これを、休んでいる、と呼べるのかはわからないけれど
穏やかで、のびやかな春になるように

 

確定申告に目処がついた瞬間、
仕事に勉強に趣味にと駆けずり回る

結果、毎日電池が切れたように眠り、
目の下のくまがとにかくすごい
もうちょっとゆっくりすればいいんじゃないの、とは思うけれど
やりたいことがすっかり溜まっていたのだった

 

きのうは、ベルリンから、
友人が会いに来てくれた

わたしたちは、彼が作るものを通して知り合ったので、
つまり取引先同士なんだけれど
プライベートでの付き合いが深くなり、そんな感じがあんまりしない
それでも、やっぱり5年間一緒に仕事をしているからこその、
ほかではできない話ができたりする
いいところ取りな関係だなあと、つくづくありがたく思う

店で喋り、ランチを食べながら喋り、
散歩をしながら喋り、お茶をしながら喋る
喋りつづけた6時間


小さなわたしの店をゆっくりと見て回ってくれた彼は、
スペシャルな場所だね、
きみが深い知識を持っていて、なによりいい人だというのが伝わる、と
真面目な顔をして言ってくれた

わたしは彼の作品こそ、技術はもちろん
作っているのがいい人だと一目でわかるから、愛されるのだと思っている
本人にもいつも言っているけれど、いつでも機会があれば口にしたい
彼はほんとうに、ほがらかでやさしい人なんだ

こういう単純なことが、仕事の根底にあるというのも
結構、いいかも

 

彼はいま、一昨年まではあまりにも忙しかった仕事をセーブして、
旅と仕事を交互にして暮らしている
この業界も、まわりの人たちも、自分も
今はなにもかもが大変で、とても心配だけれど
それでも僕は楽天的でいることにしたんだよ、という言葉には
何度も心が折れてしまったからこその強さがあった

わたしも、これでも、
ほんとうに動けなくなることがある
これまでこんなに懸命にやってきたのに、と落ち込んだりするし
日々、些細な言葉に傷ついて萎縮してしまったりするし
それで、店のため、あるいは自分のための選択ができなかったりもする

だけど、彼を見習って
店も自分自身も、必要以上に圧迫することはやめないといけない
なにより、この仕事を続けていって
彼みたいに信頼のおける人たちと、細くて愉しい道を行きたいから


改札まで送っていきながら
ベルリンに帰るころにオーダー送ってもいい?大変じゃない?と訊くと、
大丈夫、5月の次の旅までになんとかするから、と彼は笑ってくれた

友人で、取引先でもあるわたし達
また、一緒に、きっといいものを作ろう

つぎは来年になってしまうかもしれないけれど
互いにすこし軽くなって、
ベルリンの街を、並んで歩けたらいい