戯言

 今更、誕生日を特別に思うような年齢でもない。それでも、何かしらの幻想はやっぱり持っているように思う。得てして、裏切られるから幻想というのだが。
 少なくともきっと、自分に「恋」は出来ないらしい。たったそれだけのことを悟るのに、どれだけを費やしたのだろう。どうやってみんな、他人を自分の内に受け入れているんだろう。誰かと一緒に時を過ごしたいと思えるんだろう。これもまた、幻想なのか。
 とりあえず今は、独りでもいられるんだから、それをよしとしよう。仕事と結婚しちゃった研究者ってのも、悪くない。そう決めて、隙を無くそう。傷つけないために。傷つかないために。


 そんな戯言を書いたのが今朝の二時頃。お昼頃に起きて、どっちが逃避か分からないくらいの比率で、読書とゲームと勉強と。いつも通りの生活。
 冬休みに入ってようやく、少しずつ積読が減っていってます。今日は「トリックスターズL」読了。雰囲気は悪くないんですが、「絶対濡れてて気付くからっ」「そんな圧力かけたら何か壊れるからっ」とか突っ込みどころは満載でした。
 突っ込みどころといえば、「こちら郵政省特別配達課!」。ここまで豪快だと突っ込むのもやぼな気がしてきます。ソノラマとハヤカワで、同じ小川さんの作品でも少しカラーが違うように感じました。これはこれで楽しめたけど、どちらかといえばハヤカワの少し固めな方が好きです。
 えーとほかに読んだのは、戯言シリーズの三巻目と、「エネアドの3つの枝 最後の封印」
 戯言シリーズは完結の様子を耳にしたことで再び興味を持って、とりあえず一冊買ってみたのですが、うーん、どうなんだろう。戯言の意味を深く考えようとしてはまりかけること多々。あの手のものはすーっと読み流すのが正解なのか、それとも読解力不足なのか。全体的な感触は上々なんですが、続きを買うかどうか悩むなぁ。
 エネアドの3つの枝の方は、綺麗に終わったんじゃないかな。恋愛ものというかロマンスはあんまり好きではないのですが、値段分以上の満足は少なくとも得られました。あとがきにあった伝染病とかそのへんのネタが混ざってたらどうなっていたのか、是非読んでみたいものです。
 ゲームは、英雄伝説6をちょこちょこと。セーブデータが残っていないことに今更気付いたので、SC発売に向けて3回目のプレイです。普段はどんなに気に入っても二周くらいまでしかしないんですけど。
 一章の中盤には遅くとも全てのスロットが開いてしまうとか、敵の強さのバランスがいまいちとかまぁ、気になる点はもちろんありますけど、頻繁に変わる街の人の会話などから作り上げられているその強い世界観のおかげでストーリーが短いのもそこまで気にならないし、戦闘もわりと飽きないし、よく出来たゲームだと思います。あのエンディングと、続編宣伝ムービーはさておきっ。
 勉強の方は、今日はディジタル制御の復習。休み中に数学の基礎固め直しと試験対策をする予定が、さっぱり進んでいません。せめて課題の類は全部終わらせないとなぁ。


 日記を書くのが久々で、行頭についスペースを入れ忘れてちまちま修正。すっかりTeXモードです。


 一日が終わる頃にはすっかりいつも通りのペース。立ち直りが早いのはいいことなんだろうけど、少なくとも思考は持続させないと意味ないだろ、と自戒。
 誰かを自分の一番に選び、常に共に歩くことは出来ない。それでも、誰かとの何年経っても消えない縁があるということは、必要なことで、すごく嬉しいことなのです。

人間ばとん

たなきあさんから回ってきました。書かなきゃと思ってから一週間以上経過。今更でごめんなさい。

それにしてもこう、すごいネーミングなばとんですね。最初見たときは何事かと思いました。


1*回してくれた方に対しての印象
猫。   ……ダメ?
えーとえーと。もう何年も会ってないので記憶頼りになりますが。
「陽だまりでうたた寝している猫」ってイメージです。ピンと背筋が伸びてる血統書猫ではなくて、コタツでまるくなってるような、α波を発してそうな、そんな猫さん。もしくは「わたわたと駆けていく子猫」。すごく親しみやすい先輩。いぢりがいのあるひと。


2*周りから見た自分はどんな子だと思われていますか?
 5つ述べてください。

・生真面目
・頑固
・自信過剰
・人見知り
・甘え癖あり


3*自分の好きな人間性について5つ述べてください。
4で「では」とありますので、どんな性質の人が好きですか? という質問と捕らえておきます。それにしてもこのバトン、いまいちまとまり悪いな(w
言葉につまったため「人間性」ではなく「〜なひと」の形に逃げてみました。


