10年間

 前回の書き込みから10年。「外科医の育つまで」なんて記憶に残っている人はほぼいないだろう。

 10年前の書き込みは市中病院で呼吸器外科のトップとなったことの報告だった。外科医として育つことを目標にやってきて、一つの目標であった診療科責任者になったのだった。

 診療科責任者として呼吸器外科の診療に打ち込んだ。手術もそうだし、それ以外の救急疾患などについてもそれまでの経験をもとに診療してきた。それと同時に、市中病院にいたが論文を書いた。「外科医の育つまで」で「これからは日記なんて書いてないで論文を書く」と宣言したのだが、それなりに論文は書いた。専門医や指導医の資格も取って行った。

 数年間、そういう生活を続けていたところに、母校ではない大学から誘いがあった。診療・研究だけでなく、教育もやりたいと思っていたのもあって、大学病院に移った。引き続き診療・研究をやるとともに、医学生教育や研修医教育も行うようになった。また、学会での仕事も増えてきた。

 市中病院の呼吸器外科のトップとなった日からちょうど10年の今日、大学病院で教授となった。ますます教育活動が重要となってくるであろう。「外科医の育つまで」なんて言っていないで、育てる方に力を注がないといけなくなった。育てるのも外科医だけではなく医師全体になった。

 「外科医の育つまで」はこれで完結でいいのかな。でも仕事はまだまだ続く。

独り立ち

 2003年8月に「外科医の育つまで」という日記を書き出した。その時に考えていた一人前の外科医というのは、その施設のチーフである外科医。上司がいない、自分の部下しかいない地位で手術をする外科医のこと。それまでの日々を書こうと思って、日記を綴っていた。使っていた「さるさる日記」のサイトが閉鎖されたため、それとともに日記も終えた。

 「外科医の育つまで」終了から1年3ヶ月。引き続き外科医としての修行は続けていて、だんだん後輩を相手に手術をすることや、後輩の助手として手術指導をすることが増えてきた。もちろん院内のどこかには上司がいるわけで、困った時に助けるのを求めるのは可能ではあるが、少しずつ独り立ちに近づいて行っていた。

 突然の人事異動であった。開業する人の穴埋めの形で、この10月から市中病院の呼吸器外科のトップとして赴任することになった。かつて考えていた一人前の外科医のポジション。37歳13年目という思ってもいなかった早い時期にそのポジションになってしまった。

 実際にそうなってしまうと、これがゴールでも何でもないことがわかった。これからも勉強していかないといけない。上司がいない分、今まで以上に勉強していかないと自分が伸びて行かない。自分で情報収集しないと情報が入って来ない。これからも努力していくことがたくさんある。一人前といえば一人前なのかも知れないけれど、一流までは程遠い。そしてまだまだ目指して行くところはたくさんある。

 突然、終わってしまったサイトの、その後のご報告。