・たとえ向いている方向が斜めだろうがともかく、真っ直ぐなひと
・真面目なひと
・向上心が強いひと
・言葉を大切にするひと
・何らかの技能・能力を持ちそれを頼みに生きているひと


4*では反対に嫌いなタイプは?
自分も含まれたりしますが。

・自分の言動をすぐ撤回したがるひと
・自分の考えに固執しすぎるひと
・プロ意識に欠けるひと(間違いだらけの講義して恥じない教授とかっ)
・場をわきまえず騒ぐorしもねたに走るひと
・てきとうなひと


5*自分がこうなりたいと思う理想像とかありますか?
明確にこの人というのはないです。
昔は冷静沈着で頼れる優等生タイプのお姉さまってのに憧れたりもしましたけど、全然柄じゃないことに気づきました。
目指すのは、自分の能力を拠り所に、高みを目指すひと。立ち止まることなく、常に自信一杯で強気に駆けるひと。
楽園の魔女たちでいうと、かつてサラに憧れて、今はダナティアを目指すってところですかね(w 人間的にはナハトールが一番好きですけど。


6*自分の事を慕ってくれる人に叫んでください。
いるかどうかはともかくとして。
うーん、言うべきことは何も無いと思います。……それだと解答にならないか。
誰かが自分を必要としてくれている、少なくとも自分の存在にYESをくれる。だから今あたしは、こうして存在することができている。
その事実に対してあたしが返すことができるのは、あたしがあたしであり続けること、だと思うのです。そして、特別に告げるべき言葉は無いと思うのです。


7*そんな大好きな人にバトンタッチ15名!(印象つき)
……このサイト見てる人、絶対15人もいないよ? ましてやこのバトンに未解答かつBlog持ってる人はっ。

誰にも回さないのも味気ないのでmixiでの足跡を参考に適当に回します。気が向いてかつ時間があったら回答してみてください。

・不観樹露生さん(医者の卵の不養生あらため医者の不養生を体現するひと。しなやかな柳。知識の宝庫。人当たりがすごく柔らかいひと)
・ひそさん(元気一杯な妹分。面倒みたよりみられたことのほうがある気もしますがそれはおいといて。可愛いひと)
・獏さん(お世話になった先輩。的確なことばをくれるひと。白衣が良く似合うまっどさいえんてぃすと)



よりによってこんな日のこんな時間に私は何をしているんだろうと思いつつ、いい気分転換になりました。書くのはすっかり、気分転換するときだけになりつつあるけれど。
ちなみにかなり今更ですが、トラックバック初挑戦。私の頭の中のWWWは、Wikiやblogに未対応どころかブラウザ依存の関係でCSSを使えなかった時代で止まっているのです。

月記

 一応日記を書いていたはずなのに、週記をもすっとばして月記になっています。
 一日はとても短く、一週間も短く。それなのに一ヶ月はとても長く感じます。

 今年の授業は残すところ、あと3日程。製図の提出も終わり、一山越えた感じです。冬休みにやるべきことは山積になりつつありますが。前々から予告されていたんですが、今度ゼミで、リレーのみでライントレーサーを作ることになりました。ICもマイコンも無し、と。正確なレギュレーションは未定なので、まだ細かく考えたりはしていませんが、興味深い課題です。サークルでの製作は、わりとソフト側でごまかしたりしてたからなぁ。


 この三週間の間に、電車を3回ほど乗り過ごす。今までは生涯で二回くらいしか乗り過ごさなかったのになぁ。iPodが意外に曲者なのか、単に注意力不足なのか。寝過ごしが未だ0なのに、この乗り過ごし回数は、自分でもどうかと思います。


 浮かんだり、沈んだり。目指すは唯一つ、誇れるようあること。外見はさておき、中身は成長しないとなぁ。
 欲しい言葉をあげること。それはひどく難しい。当時の周囲に、改めて感謝。

 徒然と。

 今日で文化祭が終わりましたけれど、その準備に忙殺されていたわけでもなく、強いて忙しい要因をあげるのなら製図を筆頭とした勉強関係。でも日記が止まる一番の原因は、書くことに対して切羽詰った欲求をもてないことなのかもしれない。
 去年の夏を境にすっぱり、意識を切り替えた、そのはず。結局、私にとっての一番は別のものに変わってしまったのだから。それでも、昔の仲間が変わらず続けている様を目の当たりにして焦りや嫉妬を覚えたりするのは、捨てきれない程度ではあるからだろうか。それとも過去十年間の自分に対する懺悔だろうか。
 逃避には使わないこと、忙しさを言い訳にしないこと。重要なのは多分、その二点。二番目だって、いいじゃないか。


 時折、後悔することが4つある。もちろん失敗なんかは数え切れないほどあるけれど、「後悔」というほど悔やむのは四つ。一つは、すれ違ったまま途切れてしまった縁があること。一時期はPSOの「ありがとう」Flashを見ると思い出して、ちょっとへこんだものです。二つ目は、受験勉強を真剣にしなかったこと。三つ目は、サークルの選択。最後の一つは、置いておくとして、二つ目と三つ目のものは最近特に感じています。
 今までは自分のサークルのことで手一杯でよそのことまで眼に入らなかったんですけれど、引退して他のサークルの展示も見られるようになってその差を痛感しました。今のサークルでも、得られたものはたくさんあるけれど。それでも、自分のいるべき場所は違ったんじゃないか、とふと思ってしまう。
 大学については、今更書くまでもなく。進路を考えていると痛感してしまう。四年間受ける教育の質と、そしてそこから先の道を選ぶ容易さ。自分で、決めてしまった。


 ふと思うことを連ねてみたら、意外に暗め。特に落込むことも滅入ることも無く過ごしてるはずなんだけど。
 とりあえず、あと一ヶ月。目の前のことを片付ける。先に関して考えるのは、それから。

近況報告

 やっぱり日記を書くのは苦手です。すっかり季節が変わってしまいました。大学ではすっかり就職活動の季節になっています。知人から突っ込まれたので、とりあえず近況報告などを。


 一ヶ月での生活の変化なんてあんまりないけれど、iPodを購入してから音楽を聴く頻度が結構上がりました。最近はまっているのが、Sound Horizonライトノベル版オペラというか、すごく独特な歌で最初は全く受け付けなかったんですけれど、何度か聞いているうちに耳から離れなくなりました。その印象を一言で言えば、「記号的にシーンを魅せることで、その空気やストーリーを表現している」かな。
 後はあまりに時事に弱いのを克服しようと、読売新聞のPodcastを聞くようにしています。castって今まで聴いたこと無かったんですが、結構便利です、これ。朝の電車の中は本を読む余力もスペースも無いので丁度いい。


 読書関係では、「老ヴォールの惑星 (次世代型作家のリアル・フィクション ハヤカワ文庫 JA (809))」が久々にヒット。表題作は電車の中で読み始めたのがやめられず、つい授業中も読んでしまいました。何のために生きるのか、その様がポイント、かな。


 その他には、最近中国茶にはまりつつあります。九月のOFF会がきっかけなんですが、友人から無印良品で売ってる手軽なティーバッグを貰ったこともあって最近では夜の勉強のお供になっています。無印のもので鳳凰単叢と茉莉とを試しました。香りはいいんですが、味はやっぱり落ちています。そのうち専門店まで行ってしっかり道具一式揃えようか、検討中。

らいとのべる考

 昨日まで体力的にはあまりダメージがなかったので弱音禁止していたんですが、今日になって急に体調悪化。授業以外は、休息日と割りきることにしました。

 最近、ほとんど本を読んでいないことに気付きました。私が本を読むのは、文字と物語を追える程度に体力的余裕があってなおかつ休憩する時。その時間がないってことは、疲れているのも道理。
 今月はまだ二、三冊しか読み終えていない気がしていたのですが、今、正確に確認してみたら合計五冊でした。10/4に「彩雲国物語」、10/9に「空ノ鐘の響く惑星(ほし)で (8)」、10/10に「魔法鍵師(ロックスミス)カルナの冒険 (2)」、10/12に「疾走!千マイル急行〈下〉」、そこから一週間以上かけて「スローグッドバイ」を。つまり、ここ二週間くらいが、一ヶ月もの長さに感じられていたわけです。「沼地のある森を抜けて」――毎週一回は本屋に行ってるくせに、三刷目になっている最近になってようやくその発売に気付きました――を全然読めていないことも、この飢えた感覚に拍車をかけているのでしょう。ハードカバーなので、なかなか持ち歩けないのです。

 最近ライトノベルっていう言葉を本屋等でもよく耳にします。それに関係して感じたことなどをまとめてみます。
 私が一番最初に読んだライトノベル系の(と言えないこともない)本は、新井素子の「くますけと一緒に」か、火浦巧の「みのりちゃんシリーズ」中の一作。どちらも小学生の時に風邪で寝込んでいた私に、軽めの本をということで親が買ってきてくれたものです。小中学校の間は、コバルト文庫の類の本は半ば禁止されていたんですが、ライトノベル原体験はそれを遠ざけた親自身の手によってしていたんだと思うと不思議な気がします。その他には、倉橋燿子さんなんかも青い鳥文庫で読んでいました。やっぱり母親経由で。
 そんな境界領域の本を除けば、高校に入ってTRPGをはじめたことがライトノベルを読み始めたきっかけです。「ルナルサーガ」とか「妖魔夜行」とか。自分で本屋で適当に見繕うようになったのは、ちょうど「夢界異邦人」の最初の巻が出たあたりです。当時はほとんどずっと家にいたので、暇だったからでしょうか。今じゃすっかり、ライトノベルと一般小説の比が1:1〜2:1ってところです。

 ――ライトノベルの自分なりの定義、感覚を書こうと思ったんですが、なんか暴走しました。話を戻して。
 私にとってのライトノベルの定義は、主にレーベルです。ハヤカワJAやソノラマ文庫も一応ライトノベル。カラミティナイトなんかも入りますね。「キャラクター性を重視した、エンターテイメント指向の作品」なら全てライトノベルと呼べる気もします。
 ライトノベルを何故好むのか。別にライトノベルだから好きってことはありませんが、その一つの理由は、レーベルごとに特徴があり新規開拓しやすいということ。一般書は文庫ごとに陳列されていてもその中身は千差万別で、琴線に触れるものを探すことさえ大変なのです。次に、いわゆる濡れ場や、生々しい恋愛描写が少ないこと。別に恋愛ものが嫌いというわけではなく、例えば村山由佳江國香織なんかは好みですが、合わない人の恋愛描写はとことん苦手です。もちろんライトノベルにも恋愛ものはありますが、全体的にあっさりしているというか主眼においているものが異なる気がします。また何より、あっさり読めること、です。何も考えずにただ読みたい時って結構あります。ライトノベルは漫画的と言われたりしますが、気楽に読めることは同じでも、絵じゃなくて文章である魅力ってのはやっぱりあるんです。
 逆にライトノベルの嫌な点はなんといっても、イラストです。いわゆる「萌え系」の絵はやっぱり持ち歩きにくい。あとは、文章中の誤字や細かい矛盾の多さかな。作中の割と重要なポジションであるはずの団体名が混同されていて、一気に気持ちが冷めてしまったシリーズもありました。

 で、最近感じたこと。梨木香歩さんの本を読んでいて「日本語綺麗だなー」と思ったんですが、そういえばここしばらく美しい日本語に触れていない。しばらくライトノベルに偏った読書生活をしていたんですが、その中で、綺麗と思える日本語がなかった、ということです。すごく好きなシリーズでも繰り返し読んでみると、収まりが悪い文があったり、主語と述語の関係がおかしかったりすることに気付きます。酷く個人的な感覚の上、そこまで多くのライトノベルを読んでいるわけではないので言い切ってしまうには非常に躊躇するのですが、ライトノベルで(いわゆる境界系作家は除き)綺麗な文って読んだことがない。私の中では、ライトノベルの方が飽きがきやすいのも、そのあたりに原因があるんでしょうか。
 個人的主観で言うと、ライトノベルは文章や物語の矛盾はやや多め、ただし時として凄いエネルギを持つんだな、と思います。例えば秋山瑞人さんは、私の両親の世代(の多くの人々)とかから見たら論外だろうとは思います。それでも、あの文章は「凄い」。

 まとまりがない文章になりましたが、今日はこんなところで。暇があったら「なんで飽きたのか」などは分析してみると有用そうです。

Z変換記念日

 特に何があるわけでもないのだけれど、余裕のない日々。そんなわけで、久しぶりの日記です。手元の覚え書きですら、日付が飛び飛びになっています。
 やるべきだと思うことまで全部やっていたら、いくら時間があったって足りるわけがない。だからといって全てにおいてそれを言い訳にしていたら前に進めない。
 時間がない一因は、試行錯誤し過ぎたり脇道にそれたりしているからなんですが。時間の無駄か、有益なことか、難しいところです。一応人並み以上であるとは自信を持っていえるパソコン関連の知識は、多分そうやって回り道をしながら身につけたものだから。
 何事も加減が重要。

 日曜日までの日記はまたの機会に埋めることにします。
 月曜日はいつも通り制御関係の授業の嵐。Z変換についての講義は今日で一区切りだったようです。「これで、君たちは大抵のZ変換の問題が解けるようになった。これはすごいことだよ? 言わばZ変換記念日だ」と、先生の発言がつぼでした。その言葉を聞いて、伏せっていた顔を急に上げてノートに「Z変換記念日」とメモし、そしてまた寝る友人も素敵。
 この授業、説明は分かりやすいので、なんで学科最強科目と言われるのか今まではよく分かっていなかったんですが、演習をやってみてようやく納得。例えるなら、九九を習っただけなのに、三桁同士の掛け算をやる、といった様子。納得することと理解することとの間の壁を痛感しました。あとで要復習。
 夜はMathematicaをちまちまと。ロボット工学関係で複数の座標系を表示したいんですが、方法は結局見つからず。Graphics3DとLineでこつこつと書くしかないんでしょうか。